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はてなキーワード: 外食とは

2025-04-14

インフレ外食厳しくなるが、賃貸キッチンは狭いままなのだろうか

まな板もおけないような狭いキッチンばかりだが・・・

何で食べるのが最後味噌汁を手前に置くの?

外食して定食頼むと必ず米の隣に味噌汁が置かれてる

米は分かる

おかずと一緒に食べるから手間

でも、味噌汁とか1番最後ら辺に食べないか

しか汁物奥の主菜取る時に零しそうでクソ邪魔

そして副菜が米の奥に置かれてる

寧ろ副菜が手前だろ

そう言うルールマナーなのかもしれないけど邪魔だなといつも思って、味噌汁副菜位置を逆にしてるわ……

2025-04-13

万博物価

2億円トイレ(実は高くない)もそうだが

他にも指摘する人が普段外食しているのか

グッズの値段やアーティスト作品価値価格普段から見ているのか

テーマパーク現在の入場料を知っているのか

等々…金銭感覚世間ズレの指数がわかるものになっている

コツは突っ込む前に相場を調べることです

2025-04-12

anond:20250412211257

外食なら見栄え用の服と恥をかかないためのマナー講座。あと高級スポーツカー必要だな。

anond:20250411191355

料理というのは馬鹿みたいに塩(調味料全般)をいれるもんなんだ。外食に近い味にしたいならね。

2025-04-11

20kg以上太った

157cm47kgの普通体型だった。

妊娠出産を経て53kgになったところ、産後うつにやられ抗うつ薬を飲み始めたらみるみる太って一年たたない内に73kgになった、デブになった。

持ってる服が一つも入らない。そして世の中に売ってる服もどれも着こなせない。すごいな、あんなに行ったショッピングモールが縁の無い空間になった。だってアローズシップスも何もかも入らない。

しまむらなんかの大きいサイズの服はどれもなんでかフェミニンフェミニンしてて、カジュアル服装してた自分髪型や丸メガネには全然無理。年齢的にも似合わない。

当然だが体重いし、三段腹だし、二の腕なんか足みたいだし。肩足立ちすると贅肉を支え切れなくてふらふらする風呂なんか入ると手が体に回りきらない気がする。ひでぇ。

デブがいっぱい食ってると思われたく無いから、外食も行きたくなくなった。

というか外に行きたくなくなった。

フェイスラインを失った顔に化粧も無駄に思えるし、本当に太るのって精神にしんどいんだな。

薬が変わって体重増加は止まったけど、鬱はまだ治ってないから、20kgのダイエットをする気力もない。辛い。

anond:20250411175515

とてもわかる

最近、急に満腹を超えて吐き気が来るようになってしまった

多分10分くらい置けばひと口いけるけど、その間ずっとスマホいじるのもな…と思って迷う

自分場合、恐らく外食の緊張が原因の一つで、住み慣れた家やチェーン店だとならないが、義実家でも発動してしま

anond:20250411174856

少食女性です。基本的外食ランチ1人前は食べきれない。

お腹いっぱいで限界、になるとひと口とかの単位ももう入らない。あとちょっとだなって自分でも思うけど無理。食後にその場で15分くらい休んでいいなら多少無理できるけど、そんな訳にいかないし。

残すのは申し訳ないので量を減らせない店は行きづらい。

anond:20250411180544

デスクワーク女性の1日の所要カロリーって1800kcalぐらい。

でも、ファミレスメニューなんか見たらわかるけど外食するとすぐ1000kcal越える。

朝食もしっかり食べたら500kcalぐらいいくから、ここで1500kcal。

成長期の高校生ならもうちょっとカロリー許容できるけど、どうせ放課後になんか甘いもの食べるじゃん?女の子おやつ主食だろ?

