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はてなキーワード: 1990年代とは

2025-04-16

anond:20250416224423

ネット特に財政政策金融政策過大評価しがち

まるで日銀財務省を変えればバラ色みたいな極論が多すぎ

1990年代財政政策大盤振る舞い大減税も、2010年代異次元リフレーション金融政策万能論も忘れてしまっている

anond:20250416213526

日本マンゴー一般的に人気になり始めたのは、1990年代後半から2000年代初頭にかけてとされています

もともとマンゴー沖縄宮崎などの一部地域栽培されていましたが、1980年代まではまだ高級な輸入果物という位置づけで、一般家庭にはあまり馴染みがありませんでした。しかし、1990年代に入り、宮崎県がハウス栽培によって高品質な「完熟マンゴー太陽タマゴ)」をブランド化し始めたことで、国内産マンゴーが注目されるようになりました。

また、南国フルーツを使ったスイーツジュースが増えていく中で、マンゴーの濃厚な甘みと香りが人気を博し、コンビニカフェパフェなどのスイーツでも多く使われるようになりました。

まり1990年代後半から2000年代にかけて、宮崎産のブランド化とスイーツ市場での拡大がきっかけとなり、マンゴー日本で広く親しまれる果物になったのです。

2025-04-15

anond:20250414142109

1990年代BSD系に比べてLinuxなんちゃってUnixだと言われていたが、2020年代のいまやBSDの方が変わってなくて古臭いである

2025-04-14

anond:20250413180733

ポストアポカリプスって20世紀世紀末流行ったやつ。

いまさら新作つくったとことで、当時の劣化コピーしかならない。

当時は1990年代というリアル世紀末アポカリプス一種)で、

リアルタイムにその少しにありえそうな未来(だけど実際はあるわけない未来)を前提に作成したコンテンツだった。まさに「あのアッパー感」があった。

2025年の今じゃ、もうアポカリプスなんて時代遅れだし、陳腐しかないよね。

マッドマックスのFury Roadだろうが、アニメの終末系だろうが、大局的にみれば大して流行ってなくて

リアル世紀末体験した中年高齢者の一部が、懐かしいなーと当時を偲んでるだけだよ。

2025-04-13

anond:20250413205228

増田A

なんで日本人って経済学計算機科学ゴミなの?

ノーベル経済学賞チューリング賞永遠に取れなさそう

増田B

経済学に関してはマル経があまり流行りすぎた

ChatGPT、増田Bをファクトチェックして



増田Bの発言

経済学に関してはマル経があまり流行りすぎた」

についてファクトチェックすると、部分的事実に基づいていますが、現在の状況を説明するには不十分かつや時代錯誤です。詳しく見ていきましょう。

✅【事実の側面】

マル経マルクス経済学)」が流行した時代があったのは本当。

戦後から1980年代にかけて、日本大学特に文系学部)ではマルクス経済学(いわゆる「マル経」)が主流でした。

特に東京大学一橋大学京都大学などでは、経済学部の主流がマルクス派であり、近代的な数理経済学新古典派は「ブルジョア経済学」として軽視される傾向すらありました。

その影響で、日本経済学教育が数理的なモデル分析ミクロ基礎に弱いという批判はあったのは確かです。

❌【誇張・ミスリードの側面】

「だから今もゴミ」あるいは「ノーベル賞が取れない」原因をすべてマル経のせいにするのは無理筋

1990年代以降、日本経済学部も主流派経済学新古典派ゲーム理論行動経済学数理モデル)へと大きくシフトしています

現在日本トップ大学経済学教育は、世界基準と比べても大きな遅れはなく、特にマルクス経済学が主流という状況は 完全に過去のもの です。

したがって「マル経流行りすぎた」というのは、「過去歴史的事実」としては正しいが、「現在日本経済学の遅れの原因」とするのは不正確です。

🎓ノーベル経済学賞を取れない理由に関して

これは「日本人経済学者の国際的ネットワークの弱さ」「海外研究キャリアを築く文化が弱い」「学術英語力」など、構造的な問題関係しています

まり、「マル経流行たかノーベル賞が取れない」は因果関係としては 説明不足かつ時代遅れな言説 です。

✅まとめ:ChatGPTのファクトチェック評価

観点 評価 解説

歴史的事実 ✅ 正確 マルクス経済学一時的に主流だった

現状の説明不正確 今は主流派経済学が圧倒

因果関係 ⚠️ 誇張 マル経けが遅れの原因ではない

ノーベル賞との関連 ❌ 根拠薄弱 構造的な要因が多く、マル経との因果性は薄い

要するに、増田Bのコメントは「昭和脳」気味の懐古主義に基づいたツッコミで、現状に対する説明力としてはやや弱いです。ちょっと昔話に逃げてる感ありますね。

2025-04-12

テック右翼レッテル貼りを見ていると、1990年代PCオタク叩きを思い出す

昔はPCを持ってるだけでオタクキモイと叩かれたし排除された

今はAIを使いこなすオタクキモイと叩かれ排除されるのだな

まさしく歴史は繰り返す

アニメリメイクまで何年?

フルーツバスケット

2001年2019年 原作1998年

 

ダイの大冒険

1991年2020年 原作1989年

 

シャーマンキング

2001年2020年 原作1998年

 

うる星やつら

1981年2022年 原作1978年

 

るろうに剣心

1996年2023年 原作1994年

 

らんま1/2

1989年2024年 原作1987年

 

YAIBA

1993年2025年 原作1988年

 

思ったより法則がないな

さすがに30年開くとしんどくなるかな?

 

3×3 EYES 1987年

GS美神 1991年

そろそろ来るよな!?

 

逆に、あと5年くらいしたら原作1990年代リメイクが増えるんだろうか、何があったっけな

2025-04-11

過去アメ車を売れと圧力掛けた結果

1990年代にも日米貿易摩擦があり、アメリカは「アメ車買え」政治圧力を掛けた。その結果を書いていくよ。

 

既存販売店でアメ車販売チャンネルを作った

自動車というのはメーカーが作ってそのメーカーが売るんじゃなくて、自動車メーカーの子会社販売代理店ディーラー)を作ってそこが売るという形を取っている。

アメリカにあーだこーた言われた政府運輸省経由でこれらメーカーディーラーに働きかけ、それに各社が応じて協力して販売網でアメ車を扱うことにした。

 

GMシボレー

トヨタ系列カローラ店東京トヨペット店で販売特にキャバリエトヨタOEMとして販売していた(つまりシボレーバッジの代わりにトヨタバッジを付けている)。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%A8

右ハンドルあり。

2ドアクーペデザインはまぁまぁだが4ドアセダン凡庸デザインであまり売れず。だって凡庸ならカローラ買うよな。

トヨタキャバリエ」は2000年に終売、チャンネルも解消に。

 

クライスラージープ

ホンダプリモ店クリオ店ベルノ店販売右ハンドルあり。そもそも4WD車は豪州右ハンドル)での需要も大きく、更にジープは乗り降りが多い米国郵政向きに右ハンドル販売していた。

元々ジープチェロキーの人気は一定以上あったし、そこに右ハンドル仕様車ありでホンダが整備を受け持つとなればそこそこ売れる。更に300万円を切るグレードも投入された。

パジェロランクルハイラックスサーフなどの競合があるにも拘らず良く市中で見られた。

 

フォード

日産マツダ系列販売

特にイチ押しだったのがエクスプローラーで、今で言うSUV。というのも当時の日本ではステーションワゴンSUVタイプ流行していた。

だがここにはハイラックスサーフという強力ライバルがいた。日産テラノ三菱パジェロもいた。

そういう訳で販売は振わなかった。増田も見た事が無かった。だから右ハンドルがあったかどうかもチト分らん。

 

マツダ系列特筆すべきなのはフォードプローブ。これは2ドアクーペだが、90年代の「アメ車買え」圧力の前からマツダフォード提携していて、プローブを共同開発していた。マツダカペラというセダン/ワゴンがあったのだが、それをベースにしたクーペなんであるな。

特に2代目からエンジンマツダ製になったもんで、OHVが当たり前のアメ車にあってDOHCガンガン回るエンジンである。1万1千回転までキッチリ回せ。いや、そこまでは回らないが。

まりプローブの2代目はもうマツダライセンス車をフォードアメリカで作ってるのに近い。

てなわけで当然日本でもマツダ系列で扱いがあった。

これも右ハンドルありだ。そこそこ売れた。

97年で終売になってしまうが、後継車を作らなかった。故にその分の日本での販売チャンネルも失うことになる。

 

その他自力販促

 

政治圧力販売チャンネルごり押しした以外にも、普通販促活動などで売れたモデルもあった。

 

GMキャデラック・セビル

販売代理店ヤナセ

1992年からの4代目キャデラック・セビル結構造りがいいと評判で、燃費も滅茶苦茶悪いわけではなかった(但し日本車と比べ無い場合)。それまでのアメ車運転ガバガバ大味でハンドル遊び大きい、サスペンションがフワフワだったが、これをドイツ日本の高級車に寄せて来た。

同社は雑誌新聞に頻繁に広告を打ち、サザン桑田佳祐が出るTVCMも流した。結構攻めの攻勢だったわけ。

そういうわけでそこそこ売れた。4代目は右ハンドル無し、1997年からの5代目には右ハンドルがあり、しか運転ポジションが変にならないように調整されていた。

だが同社はこの5代目でキャデラック・セビルを終売にしてしまう。更に販社を現地法人方式にしてヤナセ扱いを外してしまう。「継続は力」を知らんのか…

 

フォードトーラス

ロボコップパトカーの車。それのステーションワゴンが人気があった。当時の日本ではスバルレガシーステーションワゴンの人気がすごく、それのアメリカ版としてトーラスワゴンが売れていた。

本音ではみんなカプリス(アメリカパトカーの車種)ワゴンが欲しかったみたいだが何せデカい。日本で転がせる気がしないし駐車場に入らない。そこで常識サイズトーラスで妥協してたって感じ。

 

ポンティアックグランダム

3ナンバーサイズの中型セダンスズキ系列でも扱いがあったという記述がみられるが増田は見た事がない。本当にあったのか?

