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2025-04-06

[]4月1週記録

週報(3月31日~4月6日)

今週はエイプリルフール企画で色々楽しませて貰った。

その中でも一番は恋するワンピースだったと思います

そこから「そういや動画系のコンテンツあんま楽しんでないな—」と思いABEMAで映画4本見ました。

それ以外の時間はひたすらアークナイツ

たまに漫画

特に語りたいもの

恋するワンピース

原作漫画単行本スキャンしてそのまま原稿に貼るというとんでもないことをやってのけた漫画が遂にアニメ化アニメの中でもばっちり原作漫画をそのまま使ってます。異常だろ。知らないオッサンワンピース単行本を手に持って開いてる映像が挟まれワンピース公式二次創作アニメってなんなんだよ。

アニメワンピースBGMOPもふんだんに使われていて公式からこそ出来る豪華さ。凄いよ公式二次創作非公式二次創作では絶対に出来ないクオリティで、なんでこれが公式でやって許されているのかわからないことをひたすらやってて凄い。

主な無料消費コンテンツ

漫画

・恋するワンピース(50話)

映画

・おいしい給食final

・おいしい給食卒業

変態仮面

・必殺!恐竜神父

2025-03-25

『チ。』最終回を見た。アルベルト懺悔を聞く司祭はレフ。CVが同じ。告白も符合。この告白はその昔、アントニ司祭の謀略からヨレンタを逃したシモンを見殺しにしたときのことだろう。

ちいさいときアルベルト少女時代のヨレンタさんにそっくりだった。外見だけでなく真理を求める強い意志、その代償としての過酷運命までもが似ている。

アルベルト入学を受け付けるクラクフ大学職員晩年ノヴァクに似ている。

ラファウが真理探究に取り憑かれるあまり魂がどこかにいってしまっている。現代科学倫理喪失を想起させる。


『チ。』は四部構成で、第一から第三部まではつながっていた。第四部は前部とつながっているようにも見えるが、明示されることはない。繋がりをしめすものは細部に隠されてしまっている。フベルト、ラファウ、オクジー、バデーニ、ヨレンタ、ドゥラカ、死んでいったみんなの思いは引き継がれたのかどうかは明示されない。幾多の命と引き換えに伝えられたオクジーさんの著作出版にこぎつけそうな気配になっている。だがほんとうに出版されたかどうかは明示されない。すべてが失われたのか、何かが伝わったのか、具体的なことは何も明示されない。それでも真理をもとめること、考え続ける行為は絶えない。絶えそうになっても息を吹き返す。結論に込められたメッセージは予想ほど明示的で目立つものではなかった。ただ、静かにしかし確かに、火は消えずに灯り続けているようにも感じられる。


『チ。』の第四部過去登場人物たちとのつながりをあえて細部に隠した構成になっているのは、真理の探究が「誰のものか」ではなく、「時代を超えて続く行為のもの」だからかもしれない。第一から第三部までは明確にバトンが受け渡されてきたが、第四部ではその継承曖昧になり、読者に問いを残す形で終わっている。オクジー著作出版についても、最後に明示されない。それはおそらく書物という形で世に出るかどうかよりも、その思想や問いかけがどこかの誰かに届き、受け継がれることが重要だという示唆なかもしれない。すべてが失われたかどうかは明言されないけれど「考え続けること」は決して絶えない。明確な結論や劇的なメッセージではなく、静かに問いを残して終わる。それはまさに、作品全体を通して描かれてきた「知の探究」と同じに見える。決して終わることのない、けれど消えることもない営みとしてのフィロソフィア


いま私たちデジタルアーカイヴ時代を生きているが、過去事象自由検索し辿れるようになったのはせいぜい10数年のこと。それより昔の記録は意識的に探さないかぎり見つからないし、失われているものも多い。記録が増え始めたのはせいぜい20世紀以降のこと。それ以前の記録は遡るほど失われたものが多くなり、数百年前の史実復元することは困難だろう。ようするに過去ほとんどは失われている。そのなかを奇跡のように伝わったアーカイヴが細い糸のように時空をつなぐ。ただその背後にあるものは偶然だけではない。記録を後世に伝えよう、記録を共有しあらた文化を切り拓こうとする人々のときには命懸けの意思が働いている。『チ。』を見終えて感じたのは、伝えることの意味、それ以上に、考え続けることの価値、かもしれない。考え続ければたとえ失われても真理をふたたび見つけ出すことができる。タウマゼイン、アポリアエウレカ怪獣、そして蛇。巨人の肩の上に立つと言われる科学がよって立つその巨人の姿は多彩で全貌はほぼ失われてはいるがまちがいなく巨大だと。


ヴァイツゼッカー言葉は、過去を忘れるもの現代において盲目となる、だったか

科学思想文化も、過去を忘れない。だがその過去は遡れば遡るほどじつはほとんどがすでに失われている。それを掘り返す作業重要だがそれは真理の探究のすべてではない。なぜなら過去宗教イデオローグではなく、ましてや真理ではないからだ。真理は過去にあるわけではない。真理は時空を超えて厳然とある。今のこの時代に、今持てるものを動員し、今と未来を考えろ。『チ。』はそういうふうに私たちを励ましているのかもしれない。

ベルトもラファウもオクジーさんもアルベルトも肉眼で星を見た。だがガリレオ望遠鏡をつかった。現代のわれわれはネットワーク化された電波望遠鏡ジェームス・ウェッブ望遠鏡も持っている。われわれの次の世代もっとすごい望遠鏡を持つだろう。そして考え続けるだろう。思い返せばフベルトさんの地動説ラファウ少年修正する必要があった。ポトツキさんからみればラファウの計算修正すべきものだった。バデーニさんはそれをさら修正する必要を認め、ついに石箱の記録の限界看破した。バデーニさんは惑星の楕円軌道発見する。ただしそれは現代天文学が導いた楕円軌道と比べると、誤っている。

ようするに知見は更新される。そしてそれこそが科学のほんとうの姿でる。そこにあるのは記録の継承と同時に、考える行為探究する行為継承なのかもしれない。『チ。』はけっきょくそのことをわたしたちに伝えているのかもしれない。


ところで、オクジーさんの著作はけっきょくどうなったのだろう。

バデーニさんの傍で、ヨレンタさんから文字の力を伝えられたオクジーさんが著した『地球運動について』。バデーニさんとクラボフスキさん、名もなき貧民たちが命がけで複製し、のちのヨレンタさんが出版を試み、ドゥラカがその意思を継ぐ。最終話で、かつてのポトツキさんの家にとどいた手紙はドゥラカからのものである可能性が高い。しか原稿所在は明かされないまま物語は終わる。ドゥラカはもう死んでいる。結局この本は出版されたのだろうか?

