はてなキーワード: 本業とは
バブル崩壊(1990年から1991年頃)以降に多くの企業が採用を絞った結果、大卒であってもまともな就職はできなかった、というのは誰もが知るところだ。
正社員の応募を何十、何百と出したけど全て不採用で落ちたとかそういうのもネットでは見た。私はそこそこの企業で5~10企業位だったが、ほぼほぼダメだったがあまり記憶が無い。そもそも就活で入社試験をやったり、SPI対策をやったり面接対策、論文対策なんかをやるのが非常にバカバカしいと思っていたくらいだから会社員には向いていなかったのだと思う。あ、NHKと中日新聞、公務員試験、あと出版社とかは受けたな。
結局、10月過ぎても決まらずに大学に来ていたエンジニア派遣会社に話を聞きに行きそのままトントン拍子で決まって就職した。ただ、給料は安かった。1997年当時で大卒18万とかだったと思う。会社の寮扱いのアパートが月6万、駐車場1万、これが天引きされて12万。所得税引かれて手取りは6-7万程度だったと思う。それでも食っていくのが無理だったからじゃがりこ1個で3日は食いつなぐ感じでした。そして年収にして250万くらいだったと思う。心も折れて休職もしそうになった。
大企業でも横並びで初任給20万円程度でこれがどこも同じだと感じていたが、実は福利厚生が全然違う。大企業だと引っ越し代、寮扱いアパート無料、電話代、ガス代、電気代無料といった具合だ。これだと月10万くらいは手元に残るお金が違う。そこで腐ってしまってはおしまいだ。
そこで次の手を考えた。当時(1997年頃)、IT業界ではWeb系システムが作られ始めておりWeb-AP-DBの3層アーキテクチャだった。一般的なアプリケーションサーバ(Apache, tomcat)+DB(MySQL他)で、大規模向けはMS SQL ServerやOracleだった。この頃、MS製品やOracle製品のベンダー資格がブームになり始める最初の頃だったと思う。そこで、Oracle Platinum資格を取得することにした。それには10個くらいの試験に合格しないといけないのだ。しかも、受験料が1科目15000円。すべて自腹を切っていく。そして適切な本も無いところで、2カ月余りで全て合格して取得。
まあ、やればできるんだよ。
そんなわけで、3年間の派遣はとっとと辞めて2000年に大手SIerへ転職しました。大企業はいいね。給与も待遇面も。でも、なぜかみんな暗いし有名大学卒で入社した割にはそれほど興味も無くて残念な感じ。スクラッチ系Webシステム開発やらERP(Oracle EBS)なんかを6年くらいやった。そしてだんだんつまんなくなってきた。心も折れて休職もした。ただ、IT系の資格で、Java、Linux、Solaris、などなどいろいろ取得してきたし総務省の情報処理試験も合格してきた。6年居た会社は不動産投資に失敗したり本業で失敗したりと経営危機のようだった。そこでさっさと去る。この時、年収500万くらいだったかな。
この頃、自分への先行投資を加速させるべく大前研一のアタッカーズビジネススクール、グロービスMBA講座、Bond-BBT-MBAプログラムを受講した。なんだかんだと数百万は使ったと思う。
そして、大手電機メーカーへ転職。年収700万くらいから始まって1000万いくて前くらいで辞めたんだが。12年間の中でSAP ERPをオンプレで新規導入して、アップグレードして、クラウドにしてとか、、まあ充実していたとは思う。一方で、システム運用要員がつまんなくてやめることに。
その後、独立した。最初は月60万くらいの仕事を請けてやっていたが、SAP導入支援となると跳ね上がる。既に独立8年目になるが、年収は5000万くらいになった。仕事も順調だ。100平米を超えるマンションも購入したし、スポーツカーも4台所有している。国内外はふらっといつでも旅行できる身分だ。とても幸せだ。
で、氷河期世代で社会が悪い、時代が悪い、と今でも言ってる人っているのか?努力が足りない!そう言われてきて育って、いま自分がある。心残りは結婚して子供を持つという余裕が無かったことか。あとは年々体力が落ちてきている事。別にそれは他人のせいにするつもりもない。自分がそれを選択しただけだから。そして、あなたは幸せですか?
テレビ見ててふと思ったんだけどさ、「バラドル」って言葉、最近聞かなくない?
