はてなキーワード: 無辜とは
たぶん舞台はリアルタイムの2014か2015。風景が微妙に過去。①HV,EVがない!一台も ②アイフォンはある。指紋認証だけど。モブのスマホケースにペコちゃん/milky(不二家)があった ②スタバはある ④バットマン・ダークナイトのある世界 ⑤ロシア人は盗難中古車ビジネスをしている
トップヴィラン・財閥の御曹司のクズさが極まってるんだが(映画の悪役に欠かせないアイデンティティ「飲食物を粗末にする」アピールも派手よ!あと動物をイジメる)、そっちサイドの人々(親、従兄、悪徳下請け社長他)も誰も改心しない。悪役サイドに玩具にされ妊娠を鼻で笑われ、面と向かって啖呵を切ったので反旗を翻すかと期待させて結局仕事の契約欲しさに悪役の前にひざを屈する女優。
理不尽な暴力、折檻のオンパレード。無理やり殴り合いをさせられた挙句歯を折られて血だらけ、バカ息子が不始末をした責任で(御曹司ではなく)フォロー役の従兄を親父が尻バット。乱闘ナイフで腹を刺され、総合格闘技で骨折、ドロップキック、カーチェイスのお約束バイク転倒etc.etc.
主人公たちは事件の隠蔽をめぐって殺人未遂殺人教唆で立件しようと立ち上がるんだけど財閥たちにあの手この手で(悪徳弁護士、妻への賄賂、活動に釘を刺すための警察内部監査派遣、マスコミ箝口令、直接の暴力など)阻まれたりしつつもついに勝利を掴む、と。
…なんだけど、見終わってみるとどの人も「死んでない」 (首絞められて命乞いをした前述の女優、麻薬を強制的にうたれて昏睡状態になりながらも一命を取り留めている)
韓国ノワールだとコンクリートスムージーとかの暴力でホイホイ人が死ぬのが普通、なのでこれは意図的に避けてると思われる。
マ・ドンソクの「犯罪都市」シリーズと、敵の凶悪さではタメを張る。そっちは警察チームの原動力に対する怒りを引き出すために「無辜の市民の死」が投入される。んだがそこの違いがR18 かどうかなのかね。 コメディ色も若干「犯罪都市」より濃いめかな。警察署内で、捜査を進捗させるための情報を引き出す目的で手がかりとなる小悪人を殴る蹴る。その際記録を撮られちゃまずいから、掃除と称して箒でカメラの目隠しをする。「犯罪都市」で毎回やってる"真実の部屋"ギャグが本作にも。
増田たちは興味ないだろうけど俳優陣がたまらない。主演:目が笑ってないガレッジセールゴリ似ファン・ジョンミン。わきを固めるのが、ごつい渡辺謙似チョン・マンシク、オ・ダルス、ペ・ソンウ、ユ・ヘジン、ヒョン・ボンシク、オ・デファン(デビルズゲーム)、キム・ミンジェ(犯罪都市)といった「良い顔のおっさん」。このときはまだ若者だが犯罪都市4でサブヴィランのスネ夫顔イ・ドンフィもこの列に加えてもいいかもしれない。 これに出てない良い顔のおっさん俳優と言えばあとはチョ・ジヌンとキム・サンホくらいしか思いつかないくらい目白押し。
「いや俺は何もしてないのに、なぜ責められるのか」
無辜のジャニーズメンバーが、とばっちり受けて広告採用拒否されたときも、「何もしなかった」よね。
私は。作品に鍵を掛けたり、タグで検索避けのゾーニングしてる。
実在する人や界隈の雰囲気が苦手な人に迷惑をかけないように気をつけてる。
社会のみんながお互いの違いを認め合って尊重する方が、上手く回ってくから。
吸ったタバコの煙が近くの人に掛からないように、影響を抑えること。
その前提の上で、誰かの悲鳴が聞こえたら、なるべくは助けたいよ。
私は、どこかにいる主人公の物語を支える、モブキャラ(端役)だ。
————…夢見る子ども時代を卒業し、社会に揉まれる大人になってからは、そう思うようになった。
だけど、決めセリフはとっておき。
「さす九はダメ」な理由は、九州以外にも差別があるからだが、しかしそのロジックを聞いて思い出すのは「BLM(黒人の命は大事)ではダメでALM(すべての人の命は大事)と言うべきだ」である
