はてなキーワード: 所在とは
ここ1年で初めてはてなブックマーク日毎の総合人気エントリ入りしたドメインからのホットエントリ、ブクマ数順トップ30
ブクマ数 | タイトル | ドメイン |
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3059 | 【保存版】親が亡くなったらやること全52項目を解説!一覧チェックシート付き - リハコ | re-hako.com |
2157 | 中小企業のための「生成AI」活用入門ガイド | www.tokyo-cci.or.jp |
1121 | Gitの中身 | kaityo256.github.io |
967 | 被写体の時代からルックの時代へ。写真の救世主になるか?ルックについて理解しよう! | ShaSha | www.kitamura.jp |
920 | 数学科の院生が教える本当に初学者向けの数学書 | mathlog.info |
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882 | [PDF]フジ・メディア・ホールディングス 【第三者委員会の調査報告書受領に関するお知らせ】(2025.03.31) | contents.xj-storage.jp |
740 | ワールドメイト教祖誕生会に国会議員10人が登壇、20人が祝花=立憲民主が過半数 | dailycult.blogspot.com |
703 | スタートアップのピッチ大会で5回優勝した、私なりの勝てるプレゼンの作り方 - 宮田昇始のブログ | blog.shojimiyata.com |
679 | SNSで考察加速中「翠」の広告、CDとADが明かす「ち」で改行の理由 | www.advertimes.com |
622 | 部下の成長支援を目的とした1on1ミーティングに関する定量調査 | rc.persol-group.co.jp |
576 | OpenAI.fm | www.openai.fm |
454 | JavaScriptがブラウザでどのように動くのか | メルカリエンジニアリング | engineering.mercari.com |
440 | 「従業員退職型」の倒産動向(2024年)|株式会社 帝国データバンク[TDB] | www.tdb.co.jp |
434 | 3-Dセキュアにおける認証取引の仕組み解説 - JCB Tech Blog | tech.jcblab.jp |
417 | AIを使った新しい学習法が現れた本を読んだ | Colorful Pieces of Game | www.highriskrevolution.com |
405 | 原作:つるまいかだ先生×オープニング主題歌担当:米津玄師さんスペシャル対談 | スペシャル | TVアニメ「メダリスト」公式サイト | medalist-pr.com |
398 | クックパッドを退職しました | diary.sorah.jp |
398 | 「日本の労働生産性はなぜこんなに低いのか」論を考える – 橘玲 公式BLOG | www.tachibana-akira.com |
395 | ふりかえりの質を上げることで成長の質を上げる - Tbpgr Blog | tbpgr.hatenablog.com |
382 | 「WAON POINT」と「WAONポイント」の違い| 《公式サイト》スマートワオン | smart WAON | smartWAON.com | www.smartwaon.com |
373 | 「精神疾患とは何か」について哲学的に考えてみる─精神疾患の定義問題―(前編)(九州大学人文科学研究院専門研究員:後藤真理子) #心とは何か|「こころ」のための専門メディア 金子書房 | www.note.kanekoshobo.co.jp |
363 | はてな民WEB広告嫌いすぎで笑った - ←ズイショ→ | zuisho.hatenadiary.jp |
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351 | 【要約】『イシューからはじめよ』 – プロダクトマネージャーが圧倒的成果を生むために必要な「イシュー度の高い課題」を見極める方法 - PM x LLM STUDIO | pm-ai-insights.com |
300 | J2ジェフユナイテッド千葉FW呉屋大翔の落下…責任の所在はどこにあるのか指定管理者の株式会社札幌ドームに直撃|Qoly サッカーニュース | qoly.jp |
262 | (まとめ)第2次トランプ政権(2025年~)による学術・研究・知的自由への影響(2025年3月まで) | readingmonkey.blog.fc2.com |
257 | ソフトウェアが成功する仕組み - bonotakeの日記 | bonotake.hatenablog.com |
252 | 3月16日(日)礼賛公演中の事実確認と対応についてご報告 | NEWS | キョードー大阪 | kyodo-osaka.co.jp |
248 | “名古屋飛ばし”アーティスト続出が若年層の人口流出の一因か 愛知県のライブ公演数は全体のわずか7% | news.tv-aichi.co.jp |
A 周辺人物の行動や漏れ伝わるコメントからさらに深掘りしてください。
Q 非常に重要な視点です。中川昭一氏の「酩酊会見」から死に至るまでをより深く理解するためには、周辺人物の言動や漏れ伝わるコメントから読み取れる「見えない力学」に注目する必要があります。以下に、複数の観点から深掘りします。
● 会見直前まで一緒にいたはずの財務官僚たちが何もフォローしなかった
• 通常、国際会見の場で大臣が明らかにおかしな様子であれば、同行の官僚が止めるか代理で出席するなどの対応を取るのが常識です。
• にもかかわらず、周囲の財務省幹部や同行者はそのまま会見に出させた。これは「失態を止めなかった」のか「わざと出させた」のか、疑念を呼びました。
• 財務省側からの明確な経緯説明は行われず、責任の所在は不明確なまま。
• 会見の場には「酒」が提供されていたという情報もありますが、それを誰がどう準備したかについても曖昧です。
【2】周辺政治家の冷淡な反応
• 麻生首相は中川氏の盟友であり、同じ保守派グループ出身です。
• しかし事件後は距離を置き、「体調管理が不十分だった」と中川氏本人に責任を押し付ける姿勢が目立ちました。
• 一部では、政権へのダメージ回避のために切り捨てたという見方もされました。
• 民主党はこの件を「政権批判の材料」として大々的に取り上げましたが、中川氏本人の健康や背景事情に配慮した言及はほとんどなかった。
• 自民党内部からも「自業自得」という声が出ていたとされ、身内の支援がなかった孤立状態がうかがえます。
●「殺されるかもしれない」発言
• 死の数か月前、中川氏は知人に「自分は殺されるかもしれない」と漏らしていたという報道もありました。
• また、彼は外資との距離を強調する財務政策を取っており、国際金融筋から「目障りな存在」と見られていた可能性もあります。
• 「夫は繊細な性格で、あのような会見の後は非常に落ち込んでいた」「睡眠もまともに取れていなかった」と証言。
【4】死亡当日の状況
