はてなキーワード: 渋谷とは
突然ですが、毎年クリスマス頃に開催されるM-1グランプリ決勝をご存知でしょうか?
M-1グランプリはお笑いの漫才日本1を決める大会で、決勝で競う形式は「4分漫才」なんです。
そこで、「4分漫才」って短いなって思ったことありません?この漫才師のネタがあと5分、いや10分と言わずもっと観たいな……と強欲な人間はよく考えます。
そんな方に朗報!おすすめしたいのがまず好きな漫才師の「単独ライブ」です。
年に0〜複数回、1会場だったり全国ツアーだったりで様々ですが、とにかく好きな漫才師の漫才をたくさん観れます。ネタだけじゃなくコーナーやVTR等があったりする場合もあります。また、配信チケットを購入できて現地に行けなくても観れる場合もあります。
「漫才師の名前 単独ライブ」等で検索すると色々情報が出てきます。
「単独ライブ」も良いんだけど、「4分漫才」を尺伸ばした感じのが観たいな……と漫才狂いの強欲な人間はふと考えます。
おめでとうございます!その望みは叶います!そんな方におすすめしたいのが「60分漫才」です。
2024年M-1グランプリのラストイヤーで念願の初決勝進出7位の双子漫才師、ダイタクの過去の60分漫才がダイタクTV(YouTube)にて複数観ることができるのです。
注目すべきは、舞台に上がったら最後捌けるまでずっと漫才をし続けているという点です。
M-1グランプリや寄席ライブでは「4分漫才」出番1回しか観れなかったりするのに、「60分漫才」は単純計算で15倍漫才を観れます、最高です。
掴みから入ってネタをナチュラルに繋げ綺麗にまとめて締める双子漫才師ダイタクの職人技、60分も観れるんです。
しかもなんと!今ならダイタク生誕祭MCでダイタクTVによく出てるギャンブル大好き有宗先生と、相撲大好き鹿児島出身西田淳裕からなる漫才師キンボシも「60分漫才」をする予定なんです!
2025年5月28日(水)20:45から渋谷ヨシモト∞ドームⅡにて開催されます、60分ずっと新ネタらしくて配信もあるそうなので「60分漫才」に興味がある方におすすめしたいです!
静音で人の近くから発着できるのは良いとして、他の人に危害を加えない安全性も現行の車並にならないといけないわけじゃん?
だから、きらめき通りみたいな、人がクルマの脇をすり抜けるような所では飛び立てなくて、でも、片側二車線くらいある車道の中央寄りからなら飛び立てそうだなって。だから、地上の自走能力が要るのかなと。
でも、発着頻度の多さを考えると、既存の太め道路だけでは足りなくて、既存のビルの屋上を使わないと行けないんだろうなあ。その点、福岡はビルの高さが揃っててとても離発着しやすそうだ。…と思って、渋谷のGoogleEarthを見てみたら、皆さんご存知のように、渋谷(170m以上のビル5棟)は、名駅(8棟、計画中2棟)より超高層ビルが少なくて(山手線駅で名駅より多いのは新宿16棟東京16棟だけ)、全然余裕だった。
というか、ビルの高さが違う方が使える高度が増えてよさそうだった。
アイドリングしてる計算資源をサービスメッシュにコンパイルしてN+1レンタルするサービス開発してて、顧客の多くはJTCなんだけど、
MTG同席するマネージャー職って海外の人が結構多い。日本外で確保した人材を本社に投入する施策が増えてるらしい。
これっていわゆる、サービスリスナーが日本人スタッフで、サービスプロバイダーがマネージャーっていうガバナンスなんだよね。
JTCでもそういう柔軟な舵切りする所増えたんだ、ってちょっと感心した。
コメント見てると「必要ない」って意見が大半だけど、単純にコストの問題だと思う。
例えば可処分所得が月に+30万くらいあれば、都心部であっても独身・家族持ち問わず「車を所有することは高い確率で選択肢に上がる」と思うよ。
自分は都心部で車持ちだが、カーシェアやレンタカーとはやはり違う。
まず、自分たち家族専用の「移動できるプライベート空間」を自由に使えるメリットは大変大きい。
また、行き先を検討するときに「車ありき」で計画できるのも大変大きい。
「レンタカーで十分」派はここが想像できていないように思っていて、
「車がある前提でお出かけを考える。車が逆に不便なところだと公共交通機関を検討する」のと、「普段は公共の交通機関を使うけど、特別なお出かけのときは車を借りる」は似て非なるものだよ。すぐに・安く借りれるとしても。
具体的に、車があるとお出かけ先がどう変わるかを挙げてみようか?
車を持っていない知人家族の場合は新宿・原宿・渋谷・池袋などのターミナル駅周辺になるのに対し、自分たちはららぽーとやお台場のようなプチ郊外型ショッピングモールや複合施設になることが多い。
え?って思ったでしょ。
そんなお出かけのために車必要?wwwってなるでしょ?
