はてなキーワード: 哲学とは
ガンダムのアイデンティティって戦争を通して描かれる善悪のない人間たちと少年少女の成長、人間の生々しさ、政治ドラマ、とメカニック、強いメッセージ性なんだわ
アイデンティティのほとんどが属人的で、数十年バンダイに雑に削ぎ落とされてきた
今じゃガンダムのアイデンティティなんてのは角の生えた2つ目のロボットが出てくるアニメ、とかいう表面的で空っぽなもののしかないのね
水星の魔女は特に顕著で、放送終了から時間が経っても根強い人気風に見えるけど、内容はスレミオがどうのこうのの一辺倒wそのスレミオもキャラクターの作品を通して生まれた魅力じゃなくて同性カップルという属性に依存しとる。良い作品ってのは様々な面から見てこそで、キャラクターデザインやメカニックデザインがいいからという一面でしか評価しかできない作品は正直駄作の部類だわ。富野のガンダムは、間違いなく多面的に評価できる"芸術"だったんね。
結局新規IPを作っていく体力も才能も自信もないし、ガンダムという金のなる木を手放せないバンダイの怠慢だよね。
んで、ジークアクスよ
富野を憑依させて脚本を書いたと語ってたが結局いつもの庵野。ストーリーも哲学もなく、ただ演出で固めただけの薄っぺらい作品
しかも、言わせたいセリフと再現したい構図、演出だけが先行してそこにストーリーをあとづけしてるからもう不自然で見てらんないわよ。普通はストーリーがあってキャラクターの思考からセリフが生まれ、キャラクターの行動から構図が決まってくるものだろうが。
同人誌書くレベルで富野のファンというから、どんな素晴らしい作品が出てくるかと思ったら結局近年のガンダム作品と変わらない空っぽな二次創作だった。
ビギニングじゃないジークアクス本編部分はまだ始まったばかりだからなんとも言えないけども、まぁマチュニャアンしか見えてないひとすでに多そうだね。
ツイッターをみても具体的にどう面白いという感想が出てこない。大体して"シャアが変なことしてて面白い"、"初代のアニメが綺麗になってて感動"(←別物だが?w)"こんなことが許されていいんか(画像)"、結局どれも表面しか評価していない。
前情報無しで初代のマネごとが始まった衝撃抜いたら面白さそんなないんじゃないの?
それとも、もうアニメを物語、作品として評価する人間は居なくなったのか?神作画()でキャラデザが可愛くていい感じのとこでエモい曲が流れれば神アニメなんですか?聞いてるかリコリスリコイルさん??
むしろ、お前が「www」を連呼して相手側がめんどくさくなっているように見えるが?
それに、お前「哲学」とか言ってるけど、お前の発言の節々からは「哲学」が漂ってこないじゃん
ただ煽ってるだけ、それがお前でしょ?
負けてるの、お前です
それのどこが「哲学」なの?
お前は「元々の話題は違う」と主張するが、引用されている文章の内容を冷静に読め。
「カントはこう言っている」
「ソクラテスはこう考えた」
というふうに、「偉い人の名前」を盾にして議論が進められるケースが多い。
(中略)
この主張が指しているのは、ある思想が実際に「どう流通し、どう説得力を得ているか」の分析以外の何物でもない。
「思想が正しいかどうか」ではなく、「どうしてそれが正しいと思われるようになっているか」の話だ。
つまり社会的な流通・受容の構造の話であって、哲学理論の内在的妥当性を問う議論ではない。
第二に、「流通のメカニズムの話ではなかった」という主張の破綻。
もし本当に流通の話でないなら、「カント」や「ハイデガー」の名前を出している人々の引用の仕方に言及する意味がない。
哲学そのものの内的議論だけが問題なら、外的な言及方法や引用の権威性は関係がないはずだ。
つまり、引用文自体が、内容の正しさではなく「人がどう受け取るか」に依存する構造を問題にしている。
お前はそれを見逃して、「いや内在的正しさの話をしてたはず」と勝手にテーマをすり替えている。
この区別がつかず、引用文中で語られているのが後者であることも読み取れない。
しかもそれに対して「哲学理解してない」だの「小学生レベル」だのと感情論をぶつけている。
真面目な話、そういう質問に対して
「正直なところ、あまり研究内容が御社の業務に役立てられるとは思わないのですが…」と言ってもいいのか、
無理矢理にでもこじつけるべきなのか、どうなのかね?
