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はてなキーワード: 不惑とは

2025-04-25

39歳、初めてちょっといいバッグとピアス買った!

タイトル通り。

すっごいかわいいバッグとピアス買った。

昨日届いた。

私は女で、39歳で、子ども2人の社会人

ブランド物に全く興味なくて、これまでの人生、稼いだ金はほぼ全て投資に突っ込んできた。

それが生まれて初めて、ちょっといいバッグとピアス買った。

一目惚れしたバッグとピアス

言うて、アウトレットで半額になってたから、トータルで4万ちょい。でも私にとっては、物品にかけるお金としてはすごく高い。

でも!!

なんだこれ!!!

かわいい!!!!!!

質がいいのが、一目でわかる!!!

かわいい!!!!!!

バッグなんて、持ち手と金具がぜーんぶ、丁寧に、丁寧に、梱包されて届いた!

アッそこ梱包するとこなんだ!?

今までのバッグ、段ボールビニール袋1枚で突っ込まれてて、それが普通だと思ってた!

大事にされてきたバッグだ!!

ピアスかわいい

ダイヤとかじゃないけど、キラキラ

ピアスの金具のとこって、皮膚と触れるとすーぐ劣化して色変わるよなって思ってたけど、なんかい金属だ!劣化しなさそう!

金具も止めやすくて、硬いとか外れやすいとか一切ない!


不惑を目前にして、なんかちょっといいもの買うべきなのかな、とか思ってたんだよね。

でもさ、「40代ブランド」とかで検索すると、ウン十万のジュエリーオススメされて…いやいや…高くない!?みんなこんなの買ってんの!?

さすがに初っ端ウン十万の代物は使いこなせる自信もなく。

からデザインかわいいなってずっと思ってて、買わなかったこブランド

でも、普段ならこれでも10万近くしちゃうからためらってた、このブランド

若者向けだから…ってレビューかに書いてあったけど、でも、かわいくてずっと欲しいなって思ってた、このブランド

買ってみてよかった!!

かわいい!!!

すごく、すごくかわいい!!

このかわいいバッグとかわいいピアス

誰のですか!!?

私のでーーーす!!!!!

すっごく素敵なものを買って、嬉しい気持ちで勢いで書きました。

素敵なデザインありがとう

大事に、たくさん使う。

2025-04-03

子どもが家を出た。

子どもが家を出た。

4月から社会人になった娘が一人暮らしを始めた。

小学生のある時期、超能力者だった事もある娘だ。

https://anond.hatelabo.jp/20230622095834

の子と初めて会った頃、私は既に不惑を過ぎていた。

当時、まだブログというものは無くて、Dreamweaverで作ったホームページ掲示板機能を追加、好きな音楽の話やPDAPalmOS端末が盛んな頃だった)についての話を書き、大学時代の友人達と内輪で楽しんでいた。