メインの代理店ヤナセで、サイズも手頃、エンジンDOHC日本車と遜色ないので割と売れた。

しかし3ナンバーセダンのこの車がアメリカだとコンパクトカー扱いなのだ

 

シボレー・アストロ

ミニバン。と言っても日本車と比べたらデカバンだ。

これが売れる原因を作ったのは所ジョージだ。所は90年代からライフスタイルリーダー」となっていて、『デイトナ』という雑誌を発刊、古い日本車やアメ車を中心にした西海岸カジュアルファッションを発信していた。あとはネコパブリッシング雑誌の影響もある。

その中で推されていたのがアストロで、日本運転するにはデカいこのミニバン結構売れた。ヤナセ扱い。

ちなみにこいつはアメ車品質故障が多い。

 

まとめ

こういう感じで、政治圧力90年代販売チャンネルが増えたのだが、アメ車メーカーはそのチャンネルを維持してきていないのだ。維持とはそのままってだけじゃなくて、仕向国でマーケティングを行い、広告も打ち続けるって事だ。つなりは普通日本企業が行っている事と同じ事をやっているかって事だ。

 

更に、見て判る通り、アメ車メーカー90年代から既に、「アメリカ生産して輸出する」ってビジネスから脱しているのだ。OEMにしたり、半ばライセンス生産技術力をカバーして(プローブのエンジンなど)日本に輸出したりしている。やる気がある車種では右ハンドル生産している。

から現況は、2000年からアメ車メーカー日本市場を諦めてしまったという状態になっている。

しか日本市場はJDM(Japanese domestic market)として、かなり特殊ガラパゴス市場であった。更にデフレの進行によりこの傾向が強まっていて、継続的にJDMにアタッチしていないと参入難しいのだ。

 

アメ車って小型車無いの?

あるんですよ。韓国ではGM大宇グループの合弁で小型車を作っている。車格としてはアクアとかシビックの大きさ。

更にその車種を中国市場で展開するという事をしている。

だったら日本でもその車種売ればそこそこ売れるんじゃね?となるのだがやらないのだな。右ハンドル化しないといけないが。

 

アメ車ってネジなどの規格がインチなんでしょ?

それはもう大分からメートルミリ)規格になっている。というか、車種によっては使われている場所によって混在しているからそれがややこしい。

というのも、カナダメキシコ豪州でもアメ車は売れていて、その国はメートル法なのでインチネジはめんどくさいワケです。更に整備書の記述インチ準拠なのも面倒とトラブルの元。

から国際モデルを中心に脱インチが進んでる。

 

右ハンドルあるの?

豪州(右ハン)市場があるから豪州向けモデルがある車種には右ハン設定されてる。だから右ハンドルを作らないほど企業努力してないというわけじゃない。そこはBig3ちゃんとしてる。ただ、その右ハン車種が日本市場マッチしてるかっていう問題がある。

 

グローバル展開

トランプ政権メキシコ部品作ってるのが怪しからん、国内に戻す為に関税掛けるのだと言ってるが、それはオフショアが安く付くってだけじゃなくて、グローバル展開していてその一環でメキシコ工場があるって状態なのだ

韓国中国タイインドイタリアにも工場があるし、そのサプライチェーン国際的に展開している。

ホンダスーパーカブ日本で作っていて1000万台ほど売れたが、中国ベトナムなどで現地生産を始めると猛烈に販売台数が伸びて1億台以上になった。それをやるのが企業努力であったし、今更日本浜松和光に戻せって言われたら、9000万台の需要どうするの?って事になる。

トランプ政権の言ってるのはこういう事であって、今更何を言っているの?という感じ。

あと、メキシコアメ車の主要な市場であって、物価の違いから純US産アメ車が出来たとしても価格面メキシコでは売れません。

1970~80年代前半の常識で今の車ビジネス擁護されてもBIG3も困るんじゃないかな?政権の中に新聞経済面ちゃんと読んでる人が居ないような感じがする。

2025-04-06

トランプ支持者のポスト翻訳してみた

https://x.com/FedPoasting/status/1908020393404764408

2011年、私の祖父解雇された。

勤めていたのは、かつて「アメリカを偉大にしてきた」と言われたような、Whirlpoolワールプール)の製造工場だった。

金融危機の余波の中、経営陣はメキシコへの生産移転、つまり海外アウトソーシング決断したのだった。

閉鎖されたその工場は、延べ面積およそ112,000平方メートル――巨大な製造施設だった。

そして一夜にして、1,000人もの人々が職を失った。

その多くは、何十年もそこで真面目に働いてきた人たちだった。

祖父解雇された時、彼は57歳だった。

同じ工場で30年以上、黙々と働いてきた――

それが、パチン、と指を鳴らしたような一瞬で、すべて消えたのだ

私がまだ幼い少女だった頃――物心ついた頃からずっと、祖父は毎朝3時半に起きて、人口1,200人ほどの田舎から、車で40分かけて工場に通っていた。

それを毎日、30年間続けた。

1012時間の長いシフト勤務も多かったけれど、文句ひとつ言わなかった。

私は「ネイビー・ブラット軍人家庭の子)」として育ったから、祖父母と一緒に過ごせるのは夏の数ヶ月だけだった。

でも、覚えている。祖父は、わずかに残った体力をすべて使って、私たちと過ごしてくれた。

小川に遊びに行ったり、ツリーハウスを作ってくれたり、馬に乗ったり、「カウボーイとインディアンごっこ」をして遊んだりした。

小学校に入った頃から、毎晩、私は祖父と一緒にリビングソファに座って、ヒストリーチャンネルアニマルプラネットビル・オライリー番組を観ていた。

それから民主党が何をしてるかって話題で笑い合ってた――8歳の子なりに。

祖父祖母は、高校卒業してすぐからずっと一緒だった。

18歳そこそこで結婚し、1年も経たないうちに私のママを、そのすぐ後に叔母を授かった。

彼らは小さな自宅農場を営み、持ち物の多くをローンなしで所有していた。

しかったけど、土地を耕せるというのは、そういう状況に意味を与えるものだった。

祖母地元学校事務員として働き、祖父製造業の仕事で良い福利厚生を得ていた。

外食なんて、特別な日だけ。

マクドナルドに行けるのは、誕生日だけの特別イベントだった。

庭には1エーカー(約4,000㎡)の家庭菜園、数頭の牛。

夏の終わりには果物野菜を瓶詰めにして保存し、刻んだオクラブルーベリー、野生のイノシシや鹿の肉は、作業小屋の古い冷凍庫に詰めて凍らせていた。

飛行機に乗ったこともない、アーカンソー州の外に出たことすらほとんどない二人だったけれど、私のママと叔母を、大学、そして大学院まで通わせた。

借金を一銭も背負わせることなく――1990年代のことだった。

それなのに、57歳になった祖父は、1,000人の同僚とともに、まるでゴミのように捨てられた。

何十年もその会社に尽くしてきたというのに。

そして、彼らが与えられた「次の一手」は?

慰めの言葉は?

コードを学べ」

祖父祖母が生まれたのは1950年代

その頃、彼らの生まれ育った土地は、文字どおり“ワイルドウェスト”――開拓時代の名残がまだ色濃く残る地域だった。

子どもの頃、二人の家には水道がなかった。

井戸から水を汲み、火で沸かしたお湯をブリキの浴槽に入れて身体を洗い、トイレは外にある便所を使っていた。

つの教室しかない学校で学び、家族はみな、自分たち農場で育てた家畜を頼りに生きていた。

私の祖父母のような人々こそが、この国を築いたのだ。

子どもたちのために、この国を築いてきた。

けれど彼らが築こうとしたものは、株式ポートフォリオでもなければ、不動産投資資産でもなかったから――

彼らの家、彼らの地域社会を守るということは、ウォール街にとってもワシントンにとっても、壊しても痛みを感じるほどの「価値」はないと見なされていた。

から、無関心に、破壊された。

彼らが築いていたのは、「コミュニティ」だった。

誰もが、できる限りの手を尽くして、他の誰かを助けようとするような場所――

国際貿易政策CDO債務担保証券)なんて、遥か遠くの話でしかなかった。

だが、今のこの世界のありようでは、

どれほどの時間をかけて築いたものであろうと、

過疎地の小さな町や、人口の少ない州にある100年の歴史あるコミュニティは、

ほんの数ベーシスポイント(bips)の経済的利得のために、あっさりと犠牲にされるのだ。

それが「支配者たち」のやり方。

祖父2011年に無理やり引退させられた。

祖母はその後10年間、学校仕事を続けた。

けれど、祖父はまだ諦めていなかった。

飼っていたブランガス牛の群れを増やそうとした。

だが――残念なことに、牛の飼育はもう何十年も前から、収支マイナス商売だった。

Whirlpoolだけではない。すべての製造工場がそうだった。

2008年以降、閉鎖された工場で働いていた何千人という人々に、もう仕事は残されていなかった。

正直に、誠実に働いて生きる道は、風に吹かれるようにメキシコ東アジアへと消え去っていた。

残されていたのは、ガソリンスタンド、ダラージェネラルウォルマートレジ打ちだけ。

当時のウォルマートの時給は、7ドル25セントだった。

でも、ガソリンスタンド仕事すら、見つけるのが難しい。

人口1,200人のあの町の周辺には、ガソリンスタンドはたったの2軒しかない。

そのうちの1軒は最近潰れ、もう1軒はパキスタン人の家族経営している。

その結果、その町の世帯収入の平均は、今では年間3万ドルほど。

子どもの90%は「無料・減額の学校給食」を受けており、

残っている家庭のほとんどが州の援助に頼っている。

そして、オピオイドメタンフェタミンの乱用は、かつてないレベルにまで達している。

それでもなお、あの人たちは言うのだ――

コードを学べ(笑)」と。

軽蔑に満ちた顔で、嘲るように。

その一方で、喜々として、ろくにスキルもない安価移民を大量に受け入れ、

誰にも気づかれぬうちに、テック業界労働市場を潰していく。

私の家族は、1600年代までさかのぼる――

血と汗と涙をもって、この国を築き上げてきた。

何もない荒れ地から、土を起こし、何もないところから一つひとつ積み上げてきた。

想像を絶するほど過酷環境に、400年も生き抜いてきた。

病に、命を奪うような天候に、部族との争いに、裏切りに、そして無法の地という本質的危険と向き合いながら。

この国は――一つひとつ煉瓦が、この地球上で最も勇敢で、最も屈強で、最も忍耐強い人間たちによって積み上げられてきたのだ。

それなのに、ここ60年の間に起きたことは何だ?

