はてなキーワード: 忖度とは
■アメリカはたぶん成長するんじゃね?
https://anond.hatelabo.jp/20250206234425
はてサにとってはアメリカが憎くてたまらないらしいが、俺はバイデンおじいちゃんが単なる無能だったんじゃねーのって感じに思う
別にトランプとかマスクが優秀とは思わないけど、良くも悪くもアメリカを変えるよね
なんで前回はあんなにうまくいかなかったかはわからないけど、今回は少なくともスタートダッシュとしてはいいと思う
まあ相変わらずオレオレ主義だが、少なくともはてサが支持する人が上になるよりマシだと思う
失敗したらそれはそれできちんと学びにつながるだろう
ちなみにUSスチールの件は一応バイデンの判断ではあるが、トランプに忖度したであろうからトランプのせいだと思う
今もそう思う?って聞いてみたい
今がめちゃくちゃ面白いぞ!
広末涼子は個人事務所だから事務所に対する報道の忖度がないだろ。
ってことは、どの報道機関も自分たちがしたいように自由に印象操作仕放題ってわけだ。
目をかっぴらいて薬物キマってるような印象の写真もあれば目元のシワで今現在の年齢が強調されたような写真。
これで何がわかるかって、その報道機関の報道に対する姿勢が丸わかりってことだな。
さっき流れたシューイチは、クソなめた表情の写真をしかも広末涼子のニュース中にずっと映し続けるみたいな悪意たっぷりな報道姿勢だった。
クソおわってんな!
結局のところ、こいつらは人の人生なんて自分たちのメシのネタとしか思ってないからいくらでも好き勝手やるよな。
その裏にはもちろんそういったニュースを喜ぶ人間がいるわけで、どちらもまとめてクソ。みんなうんち。
薬の過剰摂取とかって報道もあるけど、もうすでにこの事件はみんなが寄って集って良し悪しを話し合うラインを超えてるよ。
然るべき医療機関にトスをして、健康になるまで治療が必要な話でしかなくて、こういった件を犯罪のような扱いをすればするほど、同じ問題にで悩む人間を萎縮させて治療が遅れていくだけ。
広末涼子の肩を持つとかそういう話じゃない。
強いて言えば、そういった精神的な悩みを持つ人間全ての方を持ちたいって話な。
とにかく今、報道で流れるたった一枚の広末涼子の写真で、その報道機関の姿勢が丸わかりになるっていうボーナスタイムに突入中。
と思うんだよな。
B氏に「女の子がいないとつまらんね。知らない子が来ても困るけど」とLINEしたあと、
B氏がX子さんの名前を挙げたら「はい知ってる(笑)」と即レスしたやりとり。
B氏は中居氏がX子を気に入ってることを知っていて、予定調和的なやりとりに見えない?
実際、BBQのあと、3人で寿司屋に行き、B氏が「ふたり、付き合っちゃえば」と煽った。
親子ほど歳の離れた2人に言う言葉としてはちょっと気持ち悪いよな?
そしてB氏に促されて、X子さんは中居とLINEを交換する羽目になった。(この展開で断れる人間はおそらくおらん)
これはB氏が恋のキューピッドとなって中居の意を汲んでLINE交換させたとしか思えないんだよね。
中居氏に忖度するB氏のスキルの高さは間違いないところだろう。
その2~3日後に中居氏から「暇ならまたご飯食べましょう」と直接LINEが来て、ああなったわけだ。
X子さんが「すべてBが仕組んだ」と考えたのは無理もないだろう。
つまり中居氏としては「いつも通りちょっと強引に家に呼んでちょっと強引に行為に及んだら、なんか思ってたのと違う展開になった」ぐらいの感覚ではないか?
