はてなキーワード: 生活とは
小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大で作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。
僕は30年近く前の大学時代、この作家が世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだんと思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしまい作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。
きっかけは高校時代に書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説の基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説や奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。
年末に書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生の自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分が新刊で買ったのは数冊しかない。
何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代の戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。
なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレと引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ、10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。
主人公の男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場で暮らしている。主人公の仕事についての描写
わたしは、現在とある不動産会社にアナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報の検索及び処理で、パソコンと電話機があればどこにいても可能な仕事のため、専ら自宅で仕事をしている
えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた
会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売と宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。
十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。
私は答えたものだ。
「もともと会社や社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」
これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前の作品である。
小林はけして、現代SFの作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。
実際、この後、主人公は仕事を終えて、自分用のパソコンのスイッチを入れるのだが
パソコン通信でクラシック音楽情報を専門に扱うネットにアクセスする。
ちなみに現在かかっているモーツアルトの歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋(CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたものだ
と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信の会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)
作者は自分の想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。
どうやら、このクラシックの会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日のおすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)
ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている
太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。
それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。
年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。
無料だと答えると大概驚く。
こちらのほうが驚く。
この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報は商品になっている。むしろこの時代よりはるかに商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネットの価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本からの言及がある。ストウニアとこの著作は実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとわからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。
まじで今の話じゃないの?
哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw
バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである。
ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバーを形成している
2ちゃんのバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所だから違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。
まあ2ちゃんの雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。
ここで主人公は、その日の夕方に自分だけが得たとっておきの情報を披露する。その情報が何なのかはまあ表題でネタバレしているが割愛しておく。
書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たときの快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である。
この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!
これってつまりバズる感覚ですよね。ネットでバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚を90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。
主人公の情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。
そして翌日、彼は新聞で自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう
こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。
最初にリモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。
乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料よくそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想どまりである。しかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。
もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?
参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)
極端なことをいうと男性は女性とセックスするために生きていると聞いたことがあるけど、じゃあもし、今後一生自慰だけでセックスは禁止という人生になったらどうなるの?
あ!ここまで自分で書いたあと気づいたけど、無期懲役囚とかはどうなってるんだろう。
じゃあ、セックスなしでも命に別状はないのか。
なにか日々の生活に支障が出てくるのかと疑問だったの、男性のセックスなし人生。
大丈夫なんじゃん。
実際難しいんだよな表現の自由って
たとえば自分の家の塀に猫や犬の惨殺死体の写真を貼って「残酷だ、猟奇的だ」と文句が出るのと
水着や下着の女性の写真やイラストを貼って「性的搾取だ、破廉恥だ」と文句が出るのと
仲良く遊んでる家族の写真を貼って「俺は独身なのに幸せ生活を見せつけるな」と文句が出るのと
1番目は誰しも"弾圧"するだろうし(あえてこの表現を使う)3番目の文句は一蹴するだろう
でも厳密に言えばどれも法律は犯してないんだから「表現の自由を完全に守れ」って言うなら動物の死体画像にも文句言えなくなるし
ああ、春ですか。まあ、確かにカレンダーはそう言ってますね。でもあなたのその感傷的なつぶやき、まるで去年の花粉症の苦しみを完全に忘れたか、あるいは脳の記憶領域がスギ花粉で埋め尽くされたかのようで。
春ですって? そうですね、自然界は再生の季節ですよ。でも人間界は相変わらずで、SNSには「春だな~」という無脳な投稿が再生産され、まるで思考停止のループ。桜の花びらより軽いあなたの知性が風に舞っていますね。
「春だな」って、何が? 税金の支払いが迫ってくること? 新入社員という名の使い捨て労働力が大量投入されること? それとも花粉、黄砂、PM2.5で呼吸が罰ゲームになること? ああ、素晴らしい季節ですね。生きててよかった。
春が来たからって、あなたの人生に突然ポジティブな変化が訪れるとでも? 桜が咲いたところで、あなたの自己啓発本の積読タワーは相変わらずですよ。その「春だな」の一言で、空虚な日常をごまかそうとしてるのが見え見えです。
自然界のサイクルとやらに感傷的になる前に、あなたの部屋のサイクル(汚れ→さらに汚れ)でも見直したら? 春の訪れを感じるどころか、カビの繁殖を感じるレベルですよ。
ああ、春。就活生には地獄の季節。花粉症患者には拷問の季節。あなたのような浅はかなつぶやきをする人には「そうですね」としか返せない人々をイライラさせる季節。素晴らしいですね。
春ですよ! 新しい始まりです! といって、あなたが去年やり残したこと、挫折した目標、消えたやる気、全部そのままじゃないですか。桜が咲こうが、あなたのダメさは枯れ木同然。
「春だな」というありきたりな感想。その陳腐さは、コンビニの桜味商品並みのオリジナリティですね。せめて「春の訪れに、私はまた一年無為に過ごしたことを思い知らされる」くらいの自覚はあるのかしら?