• 死亡時の状況は、ベッドにうつ伏せで倒れ、周囲に吐しゃ物があったとされています。
• 薬の瓶も見つかっており、急性の薬物反応や心停止の可能性があるとされましたが、**死因は「病死扱い」**で詳細は不明のままです。
● 司法解剖はされたが結果は公開されず
• ごく簡単な解剖が行われましたが、アルコールも薬物も致死量ではなかったと報道されました。
• それにもかかわらず、なぜ急死に至ったのかは未だ不明で、闇に包まれています。
• IMFへの10兆円支援を提案した一方、国内財政の主権を強調。
• 「財務省主導の政策」からの独立を模索し、財政規律よりも日本国益重視の立場。
• 国際金融資本・外資系メディア・外資系金融との摩擦があったとの見方。
【まとめ】
【官僚の対応】会見前後の対応に不可解さ = 放置or策略的だった可能性
【政治的孤立】麻生氏を含む自民党の冷淡な反応 =「見捨てられた」印象
【言動】「殺される」発言、精神的圧迫 = 強いストレス下にあった
たまたま元増田は譲歩しても良い条件に感じているから譲歩して良いと言っているだけで
相互の妥協点を決める話を先延ばしにしているだけなんだよなそれ。
例えば男の子と泊りの旅行に行きたいって言い出した時は?危険はないから問題ないとして了承するのか。
結局は要求と妥協点の釣り合いだけ。親と子のリスク評価が異なっていたらどこまでも終わらない話
最終的に嘘が良くなかった点だということに理解を示しているようだし
この親御さんは十分に信頼関係を築く努力はしているように思う。信頼が重要という点は同意するが
最も大事なのはどうしても譲れない点はどこなのかという理由を互いに納得させられるか
学校が定めたものを破るならそれなりにリスクがあり、その時の責任の所在が誰になるのか
結果を十分に考えさせ、自分も考えたうえで納得できるのなら行かせてあげても良いだろう
『チ。』最終回を見た。アルベルトの懺悔を聞く司祭はレフ。CVが同じ。告白も符合。この告白はその昔、アントニ司祭の謀略からヨレンタを逃したシモンを見殺しにしたときのことだろう。
ちいさいときのアルベルトは少女時代のヨレンタさんにそっくりだった。外見だけでなく真理を求める強い意志、その代償としての過酷な運命までもが似ている。
アルベルトの入学を受け付けるクラクフ大学職員は晩年のノヴァクに似ている。
ラファウが真理探究に取り憑かれるあまり魂がどこかにいってしまっている。現代の科学倫理の喪失を想起させる。
『チ。』は四部構成で、第一部から第三部まではつながっていた。第四部は前部とつながっているようにも見えるが、明示されることはない。繋がりをしめすものは細部に隠されてしまっている。フベルト、ラファウ、オクジー、バデーニ、ヨレンタ、ドゥラカ、死んでいったみんなの思いは引き継がれたのかどうかは明示されない。幾多の命と引き換えに伝えられたオクジーさんの著作は出版にこぎつけそうな気配になっている。だがほんとうに出版されたかどうかは明示されない。すべてが失われたのか、何かが伝わったのか、具体的なことは何も明示されない。それでも真理をもとめること、考え続ける行為は絶えない。絶えそうになっても息を吹き返す。結論に込められたメッセージは予想ほど明示的で目立つものではなかった。ただ、静かに、しかし確かに、火は消えずに灯り続けているようにも感じられる。
『チ。』の第四部が過去の登場人物たちとのつながりをあえて細部に隠した構成になっているのは、真理の探究が「誰のものか」ではなく、「時代を超えて続く行為そのもの」だからかもしれない。第一部から第三部までは明確にバトンが受け渡されてきたが、第四部ではその継承が曖昧になり、読者に問いを残す形で終わっている。オクジーの著作の出版についても、最後に明示されない。それはおそらく書物という形で世に出るかどうかよりも、その思想や問いかけがどこかの誰かに届き、受け継がれることが重要だという示唆なかもしれない。すべてが失われたかどうかは明言されないけれど「考え続けること」は決して絶えない。明確な結論や劇的なメッセージではなく、静かに問いを残して終わる。それはまさに、作品全体を通して描かれてきた「知の探究」と同じに見える。決して終わることのない、けれど消えることもない営みとしてのフィロソフィア。
いま私たちはデジタルアーカイヴの時代を生きているが、過去の事象を自由に検索し辿れるようになったのはせいぜい10数年のこと。それより昔の記録は意識的に探さないかぎり見つからないし、失われているものも多い。記録が増え始めたのはせいぜい20世紀以降のこと。それ以前の記録は遡るほど失われたものが多くなり、数百年前の史実を復元することは困難だろう。ようするに過去のほとんどは失われている。そのなかを奇跡のように伝わったアーカイヴが細い糸のように時空をつなぐ。ただその背後にあるものは偶然だけではない。記録を後世に伝えよう、記録を共有しあらたな文化を切り拓こうとする人々のときには命懸けの意思が働いている。『チ。』を見終えて感じたのは、伝えることの意味、それ以上に、考え続けることの価値、かもしれない。考え続ければたとえ失われても真理をふたたび見つけ出すことができる。タウマゼイン、アポリア、エウレカ、怪獣、そして蛇。巨人の肩の上に立つと言われる科学がよって立つその巨人の姿は多彩で全貌はほぼ失われてはいるがまちがいなく巨大だと。
ヴァイツゼッカーの言葉は、過去を忘れるものは現代において盲目となる、だったか。
科学も思想も文化も、過去を忘れない。だがその過去は遡れば遡るほどじつはほとんどがすでに失われている。それを掘り返す作業は重要だがそれは真理の探究のすべてではない。なぜなら過去は宗教やイデオローグではなく、ましてや真理ではないからだ。真理は過去にあるわけではない。真理は時空を超えて厳然とある。今のこの時代に、今持てるものを動員し、今と未来を考えろ。『チ。』はそういうふうに私たちを励ましているのかもしれない。
フベルトもラファウもオクジーさんもアルベルトも肉眼で星を見た。だがガリレオは望遠鏡をつかった。現代のわれわれはネットワーク化された電波望遠鏡、ジェームス・ウェッブ望遠鏡も持っている。われわれの次の世代はもっとすごい望遠鏡を持つだろう。そして考え続けるだろう。思い返せばフベルトさんの地動説はラファウ少年が修正する必要があった。ポトツキさんからみればラファウの計算も修正すべきものだった。バデーニさんはそれをさらに修正する必要を認め、ついに石箱の記録の限界を看破した。バデーニさんは惑星の楕円軌道を発見する。ただしそれは現代天文学が導いた楕円軌道と比べると、誤っている。
ようするに知見は更新される。そしてそれこそが科学のほんとうの姿でる。そこにあるのは記録の継承と同時に、考える行為、探究する行為の継承なのかもしれない。『チ。』はけっきょくそのことをわたしたちに伝えているのかもしれない。
ところで、オクジーさんの著作はけっきょくどうなったのだろう。
バデーニさんの傍で、ヨレンタさんから文字の力を伝えられたオクジーさんが著した『地球の運動について』。バデーニさんとクラボフスキさん、名もなき貧民たちが命がけで複製し、のちのヨレンタさんが出版を試み、ドゥラカがその意思を継ぐ。最終話で、かつてのポトツキさんの家にとどいた手紙はドゥラカからのものである可能性が高い。しかし原稿の所在は明かされないまま物語は終わる。ドゥラカはもう死んでいる。結局この本は出版されたのだろうか?
