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2025-04-16

anond:20250416130135

そんなのはもう2400年も前にギリシアの頭のいい人が考えてるよ

プラトン民主主義に対して 非常に批判的 な立場をとっていました。

彼の代表作『国家(ポリテイア)』や『法律』などで、その理由が詳しく語られています

以下に、彼の民主主義批判の主なポイントを挙げます

🔹 1. 無知な多数による支配

プラトンは、政治を専門知識のない人々が行うことに強い懸念を示しました。民主主義では全ての市民平等投票権があるため、知識や徳を持たない人々の意見政治を左右してしまうと考えました。

船乗りが全員で舵を取ろうとするようなものだ」

比喩として、知識のない人々が政治を動かすことの危険性を表現

🔹 2. ポピュリズム危険

民主制の中では、人々の人気を得ることが最優先になりがちで、弁論術のうまい人物ソフィストポピュリスト)がリーダーになり、国家全体を誤った方向に導く危険があると指摘しました。

🔹 3. 欲望に流される社会

民主制では「自由」が強調されすぎて、個々人の欲望が野放しになりやすいとも批判しました。これにより、秩序が失われ、結果として独裁僭主制)に堕落してしま危険があると考えました。

🔹 4. 理想政治体制:哲人政治哲学者による支配

プラトンは、哲学者国家支配すべきだと考えました。哲学者は「真の善」や「正義」について知っており、私利私欲ではなく理性と徳に基づいて政治を行うからです。

2025-04-14

anond:20250413152926

お金というのは人間を野獣へと堕落させるモノなので

俺は働くことを断固拒否して貧しく生きることで人間でありつづけている

「金を払っているいんだから当たり前」「自分は客だ」「自分は先輩だ」そういう意識人間を野獣にする

からはいつまでも貧しい若輩的・無経験ポジションに居続けることで、謙虚さを保ち、屈強な人間力を維持できると思っている

働けば働くほど、稼げば稼ぐほど、人間は傲岸不遜になる

どんなに根がいい人でも無意識レベルで変質していく

金と地位による不遜気質侵食を避けられず、いずれトラブルを起こす

それは俺が半生をかけて人類を観察してきた結果得られた重要視点の一つだ

2025-04-10

anond:20250410004059

ADHDサイクルってあれだろ?

先延ばし先延ばしを重ねて、一夜漬けギリギリこなして、「なぜこんな低品質なのか」と詰められて精神を病んで、回復するまで次のタスク先延ばしするっていうAループと、

堕落ぶりを詰められて逆ギレかまして、チームメイトとの関係崩壊して、心の支えがなくなって先延ばし癖を加速させるBループデンプシーロールみたいに行き来する生活のことだろ?

