はてなキーワード: カバーとは
自分は身長155cmの男で、正直なところ人生が詰んでいると感じている。20代半ばになっても、このコンプレックスが消えることはなく、むしろ年齢を重ねるごとに厳しさを実感する場面が増えてきた。
学生時代から、身長のことでからかわれることが多かった。「小さくて可愛い」と言われたり、「弟みたい」と扱われたりすることが多く、明らかに恋愛対象として見られていなかった。男子同士でも、冗談半分で「ちっちゃいな」と言われることが日常だった。成長期に期待していたが、結局それほど伸びることはなく、気がつけばこの身長のまま大人になってしまった。
大人になれば身長の重要性は薄れると思っていたが、現実はそうではなかった。例えば、街を歩いていると、低身長の男性が女性と並んでいる姿をほとんど見かけない。カップルの男性はほとんどが170cm以上あり、180cmを超えている人も珍しくない。マッチングアプリに登録しても、「身長170cm以上」と条件を設定している女性が多く、こちらが「いいね!」を送ってもほとんど反応がない。身長を理由に、最初から恋愛市場のスタートラインにすら立てていないと感じる。
服装に気を遣おうとしても、低身長のせいで似合う服が限られてしまう。シンプルなTシャツやジャケットを着ても、子どもっぽく見えてしまうことが多い。厚底の靴を履いて少しでも身長を盛ろうとしても、根本的な解決にはならない。筋トレをしても、体が大きく見えるわけではなく、ただガッチリした小さい男になるだけだった。
努力でどうにかなる部分なら、いくらでも頑張れる。しかし、身長だけはどうすることもできない。学歴や仕事、性格などでカバーできるという意見もあるが、最初から恋愛対象に入れてもらえなければ、それらを評価される機会すらない。
ネットでは「身長なんて関係ない」と言う人もいるが、現実ではそう感じる場面はほとんどない。女性の友人が「身長は気にしない」と言っていたのに、実際に付き合った相手は全員175cm以上だったこともある。「身長が低くても気にしない」というのは、建前に過ぎないと感じる。
このまま恋愛もできず、就職しても周囲に舐められながら生きていくのかと思うと、不安しかない。同じような悩みを持っている人がいたら、どうやって乗り越えているのか聞いてみたい。もし、少しでも前向きになれる方法があるなら、知りたい。
妻と念願の家を買った。
少し古いが、趣のある中古住宅だ。予算は厳しかったが、これから二人で少しずつ手を入れて、理想の家にしていこうと夢見ていた。契約が済むと、俺はいてもたってもいられなくなった。まずは家の顔である庭からだ。雑草が生い茂り、不要な庭木もあって、正直みすぼらしかった。来客は少ないかもしれないが、自分たちが毎日見る場所だ。それに、車も停めやすく、見た目もきれいにしたかった。妻は「今のままで十分」と言うけれど、俺はもっと快適な場所にしたいんだ。
俺は個人事業主だから、平日の昼間にも時間が作れる。だから、早速、庭の手入れを始めた。妻は平日は仕事で忙しい。家のことを何も考えていないなんて思ったことはないが、俺が先に動ける分、家の基盤を整えたいという気持ちが強かった。
近くに住む母さんに声をかけると、喜んで手伝ってくれると言ってくれた。古い家には前の住人の残したソファがあったが、母さんは裁縫が得意で、「これ、汚れてるからカバー作ってあげるわよ」と言って、布を買ってきてあっという間に作ってくれた。妻の好みとは違うかもしれないが、母さんなりの善意だし、とりあえずきれいになるなら、と俺は思った。それに、母さんは襖紙の張り替えにも意欲を見せてくれた。最初は床の間の小さな棚だけだったが、「どうせなら全部きれいにしましょうよ」と、かなり立派な襖紙を選んできた。正直、そこまでしなくても、とは思ったが、母さんの「息子夫婦のために」という気持ちを無下にもできず、まあ、きれいになるならいいか、と流してしまった。妻が母さんのやり方を少し苦手だと知ってはいたが、今回は家のことだし、協力してくれるのはありがたいと思っていた。
