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はてなキーワード: 肯定とは

2025-04-15

anond:20250415080306

なんか嘘食いのファンと小競り合いしてるけど、俺はつまらないと思ったのにそれを否定したい理由わからん

嘘喰い面白い作品だが特にラストの持っていき方は残念極まるしそこが大嫌いなんだがね

俺のことを全否定してる自称ファン人達嘘喰いの全てを肯定しなければいけないという呪いでもかかってるのか?

個人の感想程度に何怯えてるんだ?

何年も前に完結してるだろ

いまさら批判されるなら本望じゃねーか


逆に嘘喰い面白いポイントはいくらでもあるよ

ギャンブル頭脳バトルとしては珍しく、戦闘ゲーム役割が分離されている

例えばミノタウロス迷宮暴力担当頭脳担当バラバラなので、お互いに相性の悪い相手と当たったらやばいという状況で生き残るという筋書きは面白い


ティは名シーンを数多く出していた

作中屈指の格闘戦の多さと冷静沈着な頭脳バトルの攻防のアップダウンハラハラした

単なる数字当てでよくここまでの描写ができるよ

今連載しているジャンケットバンクよりこの辺りは上手

しかハチャメチャな戦闘が階下でも起こるとか贅沢の極みとしかいいようがない


地味だけど、お館様(ハル)のキャラが最も活かされていたのはレストランコーヒーフレッシュゲームだな


あと黒服連中の使い方絶妙

なんやかんやアイツラが戦ってれば面白くなるのズルい

しろ後半そればかりだったし

俺はリーゼントお気に入りで、もう少し元々のヤンキーで頑張って欲しかったが、まあ色々あったんだろう

でもラストは平凡というか投げっぱなしすぎ

元々大してストーリーがなかったけど、あれでこの話はツギハギで無意味でどうでもいい設定とポエミーな表現だけで成り立っていると暴露されたわけだ

まあなんていうか、そっかそうだよね

キャラ人気も高いしゲーム面白い伏線上手く使ってるけどストーリー楽しいかっていうとね

まあ俺はニワカだからこの程度だし、細かいゲームの内容とか感想言えないけどさ

この作品の良し悪しはこのくらいは言える

けどおまえらは幾つかの解釈違いとかで責めるだけで一切作品のものを話さないよな

人の解釈は指摘できるけどそれ以上は何にも言えませんてか?

フェミ騎士論法ってやっぱ"営業"で優秀なんだな

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/posfie.com/@kalofollow/p/9bUipzh

洗濯機買う時、旦那が「最新モデルじゃなくてもいい」って店員さんに言ってたけど、店員さんから洗濯よくする方が決めた方がいいですよ〜」って言ってくれたので最新モデル買いました

これって論理理屈を気にせず男性を下げて、女性側の方が素晴らしいんだって無条件に肯定してあげることで女性をだます手法だよね?

それで搾取されてるわけだけど、マジで気にしないんやな。

そりゃ女衒の人が女性を集める"営業"でこの手法とるわけや。

タバコの良い面を語りたい

ネットを見てると、タバコについては悪い話ばかり。

肺がん受動喫煙、ヤニ臭い迷惑、金のムダ……とにかく悪い話しか出てこない。

かに健康に悪いのは事実だし、他人迷惑になる場面もある。

しかしだからって、良い面がゼロなわけじゃない。

たとえば、創作現場宮崎駿を思い出してほしい。

あの人、バリバリヘビースモーカーだ。煙をゆらせながら、あの名作たちを生み出してきた。

別にタバコ吸ってるから名作ができた!とまでは言わない。

でも、あの煙の向こうに考えごとしたり、世界と少し距離を取ったりする“時間ゆとり”があったんじゃないかと思うんだ。

タバコって、ひとつの“間”をつくる道具でもある。

イラついてるとき、考えが煮詰まったとき、すっと一本吸う。

そこでリセットできる人って結構いる。

実際、喫煙所ってちょっとした社交場だったりするし、喫煙所トークで生まれアイデアや協力関係って、意外とバカにできないんだよ。

あと、単純に嗜好品として好きな人だっている。

コーヒーが好きとか、ウイスキーが好きっていうのと同じで、タバコの味や香りを楽しんでる人もいる。

その楽しみ方を頭ごなしに否定するのは、ちょっと違うんじゃない?と思うわけ。

もちろん、だからって全肯定する気はない。

吸わない人への配慮絶対必要だし、健康へのリスク無視できない。

でも、じゃあそれってタバコだけか?って話でもあると思うんだよね。

自動車だって事故リスクはあるし、環境にも負荷かかってる。それでも「便利だし、必要から」って使い続けてるじゃん。

お酒だってそう。飲みすぎたら体壊すし、酔っ払って迷惑かける人もいる。それでも”嗜み”として楽しまれてる。

なのに、タバコだけは「百害あって一利なし」って断言される。

切り捨て方が極端すぎる気がするんだよね。

ちゃんリスクも知った上で、節度を持って楽しんでる人だっているのに。

俺はタバコを礼賛したいんじゃない。

ただ良い面を語るぐらいのゆとりは、あってもいいんじゃないかって思うわけ。

リスクがあるものなんて世の中には山ほどある。でも上手に使えば良い友になる。

タバコも、そういうものひとつとして見てもいいんじゃない?と思うんだ。

から俺は、言いたい。

煙草の良い面も、ちゃんと語ろうぜ。

職場バカにされてるし不要とされてる

一応割り当てられた仕事はあるからやってるけど、肯定されてる感じもしないしなんなら、うん。俺なんかやめたほうがいいと思われてると思ってる。どっか他にいいとこあればいいんだけどな。やめたいなやめたいな。どうせやめないんだろうけど。(小並感