春ですね、確かに。でもあなたのその言葉、まるでAIが自動生成したような薄っぺらさ。感情の深度がインスタントコーヒー並みに希薄です。もっと捻ったメタファーはないのか? 例えば「春は社会という歯車にまた噛み込まれる季節」とか。
ああ、春。あなたのような人々が一斉に「癒される~」とか言い出す季節。でも現実は、クソみたいな日常が色を変えただけ。桜のピンクに染められても、あなたの愚かさは相変わらず真っ黒ですよ。
春が来たからって、何か変わる? あなたのその怠惰な性格、自己中心的な思考、浅はかな価値観、全部そのままでしょ。季節が変わったところで、中身までリニューアルされると思った? 残念、人間はそう都合よくできてません。
「春だな」という安易な言葉。その裏には「何も考えるな、感じろ」という思考停止の命令が隠れてますね。まるで「とにかく盛り上がれ」という強制された陽気さ。春の嵐よりうるさいのは、こういう薄っぺらなポジティブ思考です。
春ですって? 社会の歯車がまた回り始める音が聞こえますか? 新年度という名のシステマティックな暴力が始まりますよ。あなたの「春だな」という言葉は、その暴力を美化するためのBGMに過ぎません。
ああ、春。自然は再生するというのに、あなたは相変わらず同じ過ちを繰り返す。去年と全く成長してないじゃないですか。桜の木は年輪を重ねるというのに、あなたの脳内は1周回って同じ場所。立派な停滞ぶりです。
春の訪れを喜ぶ前に、あなたの人生の冬を何とかしたら? 人間関係もキャリアも趣味も、すべてが凍りついたままじゃないですか。自然界のサイクルとあなたの成長が完全に同期してないことに気付いてる?
「春だな」という言葉の軽さ。まるでその一言で、自分が何か深いことを言ったかのような錯覚。その自己満足、春の陽気に浮かれた花粉のようです。一瞬で消えますね。
春が来たからといって、あなたの内面まで花咲くと思った? 残念、そこは不毛の地のまま。むしろ「春なのに何も変わらない自分」に気付いてさらに憂鬱になるのがオチでしょう。
ああ、春。この季節だけなぜか哲学者になる人が増えるよね。「命の尊さ」とか語りだして。でもそのくせ普段は平然とコンビニで使い捨て商品を買い漁る。矛盾もいいとこです。
春の訪れに感傷的になる暇があったら、まずはあなたの部屋の掃除をしたら? 冬物のコートの下から出てくるのは、去年の食べかけのお菓子じゃないですか。自然の循環より、あなたの生活のループの方が深刻ですよ。
「春だな」という言葉に込められた無内容さ。その空虚な響きは、あなたの頭の中をそのまま反映しています。せめて「春が来ても何も感じない」くらいの自己認識があれば救われるのですが。
春ですよ! 希望の季節です! ……と言い張る人々の、その根拠のない楽観主義。現実を見ろよ。春が来ようが、世界は相変わらずクソだらけ。あなたのその能天気さ、むしろ病気ですよ。
というわけで、春だな、とつぶやくあなたに春の訪れを祝うよりも、まずは自分自身の陳腐さを反省することをお勧めします。自然界のサイクルにすがる前に、自分という惨状と向き合いなさい。それができたら、まあ、それもまた春の奇跡ですね。
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### 全体の評価
この文章は、特定のデータや事件に基づく「事実」を主張するものではなく、現代人の休日の過ごし方や心理をユーモアと皮肉を交えて描写したものです。以下の点で「正確」と言えます:
ファクトチェックの結果、文章に明確な「誤り」はありませんが、感情的・主観的な表現が多く、普遍的な事実として受け取るには注意が必要です。特に「休むことの戦略化」については、個人差や文化的背景が大きく影響します。
「技術への理解を深めること」と「ポジティブな体験を積み重ねること」が重要です。
子どもの泣き声が「不快」だと語る人たちは、自分がどれだけの特権の上に立って物を言っているか、自覚があるのだろうか。
自分の生活は中断されない。責任を背負わずに済む。感情の起伏を周囲にさらすこともない。
