はてなキーワード: 軍団とは
ソ連が日本に攻め込んでくるとぼくは思わない。思わないけれども、アメリカにおんぶでだっこで三十六年になって、部屋貸してくれた大家よりも日銭は入ってくるようになって、逆に大家の方が出銭が多くてアップアップしててだよ。じゃ、てめえのところの柵は、おめえ作ってくれよと。いやだ、今まで通り、おめえやれよというわけにはいかないよ。そうでしょう。それが国防費の実態ですよ。てめえの世帯はてめえで守るのは当たり前だと思ってる。
ただ“九条”は厳然としてある。これを我われはすぐあしたあさって削りつぶすなんていう気はない。むしろアメリカと組んで、アメリカが逃げ出さないようにアメリカの急所を握って、日米安保でがんじがらめにしばり上げて、軍事費の伸びはできるだけ7%と8%の間ぐらいにおさえて、我われに必要な政策の方に金を回す。どんなに恥をかこうと、この道をなんとかやっていくというふうに考えている。田中角栄も小沢辰男も、そして田中派はそう考えている。
憲法はなじまないというのは確かにある。しかし三十六年。これは現にわが国の最高法規として存在している。戦後に生まれた人たちは、全部その最高法規の元に育ってきた。価値観、生活感情、論理も全部それでしょう。それはすでに定着した。浸透した。これを根こそぎひっくり返す事などはもはやできない。できなくてけっこうだ。ならば我われは、この九条を逆手に使って、九条をカードにして、アメリカとのバーゲン、北京とのバーゲン、これに臨むしかないと、我われは腹くくってるんですよ。
きのう聞いたようなバカは「絶え間ない右傾化の波の中でどうだこうだ」という。それは自民党の中に多少とも手放しで置けばファッショの方にいきかねないと見受けられるのもいるよ。でもだれにしたって今売り出しのためには赤塗りで大見得きって六方踏んでる方が新聞も週刊誌もかくわけだ。悪役という事でかっさいを送って。しかし、それらの人も一歩、政権を目の前にすれば、かれの重心は一気に低くなる。偏った方向で政治ができるはずがない。そうでしょう。その中で比較多数のサポートがなければね。ひとりのキャラクターではできないわけだから。これは投票で決められるわけだから。数で採否が決せられるわけだから。田中軍団、田中軍団といわれるものというのは、その意味でいえば保守本流の中核であると自負していますよ。
わたしには若い頃から、相手に対して支配的なコミュニケーションを取る人間に囲まれがちで。
悪く言うと搾取する人間のターゲットにされがちな人間であった。いわゆるのび太のようなキャラであった。
2~30代の頃、モラハラ男丸出しの男性とよく行動を共にしていた(わたしは男性である)
「田中さん!(仮名) 田中さん! まじかっこいいっす!」っと言い、疑う事無く盲目的に付き合っていた。実際彼は仕事で年収1000万円は稼いでいたし、同時並行的に10人以上と交際していたし、毎日仕事の人間関係に苦労しながら安月給で働いていた私にとって、昼に起きて、1日1時間しか働かない彼の働き方はとても魅力的に映った。
小売店に対してクレームを付けたり、交際女性を激しく罵ったことを、「説教してやった」と称して、私たちに自慢げに話してくることが気になってはいたけれど、そこを除けばとても能力のある人だと思っていた。わたしは都会で素晴らしい人に出会ったのだ。彼から学び、彼の一挙手一投足を学べば、俺も同じく、彼のようにカネを稼ぎ、女を掴み人生を変えられると思っていた。
そんな彼が、実は企業相手に詐欺行為を行っていたことは昔から知っていたし(詳細は割愛する)、エンドユーザー相手に恫喝行為を行っていたことだって昔から知っていた。わたしもその詐欺行為に加担したこともある。でも、当時の自分はそれも込みで、彼のバイタリティ溢れる行動力、発言、「人生楽しまなきゃ損だぞ」という言葉に夢を見ていた。「この人と一緒に居れば、自分はお金持ちになれる!」「かわいい女とヤレる!そう信じて疑わなかった。最近で言うなら、最強軍団清水会の会長に憧れる、若い無知な青年と言ったところか。