そんな矢先、仮住まいの家のトイレが詰まった。妻は「まだ流せる」と言ったが、どうも流れが悪い。もう古い家だし、いつまたトラブルが起きるかわからない。「もう限界だ!新しい家に移ろう!」俺は決断した。リフォームは途中だし、ガスもまだ通っていないのは分かっている。でも、最低限の荷物を運べば、なんとかなると思った。「風呂はどうするんだ?」と妻は心配したが、「うちの実家が近いんだから、借りればいいじゃないか」と提案した。一時的なことだし、それが一番合理的だと思った。
妻が実家で風呂を借りている間、母さんと新しい家のカーテンについて話した。仮住まいで使っていたカーテンは、新しい家の窓には丈が足りないものもある。「足りない分は、余ってるカーテンを繋ぎ合わせて作ってあげるわ」と母さんが言ってくれた。これも助かる提案だと思った。妻にあとで伝えればいいか、と軽く考えていた。事がスムーズに進むことを優先してしまったかもしれない。
でも、この辺りから妻の様子がおかしくなっていった。風呂から戻ってきた妻にカーテンの話をすると、明らかに不機嫌だった。そして、仮住まいに一人で戻ると言い出した。
しばらくして、ほとぼりが冷めたかと思い、妻を迎えに行った。新しい家で一緒に暮らそう、と話すために。車の中で、今後のことを話しているうちに、襖の件をどう切り出したか、もうよく覚えていない。「母さんに、襖を貼ってもらうのはどうかな…」というような話をした時だったと思う。妻が突然、「お義母さんのこと、正直ちょっと無理なんだ」と言い放った。俺の中で何かが切れた。母さんは、俺たちのために良かれと思ってやってくれている。それを「無理」と一蹴するのは、あまりにも失礼じゃないか。俺はカッとなった。
俺が不機嫌になると、妻はいつも引いてしまう。でも、今回は俺だって譲れなかった。善意で手伝ってくれている母さんを、そんな風に言わないでほしかった。思わず母さんに電話して、「〇〇(妻の名前)が、母さんの選んだ襖紙、気に入らないみたいなんだ」と伝えてしまった。妻が隣で「そうじゃない!」と叫んでいたが、もう俺にはそうとしか聞こえなかった。妻の気持ちより、母さんの気持ちを踏みにじられた怒りが勝っていた。
妻が「もういい!」と荷物をまとめ始めたところに、母さんがやってきた。タイミングが悪かった。妻は感情を爆発させ、「私は悲しいです!」と叫んだ。母さんも「私も悲しいわ!」と応酬していた。妻が母さんを「あなた」呼ばわりした時、母さんが「お母さんでしょう?」とたしなめたのも、俺には当然のことのように思えた。あんなに怒りをぶつける妻を初めて見た。母さんだって傷ついている。なんで妻は、自分の感情ばかりなんだ。
結局、妻は仮住まいに戻ってしまった。俺も、あんな状態の妻と新しい家で暮らす気になれず、実家に戻った。少し落ち着いてから、俺は妻にLINEを送った。「いくらなんでも、母さんにあんな大声を出すのは酷すぎるんじゃないか!」と。俺だって妻の剣幕には驚いた。あんなに怒る妻は初めて見た。だが、俺を育ててくれた母があそこまで言われるのは、どうしても納得がいかなかった。妻の悲しみもわかるつもりだったが、あの時は母を守りたい気持ちの方が強かった。
今、あの家には誰も住んでいない。あんな激しい言い争いの後、妻があれほど母を拒絶するのを見て、もうこの関係を続けるのは無理だと思った。感情的になっていた部分もあるが、冷静になって考えても、修復は難しいと感じた。だから、俺の方から妻に伝えたんだ。家の手続きが全て終わったら、離婚しよう、と。妻は「それでいい」と静かに答えた。虚しい。二人で夢見たはずの家。誰も住まないその家のために、重いローンだけが残った。
今も時々、妻にLINEを送る。「誰も住まない家のために払うローンは地獄だ」と。妻は「お義母さんと私の接点をなくせば、一緒に暮らせるよ」と返してくる。でも、俺を育ててくれた母を、完全に切り離すことなんてできるだろうか。それに、あの剣幕で怒った妻と、またうまくやっていける自信も、正直、今は持てない。返事はできずにいる。どうすればよかったのか、今もわからないままだ。