そうなんだよ、そんなものなんだよ。
だから都心部で車持ちは、その程度のために月数万~10万程度の維持コストを払っても全然問題ない高所得層は車を持ってるし、そうでない層は車を持ってらず「持たなくても問題ない」って言ってる(それは正しい)。
それだけのことだね
2025年現在、ストリートファイター6が盛り上がりを見せています。
大会やイベントの視聴者数、オフラインイベントの参加人数、SNSのトレンドといった数字がそれを物語っており、
2023年6月の発売以降、プロシーンやストリーマー界隈のスト6ブームが継続している状況と言えます。
スト6、とりわけプロシーンが盛り上がっている要因には、スト5から歴史を紡いできた既存チームの頑張り、
スト6が盛り上がるかわからないというリスクを承知で参入したReject・CRといった新規チームのイベント開催、
そして継続してスト6をプレイしているストリーマーたちの存在があります。
この点に異論がある人は居ないでしょう。
そんな盛り上がりが続いてるなか、発表されたZETA DIVISIONのSFL参入とスト6部門メンバーの発表。
衝撃的なニュースがFGCを駆け巡ったのは、記憶に新しいのではないでしょうか。
このニュースに対するSNS投稿を見ると、発表されたメンバーに対して「ZETA所属おめでとう」と声をかけている人々が沢山います。
ZETA DIVISIONは有力なプロ・ストリーマーを抱える、日本最大手のプロゲーミングチームであり、この点について異論や違和感はありません。
しかし、よく考えてみてください。
この2年半、日本最大手のプロゲーミングチーム ZETA DIVISIONは現在のスト6ブームに対して、プロシーンやストリーマー界隈で何か貢献しましたか?
ZETA DIVISIONはスト5から頑張っている既存チームでもなく、リスクを取った新規チームでもありません。
さらにRejectのRFNやCRのCRカップ、ホロライブ所属獅白ぼたんの獅白杯、
ネオポルテ所属渋谷ハルのVTuber最協決定戦といった、大規模なストリーマーイベントを開催して、FGCを盛り上げたこともありません。
そんな彼らが行ったのは、資金力で経営難のチームを買収し、他チームが育て結果を出している選手を集めただけです。
プロやストリーマーたちが盛り上げた最高のタイミングを見計らい、美味しいところだけを搔っ攫う。
ZETA DIVISIONの立ち振る舞いを見ていて、そう感じざるを得ませんでした。
今回のZETAマネー流入によって選手獲得が激化し、短期的にはプロの環境や収入が増えるかもしれません。
しかし、来年以降のSFLがどのようになるか、よく考えてみてください。
今後SFLは、前年成績が良い選手をZETAがマネーパワーで獲得していくだけのイベントになります。
そしてSFL下位チームは選手を育成し、上位チームに献上するだけの存在となるでしょう。
そんなチームを誰が応援したいですか?
長期的に見ると、下位チームは疲弊しコストが割に合わなくなりSFLから撤退、チーム数が減少してファンの熱量が低下、
結果プロシーンは盛り下がり選手たちの首を絞めることになる、そういった最悪のシナリオを憂いています。
そして美味しいところをしゃぶり尽くしたZETA DIVISIONは、新たな獲物を求めて旅立っていくことでしょう。
FGCへの貢献・リスペクトはないが、資金力のあるZETA DIVISION参入は、
例えると既存チームは織田、RejectとCRは羽柴、ZETAは徳川です。
コミュニティが育てた果実を美味しく貪る姿は、「座りしままに食うは徳川」と言えるでしょう。
FGCは徳川幕府を許すな。
結論から言うと、皇居の東側の民には、折りたたみ自転車がおすすめ。
皇居の西側の民は、まず「ドコモバイク」みたいなシェアサイクルで試してから電動なり買うと良き。
まず、地形がポイント。
東京は意外にも高低差があり、ざっくり言うと、皇居の西側は坂が多く、東側は平坦な地形が広がっています。
■ 西側エリア:坂道が多い地域がそこそこあるため、電動アシスト自転車が便利
五反田・渋谷・中野・新宿周辺など、起伏のあるエリアが近い街に住む場合は、電動アシスト付きの自転車が良い。
ただし、都内は駐輪場についてはシビアなこともあり、いきなり購入しても日常で使うかわからない。そんなときは、都内のあちこちにあるシェアバイクを、まず6月くらいまで使ってみる。
台東区・墨田区・江東区・中央区あたりは、坂道がほとんどないため、自転車での移動がしやすいです。
東京駅近くからディズニーリゾート(舞浜)まで自転車で行ったこともあるよ、時間はかかるけど、疲れなかった
※途中に橋があり、そこだけは多少の坂があります。
ロードバイクは東京での暮らしでは気をつけたいポイントがあります。
1. 荷物の運搬に不向き
カゴがついていないことが多く、荷物はリュックで背負うことになります。ロードは汗をかきやすく、背中がびちゃびちゃになるのがいやでした。
高価な車体は外に置きにくく、屋内保管が求められることも。