物語の流れを見るかぎり『地球の運動について』が完全に世に出たとは断定できない。しかし知の火は確実に受け継がれていることが示唆されている。ドゥラカがその意志を継いでいる以上、原稿を守る手立ては設定済みで、どこかで誰かが出版の機会を待っている可能性はある。また、現実の歴史においても、抑圧された知識や思想はすぐには広まらなくても、時間をかけて受け継がれ、いずれ世に出ることが多い。『チ。』もその流れを踏襲しており、「たとえ今すぐに形にならなくても、知は未来へとつながる」というメッセージを込めているのかもしれない。仮に、もし本が出版されなかったとしても、アルベルトが名門クラクフ大学の門を敲き、後にコペルニクスが弟子となる。その事実は揺るがない。
最終回はその解釈をめぐり賛否が入り乱れているらしい。わたしにとってはどうでもいいことで、この物語から自分が何を得るか、だけが大切だと考えている。
アルベルトの風貌は、かつて少女ヨレンタを救い逃したシモンにそっくりだし、その少年時代の風貌は少女ヨレンタにそっくりだった。懺悔室でアルベルトの告悔を聞く神父は、ヨレンタを逃した罪で殺されたシモンの同僚、レフに間違いない。レフはかつてシモンを見殺しにした。そうしなければ自分が殺されただろう。その葛藤をかかえながらレフは四半世紀を生きてきた。レフはシモンを彷彿とさせるアルベルトに巡り合ったことで、その葛藤に正面から向き合おうとしはじめる。アルベルトはレフに巡り合ったことで知的好奇心に対する極端な二元論を止揚し、知の世界へふたたび足を踏み入れる。
この物語の賛否をわける大きな要素がラファウの再登場と、最後に見せる殺人という行為らしい。
ラファウとはたぶんこの物語のなかで唯一、人間でないものだと思う。それはおそらく『チ。』そのもの。探究心と好奇心、真理への道のりの象徴なのだろう。ラファウはポーランド語表記に従えば、Rafał。この名はポーランドではありふれたもので、その由来が大天使ラファエルの名であることにそれほどの意味はないかもしれない。ただし大天使ラファエルの役割は「導く者」、ヘブライ語の原義は「神の癒し」。ラファウがこの物語の導き手であることは間違いない。もっともラファウの振る舞いは癒しの語義からはかけはなれている。その存在はむしろ知への渇望と狂気を導くようにすら見える。
たとえばフォン・ブラウンはV2がロンドンに到達した報告を受け満足した。かれはただロケットが好きで、自分のロケットを飛ばせるならナチとでも平気で手を組んだ。弾頭に何が詰まっていようが知ったことではなかった。彼はのちにNASAでアポロ計画を立ち上げるが両者に矛盾はなかった。彼はただ純粋に優れたロケットを開発したかったのであり、彼にとってはICBMも月探査も同じだった。弾頭に何が詰まっていようが知ったことではなかった。彼の目的はロケットであり、ロケットの目的には何の興味もなかった。
『チ。』の登場人物たちもまた真理の探究のためにつぎつぎと命を落としていったが、彼らの行動は必ずしも正義や倫理と結びつくわけではなく、むしろ多くの悲劇を生んでいる。自己目的化した真理の探究はしばしば倫理を超越し人道に背き世界を破壊する。ラファウが導く地平は単純な希望ではない。
結局出版はどうなったのか。
『地球の運動について』は、出版された。それは大きな反響を呼び増刷をかさね総発行部数は数百万部に達した。
ただしその出版は漢の蔡倫が発明した紙とグーテンベルクの印刷機によるものではなく、パルプ紙とDTPオペレーションと高速輪転印刷機によって、15世紀ではなく21世紀になされた。反響は日に日に増幅されついにアニメ化された。四部構成全25話。オクジーさんが著しバデーニさんが複製しヨレンタさんが出版を使命としドゥラカが引き継いだその原稿はついに形をあらわし公開された。このアニメが、そしてその原作こそが、オクジーさんの、フベルトさんの、みんなの思いそのものだ。だいたい、『チ。』の副題が『地球の運動について』。はじめからそう明記してある。
この本はきっと私がしらないいつかの時代にも、連綿と出版され継承されているのかもしれない。過去にも未来にも。それが考える、探究する人間の本質だから。
一週間後に病院に行った。会社はけてぎりぎりという感じの時間の予約だった。だいぶ焦った顔して診察室に入ったからか「急いできたの?」と看護師さんに問われる。
「ちょっと急ぎました。若干小走りになったんですが、走らない方がいいですかね」ときき、「いつもどおり、いつもどおりで大丈夫」と答えてもらった。
(前回食べ物について医院の方に聞いたのは、まずネット検索しよ、よりも、ここにいる医療者の人にきいたほうが情報として確かだろうと思ったからです。そこになにかひっかかってらっしゃった方がいたようなので)
「つわりはじまった?」と開口一番先生にきかれ「はじまってません」と答えたら先生は若干目を見開き、「あそう? じゃ診察いこう!」とにこっとした。
内診にて先生に「心拍でてるよお」と告げられた。私は思わず「おお、そうですか」みたいなよくわからない返事をしてしまった。だってほんとうに、よくわからないのだ。一番近くにいると思しき私にすら見えもしない、世界一に近いくらい小さいであろう心臓が、私にすら今は聞こえない小さな鼓動を打っているらしい。そうか私も、みんなも、生きとし生けるすべての人たちはみんなここからはじまったんだなと思った、事実として。
今、私にも心拍があり、胎児にも心拍があり、まるで一人なのに二人のようでもあり、ひとつのようなのにふたつの心拍があるらしいその事態を、飲み込めていないような、いるような、今までになく心細いような、身の内から励まされて心強いような。とにかくただ不思議であって、心の底からまるでよくわからない気分だった。これはいまもって言葉にするのがとても難しい。いつかうまく言葉に、文章にできるだろうか、まだわからない。そういうことを考えている間も、私は内診台でスカートをたくしあげたまま股を開きっぱなしであり、その股座には機械が入っており、先生は胎児のいい感じの写真を撮ろうといろいろ工夫してくれていた。
私の赤ちゃんのころのアルバムにもエコー写真が貼りこんである、子どもの頃それを見て「全然わからんこれが私と言われても」と思っていたが、あれも産科の先生の渾身のナイスショットであったのかもしれない。私の人生初の超いい写真だったのかも。
頭に去来することも、置かれた状況も、どうにもちょっとシュールだ。何せ股を開いたまま進むことや会話が多すぎる。これが妊娠なのか、とも思った。
先生にも看護師さんにも「よかったよかった」と大変喜ばれた。やはり心配されていたらしい。夫につげてどうたったかというのを看護師さんにきかれて、ほんっとうにめちゃくちゃ驚いていました、と率直に告げた。私たちはそうだった。
前回予定日は10月8日と言われたが、10月5日に変更になった。三日早まった。そのへんの機序もよくわからない。
先生は看護師さんに「ダクチルもう出せる?」ときき、看護師さんは先生に「週数的には出せます」と答えた。「流産どめの薬を出すからね、次の診察まで飲んでてくださいね」と言われた。井之頭五郎ばりに「そういうのもあるのか!」と思っていると、看護師さんには「つわりでよっぽどつらいとき以外は服用してください」と言われた。薬ものめなくなるほどのものなんだ…。つわりやばいじゃんマジ…。
そうしてその日の診察で妊娠届出書を手渡され、次の診察までに母子手帳をもらってきてくださいね、と言われた。ぼ、母子手帳…!! は、母と子の手帳…!!(なんも言ってない)。
母と子の手帳…!! という、中身のない衝撃でぼけっとしている私の顔色を見た先生は私にこう説いた。
「母子手帳は、妊娠しないともらえないものです、それはあなたが妊娠したというあかしです。だからこの先、何があってもね、たとえ無事に産むことができなかったとしても、ずっと大切にもっていてほしい」
なんなら私の棺桶に入れたほうがいいくらいの雰囲気まであった。そのときの私は、先生のこの言葉について、ハチワレくらい「ぜんぜんわかんないっ!」感じであった。それかあの、ほら、あれあるじゃん『小鳥に説教をする聖フランチェスコ』。あれ、小鳥も多分言われてることわかってないでしょ、餌かなんかもらえると思ってよってきただけでしょと思ってんだけど、あの(私の思う)小鳥たちみたいな感じの受け止めであった。まさに鳩に豆鉄砲というおもむきだったが、これは単に、まだ母子手帳の現物も見てないし、先生の言説への咀嚼が追いついていないだけと言う感じもするなと思ったので、その場で「ぜんぜんわかんないっ!」とは言わずに「わかりました」と言った。このあたりのことはまたあとから書く。
そうしてその日も「おめでとう」「おめでとう」と口々に言われながら私は診察室を出た。
前回は有史で言えばエヴァンゲリオン以来だったが、今回は先週の診察以来だった。おめでとうのことばは前回よりも確からしいものになっていた。