象牙の塔にこもる学者気取りの詭弁家ども、ワシントン豚ども銀行業界のクズども――

そういった連中が、自分たちの口から出る唾で、我々の先人の名誉に、犠牲に、共同体に、人種に、信仰に――ありとあらゆるものに唾を吐きかけてきた。

それだけではない。彼らは、先人たちが築いた遺産のものにも、

の子どもたちにも、孫たちにも――

そして、本来受け継がれるべき権利にすら、平然と唾を吐きかけているのだ。

アメリカ政府と、その利害をともにする者たちがこの国の本来継承者に対して行ってきた――組織的裏切りという悪行に対して、

英語の語彙には、その凶悪さを正確に表現できる言葉すら存在しない。

この国を、神に見放された未開の地から掘り起こすために流された血は、確かにそこにあった――実在する、物質としての血だ。

血は、人と同じように「物質」だ。

国家とは、「人」で構成されている。

アメリカとは、“人々”のことなのだ。

理念」には血は流せない。

犠牲を払えるのは、人間だけだ。

から、「アメリカとは単なる理念だ」などと口にすることは、

本当に血を流し、命を捧げ、その結果として我々が今享受している「快適さ」や「贅沢さ」を築いた、

すべての者たちへの裏切りだ。

この60年間、あらゆる旧来の制度学術機関政府機関NGOは、過去10年の間ずっと、この国を築き上げてきた人々に対し、様々な言い回しで「本質的に」「根源的に」「存在のものが悪である」と言い放ってきた。

我々を「人種差別主義者」「強姦魔」「ジェノサイド加害者」「奴隷商人」「抑圧者」「山奥の未開人」「近親交配の成れの果て」「救いようのない堕落者」「クソ白人」――そう罵りながら、裏では密かに「余剰な生体資源」としての我々をどう始末するか、その計画を着々と練っていた。

だがアメリカ国民選挙という形で意思を示した。

代償を払ってもらう時が来たのだ。

製造業を国内に取り戻せ。

輸入品には容赦なく関税を課せ。

国境は封鎖しろ

不法滞在者は全員追放しろ

国家予算ぬくぬくと生きる、悪意に満ちたミュータントどもは一人残らずクビにしろ

そして、ドルを「世界基軸通貨」という地位から引きずり下ろせ。

我々、特に自らを“民族的な”ヘリテージ・アメリカンだと考える者たちは、短期的にどれほどの犠牲が伴おうが構わない。

それによって、自分たちが正当に受け継ぐはずだった遺産が焼き尽くされる様を、ただ黙って見ている必要がなくなるのなら――我々はその代価を喜んで支払う。

我々は、罪を犯した者たちがその報いを受けることを望んでいる。

首が飛ぶのを見たいのだ。

2025-04-05

アメリカ人トランプ関税を悪く言う人間はいない

Bugman Hegel

@FedPoasting

In 2011, my papa was laid off from a Whirlpool manufacturing plant, the kind that had for so long made America great. In the wake of the financial crisis, the C-suite had decided to offshore operations to Mexico.

The plant they shuttered was a 1.2 million sq ft manufacturing plant, and overnight, 1,000 people lost their jobs. Many of whom had been working there for decades.

My papa was 57 years old when he got laid off. He had worked at that very same plant for over 30 years, and snap just like that, it was all gone.

1/6

2011年、私の父は、長年アメリカを偉大にしてきたワールプール社の製造工場から解雇されました。金融危機を受けて、経営陣はメキシコへの事業移転を決定しました。

閉鎖された工場120万平方フィート製造工場で、一夜にして1,000人が職を失った。その多くは数十年にわたってそこで働いていた人たちだった。

父は57歳のとき解雇されました。父は30年以上同じ工場で働いていたのですが、突然すべてが消えてしまったのです。

1/6

When I was a little girl, from as far back as I could remember, my papa woke up at 3:30 am and drove the 40 minutes to the plant from the rural 1,200-person town every single day. And for 30 years, he worked what were often 10-12 hour shifts with no complaints.

I grew up a Navy brat, so I didn’t get to see my grandparents except for a few months during the summer, but I remember my papa exerting the last drop of his energy so he could spend time with us going to the creek, building us a tree house, riding horses, and playing cowboys and Indians.

Every evening, starting from when I was in grade school, my papa and I would sit in the living room and watch the History Channel, Animal Planet, and Bill O’Reilly and hee-haw together about what the Democrats were doing, as much as an eight-year-old can.

My papa and my nana had been together since they graduated high school; they got married at barely 18 and had my mom less than a year later and my aunt soon after that.

They had a small homestead, owned most of what they had outright, and they were poor, but poor doesn’t have to mean that much when you can work the land.

My nana worked as the local school’s secretary, and my papa had good benefits with his manufacturing job. They only ever went out to eat on special occasions. McDonald’s was a birthday-only type of affair. They had a one-acre garden, a few head of cattle, would can fruits and vegetables at the end of every summer, and freeze chopped okra, blueberries, meat from wild hogs and venison in an old chest freezer in the workshop.

私がまだ子供だった頃、物心いたこから、父は毎日午前 3 時半に起きて、人口 1,200 人の田舎から工場まで 40 分かけて車で通っていました。そして 30 年間、父は不満を言うことなく、10 時間から 12 時間シフト勤務をこなしました。

私は海軍の子供として育ったので、夏の数か月を除いて祖父母に会う機会はありませんでしたが、父が最後の力を振り絞って私たちと一緒に小川に行ったり、ツリーハウスを作ったり、馬に乗ったり、カウボーイやインディアンごっこをしたりして時間を過ごしていたことを覚えています

小学生の頃から、毎晩、私とパパはリビングルームに座って、ヒストリーチャンネルアニマルプラネットビル・オライリーを見て、8歳の子どもができる限り民主党が何をしているのか一緒に大笑いしていました。

私の父と祖母高校卒業して以来ずっと一緒にいました。彼らは18歳になるかならないか結婚し、1年も経たないうちに母が生まれ、その後すぐに叔母が生まれました。

彼らは小さな農場を所有し、所有物のほとんどを完全に所有していましたが、貧しかったです。しかし、土地を耕作できるなら、貧しいということはそれほど大きな意味を持つ必要はありません。

私の祖母地元学校事務員として働いており、父は製造業で良い福利厚生を受けていました。外食するのは特別ときだけで、マクドナルド誕生日しか行かなかったのです。彼らは 1 エーカー菜園と数頭の牛を飼っていて、毎年夏の終わりには果物野菜缶詰にし、作業場の古いチェスト冷凍庫で刻んだオクラブルーベリー、野生のイノシシの肉、鹿肉冷凍していました。

Despite never having been on a plane and seldom ever having been outside of Arkansas, they managed to put both my mom and aunt through college and graduate school without requiring them to incur even a dime of debt. This was the 1990s.

Then at the age of 57, my papa and 1,000 of his coworkers were thrown away like a piece of trash after giving that company decades of their lives. And what were they told to do? What was their consolation prize?

Learn. To. Code.

My papa and nana were born in the 1950s in a place that was quite literally the Wild West just mere decades before their birth.

Growing up, neither of them had running water—they drew water from a well, washed up in a tin tub heated over a fire, and went to the restroom in an outhouse. They were both educated in a one-room schoolhouse and both came from families that relied on their farm’s livestock to feed themselves. People like my grandparents built this nation. They built this nation for their children.

But because the thing they sought to build wasn’t a stock portfolio or real estate portfolio, the preservation of their homes and communities was not something that Wall Street nor Washington saw as having enough value to be anything more than apathetic about blowing up.

飛行機に乗ったことも、アーカンソー州から外に出たことがほとんどなかったにもかかわらず、両親は母と叔母を一銭も借金せずに大学大学院に通わせることができました。1990年代のことでした。

そして、父と1,000人の同僚は、57歳で会社に何十年も捧げた後、ゴミのように捨てられました。そして、彼らに何をするように言われたのでしょうか? 慰めの賞品は何だったのでしょうか?

