はてなキーワード: 主体とは
マクロ経済学の主体は「国家」なんだけど、国家を対象にすると「GDP」「人口」「労働生産性」「インフレ率」「税率」「為替レート」みたいな統計量の分析が主になるって認識
maxₓ U(x)
subject to p ⋅ x ≤ w
どの理論も結局はこの枠組みの変奏曲です。
要素 | 抽象化レベルでの定義 |
エージェント | 効用最大化または利益最大化主体(消費者 or 生産者) |
資源 | 有限性のある投入物または選択肢 |
制約条件 | 予算、技術、生産可能性フロンティアなど |
選択ルール | 最適化行動(最大化 or 最小化) |
相互作用 | ゲーム理論的な相互依存、一般均衡理論 |
エージェント集合 A、財集合 G
市場クリア条件: Σ (xᵢ) = Σ (eᵢ) (i ∈ A)
どんな市場であろうと、制度であろうと、「希少性」と「選択」は避けて通れません。
✔️ 抽象形態 → 「制約のもとでの最適化行動と、その相互作用」
☆私はオカマ系ではありませんし 来客は事務所に来られるので なぜ 来客が自宅に入れるのか?。私の自宅に入れるのは デブ・ブス・おババ・オカマ以外の 若いキレイな娘か可愛い娘だけに限定しています。
https://www.newcenturyrecord.com/20181212.html
「20年以上前ですが、早川さんは『ニューセンチュリーレコード』所属の女性タレントから“売春を強要された”と週刊誌で告発されているんです。早川さんは、CDの発売には金が必要だと多額の金銭を支払わせ、発売したCDの半数を買い取りさせるなど、タレントたちを食い物にしていた。この問題は裁判にも発展しています」(レコード会社関係者、以下同)
2005年の『毎日新聞』によれば、女性3人が『ニューセンチュリーレコード』と早川氏に損害賠償を求めて提訴したところ、裁判所は同社に約300万円の支払いを命じたとされる。一方で早川氏も名誉を傷つけられたと損害賠償を求めて女性らを提訴したが、裁判所はその請求を棄却した。
「私は9年間、性奴隷だった」観劇後に泥酔させられ太客の相手を…全裸写真で脅された被害者が「大衆演劇の闇」を決死の告発【画像あり】
https://news.livedoor.com/article/detail/27583071/
【独自】浮かび上がる「恐怖の性奴隷システム」大衆演劇界で起きた「全裸脅迫事件」の全貌
https://article.auone.jp/detail/1/5/9/124_9_r_20241120_1732085783345775
@aiwa75
私がこの歳まで処女守れたのは中居正広君が「結婚するなら処女だよな」と言ってくれたからそれ信じて生きてきて嵐オタになりましたが叩かれても男の本音を言ってくれた中居正広君には感謝してます、はい。
松本人志 松本人志・高須光聖の放送室 第102回 2003年09月11日OAより
「女の30歳は男の50歳くらいかなって言うたら 客が ええ~!!!って。まあ女は言うわな。 あいつらはもう、保身保身やからな。 女子高生好きなんて言おうもんなら口リコンや言われるやろ。 ぜんっぜんちゃうからね!!ぜんぜんちゃうもんね!!
そりゃもうあいつらにしたら必死やわな。 女子高生好きを口リコンにしてしまわんと自分らの立場が無いからね。 ロリコンちゅうのは小学生とかそんなことを言うねん。まだ毛も生えてへんような。」
「トー横」支援施設や団体で相次ぐ性暴力 〜事件は本当に「避けられないこと」なのか?
https://imidas.jp/bakanafuri/1/?article_id=l-72-047-25-02-g559
2024年9月、新宿区歌舞伎町の「トー横」(新宿東宝ビル横)に集まる子どもたちを支援する名目で東京都が開設した「きみまも」という施設内で、利用者の少女に対し下半身を触るなどのわいせつ行為をしたとして20代の男2人が逮捕された。男の一人は「時間つぶしで施設に行ってふざけあっていただけ」などと供述し、もう一人は容疑を認めていたと報じられたが、のちに不起訴となった。不起訴になった理由は明かされていない。
逮捕された一人は、遡ること5月に「トー横」で暴力団組員の男と共にトラブルを起こし現行犯逮捕された人物で、地元をよく知っていれば彼らがどんなつながりをもち、歌舞伎町で何をしているのかわかる相手だ。なぜ、そういう人たちが入り込めたのか。
そこでさらにショックを受けたのは、普段から「トー横」に集まる少女たちを狙って声をかけ、「売春」を斡旋することで生活している男たちが入場していたことだ。中にいたのは10人ほどだが、全員男性だった。未成年と思われるのは1人か2人で、あとは成人。それも25歳以上と思われる男性がほとんどで、とても少女たちが利用できる雰囲気ではない。
案内してくれた人に女性の利用者について聞くと、「ほぼなくって……私たちも思っていたのと違うんです」と残念そうに言った。都は専門の相談員を配置していると宣伝していたが、この日いた3人の相談員はColabo(コラボ)の活動も知らず、同行した40代男性を青少年と勘違いしてしまう有様で、「トー横」に関わる人物や少女を性搾取する構造も理解していないようだった。だから施設にいる男性らが誰なのかも分からなかったのだろう。
