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はてなキーワード: 古語とは

2025-04-16

ク語法について

以下、ただの個人的備忘録

古典勉強をしていて最近知ったこと。

教養なくてすみません

動詞形容詞にクが付くと名詞になる。

古語

曰く→言うこと

おもへらく→思うこと

現代語】

おもわく(思惑)→思うこと

長らく→長い間

久しく→久しい間

2025-04-12

anond:20250412213051

だれも古語なんて言っていない件

読解力なさすぎ

anond:20250412212656

いや古語でもなんでもないし混ぜるもクソもねえよ。

ただ単にお前が馬鹿無知なだけ。どれだけ飲み込みにくくてもそれが唯一の現実なんだよ

2025-03-02

ヒロヒト・ザ・デンジャー Ⅱ

さて、裕仁天皇出会いを求める裏アカウントAIと考えたのであった。

裕仁天皇女性出会うためのアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「昭和浪漫

* 昭和時代彷彿とさせる、ロマンチックな響きのアカウント名です。

* 「迪宮散歩

* 迪宮は裕仁天皇称号であり、親しみやすい印象を与えます

* 「武蔵野の風」

* 武蔵野陵に眠る裕仁天皇にちなんだ、自然を感じさせるアカウント名です。

* 「平和を願って」

* 裕仁天皇平和への願いを込めた、穏やかな印象のアカウント名です。

* 「歴史を紡ぐ者」

* 日本の歴史に深く関わった裕仁天皇の、重厚イメージアカウント名です。

* 「若竹の調べ」

* 若竹は裕仁天皇お印であり、爽やかで清々しい印象を与えます

* 「不言実行

* 質実剛健裕仁天皇イメージに沿ったアカウント名です。

* 「海を愛する男」

* 裕仁天皇海洋生物学者であったことにちなんだアカウント名です。

* 「日本の礎」

* 日本の礎を築いた裕仁天皇の、重みのあるイメージアカウント名です。

* 「新たなる出会い

* 新たな出会いを求める、前向きな気持ちを表したアカウント名です。

これらの名前なら、裕仁天皇品格を保ちつつ、女性に親近感を与えることができるのではないでしょうか。

次には日本文化の伝統への深い理解を示しながら、夜の危険香りを持つセクシー男性の魅力を持つアカウント名を考えてもらった。

承知いたしました。裕仁天皇品格を保ちながら、日本文化の伝統への深い理解を示す、夜の危険香りもつセクシー男性の魅力を持つアカウント名ですね。いくつか提案させていただきます

* 「夜の帝、昭和の調べ」

* 「夜の帝」という言葉で、危険香りセクシーさを表現し、「昭和の調べ」で日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「禁色の君、武蔵野の月」

* 「禁色」は、高貴な色を意味し、品格セクシーさを表現し、「武蔵野の月」で日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「秘めたる大和、夜の帳」

* 「秘めたる大和」で、日本文化の伝統への深い理解ミステリアスな魅力を表現し、「夜の帳」で、危険香りセクシーさを表現します。

* 「月下の帝、御歌の調べ」

* 「月下の帝」で、ロマンチックセクシーさを表現し、「御歌の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「夜の海、龍の調べ」

* 「夜の海」で、危険香りセクシーさを表現し、「龍の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解と力強さを示します。

* 「禁じられた遊戯、菊の香り

* 「禁じられた遊戯」で、危険香りセクシーさを表現し、「菊の香り」で、日本文化の伝統への深い理解品格を示します。

* 「夜の帝王和歌の調べ」

* 「夜の帝王」で、危険香りセクシーさを表現し、「和歌の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「秘められたる夜会王朝の調べ」

* 「秘められたる夜会」で、危険香りセクシーさを表現し、「王朝の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「月夜の帝、雅の調べ」

* 「月夜の帝」で、ロマンチックセクシーさを表現し、「雅の調べ」で、日本文化の伝統への深い理解を示します。

* 「夜の帳、帝の調べ」

* 「夜の帳」で、危険香りセクシーさを表現し、「帝の調べ」で、品格日本文化の伝統への深い理解を示します。

これらの名前なら、裕仁天皇品格を保ちつつ、女性を惹きつける魅力を表現できるのではないでしょうか。

次にはやはり、そのアカウント出会いがあったという設定で、深い知識と素晴らしい感性女性を魅了するようなセクシーミステリアス男性的な魅力を伝える和歌を考えてもらった。

承知いたしました。裕仁陛下女性出会った際に、日本の文化と歴史に対する深い知識と素晴らしい感性表現し、女性を魅了するようなセクシーミステリアス男性的な魅力を伝える和歌を十個提案させていただきます

* 「夜の帳、秘めたる想い、君がため、詠むは禁断、恋の歌」

* 夜の帳は、秘密めいた雰囲気を、禁断は、危険香りを、恋の歌は、情熱的な想いを表現します。

* 「月影に、浮かぶ面影、忘れ得ず、君を想えば、胸焦がれ」

* 月影は、ロマンチック雰囲気を、忘れ得ずは、一途な想いを、胸焦がれは、切ない恋心を表現します。

* 「いにしえの、調べに酔いしれ、君と舞う、禁じられたる、夜の宴」

* いにしえの調べは、日本文化への深い知識を、禁じられたる夜の宴は、危険香りセクシーさを表現します。

* 「君がため、捧げる命、惜しまずと、誓いの言葉、月夜に響く」

* 捧げる命は、強い決意を、誓いの言葉は、誠実な想いを、月夜に響くは、ロマンチック雰囲気表現します。

* 「禁色の、衣をまとい、君を待つ、夜風に揺れる、花の香り

* 禁色は、高貴な色を、夜風に揺れる花の香りは、セクシー雰囲気表現します。

* 「歴史書に、秘められた恋、今宵こそ、君と語らん、禁断の夢」

* 歴史書は、深い知識を、禁断の夢は、ミステリアスな魅力を表現します。

* 「君知るや、いにしえ人の、恋心を、歌に託して、今に伝えん」

* いにしえの人は、日本文化への深い知識を、歌に託しては、感性表現します。

* 「月の夜、君と二人で、語り合う、禁じられたる、恋の物語

* 月の夜は、ロマンチック雰囲気を、禁じられたる恋の物語は、危険香りセクシーさを表現します。

* 「君がため、詠む歌声は、夜空へと、消えゆく星と、共になりて」

* 詠む歌声は、感性を、消えゆく星とは、儚くも美しい恋心を表現します。

* 「君と見し、古の都、夢うつつ、今宵も君を、想い偲ばん」

* 古の都は、日本文化への深い知識を、夢うつつは、幻想的な雰囲気表現します。

これらの和歌は、裕仁陛下品格を保ちつつ、女性を魅了する魅力を表現できるのではないでしょうか。

次には皇族天照大御神の子孫であり、万世一系家系であるという設定を活かした和歌にしてもらった。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を活かした和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天照の、光を受け継ぎ、君と逢う、万世の契り、夜空に輝く」