ところが、やがて掲示板荒らしが来るようになってしまい、その対応が煩わしくなった。

もう少しクローズド環境で遊びたいよね、というタイミングで、まだ招待制だったmixiを始めた。

当時のmixiには様々なコミュニティがあり、比較マイナー海外ミュージシャン情報等が得られる貴重な場でもあった。

そのうちに、音楽とは関係のないコミュニティ20代女性と知り合う。

YahooチャットSkype他愛もないやり取りをしているうちに、彼女の頭の良さ、人柄に惹かれるようになった。

彼女には当時生後6ヶ月になる娘がいた。

の子が、生後10ヶ月の頃に私の娘になった。

結婚はおろか、親になることなど全く想定していなかった人間だったので、夫という立場父親という立場には戸惑いの連続だった。

妻とは年齢が一回り以上離れており、育ってきた環境も大きく異なる。

結婚当初は些細な事での言い争いが絶えなかった。

妻は、話し合いの重要性を理解している人だった。

しかし私は、話し合いが深くなる過程自分自身問題直視せざるを得なくなるのが嫌だった。

人と暮らすのは、このように苦しいものなのかと思い悩んだ。

不惑まで独り自由気儘に過ごしていたツケが一気に回ってきたようにも思えた。

それでも、妻のことは好きだし、この幼い娘に二度も父親を失わせるようなことはあってはならない、と思った。

自分自身を変えるしかなかった。

やがて、話し合いのテーマの8割は、子育てについての話になって行く。

娘の親として私は比較高齢であり、妻にも持病がある。

頼れる親戚も、莫大な遺産もない。

必然的に、この子は独りで、自分の力で生きる期間が長くなるだろう。

子育ての最大のテーマは「自立」になる。

経済的な自立、精神的な自立を手に入れさせる必要がある。

娘は、持って生まれ個性特性)がなかなか強い子なのだと、成長するにつれて分かってきた。

の子を、どうやって社会に馴染ませるのか。

今の社会不寛容さの中で無事に過ごすには、この子自身がそれを自覚して、社会自分とのズレをある程度調整する必要がある。

妻はそう感じていた。

娘の特性は、私のそれによく似ていた。

私は、幼い頃からマイペースな子だね」と周囲の大人に指摘される事が多かった。

所謂ASD的な傾向、ADHD的な傾向のどちらもが自分にあるのだ、親という立場になって初めてそう自覚した。

ただ、私の育った環境では、それはあまり珍しいものではなかった。

国家公務員官舎の集まった地域で、同級生の親は昭和一桁生まれにもかかわらず旧帝大卒が何人もいた。

総じて児童学力は高く、また当時は珍しい帰国子女受入校だった。

大卒保護者が多く、それなりに教育熱心な家庭の多い環境で過ごしているうちに、私もほどほどには勉強の出来る子になった。

ちなみに、私の父は高校中退だった。

父については、以前に書いた事がある。

https://anond.hatelabo.jp/20230202131807

何と言えばよいのか、少しばかり浮き世離れした、不思議な人だった。

森の小人人間世界に迷い込んで、なんとなくそのまま居着いたような。

大学卒業して働くようになってから、あの父を受け入れてくれていた社会、周囲の人々の寛容さを初めて理解した。)

