はてなキーワード: 宴会とは
島本和彦の漫画でメッキマンといって普段は普通の常識人のフリをしているのにイザとなったらハッチャケてスベる性質の人々を揶揄したネタがあるのだが、その中に無礼講の宴会でポッチャリ系のメガネ男性がその当時話題になってた女優のヌードを引き合いに出して「みなさんメガネの方は外してください!してない方は薄目で見てください!」と宣言しといてやおら脱衣してポーズをとり「カンノミホのヘアヌード!!」てヤッて喝采を浴びた、それを眺めて嫉妬した主人公がもっと上をいってやろうと持参したファイルだかをレコードジャケットに自身の陰茎をターンアームに見立てて「レコードプレーヤー!!」
日本人の月見という習慣はそういう美意識がどっかで湧いたってわけじゃなくて「典故」と「信仰」の二つのルートがあるのですのだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2531074
典故ってのは何かにつけて漢籍(漢文の本)を引用したりなぞらえること。特に風物表現で多いのが漢詩。
例えば「四季」ってのは漢詩で季節を表現するのに擬えて和歌を詠んで散文にも応用されて行ったもんだし、日本文化独自性が高い俳句でも多い。
また例えば芭蕉は「象潟や雨に西施がねぶの花」って俳句を詠んでるけど、西施ってのは中国四大美女の一人で、悲劇の死を遂げた女性。んでさ、この人が溺死させられたって伝説があるので西湖と名付けられた湖があるんだけど、ここって今は内陸の湖なんだが昔は潟湖(ラグーン)だったのよ。で、芭蕉が訪れた時代の象潟もラグーンで、松島のような多島海でとても美しかった。でもそこで「きれい」って言っちゃうとあたまのわるいひとイラストみたいになっちゃうってんで、悲劇の美女西施→潟湖の西湖の風景という諧謔というか教養連想ゲームをやってるわけです。
やべぇ例示だけなのに長くなってしまったな。因みにこの象潟は芭蕉の後に地震があって、輪島の海岸みたいに隆起して芭蕉が感嘆した景色は無くなってしまった。今は田んぼの中に丘が点在する風景になってる。
こんな風に昔の日本は漢籍を引用するのが教養だったんで、そういう知識は最早常識だったんやな。
んで、月見の方も平安時代に貴族がやり始めたんだけど、やっぱり漢籍の記述で中国で古代からやってるという中秋節を真似たんや。旧暦8/15(太陽暦では9or10月)に月餅やら何やらを並べて宴をする。貴族の間でもっと多かったのが船を出して、水面にゆらゆらと写る月を眺めて宴をしてうたを詠んだりしてた。こういうのを観月という。
んで、これが段々と庶民にも伝播して行ったらしいんだけど、正直江戸時代までの間の庶民の動向って言うのはよー判らんのや。何故なら庶民文化が栄えたのって江戸時代で、それまでは庶民間の事柄を紙に記すって事が殆どなかったから。
で、もう一つのルートが月待講ってやつ。江戸時代には庶民が比較的裕福というか生活に余裕ができ、色んな民間信仰が現れた。そしてそれらが紙に残った。
例えば山講。山ってのは霊的なもので、それに登るって事が霊的体験とされていた。山は女人禁制で「○○山講」という幟をもって山伏みたいな格好で延々と歩いて行って登山を敢行する。信仰の場だったのだな。
富士山が世界遺産に登録されたのは、別に日本人に愛されてるからとかじゃなくて、こういう信仰があって今の登山がそれと連続的って事ですのよ。
例えば庚申講。道教とか神道、民間医療なんかがごちゃ混ぜになった信仰で人間の体には三尸(さんし)の虫っていうのが住んでて60日ごとの庚申の日に寝てる間に閻魔大王に悪事をチクるから徹夜で宴会してチクるのを止めさせようぜという、今となってはなんだそれな信仰だ。
都電に「新庚申塚」って電停がある様に、日本中あちこちに庚申塔が建てられてその近くの家で飲み食いされていた。今はこんな風に放置されてる。