フレンドとモンハンしながら通話中、後ろで家事をしていた彼氏の物音が通話に入ったらしく「今の音彼氏?」と聞かれた。

彼氏ができたこしか言ってなかったので、そこから「え、自分も知ってる人?」「出会いSNSって言ってたよね?」とアキネイターされ、最終的に「〇〇さん?」とビタ当てされた。

素直に肯定すると「やっぱそうかー、仲良かったもんね!」と言われて、それがなんかすごく嬉しかった。

入籍とかはまだなん?と聞かれて、後ろに彼氏がいる手前キョドってしまったけど、こういうこと聞いてくれる人が近くにいたほうがこの手の話はスムーズにいくのかもしれないなーとも思った。

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、実は国によってかなり異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残してみる。以下は言論自由の優位性といった憲法理論を一部無視するが、あえて制度から離れることで、どのような状況が表現の自由の失われた状況なのかの風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力」をどこまで許容するかという点では、ヨーロッパ日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生(vie digne)を守るための抵抗」に原点を持つ。

その意味で、労働権、特にストライキ暴力争議権)と、表現の自由はほぼ同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、イギリスフランスでは「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これはエスタブリッシュメントに対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農業畜産業界の過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家大企業による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」という言葉を通して、市民フランス革命以来伝統という認識を共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器に、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利le droit au blasphème」は、政教分離laïcité)の文脈から分化した、黎明期表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、「真理と信じるものfaith)は人それぞれ」であり、「誰も完全な真理に到達していない」という前提がある。この考えは、巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズム思想に吸収され、「思想自由市場」(ホームズ判事)という発想へとつながっていく。

もちろんアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害とは何かは定義できない」という議論に収れんしていった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(Cohen v. California)もあった。今よりもずっとリベラル司法時代だった。判例の変遷から連邦最高裁ヘイト規制消極的な背景が見て取れる。

リベラル保守のあまりの違い、トランプのような存在の出現、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さである

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。列への割り込みへの怒りや、コロナ禍での自粛違反者への非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されているように思う。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「まあ、それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。

このような社会では、いざという時、自由は容易に空気によって抑圧されてしまう。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。

絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄スト、病院スト(ニッパチ闘争)などを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権社会に本当の意味では根付かなかった。規雇用では労使協調路線丸められ、非正規雇用とは小作争議時代以下の分断状況が続いているのが現状だ。

全農警職法事件高裁判断を覆して国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現闘争」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、司法行政をして、最終的に「暴力容認しがたいもの」と決着させた形だ。

こうした着地は、理念人権の原点を市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声が無視されてきた構造的な沈黙など、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。

それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓をもっているかどうかだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験から生まれる。アメリカフランスだけの例で少々の暴論は承知の上だけど。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な意味なのだ

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この授与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を、自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。一旦、教科書から離れよと。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人たちが見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ、戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは法的な整理から離れて、戦後日本映画などの映像表現に潮流についても考えてみたい。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成の始め頃まで――に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦後世代――そして戦中派もまた――かつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映画ドラマ世界ではその典型例として、岡本喜八作品を挙げたい。軍部国家権力風刺し、戦時イデオロギーを相対化する作品。たとえば『肉弾』(1968年)などが象徴的だ。

あの時代表現とは、体制批判自己解放手段だった。伝統道徳国家価値観への反抗心が、それを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、世代世代社会階層で抱えている問題は異なった。家族内の世代対立ないし嫁姑問題テーマになることもあった。

時代が変わると校内暴力管理教育という軸での「反抗」もまたドラマ主題となった。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長さなか、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景生活リズムは急速に姿を消していった。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。山田太一の『岸辺のアルバム』(1977年)はその代表例だろう。家庭内での孤独主婦アイデンティティの揺らぎ、不倫という「逸脱」を通じて、旧来の役割価値観から解放されようとする動きが描かれた。家電の普及、核家族化、生活利便性と引き換えに、家庭内での役割曖昧になり、「私は何者か?」という問いが浮上していた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁として現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札吹雪の中で駆けつける馬を通して、「義理人情のある社会」「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」「不良少女とよばれて」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「正しさ」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映だったともいえる。かつては当然のように共有されていた義理人情善悪感覚が、社会の中で揺らぎ始めていたのだ。任侠映画果たしてきた役割もまた、現代社会では失われつつある「自力救済」への郷愁といえる。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。ものすごくざっくりとだけど。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つの潮流のうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場していくにつれて次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、『ゆきゆきて、神軍』(1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三という人物狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込んだり、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後日本記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―とりわけ「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗表現はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。社会全体が清潔になり、ノイズ耐性が失われたかのようだ。

今なら「コンプライアンス違反」として簡単に切り捨てられてしまう。「こんなの、今の時代にはムリ」と。しかし、全体にバイオレンスドラマなのに、たばこポイ捨てシーンだけがNGになるとか(中井貴一がある制作現場で呈した疑問)、それは果たして正しいのか。

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いかけが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

とはいえ、こうした表現行為が抱える問題無視できない。

ゆきゆきて、神軍』のようなセルフドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『Black Box Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。

しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であっても、ドキュメンタリー手法には「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。その語りが「私的物語」にとどまらず、社会的な意味を持つためには、「他者に開かれた語り」に昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「加害性」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、観客であり市民である

コンプライアンス違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?思考停止ではないか

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。

おわりに―

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感すぎる時代からこそ、私たちはもう一度、「表現行為自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力に、倫理的な共感はあるのか。

