はてなキーワード: 竹熊とは
女体の上位変換はないので射精産業は膨大な数が存在し、風俗レビューは常に盛り上がる一方で女は「イケメン男性同士のBLでのオナニー」だけで満足する
ファンが一人もいなかったジャニーズジュニアが某オーディション番組に出た途端に大量のファンを獲得した、ファンがいなかった一般人やロートルが地元やイベントと連動したアイドルグループや武将隊や劇団に入った途端にファンを獲得した、無名や女性に不人気な声優や俳優がアニメや2.5次元で人気キャラを演じたらファンを獲得した、博多のマイナーバンドの非モテメンバーがメジャーデビューして売り出された途端に女が寄って来るようになり、過去を取り戻すかのように女を食い散らかして、他のメンバーは制止に苦労した
男同士が集まり共闘や競争に切磋琢磨するエンタメなら芸能でもスポーツでも関係なく女のファンがつくし、そのエンタメの人気者ならチンポの立たない爺さんでもチンポのない宝塚や日韓女性アイドルグループ等の女でも構わないし実際に熱心な女性ファンに支えられている
なので芸能人や有名人と一緒に仕事してる男もおこぼれ目的の女にモテる
水原一平も人気あったし、バンドブームの頃はユニコーンのマネージャーの髭のおっさんやスタッフやローディまで若い女を食いまくっていた
だからモテる女のルックスは皆痩せた美人で統一されてるけど、モテる男はルックスにばらつきがあるだろ
女が自分の旦那と息子と推し以外の男に無関心なのは言うまでもないし、推し活も「有名人かつ特定の推し」にしか金を出さない
逆に男は女の地位や評価や経歴はどうでもいいから木嶋佳苗やりりちゃんみたいな経歴不明無職の不美人に大金を貢ぎ、貧困大家族の日本語を話せない外国人女性を嫁として斡旋するブローカーが存在する
エロ動画や風俗は言うに及ばず、自撮りや盗撮アカウントや無数のネットに転がっているエロ動画に至っては女の素性は勿論、顔すら分からないけどシコるだろ
ジャニヲタもプロ野球やバスケやバレーのプロリーグに流出し、前者はSnowMan以外の全グループの売り上げが下がってるが、後者の女性ファンや動員は爆増してる
近藤真彦〜忍者〜TOKIO〜関ジャニ∞と長年ジャニヲタやってた女性もラグビーに移行した
あと、男だけが身長や収入とマッチング率や既婚率が比例する統計がいくつもあるだろ?
日本人男性の6割が170cm以上、165cm以下は1割
https://toukei-labo.info/10_taikei/10_shincho.html
しかし風俗客、マッチングアプリ婚活市場で余剰在庫になる層は低身長男性に集中。始末に困った業者に「売れ残り婚活女性は余っている低身長男性で妥協して!」と訴えさせてしまう
「身長170cm以上の男性希望です」という婚活女性を見ると婚活業者や非モテ男性が脊髄反射で「高身長男性はすぐ売り切れて品切れするから高望み!婚活しないと相手が見つからないブスやおばさんは妥協しろ」の大合唱になるから、内心では女が顔より身長を重視するのを理解してるんだよ
しかし取り柄のないボンクラでも婚活やマチアプやれば売れて行く高身長男性と違い
芸能界一強の権力や知名度の事務所等の所属先や肩書が伴わないと低身長男性は見向きもされない
「男はコミュ力(とそれに伴う社会的評価)で選ばれるが、婚活や恋愛において低身長が余る理由はそれ
テレビ局やスタジオに入れる身分も気持ちがいいけど、ジャニーズに入った途端に“ファン”がデキるというのも驚きだよね。だってさぁジャニーズじゃなかったら一般人じゃん。劇団に入っているカッコイイやつでもファンなんて一人もいないのに、ジャニーズに入っていればブサイクな顔でもファンやおっかけまでついてくるんだ。おおーこれこそアイドルじゃん! とは思ったけど、なんでついてくるんだろう? とは日々疑問であった。テレビ朝日の中にあるレッスン場にはいっつも出入り待ちのファンらがたむろっているし、おっかけはタクシーに乗ってまでついてくる。おまけに家に入るまでのお見送りつきというゴージャスな待遇である。歌手デビューしているとか、ドラマに出演しているとかだったらわかるけど、一般人が“ジャニーズ”というだけでその私生活まで大きく変化を遂げるほどの環境に変わってしまうのだ。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/2_4869.html
石原 (略)
女形が少年の役をやっててね。化粧とか照明の具合で、これがなかなかの美少年に見えるんです。そのせいか女性の観客が多かった。僕も何回か観たんですけど、ある日、舞台を観ていたら客席の方からピチャピチャという水の音が聞こえてきて、なんだろうと思った。
竹熊 なんですかその音は。
石原 昔の芝居小屋は無声映画もやっていましたから、舞台の前がオーケストラ・ボックスになっている。新派劇のときは楽隊がいないから、ボックスに腰を下ろして芝居見物するんです。一メートルくらい穴の開いた場所で、床の音がよく聞こえる。畳敷きなのにピチャピチャ音がするんです。
石原 ない。ところがね、食事は僕ら九人全員で一緒にすることになっていたんですが、明くる日になったら女の子が「あなたの部屋にいる居候を連れてきなさいよ。気の毒でしょう」って言うんですよ。その子が来たら、女どもがワーッと声を上げて取り囲んだ。
ホモなのに女にもてるんですよ。憎たらしい。両刀使いでもなくて、完全なホモです。女に取り囲まれてもまったくその気がない。美少年だからね、SMAPみたいなものですよ。女将さんは、てめえの亭主のホモ関係を邪魔するために、僕を居候の部屋に住まわせたんです。
石原 そうです。太宰府出身の二三歳。僕よりひとつ年下ですね。スマートでハンサムだった。僕なんか眉毛は太いし、目付きが鋭いでしょう。それでね、女どもがそのホモの男も日本に連れて帰ってくれ言い始めた。冗談じゃないと思って置いてきたんですけど。そのときですよ、ピチャピチャを急に思い出したのは。
竹熊 ピチャピチャ?