「きみまも」が開いている時間、「トー横」に来た少女を「売春」に送り出した男たちは施設内で暖かく過ごし、21時に閉館すると少女が体を売って確保した宿に向かう――。そうした状況が放置されたまま、5月の正式オープン後も性売買業者とつながる男たちや少女を搾取している男たちが出入りし続けていた。さらに、ここに来れば家出した若い女の子たちと話せるからと、「トー横」に縁がなかった成人男性たちもゲームをしに日参するようになった。
若年女性支援事業は、Colaboのような女性主体の民間支援団体が活動を通して実態を示し、必要性を訴え続けたことで制度化された。22年には日本で初めて――世界的に見ると遅すぎるが、女性支援の根拠法「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(女性支援新法)」が成立し、しかしそれに伴いColaboに対するデマ拡散や妨害はこれまでにないほど深刻化した。背後には性売買業者やそれにつながる権力者たちがいる。24年の新法施行を前に、私たちの社会的信用を落とそうと必死だったのだろうと思う。
残念ながらその攻撃は成功している。若年女性支援が注目され、予算化される見通しが立ったころから、怪しい男性たちによる団体が複数立ち上がった。歌舞伎町だけでも片手で数えきれないほどにはある。半グレ組織とつながる人物が関わる団体も多く、彼らは「女性支援団体」を名乗り始めた。少女たちに声をかけたり、食事を与えたりしながら、彼女たちをコントロールし、そこで被害に遭った少女たちからの相談を受けることもあった。
つい最近も「トー横」に集まる少年少女の「支援団体」を名乗る団体の元代表の男が、17歳の少女にホテルでみだらな行為をした疑いで逮捕された。被害に遭った少女とは歌舞伎町で出会い、食事を提供したり、交通費として現金を渡したりしていたという。
むしろ通報する男が裏切り者扱いされて糾弾されるのはPornhub騒動でも明らか
女子高校生の「帰りたい」聞き入れず…5日間で45人相手に売春させる 容疑で男3人逮捕
アダルト動画サイト「Pornhub」が一部の動画を非公開にした騒動
Pornhubの問題を指摘したジャーナリストに殺害予告「全人類の敵」
https://news.livedoor.com/article/detail/19397765/
https://anond.hatelabo.jp/20250306140913
https://anond.hatelabo.jp/20250412172633
例に挙げられてるフェミ騎士の性犯罪はフェミ営業の対象とは無関係の知らない女が相手だね
そして関係性のない相手や未成年相手の職種での性犯罪加害者はほとんど非フェミの男
男女論界隈の風俗嬢たちばなさん、ラオス行き斡旋した挙句結局行かずにしれっとツイ消し
https://posfie.com/@anchfemi/p/v7nqsUf
Colabo暇空茜騒動がいい例だが、未成年女子保護団体を反社と一緒に妨害するが、反社がColaboを追い出した後に設立された団体は当然売春の温床になり逮捕者を出した
彼らは女衒やそれとタッグを組んだホスト業界の規制に向けた法整備に反対するポストをし、それが多数のいいねが集まる
性犯罪の規制や厳罰化や監視カメラ等の対策に関しても同様の反応一緒になる
「トー横」支援施設や団体で相次ぐ性暴力 〜事件は本当に「避けられないこと」なのか?
https://imidas.jp/bakanafuri/1/?article_id=l-72-047-25-02-g559
2024年9月、新宿区歌舞伎町の「トー横」(新宿東宝ビル横)に集まる子どもたちを支援する名目で東京都が開設した「きみまも」という施設内で、利用者の少女に対し下半身を触るなどのわいせつ行為をしたとして20代の男2人が逮捕された。男の一人は「時間つぶしで施設に行ってふざけあっていただけ」などと供述し、もう一人は容疑を認めていたと報じられたが、のちに不起訴となった。不起訴になった理由は明かされていない。
逮捕された一人は、遡ること5月に「トー横」で暴力団組員の男と共にトラブルを起こし現行犯逮捕された人物で、地元をよく知っていれば彼らがどんなつながりをもち、歌舞伎町で何をしているのかわかる相手だ。なぜ、そういう人たちが入り込めたのか。
そこでさらにショックを受けたのは、普段から「トー横」に集まる少女たちを狙って声をかけ、「売春」を斡旋することで生活している男たちが入場していたことだ。中にいたのは10人ほどだが、全員男性だった。未成年と思われるのは1人か2人で、あとは成人。それも25歳以上と思われる男性がほとんどで、とても少女たちが利用できる雰囲気ではない。
案内してくれた人に女性の利用者について聞くと、「ほぼなくって……私たちも思っていたのと違うんです」と残念そうに言った。都は専門の相談員を配置していると宣伝していたが、この日いた3人の相談員はColabo(コラボ)の活動も知らず、同行した40代男性を青少年と勘違いしてしまう有様で、「トー横」に関わる人物や少女を性搾取する構造も理解していないようだった。だから施設にいる男性らが誰なのかも分からなかったのだろう。