物語の流れを見るかぎり『地球運動について』が完全に世に出たとは断定できない。しかし知の火は確実に受け継がれていることが示唆されている。ドゥラカがその意志を継いでいる以上、原稿を守る手立ては設定済みで、どこかで誰かが出版の機会を待っている可能性はある。また、現実歴史においても、抑圧された知識思想はすぐには広まらなくても、時間をかけて受け継がれ、いずれ世に出ることが多い。『チ。』もその流れを踏襲しており、「たとえ今すぐに形にならなくても、知は未来へとつながる」というメッセージを込めているのかもしれない。仮に、もし本が出版されなかったとしても、アルベルトが名門クラクフ大学の門を敲き、後にコペルニクス弟子となる。その事実は揺るがない。


最終回はその解釈めぐり賛否が入り乱れているらしい。わたしにとってはどうでもいいことで、この物語から自分が何を得るか、だけが大切だと考えている。

アルベルト風貌は、かつて少女ヨレンタを救い逃したシモンそっくりだし、その少年時代風貌少女ヨレンタにそっくりだった。懺悔室でアルベルトの告悔を聞く神父は、ヨレンタを逃した罪で殺されたシモンの同僚、レフに間違いない。レフはかつてシモンを見殺しにした。そうしなければ自分が殺されただろう。その葛藤をかかえながらレフは四半世紀を生きてきた。レフはシモン彷彿とさせるアルベルトに巡り合ったことで、その葛藤に正面から向き合おうとしはじめる。アルベルトはレフに巡り合ったことで知的好奇心に対する極端な二元論止揚し、知の世界へふたたび足を踏み入れる。

この物語賛否をわける大きな要素がラファウの再登場と、最後に見せる殺人という行為らしい。

ラファウとはたぶんこの物語のなかで唯一、人間でないものだと思う。それはおそらく『チ。』そのもの探究心と好奇心、真理への道のりの象徴なのだろう。ラファウはポーランド語表記に従えば、Rafał。この名はポーランドではありふれたもので、その由来が大天使ラファエルの名であることにそれほどの意味はないかもしれない。ただし大天使ラファエルの役割は「導く者」、ヘブライ語の原義は「神の癒し」。ラファウがこの物語の導き手であることは間違いない。もっとラファウの振る舞いは癒しの語義からはかけはなれている。その存在はむしろ知への渇望と狂気を導くようにすら見える。


たとえばフォン・ブラウンV2ロンドンに到達した報告を受け満足した。かれはただロケットが好きで、自分ロケットを飛ばせるならナチとでも平気で手を組んだ。弾頭に何が詰まっていようが知ったことではなかった。彼はのちにNASAアポロ計画を立ち上げるが両者に矛盾はなかった。彼はただ純粋に優れたロケットを開発したかったのであり、彼にとってはICBMも月探査も同じだった。弾頭に何が詰まっていようが知ったことではなかった。彼の目的ロケットであり、ロケット目的には何の興味もなかった。


『チ。』の登場人物たちもまた真理の探究のためにつぎつぎと命を落としていったが、彼らの行動は必ずしも正義倫理と結びつくわけではなく、むしろ多くの悲劇を生んでいる。自己目的化した真理の探究はしばしば倫理を超越し人道に背き世界破壊する。ラファウが導く地平は単純な希望ではない。


地球運動について』

結局出版はどうなったのか。

地球運動について』は、出版された。それは大きな反響を呼び増刷をかさね総発行部数は数百万部に達した。

ただしその出版は漢の蔡倫発明した紙とグーテンベルク印刷機によるものではなく、パルプ紙とDTPオペレーションと高速輪転印刷機によって、15世紀ではなく21世紀になされた。反響は日に日に増幅されついにアニメ化された。四部構成全25話。オクジーさんが著しバデーニさんが複製しヨレンタさんが出版を使命としドゥラカが引き継いだその原稿はついに形をあらわし公開された。このアニメが、そしてその原作こそが、オクジーさんの、フベルトさんの、みんなの思いそのものだ。だいたい、『チ。』の副題が『地球運動について』。はじめからそう明記してある。

この本はきっと私がしらないいつかの時代にも、連綿と出版され継承されているのかもしれない。過去にも未来にも。それが考える、探究する人間本質から

2025-02-04

悪鬼のウイルスを観た。なんだあれ。※割と酷評

悪鬼のウイルス

いやまじで。このタイトルでこんなつまんないことあるんだ? と思うなどしました。

予告とかなにも見ずに気になったタイトル時間帯の合う映画映画館にこもって一日中観るということをしていた昨日、最初に観たもの上記タイトルのものとなります

ちなみに絶対に観ようと思っていたのがセブンIMAX上映で、こちらも色々考えさせられるものだったし、実際のものを見たわけではないのに納得してしまうあの演技、そう、そうあったのならあなたはきっとそうやって取り乱すだろうという懇切丁寧に築かれた信頼を浴びれて最高でした。いやセブンの話をしたいわけじゃない。閑話休題

悪鬼のウイルスタイトルがすごく好きだったんですよね。

わたし結構本屋意味もなくウロウロするのが好きで、よく彷徨っている本屋映像化作品を並べている棚があって、そこでタイトルを見ていた記憶があります新装版の方ではなく真っ黒な表紙に赤文字タイトルが書かれているほう。

気になるなあと思っていたから、朝イチ公開で時間が丁度よかったにのもあって観ました。

あの。あのですね。正直な感想は「なにを観たんだ?」です。こんな感想抱くの初めてかもしれない。なにを観たんだわたしは。

途中までは面白かったんですよね。特に撮影した動画様の映像が没入感あって好きでした。画像映えを求めて撮られたものじゃなく、乱雑にあるものを取り敢えず画として残そうとする感じ、生々しささえ覚えました。ああいもの編集されて、切り取られて、整えられてわたしたちの目に届くんだなあと思うと、へえ、すごい、と思いました。

わたしは画面酔いするタイプ人間ではないので楽しかったのかもしれない。

で、鬼とは? みたいな話のくだりくらいまでは好きでした。大人とは? のあたりとか。

あの環境下でなにもしらないひとたちがそういう行為に勤しむのはまあ、理解できるよなあ、みたいな。

大人子ども認識があれだったので、わたしはあの環境飼育するための箱庭かと思ったんですよね。

性欲を知ってはならない。なぜならそれを知ると他者に腕を伸ばすので。性を捉えられない間、子どもたちは誰からもそういう搾取を受けないけれど、性を知ったらいつかそれは子どもに向くものだと思う。あんな閉鎖された環境なら。だって男性若い女の子が好きでしょう。

わたしは女であるし、もうとっくのとうに若い女の子でなくなっているからふわっとした認知だけれども。それはほとんど、獣性に近いと思う。まあ本能的には正しいんじゃないかな。わたしたち生物は種の繁栄を望む。そういう本能を持ってる。どれだけ理性的に御そうとしても、無理な時は無理。ああいう閉鎖された空間、声を出しても黙殺できる場所では特に子ども大人。制するのは簡単だね。捩じ伏せてしまえる。

からそういう暗喩なのかなと思った。途中そうかもなって思ってからしか確認してないけど、管理されてる大人側の人間は大半が男性だったようにも見えたし、子どもたちには女の子が多いようにも見えた。男の子もいたようだけど。姿は見えたかな。声は男の子っぽかったね。

からまあ、そういうものなのかなって。鬼。子どもを害するもの。もしかするとそう至るかもしれない未来。そういう話なのかなと思った。

自分の身を守るために子どもたちが身を寄せ合って、大人隔離している。新月云々はなんだろうなあと思いつつ、この映画蔓延ってるものはそういう概念なのかなと思った。子どもたちが反旗を翻す話。大人の魔の手から逃れようとする話。

違った。なんだったんだあれ。途中までは面白かった。まじで。緊張感もまああったし、納得もできた。途中から全部意味わからんくなった。あの神父なに。てか誰。

このタイトルとあの表紙でこんなことある? となった。映画観たあと面白かった! 原作読みたい! じゃない意味本屋に走ったのは初めてだった。原作を買った。こんなもんじゃないはずだった。絶対に違う。