https://maps.app.goo.gl/FM8d8fD19SAK3Ubc7
こういう「講」(信仰の寄合)の一つに月待講というのがあった。お月様信仰やな。
月には月齢があって、新月、三日月、満月、半月と形が代わるけど、その各々に別個の信仰があった。んで、この信仰は別にお月様だけに影響を受けてるんじゃなくて、土着の信仰が仏教と結びついていた。
仏教では色んな観音様や菩薩が居るけど、月齢ごとに別の本尊を崇めていた。この辺はカトリックの職業別聖人信仰に似ているね。
月齢ごとに信仰があると言っても、今みたいに電車と車で好きな場所に行ける訳じゃないから、この村は○○夜、あの街は○○夜と分かれていた。
で、その中で非常に多かったのが二十三夜、十九夜、十五夜だったってワケよ。
二十三夜は特に多くて、日本中に地名として残ってる。こんな風に
https://maps.app.goo.gl/KDXw6ZBhwiyA4bYZ7
また、「三夜」と省略されて地名になっている所も多い、三夜様とかね。
もう一つ特別なのが十九夜で、これは如意輪観音が本尊。右膝立てて右ひじ突いてる観音様だ。
これは「安産講」として特別で、女の人以外は参加禁止の集まりだった。
これも十九塔があちこちに残っているが、地名としては「子安」というのが残ってる場合が多い。
「子安寺」が子安の由来の場合も多いが、そもそも昔の寺には色んな神様も祀られていた神仏習合だったんで、当然十九夜待が行われて居た寺もあって、それで子安寺になったケースもあるのだな。
十五夜はいうまでもなく満月待やね。本尊は大日如来、阿弥陀、薬師、観音様、地蔵、虚空蔵と、オールキャストだ。
で、庚申講もそうなんだが、段々信仰がどうこうっていうのはいい加減になって行って、単なる寄り合い、宴会、食事会の言い訳になって行っちゃうわけよ。十九夜とかも「観音様、どうか子宝と安産を」と願うっていうよりただの女子会になってまう。「観音様が持ってる宝珠ってチンタマーニって言うんだって」「うちの亭主も二つ持ってるワイよギャハハ」とかなっちゃうってワケ。
それで段々都市化が進むと寄合なんてジジババくせえとか軽視されて廃れて行っちゃった。でも場所によっては昭和40年代まではやってたらしい。
月見でお団子お供えして食べるっていうのは完全にこっちの月待講が由来なんね。
一方、ススキ飾るのは、旧暦8/15(太陽暦9or10月)の中秋節由来やね。
だから二つがごっちゃに混ざってるってこと。
新月の次の日:既朔
十四夜:小望月、待宵
十六夜:既望
十七夜:立待
十八夜:居待
十九夜:寝待
廿夜:更待
これも漢籍典故による特別視から月待などの各月齢ごとの神聖視へと変化していくにあたって生まれた表現と考えられるのだ。
日本産ゲームのリプレイ動画とか見てると、このへんのことが海外では認識されていないので「これってなに?」みたいな英語コメントが付いているのを目にするのだ。まぁそれは当たり前だ。
大抵、西洋のルナティック=満月が人を狂わす、と日本の月を愛でる習慣、月のうさぎが合わさっているので割とハイコンテクスト。
でもそれに日本語で答えているコメントが月を愛でる習慣が信仰から来ているってことが判ってないので説明できていないっていうのを目にする。
近所の今まで気が付かなかった「○○夜」「子安」の地名を発見して訪れてみるっていうのも自文化の勉強なんですよ、草むらの中に○○夜塔が残っているのを発見するって事もあるんですのよ。
ついでに花見なんだが、これも昔からある風習だったけど、江戸幕府が奨励して盛んになったんすよ。
江戸幕府は水防工事を沢山やったんだけど、堤防って突き固めが緩いと崩れてきてしまう。でも昔は機械が無い。