そんな環境を当然のように享受できるのは、子どもを持たない側の特権だということにそろそろ気づくべきだ。
そして、特権を持つ側がそうでない人々を「迷惑」と切り捨てて空間から排除しようとするのは一種の暴力だと思う。
力は行使しないけど、空間の“正しさ”を自分の尺度で決めつける構造的な暴力にほかならない。
…もしかしてなんだけど、子どもの泣き声が「騒音」にしか聞こえない人って、ケアをしたり、ケアを受けたりする経験が足りなかったんじゃないか。
だから、泣き声が「誰かが必死に何かを伝えている声」だと、感じられない。
「自分の時間」「静けさ」みたいな自分だけの閉じた世界の中で生きてて、それを脅かすものを攻撃する。
「体験としてのケア」の欠如が、こういう人たちの共感能力の欠如や、他者への応答の下手さにつながっているんじゃないかと思う。
うちの一人息子はPCゲームが大好きなチー牛だ。
家でマインクラフトばっかりやってる。
そんな息子も、今年の春で小学5年生になった。
そろそろ、好きな子の一人や二人いてもおかしくない年頃かなと思うのだけど、本人にその気配は一切感じられない。
妻に聞いた感じだと「女子はゲームの話が出来ないからつまんない」らしい。
まさかの異性に対する興味の切り捨て方が、ディスコミュニケーション過ぎて将来が心配になる。
俺が小5の頃は、同じクラスの女子に人生初の告白をしてフラれた記憶がある。
顔はそんなに美人じゃなかったけど、女子の中で一番足が速くて、スポーツ万能だった。
クラスでは男子3人がその子を好きだったらしく、俺の告白を皮切りに争奪戦が始まり、最終的には別の男子と両思いだったと聞いた。
ちなみにその男子は、高校のときにシングルマザーとひと夏のアバンチュールを過ごして人生を踏み外したし、
その女子はJR職員と結婚して安定した生活に入ったらしい。記憶が正しければ、の話だが。
話を戻す。
うちの息子は俺に似て顔はさほど悪くないのに、女っ気が一切ない。
運動神経もよくない。度の強い眼鏡のせいで、いよいよチー牛感が強化されている。
俺には姉がいたので、こっそり少女漫画も読んでいたし、当時はママレード・ボーイとかご近所物語みたいな恋愛アニメも当時は普通に放送していた。
でも、今って田舎県でもアニメの再放送を全然しなくなったし、息子はテレビもあまり見ない。
冗談みたいだけど、本当の話。
父親としては、どうにか彼に“異性を意識するきっかけ”を与えてやりたい。
少女漫画を読ませる案もあるが、本人はそもそも漫画をあまり好まないし、早期に恋愛脳になっても困る。
「今どきの女の子が好きなもの」を刷り込んでみるという案も浮かんだ。
ジャニーズ?いや、息子が将来ジャニオタと結婚されたら大変だ。
韓流アイドル?妙な影響を受けてメイクをし出すようになりそうだから不味い。
これを観せれば「イケメン=かっこいい=女子にモテる」という単純構造が頭に残り、見た目と立ち振る舞いに意識が向くかもしれない。
さっそく、地元の映画館の上映作品を調べたら、「玉ねぎのなんとかかんとか」という、どうやら丁度良さそうな恋愛映画を見つけた。
母親が連れて行ったら、息子を彼氏扱いして“母子デート”を演出する痛い母親みたいになってしまう。それは絶対に避けたい。
ただ、父と息子で恋愛映画を観に行くなんて話は今まで聞いたことが無い。
小学生の息子に性教育の入り口として恋愛映画を観せる、良いアイデアだと思うんだけどなあ……
子どもはいない。妻が「作らない」と決めていて、俺はどっちでもよかったから予定はなし。
となると、残された人生の大半を占めるのが「仕事」になるわけだけど、
俺自身はキャリアアップにも自己成長にも給料アップにも、正直ほとんど興味がない。
今の仕事も、特にやりたいわけじゃなくて「ただやってるだけ」って感じ。
ちなみに妻は無職ではないし、ほぼ俺と同じ考えだ。
「好きなことを仕事に」ってよく言うけど、
30代から転職するのもしんどそうだし(やろうと思えばできるかもだけど面倒)。