こんな面白そうなタイトルで、あんなに面白そうな表紙で、こんな、こんなはずない。

ほとんど祈りのような気持ち本屋に向かった。

ちなみにその日二本目に観る予定の映画ガンダムだった。大体1時間後に上映だった。初代を観たことないのに。TLが楽しそうだったかわたしも話をしてみたかった。ちなみにこれと同じ理由で観たトワイライトウォリアーズははちゃめちゃに面白かったです。チケットも買ってある。本屋に行くより昼食をとった方がいい。わかっている。

でもあんなはずないから、あんものなはずがないから、本屋に行った。映像化コーナーに本はあった。700円程度だった。大体映画代の半分くらいだった。うそハッピーマンデーだったので1100円で観た。でも正直先にこっち読んでたら良かったと思った。気になってたのに。どうして先に読まなかったんだろう、わたし

積読が多いからです。映画で観て、好きなら読めばいいと思っていました。好きじゃないのに読みました。このタイトルを、この表紙を、こんなに雑に消化して消化した気になってはならないと思ったし、なんらかの改変があってああなったのだと思いたかった。読んだ。積読がいっぱいあるのに、何よりも早くに読んだ。全然違った。わたしが観たかったものがそこにあった。

鬼の存在に納得することができた。そうだよな、と思った。かつて子どもだったわたしは納得したし、今は大人であるわたしも納得した。たった一度、嘘を吐いただけで人生が崩れ落ちる話。その嘘が、保身的なものだったか自己犠牲的なものだったか、大体想像できる気がするけど黙っておくことにする。

ところでわたしオタクであるしか文字を書くタイプオタクで、普通に二次創作をしている。公式さんが甘やかしてくれるのをいいことに、様々な妄想を形にしている。そういうオタクは、わたしの周りにも沢山いるけれど、オタクには様々な種類があると思っている。光のオタクとか闇のオタクとか。よくそういう分別をしているのを見るけれど、わたしもっと根本的な部分で隔たれていると思っている。

公式リスペクトがあるか否か。

二本目の映画ガンダムだった。重ねて言うが、わたしは初代を知らない。だからシャアがどうのと言われても、アムロがどうと言われても、はて? となる。なんとなく父親が好きだったなあ、とかその程度だ。でも、ガンダム映画を観て初代も観ようと思った。そういう熱量を浴びた。きっと初代を観たあとにもう一度観たら楽しいんだろう、と思った。

リスペクトがあるってそういうことではないだろうか。ガンダム映画は壮大なifで、二次創作みたいなものだよ、と聞いた。普通に面白かったし、見ようと思った。きっとこれを作ったひとたちは、この作品が好きなのだろうと思ったし、だからこうして形にしたのだろうと思ったし、好きだと思ったからいつかのわたしガンダムを観るだろう。

ところがこっちはどうだ。使いたい設定だけを借りてきて、それっぽい形をつくって、名乗るだけ名乗って。リスペクトを感じられなかったのはわたしだけだろか。

わたしオタクなので、表紙を見たことがあったので、わたし本屋に救いを求めたが、なんというか、品もなければリスペクトもない二次創作に1100円支払っただけのような心地がして悲しい。

でも原作小説面白かったです。積読放置して良かった。本屋に走って良かった。この作品を表面だけ撫でて、知った気になって、嫌わないで良かった。

わたしはなんの話をしているのか。

二次創作リスペクト必要不可欠で、作品の良し悪しに関わらずその有無はなんとなくわかるかもしれない、という話だったのかもしれない。

悪鬼のウイルスを観た。なんだあれ。※割と酷評

悪鬼のウイルス

いやまじで。このタイトルでこんなつまんないことあるんだ? と思うなどしました。

予告とかなにも見ずに気になったタイトル時間帯の合う映画映画館にこもって一日中観るということをしていた昨日、最初に観たもの上記タイトルのものとなります

ちなみに絶対に観ようと思っていたのがセブンIMAX上映で、こちらも色々考えさせられるものだったし、実際のものを見たわけではないのに納得してしまうあの演技、そう、そうあったのならあなたはきっとそうやって取り乱すだろうという懇切丁寧に築かれた信頼を浴びれて最高でした。いやセブンの話をしたいわけじゃない。閑話休題

悪鬼のウイルスタイトルがすごく好きだったんですよね。

わたし結構本屋意味もなくウロウロするのが好きで、よく彷徨っている本屋映像化作品を並べている棚があって、そこでタイトルを見ていた記憶があります新装版の方ではなく真っ黒な表紙に赤文字タイトルが書かれているほう。

気になるなあと思っていたから、朝イチ公開で時間が丁度よかったにのもあって観ました。

あの。あのですね。正直な感想は「なにを観たんだ?」です。こんな感想抱くの初めてかもしれない。なにを観たんだわたしは。

途中までは面白かったんですよね。特に撮影した動画様の映像が没入感あって好きでした。画像映えを求めて撮られたものじゃなく、乱雑にあるものを取り敢えず画として残そうとする感じ、生々しささえ覚えました。ああいもの編集されて、切り取られて、整えられてわたしたちの目に届くんだなあと思うと、へえ、すごい、と思いました。

わたしは画面酔いするタイプ人間ではないので楽しかったのかもしれない。

で、鬼とは? みたいな話のくだりくらいまでは好きでした。大人とは? のあたりとか。

あの環境下でなにもしらないひとたちがそういう行為に勤しむのはまあ、理解できるよなあ、みたいな。

大人子ども認識があれだったので、わたしはあの環境飼育するための箱庭かと思ったんですよね。

性欲を知ってはならない。なぜならそれを知ると他者に腕を伸ばすので。性を捉えられない間、子どもたちは誰からもそういう搾取を受けないけれど、性を知ったらいつかそれは子どもに向くものだと思う。あんな閉鎖された環境なら。だって男性若い女の子が好きでしょう。

わたしは女であるし、もうとっくのとうに若い女の子でなくなっているからふわっとした認知だけれども。それはほとんど、獣性に近いと思う。まあ本能的には正しいんじゃないかな。わたしたち生物は種の繁栄を望む。そういう本能を持ってる。どれだけ理性的に御そうとしても、無理な時は無理。ああいう閉鎖された空間、声を出しても黙殺できる場所では特に子ども大人。制するのは簡単だね。捩じ伏せてしまえる。

からそういう暗喩なのかなと思った。途中そうかもなって思ってからしか確認してないけど、管理されてる大人側の人間は大半が男性だったようにも見えたし、子どもたちには女の子が多いようにも見えた。男の子もいたようだけど。姿は見えたかな。声は男の子っぽかったね。

からまあ、そういうものなのかなって。鬼。子どもを害するもの。もしかするとそう至るかもしれない未来。そういう話なのかなと思った。

自分の身を守るために子どもたちが身を寄せ合って、大人隔離している。新月云々はなんだろうなあと思いつつ、この映画蔓延ってるものはそういう概念なのかなと思った。子どもたちが反旗を翻す話。大人の魔の手から逃れようとする話。

違った。なんだったんだあれ。途中までは面白かった。まじで。緊張感もまああったし、納得もできた。途中から全部意味わからんくなった。あの神父なに。てか誰。

このタイトルとあの表紙でこんなことある? となった。映画観たあと面白かった! 原作読みたい! じゃない意味本屋に走ったのは初めてだった。原作を買った。こんなもんじゃないはずだった。絶対に違う。