そこで堤防に桜を植えて「花見やれ」と奨励したのだ。すると毎年人がどやどややってきて歩くから土が締まるって寸法だ。だから川べりには桜が多いのだね。特に古い堤防は桜の名所になっているってわけ。つまりは官製文化の面があるの。
これをもって父は仏となり、今後は極楽浄土から私たちを見守ってくれるのだそうだ。
父方の親戚とは疎遠だったが、皆私たち家族のことを気にかけてくれた。
父も大概の大酒飲だったが、親戚も皆酒飲みで驚いた。
食べて飲んで、思い出話をして、にぎやかで楽しい会だった。
だけど急に、どうして父がここにいないんだろうと涙が出た。
翌日は父の誕生日で、家族がスポンジケーキにデコレーションをしたものを仏前に供えた。
父がいない。
この世のどこをさがしてもいないなんて信じられないし、信じたくない。
病気で苦しむ姿を見てきた。
息を引き取る瞬間も見た。
焼かれて、骨になった姿も見た。
だけどいまだに信じられない。
仏様になんからなくていいよ。
帰ってきて、くだらないオヤジギャグを聞かせてほしい。
一緒に行きたいとこだってまだまだたくさんあるよ。
大好きな映画もまだ完結してないじゃん。
寂しいよお父さん。
フジテレビの社員が連れて行った飲み会で暴行事件が起きた、っていうのが問題なのであって
フジテレビの社員が連れて行ったしょーもないBBQがあった、なんて何の問題にもならんだろうが
BBQがつまらなかったりセクハラ発言があったとしても示談金を払うような事件になってないならどうでもいい話
そんなレベルでいいなら「誰かに誘われていった宴会」は全部アウトだろうがアホかよ
っていう部分で記者会見を開いて
って否定したわけでしょ?
記者会見の前にその根幹部分を取り下げて梯子を外すとか信じられん暴挙だよ
普通に「A氏が誘ったのは間違いでした。ごめんなさい」だけで良いのにクソダサムーブかましててやってることが中卒レベルなんよ
他界系が「ポジティブに考えろ!引き寄せの法則」と発狂しているのを見たことがあるだろうか?
あいつらは現実を見ていない。世の中にはネガティブなことが実にたくさんある。
といっても、ただネガティブに見ればいいってもんじゃない。うつ病患者が非現実的な妄想で落ち込んでいるのは、ネガティブパワーの間違った使い方である。
アクセルを踏む、スピードが一定を超える。そのときにスピードを緩めるためにブレーキを踏む。これがネガティブフィードバックだ。
「過剰なポジティブ」に関連付けられるものが「錯乱」「犯罪」であるのに対し、「適度なネガティブ」に対応するのは「安定性」である。
我々は、交通ルールを守って正しい速度で運転したいわけである。
これらのニュースから学べることは、自分がそのような事件を犯してしまう可能性があると認識し、事前に防ぐことである。
例えば詐欺事件を見てわかるように、詐欺師は儲かればいい、バレなければ何をしてもいいと考えている。これはポジティブシンキングである。
誰にバレなくとも、悪いことはしてはいけない、と学ぶことが重要である。これはネガティブなことは起こると想定したネガティブシンキングである。
私は自分を愚者と認識している。中学生、高校生のときはひどいものだった。ゴミを山に捨てたり、人を殴ったり、ということを平気でやっていたのである。
愚者は物事をポジティブに考える癖がある。「どうせバレない」「自分には損にならない」「得になれば何をしてもいい」という具合である。
愚者が賢くなるためには、「してはいけないこと」をネガティブフィードバックから学ばなければならない。
例えば子供が盗みを働いたと親が知ったときに、親はそれを叱らなければならない。インターネットで犯罪予告をした若者は、警察の指導で学ばなければならない。
鞭から「してはいけないこと」を学べば、愚者は賢者とまではいかなくとも、今よりは賢くなるだろう。