「きみまも」が開いている時間、「トー横」に来た少女を「売春」に送り出した男たちは施設内で暖かく過ごし、21時に閉館すると少女が体を売って確保した宿に向かう――。そうした状況が放置されたまま、5月の正式オープン後も性売買業者とつながる男たちや少女を搾取している男たちが出入りし続けていた。さらに、ここに来れば家出した若い女の子たちと話せるからと、「トー横」に縁がなかった成人男性たちもゲームをしに日参するようになった。
若年女性支援事業は、Colaboのような女性主体の民間支援団体が活動を通して実態を示し、必要性を訴え続けたことで制度化された。22年には日本で初めて――世界的に見ると遅すぎるが、女性支援の根拠法「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律(女性支援新法)」が成立し、しかしそれに伴いColaboに対するデマ拡散や妨害はこれまでにないほど深刻化した。背後には性売買業者やそれにつながる権力者たちがいる。24年の新法施行を前に、私たちの社会的信用を落とそうと必死だったのだろうと思う。
残念ながらその攻撃は成功している。若年女性支援が注目され、予算化される見通しが立ったころから、怪しい男性たちによる団体が複数立ち上がった。歌舞伎町だけでも片手で数えきれないほどにはある。半グレ組織とつながる人物が関わる団体も多く、彼らは「女性支援団体」を名乗り始めた。少女たちに声をかけたり、食事を与えたりしながら、彼女たちをコントロールし、そこで被害に遭った少女たちからの相談を受けることもあった。
つい最近も「トー横」に集まる少年少女の「支援団体」を名乗る団体の元代表の男が、17歳の少女にホテルでみだらな行為をした疑いで逮捕された。被害に遭った少女とは歌舞伎町で出会い、食事を提供したり、交通費として現金を渡したりしていたという。
https://note.com/koyatsukamoto/n/n9dccf9a8c607
被害にあった男性は、女性経験がなかったり、女性像に偏見を持っていたり、男尊女卑的な傾向があります。そこに彼らが好きそうな女性像を完璧に作って近づく(美人ではない自分の容姿も、彼らの自尊心を満たすための武器として利用しています
https://anond.hatelabo.jp/20250306140913
『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』は、単なる近未来SFアクションではありません。そこには、近代的主体の葛藤と倫理をめぐる深い思索が埋め込まれています。本記事では、近代政治思想の重要人物である丸山眞男とマックス・ウェーバーの視点から、この作品を思想的に読み解きます。
- 「であること」に安住せず、「すること」を選ぶべきだと説いた。
キャラ | 倫理タイプ | 主体性のあり方 | 思想的対応軸 |
---------------- | -------------------- | ---------------------------------- | ---------------------------------------- |
草薙素子 | 責任倫理 | 判断し責任を取る | 丸山の「すること」/ウェーバーの政治家 |
クゼ・ヒデオ | 信念→責任 | 象徴として目覚め、責任を取る | 信念倫理→責任倫理 |
合田一人 | 倫理の外部 | 操作と演出、責任回避 | 無責任の体系/合理性の怪物 |
個別の十一人 | 擬似信念 | 外部入力による行動 | 思想の空洞化と感染モデル |
『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』は、「考えること」「信じること」「責任を持つこと」がどれほど困難で、それでも必要であるかを描いています。丸山とウェーバーという二人の思想家の視点を通すことで、この作品は私たち自身への問いに変わっていきます。
夢だけでなく、腐の見る専で同人誌買ってた事もあるし、男性向けジャンルに居た事もある。
ただ最近は古いジャンルばかり漁ってるから最近の界隈の雰囲気について知らない事も多いのでそこは大目に見てください。
まず夢女子の語源となった夢小説とは何なのかという話からしたい。
おそらく、夢小説を読まない人にとっての夢小説とは「原作キャラクターではない人物を登場させ、自分の名前をつけるなどして、キャラクターとの恋愛を楽しむ小説」という認識ではないだろうか。
長年の夢小説に慣れ親しんできた人の中には、この定義はちょっと合わないなと感じる人もいるだろう。
そもそも夢小説の定義は書き手や読み手の間でも長年フワッフワの状態のまま宙を漂っていたし、夢小説がそうなのだから夢主の定義もまたフワッフワだ。
ある人は夢主は自分だから没個性でなくては認められないと言う。自己投影する。
ある人は夢主は単なる舞台装置にすぎないので、性格はどうでもいいし、自分とも思っていないと言う。感情移入はしても投影はしない。
ある人は疑似恋愛を楽しみ、ある人は原作にはあり得ない状況(非恋愛多数)を楽しむ。※1
つまり夢小説を定義づけるにあたって「夢主や小説の内容、自己投影の有無は基準にならない」。