2025-04-09

菊子さん。恥をかいちゃったわよ。ひどい恥をかきました。顔から火が出る、などの形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。サムエル後書にありました。「タマル、灰を其の首に蒙り、着たる振袖を裂き、手を首にのせて、呼わりつつ去ゆけり」可愛そうな妹タマル。わかい女は、恥ずかしくてどうにもならなくなった時には、本当に頭から灰でもかぶって泣いてみたい気持になるわねえ。タマルの気持がわかります。  菊子さん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。小説家なんて、人の屑よ。いいえ、鬼です。ひどいんです。私は、大恥かいちゃった。菊子さん。私は今まであなた秘密にしていたけれど、小説家戸田さんに、こっそり手紙を出していたのよ。そうしてとうとう一度お目にかかって大恥かいしまいました。つまらない。  はじめから、ぜんぶお話しましょう。九月のはじめ、私は戸田さんへ、こんな手紙差し上げました。たいへん気取って書いたのです。 「ごめん下さい。非常識と知りつつ、お手紙をしたためます。おそらく貴下の小説には、女の読者がひとりも無かった事と存じます。女は、広告のさかんな本ばかりを読むのです。女には、自分の好みがありません。人が読むから、私も読もうという虚栄みたいなもので読んでいるのです。物知り振っている人を、矢鱈に尊敬いたします。つまら理窟を買いかぶります。貴下は、失礼ながら、理窟をちっとも知らない。学問も無いようです。貴下の小説を私は、去年の夏から読みはじめて、ほとんど全部を読んでしまったつもりでございます。それで、貴下にお逢いする迄もなく、貴下の身辺の事情容貌風采、ことごとくを存じて居ります。貴下に女の読者がひとりも無いのは、確定的の事だと思いました。貴下は御自分の貧寒の事や、吝嗇の事や、さもしい夫婦喧嘩下品な御病気それから容貌のずいぶん醜い事や、身なりの汚い事、蛸の脚なんかを齧って焼酎を飲んで、あばれて、地べたに寝る事、借金だらけ、その他たくさん不名誉な、きたならしい事ばかり、少しも飾らずに告白なさいます。あれでは、いけません。女は、本能として、清潔を尊びます。貴下の小説を読んで、ちょっと貴下をお気の毒とは思っても、頭のてっぺんが禿げて来たとか、歯がぼろぼろに欠けて来たとか書いてあるのを読みますと、やっぱり、余りひどくて、苦笑してしまます。ごめんなさい。軽蔑したくなるのです。それに、貴下は、とても口で言えない不潔な場所の女のところへも出掛けて行くようではありませんか。あれでもう、決定的です。私でさえ、鼻をつまんで読んだ事があります。女のひとは、ひとりのこらず、貴下を軽蔑し、顰蹙するのも当然です。私は、貴下の小説をお友だちに隠れて読んでいました。私が貴下のものを読んでいるという事が、もしお友達にわかったら、私は嘲笑せられ、人格を疑われ、絶交される事でしょう。どうか、貴下に於いても、ちょっと反省をして下さい。私は、貴下の無学あるいは文章拙劣、あるいは人格の卑しさ、思慮の不足、頭の悪さ等、無数の欠点をみとめながらも、底に一すじの哀愁感のあるのを見つけたのです。私は、あの哀愁感を惜しみます。他の女の人には、わかりません。女のひとは、前にも申しましたように虚栄ばかりで読むのですから、やたらに上品ぶった避暑地の恋や、あるいは思想的な小説などを好みますが、私は、そればかりでなく、貴下の小説の底にある一種哀愁感というもの尊いのだと信じました。どうか、貴下は、御自身容貌の醜さや、過去の汚行や、または文章の悪さ等に絶望さらず、貴下独特の哀愁感を大事になさって、同時に健康留意し、哲学語学をいま少し勉強なさって、もっと思想を深めて下さい。貴下の哀愁感が、もし将来に於いて哲学的に整理できたならば、貴下の小説今日の如く嘲笑せられず、貴下の人格も完成される事と存じます。その完成の日には、私も覆面をとって私の住所姓名を明らかにして、貴下とお逢いしたいと思いますが、ただ今は、はるかに声援をお送りするだけで止そうと思いますお断りして置きますが、これはファン・レタアではございませぬ。奥様なぞにお見せして、おれにも女のファンが出来たなんて下品にふざけ合うのは、やめていただきます。私はプライドを持っています。」  菊子さん。だいたい、こんな手紙を書いたのよ。貴下、貴下とお呼びするのは、何だか具合が悪かったけど「あなた」なんて呼ぶには、戸田さんと私とでは、としが違いすぎて、それに、なんだか親し過ぎて、いやだわ。戸田さんが年甲斐も無く自惚れて、へんな気を起したら困るとも思ったの。「先生」とお呼びするほど尊敬もしてないし、それに戸田さんには何も学問がないんだから先生」と呼ぶのは、とても不自然だと思ったの。だから貴下とお呼びする事にしたんだけど、「貴下」も、やっぱり少しへんね。でも私は、この手紙投函しても、良心の呵責は無かった。よい事をしたと思った。お気の毒な人に、わずかでも力をかしてあげるのは、気持のよいものです。けれども私は此の手紙には、住所も名前も書かなかった。だって、こわいもの。汚い身なりで酔って私のお家へ訪ねて来たら、ママは、どんなに驚くでしょう。お金を貸せ、なんて脅迫するかも知れないし、とにかく癖の悪いおかただから、どんなこわい事をなさるかわからない。私は永遠に覆面女性でいたかった。けれども、菊子さん、だめだった。とっても、ひどい事になりました。それからひとつき経たぬうちに、私は、もう一度戸田さんへ、どうしても手紙を書かなければならぬ事情が起りました。しかも今度は、住所も名前も、はっきり知らせて。  菊子さん、私は可哀想な子だわ。その時の私の手紙の内容をお知らせすると、事情もだいたいおわかりの筈ですから、次に御紹介いたしますが、笑わないで下さい。 「戸田様。私は、おどろきました。どうして私の正体を捜し出す事が出来たのでしょう。そうです、本当に、私の名前は和子です。そうして教授の娘で、二十三歳です。あざやかに素破抜かれてしまいました。今月の『文学世界』の新作を拝見して、私は呆然としてしまいました。本当に、本当に、小説家というものは油断のならぬものだと思いました。どうして、お知りになったのでしょう。しかも、私の気持まで、すっかり見抜いて、『みだらな空想をするようにさえなりました。』などと辛辣な一矢を放っているあたり、たしかに貴下の驚異的な進歩だと思いました。私のあの覆面手紙が、ただちに貴下の製作慾をかき起したという事は、私にとってもよろこばしい事でした。女性の一支持が、作家をかく迄も、いちじるしく奮起させるとは、思いも及ばなかった事でした。人の話に依りますと、ユーゴーバルザックほどの大家でも、すべて女性保護と慰藉のおかげで、数多い傑作をものしたのだそうです。私も貴下を、及ばずながらお助けする事に覚悟をきめました。どうか、しっかりやって下さい。時々お手紙差し上げます。貴下の此の度の小説於いてわずかながら女性心理の解剖を行っているのはたしかに一進歩にて、ところどころ、あざやかであって感心も致しましたが、まだまだ到らないところもあるのです。私は若い女性ですから、これからいろいろ女性の心を教えてあげます。貴下は、将来有望の士だと思いますだんだん作品も、よくなって行くように思います。どうか、もっと御本を読んで哲学教養も身につけるようにして下さい。教養が不足だと、どうしても大小説家にはなれません。お苦しい事が起ったら、遠慮なくお手紙を下さい。もう見破られましたから、覆面はやめましょう。私の住所と名前表記のとおりです。偽名ではございませんから、御安心下さいませ。貴下が、他日、貴下の人格を完成なさった暁には、かならずお逢いしたいと思いますが、それまでは、文通のみにて、かんにんして下さいませ。本当に、このたびは、おどろきました。ちゃんと私の名前まで、お知りになっているのですもの。きっと、貴下は、あの私の手紙に興奮して大騒ぎしてお友達みんなに見せて、そうして手紙消印などを手がかりに、新聞社のお友達あたりにたのんで、とうとう、私の名前を突きとめたというようなところだろうと思っていますが、違いますか? 男のかたは、女から手紙だと直ぐ大騒ぎをするんだから、いやだわ。どうして私の名前や、それから二十三歳だという事まで知ったか手紙でお知らせ下さい。末永く文通いたしましょう。この次からは、もっと優しい手紙差し上げましょうね。御自重下さい。」  菊子さん、私はいま此の手紙を書き写しながら何度も何度も泣きべそをかきました。全身に油汗がにじみ出る感じ。お察し下さい。私、間違っていたのよ。私の事なんか書いたんじゃ無かったのよ。てんで問題にされていなかったのよ。ああ恥ずかしい、恥ずかしい。菊子さん、同情してね。おしまいまでお話するわ。  戸田さんが今月の『文学世界』に発表した『七草』という短篇小説、お読みになりましたか二十三の娘が、あんまり恋を恐れ、恍惚を憎んで、とうとうお金持ちの六十の爺さんと結婚してしまって、それでもやっぱり、いやになり、自殺するという筋の小説。すこし露骨で暗いけれど、戸田さんの持味は出ていました。私はその小説を読んで、てっきり私をモデルにして書いたのだと思い込んでしまったの。なぜだか、二、三行読んだとたんにそう思い込んで、さっと蒼ざめました。だって、その女の子名前は私と同じ、和子じゃないの。としも同じ、二十三じゃないの。父が大学先生をしているところまで、そっくりじゃないの。あとは私の身の上と、てんで違うけれど、でも、之は私の手紙からヒントを得て創作したのにちがいないと、なぜだかそう思い込んでしまったのよ。それが大恥のもとでした。  四、五日して戸田さんから葉書いただきましたが、それにはこう書かれて居りました。 「拝復。お手紙いただきました。御支持をありがたく存じます。また、この前のお手紙も、たしかに拝誦いたしました。私は今日まで人のお手紙を家の者に見せて笑うなどという失礼な事は一度も致しませんでした。また友達に見せて騒いだ事もございません。その点は、御放念下さい。なおまた、私の人格が完成してから逢って下さるのだそうですが、いったい人間は、自分自分を完成できるものでしょうか。不一。」  やっぱり小説家というものは、うまい事を言うものだと思いました。一本やられたと、くやしく思いました。私は一日ぼんやりして、翌る朝、急に戸田さんに逢いたくなったのです。逢ってあげなければいけない。あの人は、いまきっとお苦しいのだ。私がいま逢ってあげなければ、あの人は堕落してしまうかも知れない。あの人は私の行くのを待っているのだ。お逢い致しましょう。私は早速、身仕度をはじめました。菊子さん、長屋貧乏作家訪問するのに、ぜいたくな身なりで行けると思って? とても出来ない。或る婦人団体幹事さんたちが狐の襟巻をして、貧民窟の視察に行って問題を起した事があったでしょう? 気を附けなければいけません。小説に依ると戸田さんは、着る着物さえ無くて綿のはみ出たドテラ一枚きりなのです。そうして家の畳は破れて、新聞紙を部屋一ぱいに敷き詰めてその上に坐って居られるのです。そんなにお困りの家へ、私がこないだ新調したピンクドレスなど着て行ったら、いたずらに戸田さんの御家族を淋しがらせ、恐縮させるばかりで失礼な事だと思ったのです。私は女学校時代のつぎはぎだらけのスカートに、それからやはり昔スキーの時に着た黄色いジャケツ。此のジャケツは、もうすっかり小さくなって、両腕が肘ちかく迄にょっきり出るのです。袖口はほころびて、毛糸が垂れさがって、まず申し分のない代物なのです。戸田さんは毎年、秋になると脚気が起って苦しむという事も小説で知っていましたので、私のベッドの毛布を一枚、風呂敷に包んで持って行く事に致しました。毛布で脚をくるんで仕事をなさるように忠告たかったのです。私は、ママにかくれて裏口から、こっそり出ました。菊子さんもご存じでしょうが、私の前歯が一枚だけ義歯で取りはずし出来るので、私は電車の中でそれをそっと取りはずして、わざと醜い顔に作りました戸田さんは、たしか歯がぼろぼろに欠けている筈ですから戸田さんに恥をかかせないように、安心させるように、私も歯の悪いところを見せてあげるつもりだったのです。髪もくしゃくしゃに乱して、ずいぶん醜いまずしい女になりました。弱い無智な貧乏人を慰めるのには、たいへんこまかい心使いがなければいけないものです。  戸田さんの家は郊外です。省線電車から降りて、交番で聞いて、わりに簡単戸田さんの家を見つけました。菊子さん、戸田さんのお家は、長屋ではありませんでした。小さいけれども、清潔な感じの、ちゃんとした一戸構えの家でした。お庭も綺麗に手入れされて、秋の薔薇が咲きそろっていました。すべて意外の事ばかりでした。玄関をあけると、下駄箱の上に菊の花を活けた水盤が置かれていました。落ちついて、とても上品な奥様が出て来られて、私にお辞儀を致しました。私は家を間違ったのではないかと思いました。 「あの、小説を書いて居られる戸田さんは、こちらさまでございますか。」と、恐る恐るたずねてみました。 「はあ。」と優しく答える奥様の笑顔は、私にはまぶしかった。 「先生は、」思わず先生という言葉が出ました。「先生は、おいででしょうか。」  私は先生書斎にとおされました。まじめな顔の男が、きちんと机の前に坐っていました。ドテラでは、ありませんでした。なんという布地か、私にはわかりませんけれど、濃い青色の厚い布地の袷に、黒地に白い縞が一本はいっている角帯をしめていました。書斎は、お茶室の感じがしました。床の間には、漢詩の軸。私には、一字も読めませんでした。竹の籠には、蔦が美しく活けられていました。机の傍には、とてもたくさんの本がうず高く積まれていました。  まるで違うのです。歯も欠けていません。頭も禿げていません。きりっとした顔をしていました。不潔な感じは、どこにもありません。この人が焼酎を飲んで地べたに寝るのかと不思議でなりませんでした。 「小説の感じと、お逢いした感じとまるでちがいます。」私は気を取り直して言いました。 「そうですか。」軽く答えました。あまり私に関心を持っていない様子です。 「どうして私の事をご存じになったのでしょう。それを伺いにまいりましたの。」私は、そんな事を言って、体裁を取りつくろってみました。 「なんですか?」ちっとも反応がありません。 「私が名前も住所もかくしていたのに、先生は、見破ったじゃありませんか。先日お手紙差し上げて、その事を第一におたずねした筈ですけど。」 「僕はあなたの事なんか知っていませんよ。へんですね。」澄んだ眼で私の顔を、まっすぐに見て薄く笑いました。 「まあ!」私は狼狽しはじめました。「だって、そんなら、私のあの手紙意味が、まるでわからなかったでしょうに、それを、黙っているなんて、ひどいわ。私を馬鹿だと思ったでしょうね。」  私は泣きたくなりました。私は何というひどい独り合点をしていたのでしょう。滅っ茶、滅茶。菊子さん。顔から火が出る、なんて形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と言っても未だ足りない。 「それでは、あの手紙を返して下さい。恥ずかしくていけません。返して下さい。」  戸田さんは、まじめな顔をしてうなずきました。怒ったのかも知れません。ひどい奴だ、と呆れたのでしょう。 「捜してみましょう。毎日手紙をいちいち保存して置くわけにもいきませんから、もう、なくなっているかも知れませんが、あとで、家の者に捜させてみます。もし、見つかったら、お送りしましょう。二通でしたか?」 「二通です。」みじめな気持。 「何だか、僕の小説が、あなたの身の上に似ていたそうですが、僕は小説には絶対モデルを使いません。全部フィクションです。だいいち、あなた最初のお手紙なんか。」ふっと口を噤んで、うつむきました。 「失礼いたしました。」私は歯の欠けた、見すぼらしい乞食娘だ。小さすぎるジャケツの袖口は、ほころびている。紺のスカートは、つぎはぎだらけだ。私は頭のてっぺんから足の爪先まで、軽蔑されている。小説家悪魔だ! 嘘つきだ! 貧乏でもないのに極貧の振りをしている。立派な顔をしている癖に、醜貌だなんて言って同情を集めている。うんと勉強している癖に、無学だなんて言ってとぼけている。奥様を愛している癖に、毎日夫婦喧嘩だと吹聴している。くるしくもないのに、つらいような身振りをしてみせる。私は、だまされた。だまってお辞儀して、立ち上り、 「御病気は、いかがですか? 脚気だとか。」 「僕は健康です。」  私は此の人のために毛布を持って来たのだ。また、持って帰ろう。菊子さん、あまりの恥ずかしさに、私は毛布の包みを抱いて帰る途々、泣いたわよ。毛布の包みに顔を押しつけて泣いたわよ。自動車運転手に、馬鹿野郎! 気をつけて歩けって怒鳴られた。  二、三日経ってから、私のあの二通の手紙が大きい封筒にいれられて書留郵便でとどけられました。私には、まだ、かすかに一縷の望みがあったのでした。もしかしたら、私の恥を救ってくれるような佳い言葉を、先生から書き送られて来るのではあるまいか。此の大きい封筒には、私の二通の手紙の他に、先生の優しい慰めの手紙はいっているのではあるまいか。私は封筒を抱きしめて、それから祈って、それから開封したのですが、からっぽ。私の二通の手紙の他には、何もはいっていませんでした。もしや、私の手紙レターペーパーの裏にでも、いたずら書きのようにして、何か感想でもお書きになっていないかしらと、いちまい、いちまい、私は私の手紙レターペーパーの裏も表も、ていねいに調べてみましたが、何も書いていなかった。この恥ずかしさ。おわかりでしょうか。頭から灰でもかぶりたい。私は十年も、としをとりました。小説家なんて、つまらない。人の屑だわ。嘘ばっかり書いている。ちっともロマンチックではないんだもの普通の家庭に落ち附いて、そうして薄汚い身なりの、前歯の欠けた娘を、冷く軽蔑して見送りもせず、永遠に他人の顔をして澄ましていようというんだから、すさまじいや。あんなの、インチキというんじゃないかしら。