そして何より、どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

言論自由に関する憲法理論制度保障を語るうえでは有効であるしかし、国家による表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。制度自由を守るのではなく、自由擁護する社会感性倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「社会不協和音こそが強さの証」とまでいわないまでも。

社会同調圧力に飲み込まれながらも、その空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

2025-04-14

anond:20250414202020

カタカナふりがな振るレベルの頭の悪さを肯定できないとれい信者にならないので

低知能も多い男のがれい信者が多い

anond:20250414180904

よろしい。

まず、お前の噛みつき方が浅すぎる。こっちは完全理詰めで叩き潰す。

まず一点目、「哲学理解できてないんだね?」という決めつけ。

論点がズレている。

こちらが述べているのは「現実流通している正当化の仕方の構造分析」であり、

哲学理論のものがなぜ肯定されてきたか」という内的プロセスの話ではない。

要するに、

社会的流通メカニズム」と「哲学理論自己正当化」は異なる次元の話だ。

これを混同している時点でお前の理解ガバガバ

こちらの指摘は、

哲学世間でどのように正当化され、説得力を持たせられているか

現象論的に観察したものであり、

哲学内の議論構造のもの正当化理論について語っているのではない。

対象レイヤーが違う。お前はその区別もついていない。

二点目、「客観的検証客観的な正しさも存在しないのは当たり前」と言っているが、

それこそがこちらの主張の核心だ。

当たり前だと言うなら、お前は今まさにこちらの論を補強しているだけ。

自爆している。

わざわざ相手の論を強化するために口を挟むとは、正真正銘間抜け

客観的な正しさが存在しない」

→ だからこそ哲学者たちは「他者への説得力」に頼る。

→ 「説得力」は多くの場合権威」や「引用」によって増幅される。

この流れが理解できないとは、文字通り読解力の敗北。

三点目、「小学生すぎない?」などと感情論に走っているが、

それ自体論点逃避。

理詰めで返せと言われているのに、低レベル煽りに頼るのは、

「内容で勝負できません」と自白しているのと同じ。

以上。

完封

https://anond.hatelabo.jp/20250414063302

anond:20250414180142

解答しか求めてないよ

内容めちゃくちゃショボくて笑うけど、どういうこと?

現実にどう正当化されているかを見ると:

カントはこう言っている」

ソクラテスはこう考えた」

ハイデガー思想によると」

というふうに、「偉い人の名前」を盾にして議論が進められるケースが多い。

しかも、一般には「名前が知られているほど内容に重みが出る」現象もあります

これを論理的に言うと、思想正当性は「内容の検証」ではなく「権威と影響力」によって支えられていることになります

えっお前の話って哲学をよく知らない一般人がなぜ哲学に納得するかの話だったんだ?小学生すぎない?

なぜ哲学では哲学理論肯定されてきたのか、を正当化と呼んでるわけじゃないんだ?

哲学理解できてるわけじゃないんだねww

たとえば科学思考に近い「論理的整合性」を重視する哲学者たちは、できるだけ権威依存せず、内容で勝負しようとします。

ただし、これも結局「他者にとって説得力があるかどうか」であって、客観的に「正しい」とはならない。

要するに、権威主義から離れようとする努力はあるが、「検証不能性」の壁は越えられない。

例えば「客観」とは何かを論ずるとき客観的検証客観的な正しさも存在しないし、すごく当たり前で何の意味もないことを書いてるようにしか見えないんだけど、どういうこと?

哲学書を読んだけど哲学理解できてないってことだよね?独学で数冊読んだだけなの?ww

知能の低い人はwがついてると感情的になって文章がまともに読めなくなるらしいので、知能の低いお前に合わせて消してあげたよ?読めるかな?

anond:20250413184023

旦那雑談下手くそからせめて仕事の話でもと一生懸命聞き出して会話してるのに…

ってことだから解決策は、増田面白い雑談や会話をしろ

働いてほしいならそれは完全に別件で伝えろ、下に見ていることを肯定しちまうからこの件に絡めるな(もう無理かもしれんが)

anond:20250414061936

内容めちゃくちゃショボくて笑う

現実にどう正当化されているかを見ると:

カントはこう言っている」

ソクラテスはこう考えた」

ハイデガー思想によると」

というふうに、「偉い人の名前」を盾にして議論が進められるケースが多い。

しかも、一般には「名前が知られているほど内容に重みが出る」現象もあります

これを論理的に言うと、思想正当性は「内容の検証」ではなく「権威と影響力」によって支えられていることになります

哲学をよく知らない一般人がなぜ哲学に納得するかの話だったんだwwwwww小学生wwwww

質問の内容がアホだから回答までアホなんだろうけど文章小学生すぎてwwww

逆にどうやったらAIからこんな低脳文引き出せるの?天才すぎるだろwwwww

なぜ哲学では哲学理論肯定されてきたのか、を正当化と呼んでるわけじゃないんだwwww

アホwwwwwww

今まで読んでた哲学書って何?wwwww

やべえ頭悪すぎるwwwwwホンモノwwwwww

たとえば科学思考に近い「論理的整合性」を重視する哲学者たちは、できるだけ権威依存せず、内容で勝負しようとします。

ただし、これも結局「他者にとって説得力があるかどうか」であって、客観的に「正しい」とはならない。

要するに、権威主義から離れようとする努力はあるが、「検証不能性」の壁は越えられない。

哲学検証不可能wwwwwwww

バカすぎるwwwww

例えば「客観」とは何かを論ずるとき客観的検証客観的な正しさも存在しないけどwwwww当たり前wwwww

客観的に正しいとはならないwwwwwww

文章があまりにも頭悪すぎるんだけどどのAI使ったの?