旦那と家を買った。
予算の都合で私好みのリフォームはできなかったけど、工事が終わったらふたりで話し合ってあちこち直して住もうと思っていた。
ところが旦那は契約が終わったと同時に庭いじりを初めた。そんなに人は来ないのに。今のままで十分車2台停められるのに。
個人事業主の旦那は平日の昼間も庭木の抜根ができる。平日仕事の私のことを、一方的に「家のことを考えていない人」と決めつけた。
近くに住む義母に声をかけ、庭いじりを始めた。洋裁の得意な義母は、残置物のソファーに勝手に私の好みとは違う柄の布を相談もせずに買ってきてカバーを作ってしまった。さらに襖紙も張り替えると張り切りだして、最初は小さな床の間の棚の襖紙だけだったが、何万もかけて襖紙を買ってきて全部やろうとした。
義母はもともと私の領域に土足で踏み込むところがあって苦手だった。
ある時、仮住まいの家のトイレが詰まった。(実際はまだ住める。流せるトイレブラシが詰まっただけ)すると旦那は「もうこの家には住めない!」と、まだリフォームも終わっていない、ガスも来ていない新しい家に荷物を運び始めた。「風呂は?」と聞くと、義母の家の風呂を借りればいいとのこと。すごく嫌だ。
仕方なく風呂を借りると、私が風呂に入っている間に旦那と義母で新しい家のカーテンのことを相談し始めた。仮住まいで使っているカーテンで丈の足りないものは、余ったカーテンを義母が縫い合わせて作るとのこと。勝手に相談して、断れない状況にして、結論だけ伝えて、断らなければ私も賛成したことにされる。すごくすごく嫌だ。
ここで私の中での義母に対する「無理」の感情がピークに達した。
一旦私だけ仮住まいに戻ることにした。
しばらくして旦那から新しい家で一緒に暮らそうとの話し合いをしにやってきた。移動する車の中で、もう思い出せないけど義母に襖を貼らせてもいいか?と聞かれた気がする。もう我慢できなかった私は、「おかあさんが軽く無理」と伝えた。それで旦那が怒りだした。
不機嫌で相手をコントロールしようとする旦那が嫌いだった。善意の名のもとに相手の気持ちを踏みにじる義母はもっと嫌だった。
旦那は義母に電話して、私が義母の選んだ襖紙が気に入らないんだってさと、言ってもいないことを電話で伝えていた。そうじゃない!と電話口の義母に聞こえるように反論した。
もういいやと思って、一旦新しい家に持ち込んだ荷物をもう一回持ち帰ろうとしたところで義母がやってきた。
怒り狂っていた私は、「私は悲しいです!」と訴えたが、義母に「私も悲しいよ!」と被せられた。
人が悲しいと言っているときに、話を聞こうとしない人は初めてだった。
私の人生でこれ以上ないくらい怒りの感情を表に出した。許せなかった。あなた達で勝手に決めて、私はいつも置いてけぼりで。話の中で義母をあなたと呼ぶと、義母に「お母さんでしょう?」とたしなめられた。お母さんなんかじゃない。あんたは自分の楽しみのために当人たちのささやかな楽しみを奪っているんだ。許せなかった。
仮住まいに戻った私に、旦那から「母にあんな大声を出すなんて!」と非難のLINEが届いた。
私だってこんなに怒ってる自分にびっくりしてるんだぞ。それほどの怒りなのに、悲しみなのに、私だけが責められていた。
私は今も仮住まいで暮らしている。旦那は義母のいる実家に戻った。あの家には誰もいない。
家の手続きが全部終わったら離婚だそうだ。それでいい。ひとりはさびしいけれと、自分を粗末に扱う人たちとは、もう一緒に暮らせない。
今も時々旦那からLINEが来る。「誰も住まない家のために払うローンは地獄だ」と言う。「お母さんと私の接点を断てば、一緒に暮らせるよ」と返したが、返事はない。
旦那と家を買った。
予算の都合で私好みのリフォームはできなかったけど、工事が終わったらふたりで話し合ってあちこち直して住もうと思っていた。