こんな面白そうなタイトルで、あんなに面白そうな表紙で、こんな、こんなはずない。

ほとんど祈りのような気持ち本屋に向かった。

ちなみにその日二本目に観る予定の映画ガンダムだった。大体1時間後に上映だった。初代を観たことないのに。TLが楽しそうだったかわたしも話をしてみたかった。ちなみにこれと同じ理由で観たトワイライトウォリアーズははちゃめちゃに面白かったです。チケットも買ってある。本屋に行くより昼食をとった方がいい。わかっている。

でもあんなはずないから、あんものなはずがないから、本屋に行った。映像化コーナーに本はあった。700円程度だった。大体映画代の半分くらいだった。うそハッピーマンデーだったので1100円で観た。でも正直先にこっち読んでたら良かったと思った。気になってたのに。どうして先に読まなかったんだろう、わたし

積読が多いからです。映画で観て、好きなら読めばいいと思っていました。好きじゃないのに読みました。このタイトルを、この表紙を、こんなに雑に消化して消化した気になってはならないと思ったし、なんらかの改変があってああなったのだと思いたかった。読んだ。積読がいっぱいあるのに、何よりも早くに読んだ。全然違った。わたしが観たかったものがそこにあった。

鬼の存在に納得することができた。そうだよな、と思った。かつて子どもだったわたしは納得したし、今は大人であるわたしも納得した。たった一度、嘘を吐いただけで人生が崩れ落ちる話。その嘘が、保身的なものだったか自己犠牲的なものだったか、大体想像できる気がするけど黙っておくことにする。

ところでわたしオタクであるしか文字を書くタイプオタクで、普通に二次創作をしている。公式さんが甘やかしてくれるのをいいことに、様々な妄想を形にしている。そういうオタクは、わたしの周りにも沢山いるけれど、オタクには様々な種類があると思っている。光のオタクとか闇のオタクとか。よくそういう分別をしているのを見るけれど、わたしもっと根本的な部分で隔たれていると思っている。

公式リスペクトがあるか否か。

二本目の映画ガンダムだった。重ねて言うが、わたしは初代を知らない。だからシャアがどうのと言われても、アムロがどうと言われても、はて? となる。なんとなく父親が好きだったなあ、とかその程度だ。でも、ガンダム映画を観て初代も観ようと思った。そういう熱量を浴びた。きっと初代を観たあとにもう一度観たら楽しいんだろう、と思った。

リスペクトがあるってそういうことではないだろうか。ガンダム映画は壮大なifで、二次創作みたいなものだよ、と聞いた。普通に面白かったし、見ようと思った。きっとこれを作ったひとたちは、この作品が好きなのだろうと思ったし、だからこうして形にしたのだろうと思ったし、好きだと思ったからいつかのわたしガンダムを観るだろう。

ところがこっちはどうだ。使いたい設定だけを借りてきて、それっぽい形をつくって、名乗るだけ名乗って。リスペクトを感じられなかったのはわたしだけだろか。

わたしオタクなので、表紙を見たことがあったので、わたし本屋に救いを求めたが、なんというか、品もなければリスペクトもない二次創作に1100円支払っただけのような心地がして悲しい。

でも原作小説面白かったです。積読放置して良かった。本屋に走って良かった。この作品を表面だけ撫でて、知った気になって、嫌わないで良かった。

わたしはなんの話をしているのか。

二次創作リスペクト必要不可欠で、作品の良し悪しに関わらずその有無はなんとなくわかるかもしれない、という話だったのかもしれない。

2025-01-17

記憶に残るキン肉マンの名シーン29選(あとひとつは? もあるよ)

記憶で書いてるので抜け誤り多いです

当然ネタバレ多く含みます。再開後は多分入れない

不忍池でのロビンマスクマスクのみ)浮上

アトランティス戦。キン肉マンといえばこれというぐら仲間内で盛り上がった

ネタや弄りとしてミームになたりオマージュパロディされてるものは他にも多いがこれはほんとの名シーン名演出

ちなみに初めて読んだときはふーんと特に感動もせず流した

あと28個は?

こんなことが物理的に可能なのか!?

特に前振りもなく? あったっけ? のマッスルドッキング

痺れた。後に物理的とかの意味を知ってちょっとネタ化する

初は初代グレートとの共演だから出来て当然なのか。物理に反しさえすれば

あと27個は?

茨の道を進め

最終回? なんだかんだよいお話だった

あと26個は?

お前を超える以下略

ネタになっているが、当時はもちろん検算なんてしていない(100*2*2*3は合ってる)

ただただ熱かった

あと25個は?

オカマラスが帰るとこ

違う怪獣だったかもしれないが、ウルトラマンとかのしんみり回みたいなやつ

記憶力が悪く名シーン思い出せないので、初めのほうから辿りだした

あと24個は?

テリーマンの失格

新幹線止めたやつ。スケールがでかい

そもそも競技整合性とかはおいておくとして

あと23個は?

バッファローマンが改心したところ

あと1秒で爆発するミートに角投げて助けたところ

ほんとにもうだめかとおもった。

今思いなおせばその前になんとか他の誰か頑張れとも思ったが

誰も動けないとか(パワーが足りない?)だっけ?

あと22個は?

下に地獄

ジャンクマンなのは覚えてるけどザニンジャ戦でしたか

五重のリングをうまく使った珍しく筋の通ったギミックで、ブロッケンジュニア勝利(合ってる?)

あと21個は?

謎の6超人

プリケツマンみたいなのが居たシーン

どうしても選に入れたかった

ずっと騎士悪魔超人の数がどっちが6か覚えられない

悪魔将軍の五体になるのが……でも計算あわないな

多分6騎士からこっちは7人ぐらい バファ、マウン、ステカセ、カーメン、アトラ、スニゲ、スプリ?

あっちは、阿修羅ジャンクニンジャプラネ、スニゲ(スニゲこっちだ)、サンシャインと誰だっけ?

7人にBHで、

あと20個は?

ミートバックドロップ

終盤のも溢れたらだめなので思い出ししだい入れておく

おこちゃま参戦は他作品でも(るろ剣とか)あるが、だいたい微妙な結果に終わる

これは真っ向から読者をねじ伏せて説得力も(作内の他の設定に比べたら)ある素晴らしいバトル

あと19個は?

ありがとうドクターボン

感動シーンも。命を賭してバトルは沢山あるが、バトル以外での描写は少ない。

テリーの腕を手術した回? だった気がする。角で

あと18個は?

組木での修行

始めからあったシーンか、回想でしか出てこなかったシーンだったかは忘れた

カメハメとの修行で、鳥居みたいな棒で修行するところ

なんかすごくほんとにありそうっぽかった(多分あるのだろう)

あと17個は?

猫じゃらし

モンゴルマンなので。

スプリングマンから脱出する理論

改めて考えるとよくわからないし、汗かいたぐらいで雨でさびるのもよくわからないがモンゴルマンなので

あと16個は?

関節技で空に駆け上がっていくところ

カメハメとの修行直後(52のサブミッション習得後?)

52は後から修行なので、48のほうに含まれてるのか

風林火山一角だったような。

ローリングクレイドルだったか、なんせ空へと駆け上っていく表現は痺れた

意味がよくわからないので幻覚記憶いかもしれない

あと15個は?

カーフブランディング

仔牛の焼き印押し? テリーは技が地味でこっちはテキサス知識いから盛り上がるのが難しい。

実際のプロレスでもあまり見なくなった技とかを使ったりする

自分プロレス見だしたのがキン肉マンの連載終了5~10年後なのもあるが)

その中でまあまあカッコいい演出の技。

グレートマスク脱ぎ捨てた時ぐらいに出したと思う(それか、バレてもいいやと思ったか素なのか、ブロンコ魂が燃えた時)

あと14個は?