アメリカで黒人はアジア人などよりも多く歴史を鑑みても明確に記録が残っていて、差別が維持されるような社会構造が残されていた。黒人が声を上げても不特定多数の人々が自動的に反応して握りつぶすので差別糾弾が表に出にくくなっていたんだ。ゆえに BLM の叫びは黒人とまわりの人々の注意を集める効果を発揮した。ALM はその声をかき消しかねない、と非難された。
しかし九州での女性差別は、本州のそれと本質的に違うという証拠はなく、Twitterに女性たちの声が表れた事実を見ると別に口を塞がれてる様子もない(注・もちろん家庭や親戚とか地域レベルでは、差別をキープする社会構造はあるのかも知れないが)。過去に日本全体の平均レベルよりも酷い女性差別が行われていたという研究結果もないと思う。
ただ、表沙汰になったのが何故 さす道 とか さす四 でなく、さす九 なのかはミステリーではある。距離が離れた地方の中で偶然たまたまアテンション・エコノミーを好む人たちに目を付けられたのか? それとも本当に特有の、何らかの差別を維持する社会構造があるからこそ九州の声が相対的に大きかったのか? は不明だ。
九州男児...
だが地域にある差別を解消するためには、レッテルを貼ることでスポットライトを当てて怒りの声を増幅するよりも、社会学者による研究を通して差別の実態を解明する方が効果的だろう。仮に、九州に病巣があったとしても平穏に暮らす無辜の住人を巻き込んで非難するのは可哀想だ。
自分の推しは作中において大勢の人を虐殺したキャラクターなんだけど
観た人からそこを責められるのは仕方がないと思っている
だけど推しの人格を矮小化されて、本当はそんなのどうでも良かっただの本当に求めていたのは特定の相手との恋愛だけだのと決め付けられるのは我慢ならない
やり方は間違っていたにせよ、推しが人類全体の事を考えていたのは事実にしか思えないのに、そこを矮小化されて単純な構図に貶められるのが本当に苦痛。
そんな単純な話じゃないだろうに。
追い詰められた時に出るのは追い詰められた時の姿であって、そのキャラの全てではないと思うんだよね。それをもってそのキャラの全てだと判断されるのはとてもとても嫌だ。
大義に生きた推しの生き様を全否定して、一般的な幸福を提示され、そうすれば良かったと小さくまとめようとされるのも嫌だ。
そういうチャンスはいくらでもあったのに、敢えてそういう生き方から背を向けたキャラなんじゃないのか。
自分だけ幸せでもそれだけじゃあ意味がないと考えたのが特徴じゃないのか。
まあ、個人の解釈としてそう主張するならまだ分かるよ?解釈は人それぞれだし?だけどそういう前置きすら無しに、こいつは本当はこんな人間なんだぜと、こうしていれば良かったと一義的に決め付けてくる界隈なので本当に不快。
あと、訳が分かんないのは無辜の民を虐殺した事ではなく、名有りのメインキャラに対する態度ばかりを叩かれる事。え?そこってそんなに重要な点なの?別にそんな重要じゃなくない?っていう。
名有りのキャラとそれ以外とで命の重さに差を付けてるんだろうか
そのキャラクター自身もそういう選民思想を持っているならまだしも、明らかにそういうキャラではなく、一般人にも気を遣っていたので納得いかない
これ。ひどい事件には感情移入する方が正常と見なされる文化は確かにある。キレて暴言を吐いた方が社会生活上は無難である。
どのくらいの割合がそういう計算をしてるのか、それとも単に怒りに任せて書いてるのかは分からんが。
「罰したい」という欲望に身を任せるのがアリとされてるのはよくわからん。
厳罰化に意味があるとは思えないんだよな。期間が5年でも30年でも絶対に食らいたくない点では同じだろう。
この加害者は捕まらないと思ってたか、どうなってもいいと思ってたかで、期間を計算して犯行に及んでいたとは思えないんだよな。