ところが旦那は契約が終わったと同時に庭いじりを初めた。そんなに人は来ないのに。今のままで十分車2台停められるのに。
個人事業主の旦那は平日の昼間も庭木の抜根ができる。平日仕事の私のことを、一方的に「家のことを考えていない人」と決めつけた。
近くに住む義母に声をかけ、庭いじりを始めた。洋裁の得意な義母は、残置物のソファーに勝手に私の好みとは違う柄の布を相談もせずに買ってきてカバーを作ってしまった。さらに襖紙も張り替えると張り切りだして、最初は小さな床の間の棚の襖紙だけだったが、何万もかけて襖紙を買ってきて全部やろうとした。
義母はもともと私の領域に土足で踏み込むところがあって苦手だった。
ある時、仮住まいの家のトイレが詰まった。(実際はまだ住める。流せるトイレブラシが詰まっただけ)すると旦那は「もうこの家には住めない!」と、まだリフォームも終わっていない、ガスも来ていない新しい家に荷物を運び始めた。「風呂は?」と聞くと、義母の家の風呂を借りればいいとのこと。すごく嫌だ。
仕方なく風呂を借りると、私が風呂に入っている間に旦那と義母で新しい家のカーテンのことを相談し始めた。仮住まいで使っているカーテンで丈の足りないものは、余ったカーテンを義母が縫い合わせて作るとのこと。勝手に相談して、断れない状況にして、結論だけ伝えて、断らなければ私も賛成したことにされる。すごくすごく嫌だ。
ここで私の中での義母に対する「無理」の感情がピークに達した。
一旦私だけ仮住まいに戻ることにした。
しばらくして旦那から新しい家で一緒に暮らそうとの話し合いをしにやってきた。移動する車の中で、もう思い出せないけど義母に襖を貼らせてもいいか?と聞かれた気がする。もう我慢できなかった私は、「おかあさんが軽く無理」と伝えた。それで旦那が怒りだした。
不機嫌で相手をコントロールしようとする旦那が嫌いだった。善意の名のもとに相手の気持ちを踏みにじる義母はもっと嫌だった。
旦那は義母に電話して、私が義母の選んだ襖紙が気に入らないんだってさと、言ってもいないことを電話で伝えていた。そうじゃない!と電話口の義母に聞こえるように反論した。
もういいやと思って、一旦新しい家に持ち込んだ荷物をもう一回持ち帰ろうとしたところで義母がやってきた。
怒り狂っていた私は、「私は悲しいです!」と訴えたが、義母に「私も悲しいよ!」と被せられた。
人が悲しいと言っているときに、話を聞こうとしない人は初めてだった。
私の人生でこれ以上ないくらい怒りの感情を表に出した。許せなかった。あなた達で勝手に決めて、私はいつも置いてけぼりで。話の中で義母をあなたと呼ぶと、義母に「お母さんでしょう?」とたしなめられた。お母さんなんかじゃない。あんたは自分の楽しみのために当人たちのささやかな楽しみを奪っているんだ。許せなかった。
仮住まいに戻った私に、旦那から「母にあんな大声を出すなんて!」と非難のLINEが届いた。
私だってこんなに怒ってる自分にびっくりしてるんだぞ。それほどの怒りなのに、悲しみなのに、私だけが責められていた。
私は今も仮住まいで暮らしている。旦那は義母のいる実家に戻った。あの家には誰もいない。
家の手続きが全部終わったら離婚だそうだ。それでいい。ひとりはさびしいけれと、自分を粗末に扱う人たちとは、もう一緒に暮らせない。
今も時々旦那からLINEが来る。「誰も住まない家のために払うローンは地獄だ」と言う。「お母さんと私の接点を断てば、一緒に暮らせるよ」と返したが、返事はない。
【追記】
びっくりするほどたくさんの人に読んでいただけて驚いています。以下いただいたコメントの中からいくつか回答します。
1.AIか嘘松かとのことですが本当です。文才がない上に怒りに任せた文だったので下手くそでごめんなさい。