そもそも労働自体が嫌いだから、何をやっても“仕事”になった時点で多分好きじゃなくなる気がする。
生活できるほど稼げるわけじゃないし、家族のことを考えると仕事にするのは現実的じゃない。多分嫌いになるから趣味でいい。
みたいなモチベーションで頑張れる人っていると思う。
蛭子能収さんが
「あとでやりたいことが見つかった時に元手になるから、
やりたいことが無いときはとにかく稼げばいいんですよ」
って言ってたけど、
“後でやりたいことのために今頑張る”っていうのも、あまりピンとこない。
今は平穏だし、老後のために今を削って備えるって発想も、どこか面倒に感じてしまう。
未読
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必要だったところだけ読んだら正直物足りない内容で、この数ページを読むためだけに8000円!?となった
未読
面白いらしい
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途中まで読んだ
途中まで読んだ
数ページぐらい
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最初の例文まで読んだ
途中まで読んだ
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手を作るところまで進めた
未読
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途中まで読んだ
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結構中盤まで順調に読んでたと思うけど、ふとした拍子に生活から「本を読む」って行動が抜けると、そのまま読まなくなったな
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未読
未読
未読
未読
未読
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ちょっと読んだ
未読
未読
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未読
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とりあえず一通り目を通したような気がするが、肝心のピアノの演奏が三日坊主で終わったので身についてない
面白くはなかった
面白かった
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面白かった
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途中まで読んだ
面白かった
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なかなか良かった
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知識として定着していない…が、内容はすごく良かった
俺が悪い
続く
https://anond.hatelabo.jp/20250414181718
最近自宅を購入して引越ししてきたんだけど、ちょうどそのタイミングでお義父さんが飼っていた犬を引き取ることになった。
もう15歳になる老犬で、昨日引き取って来たんだけどよろよろ歩く様を見てたら昔飼ってた犬のことを思い出したので少し振り返ってみたくなった。
前飼ってた犬は俺が小学3年生くらいの時に飼い始めたと思う。
飼い始めたとは言ったけど、当時実際に飼っていたのは俺の家ではなく父方の祖父母の家で飼い始めることになっていた。
毛色は黒に近い焦茶色をしていて、初めの頃はマグカップサイズでとても小さかったのを覚えている。