いや、言葉は聞かないんだけど、実態としてはむしろ今のアイドルってみんな「バラドル」なんじゃね?って。
昔はさ、歌って踊るのが本業で、たまーにバラエティ出て面白いこと言ったり、体を張ったりする子が「バラドル枠」みたいに言われてた気がするんだよ。
特別感あったじゃん?「お、この子バラエティいける口か!」みたいな。
でも今ってさ、もう最初からトーク力とか、リアクション芸とか、そういうの込みでアイドルじゃない?
ひな壇で気の利いたこと言えなきゃ、そもそも呼ばれない、みたいな。
むしろ「歌って踊るだけのアイドル」の方が珍しいというか、ある意味新鮮というか。
それとも、単に俺がおっさんになったからそう感じるだけなのか?
もし今、『ファイト・クラブ』を作り直すなら、物語はこうなると思う。
「満たされたはずなのに空虚」という中流サラリーマンの虚しさがテーマだった。
節約のため、ディスカウントストア・ファストファッション・100円ショップを駆使している
奨学金の返済
これらが、毎月確実に引かれていく。
何かを手に入れるためではない。
生き延びるために、必死で支払い続ける。
副業で埋めた60万も、
平日の夜のいくつか
土日の大部分
それらを犠牲にして、ただ穴を塞いでいるだけだ。
他のことは、もう何もできない。
このペースで50歳まで続けたとしても、
職場ではどうか。
「いつでも解雇できる」ほど雑には扱われない。
しかし「昇給も出世もないまま、ずっと都合よく働き続けてほしい」。
そんな便利な穴埋め要員として扱われている。
しかも、主人公は「別会社の正社員」という立場で客先に出向しており、
法律的には守られているようでいて、
実質は派遣社員のように扱われている。
成功者の自慢
そして、たまに流れてくる狂ったニュース。
桁違いの金が、桁違いの速度で流れていく
バズを狙う記事も溢れている。
その流れの中で、いがみ合った人間たちが、
「お前なんかAIに取って代わられるだけだ」と罵倒し合っている。
俺たちは、
「モノを買っても満たされない」んじゃない。
モノすら買えない。
持たないことを選んだんじゃない。
持てないことが、スタート地点なんだ。
しかも、
負け組だと思わされる。
昇給は見込めない。
だが、それは誤解だ。
ここにあるのは、
狂っているのは、俺たちじゃない。
狂っているのは、世界の方だ。
もし今、ファイト・クラブを作るなら。
「努力すれば報われる」という嘘を暴き
暴力ではない。
革命は起きない。
社会は変わらない。
生き延びるために、誰にも見えない場所で、
そっと、粘り強く、自分を守るために。
これが、
1 《(梵)upāyaの訳。近づく意》仏語。人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段。
3 (多く「御方便」の形で)都合のよいさま。
ホロライブのあるカバー株式会社からタレントが卒業発表するたび「方向性の違い」って言ってるの見ると
それこそデビュー前から抱えてた喘息が辛い七詩ムメイさんですら卒業する時に方向性の違いって言ってるし
喘息の件について触れながらもう続けられないのが悲しいって言う状況でも方向性と言ってるのは、もはや方便と解釈するしか無いわ
ホントに会社自体がよくない方向に言ってるから方向性が違うなら
タレント自身が転生なり本業のアカウントなりでその方向についてさり気なく触れる事だって、一人くらいはしても良さそうなもんである
それくらいホロライブも卒業した人達は増えてきたし、また悪者にならずに元いた会社へそれとなく批判するようなやり方も業界では十分積まれてきている
だが現状はカバー株式会社についてどのような批判の材料となる根拠が出ているか…
見回しても未だに「方向性の違い」というそのどうとでもとれる言葉が一番の根拠になる現状である
Vtuber本人の体調面については、既往症の病気を会社のせいで発祥したかのように憶測を語る人がはてなですら出るレベルだ
カバーが下請け絡みで公取委に勧告を受けた件を持ち出す人がいるが、イラストレーターの待遇の件とVtuberの待遇の件は
直接関係するものでもないし関係する根拠を未だに誰も明確に示せてない状況である
結局の所は会社を出ていったVtuber自身は転生後も会社は自分に良くしてくれたとしか言わんし
逆に変な事言ってる人達に法的なお手紙を匂わせる状況だからな…