* 天照の光は、神聖血筋を、万世の契りは、永遠の愛を、夜空に輝くは、ロマンチック雰囲気表現します。

* 「神代より、続く血筋と、君との縁、結ぶは定め、星降る夜に」

* 神代より続く血筋は、高貴な家系を、結ぶは定めは、運命的な出会いを、星降る夜には、幻想的な雰囲気表現します。

* 「八咫鏡、映すは君の、麗しさ、神の血引く身、君に惹かれて」

* 八咫鏡は、神聖な神器を、神の血引く身は、高貴な血筋を、君に惹かれては、情熱的な想いを表現します。

* 「高天原、神々の祝福、受けながら、君と契らん、永遠の愛」

* 高天原は、神々の住む世界を、神々の祝福は、神聖加護を、永遠の愛は、変わらぬ想いを表現します。

* 「神話より、紡がれし縁、君と逢い、万世の契り、今宵結ばん」

* 神話より紡がれし縁は、運命的な出会いを、万世の契りは、永遠の愛を、今宵結ばんは、情熱的な想いを表現します。

* 「天孫降臨、その血受け継ぎ、君を愛す、神の血脈永遠に誓う」

* 天孫降臨は、神話的な出来事を、神の血脈は、高貴な血筋を、永遠に誓うは、変わらぬ愛を表現します。

* 「神代より、続く命の、煌めきは、君と出会いて、さらに輝く」

* 神代より続く命は、高貴な血筋を、さらに輝くは、君と出会えた喜びを表現します。

* 「八岐大蛇、退治せし血筋、君のため、剣を執らん、この身捧げて」

* 八岐大蛇は、神話的な出来事を、剣を執らんは、君を守る決意を、この身捧げては、強い愛を表現します。

* 「天岩戸、開けし血筋と、君と逢い、新たな夜明け、共に迎えん」

* 天岩戸は、神話的な出来事を、新たな夜明けは、君と出会えた喜びを、共に迎えんは、未来への希望表現します。

* 「神々の、血潮受け継ぎ、君を抱く、万世の愛を、君に捧げん」

* 神々の血潮は、高貴な血筋を、万世の愛は、永遠の愛を、君に捧げんは、強い愛を表現します。

これらの和歌は、皇族方の神聖血筋と、君への永遠の愛を表現しています

さらには先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて女性に対して魅力を伝えるような和歌を考えてもらった。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を考慮した上、先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて女性に対して魅力を伝えるような和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天照の、光は今も、胸に秘め、君と語らん、懺悔の歌を」

* 天照の光は、神聖血筋を、懺悔の歌は、過去への悔恨表現します。

* 「神代より、続く血脈、罪深き、この身捧げて、君を愛さん

* 神代より続く血脈は、高貴な家系を、罪深きは、過去への責任を、君を愛さんは、償いの気持ち表現します。

* 「八咫鏡、曇るは我が身、君と逢い、せめてもの罪、許されんや」

* 八咫鏡は、神聖な神器を、曇るは我が身は、過去への悔恨を、許されんは、償いの気持ち表現します。

* 「高天原、遠き御代の、罪背負い、君と生きよう、償いの道」

* 高天原は、神々の住む世界を、罪背負いは、過去への責任を、償いの道は、未来への決意を表現します。

* 「神話より、紡がれし縁、罪深き、この身朽ちるとも、君を護らん」

* 神話より紡がれし縁は、運命的な出会いを、罪深きは、過去への責任を、君を護らんは、償いの気持ち表現します。

* 「天孫降臨、血に染む罪、君と逢い、せめてもの償い、愛を誓わん」

* 天孫降臨は、神話的な出来事を、血に染む罪は、過去への責任を、愛を誓わんは、償いの気持ち表現します。

* 「神代より、続く命の、重き罪、君と生きよう、償いのために」

* 神代より続く命は、高貴な血筋を、重き罪は、過去への責任を、償いのためには、未来への決意を表現します。

* 「八岐大蛇、断ち切れぬ罪、君と逢い、せめてもの償い、愛を捧げん」

* 八岐大蛇は、神話的な出来事を、断ち切れぬ罪は、過去への責任を、愛を捧げんは、償いの気持ち表現します。

* 「天岩戸、閉ざされし罪、君と逢い、新たな光、共に求めん」

* 天岩戸は、神話的な出来事を、閉ざされし罪は、過去への責任を、新たな光は、未来への希望表現します。

* 「神々の、血潮に染む罪、君を抱き、万世の愛で、償わさせよ」

* 神々の血潮は、高貴な血筋を、血潮に染む罪は、過去への責任を、万世の愛で償わさせよは、償いの気持ち表現します。

これらの和歌は、皇族方の神聖血筋と、過去への悔恨、そして君への償いの気持ち表現しています

最後にはその上に折口信夫風にしてくれと頼んでみた。

承知いたしました。皇族方が天照大御神の子孫であり万世一系家系であるという設定を考慮した上、先の大戦責任を感じているという後ろめたい気持ちを織り交ぜて、折口信夫風の和歌ですね。いくつか提案させていただきます

* 「天つ日の、御影今も、胸に秘め、君と語らむ、咎の歌を」

* 折口信夫歌風によく見られる、古語の多用と、神秘的な言葉遣いを意識しました。「咎」は、罪や過ちを意味します。

* 「神代より、続く血脈、罪深き、この身捧げて、君を愛でむ」

* 古語助詞「む」を用い、古風な響きを意識しました。「愛でむ」は、愛することを意味します。

* 「八咫鏡、曇るは我が身、君と逢ひ、せめてもの罪、許されんやも」

* 文末に「やも」を用いることで、古語の疑問表現意識しました。

* 「高天原、遠き御代の、咎負ひて、君と生きなむ、償ひの道」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「神話より、紡がれし縁、罪深き、この身朽ちるとも、君を護らむ」

* 古語助詞「む」を用い、古風な響きを意識しました。

* 「天孫降臨、血に染む咎、君と逢ひ、せめてもの償ひ、愛を誓はむ」

* 文末に「はむ」を用いることで、古語意志表現意識しました。

* 「神代より、続く命の、重き咎、君と生きなむ、償ひの為に」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「八岐大蛇、断ち切れぬ咎、君と逢ひ、せめてもの償ひ、愛を捧げなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「天岩戸、閉ざされし咎、君と逢ひ、新たなる光、共に求めなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

