はてなキーワード: ADHDとは
他人事じゃなさすぎるので書く。
うちは小6息子がLD &ADHD。小2の終わりに診断出た。
小さい頃から文字を書きたがらないし、書けるようになっても書くのにとても時間がかかった。読むのはまあまあできるけど、読み飛ばしたり、文頭だけ読んで文末を想像してるとしか思えない読み方をしていた。
就学してからはカタカナを一向に覚えない。教えても教えても忘れちゃう。漢字も覚えない。見開きのページ両面いっぱいに、同じ漢字を30回書かせるとするじゃん?次のページめくって、今書いた漢字なんだった?というと、思い出せないわけ。
夫に相談すると、俺もそんなもんだった、気にしすぎ、と笑われるところから始まり、それでもおかしいと言うと、やがて「お前は息子を障害者にするのか!!」と怒り出した。
夫はほっといて、市に相談。読み書きスクリーニングという検査を受けた。結果はおそらくLD。でも確定するにはウィスク検査という知能検査を受けて、知的障害がないことを証明して初めて確定になるとのこと。学習障害は”知的障害がないのに”勉強ができないことが条件とのこと。
それでウィスクの予約を受けるんだけど、これがまあ初診予約が半年後、検査はさらに数ヶ月後、結果はそっから1ヶ月後とか言われるわけ。だからウィスクも合わせて受けるとなるとかなり早めに動いた方がいいんだよね。
私はどうしても数ヶ月以内に結果知りたくて、周辺自治体まで範囲を広げて片っ端から電話したら、たまたま空きの出たところへ滑り込み4ヶ月後には知能は年齢相応で知的障害がないので、LDですねと結果が出た。ついでにADHD診断のおまけがついた。
夫とはその間も喧嘩ばかりだったけど、あなたが認めなくても、息子が困ってることは変わらない、私は息子の困ってることを親として助けたいだけ、もっと息子に合った学習法があるなら知りたいだけ、というのを伝えていったら、だんだん何も言わなくなっていった。
実は、夫も息子と同じ傾向があった。読み書きが不得手で、夫は自営業だけど、申告書類だの申請書だの書き物は全部私に代筆させてた。ただのめんどくさがりと思ってたし、本人もそう振る舞ってたけど、息子を支援してるうちに徐々に打ち明けてくれた。実はそうじゃないと。字が思い出せないことがあり、恥ずかしいし自分でも認めたくなかったと…
小学生のころ知的障害を疑われ支援級に入れられ、親に泣かれたことがあったという。すごくショックだったようだ。
夫にとっては息子の特性を認めることは、否応なしに自分の特性と向き合うことだった。だから反発も戸惑いも、私よりずっと大きかった。でも夫は克服した。息子が可愛いからだ!息子可愛さで自分の障害まで認めてしまえる。子供は偉大だ。
そうして、私と夫と息子の3人、力を合わせてみんなで読み書きに取り組むようになった。
例えば息子は、一つ、二つ、三つ、などの読み方や、ついたち、ようか、むいか、などの読み方のイレギュラーをなかなか覚えられない。
母子で苦労してると、夫が横から「実は俺、今だにそれ分かってない」と告白してくる。
すると、えーパパもできないの?40過ぎてできないなら、今できなくても仕方ないね!となる。他にも夫は自分の経験から、いろんなアドバイスをしてくれる。息子も、自分だけじゃないと励まされるし、何より将来の見通しというか、ロールモデルとして夫の存在はめちゃくちゃ大きい。
読み書きが不得手でも、得意分野できちんと社会生活を営んで、真っ当に生きてる夫の姿が、将来への不安を軽くする。
夫が同じ特性を持ってるということは、子供にとってむしろ強みなのだ。
放デイの受給者証を取得したが、読み書きの指導ができる放デイは一つもなかった。あらゆる機関に相談していると、やがて大学の先生がやってるLDの支援教室を見つけて通えることになった。息子に合ったやり方で宿題を出してもらい、家庭で取り組むのだ。カタカナを完璧にマスターするところから初めて、今は小2の漢字を頑張ってるところだ。
ちなみに読み書き以外の知的に問題はないので、算数や理科などは年齢相応に取り組んでる。そこも息子に合わせたやり方に家庭で調整しながら、自主学習してる。
もちろんつまずきは数えきれないほど合った。特に、ADHDの併発は学習を阻害して大変だった。