例えばフランス文学科で専門はスタンダールとか、哲学科で専門は東洋哲学(主にインド)とか、役に立つ業務なんてほぼ100%ないわけじゃん。
思想やら哲学でも、英語で論文を書いていればすこし評価するんだけど。
ひどいやつになると、ゼミの輪講で英語の論文をよんでなかったりする。ゼミでなにをやっているかというと、うちわのポエムを読んでるとのこと。それは大学でやることなのか。
【追記】04/15 16:30
こういうプロ驚き屋な記事をかくと、反応が入れ食いになるのがブクマのよいところですね。
ただ、コメントを読んだ感じ、どうにも僕が作品の中の起こってる事象そのもの以上に、そこで起こる人間の心理や価値観、欲望の表出に驚いてることがいまいち伝わっていなくて、自分の筆力の無さを感じている。
そもそも価値観や人間の心理って、線形の延長線上にあるテックな未来と比べると、イレギュラーに変化するゆえに想像つかないと僕は思っているが、どうにもブクマカは人間の心理は一定で変わることはないと思ってるようで、その辺が齟齬の原因かなと思ってる。
とはいえ、僕は小林恭二が忘れられた作家になるのはもったいないと思ってるので、もっとこの本を含めて読んでほしいなと思います。
あたりがおすすめです。
僕にとって、この人と薄井ゆうじの二人は、森見登美彦と万城目学のようなコンビのイメージなんですよ。
【追記終わり】
小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大で作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。
僕は30年近く前の大学時代、この作家が世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだんと思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしまい作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。
きっかけは高校時代に書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説の基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説や奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。
年末に書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生の自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分が新刊で買ったのは数冊しかない。
何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代の戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。
なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレと引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ、10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。
主人公の男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場で暮らしている。主人公の仕事についての描写
わたしは、現在とある不動産会社にアナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報の検索及び処理で、パソコンと電話機があればどこにいても可能な仕事のため、専ら自宅で仕事をしている
えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた
会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売と宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。
十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。
私は答えたものだ。
「もともと会社や社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」
これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前の作品である。
小林はけして、現代SFの作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。
実際、この後、主人公は仕事を終えて、自分用のパソコンのスイッチを入れるのだが
パソコン通信でクラシック音楽情報を専門に扱うネットにアクセスする。
ちなみに現在かかっているモーツアルトの歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋(CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたものだ
と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信の会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)
作者は自分の想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。
どうやら、このクラシックの会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日のおすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)
ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている
太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。
それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。
年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。
無料だと答えると大概驚く。
こちらのほうが驚く。
この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報は商品になっている。むしろこの時代よりはるかに商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネットの価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本からの言及がある。ストウニアとこの著作は実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとわからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。
まじで今の話じゃないの?
哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw
バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである。
ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバーを形成している
2ちゃんのバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所だから違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。