結局、逆算するとランチ分のカロリーは300kcalだから計算合うんだよ。

しかに夜にボリュームあるの食べると身体に悪いとは言うけど、現実問題デートとか飲み会とかでトータル600kcalに抑えるなんて無理なんだからランチで調整するしかない。

ちなみに、ランチ外食するときは夕食を粗食にして調整してると思うよ。

主婦の昼食も「残り物で適当に」って人が多いと思う。

食事の量のデフォルトが成長期の子どもとか男性なのでそうやって調整しないとどんどん太ることになる。

女子食事の残し方

純粋な疑問なんだけど、女子の皆さんって外食で残すのって割と頻繁にあることなんだろうか。

会社の昼休みによく近所のイタリアンに行くんだけど、あと数口くらいで完食、というレベルパスタご飯を残して帰る人が結構多い。

男の感覚だとそれくらいの量だったら食べきっちゃわない?となってしまうくらいの量。

もちろん体調とか腹のキャパとかで残すことは全然あると思うんだけど、もしかして「完食するのは恥ずかしい」みたいな概念持ってる人って割といたりしますか?

男が食事残す時ってよっぽどまずいかデカ盛り食べきれない時くらいなので、大盛りでもないものが残ってしまう条件が思いつかない。

うちの奥さんがなんでも完食派なのもあって興味と後学のためにお伺いしたいです。よろしくお願いいたします。

追記

はてな歴15年くらいだけど初めて増田追記します。

・満腹感が急に来る

自分じわじわ来る派だったのでこの視点はなかった。

調子よく食べてたけど急にウッとくるというなら食べるペースは予測しにくい。

無理して食べると具合悪くなりそう、というので手が止まるのも納得。

・加齢で量が食べられなくなった

多分これも前述のウッに近いものかも。どうしても「前は食べれたぐらい」の感覚で注文しがちだろうし、頭の感覚と実際の腹具合に齟齬が出ればそうなる。

外国マナー

いたことはあった。最近はSGDs的な意識中国は変わってきたっぽい?韓国美容目的そもそも少食の傾向がありそう。

韓国挨拶常套句として「飯食べてるか?」ってのがあるらしいけど、若いからしたら隔世の感あるかもしれん。

・体型維持や健康

質的に太りやすいとかを気にしてるならそうなりますよね。

食事に対するシビアさとかストイックさが必要な人もいるよね。糖質の「摂りすぎ」のキャパもみんな違うし。

増田は少し親の年が離れていてギリ昭和地方まれ、どちらかというと家や小学校は「残さす食べよう」教育世代

なので食べれないものそもそも頼まない、食べれるものを食べきるって意識ベースにあったので今回いろんな考え方が見えて勉強になりました。

かに今の学生さん前後くらいの人とたまに飯行ってもそんなに量食べる人あまり見ないんだよね。こっちが払ってるから遠慮はあるとは思うけど、自分たちの同じ頃と比べると1-2品は少ない感じ。

昔はよくインターネットオタクで「◯◯食べに行こうずwwwww」ってオフ会して色々食べてきたか外食って楽しいもの意識あったんだけど、自分が思ってるほどそんなに食事に執着してなかったり、制限かかってる人がいるかもというのは覚えておこうと思います

夫の給料がけっこう上がった

共働き子持ちアラフォー

急に夫の給料が年でいうと300万ぐらいあがった。もうあがらないと勝手に思っていた自分はびっくりした。

するとどうだろう、自炊が突然「本当に面倒臭いものになってしまった。私も働いていてそこそこもらっている中で日々子育て家事をまわしていたが、料理とそれにまつわる買い物へのストレスが倍増してしまった。年300あがったからといって全部外食にするわけにも、全部惣菜にするわけにもいかない。家事代行は性に合わない。

今日の夕飯、何にしよう。

>夫くんはとても良い人だし素晴らしい人だけど、愛着障害があり、安心感を感じリラックスできるのは外食した時だけ。外食けが一家族と暖かい交流ができた家庭出身者なので。

>一緒にいてもらう、何かを一緒にやるって言う体験を全く積めていないので、夫にとって共に何かをして時間を過ごすのは苦痛

ワイやんけ

親はワイと一緒に何かをやった、というつもりなんだろうけど、それはワイには苦痛しかなかった

やっとわかった

そばにいてほしくないね

一人にしてほしいね

今更同居なんてまっぴらごめんやねん

2025-04-10

日記

誕生日を迎えた。

が、おっさんなのでそんなにめでたくなく

またSNSで祝いの言葉もらうのはめんどくさいので

全てのSNSにおいて誕生日は出さないようにしてる。

けど家族にだけは祝って欲しいなーと思ってたり。

ところが妻は誕生日を忘れていた。ぎゃふん。(2年ぶり3回目)

あんだけもうすぐ46歳になっちゃうね〜おっさん〜、とか言うてたのに、当日忘れるか?