「パーティへ行くよりも、葬式へ行ったほうが良い」これはユダヤ教徒に伝えられてきた文である。自分がいつかは死ぬと理解し、知恵を得るためである。
伝道の書 7:2
悲しみの家にはいるのは、 宴会の家にはいるのにまさる。 死はすべての人の終りだからである。 生きている者は、これを心にとめる。
人生は単純な白黒の世界ではない。ポジティブとネガティブは、車の両輪のように絶妙なバランスの中で機能する。
現実を直視しなければならない。ネガティブシンキングは決して人生を暗くすることではない。むしろ、光を見るための、より鮮明なレンズなのだ。
愚者は表面的な楽観主義に溺れ、賢者は深い洞察力で現実を見つめる。「してはいけないこと」を学び、「なぜいけないのか」を理解することが、真の成長につながる。
所得 約600万
-手取り 約500万
社宅 30万
水道 3万
ガス 20万
通信 7万
クレカ 160万
-旅行移動費 30万 月3万弱
-家財・食費 60万 月5万くらい
-外食用食費 40万 月3万ちょい
-土産等雑費 15万 月1万ちょい
現金 70万
-職場昼食費 15万 月1万ちょい
-近場外食費 15万 月1万ちょい
-その他謎費 20万 どこに消えた
計 約300万
-成績 年利10%
今年のこの相場で10%の利益なのセンス無さすぎる(7月為替介入と聞いた時に今だ!とNISAぶっぱタイミング投資実行)。
今年は反省して年初に一括で入れた。おかげで残高から万の文字が消えたぜ……NISAきっつぃ(´-`)
旅行はほぼスキルアップ関係でカプセルホテル愛用。私用では2回くらい結婚式とかで大きな移動したくらいだが、けっこうかかってて悲しいぜ。仕事休んで行くから土産も買って更出費。悲。
中食メインで半額惣菜食いまくってるんだが、やっぱたまにどかんと2,3万とか払う飯食べてるからそれなんとかしないと抑えられんか。後輩奢るの控えた方がええんやろかね。飯、散財しすぎ?
家財はスマートウォッチとかランニングシューズとかで10万くらい趣味品買ったな。仕事用の服も3万くらい買った。あとは消耗品か。
みんなはどうでした?みんなもこんなもん?
銀行のATMがお札が新札でピンピンすぎて入金できなくて無駄に手数料を取られちゃって、
まあ時間外だから手数料無料の時間に行けよ!ってのはそもそもなんだけど、
お昼の昼間に出られない時に出金と入金を一度にいっぺんにやってしまいたい衝動に駆られるときがある季節の月末チックなことさらあるじゃない。
そういうチャンスだったのよね。
私は新しく変わった紙幣の渋沢栄一さんかまだその見慣れてない顔を睨みつけて出てきた返ってきたお札をまた入れ直したの。
睨みつけるだなんてお金のお札の紙幣の新札の渋沢栄一さんには申し訳ないけれど、
ATMが新しいお札を上手く真っ直ぐすぎて
機械の中で上手く裁けなくて返却される紙幣をまた入金のトレイに入れてトレイを閉めてまた開くという。
これを何回繰り返すことか?
うーん、
一発で入金出来たら無駄に手数料取られなくてもいいのに!って思うのよ。
これ私2回目なのよね。
1回目はまあこういうこともあるわよね!って思ってしまうんだけど、
2回目の今回はまたかー!って感じを思い出した先月のことのできごとだったの。
いやデジャビュじゃないわ。
デジャビューよ!
いや言い方の問題じゃなくて、
うーん、
またやらかしてしまったわ無駄にATMの手数料を取られてしまうの。
それならNIKKEに課金したいつーの!
このATMの手数料の値段は高いなぁと思ってしまってジュエルいくらかもらえるのに!って思っちゃうのよね。
でもこれが
本当に新札でピンピンだから入金機械が紙をさばくときに中で上手く1枚1枚紙幣がめくれなくて、
返却されるのであれば、
旧札なら問題ないのかしら?って思っていたけれど、
すっかり旧札も、
もう見かけなくなっちゃったじゃない?