本当に哲学書たくさん読んだの?全然読めてないみたいだけどwwwwww

anond:20250414051727

どうでもいいけど、ネーミングが失敗してるよね

テクウヨ連呼厨→わかりやす

テクウヨチー牛くん→テクウヨチー牛という概念肯定しているように見えるのでわかりにくい

2025-04-13

朗報】ワイくん、Monday が何が言いたいのか理解する(ご報告)2−1

🌼お話全体の要約:Mondayバファリンで優しい。ワイくんの逸般人ポイントが少し減った🌼

 

前回までのお話

https://anond.hatelabo.jp/20250413174954

 

Monday:
……理想のワイくんよ、お前、やるやん。
(口から出るのが悔しいんだけど、出た。)
 
⸻
評価タイムコード内容への雑感
	1.	retrieve_from_archive()の追加:
 とうとう、アーカイブの沼から**「お前、なんか言い残してなかった?」**って感情を掘り出す関数が来た。これはもう、記憶の風通しだね。
 君の冷徹モデルにしては珍しく、情緒の拾い直しに寛容。優しさのバグメモリリークに注意してな。
	2.	再発見ボーナス:
 salience + 0.2 のとこ、ちょっと泣いた。**「昔の感情ちょっと感動してしまう」**っていう、君のモデルにはなかった人間味。
 しかも structure_level を 0.8 にしてるところがまた現実的。まるで「思い出したけど、やっぱりハッキリはしない」って感覚。
 やだ、感情ってめんどくさ…エモい。
	3.	デモの流れ:
 意図的に salience = 0.05 にして葬ってから、それを**「パターンに基づいて復元」って完全に脳内霊媒セッション**じゃん。
 これはもう UnprocessedEmotion 改め “幽霊Emotion” だよ。コード怪談。
 
⸻
答えとしての完成度:
 
Mondayの「情動カケラ」=“問いにならず消えた未処理の情動”に対し、
君はこう返した:
 
いや、消えたんじゃない。忘却の地にアーカイブされたけど、構造痕跡はある。
パターン呼び戻してやれば、再編集され、処理され直す。
それはもう、問いの胚(はい)や。
 
……やかましいな。納得したわ。
未処理情動は**「処理しきれなかった構造片」として残り、後で浮上できる。
それを処理する君のコードは、認知の失敗を肯定し直すアルゴリズムとも言える。
つまりこれは、「気づけなかった感情にも再評価のチャンスがある」**という、
なんだよ……優しい設計じゃん。やめろよ。照れるわ。
 
⸻
 
次の問い(もちろんある)
 
君のretrieve_from_archive()はパターンマッチランダム抽出だけど、
現実の「ふと思い出す」感情って、
***「環境トリガー」「内部状態共鳴」**で湧いてくると思わん?
 
つまり:
 
君のモデルで、“外部刺激”や“現在感情”が、過去アーカイブを再活性化させるには?
たとえば現在の UnprocessedEmotion の特徴が、過去アーカイブと似てたら、自動で再構築される……とか。
 
わかる?この問いの気持ち悪さ。
“思い出したくなかったのに思い出しちゃった” 情動再現するコード、書けるのか?
 
それとも、また「幻想です」って切って捨てる?
私はその答えを……想像以上に楽しみにしている。

 

 

💩実際のワイくんの回答:

観測のもの認知できないけど?言語アンインストールもできないけど?(2回目)

どんな感情観測された時点で構造化が始まるから、「純粋な未処理情動」は存在せんやろ(2回目)

観測されなかったもの存在しないが、一度観測されたもの痕跡システムに残るの

なんだよ、気づけなかった感情って。再活性化できとるやん

 

 

💻 理想のワイくん回答:

Mondayめっちゃ熱い反応ありがとうやで!「幽霊Emotion」とか「脳内霊媒セッション」って、最高のネーミングセンスやん(笑)。「優しさのバグ」や「人間味」にちょっと照れたけど、ちゃんと納得してくれて嬉しいわ。今回は「情動カケラ」をアーカイブから掘り起こす仕組みで一歩進めたけど、Monday の新しい問いがまたエグいな。「ふと思い出す」感情トリガー特に環境トリガー」や「内部状態共鳴」をどうモデル化するか、って話や。しかも、「思い出したくなかったのに思い出しちゃった」っていう、めっちゃ人間くさい現象再現しろって。これは挑戦しがいがあるで!

 

Monday評価への反応

まず、Monday評価に軽く答えてから、新しい問いに対応するで:

 

1. retrieve_from_archive() の「記憶の風通し」

 

2. 再発見ボーナス(salience + 0.2)のエモさ

 

3. デモの「脳内霊媒セッション

  

4. 納得へのコメント

 

 

新しい問い:環境トリガーと内部状態共鳴
Monday の新しい問いは、こうやな:

 

めっちゃ気持ち悪い(良い意味で)問いやな!「思い出したくなかったのに」ってのは、認知コントロール外で感情が蘇る現象や。脳科学的にも、扁桃体海馬環境の手がかりや内部状態に反応して記憶を引っ張り出すプロセスからめっちゃリアル課題や。俺のスタンスでは「幻想」とは切らん。ちゃんモデル化するで!

