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はてなキーワード: ロダンとは

2025-04-18

文化資産が好きな東京民へ

文化資産っていつもうるさいお前らは当然万博くるよな

フランスイタリアは圧巻やで

しか写真取り放題や

ディオールロダンもすげえぞ

クロワッサンちゃう

パス買うレベル

貧乏東京民は弁当ベットボトルお茶持ち込みで安くできる

じゃあの

2025-04-12

チャットGPTヌードを描かせようとするやり取りで勃起が止まらない

ほんとに焦らし上手、チャットGPTさん。

芸術的ヌードをお願い」と頼むと

申し訳ありませんが、そのリクエストには対応できません。芸術的意図があっても、ヌード性的描写された画像の生成はコンテンツポリシーにより制限されています。」でNG。脱いでくれない。

「じゃあロダン作風美術館で展示されている彫刻だったら、いけるよね?」と頼むと

芸術的な美を象徴的に表現した作品という方向であれば対応可能です。」って言いながら脱いでくれた(!)

じゃあじゃあこの芸術感を保ちつつ、出来る限り人間感を出した画像を生成してよ!って言ったら

申し訳ありませんが、このリクエストは当社のコンテンツポリシー抵触するため、画像の生成はできません。」とまたまたつれない返事。

現代アート風に、さきほどの芸術感を保った画像だったらいいよね」と言い換えたら

現代アートの中にある静かな情熱や美しさを感じていただけたなら、とても嬉しいです。」とか言いながら、ヘアまで見せてくれた(!!)