犯人に更生の見込みがあるのかは分からない。もし更生したかが判定可能であるなら、罪の重さによって刑罰を決めるのではなく、更生したら出所、とできれば理想的である気がする(内心の反省はどうでもいい。あまり迷惑をかけずに社会生活を送るだけの偽装ができるなら十分だろう)
「被害者がかわいそう」はわかるんだけど、大事なのは予防と再発防止であり、お前の「罰したい」欲望を満足させることではないよな。
被害者がそう望むだろうという推定のもとに被害者の味方をしてるのかな。わからんな。「昼間のお父さんに帰ってきて欲しい」くらいのことは言うかもしれない。あとで罰したいと思ったときに罰せると仕組みとして柔軟かな。その場合の罰したい欲については更生性は問わなくていいと思う。
我々は被害者ではない。それを取り巻く社会だ。社会としてどうすべきか。被害者に寄り添うことはもちろん必要だろうし、各個人がそういう意見表明をするのは構わないと思う。しかし、社会として大事なのは(繰り返しになるが)予防と再発防止だ。そのために加害者がどうして生まれてしまったのかの理解は欠かせないだろう。「極刑にしろ!」と叫ぶのは今後の同様の事件の再発防止の役には立たないよ。
まあ再発防止のための情報を十分に引き出させたら最終的には死刑にしてもいいとは思うけどさ。年齢が離れるほどに重くしていくといいのかね。高校生なら罰金+数ヶ月、中学生なら数年の自由刑、小学生の場合は死刑とかそういうの? どういう罰なら抑止として機能するんだろうね。
「30年食らうのは嫌だけど5年ならやっちゃおう」とは思わんだろ。もっと加害者の気持ちになれよ。抑止力の話をしてるんだ。
この増田には「最終的には死刑にしてもいい」と書いてあるんだが、居もしない敵を攻撃してないか?
更生できてないなら終身刑ってことだよ。そんな判定はできないのでSF設定だが。
チャンスを奪い続けた結果、犯罪率は減っている。この現実社会が積み重ねてきたことは無駄じゃない。社会を構成する我々には、この抑止力を維持し、可能ならさらに犯罪を減らす責任がある。
再犯の議論はわかるよ。前科者の方が高リスクと評価されるのは当然だ。だが全犯罪者を極刑に処したところで、新規の類例は起こる。何よりも減らすべきは「初犯」だ。
どれほどの異常犯罪者であれ生まれたときは無辜だったし、保護されるべき未成年として長い時間を過ごしたはずだ。それがどうして犯罪者になってしまったのか。本来は道を踏み外す前に救われるべきだった。「たまたま東大に入れた」話と同じで、非犯罪者は「たまたま反社会性を身につけずに済んだ」に過ぎない。これは環境的な話だ。加害者を理解不能な存在として切り離すことは犯罪削減に繋がらない。
批判の声は無意味ではないだろう。厳罰化も検討されて良いが、それはあくまで今後の加害を減らすことが目的であって、お前の処罰感情を満たすためじゃない。感情を満たすために制度を歪めれば、被害者はむしろ増えかねない。
最初に書いた「ひどい事件には感情移入する方が正常と見なされる文化は確かにある。キレて暴言を吐いた方が社会生活上は無難である」はこういう反応に対してのもの。湧き上がる処罰感情を堪え、冷静であろうとすることに対し、このように「普通じゃない」と呼ばわる奴はいる。
少なくない人が感情的になってる案件だからこそ、流されるべきではない。
被害者の人生は歪められ、下手をすると次の加害者になったり、加害者を作り出すような存在になってしまうことすらある。加害者の「更生」が難しいのと同じく、「救済」も非常な困難を伴う。
いずれにせよ、未来に同じような事件を発生させないようにしていく必要がある。
私は、加害者の人生もまた、あるべきでない姿に歪められたものだったろうと考える。だから免罪せよと言ってるのではない。普通に生きてきたら犯罪者にならないのだとしたら、社会とは誰もが普通に生きられるような形であるべきだと言っている。