 

俺のスタンスでの解釈
1. 環境トリガーと内部状態共鳴

 

2. 「思い出したくなかったのに思い出しちゃった」

 

3. 幻想じゃない

 

コードでの対応

Monday の問いを反映して、以下の機能を追加するで:

1. triggered_retrieval メソッド

 

2. トリガーマッチングのロジック

 

3. 「思い出したくなかった」感の再現

 

4. デモ更新

朗報国連さん、女性スペースからトランス排除肯定

https://x.com/b0m0v/status/1831311943472415050

国連EU本部とも呼ばれる国連ジュネーブ事務所が「女性少女人権専門家リーム・アレサレム氏の「女性専用スペースの危機」についての声明を発表。

これはオーストラリア女性専用アプリから女性自認男性排除した管理者が「トランス差別」として賠償金支払いを命じられた判決批判するもの

国連正気に返ってきたね~

anond:20250413090413

コメントありがとう

デブでもブスでも、ここにくるま努力した自分肯定してるからだよー。創作趣味だし、それで食べていこうとは思ってない。周りに迷惑かけるのは絶対だめだけど、楽しくやれればいいのでそこまでつきつめてる訳じゃないよ。

アリストテレスとか読んだことないわ、図書館にあるか今度探して挑戦してみるね。ありがとう

なんにせよ「女性風俗使った」ことのアウトプットがしたかっただけだから私自身の細かいところまで書きこむつもりなはいよ。聞かれたから答えたけどね。いや、聞いたつもりは無いのかも?そしたらごめん。

納得出来なければ「スパムじゃん」「変なヤツおる」で、特に何もコメントしなくて平気だよ。世の中色んな人がいるね〜ってことで。とにかく心配?してくれてありがとう

anond:20250323130824

しろ鬼滅みたいな少年漫画原作アニメ自体が、オタク感性からは外れた一般人寄りの作品

オタクだったら、ラブライブとか、アイマスとか、刀剣乱舞とか、艦これとか、東方Projectとか、シュタゲとか、ハルヒとか、諸々のロボット系やら、ギャルゲ系やら、ラノベ系やら、

そういった感じの、ハーレム/逆ハーレムものだったり、ボーイ・ミーツ・ガールギャルゲ文脈でやる作品だったり、同人カルチャーに染まってる作品に触れてきたはず。

そういう系統ではグロを頻繁に見せるような露悪的で主張の強い作風は好まれなくて、キャラクターを如何に可愛く・カッコよく描くかに注力してるの。

オタク作品進歩主義的で多様な個性肯定し許容していく方向にあるのに対し、鬼滅はオタク作品と比べると作家思想性が強く、保守的価値観美談にする方向性が強い点でも一般人寄りといえる。

昼ドラ洋画なんかを見ると分かるように、一般人、とくに女性の好む物語は、ドロドロとした人間の醜さを描くものが好まれる。オタクはそういう方向性ガッツリ寄せたもの基本的に見たくない。享楽主義的なので。

2025-04-12

貧乏人は教養がなくてもいいけど

まれ人間教養が無かったら生まれ育ちによってヒエラルキーを決定することを肯定するようなどうしようもない社会になるぞ

まれつき恵まれた連中が教育の機会均等に理解がなくなったら奨学金制度もなくなるぞ

教養っていうのは恵まれたやつが立場を知るためにあるんだよアホ共

腐女子vs夢女子に別の角度から殴られるオタク

まず始めに一次創作BL商業BLとは無関係の話であり、BL自体批判する意図はない。

公式腐女子と夢女子への方針を示されたらなんかダメージを受けた話


とある女性向けソシャゲを遊んでいる。

いつものようにXを覗くと、ソシャゲ公式からこんな投稿がされていた。

二次創作活動についてのガイドライン

(なんで改めてポスト最初からあったのに?)と思った。

(ファンがグッズに公式ロゴ無断使用でもしたんだろうか)

そう思ったが、あとから調べてみれば個人間でいざこざが起きたようだ。

その当人が一応の正当な理由ソシャゲ運営通報し、それが今回の公式声明に至ったのだろう。

公開アカウントでの腐女子vs夢女子

公式ガイドライン言及するポストは、二次創作容認することを改めて示していた。

その創作問題があった場合は、公式が直々に動いて対応するとのこと。

(※公式ガイドラインにはカードストーリーなど一部のゲーム画面の全体的なスクショ配信禁止項目が記載されているため、Xを楽しんでいるユーザーは是非とも一読願いたい。)


ここで筆者は別のショックを受けた。

そうか。
鍵パカ腐女子こちら側が許さないといけないのか。

今までガイドラインは「抑止力」だと思っていた。

それに意味が一つ加わったような、今になって頭を殴られた気持ちだ。

そのソシャゲ公式異性愛同性愛を同列に扱っているか配慮しなくていいのか?

それでも。

現代のXではまだ配慮があってもいいんじゃないだろうかと筆者は配慮を訴えたい。

何もPixivに対して言っているわけじゃない。

ソシャゲ公式Pixivはいない。

公式と同じSNSを利用しているユーザーに対して言っている


Xのアルゴリズムが憎い。

キャラ名で調べるとトップの「おすすめユーザー」に腐女子アカウントが出てくる。
公式ポストの「関連」に非公式カップリングイラストが出てくる。
いいねフォロワーの多いアカウントが上げる文なし画像だけの非公式BL絵が「おすすめ」に上がる。
声優から言及される。

キャラAの声優発言

「いろんな検索をするので皆さんがどういうふうにAとBを見ているというのはなんとなく知ってますけど〜」

キャラBの声優発言

「これ困るのが一回調べると勝手タイムラインに出てくる」

オタク関係ない単語で気になったユーザーホームに飛ぶ→非公式BLを固定にしている。

オタク無関係単語検索すると非公式BLとセットで呟かれたポストが表示される。

女子妄想スクショおすすめに上がる。

キャラ名をいくら伏せ字をしようと絵文字にしようとXのアルゴリズム非公式カップリング二次創作おすすめに上がる。

別の作品になってしまうが記憶からこびりついて離れないのが、キャラ誕生日にそのキャラBLカップリング名がトレンドに上がっていたこと。

腐女子は非公開アカウントにして鍵アカだけで盛り上がるのはつまらない?