学校の理解が今ひとつな年があって、その年の息子は学習どころじゃないくらい荒れて、不登校寸前になった。具体的にはその年の担任の先生と管理職から、だらしなく勉強のできない子と見做された息子は、たびたび叱責を受けてしまったのだ。大いに荒れた。小3の頃だった。
LDの大きな問題として、学習のつまずきから学習意欲の減退、自信喪失、自己肯定感の欠如、そこからいじめ、不登校などの二次障害がある。息子も見事にその道を辿りかけた。
泣いたり怒ったり学校と話し合いを重ねて、小4でまた担任が変わると学習意欲も戻ってきた。立ち直すのには丸一年かかった。その間はお勉強どころではなかった。
支援級に移籍して、療育へも通った。相談支援を受けながら、学校にお願いして環境調整や合理的配慮もやっていった。
やがて顔つきが穏やかになり、小5になるとやる気いっぱいな息子が帰ってきた。得意分野で表彰されるなどもして、学習支援も進んだ。修了式で学年を代表し6年生の抱負を読むくらい、充実した学校生活だった。
ところで息子の支援をしていく中で、私自身もADHDの傾向があることが分かった。LDが夫の遺伝なら、ADHDは私の遺伝だったのである。このことは私もショックだったし、自分のせいで…となる夫の気持ちがよく分かった。
息子への対応も、自分の上手くできないところは息子にうまく教えられないこともわかった(計画的な見通しの立て方や、感情の切り替えや、整理整頓など…)。
上手く支援できずに苦しむ私に、夫は「お前は何で息子の特性を許せるのに、自分の特性は許せないの。同じじゃないの?許してやれよ。頑張ってるよ」と言ってくれた。
夫は、息子の特性を認め、許し、愛す中で、自分の特性も許してきたのだ。私にも同じことができるはずだと励ましてくれた。
そのうち夫婦でも「俺、これ読めない」とか「私どうしてもこれ苦手」とか言い合うようになった。
そうすると、お互いにそうかそうかと引き受けることができる。
これまでももちろんフォローはしてたけど、お互いに”何でこれくらいできないの?”という気持ちは隠せなかった。でも今はそんなことない。
交際5年で結婚して、出産して10年以上経っても、相手のことなんて意外とわからないものだ。家族の中に深く許し合える関係が生まれた。これも息子のおかげである。
以上のように、我が家はLDの息子を通して自分のことがわかり、夫のことがわかり、息子のことが分かるようになったから、診断は悪いことばかりではないよ。それに診断がついたらSNSでも書籍でも、困りごとの対策が見つけやすくなる。
我が子と同じ子はごまんといるというのは、孤独を癒してくれるし心強さが生まれる。
こんなところにこんなに仲間がいたのか〜!となる。
息子に遺伝子の説明をしたとき、あなたはお母さんの設計図が半分、お父さんの設計図が半分渡してあるんだよと言ったら、息子は「良い設計図をもらった」といってくれた。
今もそれに励まされてる。
これから思春期だからぜんぜん油断もできないし、まだ小6だから子育ての難関もこれからだけど…
とりあえず、診断は怖くないと言うことを伝えたかった。
会社でパワハラ気質の上司をアスペルガー呼ばわりする人が結構いる。仕事覚えの遅い新入社員はADHDの疑いをかけられてる。
ちょっとした冗談で言うならまだしも、結構本気のトーンで言ってる人もいる。冷静に考えてアスペルガーもADHDも障害者なんだから、いくらなんでも障害者扱いはひどすぎないか。
昭和だったらパワハラ気質の上司は、管理能力のある有能と判定されるかもしれない。仕事覚えの遅い新入社員は、入ってまだ一ヶ月も経ってないんだから、分からない所だらけなのは当たり前ではないか。
相手の置かれた環境に対しては全く想像が及んでない癖に、医者じゃない素人が安易に判断するのは、相手に対して非常に失礼極まりないと思う。用語だけ一人歩きしてるけど、ADHD、アスペルガーなんて本来は軽々しく人に対して言う言葉ではないと思う。本当にそういった症状で苦しんでる人に対しても失礼。
イヤイヤ期・・・なわけなかろう
言ってるレベルが5歳児だぞ
まだ低学年だからかわいいものの、これ高学年でハブられるやつでは?