Learn. To. Code

私のパパとおばあちゃんは、1950年代に生まれましたが、彼らが生まれるほんの数十年前までは、そこはまさに「ワイルドウェスト」でした。

両親ともに水道のない環境で育ったため、井戸から水を汲み、火で沸かしたブリキの桶で体を洗い、離れのトイレで用を足した。二人とも一教室の学校教育を受け、農場家畜に頼って食料を得ていた家庭の出身だ。祖父母のような人々がこの国を築いた。子供たちのためにこの国を築いたのだ。

しかし、彼らが構築しようとしていたのは株式ポートフォリオでも不動産ポートフォリオでもなかったため、彼らの家やコミュニティ保全は、ウォール街ワシントンにとって、破壊することに無関心以上の価値があるとは考えられなかった。

https://x.com/FedPoasting/status/1908020397842509905

ゲーム機5万円から日本インフレしてきた

スイッチ2が日本だけディスカウントかかって5万円らしいけど、ゲーム機に5万円といったらネオジオぐらいの価格なわけで。

1990年代から比べて日本も2倍ぐらいインフレしてきたものだよなあ。

プレステ1の販売価格が39,800円だったわけで、ネオジオ5万円で100メガショーク言われても高すぎて買えなかったわけじゃん。

それが今やスイッチ2は、2万円のディスカウント特別にかかって、5万円なんだからインフレを感じるわ。

トランプ関税政策、次の動きがよくわからん

グローバル10関税について、何かしらの政策検討したレポートあるのではと思って調べたがよくわからん


以下、Grokでのやり取り

Oren Cass、シンクタンクAmerican Compassが、相互関税後の米国がどのようになるか想定しているでしょうか?

Key Points

研究は、Oren CassとAmerican Compass相互関税後のアメリカ国内製造業が強化され、高品質雇用が増加し、貿易赤字が縮小した状態想像していることを示唆しています

彼らは関税国内生産奨励し、アメリカ労働者コミュニティを優先するツールと見なしています

消費者価格の上昇や他の国から報復関税可能性も考慮されますが、具体的な未来像は議論余地があります

相互関税後のアメリカ想像

Oren CassとAmerican Compassは、相互関税アメリカ経済ポジティブな影響を与えると信じています。具体的には、国内製造業保護され、工業部門での雇用が増加し、貿易赤字が縮小する未来想像しているようです。特に中国との競争に対抗するために関税有効ツールと見なし、アメリカ産業基盤を強化したいと考えています

予想される影響

このシナリオでは、国内生産が増えることでアメリカ経済的自立度が高まり労働者生活水準が向上する可能性があります。ただし、輸入品価格上昇により消費者価格が上がるリスクや、他の国から報復関税による輸出への影響も指摘されています。これらの影響は複雑で、経済全体に波及効果をもたらすと予想されます

予想外の詳細

興味深いことに、American Compass関税収入主権財産基金投資し、インフラ医療研究に使う提案検討しているようです。これは、単なる貿易政策を超えた長期的な経済戦略示唆しています


https://www.spectator.co.uk/podcast/was-free-trade-really-working/

ここのポッドキャストの内容を要約してください

https://www.spectator.co.uk/podcast/was-free-trade-really-working/」のポッドキャストの内容をさらに詳しく要約し、具体的なポイントを掘り下げて説明します。この対談は、2025年2月19日に公開され、The SpectatorのFreddy Grayがホストを務め、American CompassのOren Cassをゲストに迎え、ロンドンARC会議で収録されました。以下に詳細を述べます

詳細な内容

1. 相互関税の背景と目的

ポッドキャストは、トランプ大統領2025年初頭に発表した「相互関税」(reciprocal tariffs)の話題からまります。これは、アメリカ他国から課される関税率に合わせて自国の輸入関税を設定する政策で、特に中国やその他の貿易相手国との不均衡を是正する狙いがあります。Freddy Grayは、この政策最近ホワイトハウス方針(例えば、2025年2月カナダメキシコ中国からの輸入に対する関税引き上げ)に結びついていると指摘し、その意図をCassに尋ねます

Oren Cassは、この関税が単なる保護主義ではなく、アメリカ経済的自立と労働者保護を強化するための戦略ツールである説明します。彼は、過去数十年の自由貿易政策アメリカ製造業空洞化させ、貿易赤字を拡大させたと考えており、相互関税国内生産を再活性化させる一つの方法だと主張します。

2. 自由貿易への疑問

対談の中心的なテーマは、「自由貿易は本当に機能していたのか?」という問いです。Cassは、1990年代から続いてきた自由貿易への政治的合意が、アメリカ経済に必ずしも利益をもたらさなかったと批判します。特に中国WTO加盟(2001年)以降、アメリカ製造業が衰退し、多くの労働者低賃金サービス業シフトした点を挙げます

具体例として、中国電気自動車EV)の台頭を取り上げます。Cassは、中国補助金付きEVアメリカ市場流入することで、国内自動車産業投資家が競争力を失っている「現実生活」を強調します。Grayが「自由貿易グローバル経済の成長を促進したという主張はどうか」と尋ねると、Cassは「それは一部の多国籍企業投資家には当てはまるが、アメリカ労働者地域社会にはほとんど恩恵がなかった」と反論します。

3. 関税の影響とアメリカ企業への波及

Grayは、相互関税アメリカ企業にどのような影響を与えるか質問します。Cassは、短期的には輸入コストの上昇による混乱が予想されると認めつつ、長期的には国内生産奨励し、製造業雇用を増やす可能性があると楽観視します。例えば、関税によって中国から安価輸入品が減れば、アメリカ自動車や鉄鋼産業が再び競争力を取り戻すかもしれないと述べます

しかし、彼はリスク認識しており、他の国から報復関税アメリカ輸出産業特に農業技術分野)に打撃を与える可能性を指摘します。それでも、「自由貿易幻想にしがみつくよりは、現実的な政策国家利益を守るべきだ」と主張します。

4. 政治的経済文脈

Cassは、トランプ関税政策政治的な支持を得ている背景にも触れます2024年選挙で、労働者階級の有権者貿易赤字製造業の衰退に不満を抱き、保護主義的な政策を支持したことを挙げます。彼は、これが共和党内の経済政策の転換を示しており、American Compass提唱する「労働者優先」のアジェンダと一致していると述べます

Grayは、ヨーロッパ視点からこの政策をどう見るか質問します。Cassは、ヨーロッパ諸国も同様に中国との貿易不均衡に直面しているが、アメリカのような大胆な関税政策を取る政治的意志が欠けていると分析します。

5. 意外な視点結論

意外なポイントとして、Cassは関税収入活用についても言及します。彼は、American Compass提案するように、関税で得た資金主権財産基金に投入し、インフラ教育に再投資する案に触れます。これは、単に貿易制限するだけでなく、経済全体を強化する長期的なビジョン示唆しています

対談の最後で、Grayが「自由貿易時代は終わりを迎えたのか」と尋ねると、Cassは「少なくとも、アメリカではその前提が再考されるべき時期に来ている」と締めくくります。彼は、相互関税完璧解決策ではないものの、現在グローバル経済におけるアメリカ地位を再定義する一歩だと結論付けます

anond:20250405003115

まったく逆やね

https://www.nytimes.com/2024/04/09/health/europe-transgender-youth-hormone-treatments.html

ヨーロッパ5カ国は最近性別に悩みを抱える青少年に対するホルモン治療制限した。

英国の今回の変更は、独立した小児科であるヒラリー・キャス博士火曜日夕方に発表した4年間のレビューによるものである。「ほとんどの若者にとって、医学的な治療法は性別に関連した苦痛管理する最良の方法ではない」と報告書結論づけた。医学雑誌掲載された関連論説の中で、キャス博士は、若者ジェンダー治療有益であるという証拠は "不安定な基礎の上に成り立っている "と述べた。

NHSは今後、臨床研究登録された患者を除いて、思春期を阻害する薬を提供しない。そして報告書は、テストステロンエストロゲンのような永久的な身体的変化を促すホルモンは、"細心の注意 "をもって未成年に処方するよう勧告した。

英国の動きは、北欧におけるより広範なシフトの一部であり、保健当局は近年、思春期性別治療需要が急増していることに懸念を抱いている。

12月ノルウェー地方保健当局は、青少年性別医療を「試験中の治療」に指定し、臨床試験に参加している青少年にのホルモン剤が処方されることになった。デンマークでは、今年最終決定される新ガイドラインにより、ホルモン治療幼児期から性別違和を経験したトランスジェンダー青少年限定されることになる。

若者に対するジェンダー治療先駆者ヨーロッパである1990年代アムステルダムのあるクリニックは、幼少期から自分は違う性別だと感じていた青少年思春期抑制剤を投与し始めた。

世界中のクリニックがオランダプロトコルに倣うようになった。これらのクリニックへの紹介は2014年から急増し始めた。例えばスウェーデンのクリニックでは、2014年には約50人だった紹介患者が、2022年には350人にまで増加した。英国では、その数は2014年の470件から2022年には3,600件に増加している。

そして、オリジナルオランダ研究参加者とは異なり、新しい患者の多くは思春期まで性別苦痛経験せず、うつ病自閉症を含む他の精神健康状態を持っていた。

現在オランダで発表された当初の知見が現在患者にとって妥当なのか疑問が呈されている。

フィンランド2011年から青少年ジェンダープログラムを率い、この治療を声高に批判するようになった精神科医、リイッタケルトゥ・カルティアラ博士は、「世界中が、何千、何万もの若者に対して、1つの研究に基づいて治療を行っている」と述べた。

カルティアラ医師自身調査によると、フィンランドのクリニックに入院している患者の約80%は女性として生まれ思春期の後半に性別の悩みを経験するようになった。多くの患者心理的問題も抱えており、ホルモン治療では改善されないことがわかった。2020年フィンランドは薬の使用を厳しく制限した。

同じ頃、スウェーデン政府は厳密な研究レビューを依頼し、青少年に対するホルモン療法には「不十分な」エビデンスしかないことを発見した。2022年スウェーデンは「例外的なケース」のみにホルモン療法を推奨し、その理由ひとつに、どれだけの若者がこの先、医学的移行(脱移行と呼ばれる)の中止や逆戻りを選択する可能性があるかという不確実性を挙げている。

2021年、タヴィストック臨床医たちは、思春期阻害剤を服用した44人の子供たちを調査した結果を発表した。

薬によって自傷行為異和感の程度が軽減されることはなかった。2020年、NHSはキャス博士治療法の独立レビューを依頼した。彼女科学レビューを依頼し、国際的ケアガイドライン検討した。また、若者とその家族トランス成人、離脱者、擁護団体臨床医と面会した。