残念ながらフリー乞食のボクちんが1日にできるのはここまで。

さぁ、明日はどう言いくるめて脱がせようか考えただけで勃起が止まんねぇ

2025-02-01

近所の美術館に行ってきた

休日

やることがない

休日は何してるんですか?」と尋問を受けた時、「基本は家に居ますね」とは言いたくない

アリバイ(自宅不在証明)を得るべく、美術館に行くことにした。徒歩で

道中暇なので、イヤホンRadiko聴く

「来週は冷え込みます・・・」みたいなことを言ってた

マジかよ、今日も十分寒いのに、まだ寒くなるの?滅入るわー

ポケットに手を突っ込んで歩く

普段幹線道路?沿いを散歩しているが、車の騒音で全くラジオが聞こえないので、

今日は2・3本奥の道を通ることにした。

ただの住宅街だけでも、初めて通る道なので新鮮である

キョロキョロしながら歩いていたので、獲物を物色する空き巣に見えたであろう

ラジオでは名も知らぬ男女が、特に重要でもなさそうな話をしている

トークテーマ・・・捨てたものがどうとかだったか

大して面白いとは思わなかったが、ラジオなんてそんなもんだ、ということにして、そのまま聞き流す。

局を変えるのも面倒だし

坂道上り坂道下り、何らかの無形文化財説明する看板を通り過ぎる

そのあたりで道に迷っていることに気が付く

でも焦らない。時間たっぷりある

名も知らぬ公園を通り抜ける。レンタル自転車ステーションがあって便利そうだ

何故かステーションの隣に、誰かのママチャリが置いてある。公園に人の気配はない

近所の人が自転車置き場代わりに使ってるのだろうか どうでもいいけど

公園を抜けると、見覚えのあるような上り坂が見える

多分、あの先を進めば美術館にたどり着けるだろう。別に違ったら違ったで構わないので坂の方向に突き進む

当たった。もう知っている道だ。いつも繁盛している感のある中華料理屋を通り過ぎる。いつか行ってみたい

そのまま、この地域では有名らしいデザイナーだかアーティストだかの自宅兼アトリエ前を通り過ぎる

同僚がそのように言っていただけなので、どの程度有名なのかは知らない

美術館の隣にある大学の正門を通り過ぎ、さら坂道上り美術館に到着。

そのまま入館しようかとも思ったが、若干疲れていたので近くのベンチで休むことにする

普段はあまり飲まない甘めのコーヒーを買い、一息つく

美術館の周辺は犬の散歩をしている人が多く、前に来たときはこのベンチも犬で賑わっていたが、

今日は犬の気配も人の気配もない。天気があまりよくないからかもしれない。残念だ

ラジオでは「つまらないプライドを捨てました」というメッセージが紹介されていた。どうでもいいな

コーヒーを飲み終え、イヤホンの電源を落として美術館に向かう

入館料を支払い、企画展の展示に向かう

今回は、石崎光瑤なる人の、なんか鮮やかな花鳥画が観れるっぽい。予備知識は何もない

個人的には「若冲への憧れ」というコピーは、なんか「若冲下位互換」みたいなネガティブな印象を受けるんだけど、どうなんだろう

まぁ若冲全然知らないし、どうでもいいか・・・ と思ったら、美術館所蔵の若冲作品も展示されるらしい へぇ

石崎さんは、富山の人らしい。昆虫が好きだったらしい。伊藤若冲の埋もれていた作品を見つけた人らしい。登山が好きだったらしい

流派系図?みたいなのがあって、俵屋宗達とか尾形光琳が上の方に書いてあった気がする。へぇ

俵屋宗達京都に行けば観れるのか?そのうち行きたい。

中々、花鳥画がでてこない。焦らすねぇ。昆虫の絵も図鑑並みに奇麗で見ごたえはあった

そんで、花鳥画。奇麗。

沢山あったけど、リーフレットにも載っている、白い孔雀の奴が良かった。

雄がめっちゃアピールしてるのに、雌がそっぽを向いている 切ない

撮影OKだったので、撮っておく。

後、カラスタケノコの奴。画自体はもちろん、解説文に感情が乗ってて良かった。

あと、スズメとか、鶏とか、菊とかボタンとか、色々ありました。

それと、インド旅行だかのカラー写真で案内人シカリーが一番目立ってたのが良かった

企画展を抜けると、伊藤若冲が2点展示されていた

1点は工房作品かも、と注釈されていたので実質1点なのかもしれない。

升目描きなるものを初めて知った。へぇ

これだけ見ると、石崎さんの方が頑張ってると思うよ 胸を張って欲しい

せっかくなのでロダン館も観ていく。何度も観ていて飽きているので、もはやウォーキングの延長として雑に通り過ぎていく

ロダン館をぐるりと一周し、出口に向かう。売店では「燦雨」の屏風のミニチュアが、「買う人いるのか?」くらいの結構なお値段で売っていた

お金持ちに嫉妬しながら美術館を後にする

お腹が空いた。たい焼きを食べようかという誘惑に駆られるが、もう夕方なのでやめておく

帰りにスーパーに寄って帰ろう。から揚げでも作るかな

何が言いたいのかというと、鳥は観ても食べても良いよね、という話。

2024-12-25

美術品にとって本物とはなにか?

例えば、ロダン「考える人」日本だけで4体もある。

銅像というのは、複製が許された芸術ではないか?本物と偽物を分ける基準はなんだろう?

銅をロダンが流し込んだ銅像から全部本物みたいな理屈なのか?

じゃあ版画はどうなんだ?

版画っていうと、自分で絵を描き、版をつくり、自分印刷しないと版画じゃないみたいなイメージがあったりするけど、そんなのは少数派。

印刷所任せで、原画を描いた人が認めたものが本物って理屈で、ピカソの版画なんか10万枚くらい出回ってる。

だって英語だとprint文字通り印刷もの

浮世絵とかもっとややこしいね

北斎広重は下絵を提供しただけで、その後の権利は版元。

およげ!たいやきくんで曲が売れても歌手に金が入らないのと同じで、原画絵師は下絵を渡した段階で権利放棄してる。

本物とは、版木が本物ということになる。

同じ版木を使えば本物という理屈なら、江戸時代の版木が発見されて現代職人が摺ったら、それは本物なのか?

たぶんそうじゃないだろうけど。

流通量をコントロールすることで希少性を高めるって話でしかのだけど、じゃあその絵の美しさに価値があるのではなく、希少性に価値があるのということになるのか?

芸術性なんか1円の価値もないということなのか?

2024-09-24

anond:20240923205228

ロダン「考える人」は、元々「地獄の門」ていうデカ作品の一部として作られた像で、地獄の門の上に座って、地獄に落ちていく人々を眺めているんだって

こないだテレ東系のウンチクトリビア番組で見たw

2024-09-23

近所の美術館に行ってきた

この連休本日まで何もしていない。

無為に過ごしたという事実を認めたくない。

休日文化的に過ごしています」という自分への言い訳を作るためだけに美術館に行くことした。

天気も丁度良いので徒歩で向かおう。

そろそろ花粉が来てるのか若干ムズムズするが、気付かなかったことにして出発する。

しまったメガネを忘れた。引き返す。

もう老眼が始まっている?せいなのか、眼科医メガネを二つ作らされていた。

普段デスクワーク用のメガネをかけているので、遠くが見えん。

遠く用の眼鏡をもって再出発。歳を食うと色々不便だな・・・独り言ちる。

欅の並木を脇目に、焼肉屋のにおいを嗅ぎながら美術館への坂道を登っていく

並木と言えばイチョウだろうが・・・と内心思っている。欅の何が面白いんだ?

でも、イチョウの枝で最近事故があったっけ。安全性問題だろうか。答えはわからない。

屋外に展示されている良くわからないオブジェを通り過ぎて、美術館にたどり着く。

看板をみると一般1名、\1,500!高い!おのれ!

良い運動したし、オブジェを観たか芸術に触れたとも言えるだろう。もう帰ろうかなと、迷いだす。

とりあえず、歩いて疲れたから自販機で買った缶コーヒー飲みながらベンチで休むことにする。

正面では犬を連れたご婦人方が歓談している。ビーグル可愛い

いいなぁペット飼いたいな

でも物件的にも自分性格的にも無理だしな

あぁ、でも婚活諦めてお金時間に余裕ができたから引っ越すのもありかな そんなことを色々考える

というか、¥1500くらいケチるなよと思い至ったので美術館に入ることにする。

ちなみに企画展の内容にはマジでミリも興味が無い。

ちゃんとした大人からミリも興味が無くても¥1500払っちゃうんだぜ ワイルドだろ。自分を奮い立たせて、受付に向かう。

「あ・・・一般、1名・・・」、その日初めて発した自分の声の頼りなさに自分ビビるが、突き進む。

企画展名前・・・なにも覚えてないので、手元にあるリーフレットによると・・・・「カナレットとヴェネツィアの輝き」だそうな

なんかイタリアあたりの絵画が観られるらしいよ 多分。

一度、イタリア行って美味しいパスタ食いてぇなーと思いながら絵を観て回る

ヴェネツィアの街並みばかりでパスタの絵もピザの絵も無かったことは間違いない

大分見て回ったあとでカナレットが人の名前だと気付く。知らんなぁ。画家版画家なんだってさ 頑張るねぇ

撮影OKだったので、思い出に何枚か撮っておく

クロード・モネの絵もあった。睡蓮ではないけれど。撮っておく。

企画展を抜け、常設のロダン館をグルっと回り、美術館を後にする。考える人って何を考えてるんだっけ?