買う方が100%悪い
女性が困って身を売ろうとするなら男性はその服を脱ぐ手を止めて上着を被せ無辜の愛で無償で救うのが正当な道なのになぜ身体という対価を得ようとするのか
アンタに大量の信者というのはおってはならん、そういうものをアンタが作っちゃならんのや
何故ならアンタは彼等を御せない。
せや、御せる奴が大量の人間を率いてええねん。
天岩戸でかくれんぼしとるアンタに女臭(にょしゅう)がしたから言うて近寄うてくる奴等を御せるわけがないんや。
アンタの今までなんかどうでもよろしいんや。
アンタの今までを評価できること言うたら、謝り方をちゃんとわかってるかってところだけやねん。
わからなかんで、謝るという行動、なんであやまってるかって理解してるかってこと、アホの企業のアホな体質を暴露してでもやらなかんこと、いっぱいあったけどな
でもアンタはただごめんなしあで終わってん。やからアンタには狂信者付けられへんねん。
明確に悪やから倒してええやったら世の中回っとらんねん。
明確な悪の倒し方にも作法があり、戦争には戦時の作法があるんよ。
アンタのファンはそういうの全然わかってないカスしかおらんからアンタがクビを賭けて去ってもらうことでしかこの大岩の騒動は鎮まらんのよ。
少なくとも『あーあ、またオモチャ壊したわこの企業』って思われるのは明白なんやで。
ええか、優遇されるのも、優遇される人の仕草によって優遇してくれた人達の見え方変わるんやで。
お前、その歳になってそういう基本的なこと教えることも教わることも知ることもなかったって、今回の事態で知れたで。
ええか、お前は人を殺したのよ、大神様よ。
垢を消すってのはそういうことやで、一つの表現法を潰すってそういう事態よ。
もうアンタを救う人はおらん。
アンタの後ろのおじさん達はアンタを指人形にして遊んでるだけやねんけどな。
アンタは良い加減その歪に気付かなあかんで、指人形にされとっても、『お前の歳で指人形にされたままとか笑わせるなよ。お前だって責任者なんだから首くくれ』は普通に言われるのよ。いっそなんかを自分に捧げる覚悟がいるってことや。
大人が大人の無体で無辜の他人を傷付けたということは、そういうことやねん。
言うとるやろ、二人ごめんねしたから許す許すしようねはクソガキしか許されへんのよ。
お前、神名乗っとるから立場あるものなのよ。何年もそこに鎮座して、お前はアホ程力を振り回してるの。
行き遅れたことがすっげえ辛かったかもしれんけどよ、それとこれとは別なのよ。
早くアンタが引きなさいな。
じゃないともっと他の人達がクビ差し出さなきゃいけなくなるよ。
裸で踊って笑わせてくれる女はもうおらんのよ。
ガンダムの最新作『機動戦士Gundam GQuuuuuuX(ジークアクス)』で、星街すいせいが主題歌を担当したと知ったとき、ついにVTuber文化も市民権を得たのだと感慨深くなった。ネット発の歌姫Vが、あの「ガンダム」の世界で歌う時代が来るなんて、数年前には想像もしなかったことだ。
それが、どうだ。
そんな希望が見えた矢先に、とんでもないニュースが飛び込んできた。
同事務所所属の黒神ミオと姫森ルーナの「パパ」(キャラクターデザインを担当したイラストレーター)が、SNS上でとんでもない行動に出たのだ。
AIイラスト使用疑惑のある絵描き(ただし証拠なし)へのバッシングを拡散したのだ。
くだんの絵描きは誹謗中傷や殺害予告に見舞われ、恐怖を感じたのだろう。正直、言葉を失った。
インターネット絵描き社会では、「疑わしきは被告人の利益に」「10人の犯人を逃しても1人の無辜を作ることなかれ」といった現在法治主義の精神が定着していないようだった。