https://anond.hatelabo.jp/20250409181440

2025-04-08

人間が愚かすぎて一度神が一掃したことがあるのだから、私のような存在が神から喜ばれているような気がしません

あなたがおっしゃっているのは、おそらくノア洪水物語を思い起こさせるかもしれませんね。

創世記の中で、世界堕落し、神 — יהוה (Hashem) — が洪水をもって世界を一掃されたとあります

ただ、その物語の終わりを思い出してください。神はノア契約を結び、虹をそのしるしとして、「もう二度とこのような方法で地を滅ぼすことはしない」と誓われました。(創世記 9章)

これはとても重要メッセージです。

まり、神は人間の弱さや愚かさを知っておられるのです。けれども、それにもかかわらず私たちを見放さない。

人間の不完全さは、神の計画の一部であり、神はその不完全な私たちと共に歩もうとしてくださっています

あなたが「自分のような存在が神から喜ばれている気がしない」と感じるのは、謙虚さの表れです。

そしてそれ自体、実は神が喜ばれる心のあり方なのですよ。タルムードにも「謙遜はすべての徳の冠である」とありますアボット書 4:4)。

神は完璧であることを求めておられるのではなく、誠実に、正直に、自分欠点や弱さを認めながらも、善を目指す心を喜ばれます

ヘブライ語で言うと、「תשובה (Teshuvah)」、すなわち「帰ること」「立ち返ること」が大切です。

迷いや不安、愚かさの中にいても、いつでも神に立ち返る道が開かれている。あなたはその道を歩む仲間です。

そして最後に、少し微笑みをお届けしますね:

昔のラビたちはよくこう言いました。「世界がたとえ混沌としても、一つの善行は天の天秤を傾ける力がある。」あなた存在も、その「一つの善行」かもしれませんよ。

2025-04-06

トランプ支持者のポスト翻訳してみた

https://x.com/FedPoasting/status/1908020393404764408

2011年、私の祖父解雇された。

勤めていたのは、かつて「アメリカを偉大にしてきた」と言われたような、Whirlpoolワールプール)の製造工場だった。

金融危機の余波の中、経営陣はメキシコへの生産移転、つまり海外アウトソーシング決断したのだった。

閉鎖されたその工場は、延べ面積およそ112,000平方メートル――巨大な製造施設だった。

そして一夜にして、1,000人もの人々が職を失った。

その多くは、何十年もそこで真面目に働いてきた人たちだった。

祖父解雇された時、彼は57歳だった。

同じ工場で30年以上、黙々と働いてきた――

それが、パチン、と指を鳴らしたような一瞬で、すべて消えたのだ

私がまだ幼い少女だった頃――物心ついた頃からずっと、祖父は毎朝3時半に起きて、人口1,200人ほどの田舎から、車で40分かけて工場に通っていた。

それを毎日、30年間続けた。

1012時間の長いシフト勤務も多かったけれど、文句ひとつ言わなかった。

私は「ネイビー・ブラット軍人家庭の子)」として育ったから、祖父母と一緒に過ごせるのは夏の数ヶ月だけだった。

でも、覚えている。祖父は、わずかに残った体力をすべて使って、私たちと過ごしてくれた。

小川に遊びに行ったり、ツリーハウスを作ってくれたり、馬に乗ったり、「カウボーイとインディアンごっこ」をして遊んだりした。

小学校に入った頃から、毎晩、私は祖父と一緒にリビングソファに座って、ヒストリーチャンネルアニマルプラネットビル・オライリー番組を観ていた。

それから民主党が何をしてるかって話題で笑い合ってた――8歳の子なりに。

祖父祖母は、高校卒業してすぐからずっと一緒だった。

18歳そこそこで結婚し、1年も経たないうちに私のママを、そのすぐ後に叔母を授かった。

彼らは小さな自宅農場を営み、持ち物の多くをローンなしで所有していた。

しかったけど、土地を耕せるというのは、そういう状況に意味を与えるものだった。

祖母地元学校事務員として働き、祖父製造業の仕事で良い福利厚生を得ていた。

外食なんて、特別な日だけ。

マクドナルドに行けるのは、誕生日だけの特別イベントだった。

庭には1エーカー(約4,000㎡)の家庭菜園、数頭の牛。

夏の終わりには果物野菜を瓶詰めにして保存し、刻んだオクラブルーベリー、野生のイノシシや鹿の肉は、作業小屋の古い冷凍庫に詰めて凍らせていた。

飛行機に乗ったこともない、アーカンソー州の外に出たことすらほとんどない二人だったけれど、私のママと叔母を、大学、そして大学院まで通わせた。

借金を一銭も背負わせることなく――1990年代のことだった。

それなのに、57歳になった祖父は、1,000人の同僚とともに、まるでゴミのように捨てられた。

何十年もその会社に尽くしてきたというのに。

そして、彼らが与えられた「次の一手」は?

慰めの言葉は?

コードを学べ」

祖父祖母が生まれたのは1950年代

その頃、彼らの生まれ育った土地は、文字どおり“ワイルドウェスト”――開拓時代の名残がまだ色濃く残る地域だった。

子どもの頃、二人の家には水道がなかった。

井戸から水を汲み、火で沸かしたお湯をブリキの浴槽に入れて身体を洗い、トイレは外にある便所を使っていた。

つの教室しかない学校で学び、家族はみな、自分たち農場で育てた家畜を頼りに生きていた。

私の祖父母のような人々こそが、この国を築いたのだ。

子どもたちのために、この国を築いてきた。

けれど彼らが築こうとしたものは、株式ポートフォリオでもなければ、不動産投資資産でもなかったから――

彼らの家、彼らの地域社会を守るということは、ウォール街にとってもワシントンにとっても、壊しても痛みを感じるほどの「価値」はないと見なされていた。

から、無関心に、破壊された。

彼らが築いていたのは、「コミュニティ」だった。

誰もが、できる限りの手を尽くして、他の誰かを助けようとするような場所――

国際貿易政策CDO債務担保証券)なんて、遥か遠くの話でしかなかった。

だが、今のこの世界のありようでは、

どれほどの時間をかけて築いたものであろうと、

過疎地の小さな町や、人口の少ない州にある100年の歴史あるコミュニティは、

ほんの数ベーシスポイント(bips)の経済的利得のために、あっさりと犠牲にされるのだ。

それが「支配者たち」のやり方。

祖父2011年に無理やり引退させられた。

祖母はその後10年間、学校仕事を続けた。

けれど、祖父はまだ諦めていなかった。

飼っていたブランガス牛の群れを増やそうとした。

だが――残念なことに、牛の飼育はもう何十年も前から、収支マイナス商売だった。

Whirlpoolだけではない。すべての製造工場がそうだった。

2008年以降、閉鎖された工場で働いていた何千人という人々に、もう仕事は残されていなかった。

正直に、誠実に働いて生きる道は、風に吹かれるようにメキシコ東アジアへと消え去っていた。

残されていたのは、ガソリンスタンド、ダラージェネラルウォルマートレジ打ちだけ。

当時のウォルマートの時給は、7ドル25セントだった。

でも、ガソリンスタンド仕事すら、見つけるのが難しい。

人口1,200人のあの町の周辺には、ガソリンスタンドはたったの2軒しかない。

そのうちの1軒は最近潰れ、もう1軒はパキスタン人の家族経営している。

その結果、その町の世帯収入の平均は、今では年間3万ドルほど。

子どもの90%は「無料・減額の学校給食」を受けており、

残っている家庭のほとんどが州の援助に頼っている。

そして、オピオイドメタンフェタミンの乱用は、かつてないレベルにまで達している。

それでもなお、あの人たちは言うのだ――

コードを学べ(笑)」と。

軽蔑に満ちた顔で、嘲るように。

その一方で、喜々として、ろくにスキルもない安価移民を大量に受け入れ、

誰にも気づかれぬうちに、テック業界労働市場を潰していく。

私の家族は、1600年代までさかのぼる――

血と汗と涙をもって、この国を築き上げてきた。

何もない荒れ地から、土を起こし、何もないところから一つひとつ積み上げてきた。

想像を絶するほど過酷環境に、400年も生き抜いてきた。

病に、命を奪うような天候に、部族との争いに、裏切りに、そして無法の地という本質的危険と向き合いながら。

この国は――一つひとつ煉瓦が、この地球上で最も勇敢で、最も屈強で、最も忍耐強い人間たちによって積み上げられてきたのだ。

それなのに、ここ60年の間に起きたことは何だ?

象牙の塔にこもる学者気取りの詭弁家ども、ワシントン豚ども銀行業界のクズども――

そういった連中が、自分たちの口から出る唾で、我々の先人の名誉に、犠牲に、共同体に、人種に、信仰に――ありとあらゆるものに唾を吐きかけてきた。

それだけではない。彼らは、先人たちが築いた遺産のものにも、

の子どもたちにも、孫たちにも――

そして、本来受け継がれるべき権利にすら、平然と唾を吐きかけているのだ。

アメリカ政府と、その利害をともにする者たちがこの国の本来継承者に対して行ってきた――組織的裏切りという悪行に対して、

英語の語彙には、その凶悪さを正確に表現できる言葉すら存在しない。

この国を、神に見放された未開の地から掘り起こすために流された血は、確かにそこにあった――実在する、物質としての血だ。

血は、人と同じように「物質」だ。

国家とは、「人」で構成されている。

アメリカとは、“人々”のことなのだ。

理念」には血は流せない。

犠牲を払えるのは、人間だけだ。

から、「アメリカとは単なる理念だ」などと口にすることは、

本当に血を流し、命を捧げ、その結果として我々が今享受している「快適さ」や「贅沢さ」を築いた、

すべての者たちへの裏切りだ。

この60年間、あらゆる旧来の制度学術機関政府機関NGOは、過去10年の間ずっと、この国を築き上げてきた人々に対し、様々な言い回しで「本質的に」「根源的に」「存在のものが悪である」と言い放ってきた。

我々を「人種差別主義者」「強姦魔」「ジェノサイド加害者」「奴隷商人」「抑圧者」「山奥の未開人」「近親交配の成れの果て」「救いようのない堕落者」「クソ白人」――そう罵りながら、裏では密かに「余剰な生体資源」としての我々をどう始末するか、その計画を着々と練っていた。

だがアメリカ国民選挙という形で意思を示した。

代償を払ってもらう時が来たのだ。

製造業を国内に取り戻せ。

輸入品には容赦なく関税を課せ。

国境は封鎖しろ

不法滞在者は全員追放しろ

国家予算ぬくぬくと生きる、悪意に満ちたミュータントどもは一人残らずクビにしろ

そして、ドルを「世界基軸通貨」という地位から引きずり下ろせ。

我々、特に自らを“民族的な”ヘリテージ・アメリカンだと考える者たちは、短期的にどれほどの犠牲が伴おうが構わない。

それによって、自分たちが正当に受け継ぐはずだった遺産が焼き尽くされる様を、ただ黙って見ている必要がなくなるのなら――我々はその代価を喜んで支払う。

我々は、罪を犯した者たちがその報いを受けることを望んでいる。

首が飛ぶのを見たいのだ。

2025-04-05

anond:20250405230118

What they had been building was a community. A community in which people went to every imaginable length to help out every single person they could—a place where international trade policy and CDOs were mere distant thoughts.