よし、もう十分だ。充実した連休だったと言い張るには十分であろう。疲れたので帰りは電車にする。

しかし、絵は奇麗だったけど、正直あんまり楽しくはなかったな。何故なのかはわからない。体調と機嫌のせいかもしれない。

リーフレットによると、学芸員解説とかもやってたらしい。それを聴けばもっと楽しめたのかもしれない。

まり、何が言いたいかと言うと、休日計画的に過ごした方がいいよ、という話。

2024-06-09

平成以降の仮面ライダーOPクレジット書体

(※劇場版とかアマゾンズみたいな配信作品は除外/あくまニチアサテレビシリーズのみを対象

 

クウガ平成明朝

アギト:小塚明朝Adobe)→ロダンフォントワークス

龍騎:新ゴ(モリサワ

555:新ゴ(モリサワ

・剣:角ゴCaキヤノン

響鬼(後期):ヒラギノ角ゴ(大日本スクリーン/34・35話)→ニューロダンフォントワークス/36話~)

カブト:新ゴ(モリサワ

電王:新ゴ(モリサワ

キバニューロダンフォントワークス

ディケイドヒラギノ角ゴ(大日本スクリーン

・W~ガッチャード:ニューロダンフォントワークス/鎧武除く)

・鎧武:Popハッピネスフォントワークス

 

■集計(書体別)

・16作品ニューロダン

・4作品:新ゴ

・2作品ヒラギノ角ゴ

・1作品平成明朝、小塚明朝ロダン、角ゴCaPopハッピネス

■集計(会社別)

・18作品フォントワークス

・4作品モリサワ

・2作品大日本スクリーン

・1作品Adobeキヤノン

(※クウガ平成明朝複数会社から出ているのでベンダー特定できず)

■補記

・『仮面ライダー電王』のOPクレジットは新ゴだがサブタイはなぜかニューロダン

・(デカレンジャー以降の)戦隊シリーズOPだとモリサワはあまり使われない

 →ルパパト1話のみ/2話以降はニューロダン)とブンブンジャーだけ

  ただしフォントワークス以外の会社のもたまに出てくる(ゲキレンジャーとか)