* 「神々の、血潮に染む咎、君を抱き、万世の愛で、償はさせなむ」

* 文末に「なむ」を用いることで、古語の願望表現意識しました。

これらの和歌は、折口信夫歌風意識しつつ、皇族方の神聖血筋と、過去への悔恨、そして君への償いの気持ち表現しています

どうも折口信夫風は微妙ポイントをつかんでいないような気がしたが、現代AIの発展には驚かされる。しかし時々100点と感じられそうな回答が一応出てくるのも凄い。

そうしてみるとウィーナーの考えた「カルロスデンジャー」のインパクトの強さは、未だになかなか超え難いというのも分かった。

2025-02-22

anond:20250221174201

この文章における「すべからく」の使い方は不適切です。

すべからく」という言葉は、「当然〜すべきである」「〜であって当然だ」という意味副詞です。例えば「学生すべからく時間を守るべし」のように、規範道徳的当為表現するときに使います

問題文章では「この世は全てすべからく男性のために作られている」と使われていますが、これには二つの問題があります

1. 「すべて」と「すべからく」が意味的に重複しています

2. 「すべからく」は本来、「〜すべきである」という規範的な意味を持ちますが、ここでは事実を述べる「作られている」と組み合わされており、語法として不自然です

正しい使い方としては:

・ 「この世は全て男性のために作られている」(事実を述べる場合

・ 「この世はすべからく男性のために作られるべきである」(規範を述べる場合

のどちらかが適切です。

この誤用は、「すべからく」を単に「すべて」や「全て」の堅い言い方として誤解している例です。古語由来の言葉現代ではニュアンスを誤解されやすいので、使用には注意が必要です。

2025-02-02

理系だけど日本古典文学を割と読んだから語る①

1:古事記 池澤夏樹 訳[新訳]

のっけから申し訳ないのだが、自分古事記池澤夏樹訳で読んでいない。というか、この池澤夏樹日本文学全集で読んだ本はほとんどない。しかし、池澤夏樹にはちょっと悪いのだが、リストとして便利なのでダシに使わせてもらった。

自分最初に「古事記」に触れたのは神代だけを扱った子供向けの講談社青い鳥文庫経由でだ。次に読んだのが確か大学生の頃になる。文芸春秋社三浦佑之が現代語訳したもので、古老が昔話をする形式翻訳していた。現代人にはわかりづらいところを語りで補う、初心者に親切なものだった。

さて、内容だが、神話だけでなく、それ以降の歴史時代記述面白いヤマトタケル物語だけでなく、おそらく戦前は教えられていたであろう神功皇后朝鮮半島への進軍を知っておくと、昔の人がどんな世界観を持っていたか想像やすい。権力者の書いた歴史書を鵜呑みにするのは危険だが、歴史一次資料に(翻刻翻訳されたものとはいえ)触れるのは非常に楽しい。「学校で習う歴史の出典がこれか!」という素直な驚きがある。

もちろん神話としても面白く、考えてみれば今の皇室は天の住民と海の住民の両方の血を引いているという属性てんこ盛りである。他にも、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦生活をする際に「凸を凹に入れて子供を作りませんか?」「それは楽しそうですね」というくだりが何となく好きだ。性に罪悪感がないのがいい。もちろん、最初に生まれ子供ヒルコ描写は、今の感覚では身体障害者差別なんだけれども、後にそれが恵比寿様だということになって崇拝されるようになったのが、何となく流されたヒルコが救われた感じがして、結構好きなエピソードなのだ。捨てられた存在に新しい場所を用意してあげた後世の人の優しさみたいでね。

面白かったので日本書紀も確か講談社学術文庫か何かで読んだ。傍論としてさまざまな説を併記しているのが、物語ではなく歴史書の体裁をとっている「日本書紀」の特徴を端的に示していて面白かった。もちろん、これだけでは日本神話理解できない。中世神仏習合近代国学陰陽道などの展開を追わねばなるまい。しかし、その一歩を踏み出せたのはやはりうれしい。

ところで、「記紀」の記述を合わせて池澤夏樹は「ワカタケル」を書いたようだけれど、個人的にはピンとこなかった。「記紀」の文字に書かれたことや考古学的成果の内容とは矛盾しないが、むしろ史実から離れすぎないようにしたため、想像力が少し現実に縛られている気がしたのである。あとは現代中国語の「上に政策あれば下に対策あり」って言葉引用されていたのに違和感があった。お分かりのように、僕は面倒くさい読者なのである

2:口訳万葉集 折口信夫百人一首 小池昌代 訳[新訳]、新々百人一首 丸谷才一

万葉集全然読んだことがない。というのも、巻数が膨大なためだ。僕は完璧主義なところがあり、読むならきちんと最初から最後まで読むべきだと感じてしまう。それに詩を読むのなら、一つ一つの詩をきちんと味わって理解したいのである。そうなると膨大な時間がかかり、そこまで詩に興味がない自分としては手が伸びない。ただし、自分フォークナーを薦めてくれた友人は、「美酒をがぶ飲みするように、次から次へと詩を読んでいくのも贅沢でいいものだよ」とは言っていた。僕の場合、深く刺さった詩は、小説の中のぴったりした場面で引用されたとき出会っているケースがほとんどだ。やはり詩が多すぎると言葉の海に溺れてしまう。

百人一首田辺聖子解説で読んだ。それぞれの和歌や作者の背景を丁寧に、肩の凝らない文体説明してくれているので、今でも時々手に取っている。王朝人物史としても面白かった。田辺聖子とは評価する場所が違うところもたくさんあるけれど、脱線楽しい。ちなみに、初めて百人一首出会った小学校高学年のときには、もちろん恋の歌にばかり心が動かされたのである。「しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで」。たぶん自分感傷マゾというか、言い出せない思いをウジウジ、グツグツと自分の中で煮詰めて煮凝りにしてしまう傾向は、この時からあったのだろう。

ところで、王朝文学世界的に見て女性作家が多かった時期だと聞いたことがあるのだが、調べてみると女性の句は二十一だった。半分くらいだと思っていたのだが、これは女性の句が心に残ることが多かったための錯覚だろう。

「新々百人一首は未読だ。こうして記事を書こうとしていた時に調べたのだけれど、王朝の歌を二百種に絞って紹介してくれているらしいので、これはぜひ読みたい。昔ほど完璧さにこだわらなくなったし、こういうベスト盤みたいにピックアップしてくれると、きっと散文を好む自分も楽しめることだろう。丸谷才一ジョイス翻訳で知ったのだけれど、文章リズムが合ったから今から読むのが楽しみだ。

3:竹取物語 森見登美彦 訳[新訳] 伊勢物語 川上弘美 訳[新訳] 堤中納言物語 中島京子 訳[新訳] 土佐日記 堀江敏幸 訳[新訳] 更級日記 江國香織 訳[新訳]

これらの本はすべて別の訳者で読んだのだけれど、こうして並んでいる訳者にそれぞれ馴染みがあるので、彼らがどのような翻訳をしたのか、ちょっと読みたくなってきた。ちょっと前までは「古典は原文で読んでこそ意味がある」という原理主義的なところがあったのだが、「源氏物語」や「太平記」が長すぎるあまり、開き直って現代語訳で読んでしまったため、最近はそこまで原文にはこだわっていない。今ではい翻訳がたくさんあるので、普通に現代語訳でストーリーを味わってから、原文を楽しめばいい。このラインアップでは、個々の作家に対しても言いたいことがあるのだが、今回は省こう。