また、屋内駐輪場ならともかく、屋根付きの駐輪場は、風雨で濡れることは避けられない。実際、うちのマンションの住人の自転車は1年経たずに錆びついてる。
そんな中で、多くの場面にフィットするのが折りたたみ自転車です。
• コンパクトなので玄関やベランダに置ける。天気予報で部屋に入れるので、雨ざらししにくく、サビ対策も万全
• 必要ない時期は小さく畳んで保管しやすい(真冬と真夏は流石に乗らないよ)
というわけで、いつのまにか、自分の好きなミニベロの折りたたみ自転車をおすすめするという妙な方向になりましたが、満員電車に乗らなくて良い点だけでも、ロードだろうがなんだろうが自転車おすすめですわ。
1年以上前、「1年間の東京でやるべきこと」をおききしましたが、本日無事に契約が満了し地元に戻ることになったんであのとき回答してくれた誰かにむけてご報告を書きます
具体的な省庁とかバレたくないんで仕事の話は割愛(本当はそっちのほうが需要ありそうだし、おもろい話もあるけど、同僚だった人たちに「あい
つ匿名ブログとか書くやつだったんだ」って思われたくないから)
あっ、自転車通勤はしてないです、満員電車も慣れれば普通だったので、、、
と言う事でプライベート
ブコメにあったミュージアムパスをつかってとくに序盤は色々回ってた、でもあのミュージアムパスって割引になるやつと無料になるやつがあって、無料の優先してたから有名所で行ってないとこたくさんある(国立西洋美術館とか)
思い出深いのはやっぱり国立博物館かなあ、純粋に展示料多くて一日あってもたりない
あとはこのパスがなきゃいかなかっただろうなという、塩とタバコの博物館とか印刷博物館も行ってみたら面白かった
結構多かったご意見、とりあえず思いつく限りの土地ほとんど行ったと思う
好きだったのは柴又(某インターネットミュージックの印象しかなかったけどあんな風情あるとこなんすね)、高円寺(田舎の人間には丁度いい)、神保町(古本屋おもろかった、ただ2回め来ようとはならなかった)
やっぱひとが多いとこ嫌いだなとも思いました、新宿とか渋谷とか、最悪です
トラバでパパ活おじさんがオススメのホテルラウンジみたいなの書いてて、「どうせならこういうとこも行ってみたーい♡」とかも思わなくもなかったけど、おじさんと合うほうがめんどくさくて同年代とばかりあってたら普通の居酒屋しか行けませんでした
こっちに車持ってる友達いなかったし首都高ドライブはマッチング相手がいなきゃできなかったので、特に車で湘南まで連れて行ってくれた男には大感謝です
あとは新宿のラブホ帰りに大久保公園前通って立ちんぼ見れたのも地味におもろかったな
ワンナイトはしてないけど、数回会ってヤッた相手(2名)とも付き合わずにフィニッシュです、だってお前ら〇〇(私の地元)までついて来ないでしょ?
・旅行
海外は結局行かなかったんだけど(そもそもパスポート持ってない)、国内はちょこちょこ
今年1年で12球団制覇したんだけど(東京行く前に唯一明確にあった目標を達成)、やっぱりエスコンフィールドのために北海道いったのが一番印象的な旅ですね、あんなに素晴らしい球場ないよ
あとは深夜バスが便利かなと思って使ったら見事に体力削られた旅なんかも思い出深い、もう二度とやらないけど
・演劇
これはねえ、下北いってやるぞと思ってたんだけど、なんか日和っちゃって、結局12月に池袋であった劇団かもめんたるだけ見て1年が終わってしまいました
公演は攻めてておもしろかったです、「演劇見てる!」って感じがしました(バカの感想)
この公演でいっぱいチラシ貰ってどれかにはいこうともおもったんですけどね、、、
やっぱり有名所は売り切れるのも早いし(クドカン演出の見たかった)、こればっかりは計画性ない人間には無理でした
無限大は閉館するの知って、適当にとれそうなライブを演者とかあんまり気にせずとったけど、知らない芸人でも面白くってよかった
・電車
途中(9月くらい?)に外出のモチベーションなくした時期あって、そのときに駅メモいれて駅を埋めることをモチベーションにしたりしてた
始めた当初は「半年で東京の全駅コンプするぞ!」くらいおもってたけど、今みたら660駅中338駅とのことで、なんとか半分って感じですね(途中でアプリ開かなくなってしまった、あとこのために観光0の生活路線にバンバンのるほど乗り鉄にはなれなかった)
路線数稼ぐために奥多摩まで行ったのはいい思い出、生活路線系では都営荒川線と日暮里舎人ライナー(最前の座席ちょっと座った)にのって、振り返ると両方たのしかったしもっといろんな路線乗ってもよかったかもなあ
【雑感】
1年前に記事載せたとき「このまま楽しくなって東京のこるんじゃないか」みたいなご意見複数あり、自分としてもその可能性は0じゃないとは思っていたけど、1 年経つともうなんの迷いもなく地元帰ってますね
東京住んでみて、自分の生活のキャパシティだと地元で十分だなと思っちゃいました
はてなで田舎都会論争するときって田舎の想定はなにもないところなんだけど、その中間には地方都市があって、そこってなんでも「一通りは」あったりするんですよね