石原 例の『乃木大将と納豆売り』のピチャピチャですよ。あのときもそうだったんだけど、女はホモの美少年を見ると濡れるんです。女というのは、どんなに切羽詰まってもホモに味方するってわかって、貴重な体験でしたね。
性的に不能なヒトラーが若い女にモテて女性の支持が高かったのも、金髪碧眼のイケメン集団にスタイリッシュな服装を着せていたからだよな
〈ツーショット写真〉人間国宝・片岡仁左衛門78歳 “壇蜜似”41歳女性との2年不倫愛
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A子さんは、18年春頃から、仁左衛門が出演する公演を全て観劇する“全通し”をすることが多くなるなど、仁左衛門ファンの間で、次第に目立つ存在になっていく。19年2月には楽屋口で入り待ちをしているA子さんを見つけ、他のファンもいる前で、「この前、手紙に書いてた質問のことやけどな……」と話しかけたこともあった。
その後、彼女は関係者だけが参加できる会にも参加するなど、さらに仁左衛門との距離は近づいていった。そして20年3月、コロナ禍で歌舞伎座公演も中止となったこの頃、遂に2人はプライベートで会うようになる。A子さんが仁左衛門の自宅に誕生日プレゼントを郵送すると、返事があったのだ。
人間国宝・片岡仁左衛門、不倫で〝噛む癖〟バレた! 壇蜜似の年下女性の首、二の腕に内出血のような跡 「週刊文春」報道
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知人の証言として、女性がウオーキングの最中にも首や二の腕を噛まれ、ホテルでも噛まれたと伝える。それは内出血のようになっていたというから、相当な力で噛んだものと思われる。
https://anond.hatelabo.jp/20250414102334
https://anond.hatelabo.jp/20250322124236
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
言い分はまぁわかるところもあります。特オタは排他的なとこもあるし、私もテレビで声優や俳優目当てである特撮作品が好きです♥みたいな人がその作品ファン代表みたいに出てたらイラっとする。役者しか見てない人に作品を語って欲しくないとも思う。でも私だって役者さんも好きだし応援している。役者の成長を見守るのも楽しい。
爆発やミニチュアだったり、ヒューマンドラマだったり、アクションや演出だったり、役者の成長を見守って応援することだったり・・・全部含めて特撮の魅力はだと思います。男女関わらず特オタの大部分はどれを重視しているかはそれぞれだけどそういうのひっくるめて特撮作品を楽しんでいますよ。竹熊氏のような人もいるけどこんな凝り固まった人は今日稀ですよ。以前氏の発言は大炎上してますし。
まぁそちらは置いておいて、要約すると「私たち俳優ヲタはお金を使っているのだから、お金を出さない特オタ()は文句を言うな」ということですか。メインターゲットで最優先なのは子供達と親なのは大前提として、たくさんお金を出した人が偉いんだったら上を見たらキリがないし、その理屈だと1番たくさんお金を使った人しか言えませんよ。あなたの周りにはたまたまいなかったかもしれませんが円盤、フィギュア、おもちゃ、ファッション・・・特オタの大部分が大なり小なりお金は出してますし、1年で出て行く俳優オタさんよりは財団BやTAさんに搾り取られてるんじゃないですかね。特オタがお金を出さないというのは妄想じゃないんですか。主張の理由が事実無根なのでもやっとしました。結局は子供・親>特オタ・俳優オタです。
あと特オタは出演俳優さんにとても好意的です。俳優さんが有名になっていくのを喜んでいますし卒業後に多少やらかしても「あぁあいつか」とあっさり許したり。あなたの好きな俳優さんもテレビに出て食べていくのならこういう評判やイメージを落とさないでいてくれる男性の存在は貴重ですよ。結婚やP賞で世間を騒がした彼に「子供できたしまた出てくれないかな」「やっぱり応援しちゃう」と好意的な男性が多いのも特オタくらいでしょう。もちろんその俳優のファンにもです。それなのに俳優オタへこう風当たりが強いのはやっぱり俳優オタのマナーが良くないからなんですよね。主演俳優のファンのせいでヒロインが降板になったと言われる年もありましてね・・・。舞台挨拶だけ見て帰ったり途中で抜けたりなんて俳優オタからだって批判されることです。俳優オタは郷に入っては郷に従うべきなんですよ。俳優のことに口出しするなと言うならばそれからです。マナーが良ければ受け入れられるし楽しみ方は違っても理解はされますよ。それができないのならば二度とこちらに来ないで頂きたい。
1.