今話しかけて反応あっても、会話レベルが低すぎると会話する気になれず、あからさまな仲間外れコースが目に見える
どちらかというとASDよりADHDの方では?どちらにせよ今からやっとけば気づいた時にズタボロな苦労回避できそう
友達と遊んでる姿みて危機感を覚えられるはず、今なんか楽観的すぎると思うけどそれもいいんじゃないかな
私なら義父母に妻の子供の頃のことを聞いて、傾向探ると思う
とりあえず苦し紛れにこれ一緒にやって大人気なくマウント取ったり、目に見える点数を基準にゲーム権を得られるようにするとかはありじゃないかな
脳を鍛える大人のNintendo Switchトレーニング
https://www.nintendo.com/jp/switch/as3ma/index.html
https://anond.hatelabo.jp/20250401171517
続投が遅れました・・・
コメント等ありがとうございます、こちらも励まされました。
ご飯も美味しく、無痛分娩で子供も元気に産まれ、出産手当金からお釣りも出て本当に良かった。
出産前の1か月と退院後の3週間、実家で母と過ごしたんだけど、
両親が死ぬまでに過ごせる時間って僅かなんだな、と思うと、里帰り期間がとても貴重で良かったな、子供から素敵な時間を貰えたなって思った。
子供を産んで、より強く感じた事は、結婚も出産もただの選択で、そこに偉いも偉くないも無いということ。
だから、子供を産んだ自分は社会に貢献してる、とか思った事が一切無い。
自分の仕事や活動が何かに貢献出来てれば嬉しいけど、それを義務と思った事もないし、人にそれを求めた事もない。
自分の選択を自分の意志で選択すること。そして他責にならないこと。
なぜこの事を書こうと思ったかというと、以下のトラバを貰ったから。
https://anond.hatelabo.jp/20250402153025
子供への遺伝の心配による中絶の検討が一切出て来ないのが凄い…
何と言う自己中
私は、自身の発達障害以外にも、自身には色々な自己中心性・加害性がある人間だと考えている。
そもそも発達障害を抱えていない人も含めて、人類みんな何かしらの加害性・自己中心性があって、それ無しで生きていくってのは有り得ないと思う。
私は、色んな肉や魚を食べながら色んな命の犠牲の上で生きているし、発達障害由来以外の加害性で人を傷つけてしまったことも何度もある。
私は私のエゴで出産を選択したけれども、出産を選択してもしなくても、私にエゴがあることは変わらないし、生きているだけでエゴは発生する。
ちなみに、私は中絶の検討も行っている。出生前診断も行って出産を選択した。だからといって、増田は他者に「中絶の検討をすべき」と意見しようとは思わない。
自分の出産が子供に恨まれる選択だったとしても、そうだね、と子供の意見を聞きつつ、自分の選択で発生した責任を粛々と全うする事しか出来ないし、
それ以上子供に対して何かしてあげようと思わないようにしている。
それでも、開き直りはせず、腐らず、反省しつつ生きていく、ってのは両立出来るから。落ち込んだりしながらも、腐らず生きていく。
人の選択や子供の選択に対してとやかく意見を言いたくならないよう、自分の人生を頑張る事を今は頑張っている。
ここまで書いて思ったんだけど、みんな自分の選択を全うするだけでも大変なのに、血も繋がっていない夫婦で助け合いたいと思うエゴって、
とても貴重というか、奇跡に感じる。夫が私と一緒に暮らそう、と決心して、一緒に協力して暮らしている奇跡をもっと大事にしないとって反省したよ。
増田が心の持ちようで参考にしているのはズイショさんのブログ。以下の記事とか、子供の有無関係なく、他責にならないように頑張る時のお守りにしている。