2.ちゃんとNOを伝えられたらとのご意見もありましたが、はっきりNOというほど嫌なことはされてなかったんです。土足で踏み込むなぁとは思っていたし、苦手な義母だけど適度な距離があればなんとかやっていけると思っていました。旦那と義母は仲いいなとは思えどそこまでズブズブの関係とは思っていなくて、家を買ってから急にふたりの世界に入ってしまった感じです。今思えばあのときのあれはそういうことだったんだなと答え合わせはできますが、実際にこんな状況になるとは想像もつきませんでした。
3.コミュニケーション不足についてはおっしゃる通りです。きちんと価値観のすり合わせをしてこなかった罰だなと思っています。
4.家や旦那の詳細、ローンの細かい内容は控えさせてください。
おかげさまで気持ちを落ち着けることができました。どうしても納得いかないと思ってた気持ちがすこし穏やかになりました。みなさんのおかげです。打ち明けてよかった。
サカナクションといえば調和、楽曲の構成が気持ちいサウンドだったけど、
怪獣はそれぞれ楽器単体でそれが成立してるし、何ならカバーでも楽器減らしてもパワーを生み出してて何で?ってなる
それも過度に精緻である必要もなく、ある程度力強く弾いても聞いてて気持ちいい、バンドサウンド的な良さも持ち合わせてる
ある程度のボーカルさえ連れてくれば(無理)成立するという点でシステム化とも言える完成度を見せてる
夜勤専従の職場について1年。朝のコーヒーとはすっかり縁遠くなった。
そもそもコーヒー自体が飲んで休日の夜だけ。昼の仕事の頃は、ちょっと味気ない職場でもおやつ時の休憩にインスタントのコーヒーでも作れば香り華やぐ、なんて楽しんでいたが、夜勤を始めてから眠気を取るにもリフレッシュにもコーヒーをとはいかない。自分の仕事は(大抵の仕事は)中盤から終わりにかけてピークを迎える。夜勤となると特に眠気が大敵なので、ピーク前に仮眠を取っておきたい、となるとその前にはカフェインを取れない。仮眠明けも身体のケアのために飲む栄養ドリンク以上にカフェインを摂ると朝の睡眠に差し支える。ましてや仕事明け、コーヒーで一服なんてありえない。
これを書いている朝、久々朝にコーヒーを飲んだ。この春、異動となる上司に餞別として戴いてしまった喫茶店のチケットを使わせてもらってだ。
この上司は、その人の上司曰く、一言で表すと「職場のマスコット」のような存在であった。仕事のプレイヤー兼マネージャー補佐の立ち位置だが、周りに言わせるとプレイヤーとしては、あまり要領がいい方ではないそうだ。自分とはマネージャーとして接することがほとんどだったが、自爆気味だったところを助けに回るということもあった。
企業の勤め人としてはあまり評価されるタイプではないかもしれない。けれど、自分はとにかくこの人が人として好きであった。
最初、職場に入った時、心配過ぎとこちらが思うくらい、心配してくれた。まず単純に夜勤専従というのは体調の管理が厳しい。バリバリ働いていたプレイヤーが突然ぱったりという話も、直接目にしたわけではないがいくつか耳にする。そういう事もあってか、とにかく「大丈夫?」、また「休みな?」と言われた。これには自分がいろいろ危なっかしいタイプだったり、要領の悪さを休憩で(といっても余裕がある休憩を削る範疇)カバーしようとするところが多分に含まれるだろうが。
単純に心配させてしまったのがあるにせよ、これはなかなか出来ることではない。そもそも、心配させてしまう自体、成人として情けない。また、腐っても成人なんだから大丈夫であろうと線を引くなどが普通だ。それでも、心配してくれたその上司には、いろいろな感情の中、大いに感謝したい。そして、そのように若輩者に接してくれたり、普段から周りに弄られながら陽気に振る舞う姿は、例えば「つば九郎」ではないが器の大きな職場のマスコットであった。
職場ではちょっと浮く、お手製ポップなイラスト入りのアイキャッチも、個人的にはほんのり華やかな気分にさせてくれて好きだったな。
一方、その上司は交代勤務の中働いており、後の時間で自分達のミスの尻拭いをするという事も多々あった。職場での長さあってか、部署間で顔を利かせたり(だからといって断じて先輩風を吹かせるではない)、問題解決へドタバタと奔走したり。夜勤始めに顔を合わせたらヘトヘトという事も多々あった。ヘトヘトまで働くというのもなかなか出来ない。
