はてなキーワード: 善意とは
まず書いておくと、当方男性でAEDについては講習も受けてないドシロート。なので、助ける助けない以前にやり方がわからんし「不適切な処置して事故ったときが怖い」ので、たぶん倒れてる人見てもAEDは使わんだろう。生兵法は怪我の元だし、119はするかなあくらい。で、大前提として、使う使わない以前に講習受けてる人がどれだけいるんだろうねというのが気になったので調べてみた。
https://www.fdma.go.jp/publication/hakusho/r2/chapter2/section5/56713.html
を見ると、
全国の消防本部における令和元年中の応急手当講習受講者数は195万8,678人で、心肺機能停止傷病者への住民による応急手当の実施率は50.7%となるなど、消防機関は応急手当普及啓発の担い手としての主要な役割を果たしている。
とあり、ザックリいうと全人口の2%くらいといったところか。都会のど真ん中で倒れたシーンを想定したとして、うまくこの2%の人にヒットするかがまず運ゲーだし、講習受講者でも「一回とりあえず受けたけど、やり方忘れてる(うろ覚え)」って人もかなり多いだろう。講習を受けてない人も一応利用可能ではあるけど、講習を受けてない人が「勇気を出して」使ったとしても適切な利用が可能か疑わしいので除外しておく。知識がない人がうかつに「倒れてる人がいる!AED使わなきゃ!」となることの弊害については以下の記事に詳しい。
https://www.qq-bh758.com/post/_0031
辺りが個人的に納得したところ。「とりあえずAEDというミス」「まず胸骨圧迫をすべき」は言われてみればありそうだけど、想定から抜けていたし、現実的な「女性を助けるリスク」の話になると、おそらくこっちの方がやばそうよね。特に、胸骨圧迫を失神した女性に「誤って」やると、それこそ「痴漢された」という勘違いは現実的に起き得る。外形的には「気を失っているのに胸に触れられた」になるので、女性側もパニクって、痴漢!って思うケースはあるだろうし、警察に訴えるケースも現実的に想定できる。
その場合は、気を失った女性に痴漢目的で触れたのか救命のために「誤って」触れたのかの判定はかなり難しくはなりそう。
ともあれ「見捨てる」「見捨てない」の前に、そもそも判断に自信が持てないのなら(とっさに上記記事にあるようなフローチャートを思い描けないのなら)「助けなくていいので119くらいはしてあげてね」辺りが多くの人がそういう事例に遭遇したときに取るべき適切な判断の落とし所になるのでは(上記記事では、いかにAEDを適切に利用するのが難しいかについて触れられているので、なおさらそう思った)。
「訴えられるリスクは怖いが助けたい」が本音であれば、通報してあげるくらいの善意はあっていいだろうし、さすがにそのケースで風説が流されるケースまで想定しなくていいだろうし(想定してたら被害妄想だ)。
https://ogawalaw.hatenablog.com/entry/2014/05/25/110735
(3)クソ真面目な善意の人w
そして最後に、コレ言っちゃいましたか的な理由を言ってしまう。裁判官は「クソ真面目な善意の人」だ(笑)。
殆どの裁判官はクソ真面目なので、キャバクラとか、たぶん行かない。行っても、キャバ嬢を口説くことなんて1万パーセントない。ヤバそうなサイトでアダルトビデオを見たりしない。たぶん。事故を恐れて車の運転もしなかったりするし、運転しても首都高速道路都心環状線は、後続車が大渋滞しようと絶対時速60キロ以上は出さない。たぶん(でないと、刑事裁判官は成り立たないだろう)。ある意味、結構迷惑な隣人かもしれない。
世間知らずというのはそういうことじゃないんだ。
裁判官って生まれた時から実家が太く、貧乏暮らしをしたことがないだろ。
貧乏暮らしをしたことがないということはお金がないという経験もしたことがないし、そうならないための備えができないという状況を経験したことはないはずだ。