そうして、自分の過ごしてきた環境を振り返ってみると、私のような子どもは決して珍しくなかった。

娘の特性心配している妻に、

「僕もこんな感じだったけど、別に気にする事はないんじゃないかな」

と呑気に答えていたが、それは私の育った環境がこうしたものだったからだ。

妻との対話の中でそれを認識した。

世間的に「生きづらい」とされるような個性が娘にはある。

だとすれば、様々な「世間」のうち、比較的この子が生きやすい側の世間を選びつつ、こちら側もある程度の調整をして行こう。

父や私が運良くそうしてきたように。

娘の個性は、それを理解してくれる人々の間では、おそらく大切にしてもらえるだろう。

小学校では、他の子たち、特に女子グループにはあまり上手く馴染めなかった。

同調すること、足並みを揃えること、それらが苦手なのは既に分かっていた。

学校とは別の居場所必要だ、と思った。

図書館には良く連れて行った。

自分自身経験から、本を読む習慣さえ身につければ、学業ではそれほど困る事もないだろう、と考えた。

子どもプログラミングをさせてくれるサークルを見つけて、ワークショップに何度か連れて行った。

小学校2年生くらいの頃だ。

やがて、地元に出来たばかりの子どもを対象としたプログラミングサークルに定期的に参加するようになった。

面白い大人大人っぽくない大人がたくさん居て、私にも居心地の良い場だった。

娘が浮いてしまわない「世間」がある、そう思った。

義務教育が終わったら、こちらの「世間」寄りの、この子と同質性の高い環境に入れてやろう。

そう考えて選んだのが、国立高専国立高等専門学校)だった。

学校説明会文化祭に連れて行くと、もう娘の眼中には高専以外の選択肢はないくらいに気に入っていた。

中学2年生になり、そろそろ受験のための準備をしなければならない。

塾というものはどうにも合わなかったようで、私が勉強をみることになった。

大昔の高校受験の頃を思い出して、一緒に参考書問題集を選んだ。

週末、連休夏休みは一緒に図書館学習室を借りて勉強した。

何かのゲームをしているようで、私自身、結構しかった。

振り返ると、娘を育てる過程で、私も一緒に遊んでいたような感覚がある。

子ども向けの展覧会イベントには、私が楽しめるものがいくつもあった。

デザインあ展、チームラボイベントワークショップコレクション科学未来館など、どれも楽しかった。

大人として、親としてそれらに参加しているという感覚はあまりなかった。

幸いにして合格して、コロナ禍の中、寮生活が始まった。

思っていた通り、娘にとっては実に居心地の良い学校だった。

ただ、無駄に行動力があり過ぎるために起こす問題で、しばしば親が学校に呼ばれる事もあった。

そこで、学校後援会というPTA的な保護者の会に参加して、保護者として学校との距離を縮める事にした。

高専という学校特殊性もあり、後援会には似たような考えで参加している保護者も多かった。

留年率が比較的高い中、毎年度の進級について心配する私に、

「目一杯遊ぶために、目一杯アルバイトする。落第は絶対にしない。そのようにリソース配分しています

と言って、本当にスレスレの成績で卒業した。

同級生の4割くらいは国立大学への編入などの進学組、娘を含む6割は就職組。

皆、全国各地に散らばってしまい寂しい、と言っていた。

そして、自分のやりたい分野の事業を手掛けている就職先で、今月から社宅での生活を始めた。

昨日一昨日の入社式研修を経て、今日が初出社。

社会に出たら出たで、やはり心配は絶えないが、ここからは離れて見守るしかない。

少し前に、娘と二人で駅から家まで歩いている途中、

「パパは、人としては「え、この人どうなの?」って思うところが割とあるけど、父親としては満点かな。まぁ、よく来たねw」

と言われた。

よく来たね、というフレーズは、私との間に遺伝子の繋がりが無い事を小学生の頃に知って以来、娘がよく使うものだ。

私にとっても実に面白い20年間だった、というのを書き記しておきたくて、長々と匿名日記に書いた(読む人が読めばすぐに特定出来てしまうけど、内緒でお願いします)。

子どもが家を出た。

子どもが家を出た。

4月から社会人になった娘が一人暮らしを始めた。

小学生のある時期、超能力者だった事もある娘だ。

https://anond.hatelabo.jp/20230622095834

の子と初めて会った頃、私は既に不惑を過ぎていた。

当時、まだブログというものは無くて、Dreamweaverで作ったホームページ掲示板機能を追加、好きな音楽の話やPDAPalmOS端末が盛んな頃だった)についての話を書き、大学時代の友人達と内輪で楽しんでいた。

ところが、やがて掲示板荒らしが来るようになってしまい、その対応が煩わしくなった。

もう少しクローズド環境で遊びたいよね、というタイミングで、まだ招待制だったmixiを始めた。

当時のmixiには様々なコミュニティがあり、比較マイナー海外ミュージシャン情報等が得られる貴重な場でもあった。

そのうちに、音楽とは関係のないコミュニティ20代女性と知り合う。

YahooチャットSkype他愛もないやり取りをしているうちに、彼女の頭の良さ、人柄に惹かれるようになった。

彼女には当時生後6ヶ月になる娘がいた。

の子が、生後10ヶ月の頃に私の娘になった。

結婚はおろか、親になることすら全く想定していなかった人間だったので、夫という立場父親という立場には戸惑いの連続だった。

妻とは年齢が一回り以上離れており、育ってきた環境も大きく異なる。

結婚当初は些細な事での言い争いが絶えなかった。

妻は、話し合いの重要性を理解している人だった。

しかし私は、話し合いが深くなる過程自分自身問題直視せざるを得なくなるのが嫌だった。

人と暮らすのは、このように苦しいものなのかと思い悩んだ。

不惑まで独り自由気儘に過ごしていたツケが一気に回ってきたようにも思えた。

それでも、妻のことは好きだし、この幼い娘に二度も父親を失わせるようなことはあってはならない、と思った。

自分自身を変えるしかなかった。

やがて、話し合いのテーマの8割は、子育てについての話になって行く。

娘の親として私は比較高齢であり、妻にも持病がある。

頼れる親戚も、莫大な遺産もない。

必然的に、この子は独りで、自分の力で生きる期間が長くなるだろう。

子育ての最大のテーマは「自立」になる。

経済的な自立、精神的な自立を手に入れさせる必要がある。

娘は、持って生まれ個性特性)がなかなか強い子なのだと、成長するにつれて分かってきた。

の子を、どうやって社会に馴染ませるのか。

今の社会不寛容さの中で無事に過ごすには、この子自身がそれを自覚して、社会自分とのズレをある程度調整する必要がある。

妻はそう感じていた。

娘の特性は、私のそれによく似ていた。

私は、幼い頃からマイペースな子だね」と周囲の大人に指摘される事が多かった。

所謂ASD的な傾向、ADHD的な傾向のどちらもが自分にあるのだ、親という立場になって初めてそう自覚した。

ただ、私の育った環境では、それはあまり珍しいものではなかった。

国家公務員官舎の集まった地域で、同級生の親は昭和一桁生まれにもかかわらず旧帝大卒が何人もいた。

総じて児童学力は高く、また当時は珍しい帰国子女受入校だった。

大卒保護者が多く、それなりに教育熱心な家庭の多い環境で過ごしているうちに、私もほどほどには勉強の出来る子になった。

ちなみに、私の父は高校中退だった。

父については、以前に書いた事がある。

https://anond.hatelabo.jp/20230202131807

何と言えばよいのか、少しばかり浮き世離れした、不思議な人だった。

森の小人人間世界に迷い込んで、なんとなくそのまま居着いたような。

大学卒業して働くようになってから、あの父を受け入れてくれていた社会、周囲の人々の寛容さを初めて理解した。)

