はてなキーワード: サイゼとは
まず子供舌の高校生がマックの次に初めて自分たちだけで行くレストランがサイゼ。
収入が順調に増え、他に支出もないのでサイゼは永遠に選択肢に入らないパターン。
収入がたいして増えず、他の支出も多いので安くてそこそこの味としてサイゼを再発見するパターン。
メニューを選べば値段の割にかなりクオリティが高いことにも気づく。
子供が増え、他のファミレスやフードコートなど子供連れで行きやすい店と比較して
まず子供が喜び、大人でもそこそこ満足できるメニューがあり、家族全員好き放題頼んで腹一杯になっても金がかからない。
マジで言ってんのか?
あんな泣きたくなるほど貧乏くさいドリアとピザ食って、胸張って「最高!」とか言ってんの?
今どきスーパーの冷凍食品のほうがマシなレベルなのに、わざわざサイゼ崇めてる時点で、味覚も人生も終わってる。
自覚してるか? お前ら、もはや「安いものを美味いと思える俺カッケー」っていう、歪んだ自慰行為に取り憑かれてるぞ。
「コスパ!」「庶民の味方!」とか叫んでるけど、実際はただのチキンだろ。
本当に旨いもん食ったことないから、安さを言い訳にしてるだけ。
そんな自分を誤魔化してるだけ。
てか本当に周りにいるか?
まともな大人で「サイゼリヤ行こう!」なんてドヤ顔で言うやつ。
ネットじゃやたら持ち上げるくせに、現実じゃ誰も行きたがらない。
それが答えだろ。
東京都内で用事があったんだけども、都内は宿泊費が高いので関内のダイワロイネット泊まった。
24時近くに関内の駅着いたら、「あー来たことあるー」って思った。近くのライブハウスに推しを見に来てそのあと友達と駅近くの激安居酒屋で飲んだなー。当時多分コロナ禍で人が少なめだったんだよなーと思ってホテル向かった。
ダイワロイネット着いたら1階がサイゼとセブン、2階がコメダ、3階からがホテルっていう作りだった。見たことある!めっちゃ良いホテルだ〜って思ってたところだ!って思い出してその時点でかなり嬉しかった。
早朝起きてパジャマにコート羽織ってコメダでモーニング食べて部屋帰ってまた爆睡。2000円払って2時間延長。13時にチェックアウト。一人旅楽しすぎ。
近所のお店の中華(龍鳳)か、中華街まで歩いて中華(南粤美食)食うかーと思って電話したらどちらもランチ終了してたから仕方ないから利久庵っていう美味しそうな蕎麦屋に入った。ちょっと並んで蕎麦食べた。隣の引退した昼飲みジジイ3人のことウルセーって気持ちと楽しそうで羨ましい〜って気持ち半々で見てた。蕎麦うまい!冷し上利久そばっていうの食べた。もっと蕎麦食べたいからせいろも追加した。うまい!お腹いっぱいになったからお散歩。
野球が好きなんだけどハマスタって行ったことないよなーと思って横浜公園まで行ってみた。なんか公園の中に野球場あってめっちゃ良い。もし私が横浜市民ならハマスタのこと本当に愛してたと思う。月曜だったから残念ながら野球の雰囲気は微塵もなかったけどなんかすごいよかった。横浜公園はチューリップがいっぱい咲いててみんな楽しそうで本当によかった。幸せな空気が漂っている。うれしい。春って最高。
山下公園にも行きたくてまたお散歩。途中でフレッシュネスバーガーを見つけちゃったから入った。Twitterでチュロスが美味いって見た。食べた。めっちゃ美味しいチュロス。チュロスってテーマパークか映画館でしか食べれないけどすごい好きなんだよなー。こんなに手軽に食べれていいなーって思ったけども、よく考えたら近所にフレッシュネスバーガーない。手軽じゃない。悲しい。美味しかった。
夕方に山下公園着いたら山下公園も人々が幸せそうだった。端っこのよくわかんない石のオブジェあるとこも良いよね。ここで好きなMVが撮影されてるから思い入れもある。
春だったからっていうのもあるけど、散歩してて横浜のこの辺に対してぼんやりとした幸せな気持ちを持ってるんだなーと思い出した。来るたびに嬉しくなる。たとえ1人で来ても。
ライブ前に友達と中華街のお店で宴会したこととか、親友とニューグランドに泊まってニューグランドのバー行ったり山下公園散歩したりドリア食べたりしたこととか。もうどちらも数年前なのにどんな話したとか割とよく覚えてる。楽しかった。
そういう記憶がその街にあると本当に良いよねーうれしいよねーと思って散歩してたら17時過ぎてたので南粤美食に行った。アヒルの醤油煮、空芯菜の炒め物、エビワンタン麺食べて大満足。利久庵も南粤美食も美味しかったから私の横浜への楽しかった記憶に追加しておこう。赤い電車で羽田空港に向かって帰宅。予定は変わっちゃったけども、楽しい月曜日だった。
