はてなキーワード: 絶望とは
(イントロ - アコースティックギターのアルペジオ)
コンクリートの隙間に咲いた
名もなき花の色を知ってるか
アスファルトを這うように伸びた
細い影の向こうに何を見る
(Aメロ)
変わらないはずだった街の景色が
少しずつ滲んでいくように
あの頃の笑い声はどこへ行った
(Bメロ)
遠い場所の誰かのため
僕らの足元で小さく揺れる
名もなき希望の灯火
(サビ)
届かない叫びが胸を焦がす
この歌が響く、あの街の空に
(Aメロ)
雑踏に紛れて消えた足跡
自由の色を忘れないと誓った
あの日の僕らはまだ、無力だった
(Bメロ)
押し寄せる波に逆らうように
心に刻んだ、譲れない願い
(サビ)
届かない叫びが胸を焦がす
この歌が響く、あの街の空に
絶望の淵で見た、一筋の光
(サビ)
信じ続けるよ、いつかきっと
この歌が響く、あの街の空に
(アウトロ - アコースティックギターのアルペジオが静かにフェードアウト)
ANYCOLOR株式会社の事業の一つのにじさんじプロジェクトにバーチャルタレントアカデミーがある。
あるとき突然違反があったとポストと在校生の更新があり大量に所属生徒の削除が行われた。
同じ時期にデビュー予定の生徒のYoutube配信が非公開になったりもあったので削除された生徒はデビューに向けてなのか、違反を行ったのか分からない状態である。(違反者は大抵他の箱や個人でデビューや前世で配信をしているためクビなゆだろうな…とは思うが)
Youtubeが非公開になデビューも転生もして居なかった子達が、みたらし団、あやかきでデビューしたがまだ数名デビューなのかクビなのか分からない子達が未だ居る。
本来デビューするはずだった子のデビューが遅れていると株主総会で言っていたから期待をして待ち、VTAでデビュー出来た子達を嬉しく見て次はあの子かな…?と胸を膨らませていたが4/12スーパーエリートオーディションの子達がデビューした。
デビューが遅れている言葉を信じて待っていたが大量削除関連時期に居なくなってまだデビューしていない子はもう絶望的だろうとポッキリと心が折れた。
養成プログラムをこなせてなかったのか、デビューしたこと連絡を取っていたのか、自分から辞めたのか…
本人から発信がない限り何一つ知ることが出来ないから期待をして待つことしか出来なかったけど、居なくなったあとのオーディションの人がデビューしたらデビューが遅れているわけではなく、ないんだろうなと思うしかなくなる。
1期生を見ていたら退学以外は基本はデビューの方向だというのも勘違いしていただけだ。
でも、立ち絵は動かない・時間は週に30分・ゲームとかは禁止って縛りの中で、にじさんじのデビューしている人よりも面白い、誰よりも魅力的な配信だと思って応援をしていたから自分の見る目がなかったのかと落ち込む。
また声が聞きたいも亡霊をしていたからどんなかたちでもいいから活動してくれ。
見つけられるよう頑張るから発信をしてくれ。
口を開けば右も左も消費税下げろとか廃止しろとかばっかりの意見で、永久廃止って文言までトレンドに入る始末。
まあ税金なんて取られないに越したことはないから気持ちはわかる。特に消費税なんか目に見えて税金が取られてるってわかるやつだから、余計に目の敵にされるのもまあわかる。
だがそんな中、1サラリーマンとして敢えてタイトルのとおり、「消費税を上げてでも社会保険料を下げろ」と強く主張したい。
消費税率のアップを忌避し続けた結果が、今現役世代に重くのしかかってる社会保険料という結果になってる訳だ。
サラリーマンは一度給与明細を見たほうがいい。消費税で出ていく金額よりはるかに高い金額引かれてるはず。しかもこれ会社と折半しての金額だから、実質とんでもない金額の社会保険料を払ってる形になってる訳だ。
「消費税を上げてでも」の理由は「リタイアした団塊世代の高齢者からも確実に取れる税」だから。
この超高齢化社会の日本、金を溜め込んでる団塊世代に税金を払ってもらうには実質消費税ぐらいしかない。
あとは相続税ぐらいだが、氷河期世代の立場からしても正直そんなの待ってられない。
ただ、この「消費税を上げてでも社会保険料を下げる」って主張ができるの、政治的に主張できるのは今の政党だとせいぜい維新ぐらいじゃなかろうか。