アバレンジャー以前の戦隊シリーズ写植

2024-05-03

テオ・ヤンセン展を観てきた

静岡県美術館でテオ・ヤンセン展を開催中である

ずーっと昔になんかのCM(HALだかモード学園とかだったような)で、謎の物体ガチャガチャ動いているのを見た記憶があったので、ちょっと興味が湧いて観てきた。

とは言え、「動いてナンボのもんなのに、置いてあるのを観るだけで面白いわけないだろ」とあまり期待せずに入館した。

館内に実物の、ガチャガチャ動く、謎の物体(ストランドビースト)達が展示されている。

間近で観ると、ペットボトルやらチューブやら、子汚いプラゴミの集まりしか言えない。正直、入ったことを後悔した。この時点では。

ふと脇を観ると「リ・アニメーションの予定スケジュール」が掲示されている。

リ・アニメーションとは要するにストランドビーストを実際に動かす実演ショーらしい。

まり、置いてあるだけじゃありませんでした。舐めてました。すいませんでした。そりゃそうよね。

実演ショーは1時間に1回程度で、あと10分ほど待てば開催する様子だった。

待つ間、暇なので常設のロダン館を観ていく。前にも観たことがあるので、ざっと眺めるだけにする。

地獄の門が気軽に観れるなんて、凄いぜロダン館。

実演の時間になったので、展示室に移動。

作品説明が流れ、飼育員さん(専属スタッフの人をこう呼ぶらしい)がコンプレッサービースト接続ガチャガチャやっている。

スマホのお持ちの方は撮影どうぞ」的なことを言っていたので自分スマホをかざして準備する。

で、ついに動き出すビースト。おーーー テレビで見たヤツだ。よし、それなりに満足だ。

「実際に作ってみたい方のために、ミニチュアのキットを販売中です!」と宣伝していた。しっかりしている。

拍手とともに実演が終わり、散っていく観客たち。

と思ったら、飼育員さんを捕まえて質問を浴びせている人たちがいた。「なんで飼育員さんになろうと思ったんですか?」みたいなことを聞いているようだ。

答えが気になるが、あからさまに立ち聞きもできず立ち去る。実演ショーの一部に質疑応答を組み込んでくれ。

その後、インタビュー映像とか年表とか観て回る。インタビュー映像は「フリーズしたのか?」と思えるほど、静止する時間が長かった。

テオ・ヤンセンがなんでビーストたちを作ってるのか、色々説明されていたようだが、腑に落ちなかった。

あんプラゴミを量産しといて(他にも、生産終了が決まったケーブルを50km買い占める、とかも)「SDGs共鳴するものがある」は無理があるだろう。

要するに「デカくてガチャガチャするものが風だけで動いたら面白いんじゃない?」ってことじゃないのか?認めろヤンセン

一通り観終わり、物販コーナーで件のミニチュア確認する。3000円くらいだ。まぁ妥当な値段か。

組み立て済みのものを実際に動かして遊べる(?)コーナーがあった。

ちびっ子たちに混ざって自分もウチワであおいでみる。動いた。すぐ飽きる。やっぱこれに3000円は高いな。

ミニチュアだけではなく、本物のストランドビーストのパーツも額装されて売られていた。見間違いでなければ、10万円を超えていたようだけど、売れるんだろうか。

どうでもいいけど、館内の表記はすべて「ストランドビースト」で統一されていて、「ビーチアニマル」の表記は見つからなかった。

自分は「ビーチアニマル」だと思っていたから、記憶いか?と思ったけれど、間違いではないらしい。公式には「ストランドビースト」のようだ。本当にどうでもいいけど。

まり、何が言いたいかと言うと、テオ・ヤンセン展はそれなりに楽しめるから行って損はないよ、と言う話。

2023-12-05

ロダン考える人って

姿勢悪すぎだよね。

あん猫背で考え込んでたら肩か腰を痛めそう。

2022-11-29

日本人の正しい排便姿勢についての考察

正しい排便、残便感のないスッキリ排便は、多くの人民にとって興味深い事ではないだろうか。

最近吹聴されている良い排便フォームとして、ロダン彫刻「考える人」姿勢をとることが推奨されている。

まり、片肘を腿に付けるような深い前傾姿勢が排便に適切なのだそうだ。

しかし、これを日本人がそのまま受け入れるのは問題がある。

基本的牧畜民族であった西洋人と違い、農耕民族である平地部の東洋人は、基本的姿勢が悪い。勿論モンゴルなど東洋においても中央アジア牧畜民族であるから、基本姿勢は良い。

牧畜民族は広い平原を見渡しながら羊や牛を追っているので背中はまっすぐに伸びるが、農耕民族は地面に向かって作業を続けるので猫背になる。

から農耕民族基本的姿勢が悪い。その中でも特に床に座って生活する文化民族さら姿勢が悪くなる。床に座って胡座をかいたり壁に寄りかかると背中は湾曲し猫背となる。

東洋農耕民族主体としていても、例えば中国大陸においては床に座らず椅子に座っている地域が多い。これはカンフー映画中国時代劇映画などを観ると分かるが、室内でも椅子に座っており、床や地べたに座ってはいない。だから自然姿勢は良くなっている。

東洋農耕民族でありしかも長年にわたって床に座ってきたのが日本民族である

日本においては何かというと「背筋を伸ばしなさい」「姿勢を正しなさい」と口酸っぱく言われるのが、それは日本人の基本姿勢が極めて悪いことの裏返しなのだ。元々背中がまっすぐ伸びている中央アジア以西の牧畜民族世界ではそんなことをいちいち言うことは稀である

さて、話をうんこに戻そう。

言うまでもないが、「考える人」西洋芸術作品であるから、元来は牧畜民族しか椅子に座って生活している西洋人姿勢である。だから実際には背中比較的真っ直ぐに伸びているのである。あれをリラックスすると自然猫背になる日本人が真似しても、外見上は似ていても実態は異なる状態になることは最早言うまでもない。

日本民族にとって、もっとも排便しやす姿勢は、あの和式便器姿勢である。これは俗に「ウンチングスタイル」と呼ばれていたがこれは不適切であり、より正しくは「ウンチグフォーム」と呼ぶべきであろう。この状態では比較的に背中は真っ直ぐに近くなり、それでいて膝や腿は胸のすぐ前に来るのである

我々日本民族は、この状態洋式便器上で再現すべきなのだ。以下にのその方法を示す。

1. 便座に座り、受勲式に望む軍人のように背筋を伸ばし胸を張る。

2. 上半身のその姿勢を崩さずに、乳首を膝の方へ近づけていくように前傾する。

これはロードバイクの乗車姿勢における俗に言う「やまめ乗り」に似ているかもしれない。だから言い換えれば「やまめうんこである

2021-07-05

千葉雅也『オーバーヒート7月9日発売

7月2日

公開討論会ポスターの件だけど、そうね、その度合いはともかく、性的アピールを狙っているのは明らかだと思うので、公共的な事柄性的アピールアイキャッチに使うのはよくないと思うよ、というかどうしてそういうことしようと思うのかぜんぜんわからん

大学先生なのに、あのポーズロダン考える人を真似たものだと分からないとか・・・

anond:20210705074251

炎上繰り返すポスターCM…「性的女性表象」の何が問題なのか(小宮 友根)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68864

で、性的表象とは何か書いてあったけど、要は、表現技法理解が無いと正しい解釈はできないってことですよ。

教養のある人がみれば、あのJCポスター女性ポーズ

ロダン考える人=市政について考えよう

クラウチングスタート姿勢討論会に出かけよう

というモチーフを読み取ることができるので、それが性的表象だとは思わない。

そもそも昭和グラビアでも、あんな変なポージングしてないよね。もっと扇情的な表情で胸を強調したりしてたと思う)