当方30歳プログラマ、最近はもちろんClineやCursorなど、AIツールを最大限活用しながら時代に取り残されないよう仕事してる。
彼女は28歳の普通のOL。全然本業とかではないんだけどアニメとか大好きで暇さえあれば絵描いてはネットで反応貰うが趣味って感じ
ちょっと前、本屋でAIイラストのプロンプト本見かけて「へー、こんなのも出てるんだ」って言ったら、
彼女が「げ、これ出版社的に大丈夫なの?」「イラストAIって基本著作権侵害だから」って反応してきて、内心「ん?」ってなった。
まあ、絵師界隈だといろいろ思うところあるのはわかるし、俺もその場は「ほーん」って流したんだけど、
彼女が海外のニュース見るときはGoogle翻訳使ってて、「あれこれはセーフなの?ゴリゴリに無断学習したデータセットで動いてるぞこれ?」って思ったり
「(実際は違反でもない)AIによる著作権侵害に厳しい割には特にライセンスの規定とかない人気の版権キャラの二次創作とか無断でポンポンあげるんだね」って思ったり、
なんか仕事で使う海外の資料ChatGPTで要約してプレゼン資料作りに活かしたとか言ってて「ん?イラスト以外はセーフなのか?」ってなったりすることがちょこちょこある。
そういえば、政治の話とかは特にしないし別に思想強いとかじゃないんだけどうっすら韓国は嫌いでパルワールド騒動はめっちゃ任天堂寄りで反AIって感じで、あれもしかしてアニメオタク絵師界隈のタイムラインが思想を侵食してるのか?って感じることがある、まあ俺ははてなとか嫌儲とか見てる奴なんでお互い様かもしれんが
「どうせAIの進歩に抗っても勝ち目ないんだから悪足掻きせずに我々と同じように共存の道を歩んだ方がよくない?」
「反AIってなんかイラスト生成AI以外の便利なAIツール使ったときに『なんでこれはセーフ判定なの?』って突っ込まれたとき用の理論武装あるの?」
「X使ってる時点でめっちゃAIに学習されることに合意しとるやんけワレ」
「なんで絵師界隈ってあんなお気持ち文化なの?ライセンス文化とか普及したらもう少しマシな反抗できるだろうに」
「音楽界隈も小説界隈もここまでヒステリックな反応してないのになんで絵師界隈だけあったま悪い魔女狩り騒動何回も繰り返すの?」
まあ、言わないんだけどね。
ちょっと思うのはAIが更に進化したときに俺がイラスト生成AI活用してゲームとか作ってもそれは楽しみを共有できないんだろうなーとは思ったりする。
アニメや漫画の作り方が根本から変わったりAIがGoogleよりも更に身近になってたら、そのときは彼女も考え方変わってたりするのかなぁ。
信じてる宗教が違うんだなって
100万円の利益に到達したのは営業日ベースで28日。今回の200万円は16日で達成した。
これは単にロットを徐々に大きくしたのが原因だと思う。
前回の投稿時は、システムトレーダーの自分としてはなぜ自分のスキャルピングが成立しているかやや謎な部分があってロットの拡大にはやや慎重であった。
色々考えた結果統計的な歪みαを追っているというのではなく単にボラティリティの拡大を予想しているのだという帰結に落ち着いた。
そう考えると純チャートオンリー裁量勢の行動や発言に納得がいく部分も出てくると同時にいくらデータを検証しても彼らの手法からシストレ的αが見つからないのも納得がいった。
ただ100万→200万の過程で瞬間的な含み損が類型利益を超えることや、含み損ベースで爆損が2度ほどありいきなりなんとかなったものの投入金額を10倍とは踏み切れない。
ただこれらは手法の問題というよりメンタルの問題でまずいなぁと思っている。
個人的に一度魔が差したトレーダーは何度も魔が差すと思っていて、自分もこれに該当するので矯正できるか不安が残る。
最初は含み損が大きくなった時点で思考停止したが、これは本業のシストレがスキャの100倍以上の損益ボラをたたき出しているのを見て克服した。
次に思考停止したときは、含み損の絶対金額云々ではなく、その時の含み損が累計スキャの利益2か月分以上だという事実に気付いて思考停止した。
正直なところ自分でもこういう理由で思考停止してしまうのかと驚いた。
問題はこのままロットを拡大した際に、本業のシストレの損益に肉薄してきたら思考停止する気もするし、X日分の利益がーというのも抜本的な解決方法が見つかっていない。