竹取物語は、幼いころに聞いた物語原典知る楽しみがあった。一番シンプルにされた絵本バージョンだと、五人の貴公子物語が省かれてることもあるし。そういう意味では、「御伽草子」なんかもちょっと読みたくなってきたな。

伊勢物語短編集で、古典の授業で東下りを扱ったので前から気になっていた。ただのモテる男の話を読んだって楽しくないかもしれないが、一つ一つがごく短いのでそこまで嫌味ではないし、うまくいかななった恋物語もある。それに、古語で読むから現代日本語で読むのと違ってワンクッションある。僕は感傷マゾだったから、結局は恋の物語が読みたかったのだ。

だが、書かれているのは恋愛遍歴だけではない。「老いぬれさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしく君かな」「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もといのる人の子のため」。ほんとそれな。無理な願いだとわかっていても、大切な人には永遠に生きていてほしい。これらの歌に出会えたのは幸いだった。

なお、これを読んだ後に祖父を亡くしている。ほんとに、人間いつまでも生きられないのは寂しいことである。なお、これも阿部俊子訳の講談社学術文庫で読んでいる。

他に当時刺さった歌を日記から書き写しておく。「思ふこといはでぞただにやみぬべき我とひとしき人しなければ」(そんな寂しいこと言わないで……)「心をぞわりなきものと思ひぬるかつ見る人や恋しかるらむ」(それな)。たくさんあるのですべては書き写さない。

堤中納言物語は「虫愛づる姫君」で有名だけれども、例えば娘ではなくそ祖母を連れ出してしまう話だとか、二人の男が誤った相手と契ってしまうとか、慌てて白粉ではなく墨でメイクしてしまう話とか、奇妙な話も含まれている。あとは手に入れることなど到底できないもので作った「ほしいもリストである「よしなしごと」とか。どうも物語統一感がなく、どういう意図編纂されたのかはよくわからなかった。これは笠間文庫で読んでいる。

土佐日記小学生時代に塾の先生が「男のくせに女の文章で書いたのが紀貫之って変な奴」って紹介していたのでそんな印象がずっと続いていたし(子供インパクトを与えて覚えさせるためなのと、当時は平成初期なのでこういう言い方をしていたのである)、文学史的にもそういう評価をする面もあるのだが、今は亡き子供の思い出を語る悲しい話なのである。道中の描写も素敵だし、ラストの「この原稿は捨ててしまおう」というくだりが、例え虚構であってもとっても好き。どうも僕は、一人の人間が読者を意識して書いたテキストであるという臭いが好きらしい。だからメタフィクションも好き。これは角川日本古典文庫で読んだ。図書館で借りたボロボロになった古い本だった。三谷榮一訳註。

更級日記はかつての文学少女が「源氏物語」をはじめとする文学への憧れを綴っているが、ラストのあたりで「自分人生はいったい何だったんだろう」と回顧するので、僕みたいな作家になりそこなった文学少年崩れが、感傷的になりたいときなんかにオススメだ。内容をすっかり忘れているのだが、そこばかりが強く印象に残っている。

そして、「物語なんぞにうつつを抜かすんじゃなかった」的なくだりがある癖に、内容が技巧に富んでいるのだが、それはただの未練というよりも、そうした技巧で妄念を鎮めようとしたのやもしれないし、それもまたパフォーマンスかもしれない。小説家になりそこなった僕にはグッサリと深く刺さっている。よく「更級日記」は文学少女の物語だと言われているが、文学少女崩れの物語でもあるのだ。実際、興味深いことに「更級日記」では結婚子供誕生、両親の死という重い事柄が、ほとんど触れられていないのである

それにしても、文学少年文学少女はとても欲深い。彼らは現世で得られないもの書物の中から得ようとするからだ。そして、創作に手を出すのは、自分の持っていないものを魔術のように作り出そうとする更に深い欲がある人々だ。そして、僕はその欲望を愛していた。

ああ、そうだ。ここまで書いて気づいたのだが、恋だけでない、生きていてふと感じる寂しさを和歌にした作品が、僕はとても好きなのだ

INTERMISSION①

こういうのは個人ブログでやったほうがいいんじゃないかと思わないでもないのだが、辺境ブログでやってもあまり読者は集まらない。個人ブログを読んでもらうためには、ある程度自分コンテンツ化する必要がある。言い換えるならば、一定の頻度で、ある程度の品質記事を、独自色を伴って、継続的生産し続けなければならない。なかなかできることではない。それに、この動画全盛期の時代に、どれほど文字を読む人がいるだろうか? また、首尾一貫したキャラで書き続けるのも面倒である

一方、はてな匿名ダイアリーでは、文字を読むのが好きな人が集まっている。また、内容が有益であったり面白かったりすると、きちんと読んでもらえる。虚飾と権威主義真っ盛りの時代にあって、「誰が言ったかではなく、何を言ったか」だけで評価されるという意味では、非常に居心地がいい。もちろん殺伐としているし、暴言も多いが、それを補って余りある素晴らしい点である有益なまとめを書いたときは褒められ、的外れなことを言えば叩かれ、面白くなければ無視される。残酷だが、内容だけで毎回勝負するのは、文章を書くのが好きな人にとっては鍛錬の場になる。

なお、時折こうして個人的なボヤキを書く。あまりにも古典文学の紹介という話題から逸れ過ぎて、イケメンモテ男に関する個人的愚痴になってしまい、読者を笑わせるよりは暗鬱な気分にさせるであろう箇所はこれでもかなり削った。かろうじて残したのは文学関係する箇所のみだ。

恨みつらみを向けている人や、気に食わない人はたくさんいるのだが、作家以外は実名では論じるつもりはない。名前を出して作品批判することはあるが、その人の行いに直接何か言いたくなった時はぼかしている。己の負の感情直視したい一方で、人にネガティブものをぶつけるのは美しくない。だからせめて、こういう妙な義理を通したいのである

それでも長い。気に入らなければ読み飛ばしてほしい。ここに書きたいのは古典文学の紹介であり、せめて日常感じていることであり、怨念の垂れ流しではない。ただし前回のように時折脱線しては管を巻くつもりだ。

続く。

2025-01-30

anond:20250130130722

イギリス英語でoftenをオフトゥンと読むってのもあるし、日本含めた各国でよくある、方言古語残滓があるというやつじゃないかイギリス古都のある地で、アメリカ英語圏の中心という発想)