さっき出張帰り、社用車で中央道走ってきたんだけど、雨が強いのと夜で暗くて道路が殆ど見えなかった。
路面は霧も掛かってたし、追い抜いていくトラックは飛沫を上げるしさ、絶望してたんだわ
「プラスサムゲームはギャンブルの一種である」という少し考えれば当たり前のことを理解するのに必要な知能指数はどれぐらいなのだろうか。
IQ110程度はないと難しいのかも知れない。なぜなら全世界人口のうち過半数はきっと理解できないだろうから。
「投資は全てインデックスでいい。これが99点だ」と語ったものがいた。
「正しい部分もあったから」というのが一つ。
もう一つ、「とてもシンプルでわかりやすかったから」という理由があり、きっとこちらのほうが重要だったのだろう。
複雑さを許容しなければいけない課題、とりわけ自分の処理能力を越えた複雑さを前にした時に、シンプルで分かりやすい正解へと飛びついてしまうのだ。
世界の不安定さを考えれば、インデックス投資が99点なはずがない。
今まで目を瞑ってきたリスクに対して我々は向き合わなければいけない。
インフレによって通貨の価値が下がっていき、レアメタルも不安定になっている現状、それでも生き延びるために目の前の複雑さと戦う時が来た。
ハッキリ言えば、我々はこれから負け戦をさせられる。
言い方が不正確だった。私もシンプルで分かりやすい99点を求めてしまっていたようだ。
我々はとっくに負け戦に巻き込まれていて、それがいよいよ激しいものへと変化する時が来た。
間違ってもこの状況で勝とうとしてはいけない。生き延びることを優先するべきだ。
だが、必死に身を守って蹲っていれば待っているのは死だ。
容赦のない時代が来る。
分かりやすい正解はない。
それぞれの人間が、それぞれの人生に降り掛かってきた多種多様な負け戦を前に、必死に自分なりの答を出すしかないのである。
辛いぞ。
頑張ってくれ。
もちろん俺も頑張らないといけない。
一緒に頑張ろう。
俺だけの前に絶望が広がっていると思うと心が折れそうだ。
普段の自分は近くに明らかに体調やばくて死にそうに見える人がいたら男女問わず助けたくなるし、実際助けてきたタイプだけどさ。今回の件が「本当に痴漢しようとした」か「「女性の勘違いだったか」の事実認定以前に、多くの女性だけでなく、結構有名な医療関係者でも「相手の身体に触れるなんてありえない」とか言ってるの見たのは絶望しかなかったよ(EARL氏だったかな)。自分は覚えてる限りで男女含め、四人くらいは泥酔した男女を介抱したことがあるけど、泥酔してる相手ってマジで心臓の病気か何かか?と思えるほど死にそうな風に素人目には見えるんよ。
一番記憶に残ってるのは数年前、JR総武線で座席に座ってたときに、眼の前のおっちゃんが突然くずおれたときかな。「大丈夫。酔ってるだけですから……」と言うんだけど、顔は赤らんでなかったし、何か致命的な病気ではないか?と気が気でなかった。なので、とにかく「何かやらなきゃ!」って思って、おっちゃんを座席に横たわらせつつ(このとき当然身体に触れた)、他の乗客に手伝ってもらって、非常停止ボタンを押した。最終的に、次の駅についたときにおっちゃんを駅のベンチに寝かせてそのままだったけど、今でも「あのおっちゃん、本当に泥酔だったんだろうか……」と思うときがある。
この場合は同性だったから「痴漢」と思われる心配しなくてよかったけど、もし同じようなケースで女性だったら、胸はないにしても座席に座らせるときにお尻とかうっかり触れてしまうかもしれないし、そのときに「痴漢」扱いされたら……と思うとぞっとする。繰り返すけど、現時点で「痴漢かそうでないか」は問題じゃなくて「必死で助けようとしたとしても、身体に触れるのはありえない。まず周囲の女性に助けを求めて云々してたら良かったのに、これでは痴漢と疑われても仕方がない」って言う女性と、あと医療関係者が目立つのがもうダメ。周囲の女性に協力を求めるのがベストって言うけどさ、緊急時にそこまで頭が回る素人はそうはいないよ。ほんとに。