俺は人生を変えたかった。歌舞伎町のトーヨコに転がっている、知識も教養も無いしかし若い男性達と同じである。
人生に希望を持った若いころの私は、彼らから見ると明らかに搾取の対象だった。
彼はそのままフリーランスの道を進み、わたしは非正規だが企業勤めの道を進んだ。
時はたちお互い年を重ねた。お互い独身であることも変わらないけれど、彼は相変わらず20代の若い女性と一緒に住み、仕事内容も働き方も年収も変わっていないらしい。わたしは、様々な手段で教養を学び、彼のやり方がモラハラだということも認識したし、彼の近くにいると不健康につながるということも、十分認知した。若いころの彼に対する憧れはとうの昔に捨てている。そのため、現在はLINEでのやり取りにとどめている。
そんな彼にこれから会いに行ってくる。詐欺で得たお金を受け取りに。
そしてこれを機に彼との関係も絶とうと思っている。
昔は声が大きくて押しが強いオジサンたちが跋扈していた技術広報の世界。IT業界あるあるだけど、実際にプロダクトを作っている陰キャソフトウェアエンジニアよりも、それを外部に説明するだけの技術広報のオジサンや調整だけしているオジサンの方が社内で妙に偉そうにしていて、大きな顔をしていたんだよね。コードを書いている重要人材より、社外向けに饒舌に語ったり調整だけしているオジサンの方が社内ステータスが高かったりする不思議〜〜〜。
カンファレンスとかでも、自分は登壇もしないしエンジニアでもないくせに、なぜか偉そうな顔をして立ち回っているオジサンたちがよくいた。
でも最近、明らかに様相が変わってきている。顔の強い女性陣が次々と台頭してきて、今や業界の主軸になりつつある。技術者は顔がいい女に弱いから、それと比べたら、今は美人な女性が技術広報として活躍している方が、正直見た目的にもマシだと思う。少なくとも会場の雰囲気は明るくなるし。高圧的な態度とか取らないし。
まあこれも何年か後に「セクハラされました」芸をやって二毛作が出てくるまでこの流れは続くと思うけど。
絶対表では言ってはいけない話なんだけど、このオジサン広報軍団が女性陣に置き換わりつつあることに哀愁を感じている自分がいる。あの独特の「技術広報おじさん立ち回り」から解放されつつあるのは良いことなんだけど、急激な変化についていけていない自分もいる。
弁護士に対し異常に敵意を持って攻撃しているのがカルピス軍団という暇空アンチ集団の特徴らしいっすね
それは置いといて
・公開したのは堀口くんでは無く神谷というアカウント(堀口さんの友人?らしい)
・弁護士が5000円持って行ったのは堀口側が裁判費用の受取を拒否した上で「支払って貰えません!」と差し押さえのリーガルハラスメントやろうとしていたので
「支払おうとしているのに受け取って貰えませんでした」という証明を裁判所にする為に行った
暇空もカルピス軍団とかいうアンチ集団に刑事告訴やっていると言っていた(と思う)
またこれとは別件で、漫画家の石黒正数も同様にカルピス団を刑事告訴しているらしい(アノン認定され、自死まで考えるぐらい追い込まれたとか)
この辺の進捗が聞こえて来ないので、起訴まで進んでないか、下手したら告訴状すら受け取って貰えてないんじゃないかな
自分も昔名誉毀損で告訴しようとした事あったけど「◯◯は詐欺師で客の金に手を出す最低の人物」ぐらい言われてたけど、告訴難しいですねって告訴状すら跳ねられた
普通にやろうとしたら弁護士入れても難しいのに、都ファ議員パワーとColaboパワーがあれば即座に正式起訴に持っていけるってのは、さすがに法の下の平等に反していると言わざるを得ないんだよな