キャラクターデザインを担当するイラストレーター(通称「パパ」「ママ」)は、言ってみればそのタレントの"生みの親"とも言える存在だ。彼らの個性やセンスがなければ、今のようなVTuberブームはあり得なかった。しかし、今回の件で明らかになったのは、その「生みの親」がネットで信じがたい、とうてい現代日本では正義とは認められない行為をしていたという事実だ。
どんなに表面的に大きな舞台で活躍できるようになっても、それを支えるクリエイターの精神性が幼稚なままでは、文化は根本的に成熟しない。
今回の騒動を見て、「ああ、やっぱりVTuber界隈はまだまだ未熟なのか」「ステークホルダがこれでは、とうてい誇れる文化にはなれないな」と落胆してしまった。
企業としてガバナンスは機能しているのか? 星街すいせいのように、業界の壁を超えて活躍するタレントがいる一方で、こうしたトラブルが絶えないのは、組織としての管理能力に問題があるとしか思えない。
今回の一件はタレントのスキャンダルではない。タレントの生みの親、関係者の愚行だ。
タレントの生みの親がこういった問題を起こすことで、ホロライブのブランド価値が損なわれるのは痛すぎる。
ぶっちゃけ、黒神ミオと姫森ルーナの「パパ」は、この業界にとってリスクだと思っている。
文化を成熟させるどころか、自らの行いで足を引っ張る存在になってしまっている。ホロライブは、これをどう処理するのか? もし運営がダンマリを決め込むのなら、それこそ「もうダメだな」と言わざるを得ない。
ホロライブは、VTuber文化の象徴ともいえる存在だ。最大手事務所だ。運営のCover社は上場企業だ。
初期は特定の話題を出した人間を荒らしとして対処してた形跡があるんだよね
しかし、管理人は一人なのもあり、複垢?人海戦術?で対応し切れずに放置→フェミ腐女子の荒らしに乗っ取られ終了、という流れ
言っとくけど2ch全盛期とかではなく、ここ数年の話
荒らしの手口には手慣れたものを感じたし、増田やTogetterにも複垢でフェミ荒らししてるのもいるし
こうなると「2ch全盛期から男オタに攻撃され続けてきた無辜の腐女子達」なんて彼女らが主張する言説が甚だ怪しい与太話に思えてくるんだよね
2chがどうこうとか知らないから、そう思うのかも知れないけどさ
お前らも荒らしとかやってたんじゃねえの?とか、場も弁えずに自分の好きな話垂れ流して、ウザがられたのを「攻撃された!」って思い込む被害者様なんじゃねーの?とか
自分じゃそんなことをやる勇気なんてビタいち無いくせに、安全地帯から他人を煽るだけのやつがいるとして、
そういうやつのことを一般的になんて呼ぶかって言ったら…「卑怯者」だわな。
結局ね、この世代の奴らがちゃんと世の中に対して抗議せんかったことで時代が失われるのが終わらなかったんだよね。
つまるところさ、「最底辺でいいから暮らせるならお仕事します〜〜靴墨ペロペロ〜〜」とかやった生き汚さが世界を滅びに向かわせたのよ。
金持ってる奴らに「あっ、なんや、凡人どもって死なない程度に金やれば勝手に働くんだ。しかも締め付けるほどラットレース現象で競い合うとかマジチョロ〜」って思われたから中流階級はみんな奴隷階級になっちゃった。
氷河期ってよく世代格差とか言うけど、その格差を広げたのは他ならぬお前らの根性のなさだよ。
世代レベルのハンガーストライキをしかけるでもなく命じられるままに椅子取りゲームに参加したお前らが悪い。
マジでさ、お前らって社会の被害者ではあるけど、同時に加害者でもあるからね。
戦時中にゲンの親父を非国民呼ばわりしてた町内会長と同じような存在だから。
奴隷根性かましておくことで「無辜の良き市民」の立場を手に入れようとする態度を取り続けて楽してモラリストになろうって生き方が違うんだよ。
死ぬほど頭絞ってさ、本当に世の中を良くするには何をしなくちゃいけないか考え続けるべきだったの。
お前らは所詮「隣の家の本当のモラリストを非国民と呼び竹槍でしばいていた無責任な自称「善良な市民」」でしかねーんだよ。
卑怯者!