以前、変なオッサンが町を歩いておりました。
「よぉ!久しぶり!」と話しかけてきて、なんじゃらほいと立ち止まると
「競馬で一発当てたよ!」と財布から札束を見せて、「じゃぁな!」と帰って行くのです。
これが「金を預けてくれたら増やすよ!」となったら寸借詐欺なんでしょうが、
今でも正体が分からないのですが、寸借詐欺になるための第一歩「見知らぬ人に話しかける」の
2.
私の母親が近所に買い物に行ったら貧相な老人がやってきて、
「すいません、お金をください」と言ってきたそうです。
母親はきっぱり断って帰ってきて私にその話しをしたんですが、
わりとこざっぱりしたジャージ姿で杖をついた貧相なジジイがやってきて、
なんだか話しかけてくるんですよ。
それがもの凄い小さい声で、「仏心がありましたら」とか「後生ですから」とか
頼む言葉をずらずら並べて、一体何を頼みたいのかを言わない。
お金が欲しいのか、道案内して欲しいのか、重い物を運ぶのを手伝って欲しいのか、さっぱり解らない。
腹が立って話の途中で別れたのですが、
こういう老人って、後ろにおっかない人がいて、同情を引いて金をもらってこいとでも言われているのでしょうか?
http://togetter.com/li/369037
それはそうだと思うんだが、漫画家側が才能をアピールする事にデメリットがあるのだろうか。
漫画の連載枠には限りがあり、誰でもいいから漫画を描いてページを埋めてくれ、という状況にはなっていない。
となると持ち込みをする作家のライバルは別の持ち込み作家のはずである。
限られた連載枠を勝ち取る為には他の漫画家と比べて自分の漫画がいかに面白いものかアピールする必要は当然ある。
それを聞くと「それはお前の役割だ」「給料泥棒!」と言うのであれば、編集者も普通に自己アピールできる他の漫画家に連載枠を与えるだろう。
>だから「売り」てのは事前に気づくものではなくて、常にちょっと遅れて、自分で自分を振り返ってみて気づくものだろうな思うのです。
>「売り」が何かって、新人は自分で考えなくていいと思います。
>才能のある新人から「売り」を見出すことこそ編集者の仕事で。最初から新人に「売りを見せろ」なんて編集者が言う台詞じゃない。
だから今は売りは言えない、という漫画家よりは見当違いでも自分の売りをアピールできる漫画家と仕事をしたいと思うのが編集者ではないだろうか。
持ち込みをする漫画家が世界中に自分ただ一人、雑誌はいつも作家不足に陥っていて誰でもいいから漫画を描いて欲しい。という条件下であれば別だが。
>全くおっしゃる通りです。自分の心なんて自分が一番わかっていないし、自分の魅力もそう。そこを勘違いして装うと、あざとさが鼻につくだけ。読者はそんなにバカじゃないと思います。
具体的な例がないのでなんともいえない。どの漫画のことを言っているのだろう。
>売りを意識するのは大事ですが、それだけでは商売として辛いんじゃないかな…漫画は好きになってもらってナンボですもん。せちがらくなりましたね
売りを意識しないで好きになってもらいたいのであれば、だったら持ち込みなどせずに個人で売ったりサイトで公開したりすればよいのではないだろうか。
持ち込むと言う事は相手側の要求にもある程度答えないといけないわけで、それをせちがらいと言うなら一人でやればいいじゃないかと思える。
就職活動の履歴書の「自己アピール」くらいの気持ちでは説明できないのだろうか。
そう書いたからといって「こいつは学生のくせに自分の売りを決め付けてて危険だな」って思う人はいないだろう。
>今のマンガ業界は焼き畑農業だよなぁと一連のRTをみて思ったり。
>余力がないんでしょうけども、もう育てようとか育つまでまとうとか全くないですよね。その場で使える子だけ使って使い捨てる感じ。
自己アピールをできる漫画家を求める事と使える子だけ使って使い捨てる事に関連性がない。
例え編集者側に育てる余力がなくても、それにあわせて頑張れる漫画家は大事にされるだろう。
されない理由があるならしりたい。
>業界に新人を育てる余裕は無いという話も本当なのでしょうか?