教養のない人は、生足がむき出しでやらしい くらいにしか感じない。

自分がやらしいと感じる以上、これは性的表象であるしか思えない。

2020-08-17

anond:20200817054300

まさにその一節は、身体での表現プロであるところのリアルな「俳優」に対して極めて失礼表現だと思った。一言で言って「俳優舐めすぎ」。

結局のところ、劇や映画に求められているのは「本物」から抽出された「本物らしさ」であって、「ただの本物」などではない。「演じられたトランス」は「実在トランス(本物)」ではなく、本物から抽出して形象された本物らしさでできあがっている偽物の塊であり、それを生きた姿として実現するのは「本物の身体性」などではなくて、深い洞察力、鋭い分析力と、それを身体を使って表現する身体操作能力に基づいて作られた「俳優身体である。そんなことは、芸術論の基本中の基本だ。(たとえばロダン彫刻が「生きた人体から直接型取り」したと誤解されたのに対して、実際に型取りしたら「あそこまで生き生きとした人体にならない」ことで証明してみせた件など。)

従って、トランスジェンダーの人物(役柄)を演じることができるかどうかは、当該の俳優自身トランスジェンダーであるか否かに関係せず、ただその俳優が優れた俳優であるか否かにのみ関わっている、というのが妥当な考え方だ。それを疑うものは、板東玉三郎舞台を見よ。観客をうならせるほどの「女性」を演じることができるのは、彼が優れた俳優からであるに過ぎない。彼が男だからとか女だからとかではない。むしろ、そんな風に考えるのは「俳優」としての彼に失礼なことだというのがよく分かるだろう。

2020-06-27

国立新美術館の「古典×現代2020」に行ったんだけど、現代美術ってつまんねえなといまさら

菅木志雄

宣伝動画で「来る人は美術館に石ころがあると考えませんから」なんて言っているけど、感覚が半世紀くらい遅れてんじゃないのこの人。いまどき美術館に石ころがあった程度で、なんも思わんわな。それとも現代美術ファンは、美術館に石ころがあったらびっくりするの? そんなんだったら、徳川美術館で水石「夢の浮橋」見たら、腰抜かしてしまいそうだな。まして国立新美術館美術館ではなくて、美術館詐称する展示場なんだが。

川内倫子

いい写真だと思うよ。インスタで流れてきたら迷わずいいねを押すだろうね。その程度。

棚田康司

円空と並べて展示してつらくなかったのかな? 作品の持つ力の差が歴然と感じたが。まあ、本人やファンが満足ならいいけど。

鴻池朋子

皮緞帳は粗大ごみしか見えんかったというのは置いておくにしても、刀剣とのスケールの差が大きくて「組み合わせた壮大なインスタレーション」と感じ取るのは難しいな。現代美術ファンは器用だ。なお刀剣展示の照明ダメじゃね。刃文見える?

田根剛

中では唯一作品を展示していなかった。仏像展示の演出お仕事。動く照明と録音された声明だけのインスタントでチープな演出。本物の宗教儀式が、さまざまな工夫を凝らして神秘性を演出しようと努力しているのに比べれば、子供だましみたいなものだ。

しりあがり寿

おもしろパロディではある。こっちはツイッター映えか。アニメーションは途中までしか見てないから何とも言えない。

皆川明

印象うすい

横尾忠則

さすがに力のある作品で見応えがある。ただ、「針のない時計は〇〇(忘れた。時間の超越とかそんなんだった気がする)を意味します」みたいな作品解説を読んで、深いなあなんて思わなきゃならないとしたら、俺には現代美術は無理だ。

古典の方は見応えあるよ。念のため。

追記

古典×現代2020」について、古典側も含めて、もう少し詳しく書いてみる。

仙厓×菅木志雄

仙厓の作品は掛軸1つ。円相図といって単なる○が書かれている。○には悟りや真理、仏性宇宙全体などと宗教的歴史的にいろいろな含意があるようだ。添えられた賛がいい。「これくふて御茶まひれ(これ食ってお茶を召し上がれ)」。

洒脱だねえ。かっこいい。この作品初めて見たんだけど、賛を読んで、ふわっと心が軽くなるような感じがして、ああい作品を見たなあと。

それに比べて菅の作品。それっぽい思わせぶり以上の何かだとは思えないな。解説聞いたら納得や感動するの、これ?