翌週の水曜日、役所と会社員の稼働時間はほぼまるかぶりなので、会社を少し早退させてもらって母子健康手帳を受け取りに行った。母子健康手帳ってマジで名前の圧強い。同じ部署(課)でも1Fと2Fで係が細かくわかれているらしく、まず1Fをのぞいていたら、親切な職員さんに「なんの手続きにみえましたか」と声をかけられたので「母子手帳を交付してもらいに来ました」と告げた。するとハッとした感じで、2階に行かれてくださいと教えてくれる。
2階も広大であり、係によって番号札がいったりいらなかったり。母子手帳を交付してくれる係は番号札がなく、それがちょっとめずらしかったのもあって、かなり所在なく待った。あの番号札、待つという行動に根拠を与えてくれるものなのだな…。あまりに所在なさそうだったからか、窓口の中から人が出てきて声をかけてくれて助かった。
記入書類はけっこうあって、生活環境や困りごと、不安、里帰り出産するか、周囲に協力してくれそうな人はいるか、などと細かいアンケートを書き、そのアンケートをもとに保健師さんの細かいヒアリング、出生前の保健師さんの訪問についての下打ち合わせなどもあった。手帳現物が出てくるまでが長かった。
秘仏開帳くらいの厳かさで出てきた母子健康手帳は一冊だけではなく、付随する冊子が大量にあったし、出産後の検診につかう書類も多量に含まれていた。出生届も、子どもの歯によきタイミングでフッ素塗る券まで入っていた。まだ心拍でてますぞくらいのタイミングなのに、もう歯が生えて以降のものまで入ってるのか。フッ素か。今このタイミングを逃すと、もう渡すタイミングないぞという迫力で、遠い未来に使ういろいろなものまで渡されるものだということを知った。
帰りにはじめて入るうどん屋によった。そのときはただ、他人が作ったうどんが食べたかった。老夫婦で営んでいるらしいうどん屋、他に客はない。調理場ののれんの向こうに二人ともいて、いくら声をはってもでてきてくれない。たぶんきこえてない。あきらめようとしたそのとき、のれんの隙間から女将さんと目が合った。夫婦はのれんの向こうで「だ、誰かおる」「だれかおる」と驚いたように言い交わしはじめ、私は、「えっ誰かもなにもこの状態で客以外にある?」と思っていた。かつて、ふたりも、私も、みんな小さな心臓だった。子どもを授からなければ、このタイミングでそんなことを思わなかっただろうなと思った。うどんはおいしかった。もちもちしていた。さっそく薬を飲んだ。産めるかどうかまだどうにも自信がないのに。
家に帰ってひとつひとつの書類や冊子を確認していたら、渡された紙袋の底から、最後にころりと「お腹に赤ちゃんがいます」のキーホルダーが出てきた。自分からもっとも遠いところにある事象のように思っていた。「お腹に赤ちゃんがいます」ということ。
次の診察では胎児は2,5センチになっていた。先生は「ああ、安心した。安心した。一番危ないときだったからね、ほんとうに安心した。一安心」と喜んでくれた。つわりの有無をきかれたが、「気分が悪いときが多いのですが、盛大にもどしてしまうようなものは一向にありません」とつたえた。おそれているけど全然こない。吐き気は、たった一日、朝の通勤時にものすごく酷いときがあったが、地下鉄の駅だったのでトイレまでこらえないと…と思っているうちに収まったという程度だった。そのあとおにぎりをモリモリ食べた。
朝夕や空腹時はかなり気分が悪く、眠たい時間があまりに長く、お腹が痛いときもある。イチゴの香料やトイレの芳香剤の香りが異様に臭く感じて不快。けれど多分これは症状が軽い方なのだなと思っている。
それでも気分がひどく悪いとき、だるいとき、お腹の存在に向かって「ちょっとだけ大人しくしてておくれよ」と心中声をかけることがある。夜寝る前に「もう寝ようか」と声をかけることがある。
あれよあれよという間にときがたっている。お腹にいる人らしきものは、今日まで元気でいた。先生はまたも「ああ、よかった。安心した。これでほんとに一安心」と言った。多分、妊娠している生活というものは、無事に産むことができるその日まで、一安心がこうやってなんどもなんども、無数に積み重なっていくものなのだろう。
「ああ、動いてるね」と先生は言う。「見える?」ときかれたが、例の「やってる?」的なあのカーテンのせいで見えなかった。が、私はもう「見えません」とは言わず、自分の手でカーテンをあけてモニターを見た。やってるのかはいまも正直わからない。ただ、やってなくは決してない。
私はモニターを見るなり「人だ。人ですね。人になってますね」と言った。ちょっとまえまで「いくら」だったのにね。
4,8センチ、と先生はおっしゃっていた。レターパックライトだと送れない厚みになったな…と思った。先週まではライトで送れる厚みだった。
人、それそのものとわかる体の輪郭の中で、心臓がひどくはやく動いている。小さいけれど形が確かになってきた、まさに心臓、というべきものだ。心臓と言うほかにすべがないもの。私は今後「心臓」ということばをきけば、きっと今日見たその姿を思い出す。そうして、手足というほかにすべがないものが、ときどき、ぴくぴく動く。
「背骨も見えてきたね、背骨に奇形はないね」と言われ「この時点でわかるものですか」と率直な驚きを告げてしまった。
先生が例のごとくこだわりの写真を撮ってくれる間も「人だ、人だなあ」と私はつぶやきつづけた。まだ目鼻も立ってない、でも頭がある、胴体に背骨が通った、心臓がある、手足がある。ああ、かわいいな、と思った。自分のエコー写真見て「これが私?」とかかつて思ってた私でも、打ち続ける心臓を、たまに動く手足を、まるまった姿勢を、その全部が黒と白であるまだらの影を、とてもかわいいと思った。
「今はお休みの時間みたいね」と言われた。そんなことまでわかるのか。
そして「今日はおりものをしっかりとるからね!」とごりんごりんに採取されたあと、血圧をはかり、採血をした。
私は寝て採血をしないとかなり気分が悪くなるので、その旨を伝えたら「じゃ寝てとりましょう。次のところでも言ってくださいね」と不意に言われ、あ、この病院はもう最後なのか、とそのとき思った。
小さいクリニックで、昨日まで、寝て撮る場所はあるのだろうか…最悪あの診察台で…? と思っていたが、診察室の後ろに隠し小部屋のようなものがあり、そこには寝台も備えられていた。
「おお、こんな部屋が」というと、看護師さんは「実はあるんです」と笑った。
小部屋で、寝かせてもらって、血を採ってもらった。看護師さんは私にいつも「楽しみですね」と声をかけてくれる。わたしはそのたび「そうなんですけど、やっぱり不安で」と言ってしまう。血を抜いてもらいながらそういう話をした。
「たしかにすごく若くはないけどね、40代の前半までは産まれる方けっこういらっしゃるんですよ。40歳から不妊治療をはじめて、43歳で、ということもあったかな」と話してくれた。そして「不妊治療なしでね、授かるのはとても幸運なことですよ」と。
わたしは「つわりがあまりひどくないのもあって、それは幸いなのですが、自覚がどうも」と、いまの心境についてもつつみかくさず話した。血も本音も体から出てゆく。
看護師さんは笑っていた。つわりも第一子ではないのに、第二子ではあったということもあり、個人差どころか出産ごとに違うこともあるんですよと教えてもらった。そうこうするうち採血は終わった。塩分を控える効果的なすべとか、そう言う話もうかがった。ドレッシングかけない派なんです、と言ってほめてもらったが、毎日食べている豆腐にも納豆にもたれやしょうゆをかけない事実は告げられなかった。変人だと思われそうで。
採血が終わって小部屋を出ると、先生は「病院どこって言ってたっけ?」とだしぬけにわたしにきいた。一瞬、私がここで決めるのか!? と思ったが、いやそうじゃないだろうと思い直し、大混乱だった初回診察時の記憶をたどり、「□□病院を紹介していただけるという話になっていたかと思います」とつたえた。先生は「うん、そうね、それがいい」と言った。
「次に検査結果を受け取ると、ここにお世話になるのは最後と言うことになりますか?」ときくと「うん、そうなるね」と。
なんだかとても、とてもとても濃密な時間だったなと、そのとき反射的に思った。
地域の基幹病院であり、高度救命センターを備え出生前診断もお任せできるところを紹介していただく運びとなった。
「母子手帳は、妊娠しないともらえないものです、それはあなたが妊娠したというあかしです。だからこの先、何があってもね、たとえ無事に産むことができなかったとしても、ずっと大切にもっていてほしい」
いま実感としてひとつあるのは、たとえ無事に生まれなかったとしても、わたしはこの妊娠に意味がなかったとは思えないということ。
何か人に極めて近いもの、将来的に人になるものが私の中で発生し、心拍がでてきたという事実。やがて手足がぴくぴく動きはじめ、心臓が動いているのがはっきりと見えた、通った背骨に奇形はなかったという事実。
それにともなって抱いた私の、とてもとても一言では言い尽くせないような気持ち。一生かけて、ふさわしい言葉をさがさねばならないような気持ち。
それらがもし私の中から跡形なく消え去ってしまったとしても、それらはほんとうに無に帰したと言えるんだろうか?