まあ2ちゃんの雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。
ここで主人公は、その日の夕方に自分だけが得たとっておきの情報を披露する。その情報が何なのかはまあ表題でネタバレしているが割愛しておく。
書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たときの快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である。
この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!
これってつまりバズる感覚ですよね。ネットでバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚を90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。
主人公の情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。
そして翌日、彼は新聞で自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう
こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。
最初にリモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。
乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料よくそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想どまりである。しかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。
もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?
参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)
「ジェンダー系専攻してますが、おじさんウケが悪すぎるので就活時は専攻内容を誤魔化すのが学生内で常識になってるのエグい。」
これはね、ウケが悪いって話ではないんだよ。
元人事部でまさに就活面接担当してたおっさんがちょっと説明します。
理系だけでなく文系の学生、いわゆる人文系の哲学、現代思想、ジェンダー等々のゼミ出身の学生からも割りと応募があります。
私は人事部時代、ES審査から二次面接(個人面接)までを主に管轄していました。
まさに当事者の子が見ているかもしれないのでアドバイスとしても書くけど
「あなたが大学で学んだこと、研究したことは弊社でどのように役立つと思いますか?役立てたいですか?」という質問が非常に苦手です。
ESから面接にかけて同様の意図で表現を変え何回か質問を投げ掛けますが、質問の意図に合致した回答をしてくれる学生が少ない。
よくあるのは「私の研究は"社会"の役に立ちます」と答えてしまうパターン。
回答だけを読めば、筋道立てて説明していて分かりやすいんですよ。真面目に勉強してきたんだなと感じる。
"社会"のことは聞いてないんですよ。うちの会社のことを聞いてるのに滔々と社会全般の話を語られても中々困るわけです。
そもそもの話になりますが、就活の面接で面接官が質問を行うのは
質問の意図通りに回答できるか、ロジカルに考え説明ができるかといった能力を見るためという点が大きく。
上記の質問で言えば「大学の勉強内容と弊社の業務をロジカルに関連付けて考えられているか?」を問うているわけです。
ここで大事なのが、業務に対する理解の浅深は大きな問題じゃないということです。
普通の学生が、面接の時点で事業や業務全体をきちんと理解するのは無理で、当然そんなことは求めていません。
よろしい。
まず、お前の噛みつき方が浅すぎる。こっちは完全理詰めで叩き潰す。
論点がズレている。
こちらが述べているのは「現実に流通している正当化の仕方の構造的分析」であり、
「哲学理論そのものがなぜ肯定されてきたか」という内的プロセスの話ではない。
要するに、
「社会的流通のメカニズム」と「哲学的理論の自己正当化」は異なる次元の話だ。
こちらの指摘は、
「哲学が世間でどのように正当化され、説得力を持たせられているか」
哲学内の議論構造そのものの正当化理論について語っているのではない。
二点目、「客観的検証も客観的な正しさも存在しないのは当たり前」と言っているが、
それこそがこちらの主張の核心だ。
当たり前だと言うなら、お前は今まさにこちらの論を補強しているだけ。
自爆している。
わざわざ相手の論を強化するために口を挟むとは、正真正銘の間抜け。
→ 「説得力」は多くの場合「権威」や「引用」によって増幅される。
以上。
完封。
https://anond.hatelabo.jp/20250414063302
https://anond.hatelabo.jp/20250414181438
の続き
SFってすげぇなぁと思った
読んで良かった
この辺りで「もしかしてSFってオチを求めるんじゃなくて過程を楽しむジャンルなのか?」と思い始めた気がする
未読
だいぶ面白いと思ってたはず
今見てみると6巻と7巻が出て終わりなのかな?ちゃんと読んでおきたい
未読
この頃なろうにハマってた
「死神を食べた少女」がすごく良くて、その流れで買ったんだと思うんだけど記憶にない
目についたレビューが
未読
電車での戦いのシーンが印象的
このシリーズ、極端な設定が個人的に好みだったんだけど続編ないのね…
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
あぁ、これも好きだったな
2021年に最新16巻が出て、続きは出てないらしい
綺麗に完結してるやつが読みたいよ
未読
未読
もしこれを読んでたら今頃VS Codeに拒絶反応が出てたりしてたんだろうか
未読
割と最近(多分今年)になってこの小説の微ネタバレ食らっちゃって、そんなこともあるのかぁと思った
未読
未読
5巻で完結してるらしい
読まねば
この頃は野崎まどにハマって一気に読んでた
これより後の新作追わなきゃな
未読
未読
未読
これも好きだった
過去編で泣いた
長寿だね
こんな苦しい小説なかなかないよって思ったけどそんなこと言えるほど小説読んでないんだったわ
未読
未読
未読
未読
この本を参照したかは曖昧だけどLinuxでサーバー立ててファイアーウォールの初期設定を済ませるところまではやった記憶がある
そこから先は、何も…
未読
未読
未読
未読
なんで内容被ってる本を何冊も買ってるんだ
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
2,3回参考にした気がする
未読
未読
日本語訳がもう読みづらいのなんのでうんざりしてしまって、原文をあたったほうがマシなんじゃ?と考えた記憶が蘇ってきたが、まったく目を通してない
第2版を当時4383円で購入してるけど、2017年に第3版が出ていて5249円
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
キウイの表紙さっきも見たぞ
未読
序盤まで
なんとかして読もうと精神力を振り絞って枕元に置いたりしてみたけど無理だった
未読
倉庫番を作るところまで
未読
未読
未読
「Active Directory」が何なのかは今も知らないんだけど、最近割とよく聞く気がする
未読
未読
Kindle版で当時6819円だったのに対して現在12658円
インストールする→常駐する→結構メモリ食ってて邪魔だなぁ→アンインストールで終わっちゃった
ほぼ倍じゃん
未読
後年、技術畑じゃない人が書いた英日翻訳をチェックする機会があったときに「Stroustrupはストラウストラップって書きますね」って言えたので、未読で役に立った唯一の本
未読
未読
結局オブジェクト指向ってなんだ?
未読
ほんの少しだけ読んだ
RESTってなんだ?