キン肉ドライバー修行

追いつめられると集中力が発揮されるという真実に基づいた素晴らしい演出

丸太で滝でやってたとき。ちょうど木が切りつくされて……など、ギリギリタイミング

イノシシぐらい焦らんでも平気やろとは思ってしまった

マッスルスパーク(スグル版)の序盤

ブリッジしてるところ。スパーク壁画にこだわりすぎて機序わからん技が多い。

アタル版でもこれやるんだっけ?

あと13個は?

インフェルノ

ゼブラの? サーフィンみたいにツッコむやつ。こっちのツッコミも捗った。

あと12個は?

神父

黒いペン

ネタになってるけど、当時はカリスマ性を感じた

あと11個は?

ソルジャーチームの陣形

ほんとに意味がわからない。

それでも一回はおやっと思わなかったり軽く違和感覚えるぐらいで納得させる勢いがすごい

あと10個は?

地球逆回転

勢いで言えば、ネプチューンチームのこれも

あと腕が突然鍵になって古墳が鍵穴というのも選には入れなかったがよくわからないが勢いで乗り切った名シーン

あと9個は?

誰も笑ってやしない

完璧超人から思い出した、まじもんの名シーン。

身分人種等の差別師弟愛を描いたほんとに良いシーン。

マスク剝がれたウォーズマンロビン不安で尋ねるシーン

あと8個は?

バラクーダ師匠

ソルジャーの華麗な変身(神父)はよく見るが、個人的にはこっちのほうが好き

マスクを脱いだロビンがモップを被ったらバラクーダ師匠に戻る

あと7個は?

リバース・サイド・インフィニティ

バスター合戦のまとめ。

逆転さえできればなんでもよいという。

その後腕が多ければより強いという、真理にも到達しかけるがなんだかんだ破ったり破られたりする

あと6個は?

おきて破り

プロレス見てなかったから実況とかの語彙が全然からなかったが、とにかくすごいことが起きたと感じた

サムライロビンスペシャル使ったところ?

このふたり、古くからライバルなのも熱い

残り少なくなってきたのでちょっと真面目に考えている

あと5個は?

予言書が燃えそうなのところのTB

ロビン最後仕事

名シーンしかないんかよっていうぐらいの熱さの連続だった

途中休載挟んだりギャグはずっとやってるのに、涙が止まらない回が多かった

あと4個は?

サタンクロス

名シーンだらけなのでまとめて。サムソンティーチャの回

なにより聖衣みたいなの装着し出して、嵐みたいにでっかいコントローラー操作しだして

適当コマンドでもないような何かの操作裏技使うとか、適当がすぎるバトルだった

折り鶴折ったり、地形変えれるシートがあったり

アイテムを使ってはいるが)能力バトルとしての可能性が凄くあった気がする

基本的超人は己の肉体(と地形などの環境)で戦うのでこの方向性を多用するわけにはいかないのだろうが

そういえば各超人(そんなにいないか)の改心シーンも名シーンだらけだなぁ

あと3個は?

ブロッケンマンキャメルクラッチ

残酷すぎてアニメではラーメンになったところ

初期すぎてストーリーとかバトルいい加減だけど、ギャグやってるのにこの残酷さもってくるバランスがすごい

あと2個は?

いつもの三倍のジャンプを加えれば……

やっぱりこれ以上のシーンは無い。

過去自分を超える最高の技を繰り出すもの

それを受け止める覚悟を持った敵役

その一撃は外れ、しか威力は足りていたと読者には知らしめる

あの時のスクリュードライバーバッファローマン心臓をとらえていたら

ifの世界が気になる(しれっと生き返ってたかもしれないが)

あとひとつは?

2025-01-12

そんな誤用したことはない誤用:復讐するは我にあり

言葉として受け取った所感

かっこいい。なんかマフィアとかが言ってそう。一度でいいから言ってみたいセリフランキングに載ってそう。なんか復讐の時とかに使いそう。

 

その単語実態

映画化ドラマ化もされた日本長編小説タイトル

トルーマン・カポーティの『冷血』を意識して執筆されており、西口事件を題材にしたノンフィクション物。タイトルの『復讐するは我にあり』は新約聖書に出てくる言葉の一部で「愛する者よ、自ら復讐すな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり。」から引用されている。

神様が後で報復するんだから信者達はたとえ憎い相手だとしても善い事してあげなよ〜。それができた時点でお前は善い事をして悪に打ち勝てる奴になるんだぞ〜。の意

 

誤用

復讐するは我にあり!俺が貴様絶対にぶっ⚪︎してやる!!』

 

単語としての意味なら合ってる。でもお前は主ではない。主が怒ってるならいい。

怒りに身を任せた奴は怒りによって身を滅ぼすって話をしてる。悪に構わず善行をし、善行乗り物で悪を乗り越えててください。

 

誤用

復讐するは我にあり、っていうもんなぁ…俺も悪かったよな…反省しなきゃ』

 

自己反省言葉じゃないです。主も『神の怒りってあんま奮いすぎても良くないよなぁ…もう!このダメ神!』とか思ってません。主がちゃんと『いや、悪人を裁くのは俺の担当から』って言ってくださってるだけです。

お前は主ではない。

反省するべきことを反省するのは大事だが、やり過ぎも良くないです。善行しましょう。

 

正しい使い方①

『昨日の夜やってた“復讐するは我にあり”って映画見た?アレ、実際にあった事件なんだって!』

 

元々が作品名流行から知ったものなのならば、やはり作品として扱う方が安直です。

下手にタイトル言葉を表面だけ読み取って使うのは恥を掻く可能性がある。これはどの作品にも言えること。

作品の内容的にはキリスト教信者詐欺などもやってきた大量殺人犯日本全国を逃亡した挙句キリスト教神父を騙そうとして近付いた時にその娘に正体がバレて捕まり死刑になるという話。現実事件のことでもあり、その奇妙な事件顛末話題にもなった。

 

正しい使い方②

ローマ人への手紙でも言われております、主は言いました。復讐するのは私が行う、私が報復します。と、我々は慎み深く善行を行なっていき、それを以て悪意に打ち勝つのです。』

『でも俺、アイツのことぶっ飛ばしてえよ!』

あなた信徒ではないのですか?主の言葉が聞けないのはとても悲しいことですよ』

『ウウ…神父様や神様が言うなら受け止めるしかねえよ…』

あなた善行で彼等を超越なさい。大丈夫です、今踏み止まれあなたならきっと乗り越えられるから

 

そりゃ元々が宗教言葉なんだから困ってる奴に使うのが正解

世の中の物事的に報復にはちゃん報復で返されるし、だからこそしっかりと報復されない形にしなければいけない。

復讐復讐の形を持って行ってしまえば、復讐の形で返される。

だがそれが別のどうしようもないものなら…?土砂崩れが起きて住んでる家ごと飲み込まれるとか、火つけが好きな人間がたまたまそいつの家の周りで火を付けたのなら?

そいつの愚かな行動が原因でそいつ勝手に堕ちていったのなら?