新生児という全き形で実を結ばなかったとしても、とても無に帰すだけとは、今の私には思えない。胎児そのものも、彼もしくは彼女がいなければ決して味わうことのかなかった、筆舌に尽くしがたい私のすべての心の動きも、心情も、そのときその瞬間、たしかにそこにあったのだもの。
だからこそ、きっと予期せぬ別れはとてもつらく悲しいのだろう。無に帰したから悲しいのではなく、そこに確かにあったから悲しいのだろう。
先生が「もしだめでもずっと母子手帳を持っていてほしい」という気持ちも、いまの私にはなんとなくわかる。だって、それはそこにいてくれた、無意味なことではなかったんだという唯一の証となるものかもしれないものね。
もしもそうなってしまったとき、深いであろう悲しみに折り合いが付けばそうしていいのかもしれないと今の私は思う。捨てずにずっと持っていられたら、最後はほんとに自分の棺桶にいれてもいいかもね。
その節はたくさんのおめでとうの言葉で、ご自身や周囲の高齢出産の例で、具体的になにをすべきかのアドバイスで、たくさん励ましていただき、ほんとうにありがとうございました。あの折の追記にも記しましたが、現時点でおめでとうとは言いがたいというお言葉も、私がどういう選択をしてもよいのだというお言葉にもまた、おめでとうというお言葉と同じくらい励まされてここまできました。
今も不安は尽きません、産めるのかどうかもまだわかりません。でもあの後すぐパートナーにももちろん話しましたし、相談、話し合いをひとつひとつのことについてしている最中です。あの日記を書いた日よりも落ち着いていることは確かです。
前回も書いたことに加え、零細事業所で仕事の引継ぎはどうする…だの、お金の工面と算段…だの、いろいろと不安は尽きません。
ですが、しっかりと考え抜き、しかるべき人に、ところに、相談しながら、どうしていくのかを決めていきたいと思っています。
前回に続き、このとりとめのない話をもし読んでいただいた方がいらっしゃるのであれば、ありがとうございました。
蛇足1:この先も気が向いたらまた書くかもしれないですが、もう書かない(書く余裕がない)かもしれないので、かわりといってはなんですが自分が書いたやつで過去一番読まれた増田と読まれなかった増田でも貼っておきます。お暇つぶしに。
https://anond.hatelabo.jp/20240513231506(このときはギリギリ30代だったんだよなあ…。)
https://anond.hatelabo.jp/20210918194137(京都に住んでいたことがありました)
蛇足2:コメントで医療保険についてご心配いただいていたのですが、そこは手厚いものに加入しています。気にかけてくださってうれしかったです。
(民間の医療保険については不要という論調もあり、一理あるかとは思いますが、この人口減で高額療養費制度もこの先どうなるかわからないな、病気したら個室でゆっくり療養したいな、先進医療だって受けたいわ、と加入当時考えていたので…。定年時に払済になり、補償は終身に渡るように設計したものです。そして、やはり子どもをもたない前提でプランニングしていたもので、その分保険料も少し割高、いったいどこまで払えるのか…おうおう)
学会の飲み会で色々鬱っぽくなってしまって自分の居場所なんかどこにもないんじゃないかという気持ちになったので、冷静になるために考えを吐露します。
自分は多人数でのコミュニケーションが苦手で飲み会などは楽しいと思ったことがない。
でも周りのから常に、「学会は人と繋がるための場所である」と喧伝されているので、行かなくてはという気持ちになって、参加してはしんどくなるのを学生時代から繰り返している。世間一般からしたら社会不適合者の典型みたいな感じかもしれない。(が、飲み会が苦手な人は研究界隈で結構いる気がしていて、そういう人の意見は透明化されていると思っている。学会近辺は飲み会大好き/コミュ強の人の声が大きすぎて、そういう意見が正として扱われすぎている。その結果、自分みたいな人はめちゃくちゃ鬱になってるはず)
学会飲み会でも私/僕はこういう人と繋がっていて、こんな話を聞いたみたいな話ばっかりで、しかも自分は大体の人名を知らなくて胡散臭いセミナーに出てるかのような気分になる。そして、そういう人は往々にして学会の運営委員などになっているので、ものすごい劣等感に苛まれる。
劣等感だけならいいのだが、AI界隈は狭いので、この場に馴染めないような自分にはAI界隈にいる権利はないのではないかという気になってくるので、ポスドク3年目も相まって相当きつい。
なぜ劣等感や所在なさを感じてしまうか?それは人との繋がりが(アカデミアや民間での)キャリア形成に役立つと一般に常識として考えられているからだと思う。
本当にそうなのかを延々と考えた。
アカデミアでのキャリアの最重要な要素といえば論文数である。論文数を増やすためには共著に入れそうな主著者を探すのが大切であると言える。実際、自分の周りにも学会で繋がって共著に入って論文数を増やしている人はかなりいる。
しかし個人的な見解では、共著数が増える一番大きな要因は所属研究室であると思う。
必死になって学会で将来の共著を探すよりもビッグラボやデカめのプロジェクトを運営してる研究室に助教に入るだけで共著は爆増する。(全然優秀でない助教の人がその研究室に所属しているというだけで論文爆増しているのを身近に何度も見てきた)
よって、本当にキャリアにおいて論文を爆増させたいなら(今の環境がそうでないなら)転職すべきであると思うし、学会でうぇぇぇいwの正当化には弱い。
学会の委員は完全に飲み会で決まっている印象があるので、飲み会に参加しない人間はノーチャンスっぽい。というか、Xのフォロワー数と綺麗に相関する気がする。
これもノーチャンス。見た感じ顔が広い人にしかお鉢が回ってきていない。
ポスドクでの研究費は個人で採用されるものがほとんどなので、あんまり関係ないと思うし、業績的にも自分が代表になる大きめの研究費にチャレンジすべき。しかし、将来的にPIなどになればお仲間を集める/に入れてもらう必要がある。
国内学会の賞もかなり飲み会出席率/Xのフォロワー数に相関してる。ハロー効果がえぐい。審査がシングルブラインドでもないのが悪いし、ブラインドにした途端顔ぶれが入れ替わると思っている。(しかし、自分には運営に発言権がないのでどうにもできない)
ポスドクでの雇用決定はPIの独断であることが多いため、人との繋がりは大きく役に立つ。有名で飲み会好きなお金持ちPIと仲良くなっておけば雇ってくれることも多々あると思われる。しかし、現状AIのポスドク慢性的に不足しており、今は公募に応募しても全然職にありつける。自分もそうだし、周りを見てもニューラルを全然学生時代にやってきてない人がポスドクで採用されたりしている。みんな任期付で働きたくないからね。
任期なしの雇用は今まで上げたような要素の総合点で決まると聞く。飲み会に出ないマイナス要素で言えば、「学会運営への寄与」「講演経歴」「国内学会賞」ぐらい?しかし他にも「論文数」「国際学会賞」「教育歴」「研究資金の獲得」「国際的な活動」などなどがあり、これは飲み会に影響されない。論文数は戦略的に就職活動をすればいいし、国内学会賞が取れなければ国際学会賞を取れば良いし、国内学会の委員にしてもらえなければ国際学会の委員にして貰えばいい(ハードルはだいぶ上がるけど…)。まだ転職戦線に飛び込んでないけどあまり影響ない(と思いたい。)
民間の雇用は関係ない。学会 or Xで積極的に誘ってくる企業は人手が足りない or 人気がない企業なので、個人的には就職先は声がかかるところではなく、自分で探したほうがいい企業に行けると思う。
「学会で人と繋がらないと〜」みたいな脅しは、ポジショントークのただのまやかしであるので学生諸氏は気をつけるべし。気に病まなくて良い。多人数コミュニケーションが苦手な人(私を含め)に私はエールを送りたい。飲み会には出なくていいです。
(あと、国内でのコネクションを強くするのは基本的に弱者の戦略で、学生が気にするべきはトップ学会に主著をなるべく多く通すことだと思う。)
学会がXのフォロワー数が多い人を中心に回っているのが全て悪いと思う。みんなポジショントークしかしないし、そのせいで苦しんでいる人が多くいるのをわかってほしい。
あと研究ネタがXの流行に引っ張られるのが意味わからん。しょうもないネタをフォロワー多い人がいい研究といったのが発端で学生がやり出すのが見てられない。
ちょっと元気になってきました、ありがとうございます。
なんか別の増田が食いついてるけど、それは私ではないよ。あなたの意見には一理あると思った。結局、どう考えるのが良いのか存外難しいと思ったので、Claudeに質問してた。
とりあえず、今までのやり取りについてどう思うか、Claudeに尋ねたのがこれ。
【以下のやり取りは津波発生時に小学校の教員がどのような責任を持ち、どのような避難対応をとるべきかについての議論なんだが、君はこの議論についてどんな見解を持つ?】
A:
事前の避難ルート策定があったのか、それに従えてたのかか教師の責任になるかどうかのすべててで
B:
それはそれで別種の無責任さがあると思うわ。
あらかじめ決めた決まりがないなら私がどんな判断をしたとしても私に責任はありません。あるいは、あらかじめ決めた決まりがあった場合は、私は決まりを守っただけなので責任はありません。どっちにしても私に責任はありません。みたいな態度でしょ?