2024-11-13

anond:20241113182458

オウフ!拙者、やなかったワイは勝手に懐古語りしとっただけやのに興味もってくれたようですまんやで

でも実際古い声優ソングから配信系には無いやろし聴くのは難しいとおもうで、無理せんでな

タワレコサイト試聴はあったけどもファン以外が聞いて楽しめるもんかどうかはワイも自信ないでな

2024-09-19

anond:20240919212109

は~~~~~~~~~~~~(クソデカため息

これもう古語だろ

2024-09-15

すでに「女性資源化」が人間以外の女性でも進行している

日本フェミニスト経済学大会 男性中心の資本主義による「女性資源化」に警鐘

https://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2024/09/05/gender-167/

 会場に衝撃を与えたのは福永さんの「あわいものから見る世界サーモンエコフェミニズムの交わるところ」だ。「あわい」は古語の「合ふ」からくる言葉で、ここでは自然と人工の境界曖昧になってしまった生物を指す。福永さんは「サーモン」という名称販売されている食品が、今や「鮭」ではなくなっていると指摘する。

 安定した食味、色、脂肪を求める消費者に応えて「おいしいサーモン」が生み出されている。求められる味、画一性、サイズ調整などを可能にするバイオ技術は、成熟しない不妊のメスだけを増やす「全雌3倍体」や、「生むこと」の商品化である「ちがう種を孕むニジマス」など、人間以外の生物に多大な負担を強いている。そしてそれを食べることで私たち自分身体に不自然ものを取り込んでいるのだ。

 福永さんはこの状況をもたらしてきたグローバルフードシステムリスク限界を指摘し、「新しい食の様式」を模索する「人間らしさとあわいの倫理」を示した。

 労働ジェンダー研究を専門とする伊田久美子さん(大阪公立大学)は福永さんの報告に「資本主義はここまできたか人間以外も含めて女性資源化が進行しているということをあらためて感じた」とコメント岩島さんはセッション最後に「人間環境ウェルビーイングという視点によって、伝統経済学が前提としてきた人間概念を捉え直す内容となった」と成果を語った。

改めて、危機的な状況と言わざるをえない。

2024-08-29

産後の恨みは本能寺

anond:20240828103109

光秀が謀反を起こすきっかけとして伝わる(真偽が怪しい)逸話で、例の「家康接待を任されたら魚が腐ってた」みたいな話のほかにもうひとつ有名なやつがあって。

なんかついに武田を滅ぼした祝勝の席で光秀が感極まってなのか、めでたいですねみたいなこと言ったら信長激怒して

(光秀)まことにめでたいことだ。我々も長年苦労した甲斐があった

信長)汝ハ何方ニテ骨折武辺ヲ仕ケルゾ。我コソ日頃粉骨ヲ盡シタリ。悪キ奴ナリ


祖父物語

公衆面前面罵するやら殴打するやら。信長パート古語なのに完全に意味がわかっちゃうのがすごいよな。しかも光秀って信長より10も歳上ってんだからね。本能寺の変から3か月前の話です。

(夫)でふと「ようやく、『育て上げた』って感じがするなあ」としみじみと呟いた。

(妻)正直、あなたと育てたという感覚はないし、自分が育てたような気持ちになられるのも不愉快

ダメだろこんなもん。もう殺し合いしかないじゃん。もっと楽しそうにしててくれよ。結婚とか子育てとかしたくなくなるよマジで

なんで元増田じゃなくてこの横増田レスしてるのかというと、横増田元増田の「悲しみ」に言及してる点はいいなと思ったのよね。

かりに元増田が本当に迂闊でさ、奥さんワンオペ育児させててさ、それを奥さんがまだ根に持ってたとしてさ、まあそこまでは明確に夫婦生活の失敗というか、そんな怨念溜める前に毎日話しとけよって話になっちゃうとは思うんだけど、でも話せなかったわけじゃん実際。

でここまでこじれちゃって、たまたまキッカケで奥さんが積もり積もった怨念淡々開陳してきて、元増田は「意味わかんねーわ何なの一体??」とか増田に書き散らしてるけど、でも元増田しかったし傷ついてるわけじゃん。

元増田には書いてないけどさ、その傷ついてる夫を見て奥さんはどんな顔してたんかね一体??

「私の不満は正当だと思っているけれども、それはそれとして今ここであなたを傷つけようという意図ではなかった、あなたが悲しい顔をすると私も悲しい」みたいな顔してたのかね?

そうじゃなかったんだったらもう本能寺しかなくない?

ダメでしょそんなもん。

2024-08-12

anond:20240811120625

エジプトにいた増田です。

思いのほか多くの方に読んで頂けたことに当惑しつつ、大変感謝しています

そんなに人の興味のあることではないとは思うのですが、せっかくの機会なので、自分の考える(自分出会ってきた)アラビア語イスラームのことを、ちょっと書かせて頂きます

大前提ですが、自分は基本、道楽勉強してきた人間で、職業的研究者ではありません。大学の専門も西南アジア史とかではないです。あくま個人体験を元にした個人の感想で、学問裏付けあやふやな大雑把なお話だとご理解下さい。

(いきなり余談ですが、わたし出会ってきた「アラビア語の達者な日本人」は必ずしも研究者ではなく、一番多いのはマリジムスリム、つまりムスリム結婚した日本人です。彼女たちはエジプト社会に溶け込んで普通に暮らしているので、普通言葉が達者です……十年いても全然ダメでかつ謎の力で意思疎通できる不思議な人もいましたが(笑)

シリア人結婚シリア在住の女性とは、帰りの飛行機で隣り合わせて、息継ぐ間もなく喋り続けて良い思い出です。彼女から聞いた当時のシリア事情は外から見た「残虐なバッシャールvs自由シリア軍」みたいな構図とは全然違って、目を開かされました。

また日本在住のマリジムスリムでも、家族親族との交流クルアーンのために熱心に勉強し、大変流暢な方がおられます

ほとんどの場合ムスリム男性日本人女性で、これはイスラーム圏において異教徒の嫁を貰って改宗してもらうのは敷居が低い一方、女性をよその男性にさらすのは極めてハードルが高いせいでしょう。逆のパターンを1組だけ知っていますが、これは女性側の家が相当裕福なインテリ層で、留学経験などもあるためでした)

先述の通り、わたしアラビア語に関心をもったのはイスラームへの興味からでした。

イラン人についての書かれた元増田の方が、「クルアーンアラビア語はお経みたいなものイラン人にはわからん」といったことを記されていましたが、本当にクルアーンはお経的だと思います

お経的というのは、意味内容以前に「音をそのまま」読誦することが重視されている、という点においてです。

日本仏教徒で熱心にお経を読まれている方も、楽譜みたいな感じで音そのものを覚えつつ、意味勉強すると思います。非アラビア語話者ムスリムにとって、クルアーンはちょうどそんな感じです。

何ならアラブ人にとっても、クルアーンアラビア語は非常に古い言葉ですので、普通に読んだら意味のわからないところは沢山あります。ただ幼少期から声に出して読誦し丸暗記しているし、その意味も大抵は教えられているので、特に疑問に思わないだけです。