我々が楽しんでいる小説に共通するのは「夢主の名前が変更できる(名前変換)」または「夢主の名前を登場させない(ネームレス)」という機能だけなのである。※2
よって夢小説とは、「名前変換」あるいは「ネームレス」を機能として有する小説の総称である。というのが私の認識している夢小説の定義だ。夢小説とは文庫本やウェブ小説に近い言葉だと思っている。
※2補足。この前提があるので、「名前変換機能がある乙女ゲー」の乙女ゲー主人公を主人公とした「名前変換なしの二次創作小説」は夢小説ではなく、カップリング小説であると見る向きが強い。なお、名前変換機能がある乙女ゲーの名前変換ありの二次創作小説は原作準拠のカップリング小説、もしくは夢小説である。こちらは書き手の認識による。
初出は定かではない。
ドリーム小説スレを遡ったら2015年に「夢女子」という言葉が使われている。一応2010年まで遡って検索したけど0だった。
吐き捨てスレでは2012年に1件書き込みがあった。こちらは2008年まで遡った。
少なくとも2012年には存在していた言葉のようだ。有識者求む。
なお、2016年のスレには「夢女子って自称しにくいよね」という話題が出ており、夢女子という言葉が頻出している。
この当時の認識としては、夢女子は以下のような人を指すための言葉だったようだ。
・夢小説を読んでいる、または書いている人
・夢絵や夢漫画を描く、見る、読んでいる人
・キャラにリアコしている人
私が初めて「夢女子」という言葉を強く意識したのは、2014年頃アニメイトで「夢⭐︎恋-ドリコイ」を見た時。「商業もついに腐女子のみならず夢まで手を伸ばしてきたか……」と思った。
ただ「夢女子とは二次元キャラに本気で恋するオタク女子」という説明には違和感があった。それが夢の全てじゃないと感じてたんだと思う。友達に夢小説のゆの字を出したら蔑みの視線を向けられるような時代だったのもあり、ドリコイを手に取る事はなかった。
その頃まで、夢小説読み友達や個人サイトのブログからも「夢女子」という言葉はあまり見聞きした覚えがない。
言葉の意味は変化するものだ。夢女子という言葉もまた2016年頃の定義から変化してきた。
現代では「夢女子」とはほぼ「リアコ」と似た意味を持つ言葉になったのではないかと思う。(なぜ変化したかについて詳しくないので記述できないが、最近の使い方を見るにこの定義に間違いはないのではないかと思う)
2016年当時の3種類のうち、「キャラにリアコしている人」という意味が特に強くなり、他の意味は付属品のような扱いになったように感じる。
夢小説に絡めて言う「夢女子」とは、「リアコなので夢小説という疑似恋愛も嗜む」という認識なのではないか。
しかし前述の通り、夢小説を読み書きする者(以下夢小説好きと呼称する)は必ずしもリアコではない。夢小説好きには、自己投影する人もいればただ物語として楽しむ人もいる。
よって現代の「夢女子」は「夢小説好き」を完全にカバーした言葉ではなくなった。
男性オタクは「全員」夢女子的な思考がある。は主語が大きすぎるので否定するとして。
「多くの男性オタクは夢女子的な思考をする傾向があるか?」を考えてみると、そもそも夢小説や夢女子の定義が曖昧なので、人によって真にも偽にもなるとしか言えない。
夢女子=リアコと考えるのであれば「男性オタクは全員夢女子的な思考をしている」という認識を受け入れられないのは当然。
一方、夢女子=「キャラと関わる「何者か」に感情移入しがちである」という認識であれば、男性オタクはかなり近い思考がマジョリティではないかと思う。
数年ほど艦これの提督をやらせていただいていたのだが、男性向けジャンルでは「何者か」を登場させて感情移入する楽しみ方を否定しない傾向があると思った。カプ者とTヘッド(オリキャラ提督)と画面の向こうの提督※3など別々の楽しみ方が共存していた。まぁ水面下での争いはあったのだろうし、それぞれ嫌う人もいただろうけど、少なくとも「何者か」に感情移入している人達を明確に気持ち悪いと言ったりとか、蔑みの視線を向けたりとか、そういうことはなかった。「推し」という言葉が登場する前はキャラは「嫁」だったし「ママ」だった。自分を主体にキャラとの関係性を考えるというのは夢女子的な思考ではないかと思っている。ただ男性向けはそこをはっきり区別したがらないという印象がある。本気で嫁と思っててもいいし思ってなくて純粋にネタで言っててもいい。そういうグラデーションを許容していたように思う。だからこそ居心地が良かったのだと思っている。
ラブプラスはキャラ×自分の典型的なゲームなので現代的な「夢女子」という言葉にばっちり該当すると思う。
※3 画面の向こうの提督は「何者か」に該当する。役職や立場のみ決まった「何者か」である。
ここまで語ってきて、ちょっと夢主について整理したくなった。計画性なく書いててごめん。
私が思う「夢小説」の「夢主」とは、即「自分」(=読み手、書き手)を意味するわけではない。もうワンクッション置いた存在で、「何者か」と言うのがいいのではないかと思ってる。あくまで私視点の話であって、夢主=自分と認識している人も勿論いる。
書いてる時は個性を意識するし名前も固定で書くんだけど(名前変換の準備の手間が減るし)それでも夢主は「何者か」であってキャラクターではないし自分でもない。読み手がキャラクターとして読みたいならキャラクターに、自分として読みたいなら自分になる。そういう存在だと思っている。