漫画の連載枠は限られている。一人が連載を持てば一人は連載を失う。
ビジョンと実力を示せない若手を切り捨てない事で別の漫画家が切り捨てられる。
代わりはそりゃいくらでもいる。どこの会社でも採用枠はあり、それ以上の募集者は切り捨てられる。世の中の常だ。
情とは一体なんだろう。
>「即戦力が欲しい!」…って結局今の日本社会全体に通じる気が…だから人材を育てずに使い捨てる…そら給料も上がらんし、景気もよくならんわなぁ(嘆
ここでも「使い捨てる」という言葉が出てきたが、具体的にどういう行為を言うのだろうか。
通して思うことは、ここで「売りは編集者が考えろ、仕事しろ」「新人は考えなくていい」と言ってる漫画家たちは
自分以外に持ち込みをしようとしている漫画家は存在しないと思っているのだろうか。
仮にだが新雑誌を立ち上げようとしていて、そこに新人枠を2つ用意しようと考えている編集者がいたとした場合、
そのような態度で持ち込む新人などいるのだろうか。いるとしたらそれはよっぽど傲慢な思想の持ち主だと思う。
自分以外の漫画家など仕事上のライバルとはおもっていないという事なのだから。
竹熊健太郎がTwitterでひどいツイートを繰り返している。
http://twitter.com/kentaro666
例:
福島はチェルノブイリには絶対にならないと、先月までは言われていたけど、やはりなっていた、ということかな。
http://twitter.com/kentaro666/status/57591643154554880
漫画がらみではいい仕事をしていてフォロワーが2万人もいるぶん、悪影響も大きい。
そのことを指摘されると「ではアンフォローしてください」とくる。
「気に入らないならフォローを外せ」は@NHK_PRもよく言っている。彼女の言い分はよくわかる。ツイートが気に入る・気に入らないという話は結局個人の好みに還元できるから。
しかし竹熊のは気に入る・気に入らないとは違う話なんだよなー。そこがなぜわからないのか。
前提となる知識が間違ったまま、不安を煽るようなことは書かないでほしいんだよ。地震の直後デマにだまされたくせに、自分がデマまがいの不安の発信源になっている自覚がない。
その悪影響はこちらがフォローを外せばなくなることじゃない。だからたちが悪いんだ。
俺「あれ、声優方面だったら、A君もいろいろ知っているんじゃないの?」
俺がこう言ったのは、A君のプロダクションはアニメ専門でこそないものの、アニメ関連番組を多く手がけているからです。アニメ界に彼は独自のコネがあるので、こういう相談を彼から持ちかけられるのは珍しいことでした。
A「うん。オレの方のツテにはだいたい声かけたんだけど、人手が全然足りないんだよ。べつに売れっ子でなくてもいいよ。こちらの注文で請け負い仕事が可能で、できればエロい声が出せる人。女性に限るけど、年齢は問わない」
俺「いないことはないけど……何。エロアニメでも請け負ったの?」
A「いや違う。最近、オレ、代理店辞めた友達と組んで、携帯アニメの制作配信会社を始めたんだよ」
俺「ああ、そうなの。A君も携帯アニメを? そりゃ時代だな。それで、手が足りないってことは、結構儲かってるんだ?」
A「まあね。はっきり言って今はブームだからね。★★★★★って声優、知ってる?」
俺「ああ、懐かしい名前だね。20年以上前に会ったことある。マイナー系のキャラで結構売れていたな。最近見なかったけど、もしかして★★さんも携帯アニメに出演を?」
A「そう。オレの会社でね。実は★★さん、ここ十年仕事が激減しててさ。一昨年にはとうとう声優の月収が10万以下にまで落ち込んでたんだよ。妻子抱えて途方に暮れて、アルバイトやってどうにか食いつないでいた。奥さんと共働きでさ」
俺「あの人も俺らと同じくらいの年齢だよね。それで月収10万は、キツイわなあ。声優って、いくら売れた時期があったとしても、潰しが効かないからなあ……」
A「キツイよ。オレが携帯アニメ配信の話を持ちかけたら、なんでもやりますって飛びついてきた」
俺「それで、うまくいったんだね?」
A「いったも何も、★★さんの月収、今は70万にまで回復しているよ」
俺「そりゃすごい。本当にブームなんだなあ」
A「まあね。でもオレはさ、この仕事(携帯アニメ配信)って一過性の商売だと思うから、ブームはいずれ去ると思っている。それが三年後なのか、来年なのか、来月なくなるかは分からないけど。儲かるうちはやるけど、売れ行きに陰りが見えたら、いつでも会社を畳むつもりだよ。傷が広がらないうちにさ」
俺「シビアだね、いかにも君らしい。携帯アニメが一過性だっていうのは、なぜそう思うの?」
A「いや、これはオレの個人的な印象なんだけどさ。自分で配信していて、こう言うのは何なんだが、携帯アニメが面白いとは、オレ、どうしても思えないのよ。あんな見にくいもの、よくみんな見るものだと思うよ」