義母さんはなぜかきっちり覚えてくれていて

いつも軽いプレゼントをもらえる。ありがとう

義母さんからプレゼント渡しといてーと受け取った時に思い出したんだろな。

「ごめん、忘れてた」と夕方LINE

うちでは誕プレはもう無しで(欲しいものがない)ケーキだけ食う形だが

「帰りにケーキ買ってきて」と。

自分を祝うために自分ケーキを買うということでちょいモヤモヤ

百貨店にいくと暖房がきいていて暑く、とても気分が悪くなりケーキ気持ち悪く見える。

なにしてんだろほんま。

無理矢理選び電車に乗り、今これを書いている。

ケーキはそんな好きではなく、誕生日くらいに回らない寿司でも食べたいとこだが

子供生モノダメで妻も酒飲めない外食苦手で食べにいけない。

見る人によれば家族がいて幸せそうに見えるんだろうけど

自分積極的に祝ってくれるひとがおらず、なんかままならない感はある。

ゼネコンサブコンプラント大手「労基クソ食らえ。壊れるほど働け」←まあ分かる。30代1000万は必ず到達だし

外食小売大手←お前らは経営を舐めているのか?

2025-04-09

anond:20250408182718

>それまでの15日間が気になる。

冷蔵庫の中身無しで出力通常にするの無駄だと思ったから、1に落としてた!

ってのは冗談で、基本的外食かせいぜい引っ越し記念の宅配ピザで家で飯を食わなかった

休みの日は、栄養ビスケットをまとめ買いしてるので、それ食べて終わり

昨日はせっかくだからチョコモナカジャンボを買ってきて冷凍庫に入れたけど、まだ食べてない

冷蔵庫要らなかったか

外食ランチ500円って死滅した??