あれが実際に介抱だったか、それとも非公開の情報で「痴漢しようとした」何かがあるかは不明だから、まずそこはおいとく。ただ、公開されてる情報だけみたら「女性の証言だけを一方的に採用しての逮捕」には見えるから「以後、見知らぬ女性見ても、助けないでおこう。触らずに119するとかですら、変に誤解されて逮捕されるリスクあるし」てなるのは一男性としては自然に思うのよね。そもそも、一般論として道端あるいはその他で遭遇した見知らぬ人を助けるのは「義務」でなく「善行」の類だから、別にプラスαの善行を放棄することに何の問題もないよね。ちょっと違う例として、死にそうなホームレスのおっちゃんを見てみぬフリをする光景は男女問わずあるけど、それがほんとうの意味で問題視されたこともないわけだしね。
なのに、なんでフェミに限らない割と多くの女性が反発してる(ように見える)んだろう。当てつけに見えてムカつくとかならわからんでもないけど、元々男性の善行を期待してたわけじゃないんでしょ?なら「じゃあ、女性同士で助け合います。そんな嫌味なこと言う男性の善意なんていりません」となりそうなものなんだけど……。「元々助けるつもりなかったんでしょ」という声は見かけても「そんなチキンな男性に期待するのはやめて、私達女性同士で助け合いましょう」の声が(普段、女性同士での助け合いがよく言われる割には)ほとんど見えてこないのが不思議なんだ。いや、ほんとに。
誰か答えを教えてほしい。
女はもうとっくに見殺しにされてるがな
夫も子供もいる女性がそれで障害者になってるけど、誰かの妻や母をそうすることが男性の総意なら、女の側が近寄ってきた男に善意があるなんて夢見れなくなるのも仕方ない
「男たちよ女を見捨てよう」と叫んでいたのは男なんだから
どいつもこいつも「絶対に冤罪だぁあああああ!!おじさん可哀想だぁあああああああ!!!AED使えない!!!」ってギャアギャア喚いてる
https://news.livedoor.com/article/detail/28512107/
でも続報が出た今も「冤罪だぁああああ!!これだから女はぁああああ!!AED使えないぃいいいい!!」一点張りなのどういうことだよ
警察によりますと、女性は一人で帰宅途中に体調不良になり、駐車場で休んでいたところ、男が「大丈夫ですか」などと言いながら体を触ってきたということです。
その際、男が性的な部位も触ろうとしてきたため、女性はその場から逃げて、午後11時20分ごろに「体を触られた」と警察に通報しました。
よく読めよ
道端で倒れてたわけでも意識失ってたわけでもない
走って逃げれるレベルだぞ
それなのにちょっと休んでたら男が頼んでもないのにベタベタ触ってきて、さらに性的な部位にまで触れようとしてきたんだぞ
そりゃ通報するわ
それなのに「実際のところはわからない」などと言いながらおじさん可哀想可哀想言って、女性には「冤罪女!!女全体の恥!!シネ!!」と決めつけ罵倒してる
おじさんは出頭してきたから善意の人?たとえ悪意の人でも出頭するだろうよ。いずれ捕まるんだし、「冤罪のヒーロー」として世間に同情されまくってる今が出頭のベストタイミングじゃん
無数の罵倒に怯えて追い詰められてた
女は男が「介抱」するそぶりを見せた以上どんな風に何をされても通報しちゃいけないんですね
レイプされるまで何もするなってことですね
https://anond.hatelabo.jp/20250409104943
もうこれしか無いと思うよ。
もうこれで解決だと思うんだよね。
女性が倒れた時に男性しかいない(またはその逆の)ケースも存在するかもだけど、その時はケースバイケースで。
一般的にはその場に男性しかいない or 女性しかいない事の方が稀なのだから、同性同士で助け合うべきだろう。
これで触った触られただの、下らない痴漢冤罪問題が発生する確率はグッと減るはずでしょ。
こーんな簡単な解決方法があるのに、何故女性からは「女性は女性同士で助け合います!」という意見が出ないのかね?
「男は男同士で助け合ってろ!」もWhatAboutIsm極まり無いけどこれでもまだマシ。
「男ガー!痴漢ガー!性犯罪ガー!」とか「何故男は助けないの!?」とか「非モテ!女性差別!ミソジニー!」とか、とにかくとにかくとにかく、男性を責める意見ばっかり。
女性って、本当に男性以上に共感性と感受性が高くて頭が良いの?