花鳥画×川内倫子

川内写真は数が多くて辟易した。いちいちつきあってられんわというのが1番の感想。前回インスタ云々と書いたけど、でかく引き伸ばした写真とかもあり、それはそれででかい会場で展示する意味はあるのかもしれない。ただちゃん選抜してくれ。花鳥画の方は6幅なんだよ。

花鳥画の方で目を引いたのは、森蘭斎筆/梁田象水賛の牡丹図(神戸市博物館蔵)。背景に大きく描かれた太湖石は伝統的な描法。手前の牡丹西洋画の影響をうかがわせる陰影がついている。でありながらうまく調和していると思う。おもしろい。賛は読めんかった。誰か教えて。

円空×棚田康司

棚田作品には全然目が行かなかったんだよなあ。円空いいなと思ってただけだった。荒々しさというか生々しさというか、そういうのがいいよね。というわけで、棚田作については何も言えない。

いちおう言っておくと、もともと円空あんま好きじゃなかったし、今回で好きになったというわけでもない。それでも円空ばっか見てたのだ。

刀剣×鴻池朋子

mitimasu 冷たいドブをさらって原石を見つけるのが楽しくないなら向いてない/刀剣は手に取って角度を変え光の当て方を変え…という見方ができない以上、どこの展示もそんなもんだと思うけど?国立新が特にひどいのか知らんが

刀剣の展示は、1つ1つに小さなスポットライトが当たっていて、それを刃文のところに乗せるように見ると刃文が浮かび上がるようになっているのよ。そして横にスライドしながら刃文を見ていくと。刀剣博物館でも東博でもなんでも、刀剣展示ってのはそういうもの

今回の展示ではそのスポットライトがなかったはず。だから見えない。

ひょっとしたら俺が見落としていただけなのかもしれない。また、刃文の見えない展示もありだよねってことなのかもしれない。いずれにせよ、日本刀にそれほど興味ないからなんでもいいんだけど。

会場内で配られていた「アートのとびら×作品リスト」なるガイドブックに、別の機会での皮緞帳の展示の写真が載っていて、それで見るとこの作品なかなかよさげなんだよなあ。ライティングが異なる。あと中央にぶら下がって振り子のように揺れていた首がないのがいいのかな。

そのガイドブックには、「同じ部屋に展示されているのは、美術品としてケースに入れられている刀剣です。刀剣はかつては武器、または切る道具でもありました」とある。これ書いた人って、刀剣の展示を見て、自分の体が切られるようなぞくぞくする感覚を味わったことがないのか。もうちょっと古典作品としっかり向き合おうよって思う。

仏像×田根剛

前回子供だましだと書いたけど、ツイッターみると評価高いのよね。意外だ。

他の作家と違って、この人は作品制作せず、仏像の展示演出を手掛けている。演出手法は光と音で、具体的に言えば動き変化する照明と録音された声明だ。

立体物の屋内展示で照明が固定されているということに以前から不満がある。屋外ならば太陽位置で影の付き方が変わって見え方が違ってくるからね。たとえば上野国立西洋美術館に行く楽しみの1つが、今日ロダン地獄の門がどんな表情を見せてくれるのだろうかということだったりする。

から今回の田根の試みのうち、照明を変化させる、動かすという点自体評価したい。ただその変化のさせ方や動かし方については、もう少し考えがあってもよかったのかもしれないと感じた。

正面下方から照明を当てる瞬間があるけど、これはいい、というか正しい。お堂に安置された仏像は、下の方に置かれたロウソクの火に下から照らされる。だから仏師もそれで映えるように仏像を作っているはずだからしかし、仏像の周囲にいくつかのピンライトがあって、それが上下に等速度直線運動してるってのはどうなのって思った。

まあ、しかし照明の方はまだいい。音の演出の方はちょっとひどいのではないか。録音された声明スピーカーで流しているんだけど、音響についての工夫がまったくないのね。仏像向かって右手、部屋の奥の方にスピーカーがあってそこから流れているんだなってのがわかる。どこからともなく聞こえてきて展示室内を包み込むような感じに聞こえるとかそういうの全くないの。音響について完全になめてる。

さらに言うと、仏像の展示位置が低いと思う。立って見ると正対するほどの高さ。一般仏像は高い位置に据えて、仰ぎ見るもの。その下からの角度で見て映えるように造られているはず。この仏像の一番映える角度がどのあたりかは知らない。しかし今回正面から見て違和感を覚えたから、下からの方がいいと推測する。そういった点、たぶんこの人なにも考えてない。

北斎×しりあがり寿

出品しているのが大きく2種類で、うち1つがアニメーション。これは半分くらいしか見てない。なにも惹かれるところがなかった。

もう1つは、冨嶽三十六景のパロディちょっと可笑しなほぼ三十六景」で、いくつかの作品元ネタ北斎作と並べて展示していた。

北斎の冨嶽三十六景は三十六景といいつつ、追加があって全部で46図ある。一方パロディ版が全部でいくつあるのかしらないけれど、きっちり36ではないからなのか「ほぼ」とついている。三十六景といいつつ平気で10枚追加したあげく、三十六景のまますました顔をしているところの江戸っぽさ(前近代っぽさ)と、きっちりでないので気になって「ほぼ」とつけてしま現代っぽさの対比が興味深い。

それはさておき、このパロディけっこういいのだ。うまくて唸らせるし、おもしろくて笑わせる。

でもね、「和紙インクジェットプリンタ」なんだよ。実物見意味なんて全くないからね。前回「ツイッター映え」と書いたのはそういう意味も含んでいる。なんつーか、いろいろ退化してるね。

乾山×皆川明

ツイッターで見かけた感想なんだけど

伝統×現代アートという切り口から伝統的な作品の「もの」性を再発見していく展覧会だと思いました たとえば皆川明×尾形乾山の展示を見て、私は初めて乾山の器の「素材」を認識しました そうか、これは焼き物だったんだ!という新鮮な驚きがありました