7年くらい前かな、働いてた会社メンバーで飯行って500円だったんだけど、「都内で500円安いですよねー」って言ってて

でも俺は少食だから基本500円ランチ高いと思ってたんだよね

今なら都内500円ランチ安いって思えるわ

ちな中華

2025-04-07

anond:20250407131754

回転寿司に限らず一人で外食する時はカウンター席の方が落ち着くので、テーブル席案内されてもカウンター席良いですか?って聞く

一人で食べている時に前が開けていると何か落ち着かない。あと、無駄ソファーのクッションが柔らかくて座りにくかったりするし

2025-04-06

anond:20250406004005

子なしならって前提で書くけど、

二日休みがあるんだったら翌日が休みの日は夜更かししてもいいだろ。世間の人がなぜ金曜日に飲み行ったり夕飯を外食にしたりするか考えてみてほしい。

それから、夜更かししてなくても、休日に7時〜8時起きはきついよ。30代でフルタイムで働いてたら休日に午後まで寝るのは普通

ただ次の日予定があるのに寝不足で出かけるのは体調的に心配なので、それはやめてほしいって話はありだと思う。

そんで家事負担で不満なら、家事分担話し合って嫁の分の家事は嫁がやるまでやらないようにする。絶対手を出さない。

増田勝手にやって内心不満を溜めてても、嫁は気づかないしやらない。人間ってそういうもの

実際に家事をやってないっていう結果のデータが目に見えてわかるようにしないと、家事が疎かになってるからゲーム制限してほしいって提案がしにくいってのもある。

あと増田趣味作るのをおすすめする。

トランプ支持者のポスト翻訳してみた

https://x.com/FedPoasting/status/1908020393404764408

2011年、私の祖父解雇された。

勤めていたのは、かつて「アメリカを偉大にしてきた」と言われたような、Whirlpoolワールプール)の製造工場だった。

金融危機の余波の中、経営陣はメキシコへの生産移転、つまり海外アウトソーシング決断したのだった。

閉鎖されたその工場は、延べ面積およそ112,000平方メートル――巨大な製造施設だった。

そして一夜にして、1,000人もの人々が職を失った。

その多くは、何十年もそこで真面目に働いてきた人たちだった。

祖父解雇された時、彼は57歳だった。

同じ工場で30年以上、黙々と働いてきた――

それが、パチン、と指を鳴らしたような一瞬で、すべて消えたのだ

私がまだ幼い少女だった頃――物心ついた頃からずっと、祖父は毎朝3時半に起きて、人口1,200人ほどの田舎から、車で40分かけて工場に通っていた。

それを毎日、30年間続けた。

1012時間の長いシフト勤務も多かったけれど、文句ひとつ言わなかった。

私は「ネイビー・ブラット軍人家庭の子)」として育ったから、祖父母と一緒に過ごせるのは夏の数ヶ月だけだった。

でも、覚えている。祖父は、わずかに残った体力をすべて使って、私たちと過ごしてくれた。

小川に遊びに行ったり、ツリーハウスを作ってくれたり、馬に乗ったり、「カウボーイとインディアンごっこ」をして遊んだりした。

小学校に入った頃から、毎晩、私は祖父と一緒にリビングソファに座って、ヒストリーチャンネルアニマルプラネットビル・オライリー番組を観ていた。

それから民主党が何をしてるかって話題で笑い合ってた――8歳の子なりに。

祖父祖母は、高校卒業してすぐからずっと一緒だった。

18歳そこそこで結婚し、1年も経たないうちに私のママを、そのすぐ後に叔母を授かった。

彼らは小さな自宅農場を営み、持ち物の多くをローンなしで所有していた。

しかったけど、土地を耕せるというのは、そういう状況に意味を与えるものだった。

祖母地元学校事務員として働き、祖父製造業の仕事で良い福利厚生を得ていた。

外食なんて、特別な日だけ。

マクドナルドに行けるのは、誕生日だけの特別イベントだった。

庭には1エーカー(約4,000㎡)の家庭菜園、数頭の牛。

夏の終わりには果物野菜を瓶詰めにして保存し、刻んだオクラブルーベリー、野生のイノシシや鹿の肉は、作業小屋の古い冷凍庫に詰めて凍らせていた。

飛行機に乗ったこともない、アーカンソー州の外に出たことすらほとんどない二人だったけれど、私のママと叔母を、大学、そして大学院まで通わせた。

借金を一銭も背負わせることなく――1990年代のことだった。

それなのに、57歳になった祖父は、1,000人の同僚とともに、まるでゴミのように捨てられた。

何十年もその会社に尽くしてきたというのに。

そして、彼らが与えられた「次の一手」は?

慰めの言葉は?