その人と自分はいろいろと似た者同士とシンパシーを感じる部分があったが、自分には長く勤め続けた経験もないし、時に客に謝る顔もない。シンパシーの一方、深く尊敬する存在であった。いや、頭が上がらないが正しくなってしまうのだろうか。
普段は時に……結構空回りしながら業務を進める人だったが、逼迫した場面ではドライさを感じさせる場面もあった。そのような顔をさせるのに酷く悲しみを抱きつつ、締めるところ締めようとするこの人は信頼出来ると思ったものだ。(なんと甘えた野郎だ)
ある日、雑談の中で、職場の緩みを懸念しているという事を伺った。要領よく、やるべき事をやる。そのような人が評価される中、その隙間を埋めることに無関心ではないか?と。
自分はまだそのような所やれるプレイヤーではない。というか、ああ本当にベーベだと、独り立ちにもがく日々が続く。が、まず、職場の一日におけるトップランナーの一員としていいバトンを渡し続けられるように精進したい。
異動先はそれなりに通勤が負担になる土地、長くこの職場一筋だった中、ご家族の事情を含めて生活の負担が増えることは避けられないと心配な一方、どうやら見知った顔が多くある職場で、周囲から最大限配慮された異動であるらしい。人徳が伺える。
そのような事情含めて、どうしても自分の性格含めて湿っぽくお別れになりそうと思っていたところ、カラッと、職場付近で遊んでいるからまた会えると話を持っていかれ、ガラホで記念撮影をされ、餞別にと喫茶店のチケットを受け取ったと思ったら、職務に戻られた。「この後使ってよね!」なんて。
餞別の品を体調崩して用意できなかったとウジウジしていたらこちらが受け取るなんて、ああなんてこと。こちらが感謝し倒しなのに。
選んでなかなか入らないような喫茶店にて、モーニングを戴きながらこれを書こうと至る。自分はあまり他人に深く突っ込めない性格だ。その上司のことも結局はほとんど知らない。ああこの人はこういうお洒落な店に通われるんだなんて思いながら、コーヒーの味を刻み込む。
最後に。その人を評するようなことを書いたけれども、酷く独りよがりなはずだ。相手がどう思っているかも分からない。腹を割って話すという事もおそらくなかった。幼稚で虚ろな文章認めたところでなんなんだと思うところだが、それでも、異動も交代勤務もないプレイヤーより敬意を表して、ありがとうございました。次の職場での活躍をお祈りしております。
「また、どこかで!」
そろそろベビーカーでの外出ができる頃になったが、ベビーカーのレインカバーを買ってなかったことに気づいた。
買ったレインカバーがベビーカーのサイズが合わなかったら最悪だし、食材も多めに買ってベビーカーに乗せたかったので、ベビー用品店とスーパーが入っている近くのモールまで空のベビーカーを押して行った。
平日の昼間なので高齢者やママさん達が多いが、明らかに避けられているのを感じる。
エレベーターに乗っても、はじめは優しい口調で行き先の階数を聞いてくれたご婦人も、ベビーカーを見たらギョッとした顔をしている。
そこで自分は「平日の昼間にベビーカーの座席に5kgの米を乗せて大事そうに押している中年男性」になっていることに気づいた。
いつもの癖で止まっている間にベビーカーを前後に動かしていたのも不気味さに拍車をかけたのだろう。さらに連日の寝不足でかなり顔もやつれている。
北京旅行増田です。読んで期待してくれている人たち、ありがとう。
とりあえず今回の旅行で書くべき候補をリストアップしていったら当分掛かりそうな気がしてきた。いつか誰かが読んで役立ててくれればよいので、忘れないうちに順次書いていきます。
・観光地
・食事
・四季民福
・鳳臨閣(大同市)
・東来順
・很久以前羊肉串
・京兆尹
ここを観光地と呼ぶべきかは意見が分かれるところではあるが、北京大学西門や未名湖といったガイドブックにも載るような見どころがある。増田長男の留学先でもあり今回の旅行では外す訳にはいかなかった。