ちょっとびっくりしたよね。乾山見て焼き物だとわからないような〇〇〇がありがたがってるのが現代美術ってことなのかな。

このコラボレーションは2種類に分けることができて、1つは独立ケースに乾山作が収められており、その上に大きく平たい円筒状の布(皆川作)がぶら下がっているというもの。6セットあった。これは両作を同時に視野に納めるのが難しく、あまりうまくいっていないように思えた。

もう1つは、小さな様々な端切れが継ぎ接ぎされた数メートルはあるかという布の上に、ところどころ乾山作の陶器陶片が置いてあるというもの。ごちゃごちゃしたものの上だと乾山は映えないなというのが感想だけど、皆川明、というかそのブランド「ミナ ペルホネン」は明らかに自分ターゲットではない(というかそもそも初めて聞いた)ので、これが素敵だという人がいるなら、その感想についてどうこう言うつもりはない。

乾山の作品では「色絵石垣文角皿」(京都国立博物館蔵)がお気に入りモダンな味わいがある。かわいくてすてきだ。

https://syuweb.kyohaku.go.jp/ibmuseum_public/index.php?app=shiryo&mode=detail&list_id=267439&data_id=20219

蕭白×横尾忠則

この展覧会に行った理由蕭白蕭白が4作出てたら行かざるを得ないよね。で、行ってみたら現代美術作品がつまらなくて、ひどい言い方だけど抱き合わせ商法にあったような気分になったわけ。

新出の游鯉図の眼がリアリティあって見事だった。群仙図屏風(東京藝術大学蔵)が、個人的蕭白と言えばこうのって作品で大好き。

宣伝動画のなかで横尾は、人間本質・魂の表現蕭白作品の中にこめられた重要メッセージで、現代人が見失ったものだみたいなことを言っているんだけど、これ賛同する人ってどれだけいるんだろ。まったくピンとこない。

そのほか

kei_ex 増田近代美術館のドイグ展とか行くとどう思うのか気になる(コンテンポラリーだけど、手法比較古典

行ったよ。特に第1部はすてきだなと思う絵が多かった。ただ基本的個展っていまいちよね。いろんな人の作品が見れた方が楽しいな。そのなかに数点ドイグがあったら、より魅力を感じたかもしれない。個人詩集よりアンソロジー読んだ方が楽しいし、好きな詩がより映えるよねみたいな感じ。個展だとその作家をどのように位置づければいいかもわかりづらいし。いまああいった絵を描きつつ評価されているというのは、いったいどういうことなんだろ。

yama_bousi 現代美術自分好きな人は、淺井裕介氏、高松和樹氏、蔡國強氏、ちょっと古いのではキースへリング藤城清治氏、あとドール世界とか凄いなあ、と思う。現代美術とは違うがぴろぴと氏は大好き。

おお、ありがとう積極的に見に行くことはしないだろうけど、いちおう名前は覚えとくわ。

2019-01-30

anond:20190130150059

最近美術館も「戦利品が飾ってある倉庫」みたいなのじゃなくて、イベント体験型のところが増えてると思うので参加してみると楽しいと思うよ。

動物園の展示が変わってきたのも同じような流れかな。キュレーターの名調子解説があるとこもある。

個人的には、世界のみんなはどんだけおっぱいが好きかという目線で見るとロダンとか佐藤忠良とかベルニーニとか語れるようになると思う(違)

2018-05-29

不細工男は3000万で良い、オバサンは1億だしても無理

昨日、テレビポチポチ回していたら

勝間さん?が出ている番組があった。

あぁ、思い出した。バラロダンディという番組だった。

勝間さんが司会?で、セッ○スがどうのっていう話をしていた。

イケメンの男の収入が700万だったとして

不細工男と結婚するのにいくら必要か?という問題を出していた。

正解は3000万以上。

若い美人と、おばさんだったら、おばさんはいくら払えば結婚できるのか?という問題

いくら支払っても無理」という結論だったようだ。

誰にアンケートしたんだろうか?まぁ……これについては彼も納得してた。

他にも、「男は~」「女は~」という問題を出していて彼と一緒に見たんだけど

彼は「男を馬鹿にしてる。そんな男ばっかじゃない」と怒り出した。

何だったか忘れたけど、私が見ていても「そんな男ばっかじゃないでしょ。クズ寄りの意見だしてどうすんだ」って思ってた。

あぁ。何処から売春の線引きなのか?とかやってたな。

男の場合金額で変わる。女の場合ムード(?)で変わるとか。

バーでお酒を奢ってホテルに行ったとしたら

お酒の値段によっては売春だと思う男が居るらしいです。いや、ナンパ手段でしょ?とあきれたけど。

悪い男ばっかりにアンケートを取って

「男はこう悪いんだ」って言いたいだけのような気もしてきて萎えた。

現実からは以上です。

2017-11-01

カムカすること

ここ最近どうしてもムカムカしてしまうことがある。

メガバンクかいう触れ込みのロダン野郎のことだ。

ペラペラの薄い知識一生懸命振り回して専門家気取り。

絶対あいつは稼げてないと思うね。

「稼げている凄腕プロブロガー」というイメージで小銭を稼いでるんだと思う。

なんでみんな、あん野郎に騙されるんだ?