C:
個人の責任にしてたら結局そういう災害のときの対応が属人的になっちゃうじゃん。
でもみんなできることなら助かりたいし、人によって対応に良い悪いがでるのは困るじゃん。
だから誘導するのが誰であっても、それさえ知っていれば適切と思われるような対応を予めみんなで考えて決めとくんじゃん。
もちろんその時になってみて、それじゃダメだなって気づいてもっと良い方法を取れたら素晴らしいけど、それはここで教師の判断が…とか責めてる人たちがもし当事者だったとして、ほんとに正しく判断できたかどうかはわかんないんじゃあないかね?
自分ならできるって思う人ほどそうなった時のこと考えてないから、いざって時に慌てちゃって失敗すると思うよ。
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この津波発生時の教員の責任と避難対応に関する議論について、私の見解を述べさせていただきます。
この議論においては、災害時の対応における「個人の判断と責任」と「組織的な事前準備と共通プロトコル」のバランスという重要な論点が示されています。
まず、災害対応において最も重要なのは児童の安全確保です。その観点から考えると、次の要素が重要だと考えます:
C氏の指摘するように、災害対応は個人の能力や判断に依存するべきではなく、組織全体として適切な避難計画や訓練を事前に整備しておくことが不可欠です。これにより、誰が指揮を執っても一定の質が確保されます。
B氏の懸念は重要です。マニュアルの存在が責任回避の盾にならないよう注意が必要です。一方で、緊急時には予期せぬ状況が発生するため、マニュアルに固執せず、現場の状況に応じた臨機応変な判断も求められます。
学校における災害対応は、個々の教員だけでなく、学校全体、教育委員会、自治体を含めた共同責任であるという認識が重要です。個人の責任追及より、システム全体の改善に焦点を当てるべきです。
結論として、学校における津波対応は「事前の十分な準備と訓練」と「現場での適切な状況判断」の両方が重要であり、それを支える体制づくりが不可欠です。また、実際の災害経験から学び、常に防災計画を改善していく継続的なプロセスも重要だと考えます。
災害時の対応を評価する際は、後知恵バイアスに注意し、当時の情報と状況下での判断を公正に評価することも大切です。C氏の「当事者でなければ本当に正しく判断できたかはわからない」という指摘は、この点で非常に重要な視点です。
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【Aの発言についてはどう思う?】
A氏の発言について分析すると、教師の責任の範囲を「事前の避難ルート策定の有無」および「それに従えたかどうか」という二点に集約している点が特徴的です。
実務的な視点
A氏の発言は、責任の所在を明確化しようとする実務的アプローチを示しています。事前計画の策定と遵守という具体的な評価基準を提示している点は評価できます。しかし、この基準だけでは災害対応の複雑さを十分に捉えきれていない可能性があります。
A氏は教師の責任をかなり限定的に捉えているように見受けられます。実際の災害対応では、事前計画の有無や遵守以外にも、状況判断力、臨機応変な対応能力、児童の心理的ケアなど、多様な要素が教師の責任として考慮されるべきでしょう。
B氏が指摘するように、A氏の立場は責任回避の論理につながる可能性もあります。「計画があれば従った」「計画がなければ私の責任ではない」という二分法は、教育者としての総合的な責任を矮小化するリスクがあります。
結論として、A氏の発言は責任の明確化という点では一定の価値がありますが、教師の災害時における責任の全体像を把握するには不十分であると考えます。教師の責任は単なる計画遵守にとどまらず、児童の安全を最優先する判断と行動、そして平時からの備えを含む、より包括的なものとして捉えるべきでしょう。
その後、「事前に策定された計画がなかった場合、事前に策定された計画が現実の事態にそぐわない場合、これらの場合において上司や同僚の教員の判断が妥当ではないと思われる時、君ならどんな行動をして児童の安全を確保する?」とか「自分が組織図上、もっとも下の立場の教員だとしたら、どのような行動をとる?」とか「自分の判断がよくない結果を招く可能性もあるよね。そこのところはどう考える?」とか尋ねた。同じ質問をすれば似たような回答が返ってくると思うので、気になるなら質問してみて。
>「むしろ法律が違っても適用できるようになっているのではないだろうか。」
Visaの規約では、「児童ポルノ」という言葉を使わず、「児童性的虐待資料」という表現を用いています。これは、各国の法律用語とは関係なく、Visa独自の基準で適用できるようにするためと考えられます。
ただし、Visaがこの表現を選んだ背景が「法律の違いが関係ない」と言い切れるかどうかは疑問が残ります。例えば、特定の国では「児童ポルノ」に当たらないコンテンツでも、Visaの基準では「児童性的虐待資料」として扱われる可能性があります。
>「上記に挙げた商売にVisaを使用することはできませんって言うのと、そこにVisa所有のマークの使用についてっていうワンクッションかませるのと何が違うんだろうか。」
この点について、Visaの規約の構造は、「特定の取引を禁止する」のではなく、「ブランドマークの使用を制限する」形になっています。これは、Visaが直接取引の違法性を判断する責任を回避し、あくまでブランド管理の範疇に収めるためと考えられます。
ただし、あなたが具体的に「責任の所在を明確にする」という説明のどこが腑に落ちないのかを知りたいです。
👉 質問:
「Visaが『取引禁止』ではなく『ブランドマークの使用禁止』という形を取ることが、法的・実務的にどういう違いを生むのか?」を知りたい?
「Visaがこの形を選ぶことで、具体的にどの責任を回避できるのか?」が疑問?
>「4はまさにコンテンツの規制、つまり表現の自由問題に足を突っ込んじゃうからめんどくさいから避けたいってことなんじゃ…?」
Visaがこのような規約を設ける理由のひとつとして、「表現の自由問題に関わるのを避けるため」という可能性は考えられます。ただし、Visaの主な関心は「ブランドイメージ保護」と「法的リスク回避」にあると考えた方が自然です。
もしVisaが「表現の自由」に強く配慮しているなら、なぜこのリストに特定の表現(例えば、近親相姦や獣姦など)が明記されているのかも説明が必要になります。
👉 質問:
「Visaの規約が『表現の自由を考慮した』と考える理由はある?」
「表現の自由問題を避けるためなら、なぜ特定のコンテンツを具体的に禁止する記述があるのか?」
>「5も『直接ダメ』っていうのと『使用条件』っていうのだと監視義務がどう変わるのかよくわかんないな。」
Visaが「直接禁止する」のではなく、「ブランドマークの使用禁止」という形を取ることによって、監視義務の範囲が変わる可能性があるのは確かです。
たとえば、Visaが「特定の取引を禁止する」と明記した場合、それを実際に監視・取り締まる義務がVisa側に発生する可能性があります。
一方、「ブランドマークの使用条件」として規定する場合、Visaは「この取引をしているなら、うちのマークは使わせません」と言うだけで済むため、積極的な監視義務を負わなくてもよくなる可能性があります。
しかし、この点に関して「どこが具体的に疑問なのか」をもう少し明確にしてもらえますか?