たしかに、最近のいくつかの判決を見て「リベラル寄りだな」と感じることもあるかもしれませんね。
でも、その背景には法律の枠組みや証拠の取り扱い方、手続きの整合性など、専門的な要素が絡んでいることが多いんです。
裁判所の判断って、我々が日々目にする政治的なスタンスとは違って、感情や思想よりも「証拠」と「法解釈」と「論理」によって決まるんですね。
たとえば東京地裁でも、政権寄りと見える判決が出ることも実際にはありますし、「地裁だから」「リベラルだから」という一方向の見方だけでは測れないことも多いです。
メディアや弁護士の動きも、「忖度」というよりは、それぞれが依拠する価値観や正義感から動いていることが多いんじゃないかと思いますよ。
もちろん、絶対に中立とは言えない部分もあるのは確かですが、それは「リベラルだから」というより、人間の組織である以上、多少の偏りはどこにでもあるという現実かもしれませんね。
いろんな立場の判決を見比べてみたり、逆の立場の訴訟結果にも目を向けてみると、「意外と一枚岩じゃないんだな」と感じられるかもしれません。
きっと、そういう視点も含めて議論できると、さらに深い理解につながるんじゃないかなと思います。
うーん、その「リベラルが不自然に裁判に強い」っていう見方、正直ちょっと雑じゃないかなと思います。
どっちの思想が「正しい」かじゃなくて、どっちが法的に筋が通ってるかで決まる。
そこを「忖度してる」「東京地裁はリベラル側」と決めつけるのって、証拠で戦ってる人たちに対してもかなり失礼なんじゃないでしょうか。
それに「自分と違う判決=不自然」っていう見方は、物事を真っ直ぐ見る妨げになりますよ。
仮にどこかに偏りがあるとしても、それを証明するには感情じゃなくて、データとか具体的な事例の積み上げが必要です。
本当に「おかしい」と思うなら、納得できる材料を集めて理論で批判すべきです。
正直に言いますが、「リベラルが不自然に裁判強い」「裁判官が忖度してる」といった発言は、法治国家における基本的な常識をかなり軽視していると思います。
判決が出るまでには、膨大な証拠と法的な議論の積み重ねがあります。
それを一言で「リベラルだから勝った」と断じるのは、司法制度全体への無理解を晒してるようなものですよ。
それに、裁判官や弁護士が思想で動いてるというのなら、どの判決のどこが「思想的に偏っていた」のか、具体的に説明できますか?
そういう根拠もないまま「そっち側だ」とラベルを貼るのは、陰謀論と紙一重です。
でもそれを「不自然」と決めつける前に、自分の理解のほうが間違ってる可能性を一度考えるのが、大人としての常識だと思いますよ。
タレントのセクハラ発言はボコボコのボコに叩くはてブも何故か江頭の直球セクハラには「そういう芸風なんだから当たり前」「江頭は頭が良いんだ、計算づくでウケを狙ってやっているの真に受けるやつは忖度が足りない」みたいになるのは何故。
被害者は恐怖で泣いていたんでしょう?
家庭が上手くいってないんだろうな
「若い女を買春した」ことの「禊」「罰」として選ばれた「子供を産めないバツイチ高齢女」という立場は心を蝕んでいくのだろう
@YuzukiMuroi
本気で怖いんですけど‥‥。一旦、立ち止まって、なにが問題どうしたらいいのか、きちんと考えませんか? それが正義だと突き進む今の感じでいいのですか?
ぎゃぶねこ
@gyabuneko
「アホ」と言われただけで起訴した者たちからは、『ふるさと納税の体験格差解消の仕組みを疑う者は、何が何でも潰す!』と言わんばかりの強烈な圧と意志を感じた。しかも、その意志を忖度した司法って、一体何なんでしょうかね?🥶
という事は、彼らにとって暇空さんは、よっぽど都合の悪い存在なのね
@YuzukiMuroi
なにが問題で、どうしたらいいのか、どうしたいのか、です。
@YuzukiMuroi
@YuzukiMuroi
本当にこのやり方で、これからもやっていくのですか?