俺「ほう。俺も、普段は携帯アニメなんて見ないけどね。俺の周囲にいるアニメ関係者に聞いても、日常的に見ているって人は皆無だなあ。学生に聞いてもそう。いったい誰が見ているんだろうね」
A「まともなアニメ好きは、みんな携帯アニメなんて見ないよ。アニメはやっぱりテレビで見たいじゃない。携帯アニメを見ている層って、オレたちとはまったく異質な人種だよ。普段からテレビなんて、アニメ含めて見もしないって層が膨大にいるんだよ。アニメなんて、わざわざ時間合わせてまで見るものじゃないと思っている。それが携帯だったら、夜、寝る前に布団の中で落として見れるから、ラクじゃん。課金も一回100円とかだし、携帯料金と一緒に払うから、面倒がない。あいつら、携帯アニメが好きだから見るんじゃなくて、ラクだから見るんだよ。どうせエロ目的だしさ。面白いかどうかではなく、抜ければいいんだよ。」
俺「なるほど。それでわかった」
A「だから、携帯より、もっとラクで面白いメディアが現れたら、連中、そっちに乗り換えるだけだよ。それがゲーム機なのか、なんなのかはわからないけどさ」
俺「それで、A君、本業の元請の調子はどうなのよ」
A「オレの仕事のやり方、知ってるだろ? 放送局からアニメ一本丸請けしてさ。フリーの原画家やアニメーター集めてローテーション組んで、おおむね7~8ヶ月で1クールアニメを完成させる」
俺「うん。知ってる。そういう仕事を、常に何本も回していたよね」
A「企画にもよるけど、一話あたりだいたい1500万で請けてたんだよ。これが5年くらい前までの話ね」
俺「その1500万から、下請けに発注して、残りが会社の収入になるわけね」
A「そう。フリーには時間給ではなく原画や動画一枚いくらで発注するから、時間はあまり関係ないんだけど、それでも納期があるし、仕事には6ヶ月以上かけないようにはしている。それでも、オレの自主企画の場合、つい1年かけちゃったりするけどね」
俺「A君は、もともと脚本家だし。自分の企画は、つい自分の作品モードになってしまうのね(笑)」
A「それでさ。5年前までは、そのやり方で回っていたのよ。それが今は……。ここ5年で、局から出る経費がどんどん削減されていてさ。今年に入ってから、向こうからの提示額が平均いくらになっていると思う?」
俺「俺は元請やってないから、よくわからないけど。いくらかな……一話1000万とか?」
A「650万だよ」
俺「……(絶句)……」
A「今年あたりから、そのあたりの額を言ってくる局が増えた。とてもじゃないが、やっていけない。やるだけ赤字なんて、バカバカしいだろ? だから、オレは今、どうしても断れない相手からの義理仕事以外は、断るようにしている。テレビのアニメ制作会社としては、事実上の休業状態だけど、仕方がない。赤字経営よりはマシなんだから」
俺「それで携帯アニメにシフトしているんだな。でも、その携帯アニメも、いずれブームは去ると考えているんだろ? この先どうするのよ?」
A「実は春から、別の仕事も始めたんだよ」
俺「へ? それは初耳だな。何始めたの?」
A「…オタ風俗だよ。そっち系の知り合いに相談してさ。女の子集めて……」
俺「……まあ、元手が残っているうちに、何かやっておかないとな……」
A「増田君、今は、綺麗事言っていられる時代じゃない。とにかく生き残ることだよ。綺麗事言うのは、それからでいいよ」
元ネタ:竹熊君、“紙”はもう、ダメだよ…(後編): たけくまメモ
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-d6cf.html
1冗談ではなく本当に殺したい人の名前は?
2こいつはもう駄目だっていうサイトは?
3いま浮気中?
4同時に何人とつきあったことがある?
5DVをしている?されたことがある?
6右?それとも左?
7チンポは右?左?
8仮性か?
9今までした最高の犯罪は?
11ミクシー、ってやっている奴ってアホだろ?
12餓鬼のとき、笛ナメナメ、ペロペロしたよな?
13初オナニーはいつ?
15あ??、痴漢してえぇ?
16おっぱいがつぶれるぐらい鷲づかみしたい?
18竹熊先生、210円ぐらいでガタガタ言わないでください?(ちなみには新装版のサルマンが大好きです)
22ビンボーならもっと働け?
23また自殺、シラネ?
24アバウトミーの質問と回答はどれもステレオタイプでつまらん?
26ってかアップもしてますが、何か問題でも?
28まだまだビッグになれるぜって思っている?
29romっているのが、文句たれるやつがいなくてサイコーだ?
33友達でオナッたことがある?
34はてなは全体にださすぎる?
35はてなの「こんな人もやってます」のこんな人が渋すぎてウンザリする?ってかキモイ?
36ってか女がたりない?
39ってかこの質問を作ったやつ、死ね?