最初の2〜3年は躾をするのが大事だと父親に教わったこともあり、接し方についてはテレビで見た知識や本で学んだ知識などを元に少し厳しく、でもフェリスが嫌がらない程度の距離感で接していたと思う。
ちなみにその頃に弟はまだ小学校1、2年生だったのもあるせいか、かなり乱暴な扱いをしていて、大人になってからとことん嫌われていた(近づくだけで唸り声を上げられる、噛み付く、呼びかけても一切近寄らない)ので、今後犬を飼う予定がある人は注意したほうがいいと思う。
少し背景を説明すると、祖父母の家は京都にあって俺は関東に住んでいた。
祖父母の家には毎年、お盆と年末年始と春休みなどの学校が長期休暇になるタイミングで遊びに行っていた。
また、フェリスを飼い始めたきっかけは、祖父母の家で元々飼っていた犬(フェリスとは別の犬)が亡くなってしまい、祖父母が落ち込んでいたらしい。その様子を俺の父が見かねてフェリスをもらって来たことがきっかけだったと聞いた。ただ、祖父母たちからしたら当時は新しい犬を飼う気分ではないし、そもそも自分達もあと10年生きていけるかどうかと言うタイミングだったらしいので初めはあまり歓迎していなかったらしい。
飼い始めてからはよく「フェリスが死ぬのが先か、ワシらが死ぬのが先か」と言っていたのを覚えている。
なぜ背景を説明したかというと、実はこの犬、超がつくほど甘やかされて育ったのだ。
と言うのも、フェリスがご飯のおねだりをすると祖父母(特に祖父)はなんでもあげてしまうのだ。
それこそ、朝昼夕の食事時はもちろんのことで、デザートや間食の際にも何か食べているとすぐに寄って来て食べ物をもらっていた。(大好物はカスタードのクリームパン)
また、それとは別に犬用のご飯も追加であって、しかもそれがドックフードではなくキャベツと鶏肉をクタクタに煮た物でそこら辺の犬よりもよっぽど舌が肥えていたと思う。
それに加えて散歩も大嫌いな性格をしており、家の前でおしっこやうんこを済ませたら直ぐに帰ろうとするのである。一度引きずってでも遠出の散歩をしたことがあったのだが、本当に引きずって散歩したために肉球がズタボロになって、翌日以降に悲鳴を上げながら歩いていたので、2度と無理やり散歩をしなくなってしまった。
そんな生活を数年続ければまぁ当然肥満体質になるわけで、気づけば体重10キロ以上あるデブ犬となっていた。
とことん甘やかされた生活を送って来てはいたが、俺は前述の通り正しい躾を意識した接し方をしていたので、
家族の中でも俺と父親の言うことだけは比較的聞いてくれていた。
祖母がくも膜下出血で倒れて緊急手術をすることになり、フェリスの面倒を見れる人がいなくなってしまった。
祖父母の家では面倒が見れないと言うことで俺の家で飼うことが決まり、急遽うちで住むことになったのだ。
うちで住み始めてからは上記のような甘やかし生活ではなく、一般的なドックフードがメインとなり、間食も与えずにまともな食生活を送ることになった。
そのおかげかみるみるうちに痩せていき、1年で6キロ以上痩せることに成功した。
動物病院に連れて行った母親から「お医者さんからどうやったらこんなに痩せれるんですか!?って驚かれたわ」と言う話も聞いた。
一緒に生活してからのエピソードで2つほど事件があったのでそれも紹介しておく。
俺が大学生になった頃の出来事。その日は午前の授業がなく、ゆっくり家を出る日だったので朝食の時間になっても直ぐに起きずにいた。すると、母親が突然「ご飯残さずにちゃんと食べろ!!」と言うお叱りで起こしに来たのだ。まだ飯を食い始めてすらいないのに何故残してる扱いされるのだ??とリビングへ向かうと、白米が入ったお茶碗の横に空となった小皿が置いてあった。そしてふと横を見ると口をもぐもぐと動かしているフェリス。そう、俺のおかずを食べられていたのだ。
その日のおかずはメンチカツで、すぐさま「お前〜〜〜〜〜!!!!」とブチギレて口元を抑えると、油まみれの口元で「え?なんですか??」と言うとボケた顔で目線を逸らすフェリスだった。
この事件以降、ご飯の準備する時にはフェリスから目を離さないようにするが鉄則になったのであった。。。