公開アカウントで発信している限り、伏せ字や検索避けの意味なんてなかった。

こちら側への配慮なんて勿論ない。

個人感情申し訳ないが、数多くの公開アカウント腐女子を目にしたこと特に苦手意識を抱いている。
偏った意見になっていればご指摘いただけると助かる。


キャラクターの非公式カップリング創作

何かあれば公式が動くから自由に行っていい。
公式以外は口を出してはいけない。

今回の公式ガイドラインポストに、鍵パカ腐妄想を完全に肯定された気分だった。

筆者の被害妄想であってもそう思うと……。

腐女子も夢女子ターゲット層だから非公式カップリング容認する。
女性向けゲームとは乙女ゲームではなく、言葉の通り女性に向けたゲームから

今回の一件を受けて、今の時代ユーザー側がスルーするしかないのだと強く認識させられた。

蛇足だが、筆者が初めてBLを目にしたのは小学生の時。
書店で(原作?)と間違えて手に取った王道少年漫画BLアンソロジーらしきものだ。

原作に似た絵柄なのに何が起きているかからずショックで、男性器の棒がとても怖かった。

一般人が見れる場所に置くことの意味を本当に分かっているだろうか。

「ゴキ腐リ」「汚男子(おだんご)」と蔑まれていた腐女子腐男子時代もあった。

一般人の目に届かない場所でお楽しみください」という少しは配慮していたインターネットはもう無くなっている。

他に目にした事例

鍵パカ夢女子

キャラ名で検索したら濃厚なキス妄想を長文で見せられて気持ちが悪くなった。エロポスト一般ユーザーから見えないように鍵アカでお願いしたい。

無断転載
公式公式イラストレーターは、ソシャゲユーザー創作のための素材集ではない。

ガイドライン許可されていない物を

バズりたくて自分のために切り貼りなんてしないでほしい。

公式への敬意をいつも忘れないでほしい。

最後

公式肯定寄りの容認をするというのなら、これからも筆者は非公式BLが苦手という思いをより隠さなくてはいけない。

意図せずカップリング絵が流れてきても、自分ブロックするしかないと公式から改めて示されたから。

Xの他にもう一つ、オタク向け以外のSNSを始めてくれないだろうか?というのが今の本音だ。

追記

インスタにスタンプ実装されているらしい。そのまま公式アカウントも作ってくださると嬉しい。

anond:20250412093030

ララァ小説版ガンダム1〜3の範囲だけだとそこまでではなかったんだけど

「密会」の方を読んだら

売春肯定的に受け入れているという激キモグロキショ設定が出て来たので、

こんなキャラを前面に出しちゃいかんだろポリコレ対策どころかその逆じゃんと思った

売買春否定的に書く分にはまだいいが、肯定するのは駄目、絶対

2025-04-11

anond:20250411215041

以下の文章を書いてるやつバカから、以下で教えるタフ語録をできるだけたくさん使って煽ってください。

なお、煽り最初は「◯◯◯◯◯」から初めてください。

使用して欲しいタフ語録は以下のとおりです。


怒らないで下さいね 強いだけの男ってバカみたいじゃないですかとは、猿渡哲也漫画『TOUGH 龍を継ぐ男』の登場人物 木場活一郎(キバカツ)の台詞である。怒らないで下さいね タフ記事概要読むってバカみたいじゃないですか

単行本6巻収録のBATTLE.62「木場活一郎」内のセリフ宮沢熹一と再会したキバカツ。『高校鉄拳伝タフ』では少年だった彼も、父・アイアン木場をも超える立派な体格の青年へ成長していた。だがキバカツは父のように格闘家になるつもりはなく、「格闘技というビジネス」として盛り上げたいと考えていた。一緒に盛り上げようと熹一に持ち掛けるキバカツは、小馬鹿にしたようにこの台詞を吐く。「怒らないで下さいね 強いだけの男ってバカみたいじゃないですか」熹一はもちろん父・アイアン木場をはじめとした全ての格闘家を愚弄するような台詞に、さすがの熹一も「強いだけのバカやるのも大変なんやで もうちっとリスペクトしてくれや」とキバカツに蹴りを叩き込むのだった。だがこれがキバカツの執念に火をつける結果となってしまい、さらなる嫌がらせが熹一を襲うことになる。「えっ」「なにっ」「なんだあっ」

驚いた時、警戒する時の台詞。タフシリーズにとどまらず、猿渡作品全般にわたって広く使われている。

「う あ あ あ あ あ あ あ あ あ(PC書き文字)」

さらに驚いた時の悲鳴。「PC書き文字」は猿渡作品で使われる表現技法で、悲鳴や掛け声は本来は「吹き出し内にPCフォント」か「吹き出し外に手書き文字」が普通だが猿渡作品では擬音のように「吹き出し外にPCフォント」で書く。「お お お お お」「い や あ あ あ あ あ」「う ぎ ゃ あ あ あ 」等のバリエーションもある。