44スルー力って最初、するーかって読んだよな?
45マルコ可愛いよ、マルコ可愛いよ?
46はてなのサービス名、全部にベータって付ければ文句なくなんねえ?
47ブログを書いている時点で終わっている?
48ブログで人気でた記事ってようは週刊誌が取り上げるまでの「繋ぎ」でしょ?
49しょせん少数派の意見?
50地震が発生してみんな同じスタートラインに並ぶなんて考えた事があるんだろ?
52野菜をつっこんだことがある?
53おもちゃなら余裕である?
54東大(藁)って世界ってことを考えるとアホだろ?
58「この曲、神」っていいかげんにしろ?
59回顧主義の気持ち悪さは異常?
61まなめさんのHGはいいかげんに古いだろ?
62タモリ倶楽部のケツ振りっていらなくね?ってかタモさんならおっぱいじゃないの?
63テレビや雑誌を見ている理由が世間やマスゴミどんなのに興味をもっているか知るためってカッケエエな?
64弁当さん、雑誌に顔出ししたことがあるのですから、テレビに出てください?
65人の不幸がたまらないくてプゲラする?(どっかのブログ名みたいだな)
66この質問を作ったやつ、2chに帰れ?
自由に使ってくださいね。勝手にアバウトミーの質問として使ってもいいですよ。それか、バトンでもすればいいじゃない?
こういった質問を作って答えるサービスってのもあっていいようが気がする。完璧に匿名になってプロフィールとしては全く使えませんがね・・・
はじめに
秋葉原は現在もっとも注目される街の一つである。IT・ハイテク技術の聖地として、あるいは現在国が推進するソフトウェア・コンテンツの見本市として、またはサブカルチャー文化が生まれる一観光地として、政府である『官』やソフトウェア&ハードウェアを生産する『企業』、そして秋葉原を目指す『個人』の視線がそこに集中し、ひとつのムーブメントを作り出している。
この記事は、秋葉原の歴史については軽く触れる程度にとどめ、主に90年代後半??今後の秋葉原について参照し、今後秋葉原がどういった発展を遂げるかについて将来像を探るものとする。
電気屋街としての秋葉原の歴史は、終戦直後に作られた露天市までさかのぼれる。戦前の秋葉原にも山際電気(現在のヤマギワ電気の前身)なども存在はしたが、当時電気屋の主流であった「電気材料卸商」(電化した工場設備に必要な部品を販売する商店)の中心的な場所ではなかった。戦後、焼け野原になった秋葉原で近隣の電機工業専門学校(現東京電機大学)の学生がラジオを組み立て販売するというアルバイトをしたところ、これが大繁盛。その結果、他の露天商も品物を真空管などラジオ部品の販売に転向、その上電気に詳しい露天商の参入もあり、120軒あった露店のうち約50軒が電器商という、まさに電気屋街の前身ともいえる様相を見せた。
この初期の秋葉原の発展について、近くに工学専門の学校があったという地理的要因のほかに、交通の便のよさというのが上げられるだろう。終戦直後にできた闇市で活況を見せたのは、上野や新橋、渋谷など国鉄の乗降客の多い駅の周辺にできたものだった。秋葉原の国鉄や都電が通るアクセスのよさは、そういった「人の流れの結節点」となって、秋葉原に人を留める要因になったと思われる。
その後、GHQにより道路の拡張工事を行うため、露天撤廃令が施行され、露天商は国鉄秋葉原駅ガード下で営業をはじめることになる。これを秋葉原電気屋街の原型とし、以後日本の高度経済成長とともに、電気屋街は拡大していくことになる。この成長を支えたのは家電だった。人々は豊かな生活を追い求めるため、「三種の神器(テレビ・冷蔵庫・洗濯機)」に代表される電化製品を求め、家電が安い秋葉原に足を運んだ。しかしその人の流れは昭和50年代後半で終わることになる。家庭に普及した自動車で郊外型の家電チェーン店に向かうといったライフスタイルが定着し、それまで主要客層だった家族層が秋葉原に足を向けなくなる。また、昭和60年代のAVブームと高級家電のブームの反動による家電不況などもあり、秋葉原は新規顧客層の開拓と、それに伴う主力商品のシフトを図ることになる――「情報家電」。昭和にはマイコンとよばれ、現在パソコンと呼ばれるマルチメディア機材である。平成6年、電気街の売上においてPC関連商品が家電商品を上回って、名実ともに秋葉原は電脳街となるのである。
秋葉原の主力製品となった情報家電は、アニメやゲームを愛好するオタクたちと親和性が高い。アニメを見るためのTV、エアチェックする為のレコーダー、ゲームだけでなく、ファンとの交流を図るコミュニケーション・ツールとしてのPC――しかしそれだけが、秋葉原を「オタクの聖地」としたのではないと、建築学者である森川嘉一郎は言う。