俺が高校卒業して直ぐの頃、平日で朝からずっと自分の部屋でゴロゴロしていた時にパートから帰宅した母親から「チョコレートのゴミはちゃんと捨てろ!!!」と言うお叱りを受けた。
チョコレートなんて食べた覚えがないが?と疑問符だった俺がリビングへ向かうと、床にはからになったチョコレートの箱とビリビリに破かれた銀紙が大量に散らばっていた。
何これ、、、とふとフェリスの方を見るといつもより若干興奮気味に尻尾を振りながらこっちを見ていた。
すぐさま吐き出すように手を突っ込んだりもしたのだが、噛みついてくるし吐く気配がない上に食べてから結構時間が経ってしまっているようで、もう手遅れと言うような状態だった。
ちなみにそう簡単にチョコレートが食べられるような場所に置いてあったのかというと、そう言うわけではない。
一般的な高校生用の手提げバック(チャック付き)の中にしまってあり(弟のバック)、
さらに箱の中に銀紙で包まれた状態で入っていた。(一口サイズの小さいチョコが銀紙で包まれてるタイプ)
匂いとかもバックの中にあるときはそんなに匂わないはずなのに、フェリスはバックを開けて箱を取り出し、箱の中から銀紙で包装されたチョコを剥がして食べたのだ。
その時ほどこいつこんなに賢かったのか?と困惑したことはない。
その後、1日はいつもよりも興奮気味ではあったが、他には特に異常がないところを見て、祖父母に育てられていた時には一体何を食わされていたんだろうと心配になったのであった。
※犬にチョコレートは絶対に食べさせてはいけません。皆さんは犬を育てる際にはチョコレートを与えないようにしてください。
また、もし万が一誤って食べてしまった場合は最寄りの動物病院へ相談に行ってください。
この二つのエピソードは今でもうちの中では鉄板ネタとなっていて、事あるごとにみんなで話している。
そんなバラエティに事欠かない犬だったが、5年前の2020年4月に亡くなってしまった。
ちょうど世間がコロナで騒がしくなり始めた頃だったので、よく覚えている。
亡くなる前日にあれだけ食いしん坊だったフェリスがパタリと何も食べなくなって、衰弱していくのを見て「ああもう長くないんだな」と思ったのを覚えている。それで試しに生クリームを口元に近づけたところ、食い気味にぺろぺろ舐め始めたのを見て笑ったのも印象に残っている。
とにかく食いしん坊でまんまるに太っていて、可愛らしい犬だったなぁ。。。
ちなみにフェリスが亡くなってから一月も経たないうちにうちの父親はまた新しく犬を飼い始めたのだが、それはまた別の話なので違う機会に話すとする。
そんなわけで、愛犬を失う悲しさや寂しさを知っている俺の身としては今から妻のメンタルが心配になっているのだが、二人と一匹でこれからも頑張ろうと思う。
ボーナスもらえる立場になれば普段の金銭感覚終わっててもボーナスでなんとかプラスにできる場合が多いからボーナス出る会社で働け
あと運動する習慣つけろ
平日は1日1時間とか休日は1日中とか外でめちゃくちゃ体動かすようにすれば金使うだけの趣味に割く時間が減って自ずと支出減る
親から仕送りをもらっていたから生活はできていたが、本を好きなだけ買える程度の小遣いが欲しかった。
時給はまあまあ、下宿からチャリで5分、夜シフトだったから静かで気楽だった。
軽薄ながら明るくて良い奴だったんだが、挨拶が日常的に若者言葉なんだよ。
「ありゃしたー」「あざーすっ」みたいな音だけの挨拶をしていて、それに違和感が拭えなかった。
最初は真似してたんだけどさ。
ある日、ふざけて「ありがとうございます」を「あざーす」じゃなくて「あざとーす」と言ってみた。
深夜テンションだったし、挨拶の中にこっそりクトゥルフを混ぜこむ背徳感が面白くて癖になる。
「〇〇円のお返しです、あざとーす」
聞き流すというレベルでもなく、そもそもバイトの挨拶なんて聞いていないんだろう。
スマホをガン見したまま、無言で立ち去る人も多い。
でも、たまに一瞬「え?」という表情をするお客もいたが、俺が堂々としているからか特に問題は起きなかった。