そこで選択肢が欲しい人には都会があってるけど、自分は別にそこまでは欲しくないなって思っちゃいました、しかも今はインターネットもあるし
あとはてなの「文化資本」論争に触れておくと(タイトルそんな感じでつけちゃったし)、そもそも自分が今年たくさん美術館や博物館に行ったのは「こっちに友達もおらず一人で行きやすい場所がそういうとこしかない」というのが大きく、ほかにツレがいたら違う選択肢とっていただろうなと思ったのがひとつ、あとは「自分の感性じゃ芸術は触れる回数が増えるたび受ける衝撃は少なくなっちゃうな」というのが率直なところ。例えば今年に入ってムサビの卒業展示見に行って、それは楽しんだわけですけど、同時に「これ毎年行ってたら毎年似たようなテーマのものばかりでデジャブおきまくるんだろうな」とも思ってしまったわけです。
多分幼少期から東京にいたとしても、あんまり美術館いく選択肢を自分はとらなかっただろうし、取ったとしてもすぐに飽きていたんだろうなと思います
当たり前なんですけど、結局はその人の気質とかになっちゃうんですよ、だから東京という土地がその人の文化資本を高めることもあるし、全く意味ないこともある
総じて、自分は地方都市向けの人間なんだなと実感しました、そもそも公務員やってて東京来て「自分の適正は公務員だな」と再確認したような人間なので、自分のことをあまり一般化はできない気もしますが、、、
ということで、移動のあいだに添削なしで書いた東京体験記は以上。これを書こうと思って1年色々やってきたところもあったので、はてなには大感謝です。あのときご意見くれた皆様、改めてありがとうございました!
こういう天気の良い日に新宿とか渋谷とか行くとものすごい数の人が居て、この人達一人ひとり全員が幸せになることを願ってるはずで、でも全員に十分に供給するにはこの世の幸せの総量って足りないんではと思って、とても不安な気持ちになったりしません?
大学生の頃、だからもう10年近く前だけど、渋谷の局で学生バイトをしてた。
バイトだけど正規雇用のスタッフで、スタッフ証をちゃんと持ってるアルバイト。
そんなわけで、局内では沢山の芸能人をみたことがあるし、自分でも楽屋作ったり掃除したり、そんなことをしてた。
ある年の年末、うちの番組のスタジオと同じフロアに、セクゾの楽屋があった日があった。
私はアイドルオタクではなかったから、「わー!セクゾだ!」って軽いノリだったけど、まぁ一定数バイトの中にはオタクがいるので、「ちらっとでも会えたらいいのになー!!!きゃー!!」とかなんとか言いながら仕事をしてる子もいた。
まぁとはいっても真面目なバイトなので口だけキャッキャ言ってて、がっつり働いてたけど。
夕方、収録が終わって皆んなで片付けをしてて、倉庫の間とかを行き来してたら、そのセクゾのメンバーが帰るところに遭遇した。
といっても、なんか、1人ずつマネージャー?さんについて帰る感じだったので、なんか、冗談抜きで全員あいさつすることになった。
一応大事なこととしていうと、私たちは正規のスタッフではあるので、局の番組に出てくださった演者さんには、出演者さんとして礼を払う必要がある。
のでまぁ下心ゼロとは言わないけど、「お疲れ様でした!」と元気に挨拶するのは普通に職務である。
(しないと逆に怒られるやつね)
で、あいさつするんだけど、まーーー誰1人として返してくれない。なんかチラッてこっちはみるけど、良くて会釈してくれるまで。
最近話題の人とか、なんか睨む感じでこっちを見て帰って行った。
まー正直そういう人はよくいるというか、本当に人気がない人ほどそういう感じなのをよく知ってたので
(A◯Bとかそんな感じ。人気メンバーほど挨拶してくれるし愛想がいい。知らない子ほど、つーんってして挨拶も返さない)(いや仕事でこっちも挨拶してるだけなんだけどなーって思ってるってのがスタッフ側の本音である。慣れてるのでどうでもいいが)
「えーセクゾもこんな感じなんですねショック」とかなんとか言って、ガチオタの後輩がずーんってしてるのを、「まぁそうなもんだよ」とか宥めながら、仕事を続けてた。
それから1時間くらいたったころ、セクゾの隣の部屋が私たちの番組の居室だったので片付けてたら、別撮り?が残ってたケンティーが帰ってきた。
私は通路に立っていて、冗談抜きで3メートルくらいのところにケンティーがいた。
重ねていうが私はアイドルオタクではないので、あまりかっこいい人を生で近くで見たことがなかった。
局内で見かけても、そこまで近くは稀である。
で、本当にかっこよかったので、つい、「すご、かっこいい」って心の声が反射的に出てしまった。
やばって思ったけど時すでに遅し、演者さんにヤバい発言をするやば女爆誕である。番組にクレーム入ったらどうしようまで瞬間的に考えた。
大体直前まで、睨まれたなーみたいな対応をするグループの、1番有名メンバーである、一言くらい嫌味でも言われるんじゃって本気でよぎったけど。
「お疲れ様です」ってマジでテレビのまんまの笑顔で私達に微笑むと、ニコニコしたまま楽屋にさっと帰って行った。
声にも出てたけど!
