はてなキーワード: 原稿とは
池上彰さんの経歴の中核となっているのはジャーナリストとしての経験です。1973年にNHKに入社後、記者として32年勤め、退職後はフリーランスのジャーナリストに転身されました。
2005年から2010年代の中頃までが民法でニュース解説者として活躍されていた時期です。レギュラー番組や特別番組を持ち、その一部は受賞歴もあります。
民法で知名度を得てからは、9つほどの大学で客員教授、特任教授として勤めてきた経験もお持ちです。また、一時的ではないものとして名城大学の教授もされています。
近年では、公式 池上彰と増田ユリヤのYouTube学園というチャンネルでYouTuberとしても活動されています。
テレビで同じような時期に脳科学者として活躍されていたのは茂木健一郎さんだと思われ、池上彰さんとは別人です。
アナウンサーというのは記者が書いた原稿を読み上げる人ですが、池上彰さんは本質的には原稿を書く側の人です。
NHK退職後は原稿書きに専念したい、という思いがあったようですが、奇しくも民法では自分が表に出て解説まで通して行う方がウケたので、その構図がアナウンサーという誤解の元になったのでしょう。
・一人で黙々と出来る作業
・大きな機械音が苦手なので大きな音がしない
・電話対応や聴覚情報の処理が苦手なので極力人と話さない、またはテキストベースでのやりとりで済む仕事
ってgeminiちゃんに聞いたら
これらのご希望を満たすお仕事はいくつか考えられます。以下にいくつかの例と、それぞれの仕事内容、メリット・デメリットをまとめました。
* 仕事内容: データの入力、書類の整理、ファイリングなど。企業によっては、定型的な事務処理をお願いされる場合があります。
* メリット: 一人で黙々と作業できることが多いです。大きな音が発生する環境は少ないでしょう。電話対応が少ない、または全くない場合もあります。指示された内容を正確にこなすことが主な業務となるため、責任は比較的少ないと考えられます。テキストベースでのやり取りが中心となる部署や業務もあります。
* デメリット: 単調な作業に感じる可能性があります。パソコン作業が中心となるため、肩や目が疲れることがあります。
* メリット: 基本的にパソコンに向かって一人で作業します。大きな音はほとんどありません。コミュニケーションはチャットやメールなどのテキストベースが中心となることが多いです。比較的タスクベースで仕事が進むため、責任範囲が明確な場合があります。
* デメリット: プログラミングスキルが必要となります。学習意欲や論理的思考力も求められます。納期意識は必要です。
* 仕事内容: Webサイトや記事などの誤字脱字、表現のチェック、体裁の修正など。
* メリット: 一人で黙々と作業できます。大きな音はほとんどありません。コミュニケーションはテキストベースが中心です。与えられた原稿やルールに沿って作業するため、責任は比較的少ないと考えられます。
* デメリット: 細かい作業が得意な方向けです。地道な作業に感じる可能性があります。
4. ライティング (一部)
* 仕事内容: ブログ記事、Webコンテンツ、説明文などの執筆。
* メリット: 自分のペースで作業を進めやすいです。大きな音はほとんどありません。コミュニケーションは基本的にテキストベースです。テーマや構成が指示されている場合、責任範囲は限定的になります。
* デメリット: 文章力が必要となります。納期を守る必要があります。
5. 翻訳 (一部)
* メリット: 一人で集中して作業できます。大きな音はほとんどありません。コミュニケーションは基本的にテキストベースです。与えられた資料を翻訳することが主な業務となるため、責任は比較的少ないと考えられます。
* デメリット: 高い語学力が必要です。専門知識が求められる場合もあります。
* 仕事内容: 製品の簡単な組み立て、袋詰め、シール貼り、不良品がないかのチェックなど。
* メリット: 作業内容が比較的単純で、黙々と作業できます。大きな音の少ない職場を選べば、音の問題もクリアできます。人と話す機会は少ないことが多いです。指示された作業をこなすことが中心なので、責任は比較的少ないでしょう。
* デメリット: 体力が必要な場合や、立ち仕事である可能性があります。
* 求人情報の詳細確認: 求人情報には、具体的な業務内容や職場の環境について記載されていることが多いので、よく確認しましょう。
* 面接での確認: 面接の際に、仕事の進め方、コミュニケーションの方法、職場の音環境などを具体的に質問してみましょう。
* 派遣やアルバイトから: 正社員として働く前に、派遣やアルバイトとして短期間働いてみて、自分に合うかどうか試してみるのも良いかもしれません。
Aとは活動初期から相互で、垢移行してもお互いフォローし合うような仲だった。作業通話したり、オフ会したりもしていた。
さて、そんなAがある時「年内に個人誌を出す」と言い出した。イベント出展などはせず、通販限定で出すらしい。原稿執筆はこれからで、自分に発破をかける意味でも皆に向けて言ってみたような感じだった。
しかし、その年に本が出ることはなかった。
まあ商業でもないし、出なかったところで私には関係ないのだが、Aがやたら気落ちしているのが気になった。自分で言ったことを守れなかったのが許せないのかな、自分に厳しいんだなーと思って、なんとか励ましたいなという気持ちになった。これが間違いだったのだけど、それを痛感するのはもっと後のこと。
なんとかAを元気づけたかった私は、作業通話に付き合ったり、気晴らしに遊びに誘ったりしていた。そうするうちにAは私に気を許し始めたらしく、「例の個人誌に寄稿をしてもらえないか」と打診してきた。Aの同人活動を応援したかった私は二つ返事で了承した。
さすがに人の絵を預かってたらやる気も出るでしょう、と思ってイラストを1枚納品し、前もって伝えられていた頒布予定日。
ここまで読めば予想がつくと思うが、発行されませんでした。
とはいえ執筆をやめたわけでなく、いつか出す気ではいるようだったが、これ以降Aは事あるごとに言い訳がましいツイートをするようになった。
今日は体調が悪い。
別の漫画を描きたくなった。
出せないのは私のせいじゃないから責めないで、とでも言いたげなツイートの数々。まあ猫の件は可哀想だけど、でも最初に言ってた日に出してたら間に合ってるしなぁ。
やがてAのタイムラインはこれらの言い訳と病みツイ、ゲームのスクショで埋め尽くされ、本が出る気配は一向になく。
そんな状態が1年以上続いた。猫はとっくに死んでいた。
頒布開始すると言われた日から1年経ってもそんなんで、Aの態度から誠意を感じられないと思った私は、DMで寄稿の辞退を申し出た。
言いたいことはたくさんあったが、メンヘラを追い詰めて人殺しになってもイヤなので、辞退文は簡潔に書いた。Aは比較的すぐ返信をくれた。
やり取りはスムーズに進み、Aからもきちんと謝罪があった。謝礼(内容は伏せますが金銭ではありませんでした)も辞退し、寄稿は無事取り下げとなった。
「頂いたイラストは大事にします!」と言われたときは「あげてないが…」と思ったが、これ以上揉めたくなかったのでスルー。
そんな状態でも相互関係だけは切ってなかったけど、やがてアイコンを見るだけでもストレスになりブロック。その後は特に関わることもなかった。
……というのが数年前。
最近、某同人誌イベントにAと共通のフォロワーさんが出展することになり、そのことでAを思い出してタイムラインを見に行ったら相変わらず元気そうに病みツイを並べていた。