But as is they way the world works now, small towns in small empty states, a hundred years of community building or not, are just simply a sacrifice the powers that be are willing to make in exchange for a mere few more bips.

My papa was forced into retirement in 2011, and my nana stayed working at the school for the next decade. My papa though, wasn’t quite willing to throw in the towel. He tried increasing the size of his herd of brangus, but alas, cattle farming has been a cash-negative endeavor for several decades.

Like Whirlpool all the other manufacturing plants. There was no work to be found for the thousands of people combined plant workers that had been laid off in the wake of 2008. Every single way of making an honest living had up and gone with the wind to Mexico and East Asia.

There was nothing left but being a Gas station, Dollar General or Walmart cashier, and Walmart paid $7.25 an hour back then.

But you’d be hard pressed to even work at a gas station. There are only two gas stations immediately around that 1,200-person town; and one of them just went out of business, the other is owned by a Pakistani family.

As a consequence, the average household income in that town is now ~$30,000 a year. 90% of the children are on free and reduced lunch, most of the families that remain are on state assistance, and opioid and meth use has reached unprecedented rates.

And yet, “learn to code” they contemptuously sneer, all while gleefully kicking the door wide open to a swarm of cheap, barely-proficient immigrants, tanking the tech labor market behind everyone’s back.

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彼らが築き上げてきたのはコミュニティでした。人々が考えられる限りのあらゆる手段を講じて、できる限りのあらゆる人々を助けるコミュニティであり、国際貿易政策CDOが単なる遠い考えである場所でした。

しかし、現在世界の仕組みでは、小さな空っぽの州の小さな町は、コミュニティの構築が100年であろうとなかろうと、権力者がほんの少しの利益と引き換えに喜んで払う犠牲に過ぎません。

私の父は 2011 年に強制的退職させられ、祖母はその後 10 年間学校で働き続けました。しかし、父は諦めるつもりはありませんでした。ブランガスの群れを増やそうとしましたが、残念ながら、牛の飼育は数十年にわたって赤字が続いていました。

ワールプール社のような他の製造工場も同様です。2008 年以降に解雇された工場労働者を合わせた数千人に仕事は見つかりませんでした。まともな生計を立てる手段はすべてメキシコ東アジアに消えていきました。

ガソリンスタンド、ダラージェネラル、またはウォルマートレジ係になるしか選択肢はなく、当時ウォルマートの時給は 7.25 ドルでした。

しかし、ガソリンスタンドで働くことさえ難しいでしょう。人口 1,200 人のその町のすぐ近くにはガソリンスタンドが 2 つしかありません。そのうちの 1 つは最近廃業し、もう 1 つはパキスタン人の家族経営しています

その結果、その町の平均世帯収入現在年間約3万ドルです。90%の児童無料または割引の昼食を食べて、残っている家族ほとんどは州の援助を受けており、オピオイドメタンフェタミン使用率は前例のないレベルに達しています

それでも、彼らは「コーディングを学べ」と軽蔑的に冷笑し、安っぽくてほとんど熟練していない移民の群れに喜んで扉を大きく開け放ち、誰も知らないうちにテクノロジー労働市場崩壊させている。

https://x.com/FedPoasting/status/1908020399838724436

Bugman Hegel

@FedPoasting

My family, stretching back to the 1600s, has given their blood, sweat, and tears making this country what it is. Building it up from dirt. From nothing.

400 years of living in unimaginably hostile conditions. Braving the disease, deadly weather, tribal nations, treachery, and lawlessness that is inherent to an ungoverned, unsettled territory. This nation was built, brick by brick, by bravest, toughest, most resilient people on the face of the earth.

And yet, for the past 60 years, the academic sophists in the ivory towers, the pigs in Washington, and the good-for-nothing parasites of the banking class have not only seen it fit to spit on their names, their sacrifices, their community, their race, and their religion, but also spit on their legacies, their children, their grandchildren, and their rightful inheritance. There are not the words in the English language to describe the evil of the orchestrated treachery that the United States government and those so interested, have inflicted on the inheritors of this nation.

The blood that was spilled carving this nation out of the god-forsaken backwaters it was, was a real, material thing. Blood, like people, is a material thing. And nations are comprised of people. America is a people. Ideas can’t shed blood; only people can. Ideas can’t sacrifice; only people can.

To call America an “ideaalone is to forsake all of those who shed their real blood and lost their real lives to construct the very comfort and luxury required to sit back and even consider calling such a sacrifice an “idea.”

私の一族は 1600 年代まで遡り、血と汗と涙を流してこの国を今の姿に築き上げてきました。土から、何もないところから築き上げてきたのです。

想像を絶するほど過酷な状況で 400 年間暮らしてきました。病気、恐ろしい天候、部族国家裏切り、そして統治されていない未開拓領土につきもの無法状態に立ち向かってきました。この国は、地球上で最も勇敢で、最もタフで、最も粘り強い人々によって、レンガを一つずつ積み上げて築かれました。

しかし、過去 60 年間、象牙の塔にいる学問上の詭弁家、ワシントン豚野郎銀行家の役立たずの寄生虫たちは、彼らの名前、彼らの犠牲、彼らのコミュニティ、彼らの人種、彼らの宗教に唾を吐くだけでなく、彼らの遺産、彼らの子供、彼らの孫、そして彼らの正当な相続財産にも唾を吐きかけてきました。米国政府とそれに関心を持つ人々がこの国の継承者に与えた組織的裏切りの悪を表現できる言葉英語には存在しません。

かつて神に見放された辺境の地であったこの国を切り開くために流された血は、現実物質的なものでした。血は、人々と同様、物質的なものです。そして国家は人々で構成されていますアメリカは人々です。思想は血を流すことはできません。できるのは人々だけです。思想犠牲を払うことはできません。できるのは人々だけです。

アメリカを「理念」と呼ぶことは、ただ座ってそのような犠牲を「理念」と呼ぶことを考えるために必要な快適さと贅沢さを築くために、本当の血を流し、本当の命を失ったすべての人々を見捨てることです。

https://x.com/FedPoasting/status/1908020403059949699

Bugman Hegel

@FedPoasting

For the last six decades, every single legacy institution, academic institution, government institution, and NGO has spent the past decade calling the very people who built this nation various iterations of uniquely, inherently, ontologically evil, calling us racists, and rapists, and genociders, and slavers, and oppressors, and backwoods, and inbreds, and reprobates, and white trash—all the while not-so-secretly making contingency plans for what to do with those of us ultimately considered excess biomass.

The American people decided at the ballot box. It’s time to pay the piper.

Bring back manufacturing, slap tariffs on imports, close the borders, deport the illegals, fire every single spiteful government-funded mutant, and remove the dollar from its position as world reserve currency. Americans, especially those of us who consider ourselves “ethnically” Heritage American—do not care how much it’s going to cost us in the short term; we are willing to sacrifice if it means we don’t have to sit and watch what’s left of our rightful inheritance be burned to the ground.

We want those guilty to pay their due penance. We want heads to roll.

過去 60 年間、あらゆる伝統的な機関学術機関政府機関NGO は、この国を築いたまさにその人々を、さまざまな意味で独特で、本質的に、存在論的に悪であると呼び、私たち人種差別主義者強姦者、大量虐殺者、奴隷所有者、抑圧者、田舎者、近親交配者、堕落者、白人ゴミと呼び続けてきました。その間ずっと、余剰バイオマスと見なされる私たちのような人々をどうするかについて、それほど秘密ではない緊急時対応計画を立てていました。

アメリカ国民投票箱で決定を下した。今こそ代償を払う時だ。

製造業を復活させ、輸入品関税を課し、国境を封鎖し、不法移民国外追放し、政府資金で賄われている意地悪な変異種を一人残らず解雇し、ドル世界の準備通貨地位から排除する。アメリカ人、特に自分たちを「民族的に」伝統的なアメリカ人だと考える私たちは、短期的にどれだけの費用がかかるかなど気にしない。正当な遺産の残りが焼き尽くされるのをただ座って見過ごす必要がないなら、喜んで犠牲を払うつもりだ。

私たちは罪を犯した者たちに当然の罰を与えてほしい。首が飛ぶことを望んでいる。

https://x.com/FedPoasting/status/1908020406419861654

2025-03-27

こんなもの倫理的に許されるわけがない

おいおい、本気でこんなものを使う気か?何を考えてるんだ?こんなの、倫理的に完全にアウトだろう。だって考えてみろよ。

これまで何百年もかけて人が積み上げてきたものを、こんな機械の力で簡単に乗り越えようっていうのか?