「きゃーーー!!」って後輩たちがめっちゃ小声で言ってから「ケンティーかっこよすぎません?!」と沸き立った。主にもちろん対応に対してである。顔も本当に格好よかったけど、その紳士的な対応に私たちは感動した。
たぶん、あのシチュエーションであの対応が出来るなら、他のスタッフにも本当に優しいのだろう。
私たちはなにせ底辺スタッフなのだから。偉い人とか周りにいなかったし。
「いややっぱり人気な人ほどちゃんとしてますよね」と皆んなで納得して、自分が社会に出た時には、そういう人間でありたいですねーまで話して、その日は解散した。
だから、なんか、タイプロはすごい納得感があって、なんかめっちゃじわじわくる。
おわり。
大学生の頃、だからもう10年近く前だけど、渋谷の局で学生バイトをしてた。
バイトだけど正規雇用のスタッフで、スタッフ証をちゃんと持ってるアルバイト。
そんなわけで、局内では沢山の芸能人をみたことがあるし、自分でも楽屋作ったり掃除したり、そんなことをしてた。
ある年の年末、うちの番組のスタジオと同じフロアに、セクゾの楽屋があった日があった。
私はアイドルオタクではなかったから、「わー!セクゾだ!」って軽いノリだったけど、まぁ一定数バイトの中にはオタクがいるので、「ちらっとでも会えたらいいのになー!!!きゃー!!」とかなんとか言いながら仕事をしてる子もいた。
まぁとはいっても真面目なバイトなので口だけキャッキャ言ってて、がっつり働いてたけど。
夕方、収録が終わって皆んなで片付けをしてて、倉庫の間とかを行き来してたら、そのセクゾのメンバーが帰るところに遭遇した。
といっても、なんか、1人ずつマネージャー?さんについて帰る感じだったので、なんか、冗談抜きで全員あいさつすることになった。
一応大事なこととしていうと、私たちは正規のスタッフではあるので、局の番組に出てくださった演者さんには、出演者さんとして礼を払う必要がある。
のでまぁ下心ゼロとは言わないけど、「お疲れ様でした!」と元気に挨拶するのは普通に職務である。
(しないと逆に怒られるやつね)
で、あいさつするんだけど、まーーー誰1人として返してくれない。なんかチラッてこっちはみるけど、良くて会釈してくれるまで。
最近話題の人とか、なんか睨む感じでこっちを見て帰って行った。
まー正直そういう人はよくいるというか、本当に人気がない人ほどそういう感じなのをよく知ってたので
(A◯Bとかそんな感じ。人気メンバーほど挨拶してくれるし愛想がいい。知らない子ほど、つーんってして挨拶も返さない)(いや仕事でこっちも挨拶してるだけなんだけどなーって思ってるってのがスタッフ側の本音である。慣れてるのでどうでもいいが)
「えーセクゾもこんな感じなんですねショック」とかなんとか言って、ガチオタの後輩がずーんってしてるのを、「まぁそうなもんだよ」とか宥めながら、仕事を続けてた。
それから1時間くらいたったころ、セクゾの隣の部屋が私たちの番組の居室だったので片付けてたら、別撮り?が残ってたケンティーが帰ってきた。
私は通路に立っていて、冗談抜きで3メートルくらいのところにケンティーがいた。
重ねていうが私はアイドルオタクではないので、あまりかっこいい人を生で近くで見たことがなかった。
局内で見かけても、そこまで近くは稀である。
で、本当にかっこよかったので、つい、「すご、かっこいい」って心の声が反射的に出てしまった。
やばって思ったけど時すでに遅し、演者さんにヤバい発言をするやば女爆誕である。番組にクレーム入ったらどうしようまで瞬間的に考えた。
大体直前まで、睨まれたなーみたいな対応をするグループの、1番有名メンバーである、一言くらい嫌味でも言われるんじゃって本気でよぎったけど。
「お疲れ様です」ってマジでテレビのまんまの笑顔で私達に微笑むと、ニコニコしたまま楽屋にさっと帰って行った。
声にも出てたけど!