季節によるのかもしれないが、一般旅行客による入場は極めて難易度が高い。すべての門でセキュリティチェックがあり、学生以外は事前予約がないと入場不可。一般客の予約はWeChatのミニプログラム「参観北大」から行う。説明は「7日前から予約可、毎日8時更新」とあるのだが、予約画面に行くと、「校内行事のため、〇月〇日までしばらく停止」となっていることがほとんど。たまに予約可能日が表示されてでも既に枠は埋まってる状態で、これは無理だ思う。
増田一行はどうしたかと言うと、北京大学生の招待枠を使って予約した。増田一行の人数が多いので他の学生にも手伝ってもらったとのこと。ありがたい。予約は3日前から可能でパスポート情報と時間指定が必要。旅行直前か始まってからでないと予約確定しないのと、政府要人が急遽来るってことになったら当然予約できないらしい。どの門から入るかは指定できない。今回は分けて予約したせいか東門と東南門に別れて入場することになったが、200mぐらいしか離れてないのですぐに合流できた。セキュリティチェックはパスポートで行うが、高速鉄道や観光地のように読み取り機があるわけでもなく、屈強そうな係員がタブレット(iPad?)を出して、渡したパスポートと画面を見比べて確認していた。今回の旅行で一番アナログな瞬間だったかも。なお、出口の指定はないので今回は東門/東南門から入って、西門から出た。
増田一行のセキュリティチェックの脇を、学生たちは自転車やミニバイクで学生証を機械にタッチしながらどんどんすり抜けて行く。他の施設と同様に北京大学の校内もものすごく広い。お約束だが東京ドーム換算で17.5個らしい。なので校内の至るところで電動ミニバイクが走り回っており、美団やハローのシェアサイクルが放置状態で転がっている。面白かったのはミニバイクに取り付けるハンドカバーの柄。北京の冬は寒いので、ハンドカバーが大きくなり上半身や足まで覆うようなカバーを使っているのだけど、女学生と思わしきミニバイクのカバーは、昭和のファンシーショップに置いてあるような動物の図柄がほとんどだった。10台ぐらい見てみたが、どれも違う柄だったので相当な需要があるんだと思う。たまにおっさんもファンシーなカバーを使っていてとても微笑ましい。
大学入って門の周りで記念撮影したあとは、大学文創と呼ばれる北京大学オリジナルグッズを取扱う店に行ってお買い物。ボールペンやキーホルダーなどの定番のほか、THERMOSのボトルなど実用的なお土産物が多い。ちなみにTHERMOSのボトルは蓋の裏に茶こしが付いていて中国仕様だった。アパレルも豊富で、Tシャツ以外にも北京大学のエンブレムが付いたダウンコートや、左胸に北京大学と刺繍が入った青色のダサかっこいいジャージとかも売ってた。(買わなかったけど)
買い物終わったらちょうどお昼頃で、学生たちが学食へどんどん向かっている。北京大学には11の学食があるらしいが、ほとんどが学生証がないと注文できないとのこと。実際に行ってみたらゲートがあって、丁寧に学生のみ購入可の掲示があった。この日、増田長男は不在だったので無理かなと思いつつも、学食にいた大学職員?から家園という学食の4階なら学生証なくてもOKとの情報を聞き出し、そこへ向かうことに。はてさて、あったのは「西式快餐」という残念な感じのファストフード店と「小北面包」というパン屋。火鍋のレストランもあったけど学食ではないっぽい。西式快餐で残念なピザと残念なパスタを注文してしまった。子どもたちはカツカレー頼んで満足してた。違う。そうじゃない。
昼食後は有名な西門(正門)へ向かう、寺院のような豪華で古典的な門で、入学した学生は必ずこの門で記念撮影をするという。また、北京大学の北側半分は、コンクリート造りで雑多な建物な南側と異なり、学生もほとんど居らず、未名湖という大きな湖があり、湖越しに博雅塔が見えるなど、同じ大学内とは思えないほどのデートスポットになっている。このエリアのクラシカルな建物にはどんな学部が入ってるのだろうと案内板を見たら「考古学研究所」と書いてあって納得。西門に戻って外へ出たら中に入れない観光客がたくさんいて記念撮影していた。へへ〜んと優越感を得て北京大学見学は完了。10時に入場して14時までぐらいかな。