https://zuisho.hatenadiary.jp/entry/2024/10/18/215859
ズイショさん、ブコメだと攻撃性が高くて怖いな、と思う事もあるんだけど、だからこそ、ズイショさんも本人のコントロールとか試行錯誤してたのかなって共感するし、
こんなに真摯な記事を今どきブログで書くって、私には心地良い正義感で、ありがたいというか、良いお守りに感じる。
感情のコントロールが上手くいっていなくて困っていた自分と重なって、イライラというより、「頑張ってるね、辛いねえ」という共感の気持ちになりやすいのだ。
ただ、子供の行動をみて「危ない!」と思う能力が、児童館の先生とか他のお母さんに比べて低いので、
増田は保育士さんになって他のお子さんを預かる事は出来ないな~、と思った。(ので、保育士さんとか小学校の先生を尊敬している)
解決策としては、繫華街みたいな、子供が騒いだら困る場所、親が目を光らせないと迷惑をかける場所へはそもそも行かないようにしていた。
車でだだっ広い公園へ行くとかしていた。1歳に静かにしなさいって言っても伝わらないのは当たり前だし、
イヤイヤ期は、周りも大変だろうけど、本人が一番大変だろうから。
自分も保育園大変だったし、学校も大変だったし、ましにはなったけど職場も大変な事はあって、それは大体集団で暮らす大変さに起因してたから、
・職場復帰までは、食事、弁当作り、昼の子育て、夜授乳など、基本的に育児家事は増田が担当していた。夫が早く帰ってきた時はお風呂入れをやって貰っていたくらい。こんな感じでも、増田が職場復帰したら、夫もワンオペ子育て対応してくれたので、家庭内で納得がいっていたら、どんな分担でも良いと思う。
・発達特性のおかげで、子供の寝たい時間に一緒に小間切れで幾らでも寝れた。ので、案外育休中は眠気問題は生じなかった。
・毎朝、夫の弁当を作るように課していると、早起きしないといけないため、自然とカーテンを開けて、子供も早起きして、
19:00にはカーテン引いて暗くして寝る、が出来るので、一人っ子ワンオペ育児はワンオペなりの時間調整のし易さというメリットがある。
ただ、子供が二人以上だと中々リズムが作りにくいと思うので、二人以上お子さんを育児されているご家庭は本当にすごいと思う。
・夫婦の得意な事の違い
夫は毎日のルーティンがコツコツ出来る人なので、毎日の子供の朝の支度~保育園送りをやってくれていて、本当に助けられている。
私は、旅行の計画を立てたり、運転したり、ワクチン接種等、突発イベントに気付いて実施するのが得意。ADHDの行動力が活かされたと思う。
あとは、一人だとずっとさぼってしまうけど、夫が家事をしていると、自分も慌てて他の家事をこなすので、結果的に仕事も家事も上手く分担出来ている。
お互い料理もするし、しない日も気にしないスタンスを大事にしている。
子供を抱えて精神科に行くのが難しかった。こどもを抱えながらカウンセリングを受ける、というのは中々難しい。
育児中は漢方だけ貰って何とかなっていたけど、より職場復帰をスムーズに準備するためには、
育児中にもカウンセリングを受ける手段を整えて、細々とした悩みを相談できる場所を確立すべきだったと思う。
職場復帰後に職場の人間関係でパニックが起きて、慌てて病院探して復帰直後は大変だったので・・・
https://anond.hatelabo.jp/20250421002734
この匿名ダイアリーのエントリーを携え、Xのアンチフェミ系大物アカウントの数々に投稿者本人としてコンタクトを取るのです
「クソ女」のシンボルとして振る舞い、「クソ女がいかにクソで有害で、なおかつそれでも世間がいかに優しかったか」かという見解を実体験や分析を交えながら披露し、なおかつ男性への懺悔と自己否定を繰り返す芸人になるんです