秋葉原に点在する「まんだらけ」や「海洋堂」、「ゲーマーズ」などの同人誌、アニメグッズ、ガレージキット(フィギュア)専門店はそれまで秋葉原になかったものであり、それらは秋葉原に移転するまで吉祥寺、渋谷、新宿などに点在して存在していた。しかしそんな専門店が97年以降秋葉原に集中するようになった原因を、森川は『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』において、(株)海洋堂の宮脇修一専務のインタビューをヒントにこう記している――アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のヒットと、それに付随したサブカルチャー・ブームにより未曾有のバブルに沸いたサブカルチャー・ショップが、その勢いに乗り秋葉原への出店を促したのだと。確かにこの時期、東京ビッグサイトで行われたコミックマーケットの入場者数が25万人(95夏 90年からこの人数が横ばい)から35万人(96夏)、40万人(97夏)へと急激に膨張するなど(ちなみにこの後入場者数は横ばいになる)、この時期サブカルチャー文化への大幅な人口流入があったという見方もできるだろう。しかし、アニメやマンガ界隈において、エヴァ以降現在に至るまで、エヴァと比肩し得るヒット作は生まれていないのが現状である。しかしサブカルチャー産業は萎むことなく、拡大し続けているのが現実である。エヴァ現象によってサブカルチャー文化に入ってきた人びとは何を飽きずに摂取し、そこにとどまり続けているのか。まずこのことを明らかにしてから、秋葉原の現状について考えてみたい。
批評家東浩紀によれば90年代以降、アニメの物語よりもそこに登場するキャラクターや設定などの断片を愛好するオタクが増えたと、著書『動物化するポストモダン』で述べている。東浩紀によれば「オタクたちは、物語やメッセージなどほとんど関係なしに、作品の背後にある情報だけを淡々と消費している」と指摘し、そのことを「キャラ萌え」している(この言葉はやや古くなった感があるが、そのことについては触れないでおく)と表現した。1960年生まれのライターである竹熊健太郎氏も、「オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思」において、まず自身の立場を「(アニメ作品などにおいて)トータルで作品は見るべきだという思いがどうしても強い。」と表明し、「もちろん心の深いところでは、キャラ萌えのような感情はあるんですけどね」としながらも、かれらについて「でもそれを外部に表明するのは、自分はバカですと言ってるのと同じで、とてもできないわけですよ。」と違和感を語っている。しかし、その中で竹熊はこうも語っている。曰く、キャラ萌えという衝動は「アニメブームの頃、中高生のミーハー女子が「シャア素敵??」って黄色い声をあげていたのと同じ」であると。
東はオタクの嗜好が変わった原因を大きな物語の凋落に求め、結果大きな物語に付随する「小さな物語(アニメにおけるキャラクターやロボットなどの一要素)」を単独で摂取するようなオタクが現れた、と前述した著書で述べている。このことについて東はインターネットの世界を例に挙げてうまく説明しており、少々長くなるがここに引用したい。「すべてのウェブページを規定するような隠れた大きな物語は存在しない。(中略)インターネットにはむしろ、一方には符号化された情報の集積があり、他方にはユーザーの読み込みに応じて作られた個々のウェブページがある、という別種の二層構造がある。この二層構造が近代のツリー・モデルと大きく異なるのは、そこで、表層に現れた見せかけ(個々のユーザーが目にするページ)を決定する審級が、深層にではなく表層に、つまり、隠れた情報そのものではなく読み込むユーザーの側にあるという点である。」「ポストモダンのデータベース型世界では、表層は深層だけでは決定されず、その読み込み次第でいくらでも異なった表情を現す。」
この件について森川も同じくインターネットを紐解き、インターネットにおける「地縁・血縁に因らない趣味や関心の共通性に基づいたコミュニティ=コミュニティ・オブ・インタレスト」が、秋葉原の構造の変化を促した、と記している。つまり、「パソコンを好む人は、アニメの絵柄のようなキャラクターを好み、そうしたキャラクターが登場するアニメやゲーム、ガレージキットも愛好する傾向がある」というオタク趣味の構造が、現在の秋葉原を形成したのだと。しかし私は、この変化を趣味の変化や世代の変化ととらえるのではなく、技術の進化が趣味の構造の変化をもたらしたのだ、と主張したい。
オタクについて、まずかれらについて、サブカルチャー文化を愛好するものたちだと捉えよう。サブカルチャー文化はメインカルチャーにたいするカウンターである為、自ずとその文化を愛好するものはマイノリティとなる。そしてマイノリティである為、常に外部から奇異の視線に晒され(宮崎勤事件を参照されたい)、それに対抗するためオタクたちは様々な我流の理論武装を施し、それによって更にオタクはオタクとして、孤立、タコツボ化を極めた(こういった空気は、ガイナックスの元社長である岡田斗司夫が記した『オタク学入門』(太田出版)を参照されたい)。そしてオタクはまた、サブカルチャーの知識を深めるための仲間を必要とし、オタク仲間に出会える場所を強固に求めた。漫画家の篠房六郎氏は、かれ自身にとっての同志が集う場所であった武蔵野美術大学漫画研究会について、「かつてはクラスの隅っこにいた痛々しい孤独な連中が、自分と同じものの見方を持っている人がいると知って、救われる場所がここだった。」と表現している。