助け方に注文をつけられて、上手くなかったらよくて批判、悪くて性犯罪者扱いになるなら、本当に見捨てるしかないと思うよ(嫁とかの身内はおいとく)。AEDの話持ち出す人は本当に葛藤したことがないんだろうなって気がするのでおいといて、少なくとも目の前に助けられる人がいたら助けたいと思える自分でも、女性はもう見殺しにするしかない、と思う。本当はしたくないけど、有罪か無罪かわからない段階でこのザマじゃん。もう救いようがないよ。
山田優生(仮名)は、20代。精神科の診察室に座っていた。これまで自分が他人と同じように生きていないこと、周囲とどこか違うと感じ続けてきたことは、もう誰にも説明できないほどの負担となっていた。やっとの思いで精神科を訪れ、知能検査を受け、軽度知的障害の診断を受けた瞬間、優生は一瞬の静けさを感じた。診断結果を受け入れるまでに少しの時間が必要だったが、次第に納得が湧いてきた。「なるほど、私はずっとこうだったんだ」と、自分の中で何かがつながったような感覚に包まれた。その瞬間、ふとした希望も感じた。「これで療育手帳が取れたら、障害者雇用やいろんな福祉支援サービスが受けられるかもしれない」と、わずかながらの期待が胸に湧き上がった。自分が今まで経験してきた苦しみや不安が、少しでも軽くなるかもしれない、そんな思いが彼を包んだ。
しかし、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。
優生は療育手帳の申請を行い、知的障害者更生所で再度知能検査を受けた。その結果、精神科での診断と同様に軽度知的障害とされる数値が出た。しかし、それでも結果は「非該当」となった。理由は「18歳以下で知的障害の状態だったことを証明する資料が不足している」というものだった。優生はその理由に愕然とし、困惑した。過去の自分を証明する手段がほとんどなく、結果的にそれが障害者としての支援を受けるための唯一の鍵だと思っていたのに、最初の申請は却下されてしまった。
過去の知能検査結果について、病院に行ったことはないため学校に問い合わせると知能検査は行われていたが5年で廃棄処分していると言われ、入手することはできなかった。他には、テストの結果や成績表、担任の証言書を集め、再度申請することを決意した。これでなんとかなる、そう信じていた。
再申請が受理され、知的障害者更生所で再度話し合いが開かれた。支援者も同行し、優生は自分の過去を証明するために、何度も何度も訴えた。
「私は、子供の頃に診断を受けなかっただけで、今でも支援が必要だと感じているんです。過去の成績や担任の証言で、私がどれほど苦しんでいたか分かってほしいんです」
優生は何度も言葉にしようとしたが、結局うまく伝えることができなかった。コミュニケーションが苦手で、他人に自分の気持ちをどう伝えるべきかが分からない。彼が言葉を選び、伝えようとするその過程は、いつも思うようにいかない。判定職員には、彼の苦しみがどれだけ深いものであるか、どれだけ長い間その苦しみに耐えてきたのかは、うまく伝わらなかった。それが悔しく、情けなくて、彼は言葉を詰まらせてしまう。そして、周囲が優生の気持ちを理解できない現実が、ますます心に深く刺さる。
支援者は、優生がこれまでどれだけ真剣に証拠を集め、過去の困難に立ち向かってきたのかを理解し、判定職員にそれを伝えようと尽力した。しかし、何度も話し合いをしても、その答えは変わらなかった。
「証明が足りません」「18歳以下の証明がありません」「過去の成績や担任の証言だけでは、認定することはできません」
その言葉が、再び優生の心を冷たく締め付けた。必死に集めた証拠や証言が、すべて無駄に終わった。再申請しても、結果は同じだった。優生はその現実に愕然とし、次第に、自分がどれだけ過去を証明しようとしても、全てが無駄なことだと感じ始めた。証拠が足りないという一言で、過去のすべてが無視され、再び壁にぶつかっているような気がした。
優生は、この世界において自分の声が何も届かないと感じていた。過去を証明する手段が限られていて、いくら努力しても結果に繋がらない現実、どんなに訴えても理解されないという事実に直面し、深い絶望に陥った。自分の気持ちを他人にうまく伝えることができない。これまでの人生でずっとそうだった。学校でも、職場でも、自分の思いをうまく言葉にできず、苦しんできた。支援者にさえ、心の奥底にある本当の苦しみや切実な願いを伝えることができなかった。たとえうまく伝わったとしても、その後何も変わらなければ意味がない。優生の中で、無力感が膨れ上がっていった。