「きゃーーー!!」って後輩たちがめっちゃ小声で言ってから「ケンティーかっこよすぎません?!」と沸き立った。主にもちろん対応に対してである。顔も本当に格好よかったけど、その紳士的な対応に私たちは感動した。
たぶん、あのシチュエーションであの対応が出来るなら、他のスタッフにも本当に優しいのだろう。
私たちはなにせ底辺スタッフなのだから。偉い人とか周りにいなかったし。
「いややっぱり人気な人ほどちゃんとしてますよね」と皆んなで納得して、自分が社会に出た時には、そういう人間でありたいですねーまで話して、その日は解散した。
だから、なんか、タイプロはすごい納得感があって、なんかめっちゃじわじわくる。
おわり。
京王電鉄の新宿西口再開発が未定になってしまったというニュース。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.watch.impress.co.jp/docs/news/2002365.html
ただ、この中心となる京王デパートの土地、そして南街区の一部というのは実は京王電鉄は購入してないのだ。デパートの下には京王線の駅があるんだが元々京王電鉄の駅はここじゃなかったのだ。購入してないのに所有権が移転したのでありますな。そして元々この土地を地上げして権利を得ていたのは実は東急の後藤慶太なのだ。
この棚ボタ土地ゲットには実は戦争が絡んでいるのだ。具体的には戦時統制と敗戦後の占領政策が関係している。
そこをさらっと紹介したいと思う。
明治以降、帝都東京府東京市には様々な鉄道会社が立ち上がり路線を伸ばしていった。そのうち、買収合併を繰り返して「路線網」を形成する会社が出来ていった。城東の東武鉄道、京成電鉄、城西の西武鉄道、目黒蒲田電鉄(後の東京急行)の4つ。
今では鉄道会社はお固い業種だが、当時はそういう訳でもなかった。というか、西武の堤(ピストル堤)、後の東急の後藤慶太(強盗慶太)はかなりヤクザっぽい。手口もそうだし堤はスーツもヤクザで見るからになのだ。一方、東武鉄道の社主、根津嘉一郎は日中の古美術品を収集する文化人で派手を嫌い茶人。美味しんぼに出てくるような文化的素養が高い経営者だ。
ビックカメラの歌が戦前に有ったら「不思議な不思議な電気鉄道、東が文化人で西ヤクザ」と言った処か。
東京西側のうち、中央線の北側は田舎で畑だらけ、人口密度も低かった。一方南側は都市化が進んでいて人口も多く、横浜などの人口が多い京浜地区にも近い。その為に中央線南側には沢山の鉄道会社の路線が引かれることになった。
日中戦争が激しくなると共にナチスドイツ、イタリアと枢軸を形成すると、統制経済に移行する。鉄道の場合、インフラなので資源の効率化と経営の安定の為の資本の強化策として陸上交通事業調整法が施行される事になった。これはバス鉄道会社を有無を言わさず大資本に吸収させるというものだ。東京の場合は、先の東武、京成、西武、東急に全部合併させる。
この時に沢山あった中央線より南の私鉄はほぼ全部東急となったのであった。いわゆる大東急である。
具体的には、帝都電鉄(井の頭線)、京王電鉄、小田急、現東急線(東横線、池上線、目蒲線、大井町線)、京浜急行が全部東急。
因みに、地下鉄銀座線の渋谷~新橋も東急が所有していたが、こっちは同法によって出来た帝都高速度交通営団に取られてしまった。
京王線だが、元は始発駅は新宿西口ではなかった。もっと繁華街に近い「新宿追分駅」が始発だったのだ。
https://maps.app.goo.gl/vR4k78vXPLoueEK99 (ビルの上にKEIOの社紋)
https://maps.app.goo.gl/hnwYN9uwZT783SuH9
にかけてが京王線始発駅だったのである。このビルにもKEIOの社紋があるのが分かるだろう。この二つは京王の所有なのだな。
で、この駅を出た電車はなんと甲州街道の真ん中に躍り出て、道路の真ん中を走っていた。陸橋を登って新宿南口の前の駅(殆ど電停だが)で停まり、坂を下ってそのまま甲州街道の真ん中を走り、文化服飾学園の前で専用の線路に入る。
https://tks-departure.sakura.ne.jp/keio-shinjuku.html
電車が道路から駅に入る写真があるが、今のこの場所がIKEAなのだから驚きだ。
戦争末期、東京を焼き尽くすB29が現れるようになると初台にあった変電所も被災してしまう。すると変電所から新宿までが遠くなり、電圧が落ちてしまい新宿南口の甲州街道陸橋を電車が登れなくなってしまった。
仕方ないので客が全部降りて陸橋の上まで空で走りまた乗ったり、それでも登れないので客が電車を押したりと危ない事をやっていたらしい。
結局モームリって事で、坂の下で運転を打ち切る様にしたが、路上で切符の販売とかどうすんだって話でもあるし、転轍機がある駅まで複線を逆走する事になるしで無理もいいところだ。当時京王線を所有していた東急は困ってしまった。
ところがこれには決定的な解決策があったのだ。
国策で一気に城西地区の鉄道王になってしまった後藤慶太と東急だが、ターミナル駅が散らばっているのが気になる。元京浜急行:品川、元東急と井の頭線:渋谷、元東急:目黒、五反田、小田急と京王:新宿だ。
官営鉄道が線路幅1,067mmの狭軌を採用したのでこの線路幅が日本の標準になっていた。
大東急が所有する中で、京浜急行と京王はこれよりも広い線路幅であるので互換性が無い。でもその他の路線は日本標準の線路幅なので乗り入れが可能だ。
であれば、共に幹線の東横線と小田急線を乗り入れで連絡したい。しかも新宿駅西口の改良計画がある。
って事で、東横線中目黒から分岐して小田急線代々木八幡駅付近で合流する線路の計画を立てた。この区間には現在山手通りがあるが、途中まで川筋があるので高低差が少なく、トンネルを掘る量が少なくて済む。
そこでまずは参宮橋駅付近から新宿駅までの小田急線線路脇の土地を地上げでゲット。ここは複々線化用地である。現在でもこの区間は線路脇に空き地が残っている。
ところが…
戦況が芳しくない。経済もどんどん窮乏してくる。戦争に取られて物資も労働力も無い。これでは工事どころではない。
だからこれら用地は新宿付近で押さえただけで放置されたままになってしまった。
そこに起きたのが先の空襲による京王線陸橋登れない事件である。
東横線新宿駅用地は折り返し地点になった陸橋下交差点のすぐそばだ。だったらそこに駅を臨時で作ってしまえば!?