コードを学べ」

祖父祖母が生まれたのは1950年代

その頃、彼らの生まれ育った土地は、文字どおり“ワイルドウェスト”――開拓時代の名残がまだ色濃く残る地域だった。

子どもの頃、二人の家には水道がなかった。

井戸から水を汲み、火で沸かしたお湯をブリキの浴槽に入れて身体を洗い、トイレは外にある便所を使っていた。

つの教室しかない学校で学び、家族はみな、自分たち農場で育てた家畜を頼りに生きていた。

私の祖父母のような人々こそが、この国を築いたのだ。

子どもたちのために、この国を築いてきた。

けれど彼らが築こうとしたものは、株式ポートフォリオでもなければ、不動産投資資産でもなかったから――

彼らの家、彼らの地域社会を守るということは、ウォール街にとってもワシントンにとっても、壊しても痛みを感じるほどの「価値」はないと見なされていた。

から、無関心に、破壊された。

彼らが築いていたのは、「コミュニティ」だった。

誰もが、できる限りの手を尽くして、他の誰かを助けようとするような場所――

国際貿易政策CDO債務担保証券)なんて、遥か遠くの話でしかなかった。

だが、今のこの世界のありようでは、

どれほどの時間をかけて築いたものであろうと、

過疎地の小さな町や、人口の少ない州にある100年の歴史あるコミュニティは、

ほんの数ベーシスポイント(bips)の経済的利得のために、あっさりと犠牲にされるのだ。

それが「支配者たち」のやり方。

祖父2011年に無理やり引退させられた。

祖母はその後10年間、学校仕事を続けた。

けれど、祖父はまだ諦めていなかった。

飼っていたブランガス牛の群れを増やそうとした。

だが――残念なことに、牛の飼育はもう何十年も前から、収支マイナス商売だった。

Whirlpoolだけではない。すべての製造工場がそうだった。

2008年以降、閉鎖された工場で働いていた何千人という人々に、もう仕事は残されていなかった。

正直に、誠実に働いて生きる道は、風に吹かれるようにメキシコ東アジアへと消え去っていた。

残されていたのは、ガソリンスタンド、ダラージェネラルウォルマートレジ打ちだけ。

当時のウォルマートの時給は、7ドル25セントだった。

でも、ガソリンスタンド仕事すら、見つけるのが難しい。

人口1,200人のあの町の周辺には、ガソリンスタンドはたったの2軒しかない。

そのうちの1軒は最近潰れ、もう1軒はパキスタン人の家族経営している。

その結果、その町の世帯収入の平均は、今では年間3万ドルほど。

子どもの90%は「無料・減額の学校給食」を受けており、

残っている家庭のほとんどが州の援助に頼っている。

そして、オピオイドメタンフェタミンの乱用は、かつてないレベルにまで達している。

それでもなお、あの人たちは言うのだ――

コードを学べ(笑)」と。

軽蔑に満ちた顔で、嘲るように。

その一方で、喜々として、ろくにスキルもない安価移民を大量に受け入れ、

誰にも気づかれぬうちに、テック業界労働市場を潰していく。

私の家族は、1600年代までさかのぼる――

血と汗と涙をもって、この国を築き上げてきた。

何もない荒れ地から、土を起こし、何もないところから一つひとつ積み上げてきた。

想像を絶するほど過酷環境に、400年も生き抜いてきた。

病に、命を奪うような天候に、部族との争いに、裏切りに、そして無法の地という本質的危険と向き合いながら。

この国は――一つひとつ煉瓦が、この地球上で最も勇敢で、最も屈強で、最も忍耐強い人間たちによって積み上げられてきたのだ。

それなのに、ここ60年の間に起きたことは何だ?

象牙の塔にこもる学者気取りの詭弁家ども、ワシントン豚ども銀行業界のクズども――

そういった連中が、自分たちの口から出る唾で、我々の先人の名誉に、犠牲に、共同体に、人種に、信仰に――ありとあらゆるものに唾を吐きかけてきた。

それだけではない。彼らは、先人たちが築いた遺産のものにも、

の子どもたちにも、孫たちにも――

そして、本来受け継がれるべき権利にすら、平然と唾を吐きかけているのだ。

アメリカ政府と、その利害をともにする者たちがこの国の本来継承者に対して行ってきた――組織的裏切りという悪行に対して、

英語の語彙には、その凶悪さを正確に表現できる言葉すら存在しない。

この国を、神に見放された未開の地から掘り起こすために流された血は、確かにそこにあった――実在する、物質としての血だ。

血は、人と同じように「物質」だ。

国家とは、「人」で構成されている。

アメリカとは、“人々”のことなのだ。

理念」には血は流せない。

犠牲を払えるのは、人間だけだ。

から、「アメリカとは単なる理念だ」などと口にすることは、

本当に血を流し、命を捧げ、その結果として我々が今享受している「快適さ」や「贅沢さ」を築いた、

すべての者たちへの裏切りだ。

この60年間、あらゆる旧来の制度学術機関政府機関NGOは、過去10年の間ずっと、この国を築き上げてきた人々に対し、様々な言い回しで「本質的に」「根源的に」「存在のものが悪である」と言い放ってきた。

我々を「人種差別主義者」「強姦魔」「ジェノサイド加害者」「奴隷商人」「抑圧者」「山奥の未開人」「近親交配の成れの果て」「救いようのない堕落者」「クソ白人」――そう罵りながら、裏では密かに「余剰な生体資源」としての我々をどう始末するか、その計画を着々と練っていた。

だがアメリカ国民選挙という形で意思を示した。

代償を払ってもらう時が来たのだ。

製造業を国内に取り戻せ。

輸入品には容赦なく関税を課せ。

国境は封鎖しろ

不法滞在者は全員追放しろ

国家予算ぬくぬくと生きる、悪意に満ちたミュータントどもは一人残らずクビにしろ

そして、ドルを「世界基軸通貨」という地位から引きずり下ろせ。

我々、特に自らを“民族的な”ヘリテージ・アメリカンだと考える者たちは、短期的にどれほどの犠牲が伴おうが構わない。

それによって、自分たちが正当に受け継ぐはずだった遺産が焼き尽くされる様を、ただ黙って見ている必要がなくなるのなら――我々はその代価を喜んで支払う。

我々は、罪を犯した者たちがその報いを受けることを望んでいる。

首が飛ぶのを見たいのだ。

2025-04-05

アメリカ人トランプ関税を悪く言う人間はいない

Bugman Hegel

@FedPoasting

In 2011, my papa was laid off from a Whirlpool manufacturing plant, the kind that had for so long made America great. In the wake of the financial crisis, the C-suite had decided to offshore operations to Mexico.