反響がいただけたので、anond:20250322200443の続き。
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2025/3/22(2日目)
興奮であまり深く眠れず、6時前には起床。
ホテルのバイキングには開始時から待ち、カレーに和食と十分に食う。
コーヒーとトイレもちゃんと済まし、2日目は7時半前の愛知環状鉄道から。
路線は単線と複線がしょっちゅう切り替わり、複線用地もちゃんとわかる。
ひたすら高架で見晴らしもよい。
シャトル列車の走る名鉄との並走区間を越えて、都市部から一気に山に囲まれる田畑のギャップ。
ただ乗るのも飽きてきたので、今日はwikipedia見て、各駅や路線をより知ろうとする。
調べてた通り、一般道をしばし歩くことに。
入口ではまたもSuicaが使えないことを知り、ホーム階にあがっては中央線にどう繋がるのか不思議に思う。
ホームにはちょうど折り返しがやってくる。
時間があるので、それらを写真に撮っては、ホームそばまで複線で来るレールや名二環を見渡す。
乗れば、緑の看板が並走するほど都市部なのに、単行の気動車がすれ違いもしない頻度で走る不思議さ。
こちらもやはり見晴らしはよく、JCTの絡まりもこの距離で見られるのは嬉しい。
名鉄の上小田井駅が見えては、その先に接続用だったらしい立体が上下に分かれる。
ちなみに運賃は割高なので乗り通す客は少なく、どんどん入れ替わる。
階段から改札もなく中に入れば、ほぼバスな車体を転回所に撮り、両サイドのレールもよく見ておく。
あとはさすがバスであり、細かく停まる印象だが、ドームがあったりして一区画でも乗る人がいる。
これが見てみたかったのだ。
運転手がハンドルの両サイドにあるレバーを上下に振ると、側面下部からゴンゴンとガイドの収まった音がする。
そして運転手はハンドルをとり、教習所みたいなS字カーブで一般道へと入る。
名二環を越える下り道は長く、庄内川もあって遠くまで見渡せる。
ちなみに、本質的にバスなので、途中下車は車内を通るのがかなり面倒だった(他の客に倣い、中降りして前に回り込んでタッチする)。
専用区間だけでも連結バスにすればよいのにと思うが、特殊な規格だから改修もままならないのだろう。
名古屋の地下鉄は10分毎が多くてやる気がなく思ったが、名城線に乗る人数を見たら妥当か。
藤が丘は引き上げ線で入れ換える形で車庫にもつながっているようだ。
自動運転だし、元は万博用の見世物でもあったわけで、妥当な装飾か。
一方で、ジブリパークの案内が目立ち、乗客も若い女の人や外国人が多い。
ちなみに、リニアなので車体は浮いてるはずだが、浮遊感みたいなものは無かった。
でも新交通にしては明らかに速いし、それでいて静かなのはよい。
万博公園は有名だが、長久手古戦場にもアクセスできるのは近づいてから知る。
車庫は万博駅につながっている。
八草では12時前なので、申し訳なさで親へのメールをこなし、2度目の愛知環状鉄道。
尾張旭で緩急接続するイメージだったが、かなり昔から昼間は各停だけだったのね。
そしてすぐに尾張瀬戸は櫛形駅の平面移動で外に。
瀬戸物の街であり、少し歩いてみると川の両端に陶器屋が並んでいる。
ロードバイクも見かけ、自転車乗るにもいい暖かさとなってきたなあと思う。
脚が慣れてないが、また自転車で遠くに出かけたくなってくる。
折り返しては、尾張旭では折返線が両面に。
喜多山は高架化の途中で、追い抜きも無いのに2面4線が保たれている。
そして矢田川を越えて、再びの大曽根では、商店街のイベント紹介もあった。
と、そもそも名古屋城を見たことが無いのに気づき、名城線で近くに移動する。
地上に出れば、瀬戸線が走っていたお掘りが目の前に!