ってことで、東横線工事も進捗できないどころか戦争に負けそうな状態で最早それどころではない、だったら東横線新宿駅は諦めて臨時の駅を造り、交差点で急カーブさせてそこを終点にすればいい。交差点から追分駅までは廃止。
という事で、東急が押さえた土地に駅を作ってそこが終点になった。勿論工事をやったのも東急だ。だってその時は京王線は東急だったのだから。
空から現地を見てもらうと判り易い。
https://maps.app.goo.gl/9e6JNhFXD5Zt7Git8
京王デパートの下が今の京王線新宿駅だ。西新宿1丁目交差点から急カーブで入っていたのだね。
そして京王デパートから小田急線の踏切(地下に大江戸線が走る)までの区間の小田急線路寄りも東急が地上げで押さえた土地だ。
戦後にここは売りに出されて、国鉄が取得→国鉄本社→JR東本社という経緯を経ている。
日本は戦争に負けてGHQに占領された。戦中に合併した資本はファシズムを支えたものであるから解体されることになる。
過度経済力集中排除法が施行されて財閥は解体された。
後藤慶太も公職追放され、大東急も解体される事が目に見えていた。
そこで後藤は株主総会で大東急分社化を提案し自ら解体する事を選んだ。
こうして京王、小田急、東急、京浜急行の4つに分かれる今の形になったのである。
ところで井の頭線は京王が所有する事になった。ところが、井の頭線は元は帝都電鉄という私鉄で、それが小田急に買収→東急と来て何故か京王に付いて来てしまった。
戦争が終わって合併解除されたら、新宿駅にターミナルが出来てるし、新宿三丁目の繁華街に元の駅の土地が残ってるし、井の頭線も付いてきてる。なんかやたら京王だけ有利な条件で棚ボタが多すぎるんでありますな。
甲州街道の真ん中を大きい電車が走るという光景は1963年まで見られた。http://jorctk.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/post-9299.html
駅は63年に地下化されたが、この上にデパートを建てる事が出来た。無償で得た土地の大活用である。
https://maps.app.goo.gl/QxcauHLWBichSbEr6
これは何かと言うと、京王線のトンネルの上に建っていたのだ。というか、トンネルと躯体が一体化していた。勿論所有者は京王電鉄である。(最初は地権者は別で地上権設定だったのを後に所有権を買い取った)
今は再開発の為に解体されてなくなっているが、上から見たら京王線のトンネルが見えるんだろうか?上から見る機会が無いので不明だが興味津々である。
ここの葵通りという道路。
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実はこの下には玉川上水が通っている。とすると、この突き当りにあるビルの下も上水なわけで、このビルの場所は2000年頃まで建物が建っていなかった。上水設備=東京都水道局管理地なので建てられなかったのだ。
では今は誰がこの土地を取得していたの?となるが、実はこのビルの所有者は東京都なのであった。
京王線新宿追分駅跡のIKEAの甲州街道反対側に新宿4丁目地区があるが、この一帯には安ホテルが数件ある。
実はここは元はドヤ街で、日雇い労働者向けの簡易宿泊所が密集していた。宿泊費は今の物価なら800~1200円ほど。
その後日本が豊かになって廃れ、一部は安ビジネスホテルとなって生き残った。新宿駅徒歩数分、三丁目から1分という好立地で一泊5000円程で泊まれる超絶穴場だが、どこも余りにもやる気が無く、営業してるかよく分らんところばかりなのである。実に勿体ない。だから宿泊の穴場と云うよりインバウンド客向けB&Bやホステル経営物件をゲットできる穴場と言えるかも。
大学生の頃、だからもう10年近く前だけど、渋谷の局で学生バイトをしてた。
バイトだけど正規雇用のスタッフで、スタッフ証をちゃんと持ってるアルバイト。
そんなわけで、局内では沢山の芸能人をみたことがあるし、自分でも楽屋作ったり掃除したり、そんなことをしてた。
ある年の年末、うちの番組のスタジオと同じフロアに、セクゾの楽屋があった日があった。
私はアイドルオタクではなかったから、「わー!セクゾだ!」って軽いノリだったけど、まぁ一定数バイトの中にはオタクがいるので、「ちらっとでも会えたらいいのになー!!!きゃー!!」とかなんとか言いながら仕事をしてる子もいた。