その中に多分私とのトラブルのことを言ってそうなものがあり、当たり前のように「私なんにも悪くない、誰も私のことわかってくれない」と主張してたので当時の怒りがぶり返したのだけど、それは完全に自分から地雷を踏みに行った私が悪いので割愛。
今思えば私にもたくさん反省すべき点がある。
まず、最初に寄稿頼まれた時点で見えてる地雷だったんだから断るべきだったし、寄稿出すなら出すでもっとAと話し合うべきだった。
それから、Aの病みアピにビビって一回も催促の連絡ができなかったんだけど、今考えればすべきだった。
私はAに親切にしたつもりだったけど、中途半端に手を出して余計苦しめただけだったと今は思う。
同人界隈というのは口約束で物事が進むことが多いので、約束が守られなかった時は大抵悲惨な結果になってしまう。
仲良くなってからだと周りに与える影響も大きいので、こういうのはもっときっちりやろう、と考えを改めるきっかけになった事件だった。
タイトル通り。
産後2年経過したので同人活動再開したくて原稿やってるけど、産前と同じような感覚でいるとスケジュールカツカツ
産前は土日昼間も夜も原稿できてたのが今は夜しか時間が取れないし、夜泣きで中断したりで進みが悪すぎる
父が死んだので数年ぶりに帰省した。
仕事から帰って寝ていると思ったら死んでいたそうで、実家の母は慌てふためきながら救急車を呼び、死亡確認後の諸々の手続きやら準備やらをやっていた。
幼少期を過ごした家から引っ越しをした実家に足を踏み入れるのは初めてだった。
和室に父が安置されていた。少し頬がこけてやつれた印象はあるが、概ね記憶通りの父を眺めた。私は父が嫌いだった。
私はお葬式は死者のためというよりも、『生きている人が気持ちを整理するためもの』という理解でいる。個人的には何も思い残す事はないので、そのまま焼いてもいいくらいだった。数年前の祖母の葬儀は家族葬で、母はその雰囲気も悪くないと思っていたようなので、そうなるか思いきや、兄が「ちゃんとやりたい」と言った。兄は祖母が亡くなった時は遠方にいたため、祖母の葬儀には参加していない。
兄は屁理屈をこねるのが上手く、昔から母は丸め込まれていたので、今回もその様になった。わたしはめんどくさいなぁと思ったが、話し合いをするのも自分が仕切ることになるのも嫌なので兄の意見を通した。
実家は信仰する宗教があるので、その作法に倣って式の段取りを決めていった。
なんとなく、家の中で事務仕事:兄、外に出る買い出しや手続き:私と母、と言った雰囲気になった。こちらが買い物をしている時や運転している時に電話をかけてくるのでイライラした。お花代を追加でもらったから式場に連絡して、と言われた時、直接式場に連絡してくれと返したら、腹を立てた様子で電話を切られた。
故人の紹介を誰に頼むか話しながら、私が五月雨的に名前を挙げていったら、あるところでイラついた様に「その人はない」と言われた。「何も知らないなら黙ってろよ」と小さく言ったのも、私の耳に届いた。
もう早く終わらせて東京の自宅に帰りたい、と思いながら時が過ぎるのを待った。
宗教での付き合いがある人達がそれなりに足を運んでくれたが、父の兄弟は隣町に住んでいるが来なかった。数年前、自分のは母親の葬式に父は参列しなかったので順当だな、と思った。
母は人前に出るのを嫌がったので、兄が喪主を務めた。
あらかた式次第が終わって喪主の挨拶になった時、兄が懐から原稿を取り出した。
えっ何枚あるの?長くない?と思った。
内容は父ともっと関わっていればよかった、みたいな内容だが、兄自身の体験(父との思い出でなはい)や感情を膨らませた数分間の感動的なスピーチになっていた。
何を聞かされているのかと思った。「隙あらば自分語り」という言葉が頭をよぎったが、隙どころか舞台を与えてしまったので耐えるしかなかった。
これを明日をも聞くのかと思うとげんなりした。実際のところは、若干の改訂が加えられたものを聞くことになった。
葬式が終わり私が東京に帰る、という段になって家族写真を撮りたいというので嫌だと言ってそのまま帰った。いまさら仲良し家族ごっこができるか。
兄は父方の親戚から「父にそっくりになった」と言われる様になった。プライドが高くて人の話を聞かず、自分のやりたいことだけやるところなどそっくりだと思う。あと地雷を踏むと火がついた様に怒り狂うところ。そして母を蔑ろにするところ。
母が作った朝食に兄が手をつけないので、冷蔵庫にはラップをかけた皿が貯まった。今日は昨日のを食べようか、と言ったら「お兄ちゃんが食べるかもしれないから」と母は言った。
弔問客の対応はにこやかにするが、自分の食べたものを下げもしない兄。
最近は香典返しをしない場合もあると聞いて、母はそれを希望したが兄は反対した。「来てもらった人を蔑ろにすることになる」と怒る兄。(結局やるのは母になるのに)
兄よ、父の銀行口座が凍結して、母が当座の生活費を心配していることに気付いていますか。残った家族の中で、あなたが1番稼ぎが少ないのに、見栄を張るはどうなんでしょうか。
自分の考える正しさを振りかざす兄が嫌いだ。父も自分の正しさに則って身を正している人だったが、結局(兄も含めて)家族は誰もついていけなくなった。
人生の最期って人間関係の総決算という雰囲気がある。数年前の祖母の葬儀の際も揉めた。葬式に来なかった父、怒り声を荒げる叔父叔母、頭を下げる母。母が可哀想だと電話をしたのが、父と話した最後だった。
どんな葬式でも、どんな家族でも、親切に仕事をしてくれる葬儀屋さんってすごい、というのが、前回と今回の共通する感想だった。そしてどちらも、1秒でも早く東京に帰りたかった。
葬式は生きている人が気持ちの整理をつけるためにするものーー私にとっては面倒だったもろもろも、兄にとっては必要な儀式だったのかもしれない。私だって性格が悪い自覚があるが、黙って付き合っただけマシじゃないか?喧嘩しそうになったらわたしが引いたし。
そう遠くない未来、もう一度こんなやりとりをしなければいけなくなる。いまからうんざりだ。
喪主の挨拶で「もっと母と関わっておけば良かった」って言わなくて済む様にしなよ。
【追記】
たくさんの方に閲覧いただけているようで感謝です。
取り止めのない愚痴にたくさんのコメントありがとうございます。
補足というほどでもないのですが、私も兄も進学・就職を機に実家を出ており、実家では両親だけで暮らしていました。2人とも介護がなどは必要とする状態ではないですし、兄が世話していたわけでもないです。
兄が実家とどれぐらいやりとりしてたかは知りませんが、母の言い様と兄の喪主挨拶を聞くに私とそんなに変わらないと思います。
『葬式は生きている人のため』と書きましたが、私が帰省したのも兄のやりたい葬式に付き合ったもの、そうしないと母が困ると思ったからです。父を弔いたいみたいな気持ちはありませんでした。
しかし、実家で過ごすうちに、兄におもねってばかりの母や昔の出来事にイラついて、母に優しくできなくなりました。多分一緒に暮らしていける関係性でなくなっているんだと思います。
家族って難しいですね。
そこから「そういや動画系のコンテンツあんま楽しんでないな—」と思いABEMAで映画4本見ました。
たまに漫画。
原作漫画の単行本をスキャンしてそのまま原稿に貼るというとんでもないことをやってのけた漫画が遂にアニメ化。アニメの中でもばっちり原作漫画をそのまま使ってます。異常だろ。知らないオッサンがワンピースの単行本を手に持って開いてる映像が挟まれるワンピース公式二次創作アニメってなんなんだよ。
アニメ版ワンピースのBGMやOPもふんだんに使われていて公式だからこそ出来る豪華さ。凄いよ公式二次創作。非公式の二次創作では絶対に出来ないクオリティで、なんでこれが公式でやって許されているのかわからないことをひたすらやってて凄い。
・恋するワンピース(50話)
・変態仮面
締め切りって言葉知ってるか?