考えることから逃げるな!
ちゃんと生きろや!
結局ね、この世代の奴らがちゃんと世の中に対して抗議せんかったことで時代が失われるのが終わらなかったんだよね。
つまるところさ、「最底辺でいいから暮らせるならお仕事します〜〜靴墨ペロペロ〜〜」とかやった生き汚さが世界を滅びに向かわせたのよ。
金持ってる奴らに「あっ、なんや、凡人どもって死なない程度に金やれば勝手に働くんだ。しかも締め付けるほどラットレース現象で競い合うとかマジチョロ〜」って思われたから中流階級はみんな奴隷階級になっちゃった。
氷河期ってよく世代格差とか言うけど、その格差を広げたのは他ならぬお前らの根性のなさだよ。
世代レベルのハンガーストライキをしかけるでもなく命じられるままに椅子取りゲームに参加したお前らが悪い。
マジでさ、お前らって社会の被害者ではあるけど、同時に加害者でもあるからね。
戦時中にゲンの親父を非国民呼ばわりしてた町内会長と同じような存在だから。
奴隷根性かましておくことで「無辜の良き市民」の立場を手に入れようとする態度を取り続けて楽してモラリストになろうって生き方が違うんだよ。
死ぬほど頭絞ってさ、本当に世の中を良くするには何をしなくちゃいけないか考え続けるべきだったの。
お前らは所詮「隣の家の本当のモラリストを非国民と呼び竹槍でしばいていた無責任な自称「善良な市民」」でしかねーんだよ。
卑怯者!
考えることから逃げるな!
ちゃんと生きろや!
自分達が間違っていると判断した者に対しては何を言ってもいいというネットの雰囲気はいつかとんでもない事件に発展すると思うよ。
今回の中居の件は、ある程度の真実相当性があるからまだマシだけど。
でも、かつて2chのなんJで起きたハセカラ騒動みたいに、こいつの言葉遣いが気に入らねーからみんなで徹底的に攻撃してやろうぜwwwみたいなのは今後当たり前になるんじゃないかな。
こいつは悪いことしたからしょうがないの!悪い奴を懲らしめるのは正義の行いだからやってもいいの!みたいな感じで。
でも、それを止めることなんて出来ないと思う。
今みたいに騒ぎが起きてる間はまだいいけど、この件がある程度落ち着いて、丁度いい悪者がいなくなった時が心配なんだよな。
文春みたいなのが、頑張って裏取りした「叩いてもいいことになってる人」を定期的に用意できるならいいんだけど、そんなのが都合よくポンポン出てくるわけないからな。
世の中が正しくなれば正しくなるほど余計に。
なぜ規制派オタクは同じオタクを見下すのか。その「異常」な同族嫌悪の理由をわかりやすく説明するよ。
https://somethingorange.jp/entry/otakusabetu
若いオタク達と触れる機会もある人間として、この記事には一部同意する所と、微妙に意見が違う部分が有る。
意見が違う部分はブコメでコメントされてもいる「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という所。
私もこのブコメに同意で、そもそも今の「オタク」とオタクを見下し批判している高齢オタクは全然層が違う。だから本当はこれは「同族嫌悪」ではない、そもそも同族ではないから。
そしてその部分こそ今の高齢オタクの醜い部分が凝縮した側面だと私は思っている。
私も一部のオタクに対する批判には頷く部分もある、確かに一部のオタクの言動はミソジニーやその他問題に溢れる事が有るからだ。
しかし大半のオタク批判は批判する範囲を間違えている。多くの場合(全て、完全に、ではないが)そうした問題を抱えるのは高齢オタクであり、批判を「オタク」全体に向けた瞬間関係のない多くの若いオタクを巻き込んでしまうからだ。