どんなに女性(フェミニスト)が男の加害性とやらを主張しながら「AED冤罪など、なぁぁあいいいいい!!!!」って発狂して叫んだ所で
触ってすらいない介抱しようとした善意の男性が逮捕されている現実にはどうしようもなくない?
それともオッサンは性加害する気だった!とでも主張するのかな?また妄想冤罪かよ。女性ッパリらしいな。
現状だと、
私達女性は何もする気が無いけど
男は人生崩壊するリスクを負ってでも私達女性を助けなさいよー!
と主張している様にしか見えないけど、それで良いのかね?
セルマが自分の無実を証明しようとしなかった理由は、彼女の性格や価値観、そして状況に対する深い心理的・道徳的な葛藤に基づいています。以下に、その理由をいくつか考察してみます。
セルマにとって最も重要なことは、息子のジーンが視力を失う前に手術を受けられるようにすることでした。彼女が貯めていたお金は、その手術費用に充てるためのものであり、彼女の人生そのものがジーンの未来のために捧げられていました。裁判でビルの死の真相や貯金の目的を明かせば、確かに彼女の罪が軽減される可能性はあったかもしれません。しかし、それによって貯金の存在が公になり、没収されたり使えなくなったりするリスクを彼女は恐れた可能性があります。セルマは、自分の命よりもジーンの視力を優先したのです。
セルマは非常に純粋で自己犠牲的な性格として描かれています。ビルを殺したのは、彼がセルマに「自分を撃て」と懇願した結果であり、彼女に積極的な殺意があったわけではありません。それでも、彼女は人を殺してしまったという事実に対して深い罪悪感を抱いていたと考えられます。この罪悪感が、彼女に「罰を受けるべきだ」という思いを抱かせ、自分の無実を主張する動機を奪ったのかもしれません。彼女は、自分が苦しむことで何かを償おうとした可能性があります。
セルマは現実の過酷さに耐えるため、ミュージカルの幻想に逃げ込む癖があります。裁判の過程でも、彼女は現実と向き合うよりも、内なる空想の世界で心を保とうとしていました。自分の無実を証明するためには、ビルとの争いの詳細を説明し、闘う姿勢を見せる必要がありました。しかし、セルマはそのような闘争心や現実的な自己弁護よりも、精神的な逃避を選んだのです。彼女にとって、真実を主張することよりも、ジーンの手術が実現することの方が重要だったのかもしれません。
セルマは移民であり、社会的に弱い立場にあります。彼女の弁護士が無能だったこともあり、アメリカの司法制度が自分を正しく裁いてくれるという希望をあまり持っていなかった可能性があります。実際に、裁判では彼女の背景や動機が十分に考慮されず、死刑判決が下されてしまいます。こうした状況の中で、セルマは自分の声を上げることに意味を見出せず、黙って運命を受け入れたのかもしれません。
セルマ自身が積極的に自己弁護しようとしなかったことは確かですが、それを差し引いても弁護士の対応には問題があったと考えられる点がいくつかあります。以下に、具体的な視点からその無能さを考察します。
セルマがビルを殺した状況には、明らかな情状酌量の余地がありました。ビルはセルマのお金を盗もうとし、争いの末に自分で負傷し、彼女に「自分を殺してくれ」と懇願したのです。この一連の出来事は、セルマに殺意がなかったことや、むしろ彼女が追い詰められた被害者であることを示しています。しかし、裁判でこの背景が十分に提示された形跡はありません。弁護士がセルマから詳細な証言を引き出し、ビルの行動や動機を明らかにする努力を怠った可能性が高いです。セルマが話したがらないとしても、有能な弁護士なら彼女の心理状態や状況を考慮し、積極的に真相を掘り下げるべきでした。
セルマが貯金をしていた理由——息子ジーンの眼病治療のため——は、彼女の行動を理解する上で極めて重要な要素です。この事実を裁判で強調していれば、陪審員や裁判官にセルマの人間性や母親としての献身を示し、殺人に至った動機が利己的でないことを訴えられたはずです。しかし、映画ではそのような弁護が展開された様子は描かれておらず、弁護士がこの点を効果的に活用できなかったことがうかがえます。セルマが黙秘したとしても、弁護士が彼女の生活環境や医療記録などを調査し、証拠として提出する努力をしていれば、判決に影響を与えられた可能性があります。