自分は33歳の発達障害持ちの女だ。東京で一人暮らしをしている。彼氏はいるが、わたしはこの人をわたしから自由にしたいと願っている。
仕事が続かない。なぜかずっと家で泣いている。なぜかというか、数年前に父親の事業の失敗が明るみに出て、色々あり、そこからわたしは人生をギリギリで建て直した。胃腸はいつも痛かったし、生保ギリギリまで追い込まれたがバイトや契約社員でつないで、なんとか今も東京にいる。
わたしは女だが、実際女というのは恵まれていると思う。男の方がずっと大変だと思っているし、女よりもたくさんの責任を引き受け、近年では家事育児までさせられるようになった男性たちには、本当同性が迷惑をかけて申し訳ない…という気持ちになる。
ほんとミソジニーにもなるよね。権利ばかり主張して、女、嫌だよね。わたしも嫌だと思ってる。上から目線で色んな人にひどいことを言う同性は本当に恥ずべき存在だと思う。
彼氏は自由人で、同棲や結婚を望んではいなかった。わたしは弱い自分を自己嫌悪しつつ、それでもどこかで結婚してくれ、助けてくれと思ってしまう自分を恥じている。お金はちゃんと稼いでいる。助けてくれというのは金銭的にではなく、一人があまりに心細いから一緒にいてほしい、帰る家が欲しいという意味だ。わたしの家族はもう壊れてしまったし、故郷にも帰るところはない。
何度も同棲や結婚の話をしたが、彼は固まってしまうばかりで、返答すらできなかった。わたしはできないならできないでいいし、それなら別れるからちゃんと教えて欲しい、と何度も言ったが返答はなかった。特殊な仕事をしていて、能力は高いが自己分析は一切できず、言語化もできない人なので、困り果てた。
何度も別れようと言った。彼の重荷になりたくなかったし、その気がない彼に同棲や結婚して欲しいと願い続けるのはわたし自身苦しかった。わたしが別れようと言うと、毎回彼はひどく渋る。そして、さみしいですねえ…と言い、甘えてくるのだ。そんな彼を見ているとなんだか可哀想で、結局今もずるずる関係を続けている。
わたしと彼の社会階層は全然違って、彼は都内実家暮らしで、フレンチやらイタリアンを好んで食べ、骨董を買ったり海外旅行をしたりしている。
わたしはド田舎出身で、サイゼとかバーミヤン安くていいよね!という人間だ。サイゼとかバーミヤンがいいという女は男受けがいいと思っていたが、彼にチェーン店を提案すると、毎回「それならもっと本格的なものを食べた方が…」と言われて断られてしまう。この金銭感覚の違いで実際結婚なんてできないよな…と思う。
彼は実家に人を入れたことがなく、おうちデートはいつもわたしの家だ。彼のパンツや靴下を洗濯し、毎朝寝起きのお茶も淹れている。家事はできる。ご馳走を振る舞うことも結構ある。
それでもわたしはあまり体力がある方ではなく、専業主婦にとまでは言わないが、パートで週3か4くらいで働いて、夫のために家事をする生活をしたいと願っている。昔ながらの一歩引いた妻になりたい。キャリアとか、別にどうでもいい。好きな人を幸せにしたり、誰かを支えることに喜びを感じる。今時の女性はお茶汲みが嫌いらしいけど、わたしは人をもてなすのが好きだ。相手の好みを把握し、どうしたら幸せが最大化するか考え実行する。そういうことが自分の幸せに直結していると感じる。
でも彼は存在が自己完結しており、わたしは多分必要ないのだ。実家暮らしだし。
お互い、多分結構好き同士だとは思う。それでもわたしの身辺の状況は結構悪く、どうしても同棲や結婚をしたいと願ってしまう。帰る家が欲しくなってしまう。
彼の価値観を尊重したくて、わたし自身も苦しくて何度も別れを切り出したが、彼はわたしと離れたくないらしいのだ。離れたくないけど、一緒になってもくれないらしいのだ。
最近は疲れて、考えるのも嫌になってきた。家族が欲しい。帰る家が欲しい。一緒に温かいご飯を美味しいねと言って食べたい。彼氏は白米を食べないが…。
本当はたくさん電話やチャットをしたい。彼はそういうのが苦手なので、全部我慢している。人が嫌がることはしたくない。
これはただの愚痴だ。女さんはイージーモードと存分に叩いてくれて構わない。しかし、なんだかひどく疲れている。
きっとわたしはどこかでこの人と別れ、一人で生きていくのだと思う。