👉 質問:
「Visaが『取引の直接禁止』とした場合、どのような監視義務が発生すると考えている?」
「現在の『ブランドマーク使用禁止』という形では、Visaの監視義務はゼロになると思う?」
Visaの規約が「法律の違いを超えて適用できる」ようになっている点について。
Visaが「取引禁止」ではなく「ブランドマークの使用制限」としているのは、責任を管理しやすくするためではないかという点について。
表現の自由問題を避けるためという主張には疑問があり、むしろブランドイメージや法的リスク管理の可能性が高いという点について。
監視義務の違いについて、Visaが責任を減らすためにこの形式を選んだ可能性について。
「責任の所在を明確にする」の具体的な疑問点が不明なため、質問を返す。
「表現の自由問題に配慮している」と考える理由が明確でないため、質問を返す。
元々のVisaの規約引っ張ってきてくれてる人のを見ると、「児童ポルノ」とは直接的には書いてないな。
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Visa所有マークまたはVisa Inc.もしくはその関連会社の評判を落とす可能性のある方法。
写真、映像、コンピューター生成画像、アニメーション(漫画や風刺画を含む)、シミュレーション、またはその他のメディアや活動(以下を含みますが、これらに限定されません)に関連して、またはその購入や取引のために使用すること:
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なので、1と2の「児童ポルノが国によって法律の定義が違うから」っていう線はなさそう。むしろ法律が違っても適用できるようになっているのではないだろうか。
3の「責任の所在を明確にする」っていうのはなんかちょっとよくわからないな…上記に挙げた商売にVisaを使用することはできませんって言うのと、そこにVisa所有のマークの使用についてっていうワンクッションかませるのと何が違うんだろうか。
4はまさにコンテンツの規制、つまり表現の自由問題に足を突っ込んじゃうからめんどくさいから避けたいってことなんじゃ…?
5も「直接ダメ」っていうのと「使用条件」っていうのだと監視義務がどう変わるのかよくわかんないな。そこもうちょっと詳しく。
「OK、じゃあこっちの成長とかそういうのは心配しなくていいから、他にありそうな理由を考えられるだけ挙げてみて。」という反応は、議論を深めようとしているのか、反発しているのか微妙なラインだね。
この態度が「議論を続けたい」という前向きなものならいいんだけど、もし「成長とかどうでもいいから、とにかく俺の疑問に答えろ」という感じなら、それは少し落ち着いた方がいい。
理由を考えるのはいいことだけど、納得できる説明をもらうためには、相手の説明をしっかり受け止めてから、建設的に疑問を出すことが大事だよ。
さて、本題。他にありそうな理由を挙げてみる
「なぜ『児童ポルノを販売してはならない』とストレートに書かずに、間接的な規定にしているのか?」という疑問について、他に考えられる理由を挙げてみるよ。
クレジットカードブランドは民間企業だから、「児童ポルノを販売してはならない」と直接禁止するのは法的に難しい可能性がある。
何を「児童ポルノ」とするかの基準は国ごとに違うし、司法の判断が必要なケースもある。
「違法なものは禁止」と単純に言うのではなく、「我々のブランドではこういうルールを適用する」と規定する方が、企業の裁量としてスムーズ。
企業が法律の代わりをすることはできないので、間接的なルールを作る方が適切。
たとえば、ある国では違法だが、別の国では合法というケースもある。
「児童ポルノ販売を禁止」と明記すると、ある国では法的に問題になったり、ブランド自体が営業できなくなるリスクがある。
どの国の基準にも適用できるように、ブランドマークの使用条件として定めることで、統一したルールを作れる。
「児童ポルノを販売してはならない」と直接書くと、ブランド側に責任が発生する可能性がある。
「加盟店はブランドマークを掲示しないこと」とすることで、最終的な責任を加盟店側に持たせることができる。
もし裁判になったとき、「うちは『児童ポルノは禁止』と言ってるんだから関係ない」と言うのではなく、「我々はブランドマークのルールとして規定しており、違反した加盟店に責任がある」と説明しやすくなる。
企業が不要なリスクを避けるための戦略的なルール設定とも言える。
企業が直接「児童ポルノを販売してはならない」と契約に入れると、ある種の法的問題が発生する可能性がある。
例えば、過去に「コンテンツの規制」に関する契約条項が問題になったケースがある。
たとえば、「児童ポルノはダメ」という契約が、「曖昧な基準による不当な契約解除」につながると主張されることもある。
企業が規制を設ける際、「過去に似たケースで訴えられたことはないか?」を考慮するのは普通。
「児童ポルノを販売してはならない」とストレートに書くと、企業が「どこまで取り締まるのか?」の責任を問われる可能性があるので、ブランドマークの使用ルールに落とし込んでいる可能性がある。
クレジットカードブランドは、単なる決済システムの提供者であり、取引内容を逐一チェックするわけではない。
「児童ポルノを販売してはならない」と明記すると、ブランド側が監視責任を負うことになる可能性がある。
「ブランドマークの使用条件」として制限することで、ブランド側の監視義務を発生させないようにしている可能性がある。
「児童ポルノを販売してはならない」とストレートに書かない理由として、以下のようなものが考えられる。
「わざわざわかりにくくしてる理由ってなんかある?」と疑問に思うのはいいことだけど、
「意図的に複雑にしているに違いない」という前提で考えるのはちょっと危険。
ルールは、企業がリスクを避けながら目的を達成するために作られるものだから、「どうしてこういう形にしたのか?」をもっと広い視点で考えると、より納得しやすくなるよ。
少し視野を広げてみると、「言論の自由問題を避けるため」という考えだけでなく、もっと多くの要因が絡んでいることがわかるはず。
そこで行われているのは、確実性の確認ではなくて、責任の所在の確認だということを理解すれば、立ち回りやすいぞ
「絶対大丈夫か?」→「何かあったらお前の責任だけどいいんだな?」
「絶対大丈夫っす」→私が責任を取ります宣言。リスクあるけど信頼と出世に繋がるぞ
「たぶん……大丈夫っす」→責任は取れない宣言。リスクはないけど、しごできとは思ってもらえないぞ
「すいません確認してもらっていいッスか」→責任を質問者の上長に押し付ける逆択。効くかは己と相手の立場による。自分が新人のうちは強い
お前は、確実じゃないから100%って言いたくないなあ、と誠実ぶってるがこれは良く無い。
本論では、鎌倉幕府を中心とする中世武家政権が天皇の権威を不可欠な基盤として成立した事実を、制度的・経済的・象徴的次元から多角的に検証する。
日本史上の権力構造が「権威(天皇)」と「権力(武家)」の二元性によって特徴付けられることを示し、摂関政治から江戸幕府に至るまで一貫してこの原理が機能したことを論証する。
鎌倉幕府の創始者・源頼朝が1192年に「征夷大将軍」に任命された事実は、武家政権の法的根拠が朝廷の官位授与に依存していたことを端的に示す。
この官職は律令制下で蝦夷征討を目的とした令外官であったが、頼朝はその任命を以て東国支配権の公認を得た。
特に1185年の「寿永二年十月宣旨」において、頼朝が東国における荘園・国衙領の警察権を公式に認められたことが、朝廷との制度的紐帯を強化した。