まぁとはいっても真面目なバイトなので口だけキャッキャ言ってて、がっつり働いてたけど。
夕方、収録が終わって皆んなで片付けをしてて、倉庫の間とかを行き来してたら、そのセクゾのメンバーが帰るところに遭遇した。
といっても、なんか、1人ずつマネージャー?さんについて帰る感じだったので、なんか、冗談抜きで全員あいさつすることになった。
一応大事なこととしていうと、私たちは正規のスタッフではあるので、局の番組に出てくださった演者さんには、出演者さんとして礼を払う必要がある。
のでまぁ下心ゼロとは言わないけど、「お疲れ様でした!」と元気に挨拶するのは普通に職務である。
(しないと逆に怒られるやつね)
で、あいさつするんだけど、まーーー誰1人として返してくれない。なんかチラッてこっちはみるけど、良くて会釈してくれるまで。
最近話題の人とか、なんか睨む感じでこっちを見て帰って行った。
まー正直そういう人はよくいるというか、本当に人気がない人ほどそういう感じなのをよく知ってたので
(A◯Bとかそんな感じ。人気メンバーほど挨拶してくれるし愛想がいい。知らない子ほど、つーんってして挨拶も返さない)(いや仕事でこっちも挨拶してるだけなんだけどなーって思ってるってのがスタッフ側の本音である。慣れてるのでどうでもいいが)
「えーセクゾもこんな感じなんですねショック」とかなんとか言って、ガチオタの後輩がずーんってしてるのを、「まぁそうなもんだよ」とか宥めながら、仕事を続けてた。
それから1時間くらいたったころ、セクゾの隣の部屋が私たちの番組の居室だったので片付けてたら、別撮り?が残ってたケンティーが帰ってきた。
私は通路に立っていて、冗談抜きで3メートルくらいのところにケンティーがいた。
重ねていうが私はアイドルオタクではないので、あまりかっこいい人を生で近くで見たことがなかった。
局内で見かけても、そこまで近くは稀である。
で、本当にかっこよかったので、つい、「すご、かっこいい」って心の声が反射的に出てしまった。
やばって思ったけど時すでに遅し、演者さんにヤバい発言をするやば女爆誕である。番組にクレーム入ったらどうしようまで瞬間的に考えた。
大体直前まで、睨まれたなーみたいな対応をするグループの、1番有名メンバーである、一言くらい嫌味でも言われるんじゃって本気でよぎったけど。
「お疲れ様です」ってマジでテレビのまんまの笑顔で私達に微笑むと、ニコニコしたまま楽屋にさっと帰って行った。
声にも出てたけど!
「きゃーーー!!」って後輩たちがめっちゃ小声で言ってから「ケンティーかっこよすぎません?!」と沸き立った。主にもちろん対応に対してである。顔も本当に格好よかったけど、その紳士的な対応に私たちは感動した。
たぶん、あのシチュエーションであの対応が出来るなら、他のスタッフにも本当に優しいのだろう。
私たちはなにせ底辺スタッフなのだから。偉い人とか周りにいなかったし。
「いややっぱり人気な人ほどちゃんとしてますよね」と皆んなで納得して、自分が社会に出た時には、そういう人間でありたいですねーまで話して、その日は解散した。
だから、なんか、タイプロはすごい納得感があって、なんかめっちゃじわじわくる。
おわり。
王子神谷駅と東十条駅の間あたり、都心へのアクセスが異常に良いよね。
王子神谷から南北線で他の地下鉄乗り換えはだいたい網羅できるし、東十条から京浜東北線で東京方面はすぐ。駒込で降りて山手線乗り換えも可能、一駅戻って赤羽に出れば埼京線や湘南新宿ラインで池袋新宿渋谷方面へも。あまり需要はないけど王子から都電荒川線もある。
うちも転勤で否応なく北区に住み始めたくちだけど西だ東だキラキラがどうのこうの…ってあんまり思わなかったな。
地方暮らしが長くて北区でも大都会に見えた。引っ越してきた当初は、ひぇ〜ビルばっかり!環七!北本通りって明治通りなのか、TVで聞いたことある名前!飛鳥山?知ってる!徳川吉宗が花見した!(←正しくは桜を植えたらしい)、人がたくさん歩いてる!(それまで車社会で歩いてる人滅多にいない土地だったので)、社宅マンションにエレベーターついてる!徒歩圏内にコンビニが何軒もある!スゲーー…と思った。
幼児や小学生抱えて生活しててキラキラした所に出かける用事なかったのもある。ああ、そういえば大宮の鉄道博物館にも行きやすかったので子供連れて何度か行った。車で鹿浜の都市農業公園や交通公園にも行ったな。