期限なの。その日までに自分の原稿を書き上げて、推敲して、修正して、テンプレートに流し込んで、ミスが出来る限りないよう確認して、仕上げたものを提出する日なの。
連絡が取れなくなる方がよっぽどマシだわ、だってこっちも無視すればいい話だもの。ヘタに連絡取れる分厄介だ。毎週毎週この日までには提出します~できませんでした~理由はこうです~って何回送れば気が済むの?
知らんよ、知りたくもないよ。あなたの事情なんて。家庭の都合で遅れましたならともかく、全然違うし。自分が気に入る言葉で文章が書けなくて躓いてるとか、知らないし。諦めろよそんなの。
こっちはお前の原稿を待ってんの。もうお前以外全員提出し終わってんの。なんでお前の為に私の人生に待ち時間作らないといけないわけ?
別にこっちからお願いして原稿くださいって言ったわけじゃない、自分から参加を表明しておいてこれはないんじゃないの?いや、こっちからお願いしてたとしてもさすがにダメだけど。
合同冊子に載せるの諦めて個人誌で出すなりWebに投稿するなりすればいいだろ。自分の文章や言葉にそれだけこだわりがあるなら。こっちも期限にこだわりたかったよ。
期限超えてるからって正論パンチで殴りたかった。今も殴りたい。へたに優しくするんじゃなかった。後悔しかない。
相手がコンテンツを嫌いにならないように、私の正論パンチでそんなことになって欲しくないからって情けをかけてたけどいらんかったわ。私の方がこのコンテンツ嫌いになりそうだよ。
女性社員 m の申告によると、2006 年頃に、反町氏から食事の誘いが何度かあり、
何度か一対一での食事に行ったところ、休日に反町氏からドライブに誘われ、そのまま三崎のマグロを食べに行き、花火を見て、そのあと横浜でホラー映画を見て、バーに連れまわされることで 1 日拘束されたことがあった。
また女性社員 m が、この出来事の後、反町氏からの食事等の誘いを断るようになったところ、反町氏は、女性社員 m に対して業務上必要
となるメモを共有せず、
女性社員 m に対して原稿が遅いなどと不当な叱責を部内一斉メールで送信したり、電話で怒鳴られたり、威圧的な口調で話をされたりしたとのことである。
女性社員 n の申告によると、2007 年から 2008 年頃に、反町氏は女性社員 n を一対一での食事に誘っていたりしていたが、あるときから、休日に今何しているのか写メを送れという趣旨のメールをし、食事の誘いをするようになったため、女性社員 n はこれを断り、
そうしたところ、女性社員 n に対しても原稿が遅いなどと不当な叱責を部内一斉メールで送信したり、電話での論旨不明な叱責をしたりしたとのことである。
日本の政治家はアメリカと違って官僚に書いてもらった原稿を読んでいるだけだから無能ってイメージがあるが、そもそも誰かにスピーチ内容考えてもらうのと、自分で考えて何度も練習して本番でも今自然に出てきた考えであるかのように滔々としゃべるのと、世界的にはどっちが主流なのか知らないんだよね。
『チ。』最終回を見た。アルベルトの懺悔を聞く司祭はレフ。CVが同じ。告白も符合。この告白はその昔、アントニ司祭の謀略からヨレンタを逃したシモンを見殺しにしたときのことだろう。
ちいさいときのアルベルトは少女時代のヨレンタさんにそっくりだった。外見だけでなく真理を求める強い意志、その代償としての過酷な運命までもが似ている。
アルベルトの入学を受け付けるクラクフ大学職員は晩年のノヴァクに似ている。
ラファウが真理探究に取り憑かれるあまり魂がどこかにいってしまっている。現代の科学倫理の喪失を想起させる。
『チ。』は四部構成で、第一部から第三部まではつながっていた。第四部は前部とつながっているようにも見えるが、明示されることはない。繋がりをしめすものは細部に隠されてしまっている。フベルト、ラファウ、オクジー、バデーニ、ヨレンタ、ドゥラカ、死んでいったみんなの思いは引き継がれたのかどうかは明示されない。幾多の命と引き換えに伝えられたオクジーさんの著作は出版にこぎつけそうな気配になっている。だがほんとうに出版されたかどうかは明示されない。すべてが失われたのか、何かが伝わったのか、具体的なことは何も明示されない。それでも真理をもとめること、考え続ける行為は絶えない。絶えそうになっても息を吹き返す。結論に込められたメッセージは予想ほど明示的で目立つものではなかった。ただ、静かに、しかし確かに、火は消えずに灯り続けているようにも感じられる。
『チ。』の第四部が過去の登場人物たちとのつながりをあえて細部に隠した構成になっているのは、真理の探究が「誰のものか」ではなく、「時代を超えて続く行為そのもの」だからかもしれない。第一部から第三部までは明確にバトンが受け渡されてきたが、第四部ではその継承が曖昧になり、読者に問いを残す形で終わっている。オクジーの著作の出版についても、最後に明示されない。それはおそらく書物という形で世に出るかどうかよりも、その思想や問いかけがどこかの誰かに届き、受け継がれることが重要だという示唆なかもしれない。すべてが失われたかどうかは明言されないけれど「考え続けること」は決して絶えない。明確な結論や劇的なメッセージではなく、静かに問いを残して終わる。それはまさに、作品全体を通して描かれてきた「知の探究」と同じに見える。決して終わることのない、けれど消えることもない営みとしてのフィロソフィア。
いま私たちはデジタルアーカイヴの時代を生きているが、過去の事象を自由に検索し辿れるようになったのはせいぜい10数年のこと。それより昔の記録は意識的に探さないかぎり見つからないし、失われているものも多い。記録が増え始めたのはせいぜい20世紀以降のこと。それ以前の記録は遡るほど失われたものが多くなり、数百年前の史実を復元することは困難だろう。ようするに過去のほとんどは失われている。そのなかを奇跡のように伝わったアーカイヴが細い糸のように時空をつなぐ。ただその背後にあるものは偶然だけではない。記録を後世に伝えよう、記録を共有しあらたな文化を切り拓こうとする人々のときには命懸けの意思が働いている。『チ。』を見終えて感じたのは、伝えることの意味、それ以上に、考え続けることの価値、かもしれない。考え続ければたとえ失われても真理をふたたび見つけ出すことができる。タウマゼイン、アポリア、エウレカ、怪獣、そして蛇。巨人の肩の上に立つと言われる科学がよって立つその巨人の姿は多彩で全貌はほぼ失われてはいるがまちがいなく巨大だと。