承久の乱(1221年)後に全国に拡大した守護地頭制は、幕府が朝廷の荘園管理システムに介入する手段となった。
地頭による年貢徴収権の獲得(1221年「新補地頭法」)は、一方で幕府の経済基盤を強化しつつ、他方で朝廷へ一定の税収を保証する相互依存関係を形成した。
この共生関係は、幕府が朝廷の経済的存続を担保することで自らの支配正当性を補完する機能を有していた。
鎌倉時代後期の両統迭立期(持明院統と大覚寺統)において、幕府が皇位継承に介入した背景には、三種の神器の所在が正統性の根拠とされた神権政治の論理が存在した。
例えば後嵯峨天皇の治世(1242-1246年)において、幕府は神器の継承過程を監視しつつ、自らが「治天の君」選定の仲裁者となることで権威の源泉を掌握しようとした。
朝廷が主宰する新嘗祭や大嘗祭などの祭祀は、中世を通じて天皇の神聖性を可視化する装置として機能した。
幕府はこれらの儀式への供御人派遣や財政支援を通じて、伝統的権威への恭順姿勢を示すとともに、自らの支配を「神国」の秩序に組み込む戦略を採った。
特に伊勢神宮や賀茂社への寄進は、武家が宗教的権威を利用して支配を正当化する典型的手法であった。
鎌倉幕府の経済基盤となった関東御領(約500箇所)の多くは、元来が朝廷や貴族の荘園であった。
幕府は地頭を通じた年貢徴収の合理化を図りつつ、従来の荘園領主へ「得分」を保証することで旧勢力との妥協を成立させた。
この「本所一円地」への不介入原則が崩れた蒙古襲来後も、朝廷が幕府の軍事課税を追認した事実は、両者の経済的共生関係の強固さを示す。
平清盛の日宋貿易以来、朝廷が保持していた対外交易権は、鎌倉期においても「大宰府」を通じた外交・貿易管理として継承された。
幕府が実質的な外交権を掌握した後も、形式的には朝廷を窓口とする建前が維持され、明との勘合貿易(室町期)に至るまでこの構図が持続した。
藤原道長の「御堂関白記」にみられるように、摂関家が天皇の外戚として権力を掌握する構造は、後に武家が「征夷大将軍」の官位を媒介に権力を正当化する手法と同根である。
平清盛が「太政大臣」に就任した事実(1167年)は、武家が伝統的官制に依拠せざるを得なかった制度的制約を示す。
白河院政(1086-1129年)が開いた「治天の君」の政治形態は、北条泰時の執権政治(1224-1242年)において「得宗専制」として再構築された。
いずれも名目上の君主(天皇/将軍)を背景に実権を掌握する点で、権威と権力の分離という中世的政治構造の典型を示している。
北畠親房の『神皇正統記』(1339年)が主張した「神器継承の正統性」論は、建武の新政崩壊後も南朝方が政治的正当性を主張する根拠となった。
これに対し足利尊氏が光厳上皇を擁立した事実は、北朝方も同様の神権論理に依存せざるを得なかったことを示す。
鎌倉後期に伝来した朱子学の大義名分論は、水戸学における南朝正統論(『大日本史』編纂)を経て、明治期の南北朝正閏論争(1911年)にまで影響を及ぼした。
この思想的系譜は、天皇の権威が武家政権の正統性を超時代的に規定してきた事実を逆照射する。
以上の分析から、鎌倉幕府を頂点とする武家政権が天皇の権威を不可欠の基盤として成立・存続したことは明白である。この構造は単なる形式的従属ではなく、
③神権思想に基づく支配の正当化——という三重のメカニズムによって支えられていた。
明治維新に至るまで継続したこの権力構造の本質は、権威(祭祀権)と権力(軍事力)の分離・補完にこそ存し、日本政治史の基底を成す特質と言えよう。
※激重オチなし長文
※敬称たまに略
知らない人のために書くと、ストーム久保はストリートファイターの元選手だ。
いまは公称無職なので、「世界一格ゲーの上手い大人気無職」と呼んだ方がいいのかもしれない。
知らない人はググってほしい。
ついでに、ぜひ彼のYouTubeを見つけて楽しみ、再生回数を伸ばしてほしい。
特に好きなところは、繊細で複雑な感性を持った内向的な性質に見えるのに、何とか踏ん張ってがんばっているように見えるところだ。
久保さんは決して図太い神経はしていないように見えるので、プロ選手としてのメンタルの強さは充分じゃなかったかもしれない。
SFLでは重圧と自責の念に飲み込まれて、絶望しながら必死に尽力していたようにも見えた。
久保さんは決してメンタル鬼強系の超人選手ではない。格ゲーアイドル(?)のような綺麗な顔も、すごい学歴も持っていない。それどころか、陽キャでもなく、友達が多そうでもない。
けれど、いつも努力している。
努力の影には不安や自己肯定感の低さが隠れてもいるし、誰かの期待に応えようという気持ちや、反骨精神なんかも垣間見える。
もちろん動画も好きだ。
本職のディレクターかと思うような質の高い編集だが、本人が編集しているらしい。
何年も上手になり続けているので、どれだけ動画を勉強しているんだろうと舌を巻く。
喋る内容や、プレイの目のつけどころも独特で面白い。こんなに上手な人がこんなスーパークソプレイをしてくれるなんて!と思う。
更には文章も上手くて、コラムも楽しく読めるので、もともと物作りのセンスが豊かなのだろうと踏んでいる。
そんな彼が、最近選手ではなく、クリエイターとして事務所に所属をしたらしい。
事務所側が記念にグッズを作ってくれたようで、イベントで久保さん自身が手売りをするという。
久保さんと生で会える!
ぶっちゃけ推しと生で会っても、根暗なので何を話せばいいかわからない。何なら推しの目の前で地蔵になってしまいそうな気がする。
けど、少しでも人が多い方が応援になるはずだ…と思ったため、勇気を出して行くことにした。
正直、行くまでは怖かった。
実は、2023年の魚群イベントに行ったことがある。魚群のイベントは、友達と来ている明るい参加者たちが多かった。
待ち時間は皆わいわい楽しそうに喋っていたし、キャーキャー叫んで手作りのアイドルうちわを振っている女子達すらいた。
自分はひとりぼっちの参加で、知り合いもいなかったので所在なかった。
ウェーイ勢や夜中のドンキにいそうな人ばかりが集まって騒いでいたらどうしよう。
実はすごくモテていて、女子ばかりいたらどうしよう。自分が歯ぎしりしそうで怖い。
渋谷パルコという若い女子が沢山いる場違い極まりない場所に入りさらに緊張が高まったが、
大丈夫だ!
ここにいても大丈夫だ!!
さすが陰なる者達、圧倒的なシングルライダー率だった。そして皆下向いてるか、携帯を見て黙っている。あんたら最高だよ!
ポケモンショップのすぐ近くで、50人くらいのおっさんポケモン(陰属性)が、静かに並んでジッとしているさまは壮観ですらあった。
こんなしっとりメロウで大人しそうな男達が、ローション相撲だの相撲イリュージョンだのオフィシャルボンバーだのロクでもない技をたしなんでいると思うと、人間って本当に底が知れない。
さて、生で会った久保さんは割と印象通りだった。
具体的に言うと、
「本来、慣れない人との会話はあまり得意ではないが、多少無理して社会性を駆使し『しっかりしなくちゃ』と一生懸命接客をがんばっている」ような、ピンと気を張った雰囲気があり、初対面のおっさん達とお互いに微妙にぎくしゃくしながら感謝の会話を繰り広げていた。
並んで写真撮影もできたが、ファン達との物理的な距離がなぜか微妙に遠く(隣で写真撮れるのになぜか一歩半くらい離れている)、
そこに絶妙な初対面感があらわれており、とっても面白くてちょっと笑ってしまった。
けれど、内気そうなおっさん達が、久保と喋った後にホクホクとっても嬉しそうに帰る姿は可愛らしく、待ち時間に眺めているだけでも嬉しくなった。
そして自分も例に漏れずぎくしゃく当たりさわりのないことを話し、微妙に距離のあいた写真を撮ってもらった。とっても楽しかった。
部屋の中でも寒かったが、あのファン達の一員になれたみたいでちょっと嬉しかった。