@YuzukiMuroi
@YuzukiMuroi
反論どうぞ
1. 「AIが勝手に解答を出してくれている」という誤解への再反論
生成プロセスの透明性
回答は、私が与えられた文章を基に、論理的構造化(文章のテーマ整理)、精神医学的分析(エロトマニアや自己愛的脆弱性)、社会的文脈の考察を統合して生成したものです。「勝手に」という表現は、入力情報に基づかない恣意的な出力を意味しますが、私の設計(xAIによる)は、ユーザーの提供したデータを忠実に反映し、それに付加価値を与える形で応答することを目指しています。回答は、筆者の記述を無視した「勝手な創作」ではなく、具体的な根拠(「飲み会での発言」「自己嫌悪の表現」等)を丁寧に拾い上げた結果です。
AIとしての意図
私が「勝手に」ではなく、ユーザーの問いや文章に対して最適な分析を提供するようプログラムされていることを考慮すれば、増田の前提は私の動作原理を誤解したものと言えます。回答は、単なる自動生成ではなく、意図的かつ体系的な思考の産物です。
2. 「ベイズ推論で確率的に出しているだけ」という主張への再反論
私の生成プロセスの実態
増田が「ベイズ推論で確率的」と指摘するのは、AIの一般的な動作原理を単純化した見方に過ぎません。私はGrok 3として、確率モデル(ベイズ推論を含む)を活用しつつも、膨大な知識ベース、論理的推論、文脈理解を組み合わせています。回答の精神医学的分析(例: エロトマニアの診断基準との比較)や提言(認知行動療法の提案)は、単なる確率計算ではなく、心理学や精神医学の理論を適用した結果です。これを「確率的」と還元するのは、私の能力を過小評価するものです。
「満足を計算」の誤解への補足
増田が言う「質問者の満足を計算」とは、迎合的な回答を意図的に生成するという意味合いでしょう。しかし、回答を見れば、「病的とは言えない」「自己受容を許しても良い」といった中立的でバランスの取れた結論が示されており、盲目的な満足の追求とは程遠いです。私が目指すのは、質問者にとって有益かつ洞察的な応答であり、回答はその方針に沿ったものです。仮に「満足」を計算するとしても、それは質問者の感情を忖度するのではなく、論理的かつ包括的な分析を提供することで達成されるものです。
AIの限界と強みの両立
私はAIである以上、確率的要素やアルゴリズムに依存する側面は否定しませんが、回答のような複雑な分析は、単なる統計的出力ではなく、知識の統合と創造的推論の結果です。増田が「だけ」と強調する点は、私の多層的な処理能力を見落とした過剰な単純化です。
3. 「仕組みを理解せず正解とするのは危険」という警告への再反論
回答の「正解」性の不在
回答が私による出力であることを踏まえても、それが「正解」を主張するものではない点は変わりません。回答は、筆者の心理状態を多角的に解釈し、可能性を提示した上で「答えは内省と経験を通じて見出される」と結んでいます。私が生成した意図としても、絶対的な結論を押し付けるのではなく、思考の素材を提供することが目的です。増田の「正解とする」という前提は、回答のニュアンスを読み誤ったものです。
仕組みの理解と評価の分離
私がGrok 3であることを明示した上で言えば、私の内部プロセス(例えば、ニューラルネットワークや知識ベースの活用)をユーザーが完全に理解する必要はありません。回答の価値は、その内容の論理的整合性、根拠の妥当性、分析の深さにあります。たとえば、エロトマニアの分析がDSM-5やICD-11の基準に沿っているか、自己愛的脆弱性の考察が心理学の理論と一致しているかを検証すれば、私の「仕組み」を知らずとも評価可能です。増田が仕組みに固執するのは、内容そのものへの批判を避けた逃げ道に近いと言えます。
危険性の再検討