ヴァイツゼッカーの言葉は、過去を忘れるものは現代において盲目となる、だったか。
科学も思想も文化も、過去を忘れない。だがその過去は遡れば遡るほどじつはほとんどがすでに失われている。それを掘り返す作業は重要だがそれは真理の探究のすべてではない。なぜなら過去は宗教やイデオローグではなく、ましてや真理ではないからだ。真理は過去にあるわけではない。真理は時空を超えて厳然とある。今のこの時代に、今持てるものを動員し、今と未来を考えろ。『チ。』はそういうふうに私たちを励ましているのかもしれない。
フベルトもラファウもオクジーさんもアルベルトも肉眼で星を見た。だがガリレオは望遠鏡をつかった。現代のわれわれはネットワーク化された電波望遠鏡、ジェームス・ウェッブ望遠鏡も持っている。われわれの次の世代はもっとすごい望遠鏡を持つだろう。そして考え続けるだろう。思い返せばフベルトさんの地動説はラファウ少年が修正する必要があった。ポトツキさんからみればラファウの計算も修正すべきものだった。バデーニさんはそれをさらに修正する必要を認め、ついに石箱の記録の限界を看破した。バデーニさんは惑星の楕円軌道を発見する。ただしそれは現代天文学が導いた楕円軌道と比べると、誤っている。
ようするに知見は更新される。そしてそれこそが科学のほんとうの姿でる。そこにあるのは記録の継承と同時に、考える行為、探究する行為の継承なのかもしれない。『チ。』はけっきょくそのことをわたしたちに伝えているのかもしれない。
ところで、オクジーさんの著作はけっきょくどうなったのだろう。
バデーニさんの傍で、ヨレンタさんから文字の力を伝えられたオクジーさんが著した『地球の運動について』。バデーニさんとクラボフスキさん、名もなき貧民たちが命がけで複製し、のちのヨレンタさんが出版を試み、ドゥラカがその意思を継ぐ。最終話で、かつてのポトツキさんの家にとどいた手紙はドゥラカからのものである可能性が高い。しかし原稿の所在は明かされないまま物語は終わる。ドゥラカはもう死んでいる。結局この本は出版されたのだろうか?
物語の流れを見るかぎり『地球の運動について』が完全に世に出たとは断定できない。しかし知の火は確実に受け継がれていることが示唆されている。ドゥラカがその意志を継いでいる以上、原稿を守る手立ては設定済みで、どこかで誰かが出版の機会を待っている可能性はある。また、現実の歴史においても、抑圧された知識や思想はすぐには広まらなくても、時間をかけて受け継がれ、いずれ世に出ることが多い。『チ。』もその流れを踏襲しており、「たとえ今すぐに形にならなくても、知は未来へとつながる」というメッセージを込めているのかもしれない。仮に、もし本が出版されなかったとしても、アルベルトが名門クラクフ大学の門を敲き、後にコペルニクスが弟子となる。その事実は揺るがない。
最終回はその解釈をめぐり賛否が入り乱れているらしい。わたしにとってはどうでもいいことで、この物語から自分が何を得るか、だけが大切だと考えている。
アルベルトの風貌は、かつて少女ヨレンタを救い逃したシモンにそっくりだし、その少年時代の風貌は少女ヨレンタにそっくりだった。懺悔室でアルベルトの告悔を聞く神父は、ヨレンタを逃した罪で殺されたシモンの同僚、レフに間違いない。レフはかつてシモンを見殺しにした。そうしなければ自分が殺されただろう。その葛藤をかかえながらレフは四半世紀を生きてきた。レフはシモンを彷彿とさせるアルベルトに巡り合ったことで、その葛藤に正面から向き合おうとしはじめる。アルベルトはレフに巡り合ったことで知的好奇心に対する極端な二元論を止揚し、知の世界へふたたび足を踏み入れる。
この物語の賛否をわける大きな要素がラファウの再登場と、最後に見せる殺人という行為らしい。
ラファウとはたぶんこの物語のなかで唯一、人間でないものだと思う。それはおそらく『チ。』そのもの。探究心と好奇心、真理への道のりの象徴なのだろう。ラファウはポーランド語表記に従えば、Rafał。この名はポーランドではありふれたもので、その由来が大天使ラファエルの名であることにそれほどの意味はないかもしれない。ただし大天使ラファエルの役割は「導く者」、ヘブライ語の原義は「神の癒し」。ラファウがこの物語の導き手であることは間違いない。もっともラファウの振る舞いは癒しの語義からはかけはなれている。その存在はむしろ知への渇望と狂気を導くようにすら見える。
たとえばフォン・ブラウンはV2がロンドンに到達した報告を受け満足した。かれはただロケットが好きで、自分のロケットを飛ばせるならナチとでも平気で手を組んだ。弾頭に何が詰まっていようが知ったことではなかった。彼はのちにNASAでアポロ計画を立ち上げるが両者に矛盾はなかった。彼はただ純粋に優れたロケットを開発したかったのであり、彼にとってはICBMも月探査も同じだった。弾頭に何が詰まっていようが知ったことではなかった。彼の目的はロケットであり、ロケットの目的には何の興味もなかった。
『チ。』の登場人物たちもまた真理の探究のためにつぎつぎと命を落としていったが、彼らの行動は必ずしも正義や倫理と結びつくわけではなく、むしろ多くの悲劇を生んでいる。自己目的化した真理の探究はしばしば倫理を超越し人道に背き世界を破壊する。ラファウが導く地平は単純な希望ではない。
結局出版はどうなったのか。
『地球の運動について』は、出版された。それは大きな反響を呼び増刷をかさね総発行部数は数百万部に達した。
ただしその出版は漢の蔡倫が発明した紙とグーテンベルクの印刷機によるものではなく、パルプ紙とDTPオペレーションと高速輪転印刷機によって、15世紀ではなく21世紀になされた。反響は日に日に増幅されついにアニメ化された。四部構成全25話。オクジーさんが著しバデーニさんが複製しヨレンタさんが出版を使命としドゥラカが引き継いだその原稿はついに形をあらわし公開された。このアニメが、そしてその原作こそが、オクジーさんの、フベルトさんの、みんなの思いそのものだ。だいたい、『チ。』の副題が『地球の運動について』。はじめからそう明記してある。