そうして、自分の過ごしてきた環境を振り返ってみると、私のような子どもは決して珍しくなかった。

娘の特性心配している妻に、

「僕もこんな感じだったけど、別に気にする事はないんじゃないかな」

と呑気に答えていたが、それは私の育った環境がこうしたものだったからだ。

妻との対話の中でそれを認識した。

世間的に「生きづらい」とされるような個性が娘にはある。

だとすれば、様々な「世間」のうち、比較的この子が生きやすい側の世間を選びつつ、こちら側もある程度の調整をして行こう。

父や私が運良くそうしてきたように。

娘の個性は、それを理解してくれる人々の間では、おそらく大切にしてもらえるだろう。

小学校では、他の子たち、特に女子グループにはあまり上手く馴染めなかった。

同調すること、足並みを揃えること、それらが苦手なのは既に分かっていた。

学校とは別の居場所必要だ、と思った。

図書館には良く連れて行った。

自分自身経験から、本を読む習慣さえ身につければ、学業ではそれほど困る事もないだろう、と考えた。

子どもプログラミングをさせてくれるサークルを見つけて、ワークショップに何度か連れて行った。

小学校2年生くらいの頃だ。

やがて、地元に出来たばかりの子どもを対象としたプログラミングサークルに定期的に参加するようになった。

面白い大人大人っぽくない大人がたくさん居て、私にも居心地の良い場だった。

娘が浮いてしまわない「世間」がある、そう思った。

義務教育が終わったら、こちらの「世間」寄りの、この子と同質性の高い環境に入れてやろう。

そう考えて選んだのが、国立高専国立高等専門学校)だった。

学校説明会文化祭に連れて行くと、もう娘の眼中には高専以外の選択肢はないくらいに気に入っていた。

中学2年生になり、そろそろ受験のための準備をしなければならない。

塾というものはどうにも合わなかったようで、私が勉強をみることになった。

大昔の高校受験の頃を思い出して、一緒に参考書問題集を選んだ。

週末、連休夏休みは一緒に図書館学習室を借りて勉強した。

何かのゲームをしているようで、私自身、結構しかった。

振り返ると、娘を育てる過程で、私も一緒に遊んでいたような感覚がある。

子ども向けの展覧会イベントには、私が楽しめるものがいくつもあった。

デザインあ展、チームラボイベントワークショップコレクション科学未来館など、どれも楽しかった。

大人として、親としてそれらに参加しているという感覚はあまりなかった。

幸いにして合格して、コロナ禍の中、寮生活が始まった。

思っていた通り、娘にとっては実に居心地の良い学校だった。

ただ、無駄に行動力があり過ぎるために起こす問題で、しばしば親が学校に呼ばれる事もあった。

そこで、学校後援会というPTA的な保護者の会に参加して、保護者として学校との距離を縮める事にした。

高専という学校特殊性もあり、後援会には似たような考えで参加している保護者も多かった。

留年率が比較的高い中、毎年度の進級について心配する私に、

「目一杯遊ぶために、目一杯アルバイトする。落第は絶対にしない。そのようにリソース配分しています

と言って、本当にスレスレの成績で卒業した。

同級生の4割くらいは国立大学への編入などの進学組、娘を含む6割は就職組。

皆、全国各地に散らばってしまい寂しい、と言っていた。

そして、自分のやりたい分野の事業を手掛けている就職先で、今月から社宅での生活を始めた。

昨日一昨日の入社式研修を経て、今日が初出社。

社会に出たら出たで、やはり心配は絶えないが、ここからは離れて見守るしかない。

少し前に、娘と二人で駅から家まで歩いている途中、

「パパは、人としては「え、この人どうなの?」って思うところが割とあるけど、父親としては満点かな。まぁ、よく来たねw」

と言われた。

よく来たね、というフレーズは、私との間に遺伝子の繋がりが無い事を小学生の頃に知って以来、娘がよく使うものだ。

私にとっても実に面白い20年間だった、というのを書き記しておきたくて、長々と匿名日記に書いた(読む人が読めばすぐに特定出来てしまうけど、内緒でお願いします)。

2025-01-22

長野駅で刺傷事件起こしたのまた40代男性かよ