もしバレた気まずさでオドオドしていたら非常に嫌な空気になっていたのかもしれないが。
むしろ、稀に気付いてくれる「ちょっとした反応」が面白くて、どんどんエスカレートしていった。
「またどうぞー、あざとーす」
などと、そのうちクセになって、自然と口から出るようになった。
お客さんが気づくかどうか反応を見るのが楽しくなって、ただの小遣い稼ぐの賃労働だったバイトも張り合いが出てきた。
それどころか、バイト以外でも頻繁に口にするようになっていた。
そんなある晩だった。
夏休みのころのわりと蒸し暑い深夜だったが、見たことが無い客がやってきた。
何を買うでもなく、ただ店内に立ってじっと俺の方を見ているような感じだ。
背後のタバコを見てるんだろうと思って俺は気にも留めなかったが。
その客は何も買わずに退店する際に、いつものように一声を掛けた。
「……あざとーす」
そう口にしたとたん、首のうしろがひどく熱くなった。
その熱は背骨に沿って走り、皮膚の下で何かが蠢く感覚があった。
反射的に触れると、肉の中から何かぬるぬるとした細長いものが押し出されてくるのが分かった。
その時に俺は分かってしまった。
ああ、これ作り話だったのだ、と。
結婚して子供も生まれて、誰かのために生きるのってこんなに楽なんだと実感した。
あくまで独りがしんどいわけではなくて、配偶者と子のために生きるのが楽なだけなんだけど。
なんでだろう。自分の中の優先順位が確定するからかな。独身の時は優先順位を決めたり守り続けるにも強い意志が必要だった。
あと自分のことを考える時間が無いからウジウジすることも減った。人間はこれくらいの負荷があるほうがいいのか。
20代は誰かのために自分の自由が制限されるなんて絶対に嫌だと思ってたけど、30になったらその状態にも疲れてくるんだろうな。
さすがに子育て終わったら自分のために生きるのも楽しくなるだろうけど、今この生活を失ったら逆にやることなさ過ぎて鬱になる気がする。
「プロメア」という映画のクレイ・フォーサイトというキャラってやたら人気があるようなんだけど、個人的には全く好きになれない。
このクレイというキャラは主人公ガロの命の恩人として長年感謝と尊敬を受けてきた訳だけど、実は主人公の家族を殺した仇で、真相を黙って良い人面していた事が判明する。バレた時の態度も普通に悪い。
作中ではクレイ自身も身体から炎を出すバーニッシュという特殊体質なんだけど、それを隠して生活していて、影では同じ特殊体質の人間を集めて非道な人体実験を行っていた。
やがて訪れる地球の危機への対処が目的とはいえ、反対した師匠の博士も殺しているという極悪さ。
他が同じでもここさえ違えば印象は大分マシだったと思う。
これだけの事をしたにも関わらず、クレイというキャラは報いを受けていない。
普通はこの手の悪役キャラの末路って、1.改心する、2.主人公達に倒される、3.偶発的な事故で死ぬ、ってところなんだけど、そのどれでもないからフラストレーションが溜まる。映画としての後味がめちゃくちゃ悪い。
あと、物凄くぶっちゃけた話
必ずしも典型的美形じゃなくてもいいけれど、糸目のマッチョ(後で開眼する)でボスとして映えないし単純に見た目が良くない。
ネット上では妙にこいつを擁護するような書き方が目について腑に落ちないんだよな。
それに比べると、似たような役どころである、ディズニー映画「ウィッシュ」のマグニフィコ王は
上に述べた点がないんだよね。
国民から集めた願いの扱いについては割とすぐに主人公に話すし、
中世の生活水準や人権意識を考えたら十分国民を大切にしているし、
確かに説明が紛らわしかったとか途中で禁呪に走るとか悪い所がない訳ではないんだけど
鏡に閉じ込められてずっとそのままという報いは罰にしても重すぎる……何もそこまでしなくとも……。
何と言っても見た目も良い。
まあ、こっちも反ポリコレ勢を中心としてあまりに持ち上げられているのでそれに対して引く部分はあるが、それでもキャラ個人としては嫌いになれないと思う。