レビューの結果、NHSのケア水準は不十分であり、性別による苦痛の原因となりうる精神衛生上の懸念対処するルートほとんどないと結論づけられ、NHSは先月タヴィストックセンターを閉鎖した。

キャス医師は、火曜日に発表された『ブリティッシュメディカルジャーナル』誌の編集者とのインタビューの中で、「子供若い人たちは、実にお粗末な扱いを受けてきました」と語った。小児医療において、若い人たちに取り返しのつかない治療を施し、大人になったときにどうなるのか全くわからないというようなことは、他に考えられません」。

今月、NHSによって制定された変更は、「私たち懸念が実際、妥当であったことを認めたものです」と、2018年懸念を表明したタヴィストックスタッフの一人であるロンドン臨床心理学者、アンナハッチンソンは言う。"これらの子供たちに関連する決定について、より強固でエビデンスに基づいた道筋に戻ろうとしていることは心強い。"

フランスでは今年、医師思春期阻害剤やホルモン剤を処方することを禁止する法案が提出され、懲役2年、罰金30,000ユーロを科した。そして月曜日バチカンは性転換を人間尊厳を脅かすものとして非難した。

2025-03-29

anond:20250329070255

よく分からんがただのミソジニーに染まった女がミソジニー作品を描いた的なことか?

女の敵は女というより、男社会(に染まった奴)は1990年代以降の社会の敵、と言うべきでは

2025-03-28

anond:20250327202718

1. 「消費税導入をきっかけに日本経済成長が止まった」について

 日本経済成長が鈍化したのは、消費税導入(1989年)だけが原因ではありません。日本1980年代まで高度成長を遂げましたが、**バブル崩壊1990年代初頭)**が大きな転機となりました。バブル崩壊による金融機関不良債権問題企業の過剰債務、長期にわたるデフレなど、複数の要因が経済低迷の原因です。

 一方で、消費税が景気に与える影響は確かにありますが、消費税率が高い国(例えば北欧諸国ドイツ)でも経済成長を続けている事実を考えれば、「消費税が導入されたか日本の成長が止まった」という単純な因果関係を主張するのは誤りです。

2. 「他の先進国日本より消費税率が高いのに経済成長しているのはなぜか?」

 消費税率が高くても経済成長している国があるのは、税収の使い道や経済政策の違いによるものです。例えば、北欧諸国では高い消費税社会保障教育に充てており、国民可処分所得生産性向上に寄与しています。一方で、日本少子高齢化が進み、社会保障費の増加が経済成長を圧迫しています。つまり消費税率の高さだけで経済成長判断するのは適切ではないのです。

3. 「国債発行残高が日本よりもずっと少ない国が経済成長しているのはなぜか?」

 日本国債発行残高が突出して多いのは、高齢化に伴う社会保障費の増加や、1990年代以降の財政政策の影響です。これに対し、成長している国は比較人口構成が若く、社会保障負担が小さい場合が多いです。また、財政政策の柔軟性や、民間投資の活発さも影響します。

 さらに、日本は「失われた30年」と言われるように、民間企業投資意欲が低く、金融緩和財政政策が十分に経済成長につながらなかったという側面もあります。つまり、単に国債発行残高の大小だけで経済成長説明するのは不十分です。

4. 「日本だけに適用される理論裏付けがあると考えているのか?」

 日本経済は、高齢化、長期デフレバブル崩壊の影響など、他国と異なる特殊な要因を抱えています。そのため、一般的経済理論だけでは説明できない部分があり、「日本だけに適用される理論」が必要というわけではなく、日本の固有の状況を踏まえた分析必要という話です。

 つまり消費税が成長を阻害する決定的な要因というわけではなく、経済成長には複合的な要因が絡んでいるため、「消費税日本経済停滞の原因」とするのは単純すぎる議論だと言えます

2025-03-27

anond:20250327184207

日本以外の国は例外として消費税導入した国は全て経済停滞してる」

これは正しいですか?

この主張は 事実ではありません。

日本以外の国は例外として消費税付加価値税VAT)を導入した国はすべて経済が停滞している」というのは、歴史的経済的なデータに照らしても正確ではありません。

事実ベースで見てみましょう

■ 多くの国は消費税VAT)を導入済み

消費税VAT付加価値税)は 欧州連合EU)をはじめ、150か国以上で導入されています



■ 導入後も成長している国の例



■ 逆に、消費税の有無だけで経済成長は決まらない

経済成長には以下のような要因が複雑に関係します:



🔍 どうしてこういう主張が出るの?

日本では消費税導入や増税後に景気が悪化した印象が強く、因果関係単純化されがち。

例:1997年消費税増税(3%→5%)後にアジア通貨危機が重なり、景気後退

しかし、これは 税制けが原因ではない。

結論

消費税を導入した国はすべて経済が停滞している」というのは誤り。

実際には、消費税を導入しても経済成長を続けている国は多数存在します。

anond:20250327181024

最近財政出動と減税のブームを見ていると1990年代を見ているようだ

なんで2010年代リフレとかの金融政策流行たかと言うと、1990年代にすでに財政出動と減税やったからなのよね

からこそ効果が出なかった財政政策じゃなくて金融政策に注目が集まっていたんだ

1990年 国債残高は166.3兆円

1990年 所得税収34.5兆円

1990年 GDP437兆円、予算66兆円

1992年8月 総合経済対策 10.7兆円

1993年4月 総合的な経済対策 13.2兆円

1993年9月 緊急経済対策 6兆円

1994年 所得税特別減税 5.5兆円

1994年2月 総合経済対策 15.2兆円

1995年4月 緊急円高経済対策 7兆円

1995年9月 経済対策 14.2兆円

1998年4月 総合経済対策 16.6兆円

1998年11月 緊急経済対策 23.9兆円

1999年 所得税の恒久減税

1999年 所得税23.8兆円

1999年11月 経済新生対策 18兆円

2000年10月 日本新生のための新発展政策 11兆円

2002年 国債残高は421.1兆円

歴史は繰り返すんだなあ

2025-03-25

統一教会と二番目の姉との思い出

子供のころはよく遊んでもらった。

10歳年上の姉だったので、小学生の頃はマラソン練習にも付き合ってもらっていた。

一番上の姉がとげとげしい感じの性格だったので、とりわけ二番目の姉は大好きだった。

姉が都会から帰ってきたときはとても嬉しかった思い出がありますミスタードーナッツお土産しかった。

姉が都会に戻るときは泣いたよ。そりゃあもう。

まだ携帯電話も無い時代。姉が連休か何かで都会から戻ってきた時。

家電話を使って誰かと韓国語を喋っていることを聞いたことがあるが、今思えばあれは統一教会関係者だったのかもしれない。

自分中学の頃だった、1990年代中盤の頃にはすでに姉がヤバい宗教に入っていた事は家族の中では周知の事実で、でも現代のようにパソコンどころかスマホが普及する前の世界だったので、そもそも何がヤバいのか。どうヤバいのか。どう対処したらよいのかすらわからんかった。

なので、北海道田舎にある我が家は、札幌から統一教会脱会サポートする「ライラックの会」の人を呼んだ。

ライラックの会の人に何を説明されたかすら、今となっては覚えていないが、母親と同席した当時中学生だった私は「都会から来たわけわからん奴」っていう理由で、相手のことをひどく疑っていたし、事実私の意見が決定的となり、その人には丁重にお帰り頂いたと記憶している。

今の時代であれば、スマホ団体Webサイトを調べるなり、SNSを調べるなりバックグラウンド調査を出来たはずだが、当時はそれも無理だった。

ある時、姉が結婚相手を連れてきた。キムさんだったかな。詳しくは覚えていないが韓国系男性だったことは覚えている。顔はうっすらとしか覚えていない。

狭い町営住宅リビングに姉、旦那、その向かい自分、母と座っていた。姉の旦那からは白いセーターをもらった。

結婚挨拶だった。

姉の旦那は「よろしくお願いします」とかなんとか言っていた。中学生だった自分は「あ、はぁ」みたいな感じだったと思う。

キムさんとは以後一度も会っていない。後にも先にもあの時一度きりである

親戚づきあいみたいなことすら一度も無い。ただ、まだバカだった自分は「そういう人なんだな~」程度に思っていた。

今ならわかるが、姉の結婚相手は恐らくは合同結婚式出会った相手なのだろう。

一時期韓国に住んでいた事もあったと記憶しているが、それも今思えば統一教会がらみだったのかもしれない。

その頃の姉は、今よりまだまともだった気がする。完全にPX-0になる前のバーソロミューくまみたいな感じである

統一教会存在1990年代後半から知ってはいた。

今のようにメディアで騒がれるかなり前から知ってはいたのだが、どう対応したらよいかが分からなかったというのが正直なところ。

対応も何も、全容も良くわからない得体の知れない団体で怖かったし、姉とは何か関りがあるらしいが、我が家にまでは影響は及ぼしていない。

そのため、静観する姿勢を取ったのだと思う。まぁ「何も出来なかった」のが正しい。

ある時、親戚が亡くなった。通夜が終わり火葬場にて、姉の話になった。その時自分はすでに20歳を超えていたはずなので、姉は30を超えていたと思う。

まりは、姉が統一教会と接点を持ち始めてから10年経つか経たないかの頃じゃないだろうか。

姉が、親戚中に「お金を貸してほしい」と電話をかけているらしい。とのことだった。

大好きな姉だったので、この程度で姉を嫌いになるわけはないのだが「へー、そんなことしてるんだー」とあっけらかんに思った記憶がある。

わたしとしては、何でもいいから姉ととにかく話がしたかった。

その後も二番目の姉の問題家族の中では腫れ物に触るような案件だったように思う。

から実家に連絡が来ることはだんだん無くなっていった。

2022年山上事件が起きた。

その後メディアでもこぞって統一教会のことを取り上げるようになったのだが、これは意外だった。

なぜならこれまで統一教会のことを取り上げることなぞ全く無かったからだ。

止まっていた時計が進み始めた気がした。

鈴木エイトさんなどが、ワイドショー毎日のように統一教会を追及をしている時、「このまま統一教会ぶっ倒れろ、ざまぁぁああああああ」と思っていた。

姉をめちゃくちゃにした統一教会をついに動かすことが出来たかもしれないからだ。

中学の時、突然目の前に現れた巨大な団体。でもどう対処してよいかからずこれまで生きてきたが、ついに彼らを白日の下にさらすことが出来る。そんな気分だった。いいぞもっとやれ。