この本はきっと私がしらないいつかの時代にも、連綿と出版され継承されているのかもしれない。過去にも未来にも。それが考える、探究する人間の本質だから。
一般的に、日本人の平均読書速度は、1分間に400~600文字程度と言われています。
原稿用紙1枚(400字詰め)だと1分間に1枚半、文庫本1冊(10万文字程度)だと3時間弱ほどで読める速さとなります。
ただ、これはあくまで平均です。実際に社会人の方に計測をしてもらった調査結果で見てみると、1分間に320文字の人もいれば2000文字を超える人もいますので、読む速度にはかなり個人差があることが分かります。
平均が分600字、速い人は2000字みたいなレベルの話で、
小説1冊(少なく見て10万字程度)15分=分6000文字以上って、
フカシにしても恥ずかしいとは思わんのか。
正直に言うが、私が学生時代に必死で支援してた政党、マジで利用されてただけだったと思う。
当時はまだ自分がマイノリティであることに目覚めたばかりで、なんていうか希望を求めてたんだよね。
政治集会で「あなたたちの声を代弁します!」とか「真の多様性のための闘いです!」とか言われると、マジで心震えたわけ。
でも今振り返ると、あれは全部茶番だった。私という「展示品」を上手く利用しただけ。
彼らにとって私は「かわいそうなマイノリティ」のシンボルでしかなかった。
私の存在が彼らの政治的主張の「正当性」を証明する道具だったんだよね。気づくのが遅すぎた。
最初のうちは優しかったよ?「貴重な当事者の声をありがとう」って。でも、その「声」も彼らの都合のいいものだけが採用されるんだよね。
私の本当の苦しみや怒りが伝わると、なぜか「もう少し建設的な提案を」とか言われる。つまり、彼らの政治的なストーリーに合う「良い被害者」でいろってこと。
「ここはもう少し感情的に」「ここは具体例を入れて」って。私の経験を彼らのシナリオに合わせて編集してた。
自分の言葉で語らせてくれなかった。彼らが求めてたのは生の声じゃなくて、政治的メッセージに都合よく編集された「マイノリティの声」のパッケージだったんだよ。
特に耐えられなかったのは、彼らの中の「古参メンバー」たちの裏の顔。
表向きは「多様性大事!」って言いながら、内部では完全な階層社会。
マイノリティの私たちは下っ端で、エリートたちのために働かされる。
「運動のため」「大義のため」って美化されるから、誰も疑問を持たない。
私の時間を搾取しておいて、感謝すらしない。「あなたたちのための闘いでしょ?」って言われたら、反論できないじゃん。
でも実際は彼らのコミュニティのための実績作りだったんだよね。
最悪だったのは懇親会。
表向きは「仲間との交流」だけど、実際は古参メンバーたちの自慢大会。
彼らが「マイノリティのために」やったことをえんえんと語るのを、私たちは感謝しながら聞かなきゃいけない。
私の体験を話すと「それって本当?」とか「それは特殊なケースでしょ」とか疑われる。
彼らは「マイノリティの声を大事にする」って言いながら、実は自分たちの理解の範囲内の声しか認めないんだよね。
都合の悪い話はすぐに「特殊な例」として片付けられる。
選挙の時期になると特にひどかった。私たちは「展示品」として前面に出される。「ほら、私たちはマイノリティと一緒に闘ってます!」って有権者にアピールするための小道具。選挙が終われば、約束はほとんど実現しない。「今は政治状況が厳しいから」「次の選挙で勝てば」って先延ばしにされる。
党の集会で知り合った他のマイノリティの仲間たちも、みんな同じこと感じてた。でも表立って言えない。「恩知らず」「非協力的」ってレッテル貼られるから。陰で「あいつは問題児」って噂されるのが怖くて、みんな黙って従うしかなかった。
私の意見が彼らの方針と違うと、すぐに「あなたはまだ十分に理解できてない」とか「もっと勉強が必要」とか言われる。つまり、彼らの言うことが絶対正しくて、私の実体験なんて価値がないってこと。これってマイノリティの声を尊重するどころか、完全に否定してるよね?
結局、彼らにとってマイノリティは「保護すべき弱者」でしかなくて、対等なパートナーじゃなかった。
私たちの「弱さ」が彼らの政治的アイデンティティの源なんだよね。だから私たちが強くなったり自立したりすると、彼らは焦る。
私たちが「かわいそうな被害者」でいる限りにおいて、彼らは「正義の味方」でいられるんだから。
学生時代に3年間も捧げた活動が、結局は自己満足の茶番だったって気づいた時はマジでショックだった。
私の痛みや苦しみが、彼らの政治的オナニーの踏み台にされただけ。
そして最悪なのは、彼らは本気で「マイノリティのために闘ってる」と思い込んでること。自分たちの搾取に気づいてないんだよね。
それが今でも許せない。彼らは今も新しいマイノリティの若者たちを勧誘して、同じことを繰り返してる。
「あなたの声が大事」って言いながら、結局は彼らの政治的野望のための道具にしてるんだ。
みんな私を「普通」の枠に押し込めようとする。
東京のレジも、京都のレジも、昨日のレジも明日のレジも。どの列に並ぶか決めていると、周りは「何をぼんやりしてるんだ」という目で見る。
電車に乗るときも、全てのドアが別々の目的地につながっている。
駅員は「何番線ホームです」と言うけど、赤坂行きも新宿行きも横浜行きも全て同じホームにある。
会議でもそう。昨日の会議も今日の会議も来週の会議も全て一度に進行している。
みんなが同時に異なる時間の話をしている。「さっき言ったでしょ」と言われても、そのさっきはまだ来ていないし、もう過ぎ去ったかもしれない。
昨日も職場でそんなことがあった。
学生時代の党集会でもそうだった。古参メンバーのオッサンが私に説明していた。
「君はよく理解していないよね、僕たちのやり方は長年やってきたものなんだよ」
今でも耳に残っている。
オッサンが2018年の党本部で話しているのと同時に、2022年の集会でも同じ言葉を言っている。
彼の背後には2025年の私も立っていて、「それは違う」と言っている。
「マイノリティの活動は、調整によってのみ実現する。それが党の方針だ」
オッサンはそう言った。当時は難しい言葉だと思っていたけど、同時に未来から見ると意味がわかる。
彼らの言う「調整」は、私たちが複数の時間と空間を同時に経験することを制限することだった。