不惑じゃないのかよ

2025-01-18

anond:20250118205635

それ単に不惑ってだけじゃん

成熟したんじゃなくて、老い始めてるだけだぞ

絶対に伝わらないとは思うけど、そういうことじゃない。

その頃から明確に仕事パフォーマンスも上がって、様々な物事への見通しを遥かに正確につけられるようになった。

呪術廻戦で東堂(だっけ?)が「コクセンを経験した術師はシェフとしてそれまでとは別次元に立っている」と言うシーンがあったけど、本当にそんな感じだった。

anond:20250118205303

それ単に不惑ってだけじゃん

成熟したんじゃなくて、老い始めてるだけだぞ

子育てには全然向いてない精神状態

2025-01-14

本当の34歳はアラサーからアラフォーになることにいつも怯えている

世界がね、そこで閉じるんだよ。

アラフォーの壁があるんだ。

可能性の果てみたいなのがグイーっと立ち上がってきて世界輪郭が変わる。

そんな悪夢を頭の後ろでいつも見ている。

見下ろす夜の大都会、どこへ飛び降りようかと上から目線だった頃の自分が、気づけば摩天楼を見下ろし二度と届かない空の遠さを思い路地裏にその身を横たえる。

そんな夢を見るんだ。

ああ、俺の人生はもうすぐ檻の中だと。

肉体の檻、生まれの檻、才能の檻、そんな自分の内側にある檻の中で藻掻いていた日の温さを思う。

世界の外側から迫ってくる本当の人生境界

年収が1000万円を超えた同級生仕事楽しいと語る同年代の友人、もう彼らになれることはない。

まらないつまらないといいながら平均収入ギリギリ仕事毎日続ける。

貯金は笑える程にない。

酒に消えたのか?

恋人はいない。

作り方がもうわからない。

子供、夢、スキル、信頼、ないものだらけだ。

人生境界が迫ってくる。

俺の人生が閉じていく。

ビッグクリンチのあとにビッグバンが起きたりはしない。

ただ、閉じて、冷えて、輝きを失い、終わる。

人生の終わりが始まる。

長い長い下り坂だ。

生きながらに下る黄泉平坂だ。

振り返るな。死ぬぞ。

己の過去さえ輝かしく、未来を見れば心が腐る。

何も見るな。足元だけを見ろ。

そしてゆっくりと降りていけ。

死に向かって降りてゆく。

人生の後半が始まる。

何も生み出せず、何も勝ち得ず、真面目に生きてきたと口先ばかりで語りながら怠惰に過ごしてきたツケの精算。

恐怖しかない。

この先の世界の冷たさに心が慣れてしまえば、もう何も動じないだろう。

不惑とは、死である

死に向かい足掻く日々が、死の受容が始まる。

アラフォーという看板が俺をその地獄へと閉じ込める。

判決が下るのだ。

2024-10-19

【追加あり】25で結婚したけど不妊のまま37になった

追記

書き捨てたつもりが反響があって驚いた。既婚の友達は全員子育て中だし、センシティブな内容なのでオフラインでは言いづらかったんだ。

結論から言うと子どもはもう欲しくない。正確には欲しくない九割、子育てたかった五分、その他(親や夫に子の顔見せられなくてごめん、など)五分かな。自分不惑となりいよいよリミットが迫ったらこ割合がひっくり返ることあるのか、そこだけが不安。そんなわけで一応子なし夫婦人生を楽しく歩むつもりでいる。

禊のつもりで少し書き捨てておこう。実は親も結婚して数年子宝に恵まれ不妊治療をして兄をもうけている。だから『親の私たち検査したのだからあなたもしなさい』と言われたこともある。母親には数年前、長文LINEで夫の発言含めた思いの丈をぶちまけたことがありその時は謝られた。しかし翌年になって養子を……と言われたので、もう何を言っても無駄だと思う。台詞命令調で書いてしまったが、実際は『あなたのためを思って、あなたの老後が心配で』みたいな言い方をする一方で、子がいないのは恥という価値観内面化されているのが透けているので余計に気が滅入る。

20代のころ不妊治療をと言われた際に『私は養子でもかまわない』と言ったら、養子責任が重いから大変だ云々と言われたことがあって、それが今になって(おそらく忘れて)養子のことを持ち出してきたのでそれもげんなりポイント。私の気持ちなんて忘れるくらいどうでもよくて、自分意見押し付けたいだけなのかなって。