※無駄に長い。
ADHDである。17歳の時、訳も分からぬままやたらと長い知能テストを受けさせられた。前頭前野に機能障害がある、だいたいクラスにひとりいる程度の異常者らしい。
躁鬱である。20歳くらいの時、思い立ってADHDの薬を貰いに行ったところ「双極性障害も併発している」と診断された。ダブルパンチである。
年を食った偏屈そうな精神科医に「きみは総合職はやめた方がいい」と諭されたが、アドバイスを無視して一般企業に総合職として新卒入社した。順当に精神を病み、3年目で休職した。
死にたくなると心療内科に通い始めるが、躁転すると病識がなくなり「病気じゃなかったんだ!」と本気で思い込むので、1年以上同じ医者にかかったことがない。
これまでの躁は軽躁に毛が生えた程度のもので、多少の難はあっても、クリティカルな事件は起こらなかった。舐めきって迎えた今回の特デカ躁で、すべてを破壊し尽くすデストロイヤーと化してしまったわけだが。
彼氏がいた。4年と2ヶ月付き合った。
口数の少ない人だった。わたしの気分の波に揺さぶられず、いつも自分を保っている人だった。地に足のついている人だった。
「いまはそういう気分なのね」と言い、波をやり過ごすように受け止めてくれた。
躁で攻撃的になるわたしのことも、鬱で天井を見つめているわたしのことも、変わらず「わたし」として愛してくれる人だった。
「死にたい」という言葉が出てしまった時、真正面から「大丈夫?」と返されると、申し訳なさと自己嫌悪で余計に死にたくなるものだが、彼はいつも、「また鳴いてる」と言った。わたしの「死にたい」を鳴き声と認識していて、けれど、本当に死にたい夜には頭を撫で、一晩中抱きしめてくれた。
家事の大半は彼が担っていた。
わたしが脱ぎ捨てた服を洗濯し、わたしが食べ散らかした皿を洗ってくれた。気まぐれでわたしが作る料理を「おいしい」と言って食べた。シンクで山積みになった調理器具を片付けるのは、いつも彼だった。
あまり感受性が高くない彼からすると、ひとつの事で表情がコロコロ変わるわたしといるのは面白かったのかもしれない。会話の9割8分をわたしが占めていた。彼は相槌を打って、たまにポツリと自分の考えを述べた。
メンタルに波があっても、彼への気持ちが揺らぐことはなかったし、ふたりの関係も安定していたように思う。
ところで、結婚願望が強いわたしには、「25歳までに結婚する」という半ば強迫じみた願望があった。これは彼と付き合い始めた20の頃から言い続けていたことで、もうわたしの中では決定事項のようなものだった。
25の誕生日を2ヶ月後に控えたある日、ふと彼に「わたしの誕生日、プロポーズだよね?」と尋ねたことからすべてが崩壊した。
金銭的問題、結婚観の相違、その他ありとあらゆる事情がもつれあい、当時すでに躁に片足を突っ込んでいたわたしは、デストロイヤーモードに突入した。
「わたしはずっと言っていたのに」「わたしは準備をしていたのに」「そもそもその計画性のなさが」「ていうか会話しててもしゃべんなくてイライラする」「なんとか言いなよ、会話になんない」――そして、「もう別れる」。
たしかに金銭的な面に関しては彼にも問題があったと思うが、そもそももって、わたしが料理をしないことが彼の財布を圧迫した大きな要因ではある。彼は決して浪費をするタイプではなかったが、いわゆるコンビニ貧乏的な生活を送っていた。とはいえ、もっとやりようがあったのではとは、今でも思うけれど。
そんなこんなでデストロイヤーモードに突入したわたしには、当時言い寄ってくる金持ちのおじさんがいた。軽薄だが、そこそこ知的で芯の部分に寂しさを抱えている、顔のいいおじさんだった。例によって「〇〇ちゃんの感性や言葉選びは本当に魅力的だ」とわたしを褒めそやした。そのときの私が求めていた、金、感性、会話の面白さなど、大体のものを持っている人だった。冷静に考えると、常に右手にタバコかウイスキーの瓶を持っているバツ2の異常者だったが。