とはいえ復讐というのは生き物が考える自分勝手な行動、現代では『そんなに解消したきゃ、解消すりゃいい』の精神根付いてはいる。

善人ばかりの日本人なら勝手自己反省してくれるが、遠くアメリカの大地では今でも流行りのヒップホップビートに乗せて報復連鎖連鎖が起きて、若い黒人達が死んでいる。

からこそ、主が言った『それ俺の担当から、後でちゃんとやっとくから』には意味がある。後でちゃんとやってくれるから今日も苦しくても悲しくても笑って愛して喜びを分かち合いながら善行を積んでいく。

悪人勝手にどこかで堕ちる。その哀れな光景支援立場憐れみながら眺めたいというのならば、やはり善行は積むべきなのだ

その後に主が裁いてくださるというのだから

 

という誤用をして今日お茶を濁そう。

2024-12-13

50人で17役職がある世界サバイバル 感想

まずは完結おつかれさまでした。

今回はロールが広く、指導者が本当のリーダーシップを発揮しないといけない構造なのが面白さでもあり難しさでもありました。

偽王rnojajaには3人のブレインがついていたため、本人のカリスマがあったため良かったのですが、

真の王Limeは初動落ちでスタートダッシュに失敗した不運を含めて、周囲の協力が得られずに決戦の場で動員に失敗したのが厳しかったように見えました。

反逆の王ウマヅラハギに関しては、過去にDr.ヴェノムが「ウマは頭が悪い」と言っていた悪い部分が存分に出てしまったのかなという感じでした。

リーダーシップ主体性物事の進行と何もかもうまく進められて無いようで、何より陣営としての取れ高ほとんど取れていないようでした。

蛮族の王GOD_koutanは途中迷走もしましたが、太陽から王冠を授けられたシーンは極めて良かったです。

太陽教はなっしー神父教会を中心に活躍して良かったと思います

月教もdekioko神父のロールプレイは流石でした。

冒険者ゲーム目的を達成して上手い立ち回りを見せていました。

遊牧民は残念ながら導入から結末まで物語に上手く絡めず、見せ場もなかったのが残念です。

個人的名場面は乞食親友dendenが偽王の盗聴に成功し「えらいこっちゃ」と叫んでいたシーンでした。編集も上手かった。

総評

また見たいか、というと微妙な感じがします。

参加勢同士で尊重されない人(ウマヅラLime、かっちゃん)が重要役職に配置されたとき、50人クラフトは上手く機能しなさそうな気配があるからです。

そこら辺の加減ができないと、また焼き直しになりそうな気がしました。

2024-12-10

12月1週LINEオープンチャットはてなブックマーカー」1週間のまとめ

これは何?

LINEオープンチャットはてなブックマーカー」の1週間分の要約を、さらAI使用し、試験的にまとめまています

要約内容

1週間分のオープンチャットログの要約

主な話題テーマ概要

ライブイベント観光名古屋愛知

名古屋ライブ会場の少なさや、愛知県と名古屋市の関係性がイベントに与える影響が話題に。

京都岐阜羽島を通過する様子、ライブでのペンライトの楽しさやファン交流について語られた。

食べ物飲食店餃子ラーメン海鮮

餃子ピェンロー鍋、しゃぶ葉宇都宮みんみんの話題が多い。

名古屋の「ちゃん系」ラーメン海鮮丼についての話が続き、美味しい食事体験が共有された。

寒さ・防寒対策健康港町温泉肩こり

港町の寒さや防寒具の準備、高齢者の入浴時のヒートショック危険性が議論に。

肩こり筋トレ、枕選びについての健康相談も行われた。

旅行観光沖縄韓国ルーブル美術館

沖縄への移住食文化観光地の話題が多い。

ルーブル美術館ヴェルサイユ宮殿訪問計画についても意見が交わされた。

経済投資物価上昇(東京株主優待投資戦略

東京での物価上昇や食料品の高騰について議論特にトマト価格言及

株主優待オルカン・SP500の投資戦略について情報交換。

政治社会問題韓国米軍基地技能実習生

韓国戒厳令大統領話題米軍基地問題技能実習生制度課題についての議論が活発。

日常生活引っ越し住まい賃貸、新居、収納

賃貸物件内見や新居の引っ越し費用収納リフォームアイデア話題に。

AIテクノロジー環境問題

AIや音声入力の便利さについて意見交換。

プラスチックストローやレジ袋の有料化環境問題への対策議論された。

エンタメ音楽文化主題歌教会、讃美歌)

米津玄師主題歌教会の讃美歌、神父の話に関する文化的な感想が交わされた。

全体として、参加者食べ物旅行ライブ政治日常生活健康投資など多岐にわたるテーマについて活発に意見交換を行いました。

関連記事

https://anond.hatelabo.jp/20240722084249

オープンチャットの参加URL

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https://line.me/ti/g2/MFSXhTJoO_pLfrfds1LpyJ0OlBgcPJSqHoRbBg?utm_source=invitation&utm_medium=link_copy&utm_campaign=default

anond:20241209212919

JOJOネタにされてるよな( The New 神父!)

2024-11-23

エロい言葉かと思ったらそうでもなかった言葉

パコ公園 Paco Park

フィリピン首都マニラ中心部のパコ地区にある公園1820年代にコレラ犠牲者墓地として建設スペイン植民地支配に対して革命運動を起こし、斬首となった3人の神父の墓や、独立運動英雄ホセリサールの最初の埋葬地であることを示す記念碑がある。

2024-11-21

悲報トランスさん、教会を襲撃してしま

https://x.com/Jeanne_otsuru/status/1379577121316630528

教会に何度も来て神父様に迷惑かけたり、マリア像を汚したり、うちの家に早朝に来て

赤ちゃんが寝ているにも関わらず、大声でわめき、

ご近所の方に恐怖を与え、

釘のついた角材ふりまわし玄関植木鉢やガーデンチェアなど破壊

私はカトリック信徒から

同性愛の人を差別排除はしないけど

私自身は同性愛はしないし、嫌だと言ったのが許せなくて

嫌がらせしてくる

2024-11-17

anond:20241116192453

ケーキ全般悪口言いたいだけで草 曽祖父神父だったからなんとなくキリスト教だけどチキンは食べる。各家庭の文化的背景による所が大きいか元増田の「みんな」の問い立ては釣り針のようにしかえんな

2024-11-04

anond:20241104114921

牧師ってことはプロテスタントだと思うけど、そもそも教派的には離婚禁止な訳じゃないよ

もし神父カソリックでも、カソリック信者同士の結婚でもなければそこまで厳しく言わないよ

仏僧とか神主とかも普通信者じゃなきゃそんな厳しく言うことはないよ

2024-10-07

anond:20241007160318

教会神父さんの前で誓いの言葉を述べるのは、当時の公証役場役割を担っていたということなんやな

2024-09-07

やはり神父ショタちんぽの魅力に気づいている

2024-09-04

エクソシストを堕とせない』のイムリマジで嫌い

間違った読み方であろうことは認める。

     

でもさあ

自分はさあ

頑張った順に報われるのが見たいわけ。ある程度は。フィクションの中では。

   

イムリって一番だらだら自分勝手に遊んでただけじゃん?

誰よりも甘い認識覚悟でふざけてるだけじゃん?