The plant they shuttered was a 1.2 million sq ft manufacturing plant, and overnight, 1,000 people lost their jobs. Many of whom had been working there for decades.

My papa was 57 years old when he got laid off. He had worked at that very same plant for over 30 years, and snap just like that, it was all gone.

1/6

2011年、私の父は、長年アメリカを偉大にしてきたワールプール社の製造工場から解雇されました。金融危機を受けて、経営陣はメキシコへの事業移転を決定しました。

閉鎖された工場120万平方フィート製造工場で、一夜にして1,000人が職を失った。その多くは数十年にわたってそこで働いていた人たちだった。

父は57歳のとき解雇されました。父は30年以上同じ工場で働いていたのですが、突然すべてが消えてしまったのです。

1/6

When I was a little girl, from as far back as I could remember, my papa woke up at 3:30 am and drove the 40 minutes to the plant from the rural 1,200-person town every single day. And for 30 years, he worked what were often 10-12 hour shifts with no complaints.

I grew up a Navy brat, so I didn’t get to see my grandparents except for a few months during the summer, but I remember my papa exerting the last drop of his energy so he could spend time with us going to the creek, building us a tree house, riding horses, and playing cowboys and Indians.

Every evening, starting from when I was in grade school, my papa and I would sit in the living room and watch the History Channel, Animal Planet, and Bill O’Reilly and hee-haw together about what the Democrats were doing, as much as an eight-year-old can.

My papa and my nana had been together since they graduated high school; they got married at barely 18 and had my mom less than a year later and my aunt soon after that.

They had a small homestead, owned most of what they had outright, and they were poor, but poor doesn’t have to mean that much when you can work the land.

My nana worked as the local school’s secretary, and my papa had good benefits with his manufacturing job. They only ever went out to eat on special occasions. McDonald’s was a birthday-only type of affair. They had a one-acre garden, a few head of cattle, would can fruits and vegetables at the end of every summer, and freeze chopped okra, blueberries, meat from wild hogs and venison in an old chest freezer in the workshop.

私がまだ子供だった頃、物心いたこから、父は毎日午前 3 時半に起きて、人口 1,200 人の田舎から工場まで 40 分かけて車で通っていました。そして 30 年間、父は不満を言うことなく、10 時間から 12 時間シフト勤務をこなしました。

私は海軍の子供として育ったので、夏の数か月を除いて祖父母に会う機会はありませんでしたが、父が最後の力を振り絞って私たちと一緒に小川に行ったり、ツリーハウスを作ったり、馬に乗ったり、カウボーイやインディアンごっこをしたりして時間を過ごしていたことを覚えています

小学生の頃から、毎晩、私とパパはリビングルームに座って、ヒストリーチャンネルアニマルプラネットビル・オライリーを見て、8歳の子どもができる限り民主党が何をしているのか一緒に大笑いしていました。

私の父と祖母高校卒業して以来ずっと一緒にいました。彼らは18歳になるかならないか結婚し、1年も経たないうちに母が生まれ、その後すぐに叔母が生まれました。

彼らは小さな農場を所有し、所有物のほとんどを完全に所有していましたが、貧しかったです。しかし、土地を耕作できるなら、貧しいということはそれほど大きな意味を持つ必要はありません。

私の祖母地元学校事務員として働いており、父は製造業で良い福利厚生を受けていました。外食するのは特別ときだけで、マクドナルド誕生日しか行かなかったのです。彼らは 1 エーカー菜園と数頭の牛を飼っていて、毎年夏の終わりには果物野菜缶詰にし、作業場の古いチェスト冷凍庫で刻んだオクラブルーベリー、野生のイノシシの肉、鹿肉冷凍していました。

Despite never having been on a plane and seldom ever having been outside of Arkansas, they managed to put both my mom and aunt through college and graduate school without requiring them to incur even a dime of debt. This was the 1990s.