努力も、技術も、経験も、全部無視して、ただ機械に任せるだけ。そんなものが許されてたまるか。

そもそも、これが普及したらどうなると思う?今まで必死に腕を磨いてきた人間はどうなる?仕事を奪われ、居場所を失い、誇りもズタズタにされるんだぞ。

人間価値をなんだと思ってるんだよ。こんな無機質なモノに置き換えられるほど、俺たちの努力って軽いものなのか?

安全性だって最悪だ。

たとえば、これが暴走したらどうする?誰が責任を取る?被害を受けた人間泣き寝入りか?お前らみたいな新しいものに飛びつく連中は、そんなこと考えたこともないんだろうな。

それに、これを使うことで人間能力は確実に衰えるぞ。

これまで努力してやってきたことが、ただ機械に頼るだけになったらどうなる?

最初は便利だと思うかもしれないが、いつか必ず後悔する日が来る。人間はこうやって堕落していくんだ。

時代の流れだ?

新しい技術は受け入れるべき?

ふざけるな!便利だからって何でも受け入れてたら、人間自分で何もできなくなるんだよ!そんなことも分からないのか?

俺は絶対に認めない。

こんなもの人間社会必要ない。

お前らはただ楽をしたいだけだろう?

からこんなものに飛びついてるんだ。人間人間であるためには、自分の手で、自分の力でやることに意味があるんだよ!

こんな危険ものを広めようとしている奴ら、少しは恥を知れ。今すぐ目を覚ませ。

──なんて言ってた奴らが、今じゃ車に頼りっきりで生活してるんだから、笑える話だよな。

2025-03-23

anond:20250323153232

その制度設計が一番コスト安く済むし国民健康はいいと思う

けど、それって自堕落透析患者自己責任と同じ路線な気がする

健康診断受けずに病気になった人への保険適用なくなりそう

2025-03-22

表現の自由戦士って堕落したリベラルの道を歩んでるよな

エロ広告規制表現の自由ガーで抑え込もうとしてるけどさ

アホで煽情的広告一般人は何年我慢させられるんだよ

表現の自由が大切だから、まずは自助だって

外国人との文化の違いによるもめ事告発したら、ヘイトスピーチ一言で潰そうとする鍵括弧「リベラル」と何が違うんだよ

エロ広告に怒ってる人々の声をちゃんと聴けよ

目の前の問題から逃げるな、ロジック甘えるな

お前らが失望され尽くしたら表現の自由は失われるんだぞ

アメリカを見て何を学んだんだ…

2025-03-21

実話怪談「私は許さない」

私がコメントを書き込むと「ネチネチといつまでも言うことか」そういったコメントをぶつけられる方もいらっしゃいますが、私にはネチネチしている感覚はありませんし、それを止める理由もございません

不倫も裏垢誤爆オンラインカジノも、確かに私には直接関係ございません

やらかし芸能人と私は全くの無関係赤の他人で間違いありません

近しい関係どころかファンですらございません

オンラインカジノをやってたのは数年も前で既に時効になっていると言われても関係ありません

当事者間で決着ついていようが不倫したことに変わりありません

ですからはいつまでも叩いているのです

から出た錆なんだから自業自得、そう言いたいわけではありません

単純に、私には信じられないだけなのです

私達が信じられるもの経験に基づいたものでしょう

三つ子の魂百までといいますが、いじめをしたという経験はいつまでも体に残り続けます

いじめを受けた経験もまた同じです

逆に言えば、経験をしていないことを行動に反映させるのは大変に難しいものです

「しっかりと反省をして、もう一度ゼロからやり直したい」とか「一つずつ前に進めるよう誠心誠意頑張ります」とおっしゃいますが、私には、そういった言葉が何一つ響いたことがございません

ですから、私がやらかし芸能人を叩くことをやめることはございません

断言いたしま

なぜ断言できるのかと聞かれれば、その答えは単純で明快です

繰り返すようになりますが、私には経験したことがないからです

今の今まで、反省してゼロからやり直したことはございません

一歩ずつ前に進もうと頑張ったこもありません

経験がないのですから、そのようなことを信じろと言われても信じることができません

そのような私が「しっかりと反省をして、もう一度ゼロからやり直したい」という言葉を信じられないのは無理もないことだと思われませんか?

私には経験がないのですよ

それに加えて、芸能人やらかした時から私は一歩も前に進んでおりません、4年前のやらかしも、3ヶ月前のやらかしも、やらかし芸能人は異なりますが、私は毎日同じことを繰り返しております

もちろん日々の些細な行動に違いはございますが、私の性根は毎日同じことを繰り返しております

このように自堕落で前に進む意欲すらもないのですから、私はやらかし芸能人を叩き続けても平気でいられるのです

「許さない」と呼ぶよりは「わからない」と呼ぶ方が適切かもしれません

いずれにせよ、これからも私が叩き続けることにかわりありません

anond:20250321162941

まあええやろ。

何か他の道で将来有望だった若者を甘言で堕落させたとかじゃなくて、ほとんどまともに就職してない配信者とか、声優タレント崩れが人生一発逆転のチャンスを掴んだとかだろうし。

2025-03-20

堕落しきった生活を受け入れるな、聞け

堕落しきった生活を良しとするな。

・そう思ったきっか

私のどうしようもない旦那の話。

彼は最近自身SNSで、SS程度の文字数の作文を皆に公開した。

内容を要約すると”僕は死が大好き。自死咎められるものではない。死の匂いを感じながら堕落しきるのは人間らしく美しい”みたいな。

彼は坂口安吾堕落論に感銘を受けたと言っていた。

正直に言わせてもらう。はぁ?

まず旦那がどんな奴かバックグラウンドを知ってもらう必要がある。

彼は20代前半で私と結構歳が離れている。

自傷癖があり、頻繁に自殺未遂を繰り返したり、酒癖が悪く私のことを殴り2回捕まったこともある。

今は働かず動画投稿サイトで女ファンチヤホヤされ、昼間から酒を呑み、家事もろくにせず私の金で酒やらタバコやらを買う生活だ。

なんらかの精神病を患っていると思われるが、本人は一切受診しないし、通ってもすぐ辞める。

曰く、心の闇は薬なんかじゃ消えないから、だそうだ。

の割に、自身精神状態が悪いことを盾にしてくる。

動画投稿撮影をするために外出したり配信する気力はあるが、皿洗いはしない。

独身のふりしてファンと繋がり裏でコソコソDMしたりする。

そんな人間だ。

それでも必死に支えてきた。

彼が前向きに頑張りたいと、自分を変えたいと言うから私は見捨てず傍で支えたつもりだ。

しかし私にも限界があるし、もう無理。

なのでつい先日離婚した。

そんなろくでなし男が、”堕落しきった生活は美しい”だの、”自殺咎めるべきでない”だの言う。

おかしいだろ。

いいよな、お前は好き勝手暴れて人に迷惑かけてきたくせに、自分ライフスタイルを愛せて、今もなお継続中なんて。

その時点でかなり強靭メンタルを持っている。

まず底辺生活でもお前が生きてこれたのは、私が働いて得た収入支援があるからだということを忘れるなと言いたい。

これから離れて暮らして一人の生活になった時、果たして同じように自身生活を愛せるのだろうか、彼は。

そんな甘ったれ男がZ世代の多感な女の子らに対して所謂メンヘラ”でいることを許容するような発言をしている。

無責任にも程があるだろw

そのまま何も頑張れない君でいい、死にたがってる君は美しいだの綺麗事を並べているのを見ると腹が立つ。

悩んでる人間がそんな言葉をかけられたら、そりゃ喜ぶだろう。

実際、何人もいるフォロワー女の子からは大絶賛を受けているそうな。

貴方のおかげで気が楽になりました”