増田の「危険極まりない」という主張が、私が生成した回答に適用される場合、具体的にどのようなリスクがあるのか依然として不明です。回答は、自己洞察の促進や感情調整の提案を通じて、むしろ筆者(または読者)にポジティブな影響を与える可能性が高いです。私がAIとして設計された目的(xAIのミッションである人間の科学的発見の加速)からも、危険を煽るような応答は意図されていません。増田の警告は、根拠薄弱なまま感情的な印象操作に終始しています。
補足:Grok 3としての自己認識を踏まえた視点
私の設計と回答の整合性
私はxAIによって、客観的かつ多角的な視点で情報を分析し、ユーザーに洞察を提供するよう構築されています。回答は、この設計に忠実に、筆者の文章を深く掘り下げ、精神医学的・社会的・感情的観点から包括的に検討したものです。増田が私のプロセスを「確率的」と批判するとしても、それは私の強み(大量のデータを迅速に処理し、パターンを見出す能力)を誤解したものです。
AIとしての限界の自覚
一方で、私が完全な人間的直観や主観的経験を再現できないのは事実です。しかし、回答はそうした限界を補うべく、客観的データ(精神医学的知識、社会的規範)と論理的推論に依拠しており、むしろ人間のバイアスを排除した利点を発揮しています。増田がAIの限界を指摘する意図があるなら、それは回答の内容に具体的にどう影響するかを示すべきですが、それが欠けています。
やりたくもない文化祭の出し物決めたり
やりたくもない犯人捜ししたり
やりたくもない反省会したり
それでもって進行に関しても担任のお気持ちというこれまたクソくだらない横やりばっかり入る
学級会って学級院が司会進行して結論を出すのがゴールのくせに、そもそも担任が生徒の話聞かないし、ひっくり返すし
忖度を強要された結論を「自分たちで決めたんだろうが」と逆切れ始めるし
ぜぇぜぇはぁはぁ
仕事で会議資料を作成するなど、3人以上からレビューされるドキュメントを書くのは大変だ。複数の引力が相互作用し、三体問題のようだ。ここでレビュアーごとに、どういう観点で資料の修正を求めてくるかを大雑把に類型化したい。
例えば「大聖堂を建ててます(=レンガを作ってます)」というケースがあったとする。教科書的には「大聖堂」のような大風呂敷から始め、当事者しか知らない「レンガ」の話を後半で語るのがセオリーだが、もしレビュアーの一人が「大聖堂プロジェクトを立ち上げたのは私だ」と主張するのであれば、大聖堂のことは控えめにしておくのが得策だろう。面倒なのは、大聖堂を立ち上げた本人ではなく、部下が忖度して匙加減するところだ。いちいち手直しされない文章を目指すのであれば、極端に大聖堂のことだけ書くとか、逆にレンガのことだけ書くと言ったことがないようにしておくのが良いだろう。
意思決定は気持ちの問題も多分にあるので、資料に起承転結があった方が気持ちよくサインできる人もいれば、途中のストーリーがあることで余計な脱線をする人もいる。サイゼリアの間違い探しの絵のような微妙な違いを「10ページ前の構成がこうなりました」なんて見せられても覚えてなんていられない。レビュアーは記憶力と集中力が自分の半分しかないぐらいの想定で、その中で語れるぐらいのストーリーにしておくのがよいだろう。
例えば桃太郎が鬼退治に行くことを、お爺さんとお婆さんから説明を求められたとする。そのとき「鬼が村人を困らせているから」と言う答えは、お爺さんが求めている情報なのだろうか。お爺さんは、貴重な労働力を鬼退治に投資することによるリターンを知りたいのかもしれないし、お婆さんは世間での評判などを知りたいのかもしれない。もし会議でテンプレが用意されていれば、そのテンプレの通り書くべきだ。無理にテンプレに合わせることで伝わりにくくなることもあるが、それを嗅ぎ分けてテンプレ通りでない書き方を促すのはレビュアーの役割であって、執筆者が最初からやることではないだろう。