Then at the age of 57, my papa and 1,000 of his coworkers were thrown away like a piece of trash after giving that company decades of their lives. And what were they told to do? What was their consolation prize?

Learn. To. Code.

My papa and nana were born in the 1950s in a place that was quite literally the Wild West just mere decades before their birth.

Growing up, neither of them had running water—they drew water from a well, washed up in a tin tub heated over a fire, and went to the restroom in an outhouse. They were both educated in a one-room schoolhouse and both came from families that relied on their farm’s livestock to feed themselves. People like my grandparents built this nation. They built this nation for their children.

But because the thing they sought to build wasn’t a stock portfolio or real estate portfolio, the preservation of their homes and communities was not something that Wall Street nor Washington saw as having enough value to be anything more than apathetic about blowing up.

飛行機に乗ったことも、アーカンソー州から外に出たことがほとんどなかったにもかかわらず、両親は母と叔母を一銭も借金せずに大学大学院に通わせることができました。1990年代のことでした。

そして、父と1,000人の同僚は、57歳で会社に何十年も捧げた後、ゴミのように捨てられました。そして、彼らに何をするように言われたのでしょうか? 慰めの賞品は何だったのでしょうか?

Learn. To. Code

私のパパとおばあちゃんは、1950年代に生まれましたが、彼らが生まれるほんの数十年前までは、そこはまさに「ワイルドウェスト」でした。

両親ともに水道のない環境で育ったため、井戸から水を汲み、火で沸かしたブリキの桶で体を洗い、離れのトイレで用を足した。二人とも一教室の学校教育を受け、農場家畜に頼って食料を得ていた家庭の出身だ。祖父母のような人々がこの国を築いた。子供たちのためにこの国を築いたのだ。

しかし、彼らが構築しようとしていたのは株式ポートフォリオでも不動産ポートフォリオでもなかったため、彼らの家やコミュニティ保全は、ウォール街ワシントンにとって、破壊することに無関心以上の価値があるとは考えられなかった。

https://x.com/FedPoasting/status/1908020397842509905

2025-04-04

自炊するのが面倒な夜は外食して帰る

帰宅してシャワー浴びて

軽くポーハブでも見ながら

煮炊きする

今夜は鳥の水炊きたっぷり大根おろし添えて

2025-04-03

anond:20250403140135

ウェブブラウズ・決済・メールメッセージSNS電子書籍地図Uber Eatsあたりか。

ガラケーなんてウェブすらまともに見られなかったんだから絶対戻れねーわ。

あと外食スマホ注文とかも含めて「何かに参加するときスマホ認証する」みたいな例が多すぎてインフラ化してるなと思う。

貧乏人向け飲食店危険が危ない

くら寿司コンドームすき家ねずみ

そのうちマックサイゼリヤでもやらかすアホが出てくるだろう

貧乏人が集まる飲食店ではもう安心して食事はできない

もう貧乏人が入れない高級店しか信用できない

貧乏人は外食するな

道端にビニールシート敷いてコンビニ弁当でも食ってろ

anond:20250403090809

炊き立て冷凍した魚沼産コシヒカリのがその辺の外食の飯とかサトウのご飯より全然美味くて安いんっすよ

anond:20250402212435

愛されたいしずっと一緒にいたいしさみしがりだから普通に向いてないわ多分

最も向いてない人の性格をしている

男女どちらでもセフレ特殊性格人間のやることだと思ってね

友達になる か…

そもそも特定個人と話を繋げるのが苦手で… ワンチャン恋人になれる可能性にも賭けてとりあえず多くの女性と連絡取るしかいか

それでいうとどう考えても恋人になれそうにないから諦めてる女友達はいて、よく相談してるね。

紹介なんてされる気一切ないけど

女じゃなくても、普段さない感じの男でもなんでもいいかあんまり緊張しないで話せる人を作ってとりあえず雑談してみるといいよ

無理に異性に慣れなきゃ!って思うと空回りやすいか

自分はいろんな人に紹介打診されるけど別に紹介してもらうために仲良くなったんでなく仲良くなる→雑談がてら彼氏がいない話をする→え!?いい子いるよ!ってなる なので、普通に人と仲良くしてればいずれそういうチャンスがあるかも〜くらいの気持ちでいい