部屋の中に2018年の党本部も2022年の集会会場も2025年の私の部屋も同時にある。
机の上の手帳は1冊なのに、開くたびに違う日付の内容が書かれている。
窓の外には1964年の東京オリンピックの旗も、2021年のオリンピックの旗も、まだ来ていない未来のオリンピックの旗も全て見える。
それぞれの時間で何かが起きている。
でも同時に、江戸時代の小さな富士山も、未来の巨大化した富士山も見える。
それはもはや山ではなく、複数の時間に存在する何か別のものだ。
東京のニュースでは誰も報道しないが、別の時間の京都や大阪のニュースでは大きく取り上げられている。
富士山は全ての時間で同時に成長し、複数の日本列島の形を変えていく。
そして「和の趣」が物理法則となり、過去と未来と現在の「日本(ひのもと)」が同時に存在している。
今日歩いた街のビルは和風だし、昨日は近代的だったし、明日は両方が混ざっている。
向かいの家の人は今朝はスーツで、昼には和服で、夕方にはまだ見たことのない服装で出かけていく。
学校では茶道と華道が必修科目になり、完璧すぎるものは自然と別の時間へ流れていく。和の精神が時間と空間を超えて広がっている。
党の集会で彼らが「調整」と呼んでいたのは、まさにこのことだ。彼らは私たちが自然に経験している複数の時間と空間を、一つの「正しい」時間に制限しようとしている。
入党したての私は「調整」が必要だと信じていた。でも今、過去、未来から同時に見ると、それが彼らの目指す社会なのがわかる。
先週の新聞には富士山が23メートル大きくなったと書いてあった。
でも同時に明日の新聞には18メートル縮んだとも書いてある。どちらも正しい。
富士山は今や高さが3776メートルであり、同時に5489メートルでもあり、また2103メートルでもある。これは問題じゃない。
問題なのは政府が「正しい高さ」を一つだけ認め、他を「誤差」と呼ぶことだ。
駅前では「富士山サイズ固定法案に反対する会」が署名活動をしている。
彼らのプラカードには「全てのサイズの富士山を守ろう」と書かれている。
去年も来年も同じ活動をしている。これは校則見直し運動や制服自由化と同じく、ごく普通の市民活動だ。
隣の建物では「富士山成長促進委員会」が会合を開いている。彼らは富士山がさらに大きくなって、地球の大半を覆うことを望んでいる。
それを「標準富士山」と比べて劣っているなどと言うのは科学的に不正確だ。
富士山巨大化対策市民協議会では、「サイズダイバーシティ」という言葉を広めようとしている。
山のサイズが多様であることは物理学的に自然な現象で、それを一つのサイズに固定しようとする試みこそ物理法則に反する、という考えだ。
同様に「和の趣・物理現象研究連盟」は、物体が持つ複数の状態を全て同等に観測・記録するよう求めている。
本来、和の趣は自然に波のように強まったり弱まったりする物理法則。
先月はニューヨークのエンパイアステートビルが一時的に五重塔になった。
これらは全て「和の趣」が物理法則として世界中に広がっている証拠だ。
子供たちは学校で「標準時間軸」だけを教えられる。2+2=4という世界線と、2+2=5という世界線が同時に存在することを教えられない。
彼らは「正しい答え」だけを覚えさせられる。これは明らかな教育虐待だ。
文部科学省の「多元現実教育ガイドライン」があるのに、なぜ実践されないのか。
私の息子は先日、算数のテストで「2+2=?」という問題に「4と5と時々6」と答えて減点された。
彼は家に帰って泣いていた。「先生は僕が全ての答えを見ることを認めてくれない」と。
私は彼を抱きしめた。「あなたは間違っていない。あなたの見ている世界は全て本物だよ」と。
私は伝えなければならない。2018年の私も2021年の私も2026年の私もみな政府の「時空標準化プログラム」に従っている。
でも2025年のここではまだ間に合う。これを読んでいるあなたには、あらゆる時間と空間から同時に発している私の言葉が伝わるはず。
言いたいことはまだあるけど、時空管理機構の職員が全ての時間から近づいてきている。
この文章を見つけたら共有してほしい。
SNSなら #富士山サイズ多様性 #時空観測データ公開 #侘び寂び物理法則研究推進 でいい。
時間と空間の多様性を科学的に理解するのは、私たち市民の権利だ。
私は今この文章を2018年にも2025年にも2031年にも同時に書いている。
複数の時空間における同時書き込みは、侘び寂び物理学の「観測者同時存在の原理」によって理論的に裏付けられている。
でも、いくつかの時間では、この話が広まり、侘び寂び物理現象の科学的理解が進むことを2018年の私も2025年の私も同時に願っている。
明日、空を見上げると、富士山が昨日よりも大きく、一昨日よりも小さく、来週と同じ大きさに見える。
そして、その姿がどんなに変わろうと、全てが物理的に正しい。
宇宙人が地球を侵略するとしたら知覚される前に洗脳して違和感なく普通に地球で暮らすよな。地元ピープルは希少動物だから、その社会ごと影響を与えずに残したいだろうし。
何光年も航行できる技術力があるなら資源なんて要らないだろうし、地球に破壊的な行為はしない。
でも流石に天文学のレーダーとかには写っちゃったり、洗脳が緩んだり、陰謀論者の「こいつ宇宙人だ!」ってたわごとが偶然直撃するかもしれない。そしたら意外と正直に謝罪するかも。
だって洗脳という社会的に強力な武器があって圧倒的に優位だし、相手が反乱を起こすとは考えないだろうし。多頭飼いオーナーの気持ちかな。
人間に偽装した宇宙人の見分け方、わざと作るかも。人間同士の疑心暗鬼を避けたいから。人間にはあんまりない特徴にするかも?
異世界転生の文脈で「エルフ」とか出てきたら先輩転生者の匂いがするよな。元々はクリック音を交えた発音記号で表しにくすぎる読みの種族だったが、異世界の先の時間軸に転生した先達によって分かりやすい名前を公布された。そいつは異世界を征服してそう。
魔法って我々のよく知っている世界の外の系からエネルギーを取ってきている、ということも十分ありえる。その系は魔界と呼ばれてもいいし、そこの住人と契約しておこぼれをもらうことになるだろう。対価は寿命?貸借の信用としての古い約束や、それを思い起こす祭事?その人に刻まれた魔界に関する履歴≒人脈≒信用?