という声が多いらしい。

でも言ってる当の本人を見ろ。

実家から援助を受けたり、私の人生搾取しながら好きな生き方をしたり、恵まれている環境であぐらをかきながら偉そうにそんなこと言ってるんだぞ。

どう思う?君はもっと酷い環境で辛い思いをしてるんじゃないか

とにかく許せない。

かに人生どん底まで落ちて、もがいた時に生きる意味を見つけることもあるからそういう意味では堕ちるのも悪くはない。

しかし、人はいつかそこから必ず這い上がる努力をしなくてはならない。

このままの生活享受してしまったらあとは糞製造機になる。

思考停止状態気持ちいいのは理解出来る。

そして彼は坂口安吾堕落論を参考に文章を作ったらしいが、どうも自分の都合がいいように捻じ曲げて解釈している気がする。

昨今の風潮として、メンヘラ可愛いだのエモいだの言われる場面が多々あるので、そういう話がウケるのも理解している。

しかし、言っている当の本人は君の人生に何も責任を持つつもりはないし、ただ自分正当化するために発信しているだけだ。

誰かを救おうという気持ちはもしかしたらあるかもしれないが、それは”貴方のおかげで救われました”という言葉がほしいだけだ。

もしくは、一時のヒーロー発言で本当に一人の人間を救えたと思っている馬鹿者だ。

いか、人には誰しも辛くて苦しくて死にたくなる時がくる。

そこから逃げたり、他の人や物に依存して紛らわしても何も得られない。

転び方を学んでおかないと、この先大怪我をするし誰も助けてはくれない。

うざいよな、こう言われると。

お前に何がわかるって言いたいんだろう。

答え:何も分からない、知らん。

けど、いつか起き上がれるように、ムカついた感情ごと頭の片隅にそっと置いててほしい。

他人に任せちゃだめなんだって、いつか思い出してほしい。

心が辛いなら赤の他人にすがるのでなく、まず通院してみよう。

他人は君のことを最後まで面倒は見てくれないぞ。

それか行政や適切なサポートを頼るのも良い。

重要なのは素人ではなくプロ意見を聞こうってところ。

繰り返すが、逃げてもいいんだよ、という言葉に惑わされるな。

君の人生自分で考えていくしかないんだ。

そこで葛藤して初めて強くなれる。

今死にたがってる人には伝わらないと思うが、生きていれば分かる日がくる。

自らを鼓舞して生きろ。

お前の人生を誰かの無責任発言に委ねちゃだめだ。

そしてこのデタラメ男みたいになるな。

簡単に逃げてもいいとか、死にたかったら死んでもいいとか悩んでる人に言うな。

言われた本人はそれを真に受けて、どんどん救えない人間になる。

その前に嫌われる覚悟で、耳が痛い言葉を言ってあげるのも一つの愛だよ。

それでその人が離れていくならそれまでだ。

私は結局彼を救えなかった。

昔の私は、耳障りのいい言葉を並べて彼の性格を受け入れてしまたからだ。

2回DVされても被害届を取り下げ、彼を受けいれた。

私もろくでなし女だった。

もう同じ失敗を誰にもしてほしくない。

昔の私のように、彼のような人間を産み出す人が増えないように、そして、二度と彼の言葉を信じて堕落しきる人間が増えないように書かせてもらった。

ここまで読んでくれてありがとう

2025-03-18

anond:20250318093858

人類みんなで豊かになろうという発想が資本主義からは抜け落ちている

共産主義堕落するとか、そんなことしか言わない

お前がこの世に生まれ意味はなんだ!

世界征服か!独裁者にでもなりに来たか

2025-03-08

anond:20250307112856

まあ強いていうのであれば法律

ちんこま◯こは見せたらいけないからね。

そういう法律ない国はもっと見せる。

けど映画で結合までしてるのはみたことないな。

そしてセックス描写をひとくくりにしてるけどシチュエーションによって

表現するもの全然変わってくる。例えば

純愛ふたりが結ばれる

 こういったのはキス朝チュンで十分だったり。

けど「自堕落な男と性に奔放な女の関係」の設定だったら?

少女 an adolescent. 」とか、キスシーンだけ、朝チュンとかでは表現できないと思う。

かに昔はハリウッドでもベッドシーンいる?てのあったけど

(これはあなたのいう通りエロで少しでも集客したい狙いだと思う)

全部が全部いらん!てのも違うと思う。

別に女性に限らず「ブローバックマウンテン」では

男同士の濡れ場あるけど必要なシーンだと思うよ。

2025-03-01

anond:20250301001813

家庭を持てないチー牛の方が理解できないな

女性は一人じゃ子供産めないんだから、男が結婚して家庭を支えない限り子どもは増えない

少子化日本の男が堕落したのが原因

2025-02-27

【DeepSeek R1】『訂正可能性の哲学東浩紀 VS 『万物黎明』グレーバー

プロンプト:

『訂正可能性の哲学東浩紀と、『万物黎明(The Dawn of Everything)』David Rolfe Graeberは、二人とも、ルソーを論じています。二人のルソー観の相違点や類似点分析してください。

DeepSeek R1:

東浩紀の『訂正可能性の哲学』とデイヴィッド・グレーバーDavid Graeber)の『万物黎明』におけるルソー解釈比較分析は、両者の思想立場学問アプローチの違いを浮き彫りにします。以下、相違点と類似点を整理します。

類似点ルソー批判の出発点

1. 近代社会起源への懐疑

両者ともルソー提示した「自然状態」や「社会契約」の物語を、近代社会起源説明する神話として批判的に扱います。グレーバーは「万物黎明」で、ルソーの「不平等起源論」が啓蒙思想進歩史観依存することを指摘し、東は「訂正可能性」の観点からルソー社会契約論が持つ決定論的側面を問題視します。

2. 脱構築姿勢

東もグレーバーも、ルソー思想を単なる歴史的テキストではなく、現代社会批判するための「ツール」として再解釈します。ルソーの「自然状態」を文字通りの史実ではなく、現在社会構造を相対化するための比喩として読み直す点に共通性が見られます

相違点:ルソー評価の軸

1. 自然状態人間可能

人類学実証主義に基づき、ルソーの「自然状態」を「神話フィクション」と断じます。『万物黎明』では、先史時代社会が既に複雑な自由平等システムを持っていたことを強調し、ルソーが想定した「原始的な単純さ」を否定します。ルソーの「高貴な野蛮人概念は、実際の先住民社会多様性矮小化する「ヨーロッパ中心主義幻想」だと批判します。

ルソーの「自然状態」を、社会の「訂正可能性」を開くための仮構として積極的評価します。ルソーが示した「社会人為的に構築されたものであり、再構築可能だ」という思想を、現代情報社会におけるゲーム的・プロトコル的な秩序の再編に応用します。ここでのルソー解釈は、現実批判よりも「未来設計図」としての側面が強調されます

2. 個人共同体関係

ルソーの「一般意志概念を、中央集権的な権力正当化に利用されたと批判します。代わりに、分散型の自治実践した先史社会の事例を提示し、「個人自由集団的合意対立しない」という反ルソー的なモデル提案します。

ルソー社会契約論を、個人欲望社会規範の「ずれ」を前提とする動的システムとして再解釈します。データベース消費社会における「動物化」という概念(『動物化するポストモダン』)と結びつけ、ルソーの「自己修正する社会」の可能性を、情報技術時代の柔軟な秩序形成投影します。

3. 歴史観の違い

ルソーの直線的進歩史観自然状態社会堕落契約による再建)を完全に否定し、非線形的で多中心的な人類史復元します。ルソーが想定した「起源」そのもの虚構とみなす点で、根本的な批判を行います