ブラタモリで見たやつだ。これは嬉しい。
さらに、この歴史的建物は何かと思って調べたら、市役所なのか!これまた豪華。
横丁なる食事処から天守閣へと近づき、有料区画に入るか悩むが、耐震性で天守閣に入れない代わりに500円とリーズナブルなので入ってみる。
(昨日もだが、乗り鉄なのか観光なのか旅の目的が定まってないな。)
中は有料区域ながら、まるで普通の公園みたいな人の多さに出店の多さ。
石積を積み直すコツコツさを傍らに、出店には縁日な遊びやゴザもあり、早咲きながらも桜らしきがありですっかり花見みたい。
さる軍団まで来てた。
たしかに入れないことを確認しては、エレベーターまで付いてたことを知る。
手ぬぐいとか渋い品目のショップを見ては、現在のメインである本丸御殿にも入る。
十何人かまとめてずつの入りでしばし並び、荷物は建物にぶつけぬようロッカーまで準備する念の入れよう。
カメラは可だったので何枚か撮ったが、金箔に描かれたふすま絵やら、立体に作られた装飾やらで、造詣ないゆえ理解はできずもひたすらすごいって感じで過ごす。
その解説で、「こけら」って木くずのことを言うから、「こけら落とし」になることを知る。
あと、太い松の切り株の輪切りに大谷のサインが書かれてたのが印象的。
そして御殿を外から一枚撮っては北側(開かずの門)から出て、水の張るお掘や大きな石。
武将と握手会してるなど皆が楽しむ様子も見て、名古屋城をあとにする。
料金は均一の後払いなのね。
しかし、ほどなく桜通大津からは普通レーンとなり、普通のバスと変わらなくなる。
晩飯を豪華にするべく昼間はパンひとつで我慢してたが、耐えきれずおにぎりに手を出す。
改札上には、コンサートらしきでノンストップの臨時列車が出る旨の案内。
そっか、デフォルトが少ないのは、フレキシブルに便数を増やすからなのね。
おにぎりを慌てて食って乗れば、近鉄としばし並走しつつ、両方の車両区を上から見下ろせる。
ノンストップとうたっているが、港湾部までは60km/hくらいでわりとゆっくり。
工場から港湾へと移り変わり、名港トリトンもこんなところから見れるだなんて。
野跡手前で降りる車庫線。
そして、金城ふ頭に着くが、キッチンカーが出るほどの人の並び。
反対側にはレゴランドで、原色のブロックが付いたような建物にモールまである。
と一通り見ては、まさかこんなに人が多いとは思ってなかったが、せっかくなのでリニア鉄道館にも若者たちの間を抜けて近づく。
わりと平たい建物には、券売機の横にある案内によると、記念車両が並んでいるようである。
外にも、N700のA改造車が3両分置いてあり、これは中に入らずとも見られる。
トリトンを撮り直しては、日陰となったベンチでここまでの日記を書き出す。
そうして場に馴染んでの帰りはイベントと逆方向だが、他の会場があるのでそれなりに混む。
それでも名古屋駅には明るいうちに帰れて、帰りも行程を復習できた。
「のぞみ」は18時前の発。
終わってみると、あっという間だった。
昨日と違って、道中で知識も追ったので飽きも無かった(ようやく楽しみ方がわかってきた頃に、旅は終わるものだ)。
パンと炭酸と切符を買っては、改めて謎のフリークエンシーに驚きつつ、すぐの新幹線に乗り込む。
眠気に耐えつつここまでの日記を打ち直して、暗闇でもあるので目を閉じる。
静岡通過から寝て、小田原で案内放送が入っては、パンフで名古屋城のことを復習。
そしてここで、こうやって毎回、旅日記を文字データに起こしているのだから、増田に投げて反応もらいたいなと思い
(占いにも「自分の得意分野を活かして、他の人にはできない価値を人に提供することで、大きな満足感が得られるでしょう」とあったのだ)、
昨日書いた分から個人情報を消したバージョンを作り、地下鉄内で調整を加え、最寄り駅に着いては送信。