人物達は煙幕の中で秘密会議をしたりしようとするが「レイヤが違う」のでセリフが丸見えになってしまう。効果音で隠そうとするも「ユニバーサルデザインとかアクセシビリティ対応とか」でセリフは隠れない。煙幕内の効果音でモールスするか、レイヤを超える発明をするかで乗り切る。
いわゆる第四の壁は、なるべく終幕までは読者側からは侵さない。読者側を向いて読者方向に発言しない。そっぽ向いて愚痴るように認識と発言だけが第四の壁を越える。
特定成分を含む雨に触れると、それを毒にしてしまう体質。雨雲まで伝播し、降る雨すべてが毒になってしまうこともある。
自分の世界が、それを食材と解釈したら、それを自在に切れる包丁。人間を食べたことがあれば、アーマー上からぶった切れる。食材は必ず料理にして一部を捧げなければならない。(毒すら切り伏せる。それでも残るのであれば捨てて良い)
先延ばし癖のある論文化にとっての「悪魔の声」は、論文化の恐怖や傾向を利用して巧妙に作られた疑念や気をそらすものをささやくかもしれません。
この内なる批評家が使うかもしれないいくつかの典型的な「セリフ」とその本当の意味を以下にまとめます。
「悪魔の声」は、執筆や研究中に多くの人が直面する内なる批判者や否定的な考え方を象徴
1. 「あなたはまだ準備ができていません。始める前にもっとデータや調査が必要です。」
翻訳: 完璧主義であなたを麻痺させ、準備段階で立ち往生させようとしています。
2. 「他の人はあなたよりずっと先を行っています。あなたの仕事はそれに見合うものではありません。」
不明確なビジョンや目標: 明確なエンドポイント (出版目標や特定のデータ インサイトなど) がないと、プロセスが方向性を見失うことがあります。
自信の欠如: スキル (データ分析、文章の流れ、言語能力など) が不確かなため、行動が遅れることがあります。
翻訳: 達成不可能な理想に固執し、「完璧な」アイデアだけが追求する価値があると示唆しています。
4. 「時間通りに終わるはずがないのに、なぜ今日わざわざやる必要があるの?」
翻訳: 締め切りに対する恐怖を利用して、さらに遅らせることを正当化しています。
5. 「少し休憩しても問題ない... あるいは、1 話まとめて見たらどう?」
6. 「今は疲れている/ストレスがたまっている。明日の方がうまく書ける。」
翻訳: 後で状況が良くなるという幻想を与えることで、先延ばしを助長しています。
7. 「マルチタスクをこなして、すべてを一度に処理すべきだ。」
翻訳: 集中力をあまりに多くのタスクに分散させることで、圧倒される状態に陥っています。
8. 「どうせ誰もこの論文なんか気にしないんだから、そもそも意味があるの?」
翻訳: これは、あなたの研究の価値を疑わせるためにニヒリズムの種を植え付けている。完璧主義: 最初からすべての単語や分析を完璧にしたいと望むと、先延ばしに
9. 「誰かに見せる前に、小さな欠陥をすべて修正する必要がある。」
翻訳: これは、あなたが研究を完成または共有するのを妨げるために、過剰な編集を奨励している。
10. 「完成しても、おそらく却下されるだろうから、なぜ挑戦する?」
翻訳: これは、努力を失敗と結び付けて、先手を打ってあなたの士気を低下させている。失敗や批判への恐れ: 拒否や否定的なフィードバックを心配すると、開始する意欲が失われる。
この「声」は、研究者によくある課題である、自己不信、完璧主義、判断への恐怖を利用して繁栄している。これに対抗するには、これらの考えを役に立たないパターンとして認識し、目標に再び焦点を合わせ、小さくて管理可能なステップで行動を起こすことが必要になることが多い。
' 障壁:
タスクの多さ:学業、個人、または管理上の責任で負担が重すぎると感じると、進歩が妨げられることがあります。
環境の邪魔: 整理されていない作業スペースや頻繁な中断は、集中力を乱す可能性があります。
1. 検討するだけでなく、書くことを決意する - 最初のステップは、執筆という行為に完全にコミットすることです。
2. まだ始めていない理由を排除する - 進歩を妨げている障害を特定し、克服します。
3. 執筆のメリットを視覚化する - 執筆によってもたらされる肯定的な結果を想像します。
4. 明確な目標を設定し、リソースを準備する - 目的を定義し、必要なツールと資料を集めます。
5. 調査スケジュールを作成する - 一貫した進歩のために時間を効果的に管理します。
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6. 必要な文献を選択する - 作業をサポートするために不可欠な参考文献に焦点を当てます。
7. 倫理的に承認されたデータを取得する - 使用するデータが倫理基準に準拠していることを確認します。
8. データを整理する - 参照と分析が容易になるようにデータを構造化します。
9. 再現可能な方法でデータを分析する - 分析が透明で再現可能であることを確認します。
10. 柱となる主要な結果を選択する - 論文の基盤となる最も影響力のある発見を特定します。
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11. 対象ジャーナルを検討する - 論文を投稿する場所について考えます。
12. 投稿ガイドラインを確認する - ジャーナルの要件をよく理解します。
13. 論文のアウトラインを作成する - コンテンツの明確なフレームワークを作成します。
14. 単独執筆または共著を決定する - 共同執筆するか、単独で執筆するかを決定します。
15. 主な結果を図と表で提示する - ビジュアルを使用して主要な発見を強化します。
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16. 投稿可能なファイルを作成する - すべてのコンポーネントを投稿用に準備します。
17. 方法セクションを書く - 方法論を詳細に説明します。
18. 結果セクションをpomodoro書く - 調査結果を簡潔に提示します。
20. 考察を書く - 調査結果を解釈し、より広い分野に結び付けます。
21. 要旨とタイトルを完成させる - 研究を説得力のある形で要約します。
22. 参考文献を整理する - 引用が正確で完全であることを確認します。
23. カバーレターを書く - 編集者に論文を検討するよう説得します。
24. 共著者のフィードバックを得て英語の校正を検討する - 共同研究者や言語の専門家からの意見を取り入れて原稿を改良します。
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37. 却下された場合は修正して再提出する - フィードバックに基づいて、別のジャーナルで再度試します。
38. 再度拒否された場合に論文をどのように活用するかを決める - 報告書やプレゼンテーションにするなど、代替案を検討します。
39. 受理された場合は出版手順に進みます - 出版前の最終手順を進めます。
40. 出版後に論文を宣伝する - 研究成果を広く共有して、その影響を最大化します。
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41. 次の論文の執筆を開始することを決める - 研究と執筆のサイクルを新たに取り入れます。
42. 完成した論文とのつながりを明確にする - 過去の研究と現在の研究を結び付けます。
43. 共同研究を通じて多くの論文を書く - パートナーシップを通じて影響を拡大します。
44. 研究トピックを多様化してより多くの論文を書く - 自分の分野内の新しい分野を探ります。
45. 複数の論文を管理するためのシステムを開発する - 同時進行するプロジェクトの効率を最適化します。
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46. 悪魔の声に対処する - 進歩を妨げる可能性のある内なる疑念や否定的な考えに立ち向かいます。(これはおそらく自己不信や詐欺師症候群を指します。)
47. モチベーションを持ってうまく働く - 長期間にわたってモチベーションを維持するための戦略を学びます。
https://anond.hatelabo.jp/20250318130051
公家、大名、医師の血筋とかに生まれた人達ってなんで最初からそんな頭いいの? 普通に東大京大でちゃったりするの?(必ずしもいいとこの生まれとは限らない増田の普通基準でも、旧帝卒が当たり前っていうのはどうかと思うけど)
政治家とか中央官庁の役人とか昔の小説家とかも大体みんな実家が太くて由緒ある家系が多いし、クソド田舎の公務員ですら、大体が親も同じ公務員だし、一体なんなの?