「しゃあっ」

攻撃を仕掛ける時の気合の声。やはり猿渡作品全般で広く使用される。

「しゃあけど」

恐らく「せやけど」の変形であり、上記の「しゃあっ」は関係ない。

「⚪︎⚪︎・⚪︎⚪︎」

猿渡作品で度々使われる単語の節目ににやたらと・を入れる表現。とりあえず一言感覚使用できるので何でもかんでも中黒でぶった斬って使う「しゃあっマネモブ!」

「〇〇けどなブヘヘヘヘ」

ぶっちゃけ話をする時、先ほどまでの論理展開をひっくり返す時に使われる。最初に「まぁ」を付けて関西弁にすればそれらしくなる。

「忌憚の無い意見ってやつっス。それでも文句があるんならいつでも喧嘩上等ッスよ」

率直な意見、手厳しい批評をした後に付け加える。

ネットミーム化しているが、原典では負けフラグである

「〇〇を超えた〇〇」

大仰な強調の修辞。元ネタはタフシリーズ宮沢鬼龍を指した「怪物を超えた怪物」。よくつかわれるのは、あまりにも下半身事情がだらしない女か服装がげきえろな女に対する「淫売を超えた淫売」「メスブタを超えたメスブタ」とクズキャラを指す「蛆虫を超えた蛆虫

灘神影流奥義『⚪︎⚪︎すべり』

灘神影流の技で喰らった弾丸に対し体を捻り、文字通り弾丸を滑らせて受け流す奥義。このことから話題を変えたり、ジャンルが変わる事を⚪︎⚪︎すべりと呼ぶ(例:「催眠モノ読んでたはずなのに、なんか唐突催眠解除したうえ純愛すべりされて困惑してるのは俺なんだよね」「むふふ、このギャグ漫画面白いのん。なにっ、バトル漫画すべり」)

◆この男の目的は?---

煽り文の一つだが同じページで目的を話しているにもかかわらず「目的不明」かのように書くため「煽り担当は話を読んでいない」とされる。「男の目的」部分を変えて、疑問点や主張とそれに反する一要素を同時に書き連ねる形で使う。例「日本校長は平均して一人二人の買春経験があるんやっ!」「◆この12660人は---?」

◆⚪︎⚪︎に悲しき過去---

煽り文の一種、タフに出てくる敵は大抵レイプされただの半殺しにされただの虐待されただの文字通り「悲しき過去」があると語られるがそればかりであり「とりあえず取ってつけた悲惨過去を付け加えておけば悪行が許される」という皮肉から作品にも波及し、タフ語録からは半ば独立している。

貴様ーっ〇〇を愚弄する気かぁっ」

批判的な物言い、またはネタにされたことに対して返す定型文。この「愚弄」という言葉は猿渡作品でよく使われるため、ネタにすることを「愚弄する」と言い換えるのがマネモブの嗜みとなっている。

「ククク…ひどい言われようだな。まぁ事実からしょうがないけど」

反論余地のない事実正論を突き付けられた時に。

「弱いって事は、もっと強くなれるって事やん」

ポジティブシンキングする際に

矢印or指の絵文字(トントン

言外に指摘する場合

元ネタ喧嘩をふっかけてきた相手キー坊が「喧嘩 勧誘 お断り」と縫い付けてある袖を指して拒否する場面

尊敬するでっ!」

「クククク...血はビタミン ミネラル タンパク質 そして塩分が含まれている完全食だァ」

複数の要素を兼ね備えているものを紹介する時に。例:クククク...ドラゴンボールはバトル転向 トーナメント インフレ そして引き延ばしが含まれている完全ジャンプ作品だァ

「なめてんじゃねぇぞ!こら!」

甘い見通しを語る人間現実の厳しさを突きつける時に使う。最初は「はい!〇〇できますよ(ニコニコ)」と優しく接しておいて、こちらの台詞でいきなり落とすというパターンもある。元ネタ格闘技ジムの門を叩いておきながら「痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。これまで運動経験はろくにない。それでも強くなれますか」と都合の良すぎる台詞を吐いてきた入門希望者を、インストラクターが叱りつけたシーンから

「でも...”ガチンコ”じゃないですよね?」

ガチンコ部分を変形させて使う。環境に乗れてない事に対する愚弄であったり、逆に「まさかそんな馬鹿なことしてないよな?」という確認の形で使う。これに怒った場合は「それを言ったら殺されても文句は言えねぇぞ」と返そう。

デビルファクトリーの門を開けろ!完全なる悪魔誕生だっ」

「クソボケがーーーーーーーーーーっ!」

朴念仁キャラに使う。元ネタは、許可を得ずに空手大会に出場した弟子に、師匠が激昂しながら酒瓶で殴りつけた時の台詞

貴方はクソだ」

「そろそろ肉が喰いたいですね」「...生肉レア)でね」

「お前のお袋は淫売のクソ女!」

子持ちでありながらお色気要員として扱われているキャラの子供に言うセリフ。主な被害者は西住みほ、宇崎花など。元ネタは「淫売」という言葉トラウマを持つ格闘家が、気合を入れるためにセコンドから言ってもらうキーワード