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
山田祥寛さんってグループ名か何かなのかなってぐらいいっぱい本出てた記憶
未読
未読
あるソフトをVisual C++に移植しようっていう目標が一応あった
未読
未読
未読
良い感じに完結してるみたい
見てると意外とこういう古いラノベがKindle Unlimitedの対象になってる
未読
面白かったと思う
続きは出てない
続き
https://anond.hatelabo.jp/20250414183529
未読
未読
必要だったところだけ読んだら正直物足りない内容で、この数ページを読むためだけに8000円!?となった
未読
面白いらしい
未読
途中まで読んだ
途中まで読んだ
数ページぐらい
未読
最初の例文まで読んだ
途中まで読んだ
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
途中まで読んだ
未読
未読
途中まで読んだ
未読
途中まで読んだ
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
手を作るところまで進めた
未読
未読
未読
未読
未読
未読
途中まで読んだ
未読
結構中盤まで順調に読んでたと思うけど、ふとした拍子に生活から「本を読む」って行動が抜けると、そのまま読まなくなったな
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
ちょっと読んだ
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
とりあえず一通り目を通したような気がするが、肝心のピアノの演奏が三日坊主で終わったので身についてない
面白くはなかった
面白かった
未読
面白かった
未読
未読
未読
未読
未読
未読
未読
途中まで読んだ
面白かった
未読
未読
なかなか良かった
未読
未読
未読
未読
未読
知識として定着していない…が、内容はすごく良かった
俺が悪い
続く
https://anond.hatelabo.jp/20250414181718
解答しか求めてないよ
内容めちゃくちゃショボくて笑うけど、どういうこと?
「カントはこう言っている」
「ソクラテスはこう考えた」
というふうに、「偉い人の名前」を盾にして議論が進められるケースが多い。
えっお前の話って哲学をよく知らない一般人がなぜ哲学に納得するかの話だったんだ?小学生すぎない?
なぜ哲学では哲学的理論が肯定されてきたのか、を正当化と呼んでるわけじゃないんだ?
たとえば科学的思考に近い「論理的整合性」を重視する哲学者たちは、できるだけ権威に依存せず、内容で勝負しようとします。
例えば「客観」とは何かを論ずるときに客観的検証も客観的な正しさも存在しないし、すごく当たり前で何の意味もないことを書いてるようにしか見えないんだけど、どういうこと?
哲学書を読んだけど哲学は理解できてないってことだよね?独学で数冊読んだだけなの?ww
知能の低い人はwがついてると感情的になって文章がまともに読めなくなるらしいので、知能の低いお前に合わせて消してあげたよ?読めるかな?
仕事に関わる専門書(趣味を含む)以外だと、最近は世界情勢が不安定すぎてそれ系の本を読むことが多い。
金融危機に関する本とか。
哲学系は読まないな。やっぱどうしても根本的に無意味な分野なんじゃないかって思っちゃうんだよね…。科学哲学はたまに読むけどそれもなあ。
で、授業ではプログラミングだのアルゴリズムだの離散数学だのデータベースだのオペレーションズ・リサーチだの、まあ応用情報技術者試験に出るようなトピックは一通りカバーしてた。
だけど、正直どれもこれも面白みに欠けるんだよな。
たとえばJavaの授業が理解できてれば、PHPの授業なんかはもう説明聞くまでもなく、ほぼ自動的に理解できるレベル。
結局のところ「プログラミング言語を複数やる」ってのは、言語仕様が違うだけで根っこは同じだから、やってて新鮮味が薄いわけよ。
これがもし「新しい概念に触れる」なら話は別なんだけど、文法の置き換え遊びしてるだけだからね。
じゃあ、逆に何が面白かったのかって話になるんだけど、それは意外にも一般教養だったんだよな。
うちの学校はちょっと変わってて、専門学校なのに大学みたいに一般教養科目がちゃんと用意されてた。
まあ「哲学」とかは個人的には微妙だったけどさ。抽象論に終始してて、実感としては今ひとつ役立った感が薄かった。
でもな、「数理経済学」だけは違った。
最初は正直、経済なんてパヨクとネトウヨがテレビやSNSでギャーギャー喚き散らしてるだけの泥沼分野だと思ってたんだよ。
ところが授業を受けてみたら、経済ってのは意外とガッチリ数学で成り立ってる世界だった。
市場の動きには理屈があって、需要供給だの効用関数だの、基本法則がちゃんと存在する。
だから今では経済ニュースを見るたびに「これが本質からズレた議論かどうか」くらいは嗅ぎ分けられるようになったわけ。
要するに、表面的なノイズに惑わされず、ちゃんと数式ベースで考えられるようになったんだよな。
結局何が言いたいかっていうと、もし俺が「コンピュータサイエンスだけやってる専門バカ」だったら、多分人生は退屈だったと思う。