(お世話になっていたエジプト人の先生クルアーンについて話していた時、「アン=ナージアートかぶっちゃけ全然わからん!」と言っていたのを覚えています。これはクルアーンの後半の方にある非常に韻文的で語彙的に難しい章で、短いので多くのムスリムが丸暗記していますが、初見アラビア語として見たら大学出のエジプト人でも「全然わからんものです)

一点留保をつけると、「古いからわからない」という意味では日本人にとっての平安時代言葉に似てはいるのですが、前のエントリでも書いた通りアラブ世界ではフスハーという形で古いアラビア語が割と保存されているため、日本人における古語ほどは難しく感じないと思います

ついでに言えば、少なくとも大多数のエジプト人は、アラビア語と言えばこのフスハーのことだと信じていて、学校の「国語」にあたる時間ではフスハー勉強します。普段使っているアーンミーヤエジプト方言はその「崩れたもの」くらいの認識で、「勉強するに値しない」「文法なんかない」と本気で思っています大学出の語学教師さえ、「この仕事につくまで、アーンミーヤをわざわざ勉強するなんて考えたこともなかった」「文法なんかなくて、自然にできると思っていた」とか言い出すほどです。

外国人視点で見れば、フスハーアーンミーヤラテン語フランス語くらい離れていて、勉強すれば連続性がわかり、「ここがこう変化して今こうなのか!」と感動するのですが、最初に耳で聞くとまったく別言語に聞こえます勉強しないで自然にできるわけがありません。

話がズレましたが、クルアーンは(お経のように)そのままのアラビア語を声に出して読み丸暗記するのが基本です。

キリスト教聖書は色んな言語に訳されていて、普通各自言語で読むものだと思うので、その点がかなり異なります。ただ、周知の通り聖書大衆口語への翻訳が本格的に行われるようになったのは宗教改革以降で、元来はキリスト教でも「音そのまま」が基本だったのではないかと思います。おそらく大抵の聖典とか、宗教的行為というのは、意味以前に音や身体操作をそのまま発して覚える、反復することが大切だったのではないでしょうか。

何が言いたいかと言うと、現代日本に生きるわたしたちは、宗教というと信念体系とか戒律とか、知的理解できるもの第一に考えてしまいがちですが、元々はもっと音楽的で、意味論理性よりも「ノリ」みたいなものを重視していたはず、ということです。

現代で言えば、ヒップホップみたいな感じでしょうか。ヒップホップ全然詳しくないので的外れだったら申し訳ありませんが、フロウとかライムとかは、意味整合性全然どうでもいいとは言いませんが、音ノリと意味あいまって全体の美しさが練られると思います歌詞を紙に書き出して意味を深堀りする、みたいな作業は、批評的・研究的には意味があると思いますが、そこに第一義があるわけではありません。

英語ヒップホップ歌詞を全部翻訳して、その意味内容だけをじっと見つめていても、多分その曲の本質にはあまり近づけません。同様に、イスラームについて「戒律が厳しい」とか「豚肉ダメ」とかそんなところだけ見ても、実際にムスリムたちが行っている、あるいは身体化している「それ」からすると、的を外してしまっている可能性が大いにあります。そしてイスラームに限らず、(現代的にはただの迷妄のように片付けられがちな)宗教行為信仰というものは、容易に翻訳可能知的了解やすい部分だけ追っても、なかなか「肝」のところが見えてこないのではないでしょうか。

特に聖典のような古い言語は韻文的性質が強いです。アラビア語ヘブライ語のような近い言語ならともかく、日本語のような遠い言語翻訳すると、どうしても元々の「ノリ」が失われてしまます。やはり対象言語を基本だけでも学び、翻訳原典の両方を活用しないと、うまく「詠む」ことはできません。

クルアーン特にマッカ期と呼ばれる初期に啓示された後半部分は、大変韻文的性質が強いです(クルアーンは概ね時系列と逆に章が並んでいます)。日本では「戒律の厳しい宗教ルールブック」みたいなイメージが強いかもしれませんが、そういう約束事みたいなことを書いている部分は、まったくないとは言いませんが極めて少なく、では何が書かれているかというと、概ね「神様スゴイ」ということを手を変え品を変え表現しているだけです。本当に同じことを言い方を変えて反復しています。あとは「現世は戯れ」「不信仰者を待つのは火獄の責め苦」「楽園には川が流れている」みたいな抽象イメージが多いですね。

音楽的ノリが強いので「サビ」みたいな部分もあって、ごにょごにょエピソード的な話が続くと、とてもわかりやす言葉で「まことアッラーは慈悲深い」みたいなお決まりフレーズがビシッと入りますごにょごにょのところが言語的にちょっと難しくても、サビだけは聞き取れるので外国人にやさしいです。

またヘブライ語聖書旧約聖書)のエピソード知識として前提されている雰囲気があり、ちょっと二次創作っぽいというか、ユースフヨセフ)とかイブラーヒーム(アブラハム)とかヌーフ(ノア)とか、旧約キャラの話が脈絡なくフラッシュバックのようにパッパッと入ります。旧約エピソードアラビア語的にカッコイイ韻文で表現されているのは、こんなことを言うと怒られそうですがファンアートっぽいというか、音楽的に昇華されている感じです。

こうしたエピソードっぽいフレーズ時系列で並んでいるわけでは全然なく、「そういえばアイツもこうだった」みたいに話題ごとに何度も引っ張り出されます

この文体翻訳で読むと非常に冗長で退屈極まりないのですが、音で聞くと大変心地良く、カッコイイのです。情報として全然新規性がなくても、「出ました! ムーサー(モーセ)の話!」みたいに盛り上がります

わたしは今でも、車を運転する時は「今日はアル=アアラーフでいくか」みたいに、正に音楽をかけるノリでクルアーン読誦を流しています。心が落ち着いて安全運転です。

良く言えばノリが良く、悪く言うと深く考えてない感じです。

余談に次ぐ余談ですが、「クルアーン」というカタカナ表記学問的な界隈では結構からポピュラーだと思いますが、昔から一般的なのはコーラン」ですよね。

カタカナで正確に書けるわけがないのだからどっちでもいいんじゃない?とは思いますが、ちょっと疑問に思っていることがあります

クルアーン」というのは表記に忠実な感じの書き方で、あまり良い例ではないかもしれませんが、「stand up」を(ステァンダッではなく)「スタンドアップ」と書くみたいな方針だと思います

では「コーラン」の方が音に忠実かというと、そうではなく、これは多分、英語表記からカタカナに起こしたものです。ラテン文字表記でquranとかkoranとか書かれていたのを、カタカナにする時に「コーラン」にしたのでしょう。