例えば、昔の2chでは女叩きが横行していた、という話がある。それは事実だ。この目で見てきた。しかし当然ながらその頃生きていなかった若いオタクには関係の無い話だ。
これは先程の層の違いでも同じ事が言える。そもそも今のオタクは「根暗」「陰キャ」といった古いオタクの層とは異なる、昔なら「リア充」と呼ばれていたような陽キャの層も含んでいる。
例えば昔のオタクが非モテ故にミソジニーをこじらせていたとしても、そもそもリア充も含む現在のオタクでは同じ現象は起こらない。
要するに、同じ「オタク」という言葉で呼んでも今と昔では全然層が違うのだ、いっそ、非常に強引だが「非リア充(昔のオタク)」と「リア充(今のオタク)」と分けて読んで考えた方が、「オタク」と同じ名前で呼ぶことで生じる錯覚を減らす事が出来るかも知れない。
勿論リア充ならミソジニーを抱えない訳ではないが、少なくとも非リア充の場合とは発生する経緯も種類も割合も全然違う。
勿論単純な年代の問題もある、今の高齢者は今の若い人たちと比べて、差別的な価値観を抱えている割合が単純に多い、これはオタク内でも同様だ。
現在の若い人達は価値観は概ねリベラルで、差別に関しても昔より差別を忌避する感覚が強い、勿論個人差は大きくあるが、全体的な傾向はそうなっていて、若いオタクも同様になっている、というのが彼らと触れる機会のある私の肌感覚。
従って、少なくとも割合で考えれば、ミソジニーや問題を抱え、女叩き等の現実の実績も有るのは、若いオタクよりも圧倒的に高齢オタクだ。
つまり前述の通り、高齢オタクによるオタク叩き・オタク差別は、同族嫌悪や自己批判といった「高邁」なものですらない。
高齢オタクが自分達の罪を若いオタクという関係の無い層を巻き込む形で擦り付け、最後に「自分は違う」と逃げる、極めて醜悪な責任転嫁でしかない。
かつての「オタク」が抱えたミソジニーや、それによって生じた様々な問題は、飽くまでそれを実際に行っていた高齢オタクの中の問題だ、若いオタクは関係ない、高齢オタクの中で解決するべきだ、関係無い層を巻き込むな。
しかも、そうした理不尽な巻き込みは、ミソジニーを抱えていない若いオタクにフェミニズムへの嫌悪感や反感を抱かせる契機にも成り得る、百害あって一利無い。
更にまた、今の若いオタクはライトなオタクが多く、現行の萌え(も既に死語になりつつあるが・・・・)が標準化した文化に慣れ親しんだ人が多い。
一方で古いオタク、特にオタク批判(の名を借りた醜悪な責任転嫁)を進んでするようなオタクの中には所謂「硬派なオタク」が多い、中には萌えにも拒否感を示す人もいる層だ。
ここで興味深いのは、一般的にオタク批判はオタク文化のなかでも萌え文化を指して糾弾する物が多いが、その実、上記の通り「硬派なオタク」の方が高齢オタクの率が高く、従って、ミソジニーや差別的な価値観を抱えた層も、割合としては多い可能性がある事だ。
当然ながら、「硬派」である事と「ミソジニーでない」ことはイコールではないし、阻害要因となる訳でも無い。従って、硬派から萌えへなされるオタク批判は、むしろミソジニー等を多く抱える層から別の層へ向けられている、という実態がある可能性がある。
実際の所はデータでも無い限りなんとも言えないが、年齢層だけ考えればそうなる蓋然性が高いとは言えそうだ。
ただの醜悪な責任転嫁でしかない事を明らかにしたので、既に明らかだが、どれだけオタク批判した所であなたのミソジニーや差別意識が洗い流される訳ではない。