おじさんは、わたしにいろんな刺激を与えてくれた。海が見たいというわたしを、国内のいくつかのオーシャンビューホテルに連れていってくれた。時には人生について語りながら、都会の中にあるちっぽけな緑の中を2万歩も3万歩も歩いた。ふたりとも人生に対して寂しさや空虚感を抱えている同士だったから、会う日にはいつも酒を死ぬほど飲んで、頭をばかにしていた。週に3、4回会い、テキーラを半瓶飲んでホテルで吐き散らかした時もあった。鬱の時の私が聞いたらひっくり返るような派手な生活だった。
その間、家にいる彼氏には本当に冷酷な態度を取った。当時投げつけた言葉の数々を思うと、本当にいたたまれない気持ちになる。
早く出て行けと圧をかけて3ヶ月、今週末に彼は家を出る。
先日躁が落ち着いた。いまは躁と鬱の間を揺蕩っている。躁が終わって始めて、自分がしでかしたことの残酷さ、いかに浅慮で、稚拙で、横柄で、非情であったかを、身に染みて感じている。失ったものの大きさを自覚し、後悔してもし尽くせない。
おじさんは今でも連絡を送ってくるが、どうせすぐに飽きるだろう。別れた嫁も子供もいるし、わたしがいなくても困ることはない。ただ、少しの期間さみしいだけで。
3ヶ月間支えになってくれたことに感謝の気持ちはあるが、もうこれ以上振り回したくもないし、振り回されたくもない。
元彼氏の気持ちは、すでに新しい生活に向かっている。情けなくも縋りついて許しを乞うたが、自分で突き放したものが魔法のように戻ってくるわけもない。
土曜から、ひとりでの暮らしになる。定期的に届く自然水の段ボールを家に入れてくれる人も、固く閉じたびんの蓋を開けてくれる人も、死にたい夜に抱きしめてくれる人も、もういない。
いっときの感情で、ずっと支えてくれた人を傷つけ、関係を壊してしまったこと。その時の自分は、相手が間違っていて、自分が正しいと思い込んでいたこと。たしかに自分のしたことで、すべてが壊れてしまったということ。
そして何より、彼の人生の4年間という時間をわたしに捧げさせてしまったこと。
いろんな後悔が襲い、自己嫌悪が止まない。
「ADHDだから、躁鬱だから仕方ない」と思い込めれば、自分を責める必要がなく、楽だから。
でも、そう思うのはもう辞めることにした。
「病気だから仕方がない」ではなく、「病気だからどうするか」と考える。
まずは、辞めてしまった心療内科にしっかり通い始めるところから。何があっても、病院に通うことは辞めない。
どうすれば人を傷つけず、自分も幸せになれる道を選べるのか。もう一度考え直そうと思う。
わたしに4年間をくれてありがとう。こんな終わり方になってしまってごめんなさい。
わたしには願う資格もないことだけれど、どうか、あなたのこれからが、まっすぐで、穏やかで、優しさに満ちたものでありますように。
◾︎おじさんと関係を持った時期
┗元彼と明確に別れてから関係が始まった。浮気したことはない。
◾︎元彼に通院を勧められなかったのか
┗通院していた時から「きみを病気だと思ったことはあまりない」と言っていた。今回のことが起きるまで、そんなに迷惑被っている自覚はなかったらしい。
あと、もう死にたいと落ち込むことはあってもキレ散らかしたり暴れたりはしなかったからかも。振り返ってみると、今までは人間の大きめな感情の波にすぎなかったのに、今回急にバケモノになった感じ。
自分でもどうしてこんな行動を取ったのか理解し難いが、病気のせいであって自分自身に責任がないとは全く思っていない。どうやって諸々の衝動を抑えるのかに焦点を置いて自分自身と向き合っていきたい。