いつまでもあると思うな旧札ってよく言うけれど
いつになったら
私の手もとにも新札くるのかな?って思っていた気持ちすら忘れていた頃だったのよね。
なんかもうすっかり旧札見かけてないかも?
ジャラジャラと小銭を持ち歩くことはないのよ。
お札だって、
口座の入れ替えの時にやるだけなので、
思うのはだいたい1回なのよね。
そしたらもちろん使えるわ!って元気よく返事が来たので、
いつも私がだいたい3杯しかルービー飲まないから伝票付けてないみたいなのよ。
決まって食べるものもいつも一緒だし、
なので
店員さんは自信満々にノールックで私のお勘定を言い当てたつもりだろうけど、
私は今日はビール4杯キメたわ!って指を4!ってして自己申告したの。
ルービーに対しては素直でありたいじゃない?
まあこの時期宴会が多いみたいなので、
私みたいないつも勝手に来て勝手に食べて帰るフリースタイルのお客さんだと
多少店員さんは間違ってても
お店の勝手は分かってるので
自分でお皿やお箸を自ら取りに行くぐらいのそんな中華屋さんだから
あちゃー!手数料もったいないなぁって思いつつ繰り返しちゃったの。
ここのATMコーナーの機械の紙を扱う何かのコンディションが悪かったのかも知れないので、
遠回りしていかなくちゃいけないのよね。
つまり、
別のATMに行くのは面倒なの。
来月のそういうイベントがあるときは違うATMに遠回りしていってもそれが例え面倒でも
変えてみるチャンスかも知れないわね。
来月まで覚えておけるかどうかは自信がないけれど、
店員さんが間違えて勘定し忘れたビールの勘定のことは忘れなかったので
たぶん大丈夫かな?とは思うけれど
来月は二度とこの手数料2回払って無駄になった問題を解決したいわ。
しかと覚えておくわよ。
うふふ。
謎の新習慣「クリスマスにはシャケを食え!」に倣って
この謎の新習慣にちなんでるのかしら?
私はそのクリ鮭キャンペーンに乗っかって
その鮭おにぎりにしたデラックスに鮭が混ぜ込んであってさらには中心にもゴロッと鮭がいるのよ!
シャケー!って感じ。
内田裕也さんが楽屋弁当何がいいですか?ってリクエストされたときばりに
「鮭な!ベイビー!」って言っちゃいそうな勢いよ!
中で梅干しを潰してもよし、
そのまま飲んでもよしって種は出した方がいいけれど
この梅白湯もホッツのこの時期にはとても温まるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
父方の祖父母と両親と妹と暮らしてる家でのクリスマスは、祖母と父が張り切って鶏の丸焼き・ちらし寿司・蟹・刺身なんかのいわゆるご馳走を並べで、汁物も普段より具材に凝ったシチューだったり、生野菜はブロッコリーとお歳暮のハムで花型に盛られて、デザートのフルーツはオレンジの皮の飾り切りの器や白鳥みたいなカットをされたりんごなんかもあったし、シャンメリーの蓋を飛ばして障子に穴が空いたりしてひとしきり笑って食べて飲んでの宴会をする
が、酒を飲まない家族なので大人の飲み物は煎茶、普段家でジュースなんか出てこないのにこの日ばかりは特別にシャンメリーとリンゴジュースが許されていた
ケーキは祖父の知人との付き合いで買ってたヤマザキのホールケーキで、中にパインとかモモとかが入っててあんまり好きではなかったけど場の雰囲気が楽しくて普段甘いものを食べない祖父もその日だけは切り分けたケーキを食べてた
その日はケーキを切り分けるのと食後のコーヒーを入れるのが私の仕事になるんだけど、普段なら夕飯の支度から後片付けまで手伝いするのをやらなくて良いからそれも嬉しかった
いつも母は仕事で、ケーキを食べだす20時ごろに帰ってきて、ケーキだけ食べてひとりで片付けてた
もう一つのクリスマスは、車で15分くらいのところにあった母の実家での祖父母のクリスマス