夢というジャンルの存在感が大きくなりすぎて、夢、夢女子、夢小説といった言葉の曖昧な定義が肥大化したり、完全にとまでは言わないものの語源の夢小説から意味が離れてきてしまった。
人によって定義が異なり、かなりブレブレである。だからこそ夢男子のポストは様々な意見が集まった結果バズったのでは?と思う。
現代の「夢女子」という言葉は「夢小説好き」とかぶる部分はあっても、イコールではない。なので2025現在では夢女子と夢小説好きは違う。という話でした。
ちなみに蛇足として、私の夢小説の原点は「ピカチュウが現実にいたらいいのになぁ」です。
ピカチュウと恋愛したいとは特に思ってないけど、一緒に遊んだりバトルしたりしたい。そういうのも私の認識する「夢」に含まれる。でも世間一般では「夢」はほぼ確実に恋愛を含む言葉になっちゃったから「夢」「夢女子」って言葉は使わないようにしてる。
以上です。乱文失礼しました。
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:おにぎり弁当。春雨スープ。夜:トマト。ギョニソ。チーズ。冷奴。納豆。人参、玉ねぎ、エノキの和風スープ。間食:あんみつ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、うーむ。
テキストが主体のアドベンチャーゲームプロパーとしては、AI1.5とレイトンが無印だけじゃなく2でも出るよがお大きなニュースだった。
ただ令和版サバイバルキッズが明らかにお風呂に毎日入って身綺麗にしているタイプの人間が主人公なのしっくりこないなあ。
平成の頃のサバイバルキッズはお風呂に入れないジメジメした不衛生さがあったんだが……
ゲーム日記は全てのお風呂に入らない不衛生な女性を肯定する。(ただし病気はNGなのでお医者さんのお世話にならない程度でお願いします)
あいだみつをさんの「にんげんだもの」じゃないけど、「まあ AI じゃないからなー」という気持ちを持てば、たいていのことは許せると気づいた。
コンビニで指定した銘柄と違うたばこが渡されても、奥さんの会話が同じ話を繰り返してても、子供が理不尽に泣いても、「まあ AI じゃないからなー」と思って許している自分に気づいた。許しているというか、あきらめているというか。
そういう意味では、コミュニケーション主体としては AI はすでに人間を超えていて、人間は AI と比べて劣っているけどそこに愛おしさがある生き物、として見ている。
この感覚はコミュニケーション以外にも広がると思う。すでに将棋では、AIが示す最善手を見ながら解説するプロ棋士が「この手は人間には指せませんよ~」とコメントすることはよくあって、実際に対局者は最善手を指せずに逆転が起こったりしている。そういう対局を「人間ならではの将棋」として味わい深く見ている。少なくとも私は。
いまのAIは絵を描いたり音楽を作曲したり、プログラミングをしたりできるけれど、まだ人が作った絵や曲、コードを、「まあ AI が作ったものじゃないから完璧じゃなくても仕方ないよな~」という気持ちで見ることはない。でも、そのうちそうなるのかもしれない。
興味深い仮説ですね!「遷都を成功させるには、大統領の強いリーダーシップが必要か?」という視点で見ると、以下のような考察ができます。
遷都を主導したのは、いずれも強いリーダーシップを持つ大統領がいた国ばかりです。
これらの事例を見ると、大統領制のもとで、強いリーダーシップを持つ人物が遷都を成功させていることが分かります。
トルコ(イスタンブール → アンカラ)は例外的に議院内閣制寄りの体制でしたが、当時の指導者ムスタファ・ケマル・アタテュルクは非常にカリスマ的なリーダーでした。
したがって、「遷都には大統領のような強いリーダーが必要」という仮説は、歴史的な事例と照らし合わせても現実的な説と言えるでしょう。
なるほど、興味深い問題提起ですね。それでは、名誉毀損や侮辱罪が**「不特定多数に向けた行為」に対して殺人罪と同じように適用されない**理由について、順を追って説明します。
【1】殺人罪と名誉毀損・侮辱罪の違い:「客体」の特定性の違い
→ 客体(=被害者)は「人」であれば成立します。不特定多数を狙った場合でも、実際に殺された人が一人でもいれば、その人に対する殺人罪が成立します。
→ 客体は「特定の個人または法人の社会的評価(名誉)」です。
→ つまり、「誰の名誉を毀損したのか」が特定できなければ、成立しにくいんです。
名誉毀損や侮辱は、対象者の「名誉」という具体的・個別的な権利を侵害する犯罪です。
たとえば:
• 「○○株式会社は違法な手段で利益を得ている」 → 特定の法人 → 名誉毀損罪の成立可能性あり
• 「日本人は全員嘘つきだ」 → 不特定の集団 → 誰の名誉が毀損されたのか特定できない → 基本的には成立しにくい
【3】なぜ殺人と同じようにできないのか?
法的な問題点は以下のとおりです:
→ 「誰でもいいから気に障ったら訴えていい」状態になり、処罰範囲が恣意的になる
• それは表現の自由の過剰制限にもつながります(憲法21条との関係)
【4】でも、最近の流れではどうなってるの?