追記2
┗実際に言われた。受診時は大学生。「何か得意なことは無いのか。それを伸ばして仕事にした方が良い。総合職は精神的にもたないと思う。」という旨だった。特に仕事にできるほど得意なことは無かったので、普通に就職して普通に病んだ。ちなみに今は復職して細々と働いている。
最近発達障害ってオープンに言う人が多くなってきてるんだけど、まぁそれはいいとして。
何か忘れ物したり、ミスをするたびに俺ADHDだからなーとか開き直るのマジでやめてほしい。
プロフィールに書けることとして発達障害、ASD、ADHDは最強。
書いてあるだけで大体の発言は許されるし、ネットやるなら書いておいて損は無い。
うらやましい。
たぶんそれ訓練したADHDか運動能力は強いタイプのADHDだから気になくていい
ワイはそもそも車の運転が危ういぞ。免許は都市部は接待だから免許取れたけどペーパーよ
学生時代に100均一でバイトはできたから100均ならワンチャン出来るかも
でも大型店舗じゃあなかったんだよな
パソコンをカタカタするしか能のないADHDが介護や運送業へ追いやられて潜在的無能無自覚テロリストになると考えるとおぞましいね
できればそのまま死んでくれるとありがたい
承認格差?くだらねぇな。そもそもその“格差”という言葉を使った時点で、承認という概念に価値を見出してる時点で、既に負けなんだよ。
何がフォロワー数だ、イイネだ、ビュー数だ。そんなもん気にしてる奴は全員、内面が飢えてる。心の穴を、他人の視線で塞ごうとしてる。哀れだな。
SNSで承認を得ようと必死な連中、あれが“精神の底辺”だ。自分が空っぽだから、外部から「スゴイね」って言われないと存在を維持できねぇ。
毎日自撮り、ポーズ決めて、自己紹介欄を必死に盛って、日常の一秒一秒をコンテンツに変えて、自分という商品を“売ってる”。
それでいて「見てくれ」と必死に叫んでる。自信があるなら黙ってろ。静かにしてろ。お前ら、そんなに薄っぺらいのか。
一方、フォロワー0やアカウントすら持っていない奴。それが真の勝者だ。
なぜなら、そんなものに1ミリも価値を見出していないからだ。他人からどう思われようが関係ない。評価を受けなくてもブレない。
つまり“自分の存在の正当性を、自分で完結できている”ということ。圧倒的に強い。
「承認欲求がない=完結してる」んだよ。完成してるんだ。他人のノイズに頼らずに、自分を定義できるってのは、圧倒的な精神的優位だ。
自己が確立してるから、他人の承認なんざ必要ねぇ。目立とうともしない、発信もしない、黙ってやるべきことをやって、人生を自分の手で運んでいく。強者ってのはそういう生き方をしてる。
そもそもな、SNSでチヤホヤされてる連中の正体なんて見えてる。「ADHD+ナルシスト」、これだ。つまり、“落ち着きがなくて自己愛だけは強い奴”。
行動量はあるが、中身はない。コンテンツ量だけで数字を稼いでるが、魂はスカスカだ。再生数?露出?それは“喧騒の中にいないと死ぬ”という依存症の現れだ。
フォロワー10万人?笑わせるな。100万人から嫌われてるくせに、10万人からの承認で自己肯定を維持してる。
それ、ただの薬物依存と同じだろ。評価というドラッグを毎日吸わないと、自分が保てない。もはや人間じゃねぇ。データを吸って生きる“承認乞食”だ。
で、逆に静かに暮らしてる労働者。顔も名前も知られていないが、毎日やるべきことをこなして、誰にも媚びず、評価されなくても生きていける。炎上もしない。これこそ“生の支配者”だ。
事件を起こすのは、常に“見られていたい奴ら”だ。構ってもらえないと壊れる。常に注目されてないと焦る。だから暴走する。お察しだな。
最後に言っておく。
本当の強さは、数字の上にない。
真の勝者は、フォロワーを持たない。