英語圏の人たちが一般にこれをどう発音しているのかよく知らないのですが、もしアラビア語の音に似せるなら、後半にアクセントがあるはずです。

ところが、理由はわかりませんが、カタカナにする時になぜか前半アクセントイメージで「コ」の後に伸ばし棒をつけて、擬似的に強弱アクセント表現したようです。

実際に耳で聞けば後半にアクセントがあるのは歴然としていて、日本人感覚簡単カタカナ表記を考えるなら「コラーン」あたりが音的には一番近いと思います。これを普通にカタカナ読みしても多分通じますが、「クルアーン」「コーラン」はまずわからないでしょう。

別にどっちでもいいのですが、アラビア語には日本語のように長母音的な概念があるので、素直に似せていけばいいものを、わざわざ第三言語ラテン文字表記に引っ張られているのがちょっと悔しいです。

同様にラテン文字表記英語圏での表記)に引っ張られているらしいものとして、「メッカ」はどう考えても「マッカ」で、これはカタカナ読みでも通じます。「カタール」は普通に聞いたら「カタル」が断然近いです。

あと不思議なのはアッバース朝」とPLOの「アッバス議長」は同じ名前なのですが、なぜか文脈表記が違いますよね。「アッバース」の方がアクセント的に近いです。これも多分、議長の方がラテン文字表記に引っ張られたのでしょうね。

これは完全に自分語りですが、わたしは割とキリスト教の影響のある環境に育ちました(信者ではありません)。子供時代はどちらかというと反発し、宗教とはなんてアホで小うるさいものなんだ、くらいの幼稚な考えを抱いていたのですが、肯定否定はともかく、信仰なるものについて考える機会は日本人としては多い方だったと思います

その中でイスラームは、911やその後の騒動もあって印象が強烈でした。行為のものは単なる殺戮肯定できるものではありませんが、何年もかけて潜伏し飛行機の操縦を学び、自分の命を投げ捨てて突っ込むというのは尋常ではありません。一方で、世界に16億いるというムスリムが皆こんなぶっ飛んだ感覚殺戮であるのは、常識的に考えてありえないと思いました。

では実際のところ、平々凡々たる市井ムスリムたちはどうなのか? 彼らが信じている、その中で生まれ育ち生きているイスラームとはどんなものなのか? というのが、今思うと出発点だったと思います

色々本を読むとそれなりにイスラームについての一般常識はつくのですが、それらはあくまで、頭の良い人が外から観察してまとめたものです。しかしわたしが知りたかったのは、もっとレベルの低い大衆的な肌感覚みたいなもので、それを知るには内的に追体験するというか、彼ら自身立ち位置になるべく入ってみて、そこから世界を眺めてみないといけない思いました。

キリスト教でも仏教でも熱心な信徒もいればなんちゃってクリスチャンみたいのもいるわけですからムスリムだって色々なはずで、「さほど熱心ではないけどやっぱり信じてる」みたいな人もいるはずです。どちらかというとヘボいムスリム感覚同化してみたかったです。わたしはヘボい日本人ですから

この低水準の信仰感覚というのは、あくまわたし個人の感じてきたところでは、幼い頃から聞いている歌がつい口をついて出てしまうみたいなものかと思います

大人ですから知的敷衍して約束事のように語る部分もありますが、多分そこは本質ではなく(彼ら自身は見栄っ張りなので、よそ行きにもっともらしいことを語るものなのですが)、もっと身体的で音楽的なものこそが大元なのだと、自分は感じています

そしてこの感覚は、サピア・ウォーフの仮説ではないですが、言語と密接に繋がっています言語文化宗教連続体で、どれか一個だけ取り出して眺めようとしてもなかなかうまくいきません。

まぁ、そんな風に見てみると、意味のわからない人々についてもちょっとは親しく感じられるんじゃないかなぁ、と思います

そんなこと興味ない、親しみたくなんかない、という人が大勢しょうが、違う場所から違う視点ものを見てみるのは、何でもすごく面白いものだとわたしは思いますよ。

人生、旅じゃないですか。

2024-07-12

これ余談なんですけど…にて、伊集院光が心に刺さった名言を語っていた

それは円楽師匠

「お前がちっちゃい時から時間を忘れて楽しかたこと何かあるだろう?

それに社会性をつけたら俺らの仕事は一生食ってけるんだ」

という言葉だそうだ

自分が好きなことをソレが好きじゃない人に説明出来るようになったら、お笑いの喋り手は一生食ってける」

という意味とのこと

なるほど

で、自分にとっての「時間を忘れるほど楽しかたこと」はなんだっただろう?と考えてみた

けど

特に思い当たらなかった

確か幼少期から大学生くらいまでは有ったような

いや、もうちょっと後まで有ったような

でも思い出せない程度だから生食ってける何かに繋がる程のもんでもないってことだ

(しかも全期間共通して一つのことを楽しんでたわけじゃないしな。マイブームって古語があるけど、ソレだよな)

やっぱりね、自分楽しいことで食ってくってのは相当な情熱が無いといかんわけですよ

もしくはビジネスライクに上手にやれる才能

情熱は無理やり持てるものじゃないし

情熱が無いものに取り組んで倦まずに上手くやり続けられる才能なんて勿論無いし

何者にもなんとかってこういうやつだな

(そもそもなりたいとも思っていないしな)

ただ粛々と目の前にぶら下がる仕事をこなすの

情熱も無いか賞与査定も低かろう

2024-06-25

anond:20240625105437

いやところどころ作中用語や難しい古語が出てくるのは確かだし、全部聞き取れるとは言わないけど

全体としては「ところどころわからんけど現代英語だな」って聞こえるから

音声だけでもガチ古語とはあんまり感じないし、ましてや架空言語勘違いする余地はないよねって話

ラッダーン フェスティボー!とかラダーフェスティバル以外の何物でもないじゃん

そういう意味では「時代劇的」というのは正しい表現

Elder Scrollsシリーズもそんな雰囲気だったと思うよ

反論みたいになったけど「そこまでじゃないと思うよ」って話をしてるだけで根本的には反対なわけじゃないな

2024-06-04

意識高い系古語

目標理想だけ高くて言うことは立派なのに行動が伴わない人や性格のこと、昔はどんな言葉で呼んでたっけ?

いまだと「意識高い系」と言われるんだろうけど、以前は似たようなニュアンスで他の言葉があったような。

2024-05-27

anond:20240527154217

一所懸命だけを使う人に聞いてみたいな。なぜ「一生懸命」ではなく「一所懸命」を使うのか。

語源的に正しいから?