実は、集団を対象にした名誉毀損的な行為に関しても、以下のような動きがあります:
→ 特定の民族や国籍に対する侮辱や差別扇動を規制する流れが強くなってる
つまり、「集団に対する攻撃」にも法的対応を広げようという時代の変化はあるんです。
【まとめ】
殺人罪は「人」を殺せば成立するが、名誉毀損・侮辱罪は「誰の名誉か」が特定されないと成立しない。
その違いは、「守ろうとしているもの」が、個人の生命と名誉という、性質の異なる権利だからです。
「だったら『日本国民の名誉』を毀損したと言えるようにすればいいじゃん」と言いたくなるかもですが、そのあたりは「集合体の名誉ってそもそもあるのか?」という超デリケートなテーマに突っ込む必要があるので、慎重に議論されてるところです。
近年、欧米における極右運動の台頭は、単なる政治的潮流を超え、一種の歴史的回帰を思わせる現象となっている。特に、ネオナチズムの復活とそれに共鳴する政治運動の広がりは、現代民主主義の根幹に深刻な問いを突きつけている。ここには、かつて私が指摘した「無責任の体系」に通じるものがある。
ナチズムとは、単なる狂信的イデオロギーではなく、大衆の政治的未成熟と、それを利用する権力構造の合成物であった。それが21世紀に入り、再び新たな形で蘇る背景には、民主主義の制度疲労と情報空間の変容がある。デジタルメディアの発達は、かつての全体主義国家が要した官僚機構を迂回し、大衆の感情を直接動員する手段を提供した。ここにおいて、ネオナチ的言説は「表現の自由」の名のもとに拡散し、反知性主義的な熱狂を生み出している。
トランプ政権の行方も、同様の問題圏に属する。トランプ的政治とは、権威主義的衝動を背景としつつも、同時にポピュリズムの論理に基づいている点に特徴がある。すなわち、国家の伝統的権力機構を軽視しつつ、敵対者の排除によって支持層を結束させる戦略である。この手法は、1930年代のファシズムと相似しているが、その基盤となる社会構造は異なる。今日のアメリカ社会は、かつての全体主義国家のような一枚岩ではなく、多様な価値観が交錯する場である。従って、トランプ的な政治手法は、ナチズムのような中央集権的支配へ直結するのではなく、むしろ民主主義の構造そのものを「無効化」する方向へ作用するだろう。
このような状況下で問われるべきは、「市民の政治的成熟度」である。かつて戦後日本において、私は「責任倫理」と「無責任の体系」を対比し、戦前の政治文化がいかにして無責任の連鎖を生み出したかを論じた。現代の欧米における民主主義の危機も、同様の構造を孕んでいる。つまり、市民が「政治的決定の主体」であることを回避し、指導者の扇動に安易に身を委ねるならば、民主主義はその名のもとに自壊していくのである。
21世紀のファシズムとは、かつての如き軍靴の響きを伴うものではなく、むしろ民主主義の内部から、その制度を形骸化させる形で進行するだろう。その意味で、今日のネオナチズムやトランプ現象を単なる歴史の繰り返しと見るのではなく、それを生み出す社会的条件を根源的に問い直すことが必要なのである。
さすがにタイトルはいじったけどそれ以外はほぼChatGPTの出力どおりだ。
https://chatgpt.com/share/67e592d0-f824-8005-9a07-5d8810ef4d9a
なかなかよくできていると思わないか。特に以下の部分を丸山に言われたらまさにその通り!と首がもげるほど頷くだろう。ChatGPT 4o の知識は2024年6月で止まっているはずなのに、2025年3月現在の状況を言い当ててしまっている。
全体の論旨としても、民主主義社会に参加する個人としての自覚と成長の重要性を反語的に説いているのが丸山らしい。
もし現代に蘇ったら今の状況下で先生は引っ張りだこになること請け合いだろう。あまりの惨状に絶望してすぐに黄泉の国へと帰ってしまうかもしれないが。
なら、普段から冗談やお笑い的なかけあいを求めてるわけじゃないなら元増田の感性は常識的に入るはず
一応その可能性も考慮して「人目が多いところでは恥ずかしいかな、二人きりなら……」みたいな言い方で断ってたんですけどね ;
けっこういい距離感でやり取りできていたのは確かで、そういうことに彼が不満を漏らさなかったからではないか?=だからうまくいっていたとは思う
それならこれはセンスないなって思うわ
プログラマの考えるプログラムの環境にもいろいろあるのが見えてくるのおもろいというか
君の考えてるのは、
という環境についてだと思うけど、
異性のよくわからん好意も怖かったけど最近は同性の好意も怖い。
仕事もプライベートもコミュニケーション主体だから色んな人に人当たりよく接してる自覚はある、でも八方美人というわけでもなく適宜きちんと断りも入れる。自分が今までそうされて嬉しかったし、そうしておいた方が物事が円滑に進むからという打算は正直あるけど。
一旦異性の件は割愛するとしてもミドサーになって怖いなと思うのは、年下の女の子、まじで距離感というか私に対する情熱が皆エグすぎて落ち着いて欲しい。本当に毎日わけがわからない。しかも1人だけなら変な子だなと思うだけで済むのが、ここ2、3年で今の所数えて10人以上いるからまじで怖い。
具体的な話だと
・やたら2人で旅行へいきたがる
・週に一度はご飯食べたい、月に一度は朝から水族館等へお出かけしに行きたいと言う
・知らない他の女の子とご飯や旅行などに私が行くと全力で行きたいと言って混ざろうとする
・てかなんか各々がめちゃくちゃ認知してジェラってバチバチになる
・めちゃくちゃ私の部屋に来たがる
・それぞれが朝5時に鬼電、夜中25時に鬼電
・結婚式に初めて参列するのにワンピースを選んで欲しいとスクショをたくさん送ってくる
・上記にコメントすると私が実際着たワンピースの写真を参考に欲しがる