似たような手段の篭絡にしたって色欲魔王の方がよっぽどわが身を掛けて飛び込んで勝負したじゃん。

(まあ魔王達も完全にやられても地獄に戻って再生するだけのクソなんだけどさ)

  

それで色欲魔王が相討ちみたいになって斃れたあとで、

ろくな積極性もなく、恐怖に耐えて勝負したこともなく、何かを賭けて打って出たこともなく、

肝心な場面でも”待ち”を選んだ結果ポッと出の色欲魔王に出し抜かれたイムリ

なんか神父意識されるようになってるの。

 

なにこの漁夫の利

完全に選択を間違えて消極策を選んだことにすらなんのペナルティも無くて

色欲がズタボロになりながら作った成果を自分は無傷でもらっちゃってるわけ。

  

 

神父を騙して裏切ってそばにいる

・そういう間者存在なりに必死な使命感があるわけでもない

真剣任務に我が身を賭しきたわけでもない   

  

こんな、どのような価値尺度から見てもカスのもの存在

まんまと戦果を挙げて神父に食い込んでいたり

唐突チート能力に目覚めて魔王と対等以上にわたり合いだしたり

もう見ていてひたすら不快になるしどうしてもイムリのことが好きになれない。

 

 

ていうかなんなのこいつ?

なんかこれまで出てきたどんな残虐な魔王より不快なんだけど。

  

ちょっとメアリースー的な不快さに似てる気もする。  

一つしかない命を懸けてズタボロになって死んでいく人間戦士たち、

一つしかない命を懸けて得体のしれない何かに身を投じている元人間魔女たち、

何回でも復活できるズルだけど一応真剣勝負をしに来てる魔王たち、

それらを全部あざ笑うかのような存在というか。

 

それならそれでそういう嘲笑冒涜的な態度や内面キャラならまだしも

読んでる人ならわかるイムリ当人人格やノリが本当に無理。

2024-08-24

ウクライナ人Alex Kさんの思い出と、キリスト教の話

ゼロ年代インターネットには、Alex Kさんという日本語が堪能なウクライナ人がいた。彼は日本語ウィキペディアで、ウクライナに関する有益記事をたくさん執筆していた。ウクライナ語のиをすべて「ウィ」と表記した結果、「フメリヌィツィクィイ」みたいな記事名ばっかりになっていたが、これも彼の正確さを重んじる姿勢のゆえだと好意的に見ることはできる。

しかし、Alex Kさんウクライナ民族主義者であった。もちろん、民族主義者であっても良質な記事を書いてくれるなら問題はない。だから彼は、ウクライナ歴史上の人物や、都市や、教会についての記事執筆し、加筆し、あるいは修正のために議論した。そしてある日、ひとりの日本人編集者が、彼の書いたウクライナにある教会に関する記事修正しようとした。それが問題のはじまりだった。

話を150年ほど遡る。鎖国が終わり、自由キリスト教布教してよいことになったので、欧米人はこぞって宣教師日本に向かわせた。宣教のためには、現地の言葉で書かれた聖書必要不可欠である。だから宣教師たちは、それぞれが独自日本語聖書を作った。正教会宣教師だったロシア人の聖ニコライは、漢文の素養のある日本人に助けられながら、教会スラヴ語(教会で用いられる古風なスラヴ語)に基づいていかめし文体日本語聖書を作った。カトリックプロテスタントは、時代に合わせて聖書をよりやさしい日本語に置き換えてきたが、正教会聖書は、明治時代からその言い回しなどがほとんど変わっていない。結果として、正教会聖書は読みにくく、使われる語彙もカトリックとは異なっている。たとえば、こんなふうに。

正教会カトリック
主教司教
顕栄変容
生神女聖母
至聖三者三位一体
イイスス・ハリストスイエス・キリスト

これがいいかいかは、その人の価値観によるだろう。他の教会共通する用語を使うべきと考える人もいれば、独自伝統を守るべきだと考える人もいてよい。だがそれを決める権利日本人の正教徒しかなく、外部の者はそれを尊重すべきであるはずだ。

このようにキリスト教各派が使っている用語バラバラなので、日本語ウィキペディアでは、「各派の独自用語尊重する」というデファクトスタンダード確立された。たとえば日本政府は少し前までローマ教皇のことを「法王」と呼んでいたが、ウィキペディアではカトリック独自呼称である教皇」が採用された。カトリック教会が「主教座」と表記されていたときは、カトリック用語の「司教座」に直された。だからその日本人編集者は、2009年に、Alex Kさんの書いた記事にある「三位一体」「変容」を、「至聖三者」「顕栄」に直した。

ところが、Alex Kさんにはそれが気に入らなかった。ウクライナ語や英語では、当然ながらこのような区別存在しない。Alex Kさんは、「三位一体」は日本語の定訳なのに、なぜ「至聖三者」という日本正教会独自用語を使わなければいけないのか? と反論した。さらに、大部の国語辞典を参照して、「顕栄」とは立身出世するという意味であり、「変容」の方が教義的に正しい、とも主張した。これに対し、日本人編集者たちは次のように答えた。

  1. 日本語ウィキペディアでは、各派の用語尊重することになっている。正教会事物は、日本語ウィキペディアでは日本正教会用語に従って書かれるべきだ。
  2. 日本正教会があえて違う訳語を使っているのではない。歴史的経緯から各派がバラバラ訳語を使っているだけである日本正教会用語だけ特殊扱いするのはおかしい。
  3. キリスト教徒は日本において人口の1%程度しかいない。したがってキリスト教用語の多くは国語辞典に載っていないかキリスト教用語としての意味が書かれていないので、国語辞典基準にしてしまうとウィキペディアにおけるキリスト教関係記事の多くが成り立たない。実際に、Alex Kさんが参照している国語辞典の「変容」の項には「キリストの変容」という意味は書かれていない。国語辞典基準にするなら、まずAlex Kさんが推す「変容」からしてアウトではないか
  4. 仮に「一般通用しているか」を判断基準にするなら、ウクライナ固有名詞の多くはロシア語読みで書くべきということになるはずだ。Alex Kさんウクライナに関しては慣用表記ではなく当事者呼び方を優先すべきだと主張するのに、日本正教会に関しては当事者呼び方ではなく慣用表記を使うべきだというのはおかしい。
  5. Alex Kさんが振り回す辞典の「顕栄」の項には、「立身出世」のほかに「名があらわれ、身のさかえること」という語義も書かれている。キリストの「名があらわれ、身がさかえる」というのは教義的におかし表現とはいえないだろう。そもそも顕栄は漢語であり、「えある姿をす」と解釈できる言葉だ。Alex Kさん漢文を読めないのか?

このような反論Alex Kさんがきちんと応答していれば、もしかしたら有意義な論争になったかもしれない。だがAlex Kさんは、すでに論駁された自身の主張を繰り返すだけだった。あまつさえ投票に参加しなかったにもかかわらず勝手記事名を元に戻すなどの問題行動を起こした。最終的にAlex Kさん日本語ウィキペディアから出禁を言い渡され、現在のゆくえは杳として知れない。

Alex Kさんは何が気に食わなかったのだろうか。それはおそらく、日本正教会立ち位置にある。実は、日本正教会は完全に独立した教会ではない。日本正教会ロシア正教会の一部なのである

それの何が問題なのだろうか。日本カトリック教会は、全世界信徒を統べるカトリック教会地方支部に過ぎないではないか。それと同じように、日本正教会ロシア正教会支部であって何か問題があるのか? カトリック正教会組織運営上における最大の違いが、まさにこの点にある。カトリック教会は全世界組織ピラミッド状になっているが、正教会では各地にある正教会は対等な存在で、それらを統べる上位者はいないのだ。つまりカトリック教会が「世界政府」だとしたら、正教会は「国際連合」のようなものなのだコンスタンティノポリスの全地総主教あくまで同輩中の首席にすぎない)。