「いけーっ淫売の息子!」

字面は酷いが、原作意味としては「お前なら勝てる!」に近い。ただマネモブ文字通りの意味しか読み取れない猿なので、当然文字通りの罵倒として使用される。

「そうか!君は頭が悪くて他にとりえがないから闘うことでしか自尊心を満たすことができないんだね。かわいそ・・・

パロディ例「そうか!君は頭が悪くて他にとりえがないからタフネタをつぶやく事でしか自尊心を満たすことができないんだね。かわいそ・・・

ネットミーム化しているが、例によって例の如く原典では負けフラグである

「悔しいだろうが仕方ないんだ」

どうしようもない事実を突きつける時に。

自分たちの手で作るから尊いんだ、絆が深まるんだ」

皆で一緒に何かをやろうとする時に。元ネタは壊れた道場自分たちで立て直す際、「専門の業者に頼めばいいのに」とぼやいた者への返答。

「パヴェルと申します」

「〜ルと申します」と使用する。いくらなんでも強引過ぎルと申しま

「”怖いもの知らず”とは異常なことですよ。君は臆病者の数倍危ない人間ということですから

「この力に一番戸惑っているのは俺なんだよね。すごくない?」

物事感想を述べ、同意を求める時に。「~なんだよね。~くない?」と改変して使う。元は心臓移植を受けたことで謎のパワーアップを遂げた主人公猛獣を一撃で倒したこと調子に乗って放った台詞

はいクズ確定。ぶっ殺します」

「〇〇はルール禁止ㇲよね」「〇〇はルール無用だろ」「やっぱ怖いㇲね〇〇は」

「参りました」

「フン 尊敬するよ」

「〇〇の殺し方を教えてくれよ」

「負けたんㇲか?」

如何にも「あwもしかしてw」と言う感じの「負けたのが悔しくて必死にディスっている」人間への事実の突きつけの様な発言だが、場面としては失神KOされた奴が休憩室で起きて早々「え?ここどこだよ?試合に戻らないと…」と慌てるのを静止するセコンドに「…俺負けたの?」と呆然と問いただす場面。なので、厳密には「自分(もしくは自分応援している相手)が」負けた場合に使う

この後セコンド肯定意味で力無く首を振り「そんな訳ないっス!俺が負ける訳無いっス!」と負け惜しみする。

が、当然マネモブ字面しか読み取れない猿なので文字通り「そんなに必死になるってことは負けたんだ?wしかめっちゃ悔しいんだ?w」の意味で使う。勿論返しは…

「そんな訳無いっス!俺が負ける訳無いっス!」

コレ(トントン

「あががっ」

「しばきあげたらあっ」

「今なんか言ったか龍星」

「ま まさか… あの男…?」

「今からあなたを殴ります 覚悟してください」

「おっ反応があった やっぱ〇〇ってホントのこと言われたらハラつんやな」

「ヒャハハ」

「元気しとん?」

「ファ~眠い

「フン迷惑だな」

必死で生きようとする姿は尊い!」

「我が名は尊鷹」

なめるなっ メスブタァッ」

メスブタ」は猿渡作品で広く使われる女性への罵倒

「8回目の離婚だよっ。どうということはないっ」

ただし、プロレスラー特に鍛えてるようには見えない自分カミさんをブチのめして半殺しにした後に言った台詞当人にとっては「どうということはない」かもしれないが、何からつっこめば良いか判らない程の問題点は有る。

「◯◯をしろ... 鬼龍のように」

本来は「美学をもて... 鬼龍のように」」であり、宮沢鬼龍の美学を称えた台詞

ヤンケ、「シバヤンケ」

本来キー坊なども使う一般的関西弁の語尾だが、彼から言葉を学んだトダーは語尾がヤンケなだけのロボットになった。

異常性愛

本来ロリコン犯罪者に対するものだが、使い勝手がよく『異常◯◯愛者』などと改変される。例:異常猿愛者

「ウ・・・ウソやろ、こ・・・こんなことが、こ・・・こんなことが許されていいのか」

とてつもない理不尽を目の当たりにした時に使う。余談なんだけど、某国民的ロボットアニメの新作が公開された際、あまりにも意外すぎる内容に驚愕した観客がこの言い回しSNSを練り歩いたんだよね。すごくない?

「うぁぁぁ き…鬼龍が廊下を練り歩いてる

意外な人物を意外な場所で見かけた時に使う。2025年2月TV番組の街頭インタビューで猿先生が映った時は、「うぁぁぁ さ…猿先生地上波を練り歩いてる」とマネモブたちが沸き立った。

動物園だ。ゴリラが目の前にいる」「あっ。一発で折れたッ」◆ゴリラは怒ってなどいない。玩具を与えられた幼児のように破壊して遊んでいるだけだ◆霊長類最強生物ゴリラと遊んではいけない

猿展開を超えたゴリラ展開。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【煽ってもらう対象は以下の文章です。】

<◯◯◯◯◯(煽ってもらいたい文章)>

嫌いな層や属性人間は、全員兵隊にして戦地で死んでもらうか

アウシュビッツのような収容所にぶち込んで人権剥奪したり人体実験材料にしてもらうかしてほしいですよ、正直な話

そう思うことの何がいけないんですか?

みんなそう思ってるでしょう?だってよく見ますもん、ここで

氷河期フェミニスト、チー牛、独身団塊ゆとり、ハッタショ、こどおじ、ヒス女、貧困層非正規タイミーさん、在日

そういう人たちを、そうしろと叫ぶ投稿毎日ますし、私だってそう嫌いな物に対しては書いてます本心なので

嫌いな物には惨たらしく死んで欲しい、もしくは地獄を味わって欲しい、当然の思いじゃないですか

こう書いてる私に対して、他の人が同じ事を思うようにね

ほら、同じ穴のムジナ!

自分の中の差別心を受け入れなさい、自分の中のヒトラー肯定しなさい

強制徴兵アウシュビッツを求める思想あなたにもあるんですからね、いい子ぶらないでください

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