親と自分は違う人間であり、親の価値観に引き裂かれる必要などないと頭では分かっていても心がたまについていかなくなって、帰省が近いと一人の時泣き叫んでしまう。私自身が、子がいなくて恥という価値観内面化してしまっているからかもしれない。

夫が不妊治療を怖がってた理由は、夫は少し病弱なので自分に原因があると思っていたからかな。離婚を切り出されると恐れていたのかも。男の沽券に関わるとか言ってた。でも私にも原因あると思うしそもそも原因とかどうでもいいし離婚するつもりだってないんだけどね。

引越しが住んで落ち着いて、もうちょっとお金を貯めて色々余裕ができたら足長基金などへの寄付とかボランティア活動とかしようと思ってる。そして親や夫の協力や世間体など外部は全て無視して私自身が本当に子どもを欲しい気持ちがあるのかもう一度よく考えてみようと思う。きっと気持ちは変わらないと思うけど。みんなどうもありがとう

【追加ここまで】

女です。タイトルの通り。

結婚した時は27くらいで子どもまれるかな〜と思ったら全然まれなかった。

人並みに(?)子どもはほしかったので、29の時に産婦人科相談したら『まだ若いからタイミングからしましょう』と言われ、一年できなかったか不妊治療しようかなと思ったいたけど夫が『子どもはほしいけど検査いか産婦人科行きたくない』と言ったので(他にも価値観の相違から色々すれ違いがあり)、この時点で心が折れた。協力してくれないならわたし不妊治療したくねーわ、と思い何もしないまま今に至る。

その間に実親には『あんただけでも不妊治療しろ、原因を特定しろ』とか、35超えてからは『養子をとることを検討しろ』とか言われ続けた。年をとればとるほど、家族との思い出で楽しいことよりも辛いことの方が多かったなとか、学校生活辛いことしかなかったなとか、わたし性格いか子供のことちゃんと育てられなそうだなとか、夫と足並みが揃えられないのに育てられる訳ないよなとか、子どもを生むことや持つことにプラス感情がどんどん持てなくなった。

子どもかわいい。私側にも夫側にも甥がいて世間一般なみの可愛がり方はしていると思う。子どもは光だから安全に暮らせるような社会にしていきたいとも思う。育児ハック増田とか読むと子育てしている人たちは本当にすごいなぁと尊敬する。

家系の持病や健康診断の数値などから考えると、不慮の事故でもない限り夫の方が確実に早く死ぬ。夫を看取って一年後とかに死にたい安楽死したいけどまだ難しいだろうな。

来月用事があり実家帰省するし、来年から仕事関係で知り合いなどの多いところに住むことになる。そこそこの若さ結婚して夫婦仲も(傍目には)良く経済的に困ってないのに子どもがいない、不妊治療もせず養子も取らないなんて非国民だと陰口言われるんじゃないか不安になる。帰省が近くなると、実親に今度は何を言われるのだろうとかなり情緒不安定になって一人の時泣き叫んだりしてしまうので、増田に書いた。文章下手でごめん。

2024-10-09

来年40歳になる

不惑だよ?惑いまくってるっつーの。

まじで、40歳?こんなに中身ないのに?

20歳になった時も30歳になった時も思ったけど。

はーーーーーまじかーーーーー。

身体は順調に老いているんだよな、つれえ。

2024-09-01

不惑オタが一般人擬態した末路(まだ生きてるよ)

オタク巣窟」と呼ばれていた学校に在籍していた反動から就職活動時に同級生のいない職場に行こうと決めた私はここ20年程オフラインでオタ活について語りません(職場で知り合ったパートナーにも基本的に語ってないし、向こうはオタクじゃないからオタ活仕草に興味ない)

そんな生活でも案外生きていける反面、表の世界で徐々に困ってくるのが「共通話題」。

職場で話せる会話が仕事と天気とご飯くらいしかないため「特徴のない人」と思われていて、周囲からは「絡みづらい・会話のフックがない同僚」扱いになっています

仕事の話はできるけど昼時は一人食堂の隅で背中丸めご飯食べてる人、みたいなイメージでしょうか。

勿論オタ活以外の「公言できる趣味」を持てば良いわけで、フットサルジム通い・ゴルフ等々…周りに合わせて一通り試してみたものの「そんな暇あるなら漫画なり小説読んだりアニメ観てるわ」と思って続かないんですよねこの体。染み込んだオタク仕草は強いのです。