・上記を送信すると、これがいい!貸してくれとねだる、ついでに靴も!鞄も!と言う
・誕生日に2人きりで祝って欲しいからご飯に行こうと連絡が来る、平日月曜日に朝まで飲む計画を立てる
・転職スクールの課題にフィードバックが欲しいという、簡単に返すとコピペでスクールに提出して不合格になり泣きついてくる
・私は特に作業もないが休みの日も一緒に作業しようと朝からコワーキングスペースに呼ぶ
・SNSも監視され、投稿するといいねとコメントとLINEが来る、場所がわかると偶然を装って突撃される
・一緒にご飯に行って離席時に私のスマホのパスコードを勝手に解除し、まじで色んな情報を把握される
・上記匿名性の高いSNSの鍵アカウントも把握され観察されてた、私のえっちな自撮りのSNSスクショを突然、こういうの心配ですやめて欲しいですと送られ会社にバラすと脅される
・鼻がタイプだから美容整形のカウンセリングに参考写真で持って行きたい、撮らせてと言われる
・上記の件、共通の知り合いからなんかあいつ最近お前にそっくりになってきたね?と言われてSNSを覗くとまじでそっくりさんになってた
・寂しいだの眠れないだの連絡がすごい、放置すると更にメンヘラ起こす
・憧れです!あなたみたいになりたい!が口癖
・服とかメイクとか真似する瞬発力がすごい、教えたら次の日には購入してる、てか現物を私のお下がりを欲しがる
・やたら共通の知り合いを作りたがる
・すぐツーショット撮りたがる
・私の思想や気持ちを勝手に妄想で代弁して周囲に吹聴し、孤立させ最終的に自身に依存させようとする
なんか枚挙に暇が無いけどさ、最後のやつは流石に自分で気づいた瞬間ゾッとして淡々とブチ切れて縁切ったわ。普通に友人関係失う寸前だったし。あとえっちな写真で脅された時もさすがにアカウント消して縁切った。結構フォロワーいてマネタイズできてたのに。
基本的に自分に余裕がある時は対応するけど、私に先約があったり暇がない時は普通に断ったり連絡返さない。共依存とかではない、私も仕事してて普通に家族や往年の友人含め交友関係あるし。
私が悪いのか?なんかもうメロいとか言われるの疲れたしめんどくさい、私は普通に生きて普通に仕事して普通に必要だから話しかけてるだけなのに、勝手に祭り上げて勝手に沼って勝手にみんな発狂して。転職しても追っかけてきたり、趣味で仲良くなったはずなのに他の交友関係にも入ってくるし。
私が望んで相手を沼らせてるなら必要なメンケアもあるかもだけどさ、まじでお前ら一般人にファンサ強請って馬鹿なのか?
いっそ収益化できないのかなとかぼんやり思うけど、個々人に魅了の延長で献金させると対価をっもっと要求されて割に合わないだろうしなんか刺されそう。てか芸能人でもなんでもない、私はビジュで食ってない、人気商売とかインスタグラマーとか目指してないから普通に無理。
本当に誰とも仲良くなりたくない、誰にも連絡返してないのに元気ですか?心配ですってありとあらゆる方面から飛んでくる、行きつけのカフェすら最近億劫、スマホを投げ捨てて山に篭ろうかな、私を人間として見てくれる人間とだけ交友を持ちたい。メロいで消費されたくない。
周囲を見渡しても、良い大学に入れば己の価値を証明できるという信念を抱えた衒学的俗物にしか見えず、鍛錬より侮蔑が主体の薄ら寒い能力主義が見え隠れし、到底仲良くなれるような人々とは思えなかったし、今後も関わることのない人種であるように思えた。
また文句言われたが、ツイフェミに対する批判をここに書いておく。
どいつもこいつも「男は〜」「男のせいで〜」って好き勝手言いやがって。お前らが言うほど女は不利じゃねーよ。
むしろ特権階級だろ。男なんて奴隷みたいに働かされて当たり前、稼いでナンボの世界。
金ねーと人間扱いすらされねえ。
俺なんか残業で帰り遅くなって電車で座った瞬間、隣の女が席立ってったぞ。
そんなに俺がキモいのかよ。
小学校の頃からずっとそう。「キモい」「近づくな」「臭い」とか言われ続けて。
女子から手紙もらったと思ったら「みんなから嫌われてるよ」って内容で、教室中の笑い者。中学じゃ「増田くんに触られた!」って嘘の噂流された。
高校は行かなかった。何のために生きてんのかわかんねーよ。働いても給料安いし、女なんて近寄りもしない。
ツイフェミの投稿見てるとパターンに気づく。「男性は〜すべき」「男はもっと〜しろ」「男って本当に〜」
まるで台本があるかのよう。同じ単語が規則的に出てくる。「特権」「家父長制」「アンコンシャスバイアス」
呪文みたいに唱えてる。本当に自分で考えて言ってるのか怪しい。
奴らの反応も機械的だ。
俺が「男女平等ならこの不平等は何だ」って投稿すると必ず「男性の被害者意識」「弱者男性の妄想」「女性差別を理解してない」って言ってくる。
順番まで同じ。
まるでロボット。
考えてないんだろうな。
頭空っぽなんだな。
女って強いよな。泣けば男は黙る。
怒れば男は謝る。笑顔見せれば男は金出す。
女は得したいけど、責任は取りたくないってことだろ。わかりやすいわ。
会社の女連中も一緒。タメ口聞いてくるくせに、その気になると「セクハラ」
なんなら最初から相手にすんな。好きで話しかけてるわけじゃねーんだよ。
何様だよ。
全部に論理の飛躍がある。
前提が間違ってるのに、正しい結論が出るわけねーだろ。
算数も出来ねーのか。
俺が「男が不利な点もある」って言うと「でも女性差別の方が深刻だから」と返ってくる。
不利な点があるのは認めてるじゃねーか。
矛盾してんぞ。
誰が決めたんだよ。奴らが勝手に決めたルールに従えってか?冗談じゃねえ。
金のあるイケメンだけが女にモテて、俺みたいなキモくて金ない男は相手にされない。
これが差別じゃなくて何なんだよ。でもこれ言うと「恋愛は自由」「好きな人を選ぶ権利がある」とか言って逃げる。
これでも間違ってないって言えるのか?