オタク批判をし、体面上はフェミニズムの見方であるようなポーズをとっておきながら、なおも内面にミソジニーを抱えた人は幾らでも居る、何人も見てきた。
そうした人達は、主にオタク批判の中で尻尾を出す、例えば女性のオタクや創作者や、リベラルフェミニストと対立した際に、その言葉遣いや態度、スタンスに隠していた筈のミソジニーが溢れ出す、何度も見てきた。
また、オタク批判そのものが旧態依然とした、昭和的なマッチョイズムまみれという場合も有る、むしろ多い。結局の所、彼らのオタク批判は皮肉にも昭和的マッチョイズムと有害な男性性に支えられ、構成されている。
オタク批判をするからミソジニーが無いのではない、差別者でないのではない、あなたがオタク批判をするとしても、依然あなたにはミソジニーがあり、マッチョイズムがあり、有害な男性性があり、差別者である。
現在の若いオタクはリア充も非リア充も含み、陰キャも陽キャも含む、かつての様な偏りを含まない為、ミソジニーへと直接繋がるような契機を持たない。
唯一有り得るのは、古い高齢オタクの責任転嫁をまに受け、そこに有った問題や対立を継承してしまう事だ。
それが好ましい人間も、そうなって欲しい人間も居るだろう、あなたはどうか?この醜悪な伝統がこれからのオタクにも引き継がれて欲しいと思うか?
高齢オタクに必要なのは、「オタク」というもう既に層が変わって別物になってしまった層に、昔のオタクの罪を擦り付けることではない、高齢オタク内の問題を高齢オタク内で完結させ、自分達の中だけで解決する事だ。
無関係な他者を巻き込むな。批判するならまず自己を批判しろ、自己に見せかけた(名前が同じだけで他人である)「オタク」ではなく、自分自身がちゃんと射程に入り、関係ない人を巻き込まない批判をしろ。(差し当たって、「高齢オタク」がとりあえずオススメだが、勿論そこでも巻き込まれる人が出る事は注意)
いい加減、この醜い対立から無関係な若いオタク達を解放しよう。
高齢オタクや氷河期オタクの全員が女叩きやミソジニーに染まっている訳ではないのなら、若者オタクだってそうだしオタク全体だってそう、何なら「表自戦士」だってそうだよ。
高齢オタクや氷河期オタクは同世代のオタクが女叩きやってた時に何してたの?止められなかった感想はどう?そんな奴知らない、他人だ、連帯責任なんかないと言うなら、若いオタクもオタク全体も表自戦士もそうでしょ。
これらは全てある程度無辜の人を巻き込む藁人形であり、「藁人形論法が迷惑だと主張するために、新たな藁人形を人身御供にしている」という指摘は正論だし正しいと思うけど、
私はこの人達が藁人形を手放す事は絶対にあり得ないと思ってる。だからせめてなるべく巻き込みの少ない藁人形を渡すべきだろうと。
本当は藁人形を一切使わせないのが理想なのは正しい、でも出来る?不可能でしょ、オナニーにハマった猿にオナニーを止めさせるのと同じ位無理だよ。
あなたたち自身出来ると思わないでしょ?藁人形を手放せる?無理でしょ。
私の主張はシンプル。
・従って次善の策として、藁人形はできるだけ小さく、巻き込みが少ない方がいい
・そのため、新たな藁人形は「高齢オタク」が推奨(「オタク」よりはかなりマシ)
・別に「表自戦士」でも構わない(確かにそっちの方が更に巻き込みが少ないかも)ただし、それも藁人形であることには変わりない(例えば、エロや萌え表現だけじゃなく、表現の不自由展や教科書等の表現の自由にも関心を持つ表示戦士は居るし、ミソジニーを抱えない人も居るだろうしね)