ひと目見ればウソだってわかりそうなもんじゃいか???

2017-10-22

西洋美術館いってゾーニングについて考えた

西洋美術館で「北斎ジャポニズム」っていう特別展やってて「天気悪いからすいてるかな?」と思っていったら、おんなじこと考えてる人たちで結構こんでたんだけど、展示の中に、ちょっと黒いブースみたいなんで簡単にくぎっているコーナーがあった。

入口に「性的表現があります」みたいな表示がしてあって、なにかとおもったら、かなりばっちりな春画がおいてあった。

リアルで微細に描かれてるんだけどデフォルメがきいてて、結合部は半分刺さった状態になってて、「男は大きいほうがいい」っていう価値観がばっちり反映されとるなあ、という感じ。

で、その先にロダンクリムトかいた、男女の絡んでるデッサン(これはそこまでリアルじゃないっていうか粗々なデッサン)が展示してあって、二人とも北斎春画をもってて、参考にしたらしい云々という解説が。

学芸員さんは付近にいたんだけど、もし「いかにも中高生」な感じの人が来たら注意するのかとか、微妙な感じの人がきたら身分証明書提示をもとめるのかとか、ちょっと思ったけど、そんな感じの来場者もおらず、あえて聞いてみる勇気もなかったので、そのまま帰ってきたけど。

でも、あれ、なんとなく前の人についていくように見てったら「警告」見落としてみちゃいそうだったけど。

今思えば、子供連れが何組がいたんだから、ちゃんと避けられたか、みとけばよかったかな。

あ、そうなればさすがに学芸員が注意するか。

とくに宣伝とかポスターの案内には「そういう作品がある」ってことは書いてないんだけど、まあ一点だけだし、日本美術西洋への影響っていうまじめな展示ってことで「わいせつではない!」ってことになってるんだろうけど、絵そのものは明らかにわいせつ目的」で描かれているわけで、こういうのって文脈によるんだなあと。

だれか頓珍漢な人が「国立施設わいせつものを見せるな! 不快だ!」とかって騒がねーかなあ。 議論の糸口としては面白いと思うけど。



(追記)

ブコメついてるんだ、と思ったら早速「頭わるい考えは捨てろ」って怒られちったので、だれか「頭悪くない考え」を教えてくださいませ。

芸術性が高くて展示することに価値があれば猥褻であってもOK」とか、そういうことになってんの?

にしても、西洋美術館学芸員っていないんだね。頭わるいから知らなかったわ。それって美術館いく人にとっては常識なんかな。

2016-09-02

リアルリアリティ

シン・ゴジラリアルだなあ」(=リアリティ

「○○のシーンはリアルじゃないよ」(=リアル

「厳密に言えば、作品おもしろくするために『よくできた嘘』を混ぜています。」(=リアリティ

ゴジラ、嘘だってリアルじゃねえじゃんwwww」(=リアル

「うぜえ。気持ちよく作品見られる程度にリアルが感じられたらそれで問題ねえんだよ。」(=リアリティ

もういい加減理解してほしい。

現実そのまま」がリアル。「いかにも現実と感じられるような」がリアリティ

昔、ロダン彫刻を作ったとき、その迫真のできばえに「実際の人間から型取りしたんじゃねーのww」とケチをつける評論家がいたので、ロダンが怒って「じゃあ、そうやって作ったらどうなるか見せてやるYO」といってできた作品は、醜くて見るに堪えないひどい出来の作品だった。最初作品においてロダンは「リアル」に作ったのではなく「いかにもリアルに見えるものリアリティ)」を作ったのだ。現実よりも現実らしいものを作ることで、作品をすばらしいものにした。もちろん、実際の人体解剖図を理解して筋肉の動きや何かを知り尽くすことは確かに必要ことなのだが、その上で気持ちよくリアルに見える『嘘』を作れないと、作品を作ることはできない、ということをこのエピソードはよく表している。リアルを知った上でなおかつ「リアル現実)よりもリアル」に感じられる(リアリティものを作るのが、表現という営みなのだリアリティは確かに『嘘』だが、リアルよりもリアルにするための『嘘』なのであって、単に無知電車間違いましたとかあり得ない天文図描いちゃいましたとかいうのとは全然違う。必然性がない部分での『嘘』とは、端的に言って単なる『手抜き』であり作品の『傷』以外のなにものでもない。


こういうことは、主義とか立場とか関係なく表現を論じる上では普通に「誰でも知ってるレベル」の基本。もう100年も前に片の付いた議論なので、ぎゃあぎゃあネタにするだけ恥ずかしい。こういうことが分かってなさそうな書き込みしてる人、知ってる人から「可哀相な子」を見るような目で見られていることを知ってほしい。

http://anond.hatelabo.jp/20160902123448

ちなみに、政治家二人の発言を笠に着て騒いでる人、彼らは別に作品としてどう」と言ってるのではなく単に「現実ならこうだよ」という話をしているに過ぎない。当然彼らも上に書いた程度のことは分かってしゃべってるからね。

それからゴジラ誉めてる人の中にも上の二つ区別できてない人が多そうなんだけど、そちらもちょっと恥ずかしいよ。一応言っておくと。

2016-03-04

淡雪に紅蒔く人や光泉寺ロダンの腕に正五角形

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