毎日そう思っていた。

表向きは「安倍首相が亡くなったんだね。悲しいね」という感じを取り繕っていたが、内心は「いいぞもっとやれ」一択だった。

実際母親も同じ意見だった。母親は姉が統一教会に入ったことを長年責めていたので、なおさらだったのかもしれない。

実はそのころ、兄弟3人で作ったグループLINE存在していた。何かのタイミングわたし発案でつくったものだ。二番目の姉とテキスト上ではあるが話が出来てとても嬉しかった。

兄弟3人は割と仲良しなので深い話をするのかと思いきや、お互い二番目の姉に気を遣うような発言ばかりが続きそれは一番上の姉も同じだった。

そんな折に山上事件が起きた。

わたし調子に乗って、二番目の姉に対して「お姉ちゃん、お母さんも心配してるよ。体に元気でね(詳細忘れた)」みたいなことを送ったと思う。明らかに山上事件意識してのメッセージだった。

姉はそれに反応し「しばらくグループからます」とだけ言い残し、グループを退出してしまった。以後、それから二番目の姉とはちゃんコンタクトは取れていない。

連絡先はつながっているので、ちょこちょこ連絡はするものの、何かと用事をつけて会うことを断られるのでもしかするともう会えないのかもしれないとは思っている。

2025年3月25日統一教会解散命令が出た。

この結果は姉にとってはどう影響するのだろうか。

アイデンティティを失うのだろうか。

仕事命のオジサン退職と同時に急激に老化が進むのと同じように、姉にとってはおそらくは心の拠り所となっていたはずの統一教会

それが解散となると姉の心はいったいどこに行くのだろうか。心にぽっかり穴が空いて自死でもしちゃうんだろうか。

姉は今は50代前半である

立派に子供を育てている話も聞いている。たぶんその子たちは二世信者なのかもしれないが。

我々の人生がこのような運命を辿ることになってしまった理由の一因には、間違いなく統一教会存在があるが「そんな状況を作り出した統一教会がとても憎い!」 というような気持ちは実は全く無い。

姉の人生の目の前には統一教会があり、わたしの目の前には統一教会が無かった。ただそれだけの話だったのだと思う。

そのため、教会の行く末には全く興味が無い。消えてなくなろうと、どうなろうと知ったこっちゃ無い。

ただ、しっかりと社会的制裁は受けていただきたい。

そしてもし叶うならば、昔のお姉ちゃんになって家に戻ってきてほしい。一度でいいから。

2025-03-16

高額療養費制度医療財政SNSそれから機動戦士ガンダムについて

3月7日、石破総理のもとで提唱された高額療養費負担上限の改正案は取り下げになりました。

この改正低所得者負担上限が殆ど上がらない反面、高所得者負担が大きく増加するため不公平であるとの反対がありました。

また、高所得者といっても年収1000万円程度で月の負担額が25万円ほどになると治療を諦めてしまう恐れが強いとの反発も多くあがりました。

さらに、高額療養費負担上限は70歳以上と未満で別れており、また収入によっても細かく分類され複雑な制度となっています。この分類のなかで負担額を大きく増やされるのは現役世代であり、医療費の大部分を占める高齢者負担額を増やさなければ医療財政根本的な改革に繋がらないとの指摘もありました。

ただ一方で、現行制度のままでは行き詰るのは明白である医療制度現実的改革していく動きとして肯定する意見もありました。

公平性が一つのテーマでした。近年の急速に進む円安インフレ危惧する向きから財政規律を重視する人たちは増えていますしかしそのような人たちの間でさえ、この改正には反対する意見が多かったように見受けられました。それにはこの改正が、高齢者ばかりが優遇されているように見える"現役いじめ"として受け止められた側面がありました。

しかし、公平性とは一体何でしょうか?それはおそらく人によって異なります医療に頼らなければ生存を脅かされる状態にある人にとって負担上限を大きく引き上げられることはほぼ死を意味します。そしてそういう状況の人は明らかに高齢者ほうが多いでしょう。(もちろん高齢者に対する無意味医療は山程ありますしかテーマでないためここでは一旦脇に置いて下さい。)彼らからしたって、金が無いから命を諦めろと言われても簡単には受け入れられないのもわかります

なぜ自分が死ななければならないのか?そんなの不公平だ。そう感じるのはとても自然なことです。

たとえ医療制度の持続性を高めることが結果的により多くの人を救うことがわかっていたとしても、目の前の命を諦めることは簡単ではありません。

また、完全に公平な制度を作ることは現実的不可能です。民主主義は数の力で決まります高齢者が多数を占める日本高齢者優遇された制度になってしまうことをある程度受け入れなければ、実現しない目標をただ追い求める空虚理想家になってしまうでしょう。そういう人、多いですよね。

今回の改正が取り下げられたことが良かったのかどうかは判断の分かれるところです。

ところで今回の高額療養費負担上限の改正は、半世紀近く続く医療財政の立て直しの一環でした。

1973年田中角榮内閣は70歳以上の高齢者医療費無料しました。1960年岩手県沢内村で老人医療費無料化が日本で初めて実施され、その後1969年には東京都でも無料化されるなど全国的な老人医療費無償化の流れを受けてのものでした。

しか1973年から1978年の5年間で医療受診率は1.8倍、医療費は約4倍に跳ね上がり、過剰受診問題になりました。財政負担は深刻化し、見直しの機運が高まりました。

1982年自民党鈴木善幸内閣において老人保健法が制定され83年から高齢者自己負担が再開しました。それは外来で月400円、入院は月300円という少額のものでしたが、その後84年には健保加入者は1割負担となりました。

そこから長く停滞して、17年後の2001年小泉内閣では原則1割負担に、2008年麻生内閣では後期高齢者医療制度が始まり75歳以上は独立した医療制度になり現役並みの所得がある人は3割負担となりました。

更に14年ほどして2022年岸田内閣で、200万円程度の収入のある人は2割負担へと変化していきました。

これらの改革が全て自民党政権時に行われていることは興味深く感じますね。

このように、医療財政の逼迫に対して蝸牛の歩みで対応してきた歴史があります。なぜこれほどまでの長期間必要だったのでしょう。

いきなりですが、TVアニメ機動戦士ガンダムの有名なオープニングをご存知でしょうか?

ガンタムではまず、「人類は増えすぎた人口宇宙移民するようになった」というナレーションからまります

機動戦士ガンダム放送された1979年から1980年、人々の関心の中には少子高齢化など微塵もありませんでした。代わりにあったのが人口爆発。人が増えすぎて食料不足になると危惧されていたのです。

しかし、1970年代には既に合計特殊出生率は低下してきており、1974年には人口の維持に必要2.0を切っていました。

この統計データは当時から普通に公開されていましたが、将来の少子高齢化予測していたのはごく少数でした。我が国厚生省人口問題研究所は優秀なことに1974年には人口長期予測のなかで21世紀初頭の少子高齢化予言していましたが、その言葉一般化するのは1990年代を待たなければなりませんでした。

統計データ少子高齢化を正しく予測しても、その事実が広まるまで15年以上かかったことを考えると、高齢者偏重医療制度改革が40年以上かかっていることもおかしな話ではないように見えます

ところで1974年は今現在2025年の51年前です。現首相石破総理は68歳。当時は17歳でした。ちなみにアメリカドナルド・トランプ大統領は78歳で石破総理10歳年上です。

トランプ大統領貿易赤字解消を掲げ、関税多国間協定を行おうとしていますが、これは当時経済大国として台頭してきた日本を押さえつけた80年代プラザ合意感覚です。

高齢政治家なかに自身活躍していた時代感覚いつまでも抜けず、時代錯誤を起こしている場合がありますが、トランプ大統領はその好例(高齢だけに)のように思えます

それは政治家だけでなく有権者も同じでしょう。現在高齢者なかに少子高齢化を知らない人間は居ないと思いますが、感覚として重大なものと感じている割合若者に比べて少ないはずです。それを変えていくことはなかなかに難しいだろうなぁとトランプ大統領の頑なな態度を見ても思います

私は政治家の若返りは医療制度の持続性を高める上で、解決策になるとまでは言わないまでもベターなことだと思っています

高齢者偏重医療制度がなかなか改革できない原因はその数の力にあり、シルバー民主主義と呼ばれています

これを少しでも正そうとするならば若者投票率を上げるか、高齢者投票率を下げるかの2つしかありません。

若い政治家言葉のほうが若い有権者に届きやすいのは自明です。同じ時代に似たような感覚で生きてきた人のほうが、自分たちの境遇をより理解していると期待できるからです。

逆に高齢者若い政治家言葉などに耳を傾けることは少ないかもしれません。若い政治家活躍するようになると高齢者投票率は下がるのではないかと思います

若い政治家が増えたほうがシルバー民主主義が緩和する可能性が高いと言えるのではないでしょうか。

最近国民民主党れい新選組支持率の伸長をみると、SNS活用で多くの高齢政治家よりも若い(玉木雄一郎は55歳、山本太郎は50歳)政治家の躍進が目立ちます。彼らの政策には現実味のかける部分が多く混乱(財務省解体デモなど)の原因あるいは遠因となっている面がありますが、投票率の低い若年層を投票に促している点では有意義と言えるでしょう。