 さて,それでは,現在採るべき表記法はどうであろうか。最近辞典類を見ると,『岩波国語辞典』(岩波書店刊)は,「一所懸命」を本見出しとし,「一生懸命」をから見出し扱いにしているが,『例解新国語辞典』(三省堂刊),『新明解国語辞典』(三省堂刊),『新選国語辞典』(小学館刊)などは,「命がけのこと」を意味する語としては「一生懸命」を本見出しにし,「一所懸命」を併記したり,古語扱いにしたりしている。さらに『例解辞典』(小学館刊),『NHK編 新用字用語辞典』,『朝日新聞用語の手引』(朝日新聞社刊)などの用字用語辞典は,ほとんど「一生懸命」に統一している。

 以上のことから判断すると,現在学校教育においては,表現学習や語彙学習場合には「一生懸命」が望ましいと思われる。なお,教科書文学作品においては原典尊重し,『オツベルと象』では「一生懸命」(原典は「いつしやうけんめい」)を,『蜘蛛の糸』『坊っちゃん』では「一生懸命」(原典は「一生懸命」)を,『ごんぎつね』では「一生懸命」(原典は「一しょうけんめい」)を使用している。

教育出版HPより

2024-05-07

闇サイトって本当に闇?

存在が知られていてなおかつ入り方さえ知られているサイトが闇なの?

単に政府情弱古語)なのでは?

2024-03-09

勉強が得意だった人は大人になっても勉強したこと、授業で習ったこ

少し前のもので悪いんだが、この↓まとめや、まとめについていたブクマを見ていて思った。

https://togetter.com/li/2151341

勉強が得意だった人は、いや特に得意だった人じゃなくてもいいんだ、お前らは大人になっても学生時代にかつて勉強したことを覚えているか


俺は高校生はおろか中学生のころに習ったことさえ今はほとんど覚えていない。

まあ俺の場合中高生だった頃からからないものや覚えられないものはそのまんまでやり過ごしてきたのであんまり参考にはならないと思う。

(いわゆる旧帝大に引っ掛かってる大学を出てるんだが、受験における英語国語が抜群に得意だったので、そこで10割近く稼いであとは勘(運)、って方式で生きてこれてしまった)


学校先生とか、塾講師とか、よくわからないが現在業務でつかう内容以外仕事をしてるお前ら、中学で習ったことを覚えてるか?

俺の場合は具体的に以下の単元がさっぱりわからない(単元はネットでざっくり調べた)。


中学数学

・円錐の体積の求め方(おぼえてない)

二次方程式の解の公式(まったくわからん

因数分解のやり方(当時からからなかったので勘で書いてた)


中学社会

南北朝(っていつ頃だっけ?)

・◯◯文化みたいなやつ(飛鳥文化しか覚えてないので、選択式なら「なんか江戸っぽいな」とか勘で選ぶ)

日本地図(ぜんぶわかる?俺はわからない)


中学理科

・電力と電圧電流?の関係(どれがなにでどうなるのかまったくわからん

元素記号(スイヘーリーベー…なんだっけ?それぞれが何を示してるのかも忘れた)

細胞のつくり(核とミトコンドリア葉緑体はわかる。あとは忘れた)


上記あくまで一例だが、どうだ?

数社理なら俺はたぶん20%もあるかわからないし、国英も古語英単語はぜんぜん覚えていない。

お前らは中高生の頃に習った内容を、パーセンテージでいえばどのくらい覚えていそうだ?

2024-03-05

anond:20240305195044

アーミッシュ - Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

アーミッシュ言語ドイツ古語(初期新高ドイツ語)の一派が第二次子音推移を経た高地ドイツ語のうち上部ドイツ語に属するアレマン諸語やその一方言であるスイスアレマン語およびアルザス語などがアメリカドイツ語と融合したペンシルベニアアレマン語を基本とする。

      ___    ━┓

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       /      ̄ヽ__) /

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2024-03-04

anond:20240304173028

古語から古いオタクなんだろう。

ぞ〔係助詞「ぞ」から〕


(終助)


文末にあって,活用語の終止形に付く。


自分判断を強く言い切ったり,主張したりするのに用いる。「ぼくの方が正しい」「これならきっとうまくいく」「そら,やる」


②疑問詞と呼応して,反語や疑問を強めるのに用いる。やや文章語的な言い方。「一体だれがこの難問に答えられよう」


(副助)


文中の疑問詞を受けて,不定の意を表す。「だれに聞いてくれ」「なん食べ物はないか」〔の終助詞近世以降の用法,の副助詞中世以降の用法〕→ぞ(係助)


ぞ


(係助)〔古くは「そ」。上代から中古にかけ次第に濁音化し,「ぞ」が一般的になる〕体言活用語の連体形・種々の助詞などに付き,取り立てて強く指示する意を表す。


文中にある場合。文末の活用語は連体形で結ぶ。


①一つの物事特に取り出して強調する。「峰高く,深き岩の中に聖入りゐたりける/源氏物語」「野中に岡だちたる所に,ただ木三つたてる/更級日記」


②文の調子を整えるのに用いる。この場合動詞連用形に付き,サ変動詞「する」で受ける。「折りてみば落ちしぬべき秋萩の枝もたわわに置ける白露古今和歌集」


文末にある場合。その文を強く言い切るのに用いられる。「我をいかにせよとて捨てては昇り給ふ/竹取物語」「この西なる家には何人の住む/源氏物語」→ぞ(終助・副助)


anond:20240303120626

これはおもしろいね

まず時間が少ないのはそうだが、令和のいまも本当に別立てになってる?

国語の一部門古典中国語古典日本語)では?

国語増田国語増田だのまとめたい煽りでみてりゃわかるように

舌先三寸の言いくるめ方を習う科目でなく、

論理学も含めているか文系最長科目なんやで。

 

たとえば理系では気体の状態方程式とか

自由落下から微分から運動量保存則とかは

複数の教科(物理化学とか、数学物理とか)で重複して絶対避けられないようにしてることなんだけどね、

文系でいえば論理学絶対避けずに修めてほしいわけ。

そのために「言葉ってなに、日本語(気分)以外の言葉もつ論理ってなんなの」もわかってほしい。

そのためにも英語ってにがて~」といってるやつがアジア古語ならいけるかもしれない可能性の発掘のために国語盲腸みえてもしっかり遺しとく

これはアリやで

2024-03-03

anond:20240303183933

こう言う単語を無理に和製化するお前

 って、何言ってんだよw 自分無知がそんなに誇らしいのか?w 

というか、「古語」って何だよw 覇権というような意味でのヘゲモニーなりHegemonieがいつ頃から使われ始めたかを考えてみろよ。

anond:20240303074732

お前が和製英語じゃなくて和製ドイツ語で話したと言う証拠を見せてくれ。あとからなんとでも言い訳できるからな。和製ドイツ語じゃなくて和製英語でもヘゲモニーになる。

どっちにしろ紛らわしくて分かりにくい単語であることは代わりないな。もう既にドイツ語英語かでわからん状態になってるからな。

和製オランダ語とか言い出したら収集つかなくなるな。

こう言う単語を無理に和製化するお前の教養のなさがよく分かるな。

でお前はそれらの言語古語をもちろん学んだんだろうな。

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