北京大学から見てすぐに西側にある歴代の中国皇帝により整備された庭園。ここもものすごいスケールで大きな湖があるが、これも人造湖だという。世界文化遺産(1998年登録)に指定されている。今の形に整備されたのは西太后が自分の住まいのために莫大な資金を投入したとかで、専制君主ってのは良くも悪くくもすごいなと思う。
北京大学西門を出たらすぐだよ、と増田長男は言っていたが、距離を測ると2.5kmほど。地下鉄駅もすぐ近くにはないので当然のごとくDiDi呼んで移動。この頃にはDiDiの利用にもだいぶ慣れてきて、ちょっとした移動でも躊躇せずに使うようになってきた。DiDiで移動したのだが、頤和園入口前で大渋滞になってしまいタクシー運転手もいらいらしてきたようなので100m手前ぐらいで降りてあとは歩いた。
頤和園のチケットは事前予約していなかったので、WeChatで「頤和園」と検索してミニプログラムを開いて購入した。当日購入は可能だが時間帯毎(9時〜12時、12時〜15時、15時以降)にチケット枚数の制限があるようだ。事前予約は7日前から可能なので繁忙期にどうしても行きたい場合は事前予約しておいたほうが無難かも。チケット代金は入園だけ、博物館などの入場料込の2種類ある。増田一行はすでに北京大学で歩き疲れていたので入園だけのチケットを購入したが、耶律楚材祠など朝からじっくりと見学したい人はフルセットのチケットが良いと思う。入園だけのチケットは一般20元、未成年10元、老人(60歳以上)無料、ほかと同じように購入にはパスポート番号の登録が必要だが、購入完了後、QRコードが発行されるので入場はQRコードの読み取りで行う。無料の老人はチケット購入がないのでQRコードは発行されない。入場チェックは曖昧で老人だと認識されるとパスポート確認もほとんどされない。
老人無料ということも関係があるのかもしれないが、頤和園は老人の団体旅行客がものすごく多かった。ひと昔前の農協ツアーを思わせるような、旗を持ったガイドに先導され、同じ帽子(赤や黄色などの目立つ色)を被った集団で埋め尽くされているエリアがいたるところにあった。頤和園内の見どころの説明看板には中国語、英語、日本語、韓国語の4カ国語で書かれているので、日本人にとっては非常にありがたい。日本語説明があるだけでも満足度が上がり、滞在時間が伸びる。湖には遊覧船もあるようだが、この日は動いていなかった。(運行停止のような記載があったが、季節によるものか、たまたまなのかは不明)
団体旅行客を避けつつ、日本語の案内文を呼んでいくと清朝末期の西太后や光緒帝の軋轢、悲しいエピソードに触れることができ、大変おもしろかった。歴史好きならば事前に予習しておくともっと楽しめると思う。園内には北京老舗の茶屋「呉裕泰」のお店があり、ジャスミンティーやココナッツミルクティーなどのお茶(13〜20元、アイスもできる)やソフトクリーム(10元)もテイクアウトできるので、天気がよければ休みながらゆっくりと過ごすのも良さそう。増田一行は連日の歩きで疲れているので入口周辺をぐるっと回っただけだが、それでも2時間弱の滞在だった。園の北側には行っていないが、小高い山(人造だそう)があり仏香閣などの有名な建物があるので、時間と体力に余裕がある人はフルセットのチケットを買って行ってみて欲しい。
16時過ぎに退園してDiDiでホテルに戻る。頤和園は北京市街の北西の外れで、ホテルは紫禁城の南東側に位置するので距離にして24kmほどになるが、タクシー料金は約60元(1,260円)などで地下鉄でも帰れるが、やはりDiDiが強い。
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