紹介してくれ!ってガツガツしてると逆に弾かれるかもしれない

交友関係の広い面倒見のいい人と仲良くなって上手くいかないんですよ〜とか彼女いないんですよ〜とかたまにぼやくくらいがちょうどいい

友達彼氏友達とかも打診がたまにあるんだけど

彼女が欲しいだけで増田ちゃんを大切にしてくれるかわかんないから断っといたよ〜」

って事前に防がれてることもあるから

てか自分めっちゃ紹介されまくってるのは6年彼氏がいないのにマジで1ミリも焦ってなくて毎日楽しいぴょ〜んと思ってたら周りが自分より焦ってるだけなのであんまり気にしないで欲しい

いい人として暮らしてたら紹介してもらえたりするよ、交友関係は広げることを意識するといいよってだけ

あと 増田はめちゃくちゃケチなこともあって美容院怖い外食はチェーンみたいな人間なんだよね。これが本当に直らなくて自分に金かかるのが苦手すぎるんだよね。そんな小細工してもカッコよくなる気がしないし

増田は今非常に視野が狭い状態なので、そういう殻を一度無理やり破壊して視野を広げる必要があると思う

チアプでマッチできた人をこの人しかいない!と思ってしまうのもそうだし、小細工しても…と思ってるのもそうだし

美容院メンズカットならレディースカットより1000円以上安かったりするしカラーしなければ意外と身構えるほどでもないよ

セットのやり方もわかんないんです…どうしたらいいか教えてください…て言ったら大抵の美容師さんは快く教えてくれる

ホットペッパー口コミ見て、悪い口コミにめちゃ反論してる美容院は大体地雷から感じの良さそうなところを探すといいよ

プロフィールシートなんてあるのか それは頼もしいね。ただ、そうなると面接みたいに事項聞くだけで全然広げられないかもしれない………

なんか自分の行ったやつは3周くらい?したから事項聞く→話広げる→話すことがなくなって相談タイムになる みたいになったよ

向こうもノウハウがあるからちゃんアナウンスとかしてくれるし

お姉さんって世話焼きの人多いのかな 俺もそんな人が大好きだから街コン行きたくなってきた

でもやっぱそうだよなー アラサーとかからみたいなのが多いよね。そもそも金もいから行く覚悟もないし…

自分アラサー増田だし、年下が悩んで頑張ってたらお姉さんが聞いちゃうもんね〜ってなる人は全然いるよ

でもそれは恋愛対象ではないがゆえという部分もあるので諸刃の剣かも

まともな社会人大学生に手を出さないからね(生活リズム価値観のすり合わせが大変だから

ただ趣味も半分辞めてて実家暮らしから貯金は地味に増えてきたか覚悟決めるしかいか……

チアプやった結果視野狭窄に陥ってるみたいだから、そんなんだったら1人とマッチできる街コン行ったほうがいいんじゃない?という感じなので、いっそマチアプも街コンも追い連絡も1回やめて美容院行ったり世界広げるほうがいいとも思うな

何人かとマッチできるってことは別に焦って自分磨きするほどやばくもないと思うんだけども、でも増田視野が狭くなる理由って自分に自信がなくて自分のことがあんまりきじゃないかマッチできた=自分のことを好きになってくれるかも!離しちゃダメだ!って思っちゃってるのかなって感じるのね

自分のことを愛する役割相手外注するとあまり健全関係を築けないから、まずは増田自分って結構いいじゃんと思えるようになってほしいかもな

これはただの体験談だけど、いい人なのに自信のなさそうな人って「自分ってほんとダメで…」みたいなことを言いがちで、マッチした相手がそうだと

「いい人だけど、私ずっとこの人のネガティブケアをしなくちゃいけないのかな」

って思ってしまうのね

自分アラサーで同じくらい〜ちょっと上の歳の人と会うから余計に「もうこの歳までこれなら一生直んないだろうな、一生これをケアする覚悟はないな」って思う

28超えてくると一生直んないだろうなこりゃ…って感じるから、早めに自分をいいじゃん🎶と思えるようになったほうがいいよ

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