「どうして、こんなにも分かってもらえないんだろう…」
過去を証明する手段が限られていて、結局それが自分を助けるための唯一の鍵だと思っていたのに、それすらも認めてもらえない現実に、優生は深く絶望していた。自分が子供の頃、助けを求めても、誰も相手にしてくれなかった。その時の自分の苦しみが、今もなお無視され続けることに、耐えられなくなった。
話し合いが終わり、再び優生と支援者は帰路についた。途中、優生は無言で歩いていた。支援者が少し間を置いて、静かに口を開いた。
「優生さん、もうこれ以上頑張っても、無駄だってこと、分かってるでしょ?」
優生はうつむきながら歩き続けた。支援者は少し間を置いて、さらに言った。
「いくら証拠集めて頑張ったって、あっち側の決まりがあるんだから、どうにもならないんだよ。この現実を受け入れるしかない。あなたがどうしたって、この社会は理不尽だらけでできている。このことを受け入れなきゃ、あなたはこれから働くことも、生きていくこともできない。」
優生はその言葉を耳にしながら、心の中で反発していた。どうしても受け入れたくなかった。けれど、支援者の言葉が、どこか冷たく現実を突きつけてくるのを感じていた。
納得するしかない。唯一の味方だと信じるしかなかった支援者から何度も繰り返される説得に、次第に身体が重くなっていくのを感じる。
「受け入れるしかない…」
その言葉が、優生の頭の中で何度も響く。これまでの人生を振り返ると、どれだけ努力してきても、結局は何も変わらなかった。学校も職場も、適応できなかった。自分が他の人と同じように生活することなんて、どうしてもできなかった。
「療育手帳があれば…」
福祉支援を受けられれば、少しでも楽になれると思っていた。けれど、その希望も絶たれた。自分がどれだけ証拠を集め、努力しても、結局は非該当のままだ。どうしてこんなに頑張ったのに、何も変わらないのだろう。
歩きながら、優生は心の中で叫んでいた。自分の声がどこかに届いてほしい。誰かに理解してほしい。でも、どんなに叫んでも、届くはずもないということを、もう彼は知っていた。
やがて自分の家が見えてくる。家に帰るたびに感じる、親の無理解が、彼の心に重くのしかかる。
実家に着くと、家の中からは両親の話し声が聞こえてくる。けれど、その声は優生にはまるで届かないようだった。
優生が部屋に入った瞬間、静寂が広がる。その瞬間の空気の重さ。
障害があることを認めたくないような父親の態度、母親の冷たい視線。それらがいつも優生の心に突き刺さる。
自分が何を言っても、何をしても、親は理解してくれない。障害のことを話すたびに、顔色を変えて避けるような態度をとる。どんなに傷ついても、親にはその気持ちを伝えることすらできなかった。自分の苦しみを、どこにもぶつけられない。
昔の担任教師は、当時の私の様子から親に特別支援を勧めたと言っていた。しかし、優生はそのことを親から聞いたことはなかった。長年隠されて、なかったことにされていたのだ。知的障害者更生所の職員は「特別支援を勧められた程度では療育手帳を取得できる根拠にはならない」と話していた。嘱託医は「子供の頃に検査してるか、養護学校に行ってないとダメだよ」と主張する。
「どうして…」
優生は床に座り込み、ただぼんやりと天井を見つめていた。支援者が言っていた「受け入れるしかない」という言葉が、どんどん優生を圧しつける。受け入れることなんてできるはずがない。受け入れて生きることなんて、考えられない。
「このまま、ずっとこんな人生が続くんだろうか。」
心の中でその問いが繰り返される。周囲と適応できず、苦しみながら生きてきた自分を、誰も理解してくれなかった。過去は変わらない。障害があることも変わらない。療育手帳を取って、少しでも支援を受けることで、この人生が変わることを期待したけれど、その望みすら叶わない。もしこれがすべてだとしたら、今後の自分には一体何が待っているのだろう。