正教会において、国際連合における独立国のように振る舞うことができる教会のことを「独立教会(autocephalous church)」という。ロシア正教会ブルガリア正教会などはみな独立教会であり、対等な存在である。そして、国際連合に加盟する独立国の中にも自治区があったりするように、独立教会の内部にも自治を許された独自組織存在することがある。日本正教会はこのパターンで、教会内の人事は基本的日本人信徒神品聖職者)で決めているが、教会トップモスクワから承認を受ける必要がある。日本正教会は、少数派であるキリスト教の中でもさらに少数派で、文科省統計では人口1万人いるかいないかだ。小さな島が独立を諦めてイギリス領に留まることを選ぶのと同じように、日本正教会ロシア正教会から独立しようとしていない(というか日本だけじゃなく、そもそも東アジア独立教会がない。中国正教会ロシア正教会の傘下だし、韓国香港に至っては全地総主教の下の単なる府主教区であって自治権はない)。

まりウクライナ民族主義であるAlex Kさんにしてみれば、「日本正教会尊重せよ」というのは、「ロシア正教会尊重せよ」というふうに聞こえていたのではないか。なるほど彼からすれば、ウクライナ語では正教会カトリックとで同じ言葉を使うのに、ロシア正教会日本支部ではわざわざ別の言葉を使ってカトリック差異化しようとしている、と映ったのだろう(ウクライナには「儀式のやり方は正教会だが、組織としてはカトリック」という教会存在しており、かつてロシア帝国から激しく弾圧されたこからウクライナ民族主義の核になっている)。

しかAlex Kさんが見落としていたのは、日本正教会日本人によって運営されている教会、という点である。確かに教会設立ロシア人によるものだし、ある時期まではトップロシアから派遣されていた。だが日本人の正教徒自分たち教会組織運営するようになり、ここ半世紀は教会トップ日本人が務めている。しかも、日露戦争ロシア革命によって生じた反露世論によって痛めつけられた上での話であるロシア正教会が気に食わないというウクライナ人気持ち理解するが、逆風に耐えながら百年以上も信仰を守ってきた日本人信徒に対する尊重くらいは求めてもよいはずだ。

ところが、Alex Kさんが示したような日本正教会への侮蔑あるいは敵対は、残念ながらウクライナ人あいだにしばしば見られる。たとえばウクライナ正教会は日本支部を開設しているが、その神品であるパウロコロリューク(Павло Королюк)は、「生神女就寝祭」を「聖母就寝祭」と呼ぶなど、日本正教会用語法を意図的無視する姿勢を打ち出している。ウクライナでならば好きな用語を使えばいいが、あいにくとここは日本であり、日本正教会管轄である。郷に入っては郷に従うべきではなかろうか。また、コロリューク神父あるいは彼に近しい誰かは、日本正教会を侮蔑するツイート公然としている。まあ、こういうツイートウクライナへの共感が強まると思っているならご自由にされればよい。増田は、コロリューク神父はキリル総主教精神双生児なのだから、似た者同士もっと仲良くすればいいのに、という感想しか持てなかったが。

そもそもウクライナ正教会日本支部を開設しようという時点で「シマ荒らし」といえる。日本在住の正教徒基本的日本正教会聖堂に通うべきだからだ。とはいえ移民移民先に支部を作るのは米豪などでも問題になっているし、ルーマニア正教会も日本支部を築いたことがあるので、ウクライナだけの問題ではないのだが。根本的には日本正教会独立教会ではないのでナメられているのだろう。あるルーマニア人は「在日ルーマニア人が教会に行くのに、何でモスクワ許可必要なんだ?」と嘯いたそうだ)

さらに、一昨年開かれたホロドモールの犠牲者を追悼する合同祈祷式には、コロリューク神父だけではなく「日本における総主教代理であるアンブロシオス府主教」が出席していた。日本総主教代理とはどういうことか? 実は、全地総主教日本正教会自治権を認めておらず、韓国派遣したギリシャ人神品日本正教会トップに任命しているのだ。彼は韓国正教会トップでもあるので、というかそっちが本業なので、ふだんはソウルにいる。なるほど、ウクライナ正教会が全地総主教によって承認された関係上、全地総主教が認める総主教代理を認めねばならないという事情理解できる。だがそこでも、日本正教会日本人運営する教会だということは無視されている。明治時代からの由緒ある聖書を守り続けている日本人信徒がおよそ1万人いて、神学を修めた日本人神品が何人もいるというのに、ふだんは韓国に住んでいるギリシャ人日本正教会トップを名乗るというのは、日本人への侮蔑だとは思わないのだろうか?

ロシアウクライナ侵略が許されざる暴挙であり、ウクライナ人へのジェノサイドであることにはいささかの異存もない。プーチンプーチン盲目的に礼賛するロシア正教会のキリル総主教腹を切って死ぬべきである。Оккупанты, идите домой! だがそのことと、日本人が守り育んできた日本教会を軽んじてよいかということとは、まったく別の問題であるはずだ。ウクライナ人特にウクライナ正教会関係者は、日本正教会に敬意を払うべきだ。彼らはどんなに苦しい状況でも正教会信仰を守りぬいた人びとであり、彼らの培ってきた伝統尊重されるに値する。もしもウクライナ正教会がイイスス・ハリストスの教えを日本で守り広めたいと思うなら、まずは彼らの伝統に倣うことから始めるべきだろう。

ところで、ウクライナ語版ウィキペディアの「日本正教会」の記事には、次のような記述がある。

На відміну від католицької і більшості протестантських церков Японії, Японська православна церква не використовує усталеної в японській мові християнської термінології. З 19 століття вона розробила власний словник. Більшість термінів вважаються застарілими словами і малозрозумілі для сучасних японців[13].

この「注13」は次のようなものだ。これは英語版やロシア語版にはない、ウクライナ語版オリジナル記述である

Наприклад звичне для японської мови слово «Трійця» саммі іттай (三位一体, дослівно: «три особи одна суть»), що зафіксоване у провідних японських словниках, японські правослані замінили на сісей санся (至聖三者, дослівно: «найсвятіші три особи»). Ця заміна сприймається неадекватно, оскільки друга частина словосполучення — санся означає не лише «три особи», а й «третю строну» або «аутсайдера». Інший приклад — «Преображення». В сучасній японській мові для позначення цього слова використовується термін хенйо (変容, дослівно: «зміна образу»). Японська православна церква замість нього вживає термін кен'ей (顕栄, дослівно: «проявлення слави»), який в японських словниках тлумачиться як «стати заможним» або «вибитися в люди».

Alex Kさん! 生きとったんかワレ! 「顕栄」についての一方的解釈が健在なのを見てとても懐かしい気持ちにさせられた。さらに、「三者」は部外者というニュアンスもあるから、「「至聖三者」」はTrinityの正確な訳ではないそうだ。もちろんこれは日英露各版のどこにも書かれていない新発見である。確かに第三者」という語を思い出せば、「三者」に部外者という語義があることは明白だ。このウクライナ人編集者勉強熱心さには頭が下がるので、次はぜひ序数という概念についての記事を書いてほしい。しかし何より驚嘆すべきは、これほど独創的な日本語解釈が堂々とウクライナ語版ウィキペディアに載っているということだろう。ウクライナ人に向けて世界言語についての知識を広めようとするAlex Kさんの思いには頭が下がる。きっとそのような手法モスクワで身につけられたに違いない。いや、実にあっぱれ。<

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