ここまで来たらもう擬態やめて「ハイハイ私はキモオタです」って顔して生きればいいんですが、心身にかかる負担と比べて得られるメリットis何?となると…

「まあリアルはほどほどに、ニコニコしてればいーんじゃん」ってなる。ネットあるし。SNS万歳

…の、はずだったのだけど最近それも限界が見えてきました。要因は、ネットから身バレリスク高止まり

SNS楽しー!が続くとリアルで楽しかたこともうっかり書きたくなる。されどネットの壁に耳あり障子に目あり、リアルに起こったこと(何を買った、何を食べた、どこへ行った、etc...)を書き残すことで、いつ何時「リアル側の知人」に身バレするか分からない。

脱線するけど、ここで重要なのは「どんな理由身バレするか」じゃないよ。

「どんな理由であれ、身バレした時に立て直せるか」。ここ重要ね?テスト出るからね?

閑話休題

仕事にも家庭にもオタ活を持ち込まない」をベースにした生活を崩さないように、と言葉を選んでいると今度は「特定話題について喋ってるこいつis何?」って思われる状態になってしまうという。

あれ?リアル側の評価と一緒じゃん。

私のSNSの使い方的にはその評価オールオッケーなのですが、なのですが…

たまにね?関係ない話をしたくもなるのです。今日私もその場所にいたよ!あれ見たよ!みたいな。

独り言ならSNSを使う必要がない。みんなと繋がってこそのSNSだ…と、自分に言い聞かせつつ、どの方面に対しても勇気をもって自分意思宣言できないばかりに袋小路に陥ってしまう。

嗚呼不惑、迷わず生きたいお年頃。だけど現実はまだまだ人生惑う物語

若人はそんな年嵩になったらあかんぜ?

2024-08-29

anond:20240829154228

何のために生きてるのか知るのは50歳の知命やで

不惑じゃまだ無理や

2024-06-12

anond:20240611121813

10代に好きだったものから20-30代は離れていても、

40くらいになると「20代は背伸びしていたが、結局10代に好きだったものが好きなままだったのだ」と気づいたので40代になってタトゥー入れたよ

不惑 とはよくいったものです

2024-06-06

目的なく生きる

仕事では「昇進しなければならない」とか、私生活では「何かをなさねばならない」のような、謎の焦燥感若いからずっとあった。

しか最近、ようやく天井が見えてきたというか。

それなりに昇進はしてきたものの、取締役を目指せる、目指したいというわけではなく、まあこれくらいの役職自分能力の最大値かな、と思うようになり、力が抜けた。

私生活でも、とにかく何かを作り出そう、得よう、という意識であくせくしていたのが、別にそんなの意識しなくてもいいんだな、と思えるようになって、無為に何時間ローグライクゲームをするといったことができるようになった。

(これまでは、得よう、という意識が強すぎて、ストーリーのあるRPGばかりしていたが、最近疲れてきてできなくなっていた)

別に、何かを残さなければ、得なければ、とか思わずに生きていいんだよなあ。

それに気づくのが不惑を間近に控えた今だったのが遅いのか早いのか分からないが、息苦しさが減ったのは確かだ。

2024-05-18

10代で「不惑」とか言って笑いを取っていたえなりかずきも今やもう普通に40です。

2024-04-08

立体駐車場の鍵を無くさな対策教えて

ここ1年で3回無くしててやばい

多分朝、差したまま発信して帰りに青ざめるパターン

おそらく住人が拾って管理人さんへ渡り、返却。

朝に車待ちで声かけてくれるのありがてーーーすまーーん

そっから

キーケースに家とか職場の鍵と一緒に入れてたのを分離して別のキーホルダーに分けて

(せめて家の鍵とかは死守作戦

バラバラに鞄に放り込んでたのを、

サコッシュに入れることにして出勤と帰る時に首から下げるスタイル

から降りた時点で、キーケース、駐車場の鍵、車の鍵3種入ってるのを確認…したつもりだったのだが

3回目また無くした。

管理人さんにも今回は届いてないって言われて青ざめたが、

その後、運転席の座席に挟まってた(わはは。詫び手紙投函した。)

ADHDとか診断はしてないけど、

かなり忘れっぽいとは思うけど、

不惑も半ばを過ぎて、財布とか携帯とか鍵とか落としたことはないんだよな。

鞄は偉大。ポケット存在不安定な服を着がちな女で良かった。

2024-02-24

あと1年で40歳なんだが

30代という肩書のあるうちしかできないことって何かある?

既に不惑に至った諸先輩方

こういうことしておけばよかったって後悔したとか、そういうのがあれば教えてほしい

2024-01-25

[]楽しくないデート、どうすればいいの?