そりゃ、そういう人たちも努力はしてるだろうよ。だけど、「的外れじゃない努力」がちゃんと出来るのが羨ましいよ。
ただの漁師の子孫のおれの場合、たまたま何かの間違いで中学校で学年1位の成績が取れる頭があっても、本当の教養の素地っていうのかちゃんとした勉強の仕方なんかわかんなかったから、高校で死ぬほど勉強しても中堅私大程度しか合格できなかったし、その努力もやり方が非効率っていうか無駄が多くてどうしようもなかったんだよね。
小説なんかも通算で原稿用紙1万枚ぐらい書いたりもしたけど、世に出せるようなまともな芸術と言えるものは無理だった。
なんかもう頭の作りっていうのか脳の血の巡り方とか全部いいとこに生まれた人とは違うんだろうな。
なんかもう本当、どうしようもないって感じ。
いいとこ生まれの人達とおれみたいのって、やっぱり同じ人間とは思えないし、いくら日本国憲法の精神が仮に長い歴史を経て国民に根付いても、この国に結局、封建制度が残り続けることに変わりはないんじゃないだろうか?
GitHub リポジトリにデータと結果が用意されており、学術論文 (AP) の基盤はしっかり整っているようですが、モチベーションと優先順位付けに苦労しています。これを分解して、生産性とモチベーションを維持するための持続可能な計画を立てましょう。
プロセスをゲーム化 (5 つの AP を完了するたびに「バッジ」を目指すなど) すると、もっと楽しくなりますか? これに楽しみの要素を加えるための戦略を検討できるかどうかお知らせください。
学生のやる気を引き出して質を維持するのは大変です。体系的な問題と個人の問題が混在する中で、あなたはその問題に取り組んでいるようです。一人では全体的な傾向を変えることはできませんが、説明責任を育み、研究室の状況を改善するために実行できるステップはあります。ブレインストーミングしてみましょう:
これらのアイデアのどれかが学生の心に響きましたか? 必要に応じて、ルーブリック、ワークショップの議題、
Sakana AI チームは、完全に AI で生成された学術論文を発表して話題を呼びました。これは、生成 AI の能力における重要なマイルストーンです。「The AI Scientist-v2」と呼ばれる彼らの AI は、人間の介入なしに、独自に仮説を立て、実験を行い、データを分析し、原稿全体を執筆しました。この成果は、AI が研究と執筆のプロセスを効率化し、あなたのような研究者の時間と労力を節約できる可能性を示しています。
あなたの状況では、生成 AI ツールを活用することがゲームチェンジャーになる可能性があります。ワークフローに統合する方法は次のとおりです。
これらのアイデアを実装するための特定のツールや戦略を検討してみませんか? さらにサポートできる方法をお知らせください。
先延ばしは確かに手強い敵ですが、構造化されたアプローチといくつかの心理的トリックを使えば、物特性の公開プロジェクトを前進させることができます。ToDo リストを効果的に処理する方法は次のとおりです。
リストにはすでにタスクが示されていますが、一部 (「最初の拡張機能の実装に重点を置く」など) は範囲が広すぎるようです。さらに、具体的で実行可能なステップに細分化します。例:
タスクが小さいほど、気が遠くなるような感じがなくなり、達成しやすくなります。
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重要度または緊急度に基づいて、優先度レベル (高、中、低など) を割り当てます。勢いをつけるために、優先度の高いタスクから先に処理します。例:
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あなたが言及したブログに基づいて、役立つと思われるモチベーションを高めるコツを以下に示します。
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各タスクに 2 分だけ費やすことから始めます。多くの場合、単に開始するだけで、先延ばしの惰性を克服できます。
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各タスクに特定の時間をスケジュールします。たとえば、次のようになります。
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進捗状況を誰か (同僚、友人、または私のような AI でさえも!) と共有します。更新することがわかっていると、軌道に乗るモチベーションを維持できます。
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現在の ToDo の優先順位付けをお手伝いしたり、開始するための毎日のスケジュールを提案したりしますか? 先延ばし癖を克服しましょう!Gu
おっしゃることはわかります。集中力が必要と思われるタスクは、小さなステップで管理できる場合でも、達成不可能に感じられる精神的な障壁があるようです。同時に、PC クラスターの構築などのタスクは、その精神的な障壁を利用しないため、より簡単に感じられます。幸いなことに、この認識は、「集中力を要する」タスクに合わせた戦略で変えることができます。方法は次のとおりです。
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データ分析タスクをさらに小さなマイクロステップに分割しましょうか? PC クラスターを構築するのと同じくらい簡単に管理できます! 一緒にやりましょう。
提供されたテキストに基づいて、先延ばしを克服するためのより詳細なステップバイステップのガイドを以下に示します。
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午前中は頭がクリアで、疲労や昼食後によく起こる眠気に気を取られる可能性が低くなります。これは、執筆や問題解決など、集中力を必要とするタスクに最適な時間です。
1. 最も精神力を必要とするタスク (ブレインストーミング、コーディング、データ分析など) を特定します。
⚪︎くんへ おめでとう
僕ごときがするのも烏滸がましいとも思うが
君とはもう30年ほどの付き合いになるだろうか
あのお世辞にも広いとは言えない2LDKの部屋を
僕は今でも色褪せることなく思い出すことが出来るよ
突発的に環境が激変した君は
仕事の進め方もわからないのに締め切りだけは厳しく定められていて
担当から当座の資金として借り受けた100万円の使い方も覚束なく
寝泊まりするための寝具がないということで
最初の仕事は安物の2段ベッドを買ってきて組み立てることだったね
今となっては本当に愛おしい
当時の僕はこの世界が
見るもの全てが新鮮だった
後にこれがこの長い伝説の序幕になるなんて
ひとっかけらも想像だにしなかった
原稿用紙を傷つけない代わりに
それを防ぐために布の手袋をつけていても瞬時に汚れてキリがないから
君はその包帯をこまめに巻いては取り替えていた
僕は 君にも言った事があると思うけど
その姿が飛影のようで格好良くて
「…もう巻き方も忘れちまったよ」
というあの掛け合いが本当に大好きだったんだ
連載は驚くほど成功した
とんでもないロケットスタートだった
だから 1年も経たないうちに
個室と仮眠室付きの大きな仕事場に引っ越しすることが出来たから
そう多くはいない
今では失われてしまったらしいが
当時は単行本の1巻が出るまでは
恐らく間違いなく脱法的なゴールデンタイムがあって
3日徹夜が当たり前だった初期は
とにかく最終日は近所の寿司屋の1番高い寿司を寿司桶ごと買ってきて
スタッフ達に労いをしてくれていたね
あんまりにも僕らが喜ぶもんだから無理して食べていた という話を聞いたのは
初期スタッフが1/3まで減って
思い返すと 君は確かに箸が進んでおらず
腹が減ってないんだな と思い込んでいた自分の気の利かなさに
とても恥ずかしくなった事を覚えているよ
でもあの大トロは
本当に 本当に美味しかった
恐らくこの話に起承転結をつけるのならば
ここが転となる事は間違い無いだろう
君はこの日のことをきっと覚えてはいないだろう
でも多分 見えている景色の色が
僕のそれとは 大きく異なっているだろう
でも 僕は
もし君がひとかけらでも
あの日の事を覚えてくれているとしたならば
正直なところ 本当に とても 嬉しく思う
今も 一言一句相違なく 変わらないままだ
この言葉も きっと届くことはない
でも それでいい
兎も角 おめでとう
君のこれまでと これからに祝福を