優生はその道のりを、自分の人生そのものとして感じていた。どれだけ頑張っても報われることはない。過去の出せる資料は限られているし、結局は認められないという現実。彼はもう諦めていた。
そして、優生はその夜、自分の中でひとつの決断を下した。絶えることのない無力感、療育手帳を手に入れることができなかった希望に対する苦しみが、彼を追い詰めていった。
中3の時島本理生のナラタージュが爆流行りしてて私も図書館で借りて読んで泣いた。
返却する前に自分の部屋でEveryLittleThingのnostalsiaを聞きながらもう一回読んで「合うやん!」と思いながら泣いた。
そういう記憶があったから大人になってから実写化したものを見たんだけど、すると随分キモい話で、中学生の頃自分はこれに感動してたのか?!とショックを受けた。
しかし思い返してみると、正直ストーリーの本筋は元々ぼんやりとしか覚えておらず、中3当時の感動ポイントも最後のシーンでの、「数年後他人から既に離れた恋愛相手の話を聞いた途端、何年もかけて自分の中で風化させてたのに心が引き戻された、これからもずっとそうなんだと悟った、絶望」的なくだりであった。
中学生だから永遠に終わらない恋心というのがロマンに刺さったのかもしれない。心が一つの地点に杭で打ち込まれてそのことを普段忘れていても機会があるたびに何度でも引き戻されて突きつけられるみたいなの、恋の囚人みたいで、ええやん♡ってなったんだなあ。いつかそういう恋愛するの楽しみやなあ♡ってときめいてたんだよな。
まあ子供産んだりしたら流石にどうでも良くなるんだろうけど。
ちなみにナラタージュ、島本理生先生が21歳の時に出版された作品だと知り驚愕。この小説の執筆が理由で卒業できなそうになって大学を中退したらしい。休学じゃだめだったのかな?
ネットのインタビューで当時はこれは書かなければ進めなかった的なことを言ってたからなんらかの失恋経験から生まれた作品なのかな。
しかしネットで感想を検索すると、島本理生は◯◯(別作品)は人生ベストでよかったのにナラタージュ読んでみたら受け付けなかった…💦とか島本先生らしくない💦などが多くて、原液の方を例外扱いされるの悲しみ
粘度があって固まりきらない、絞りでずに出口に塊が残る感じのやつ
トイレットペーパーで掴まないと取れず、拭いてもかえって汚れが広がりそうな厄介さ
まだ液体の方が良いまである
今はリモートだからシャワーで流せるけど、出先でしてしまったらと思うと中々恐怖
肉が続いたからかな…
絶望するの遅くない?
こんばんは。先日婚活パーティーに行って全敗してきた、34歳の女だよ。みんな卑屈だねっていうけど、これでも3年前よりだいぶ明るくなったねって言われてるんだぜ。
そもそもの話をすると、婚活パーティーに参加したのは、毎日毎日父親に「一生家にいて家事と俺の話し相手をしろ。フルタイムの仕事なんて許さないぞ。かんたんなパートでもしてればいいじゃないか。お前は身体が弱いから心配して言ってやっているんだ。本当の仕事っていうのは尻から血が出るほどつらいもんなんだ。俺が養ってやる」と言われていて、人生に絶望し焦ったためです。
今朝も父親と何か具体的なトラブルがあった訳でもないのに、(以前父親を怒らせて頭を殴られたり肘を逆パカされそうになったりしたので、絶対に怒らせないようにいつもニコニコしている)、ファミマで食物繊維が取れるコンソメスープを買った帰りに涙が止まらなくなってしまったよ。
そして今日、無職・低収入でも借りられる物件が見つかったので、思い切って家を飛び出してみようと思う。父親と離れれば、身体が楽になって元気に働けるような気がするんだよね。
ついでに言うと、母親は統合失調症で、10年以上前に自殺したよ。
それはそれとして、収入と容姿の向上には励まなければいけない。
本当は、両親にされたことをまとめようと思ったんだけど、しんどくて上手く書けないや。
学校で生徒にいじめられて、教師からお宅の娘さんがクラスメイトと仲良くできません、というお叱りの電話が来て、どうしてお前は問題を起こすんだ!って殴られたり蹴られたりしたのがしんどかったかな? この世に誰も味方がいないのを痛感してさ。
追伸
Gmailの謎は謎のままです。
さらに追伸