先週の日曜、付き合って1ヶ月ほどになる彼女デートした。

全く楽しくなかった。

少なくとも僕は疲れた

彼女も楽しくなさそうに見えた。

なので、早めにデートも切り上げた。

 

そういう時もある、くらいに考えたほうがいいのかな?

まり女性とのデート経験がないから、よく分かってない。

 

なので、いつもは次いつ会うかを約束してお別れするのだけど、今回はしなかった。

まらなさすぎて約束する気になれなかった。

 

交際見直そうかなとちらっと頭に巡った。

まらないと感じた時って、どうすればいいのかな?

 

 

ま、普段から不満はあるけれど。

食事代は基本僕が負担してるけど、彼女はお世辞でも「ありがとう」を言わないし言えない。男がスマートに出すのが普通と思ってる(過去にそう言っていた)。別に出すことは嫌じゃないのだけど、態度が良くないと感じてしまう。

婚活目的出会った割には(マッチングアプリだが)、恋愛目的であること。好きな人結婚したいはその通りだが、恋愛目的になってる。

受け身自分からどこへ行きたいとは言わない。言われて着いていくだけ。それが楽しいかどうかで付き合う相手ジャッジしてるっぽい。

・「外の色んな所に連れて行ってくれる人が良い」と言いながら、自分は相当な受け身。連れて行ってもらうだけ。

 

追記

じゃあ何で付き合ってるのと思われそうだけど、

最初は話していて楽しかった。趣味価値観全然違いそうなのに。

・一緒にいて居心地が良かった。彼女の家でおうちデートもしたけど、楽しかったし、安心できた。何度かおうちデートしてるから彼女安心してくれているんだと思う。

セックスの相性が良かった。

とか。

 

かに彼女は、言葉は悪いけど、テイカ気質

何かしてもらうことに慣れすぎている。

自分からデートでこうしたいとか、将来こんな生活がしたいとかの話を自分からはせず、とにかく積極性がない。

男が全部引っ張るもの、そういう相手でなければ無理して結婚はしない、そんな感じ(あくまで僕の印象だが、今までの会話・態度を突き詰めるとこれで正しいと思う)。

数ヶ月前まで実家暮らしで、すぐ近くの実家には頻繁に通ってるし、両親に今でも支えられている(社会人生活は長いが)。

彼女のことは好きだけど、ぶっちゃけ性格が少し子供っぽい(年齢的には不惑に入ろうとしているが)。

自分の印象、彼女性格は、

自分の芯がない(こういうことがしたい!みたいなのがない)

・社交的に見えつつ、わりと内気で人見知りで引っ込み思案(でも接客業

刹那的な楽しみを追い求めている感じ(とにかく楽しいことがしたい、みたいな感じ)。だから頻繁に遊びに行ってる。目先の楽しみを追い求めてて、お金使いも荒い。

 

友人と遊びに行ったりは頻繁にしているようだけど、彼氏に対する接し方は違うものなのだろうな。

それか、関係がまだそこまで深めれていないのかもしれない。

 

今まで何度もデートしてきて、たった1度のデート疲れたから、で破局を考えるのも早計かなと思ったけどな。

彼女、前日の仕事が忙しくて疲れていたし

ただ、今まで疲れていても、デートの時は元気だったけど、それでも気分はその時々で違うから

 

ちなみに、彼女は僕より2歳年上。だから、テイカーでいさせてあげる、親子みたいな関係にはなれないな・・・

彼女のほうが年上だけど、「妹が出来たら、こんな感じなんだろうな」って実は感じてる。

要するに、手間がかかるし、察してあげないといけない。

 

ま、デートプランを毎回毎回全部僕が考えて提案しないといけないの、ぶっちゃけしんどい

 

 

ブコメをくれた方へ:

「『どうやったら楽しいデートにできるか二人で考えよう』って相談しなよ」

どんなデートがいいかについて会話をすることは、もうしてるんだよね。

その上で彼女は完全に受け身なんですよ。

というか、「私は受け身で面倒な性格だと思う」と言われた。

まさにそうだが、「付き合う意味が正直分からない」と今、思うに至ります

https://anond.hatelabo.jp/20240121095926(削除済み)

完結編→anond:20240125162258

2024-01-21

anond:20240121095926

若いうちはこういうこともあるよなー、と読み進めていったら

不惑に入ろうとしている」で真顔になった

解散解散、やめろやめろ

40前でテイカ気質って、相当ヤバい

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