しかし技術の発展が、限られていた場所を無数に生み出すことになる――具体的に言うと、ネットに生まれた「コミュニティ・オブ・インタレスト」である。
秋葉原が「趣都」となった97年以降、PCやインターネット整備網、そして文化は急激に発展し、一般家庭に普及していった。オタクと情報家電の親和性は「2 オタク層の流入??趣都の誕生」の冒頭で述べた通りであり、また、Windows95以前もニフティサーブやパソ通などで、一部のオタクはBBSを通じて他のオタクとのコミュニケーションを図っていた。その後インターネット人口が拡大するにつれ、オタクたちはかつて無い数の「同志」と出会うことになる。現実世界では「距離」によって出会えなかった人々と、モニター越しに交流することができ、どんなにニッチな趣味でも「仲間」を見つけることができるようになったのだ。
「仲間」と「コミュニティ・オブ・インタレスト」を形成できるというのは、前述したような「我流の理論武装」をする必要がなくなったことを現す。なぜなら形成したコミュニティを安定維持するため、構成員の視線は外部より内部に向かうからだ。よって仲間同士、理解しやすく、されやすくするため、お互いにとって理解しやすいものを求めるようになり、その為表層と呼ばれているデータベースを、お互いのコミュニケーションにおいて重要視して使用するようになった。「巫女」や「ツンデレ」など、キャラクターの要素をあたかも服装の組み合わせによる着こなしように消費し、コミュニケーションのための文法とするオタク。作品から好みの要素切り離して楽しむことができるからこそ、エヴァンゲリオン以降ヒット作に恵まれなくとも、オタクたちはサブカルチャー文化を愛好し続けることができたのだ。
秋葉原の今を見つめるブログとして、アキバblog(http://www.akibablog.net/)というサイトがある。このサイトは毎日秋葉原の店先をチェックして、物品の販売価格のほかに、店員が作る個性的なPOPを“ネタ”として紹介することをメインコンテンツにしている。このサイトを眺めていて目に付くのは、店が掲げるPOPに書きこまれた“ネタ”はマスメディアが流布したイメージよりも、インターネットから生まれたジャーゴンである場合が圧倒的に多いということだ。普通の店なら「○○という番組で紹介された??」という文句を掲げるはずのものが、ここではネットのジャーゴンを絡めて、連帯感を出して売られている。また、匿名掲示板群である2ちゃんねるから生まれたキャラクターグッズを売るショップもあり(因みに同じ2ちゃんねるで話題になったのまネコFlashとそのキャラクターがAVEX資本で商品化されたときには非難が集まり、秋葉原発のグッズショップにはなんら実害を及ぼさなかったこの対比は興味深い)、現在の秋葉原はオタク文化というマスではなく、ネットというマスに向けて情報を発信していると言えよう。話題になったドラマ「電車男」も、触れ込みは「オタク発」ではなく「ネット発」とうたわれていたのも思い出させるし、そもそも秋葉原名物となったメイドも、(始まりこそあるアニメのコスプレ喫茶として生まれたものの)オタクたちが共有イメージとして持っていた「メイド」を現実化したものであり、特定のアニメ作品というマスメディアから生まれたものではないことも記しておこう。
高度成長時代、メーカーにとって秋葉原とは、特例的な値引きを許し、かつ消費者の反応をフィードバックさせるための実験場であり、社員の技術者が新製品とともに、専門知識を備えた販売員として小売店へと配備された場所だった。今秋葉原では同じように、ネットから生まれた文化を貪欲に取り込みそれを街の貌とする実験場になっている。インターネットの発展により、個の集合体があたかもマスコミュニケーションのように総体として機能し始めた現在。「趣味の構造が場所を変えた」都市に加え、「既存のマスメディアだけでなく、個々が生んだネットメディアと交流をとる」最先端の都市として、現在の秋葉原は評価されるべきだろう。
参考文献
「週間大衆:昭和54年8月9日号」焼跡のバラック問屋街を『世界のアキハバラ』に高めたガンコ一徹
http://www.shimura-musen.co.jp/home_2/kiji_02.htm
http://www.akiba.or.jp/history/index.html
オタクとは何か? What is OTAKU? | Web草思
http://web.soshisha.com/archives/otaku/index.php
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20061029#p1
http://sotokanda.net/his_cafe.html
註:ちなみにメイド喫茶が爆発的に増えたのは、私の記憶によればドラマ「電車男」以降のはずである。
コミックマーケット30’s ファイル 発行:(有)コミケット 発行人:米沢嘉博
カーニヴァル化する社会 講談社 著者:鈴木謙介
動物化するポストモダン 講談社 著者:東浩紀