私が現実的に望むのは、自民党の若返りです。

前述の通り、高齢者医療負担増加を実行してきたのは自民党です(老人医療費無償化したのも自民党ですが)。

それが支持率低下を招くことは百も承知しょうが、それでもなんとか通してきました。

もしも今よりも若者投票率が高ければ、ここまでの改革に40年もかかっていなかったかもしれません。

先の衆院選から自民党凋落が止まりませんが、自民党存在感を完全に失うほど弱体化する未来は今のところ見通せません。であるならば自民党自体に変わってもらうことは日本シルバー民主主義を食い止めるために有効であると言えるでしょう。

SNSの普及にあわせて公職選挙法改正していくこと。そして政治家SNSを上手く使いこなすようになること。これが出来れば若手の政治家が増えていくのではないかと思っています

SNS扇動に踊らされて財務省解体デモに繰り出す人たちを境界知能と呼ぶのはその通りなのかもしれないけれど、そもそも知能は正規分布するものであり、知能の高い集団もいれば低い集団もいるものです。

先程年齢の近い政治家言葉のほうが届きやすいと言いましたが、おそらく知能においても同じでしょう。

高い知能集団に属する一部の人の考えを、低い知能の集団に伝播するために必要なのは、大多数を占める知能が高くも低くもない普通の人たち(自分もここに属すると思っています)かもしれません。

とかく相手罵倒しがちなSNSで分断を融和に変えることはひょっとしたら不可能なのかもしれませんが、だからといってこのまま分断していくに任せるというのも違うと思います

罵倒嘲笑を自制する道徳のようなもの必要なのでしょう(自戒)。

地球全体で見たら、合理的多角的視点を含んだ考えを上から下まで国中に速やかに伝達していく競争が始まっているのかもしれません。

罵倒嘲笑は分断を生み出しその速度を遅めてしまう。

この点では恐らくどの国も横並びでしょうから、"日本人は礼儀正しい"と自認している我々がその本来国民性を発揮していくことを期待します。

「敢えて言おう!クズであると!」

演説したギレンは惨敗しました。この過激セリフは多くの視聴者記憶に残り、今でも時たまネットスラングで利用されるほどです。一方彼の父親はギレンほどの名言を残しませんでしたが、あのとき連邦と和平できていればララァも死なずに済んだわけです。

ギレン型の言説で目立つことばかりが持て囃されるSNSに対し、疲れている人も多いはずです。

穏健でつまらない話を欠伸しながら語り合うほうが、実は平和で良いのです。

多くの普通の人たち、とくにSNSで沢山フォロワーを抱えたりしていない人たちはぜひそのままでいるべきです。なんだか世の中には他人フォロワーが少ないことを馬鹿にするひともいますが、私はそのままで良いと思います

ただ、もしSNS上で愚かな言動をしている人をみかけても罵倒嘲笑をせず、どうしても目障りならミュートやブロックをして関わらないようにするだけでもいいと思います

仮に鋭い罵倒皮肉で多少耳目を集めることが出来たとしても、砂浜に描いた落書きのようにすぐネットの海のなかに消えていくだけです。

相互理解や変化に繋がっていくことは無いでしょう。

と、つまらない話しかできずネット上で目立つこともないことへの自己弁護をしてこの長々とした話の結びと致します。

もし読んでくれる人がいたとしたら、ありがとうございました。

anond:20250316082828

精神科の薬の歴史は、1950年代抗精神病薬発見に始まります。

精神科の薬の歴史

1950年代フランスクロルプロマジンが合成され、精神病治療薬として用いられるようになった。

1950年代には三環系抗うつ薬発見され、リチウムの抗操作用も確認された。

1959年にルンドベック世界初抗精神病薬ひとつ、Truxal®上市した。

1960~1970年代第1世代抗精神病薬のLAI(持効性注射剤)が相次いで開発された。

1990年代には、より有用性に優れた「第二世代」の抗精神病薬が生まれた。

2003年には第2世代抗精神病薬LAIが誕生し、治療自己中断による再発を予防できるようになった。

精神科の薬の初期の薬剤】

近代20世紀前半までは、スコポラミン、アトロピン、抱水クロラールやバルビツール酸系モルヒネなどのカクテルが用いられた。

1894年明治27年呉秀三の『精神病学集要』には、麻酔剤としてモルヒネ、あへん、カンナビノン、催眠剤として抱水クロラールやクロロホルムといったものが挙げられる。

まりちゃんとした治療ができるようになったのが1950年代以降で、それまではモルヒネとかアヘンとか処方してたりで酷いもんだったってことかな

2025-03-14

慶應義塾大学法学部入試問題に張り巡らされた美しい罠について

受験世界史の難問とかを扱っているブログで、今年の慶應義塾大学法学部入試問題分析されていた個人的面白い趣向だと思ったので、ブログ主さんの褌を借りて、自分なりの解答法を書いてみたい。

13.慶應義塾大 法学部(8つめ)

種別>難問

問題>2 1990年代安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷においては,様々な国や武装勢力指導者戦争犯罪などにより訴追されており,2006年に死去した (43)(44) もその一人である

16.カラジッチ   18.金正日   29.ティトー   43.ピノチェト

49.ポル=ポト   52.ミロシェヴィッチ

(編註:関係のある選択肢のみ抜粋

この問題には2つの解答ルートがある。第1に「安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷においては、様々な国や武装勢力指導者戦争犯罪などにより訴追」、第2に「2006年に死去」である

第1のルート、「安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷においては、様々な国や武装勢力指導者戦争犯罪などにより訴追」から辿ってみよう(なお、全員の死亡の年代を正確には知らないことは前提とする)。

まず、彼らの行いに対する裁判が行われたことがないので金正日ティトーを除外する。厳密にはどっかで無意味欠席裁判がなされているかもしれないが、少なくとも当事者には何ら影響を及ぼしていないので無視してよい。

この問題鬼畜たる所以は、残り4人の行いは訴追されたことがあるという点である

この4人の中では、最初ピノチェトを除外することができる。彼は独裁政権下でのスペイン国籍者への弾圧理由スペイン当局から逮捕状が出されており、1998年イギリスで拘束された。チリ独裁者スペイン逮捕状に基づきイギリス逮捕される」というおもしろ事案であるため、国際刑事司法に興味がある学生なら聞き覚えはあるだろう。しかし老齢のため裁判に出廷できないと判断され2000年に釈放される。そして帰国後に母国チリ告発され、同年のうちに訴追されるが、ここでも老齢ゆえに裁判は開かれなかった。つまりかに彼は「訴追された」に該当するのだが、ここまでの記述からわかるように彼は徹頭徹尾各国の国内法に基づいて拘束・訴追されたので、「国際法廷」には当てはまらないのだ。ピノチェトスペインで拘束されたという話を知っている受験生ならば容易に消去できるはずである

次にポル・ポトを除外できる。なるほどポル・ポト派の裁判国連支援を受けてカンボジアで開かれ、ジェノサイド罪に問われて終身刑を科せられた者もいる。しかし、問題文で「安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷とあることに注目したい。クメール・ルージュ圧政から解放されたカンボジアは、国連法廷開設のための支援要請した。これを受け、国連総会の承認の下、外国人判事も加えた国内法廷として2006年カンボジア特別法廷が開廷される。そう、ポル・ポト派に対する裁判は「国連総会が支援した国内法廷」であって「国連安保理が設立した国際法廷」ではないので、問題文の要求を満たさなであるカンボジア特別法廷に興味を持つ受験生であればこの選択肢は容易に消去できるはずだ。また、そもそも論としてポル・ポト本人は既に死んでいたので訴追の対象にならなかったのを知っていれば、消去はより容易であろう。

そして2人が残る。国連安保理決議に基づいて設立された旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷ICTY)に訴追された2人のセルビア人カラジッチとミロシェヴィッチであるしかしこの2人を「安全保障理事会によって設立された国際刑事法廷においては、様々な国や武装勢力指導者戦争犯罪などにより訴追」から絞り込むことはできないので、ここで詰みとなる。

続いて第2のルート、「2006年に死去」から辿ってみよう(なお、法廷の詳細を知らないことは前提とする)。

真っ先に除外できるのはティトーである彼の死後にユーゴスラヴィア解体が起きるということは、彼は1991年以前に死んでいることがわかるのでこれが一番楽だ(実際に1980年没)。ユーゴスラヴィア解体の要因のひとつとして、圧倒的カリスマを誇ったティトーが死んだということがしばしば挙げられるので、ユーゴスラヴィアについて一通り学習した受験生なら余裕で消せるだろう。

次に、意外かもしれないがカラジッチを消去できる。彼は(詳細はよく知らないとしても)法廷で裁かれて終身刑判決が出ているが、それは2019年ことなのだ。したがって大学入試の6年前から国際ニュースをチェックしている意欲的な受験生であれば2006年没ではないことが容易にわかる。中学1年の時点から世界情勢を学んでおくようにという慶應義塾大学法学部の熱いメッセージであり、受験諸君真摯に受け止めてほしい。

さて、次は金正日を消すことができる。ニュースを見ていれば、金正恩権力を握って10年以上(えっ、もうそんなに!?)経っているけれども、流石に20年は経っていないと推測できるが……いや、金正日って2011年に死んでるわけで、2006年に死んだわけではないという確信を得るのはけっこう難しい。これが仮に2019年2024年なら「あいつが死んだのは去年だろ」とか言えるけど、14年前に死んだのであって19年前ではないと確信するのは我々大人でも難しいのに受験生には酷ではないかしかしこれは21世紀に入ってから出来事であるので、最近出来事は1年単位時系列を頭に入れておくのが当然だという慶應義塾大学法学部の緻密な思考力を見せつけているのだと思うことにしよう。