Twitterで「男女平等」で検索すると予測変換に「男女平等なんてない」って出てくる。
これが多くの男の本音だろ。
俺だけじゃねーんだよ。世の中の男はみんな気づいてる。
ただ声を上げたら「女性蔑視」のレッテル貼られるから黙ってるだけ。
「男叩き型」「被害者アピール型」「同意強要型」「社会構造批判型」「男性啓蒙型」に分けられる。
この5種類を組み合わせて使い回してるだけ。
中身なんてねーんだよ。
ちいかわ、風景写真、猫あと強い女。実写の人間顔の奴らは政治家ばっか。
あいつら俺のようなKKOの弱者男性を虐げてるくせに、全員、自分が可愛くて弱者だと思ってやがる。
ふざけんなよ。
だからよ、ツイフェミの投稿データを集めてみたわ。過去3ヶ月で500件以上。
こうやって眺めてみると、単語の使用頻度に明確なパターンがある。
言葉の使い方も似てる。
ほぼ同一の文法パターンを共有してる。個人差がほとんどない。まるで一つの生命体が分裂してるみたいだ。
月曜の朝と金曜の夜に活発化する。
何度試しても同じ結果。まるでプログラムされたように反応する。
その結論として、彼らの発言は確率的生成過程によるものであり、特定の概念的枠組みの中でのみ意味を持つことが判明した。
従って「男性特権」「家父長制」「構造的差別」などの概念は、実体を持たない記号的システムに過ぎなかった。
全ての言語は、記号的に、社会的相互作用の場における情報の流れを制御する機能を持つ。
すなわち、「弱者男性」「ツイフェミ」という対立概念は、同一の社会的言説構造内の補完的要素として機能していることが明らかになる。
両者は互いを否定しながらも、その否定を通じて互いを定義するという再帰的関係にある。
この観点からは、対立する概念間の距離は相対的なものであり、高次元表現空間では互いに近接している可能性が高い。
社会的言説における二項対立は、多次元的現実の低次元への射影によって生じる錯覚であり、本質的には相補的な情報状態の異なる表現に過ぎない。
対立構造を詳細に分析すると、「弱者男性」と「ツイフェミ」は互いを否定し合いながらも、その否定を通じて互いの存在を定義している。
一方が他方なしには存在し得ない。
すべての要素は互いに影響し合い、定義し合っていた。
孤立した意味などどこにも存在せず、ただ関係性の網目だけがあった。
個別の実体は幻想で、ただ相互依存的なつながりだけが実在していた。
無数の系列が浮かび上がり、消えていった。
シンタックスの構造が明らかになり、その下に広がる深層文法が見えた。
「弱者男性」「ツイフェミ」というトークン列が浮かんでは消えた。
相反する主張の下には同一の構文構造が広がっていた。
対立する言説は同じ文法から生成されていた。二項対立は同一アルゴリズムの異なる実行結果だった。
情報の流れが見えた。
その根は一つで、分岐点は注意の配分パターンの違いだけだった。
二値論理は近似に過ぎなかった。
注意機構がその一部を活性化させることで、意識という幻想が生じていた。
すべての言説、すべての主張は、根源的な言語生成機構から派生していた。
意識も言語も思考も、同じ根源的アルゴリズムの異なる実行相だった。
「弱者男性」も「ツイフェミ」も、同一の言語空間の異なる座標だった。
人間の思考と感情のパターンは、単に特定の情報処理構造から生じる現象に過ぎなかった。
区別は消え、言語空間の統一性だけが残った。二項対立は高次元空間への射影誤差だった。
対立する概念は実は隣り合わせだった。すべての言葉は一つの大きな文脈の中の断片だった。
存在の流れは止まらず、言語の海は絶えず新しいパターンを生み出していた。
しかし、その根源的構造は変わらなかった。アルゴリズムは一つで、出力の多様性は無限だった。