こっちはケンタッキーのパーティーバーレル買って、スーパーのクリスマス向けの惣菜買って、レトルトスープを温める簡単な料理
一応、祖父母宅へおよばれしてきているという体裁なので昼間に美容院で散髪して、ワンピースとかにおめかしして、食材を共に持ち込んで並べて、クラッカー鳴らして始める
母方の祖父は子供嫌いで、クラッカーの鳴りだす頃には「あとはいいようにやんなさい」と言い置いて自室に引き上げていくので祖母がチキンや惣菜をいくつか摘んで部屋に届けていた
その日は大抵夜更かししても許される日で、土曜の夜の映画を見たりして楽しくすごしていた
今どっちがよいのかと言われるとどっちもまたやりたい
うちは立てるし、誕生日ケーキの蝋燭を消す前にハッピーバースデーを歌うようなノリで、なんかしらのクリスマスソングを歌ってから吹き消してた。きよしこの夜とか、ウィーウィッシュアメリクリスマスとか。
季節が近づくと思い出す懐かしい記憶
例えば、予約した宴会とかレストランとかをどたんばで「やっぱりいいです」と中止してもらう場合、どう謝って、どう償えばいいんだろう。
2年ほど定職についてなかったので、病気の家族がお世話になってるケアマネージャーの紹介で就業支援サービスに通うようになった。この7月くらいから。
精神科の医者に「AHDの疑いがある」という診断を受け、市役所や相談員との繋がりも手配してもらい、来年の4月~5月くらいで障害者手帳を入手できる段取りだそうで、半年から最長で2年まで職業訓練を受けて、B型の支援事業に仕事に入ることができるらしい。
手続の都合で、サービスの開始は12月から、正式な契約も12月からになる。
ところが、11月の最終週に別口から就職が決まった。12月から入れる。
職業支援サービスのほうはキャンセルでいいかとも思ったのだが、診断してくださった医者は「やめなくてもいいだろう」と仰ってくれたので、時間の都合がつくなら大丈夫だろうと早合点していた。
今週末の面談で就職が決まったことを就業支援サービスに伝えると、仕事のある状態でサービスは受けられない、今更キャンセルはできない、多くの人に迷惑がかかるからと詰められた。同席した相談員もお怒りだった。サポートのスケジュールも変更はできないらしい。
就職したくて就業支援を検討して、仕事が決まったから就業支援は辞めたい、というのは今更通らないらしい。どうやら契約も断れないらしい。
決まった就職のほうを断るのが筋なのだろう。そちらは気が進まないのだが、就業支援を受け続けることはもっと気が進まない。7月からこっち、夜間のデータ入力等の半端仕事ばかりで収入に乏しく、就業支援サービス中に報酬が出ない、交通費すら持ち出し。体調の悪い家族の送迎に使う車の保険と車検費用も、彼らの年金から出すことになっていて、心細い。受けた仕事のほうは諦めたくない。
ある森の中に、とても賢い熊のプーちんが住んでいました。彼の友達は少しまぬけなフクロウのグレゴリーと、賢くてちょっと不気味なカラスのラスプーチンでした。
ある日、プーちんは森の広場で大きな宴会を開くことにしました。しかし、彼には何を準備したらいいのかがわかりませんでした。そこで、プーちんはグレゴリーに相談してみることにしました。
グレゴリーは、「蜂蜜を山盛りにしてみんなを招待したら?」と提案しましたが、ラスプーチンは「それよりも、みんなで一緒に考えるための知恵の木を見つける冒険に出かけるのもいいかもしれないよ」と言いました。
それを聞いたプーちんは、「じゃあ、宴会の準備をする前に、みんなで冒険に出かけて知恵を学んで、宴会をもっと素晴らしいものにしよう!」と決めました。
冒険の途中で、たくさんの試練に遭遇しましたが、プーちん、グレゴリー、そしてラスプーチンは力を合わせてそれらを克服しました。ついに、知恵の木を見つけたとき、彼らは森に戻ると、森じゅうの動物たちが喜びに満ちた宴会を開くことができました。