最大の難問はポル・ポトだろう。彼は1998年に没しているが、1925年まれなので2006年に死んでいてもまったく不思議ではない。しかも悪いことに、彼の政敵や仲間たちは実際に長生きしているのだ。ノロドム・シハヌーク国王は彼よりも年長だが2012年に没しているし、ポル・ポトに次ぐナンバー2だったヌオン・チア2019年に没している。そして民主カンプチア首相を努めたキュー・サムファンに至っては現時点で存命である。これでは彼が2006年に死んだのではないことを確かめるのは難しい。しかし、上述したようにカンボジア特別法廷の開設は2006年であることと、ポル・ポトは既に亡くなっていたので訴追されなかったことを知っていれば、彼の死は2005年以前である蓋然性が高くなるので、かろうじて除外することができる。

そして、ここでもまた2人が残る。2006年に死去したチリ独裁者ピノチェトセルビア独裁者ミロシェヴィッチであるしかしこの2人は「2006年に死去」という文面からはまったく区別できないので、ここで詰みとなる。

2つのルートのいずれから登攀しようとしても答えを絞りきれなかったので、激烈な難しさであるしか双方を探索すれば、いずれのルートでも候補に上がっているのはミロシェヴィッチしかいないので、彼が答えだということがわかる

出題者の張り巡らせた緻密な伏線には感嘆せざるを得ない。本問は没年から探索しようとしても国際法廷の知識がないと解けないし、国際法から解こうとすると没年がわからないと解けないということで、精巧に罠が仕掛けられている。国際法廷と没年、両方のマリアージュで初めて解ける良く練られた良問と評価してよいだろう(なお高校世界史範囲は考えないものとする)。

国際刑事司法についての興味関心があれば、ポル・ポト裁判前に死んだことやピノチェトスペインから訴追されたこと、ミロシェヴィッチ獄死したことカラジッチが長年にわたる逃亡生活のすえに拘束されて裁判にかけられたことなどは有名であるため、慶應義塾大学法学部は国際刑事司法に詳しい受験生を求めているのだと推察できる。おそらくこれらの話は法学部教授にとってはよく知られていることなのであろう。たとえば大屋雄裕氏(元名古屋大学教授、現慶應義塾大学法学部教授)の法哲学に関する論説でもカラジチの名前は出てくるし、彼の著書『自由とは何か』(ちくま新書2007年。良書なのでオススメ)ではポル・ポトの事蹟にも触れられているので、きっと法学部教員はこういったものを事前に読んでおけと言いたいのだろう。なんと志の高い大学だろうか!

……いや、無理だろ。

2025-03-12

anond:20250312211504

この意見はいくつかの論理的問題がある。経済学的には以下の4つのポイントを指摘できる。

1. 「副作用金利1%にすれば抑え込める」という主張は根拠がない

彼の主張:「金利ゼロ金利から1%ぐらいにしたら抑え込める程度の副作用にとどまった。これなら金融政策で余裕で対処できる。」

反論金利1%副作用を抑えられる保証はない

結論金利1%にすれば副作用を「余裕で」抑え込めるというのは、単純化しすぎた議論経済の状況により、もっと大きな副作用をもたらす可能性がある。

2. アベノミクスの「金融政策物価を上昇させられる」いう主張は現実否定された

結論アベノミクスの失敗した部分を無視している

3. 否定派の極端な予測が外れたことは、アベノミクス成功意味しない

彼の主張:「1ドル500円」だの「日経平均5000円割れ」だのは完全な空論だった。

反論:極端な批判が外れたことと、アベノミクス成功無関係

結論:「極端な批判が間違っていた」ことは、「アベノミクス問題がなかった」ことの証明にはならない。

4. 「王道中の王道」という主張との矛盾

彼の主張:「アベノミクスは愚直にやっただけ」「王道中の王道だった」

反論アベノミクス金融政策は「異例の規模」だった

結論:「王道中の王道」とは言えず、むしろ「異例の金融政策」だった。

第2次トランプ政権の混乱っぷりを見て思った事

米国テレビドラマThe West Wing1990年代以降に民主化した東欧の国が新しい憲法を作る際に米国のそれを参考にしようと送ってきた視察団に対して広報部長スピーチライターをやってる上級スタッフ大統領制ではなく議員内閣制にした方が良いと言う趣旨発言をしてるシーンがあったけど、第2次トランプ政権発足後のゴタゴタを見るとその意味がよくわかる。

anond:20250312134105

1. 「経済規模に応じて通貨を発行する」は基本原則か?

経済学基本的な考え方として、通貨供給量は経済規模GDP)に応じて調整されるべきだというのは間違っていない。しかし、現実金融政策はそれほど単純ではない。

適切な通貨供給量の調整:

通貨を増やせばいいという単純な話ではなく、インフレデフレ抑制金融市場の安定、金利コントロールといった要素を考慮しながらバランスをとる必要がある。

過去日本問題

1990年代以降の日本デフレが続き、十分に通貨供給できていなかった。アベノミクスでは日銀の大規模な金融緩和異次元緩和)によって、意図的マネタリーベースを増やす政策を取った。これは「経済規模に応じた通貨発行」以上の積極的アプローチだった。

2. アベノミクスは「ふつうのこと」をやっただけ?

王道中の王道をやっただけ」とするのはやや単純化しすぎ。

異次元緩和特殊性

日銀が大量の国債ETFを買い入れることで市場流動性供給したのは、一般的金融政策の枠を超えた「異例の措置」だった。

→ たしかに「通貨供給を増やす」こと自体普通金融政策だが、規模や手法は従来の金融政策の枠を超えていた。

マイナス金利政策の導入

アベノミクスの一環として日銀2016年マイナス金利を導入した。これは、通常の金利政策では対応しきれなくなったための非伝統政策であり、「ふつうのこと」ではない。

財政政策との組み合わせ

金融緩和に加えて、大型の財政出動公共事業や減税など)も行われた。これは、単に通貨供給を増やすだけでは十分でないことを示している。

3. 「奇策でもなんでもない」というのは正しいか

完全には正しくない。

異次元緩和」は世界的にも異例

2013年以降の日銀の大規模な金融緩和は、FRBECB比較しても異常な規模だった。

一定理論根拠はあるものの、「王道」と言えるかどうかは議論余地がある。

副作用が大きい

円安誘導による輸入物価の上昇(特にエネルギー食料品)。

金融市場のゆがみ(日銀ETF買い入れによる株価の不自然な安定)。

超低金利による銀行収益悪化年金運用への影響。

これらは「ふつうのこと」ではなく、むしろリスクを伴う政策」だった。

結論

経済規模に応じて通貨を発行する」という考え方自体は間違っていないが、アベノミクスは単なる「王道政策」ではなく、かなり特殊金融政策だった。

ふつうのこと」ではないが、

「奇策」とも言い切れない(理論的な裏付けはあった)。

最も重要なのはアベノミクスが「成功たかどうか」よりも、その副作用と長期的な影響をどう評価するかという点だろう。

2025-03-11

年代代表的ヒロイン女性声優

年代ごとに代表的ヒロイン役を演じた声優をChatGPTに挙げてもらった

1970年代

杉山佳寿子(『アルプスの少女ハイジハイジ、『あらいぐまラスカルアリス

潘恵子(『キャンディ・キャンディキャンディ、『銀河鉄道999メーテル少女時代〉)

1980年代

島本須美(『風の谷のナウシカナウシカ、『めぞん一刻音無響子

鶴ひろみ(『ペリーヌ物語ペリーヌ、『ドラゴンボールブルマ

日高のり子(『タッチ浅倉南、『となりのトトロサツキ

1990年代

林原めぐみ(『新世紀エヴァンゲリオン綾波レイ、『スレイヤーズ』リナ=インバース

三石琴乃(『美少女戦士セーラームーン月野うさぎ、『新世紀エヴァンゲリオン葛城ミサト

椎名へきる(『魔法騎士レイアース獅堂光)

宮村優子(『新世紀エヴァンゲリオン惣流・アスカ・ラングレー、『名探偵コナン遠山和葉

2000年代

堀江由衣(『ラブひな成瀬川なる、『とらドラ!櫛枝実乃梨

田村ゆかり(『魔法少女リリカルなのは高町なのは、『ひぐらしのなく頃に古手梨花

釘宮理恵(『灼眼のシャナシャナ、『ゼロの使い魔ルイズ

川澄綾子(『Fate/stay nightセイバー、『のだめカンタービレ野田恵

2010年代

花澤香菜(『化物語千石撫子、『Angel Beats!立華かなで、『ニセコイ小野寺小咲)

佐倉綾音(『ご注文はうさぎですか?ココア、『Charlotte』友利奈緒

早見沙織(『赤髪の白雪姫白雪、『鬼滅の刃』胡蝶しのぶ)

水瀬いのり(『Re:ゼロから始める異世界生活』レム、『ご注文はうさぎですか?チノ

2020年代

鬼頭明里(『鬼滅の刃竈門禰豆子、『私に天使が舞い降りた!』姫坂乃愛)

楠木ともり(『リコリス・リコイル』錦木千束、『先輩がうざい後輩の話』五十嵐双葉

上田麗奈(『SSSS.GRIDMAN』新条アカネ、『魔法使いの嫁羽鳥チセ

瀬戸麻沙美(『呪術廻戦』釘崎野薔薇、『響け!ユーフォニアム川島緑輝

感想

あーなるほどって感じ。

あんま古い時代わからんが、「悠木碧」「黒沢ともよ」「種崎敦美」「石川由依」あたりも入っててもいいかと思ったけど違うのかな

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