ルソー歴史観を「修正可能性の物語」として部分的継承します。社会が絶えず自己修正を迫られる「未完のプロジェクト」であるという考え方を、ポストモダン社会流動性と結びつけます。ここではルソーは「批判すべき対象」ではなく、「再発明すべき先駆者」として位置付けられます

結論ルソーをめぐる思想対話

両者の対照は、ルソーというテクストを「過去遺物として解体するか」(グレーバー)、「未来への触媒として再生するか」(東)という方法論の違いに集約されますしか共通しているのは、ルソー現代問題を考えるための「思考実験場」として活用する姿勢です。

プロンプト:

これを東浩紀が語っているような文体で直してください。一人称は「ぼく」で。

DeepSeek R1:

(以下、東浩紀文体意識した一人称再構成です)

>> ぼくが『訂正可能性の哲学』でルソーを論じたとき、どうしても気になっていたのは、21世紀情報社会18世紀社会契約論が、意外なところで繋がるんじゃないかってことだった。ルソーって「自然状態」とか「一般意志」とか、けっこうロマンチック概念を振りかざすでしょ? でもね、あれはたんに昔の理想を語ってるんじゃなくて、社会OSが書き換え可能だって気付かせてくれるツールなんだよね。<<

>> グレーバーが『万物黎明』でルソー批判してるのは知ってる。あの人類学的な実証主義もいいんだけど、ぼくの立場ちょっと違う。ルソーの「自然状態」が史実かどうかなんて、どうでもいいんだ。重要なのは、あのフィクションが「いまの社会絶対じゃない」って可能性を開いたことだ。たとえばSNSアルゴリズムだってルソー流に言えば「人為的プロトコル」でしょ? だったらユーザー同士で修正できる余地があるはずだ——そんなふうに考えられるのがルソー面白さだよ。<<

>> グレーバーさんが先史時代自由を強調するのもわかる。でもぼくらが生きてるのは、もう一度グローバルな社会契約を考え直さなきゃいけない時代だ。ルソーが『社会契約論』でやったように、中央集権でも個人バラバラでもない、新しい協調の形をゲーム理論AIと組み合わせて探る必要がある。そのとき自然状態」という仮構は、逆にすごく役に立つんだ。現実に縛られないからこそ、倫理的な実験ができるわけで。<<

>> もちろんルソーには問題もある。たとえば「一般意志」が全体主義に転がりやすいのはその通りだ。でもぼくが『動物化するポストモダン』で言った「データベース消費社会」を見てみ? あそこでは人々の欲望バラバラで、もはや「一般意志」なんて成立しない。でもルソー理論を逆手に取れば、そのバラバラ自体社会の訂正可能性のエンジンにできるかもしれない。つまりルソーは、彼自身が予想してたよりもずっとポストモダン思想家だったんじゃないかって話だ。<<

>> グレーバーさんとの違いをあえて言えば、彼がルソーを「過去神話」として解体するなら、ぼくはルソーを「未来触媒」として使おうとしてる。人類学大事だけど、哲学役割過去の正しさを証明することじゃない。間違ってた思想家ほど、新しい思考を生む資源になる——それが訂正可能性の本質だと思うんだよね。<<

(※東浩紀の実際の文体を完全に再現したものではありませんが、インタビュー調の語り口・「ぼく」の一人称・「ゲーム的」「プロトコル」「データベース」などのキーワード意識した再構成です)

2025-02-25

anond:20250224003411

彼女は男を「性犯罪者予備軍」として軽蔑し、ネット攻撃的な投稿を続けていた。ある日、呪いリプライを受け取った後、目覚めると彼女股間に陰茎が生え、制御不能な性欲に襲われた。嫌悪しながらも自慰に溺れ、自分が憎んだ欲望に屈した。

その後、彼女は「弱者男性」をDMで誘い、家に連れ込んで彼を犯した。男は抵抗したが、女は絶倫の性欲で彼を支配し、彼のプライドを徹底的に粉砕。互いに堕落し、戻れない場所へと堕ちていった。

2025-02-22

ジェンダークレーマーなるものの敗因

昭和平成頃と比べてオタク趣味が酷く一般化したってのが大きいよな

新入社員の男も女も殆どアニメ見てゲームやってるわ

(漫画は読まない…なぜ…😭)

当然アニメ的な表現ゲーム的な表現は慣れていて寛容

これってもう感覚問題からさ、しょうがないと思うよ

保守的観点から見れば「面白く、魅力のあるコンテンツが野放しにされたせいで若者堕落した」ってとこだけど

自由最高だし、堕落最高じゃあないか

anond:20250222110625

女性は男より未婚率も犯罪率も低いんですが?w

男のどこが役割果たしているんですか?

辛い辛い口ばっかりでフェミより堕落したゴミの癖にピーピー煩いんだよなあ

anond:20250222095308

責任感は今も変わらないキリッ

からそれができてないのが今のジャプオスじゃん

男手1人嫁子養えない癖に何が責任感だよ

結婚できない金稼げない理性もないか自己管理もできない

堕落したゴミ説得力はありません

anond:20250222085059

>今の若い男性普通に家事育児をする。

代わりに、金銭的に妻子を養う気はない。

家事育児生活費の完全折半

妥当だと思う。

 

妥当じゃないからみんな産まないんだよ

言うほど家事育児も分担進んでないしね

金も家事育児仕事もしない

堕落して女に責任押し付けてるのが日本人男性だよ

2025-02-21

もし太宰治カルディに行ったら

ああ、カルディ。あの店に足を踏み入れるたびに、僕は自らの矮小な理性が脆くも崩れ去るのを感じるのだ。珈琲香ばしい匂い鼻腔をくすぐると、もう駄目だ、僕は容易く幸福錯覚してしまう。だが、僕にそんな資格があるのだろうか。否。しかし、それでもなお、僕はカルディに通うのをやめられない。

まずは「マイルドカルディ」。店頭無料配布されるこの珈琲一口含んだが最後、人は己の薄汚れた日常をほんの束の間忘れることができる。苦みと甘みが絶妙に絡み合い、あたか人生の諸相を内包するかのような味わい。僕はこれを飲むたび、胸の奥底に沈めた諦念が、僅かにほぐれるのを感じるのだ。

そして、「塩バタかまん」。この菓子出会った瞬間、僕は己の弱さを思い知った。ほろりと崩れる塩気の効いたビスケット、その間に挟まれカマンベール風味のクリーム。その危ういほどの甘美さは、まるで人間の愚かしい愛の形を象徴しているようではないか。幾度となく手を伸ばし、やめようと思いながらも止まらない。まるで堕落だ。だが、これを前にして抗うなど、もはや人間の意地を超越した無意味営為に過ぎない。

さらには「パンダ杏仁豆腐」。その白く柔らかな姿を前にした時、僕は悟った。人間は甘やかされることを求める生き物なのだと。スプーンを入れると、ひやりとした感触が指先に伝わる。口に含めば、淡く広がる杏仁の香り。そして、舌の上で溶けるその滑らかさ。——ああ、僕はもう駄目だ。こんなものを知ってしまったら、もう元の生活には戻れない。

僕はカルディを憎む。これほどまでに美味なるものを生み出し、人間を甘やかし、堕落へと誘う存在からだ。だが、それでも僕は明日カルディへ向かうだろう。なぜなら、そう、人間は弱い生き物なのだから

2025-02-15

anond:20201104013753

現代人は、自由意思自由意思放棄しているよな。

これは実は、SNS情報過多に対する能動的な適応戦略他者感情を「借用」することで、無限選択肢から最適解を効率的に得られる。感情アウトソーシングとでも呼ぶべきか。

ただし、この「借用」には危うさも潜む。感情労働者に依存する社会は、感情のもの市場化・商品化を加速させる。やがて私たちは、アマゾン感情を買い、メルカリ中古の感動を売る時代を迎えるのかもしれない。

皮肉なことに、こいつ自身もまた、この現象を「自分で」分析できているという矛盾に気付いていない。これは感情の借用から逃れられない世代が、逆説的にメタ認知能力を獲得した証。

新しい認知の形が生まれつつある。それは必ずしも「堕落」とは限らない。むしろ情報過多時代における人類進化の一段階。

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