死刑判決という極端な結果に至ったことから、弁護士が効果的な弁護戦略を立てられなかったことは明らかです。例えば、セルマの精神状態(視力の喪失によるストレスや絶望)、ビルの自殺的行動、セルマの移民としての社会的弱者性などを強調し、殺意の不存在や過失致死の可能性を主張する戦略が考えられたはずです。しかし、裁判の描写では、こうした弁護が十分に行われた様子はなく、弁護士が単に形式的な手続きを踏むだけで終わったように見えます。これは、セルマの協力不足を差し引いても、弁護士としての能力不足を示しています。
セルマは自己犠牲的で、息子の将来を守るために真実を隠そうとする傾向がありました。有能な弁護士なら、彼女のこの性格を見抜き、彼女が話さない部分を補う形で弁護を進めることができたはずです。例えば、セルマが黙秘する理由を推測し、彼女の立場を代弁する形で裁判に臨むことも可能だったでしょう。しかし、弁護士はセルマの心理状態を深く理解しようとせず、彼女の沈黙をそのまま受け入れてしまったように見えます。これも、無能さの一つの表れと言えます。
キャシーの関与: キャシーはセルマの親友であり、工場で一緒に働く同僚でもあります。裁判の過程で、キャシーがセルマの性格や普段の生活態度を証言するなど、彼女の人間性を陪審員に伝える努力をしたことが示唆されます。セルマが利己的な動機で殺人を犯すような人物でないことを強調しようとした可能性があります。
感情的なサポート: キャシーは裁判中やその前後もセルマのそばに寄り添い、彼女を励まし続けます。セルマが自分の無実を主張しない態度に苛立ちながらも、彼女を理解しようとする姿勢が見られます。
手術費用の代替案: セルマが貯めていたお金が裁判や没収で失われる危機に瀕したとき、キャシーを含む友人たちが、ジーンの手術費用を何とか確保しようと動いた可能性があります。映画では直接的な描写はありませんが、キャシーがセルマの目的(ジーンの視力回復)を理解していたことから、彼女が他の支援者と協力して資金集めを試みたことが想像できます。
弁護士への圧力: セルマの弁護士が無能だったため、キャシーや他の支援者がより有能な弁護人を雇うための資金や支援を模索した可能性もあります。しかし、セルマの経済的・社会的な立場が弱く、また時間が限られていたため、この努力は実を結ばなかったようです。
真実を話すよう説得: キャシーは、セルマがビルの死の真相や貯金の目的を隠していることに気づいており、彼女に裁判で正直に話すよう強く勧めます。セルマが黙秘を貫く中、キャシーは何度も感情的に訴えかけ、彼女の命を救うために自己犠牲的な態度を変えさせようとします。この説得は、セルマの頑なな姿勢によって失敗に終わりますが、キャシーの必死さが伝わる場面です。
精神的な支え: 刑務所に収監された後も、キャシーは面会に訪れ、セルマが孤独や絶望に完全に飲み込まれないよう支え続けます。彼女の存在は、セルマにとって現実と向き合う最後のつながりでもありました。
死刑執行の阻止: 映画のクライマックスに近づくにつれ、キャシーや支援者たちが死刑判決を覆すための最終的な訴えや嘆願を行った可能性があります。例えば、知事への恩赦嘆願や、法的な再審請求を試みたかもしれません。しかし、映画ではこうした努力が実らず、時間切れでセルマの処刑が実行される様子が描かれています。
ジーンの手術の保証: セルマが最も望んでいたジーンの手術が実現したことを伝えるため、キャシーが医師や関係者と連絡を取り、手術が実行されたことを確認した場面があります。これは、セルマの死を無駄にしないための具体的な行動であり、彼女が安心して逝けるよう最後の努力を果たしたと言えます。
映画では、キャシーや支援者の行動が細かく描写されるよりも、セルマの内面的な葛藤やミュージカルの幻想に焦点が当てられています。そのため、彼らの具体的な行動は断片的にしか示されず、観客にその努力の徒労感や無力感を印象づける演出が優先されています。ラース・フォン・トリアー監督のスタイルとして、登場人物の善意や努力が報われない悲劇性を強調することが意図されており、キャシーたちの奔走もその一環として描かれているのです。