また前回の投稿時は日々の損益が数千円~数万という感じで正直【スキャルピング楽しい】という感じだったが、最近は1日の損益が10万円を超えてくるようになって楽しいとスキャの時間から緊張のスキャの時間になってしまった。
このようなうじうじした内容を立場ある(?)ところで公開するわけにもいかずなんとなく前回と同じく匿名ダイアリーに書いてしまったが、
ボラティリティの拡大を予想しているというのはトレーダー歴21年の私からすると革新的な発見なのでそれでご容赦いただきたい。
数年前に土木建設業を引退した。ほぼ一人親方だった。一応は、人を雇っていた時期もある。
弟子が二人だけいた。今は独立して両方とも23区内で働いている。
この業界は、雇用というよりは元請け下請け関係がメインである。工事や業務になると、必ずといっていいほど施工体系図が出来上がる。
タイトルのことだが、数年前にあった暇空さん関係のニュースで言うと「公金チューチュー」に関係する。正当な目的での。
私は、地元のために働いた経験が長い。本業の土木(主に河川と林業)で稼ぎつつ、休日には地域社会のために働いてきた。災害発生後の維持修繕工事を茶菓子程度で請け負ったこともある。
だが、その中で「これはちょっと?」と考えざるを得ないこともあった。相応の年月が経ったし、私も増田を利用して長い。そろそろ一筆、したためてみたいと思った次第である。
主に2つある。1つは公共工事のことで、もうひとつは自治体が運営するイベントでのことだ。
推敲は何度もしたけれども、増田の日記は書き慣れてない。ご容赦を。
(以下本題)
それこそ未成年の頃から林業に携わってきた。両親が小さい土木会社をやってたから、小学生から間伐や林地測量の手伝いをしていた。中学に入っても、工業高校に入っても、それはずっと続いた。
そんな日々を過ごして、下積みを経て独り立ちできてからの自分は、まあその……地元では『それなり』くらいの地位の事業者になれた。具体的には、サブゼネコン(竹中工務店などから仕事をもらう地元土建会社)からの下請けで現場を任せてもらえるくらいである。
そして、親父が亡くなった頃だった。ちょうど東京都が山や森林を守ったりして、住民の憩いの場として生涯学習の場にする動きが始まったのだ。その流れで、うちの会社にも森林整備系の業務が地元自治体から流れてくるようになった。
いわゆる随意契約で、うちの会社が地元密着型かつ使いやすい(≒言うことを聞いてくれる)ということで、仕事をもらえるようになった。「言うことを聞いてくれる」と書いたが、こちとら地元のために地方自治体(役場)を利用しているだけである。
さて、土木・建設・林業系の仕事は、自治体発注だと地元企業優先が基本である。あなたが住んでいる市区町村が田舎であれば、絶対に近い確率でそうである。
ある秋の終わり頃だった。倒木の解体・処分業務を地元自治体から請けたのだ。里山の奥の方にある「昔は限界集落じゃなかったんだろうな」という集落や林道があって、その付近には森林浴にバッチリな雰囲気の自然公園があった。
その自然公園に、はるか山の上から松の大木が転がり落ちてきて、その途中にあった小径木も巻き込んで、公園内にドカンと横倒しに鎮座していた。それらの樹木をバラバラに玉切りしてから処分するというのが自治体から依頼された仕事だった。
「自治体から依頼された仕事」とは言ったが、実際のところは、素人の自治体職員にいきなり現地に呼ばれて、「この樹木に対処してもらえませんか?工法はお任せで」と言われたから、それなりのやり方を提案して見積書を提出したのである。
それから二週間ほど経って、仕事を終えた自分は、完了報告書類を自治体の発注窓口に持っていったのだ。写真帳も添えて。それで、完了検査を受けるつもりだった。見たところ一般事務の職場からの発注だったので、現地確認はナシで写真帳だけで検査になると思っていた。
「今回、当初契約よりも〇十万円少ない額で請求します。切った樹木は、そちらの追加注文で、ごみとして処分できない(※1)と契約締結後に聞いたので、玉切りして現場の隅に重ねてあります。あとは重機リース料ですけど、うちの近所にある会社が一日リースで借り受けたユニックを、うちで最後だけ使わせてもらったので請求しません(※2)」
※1 都のルール?で切った樹木はごみ処理できないらしかった。よく覚えてない
そしたら、あの日の窓口でのやり取りを思い返す限り、その職員(発注者)はこう言ったのだ。
「実は、今回は特殊なパターンの仕事で。東京都の全額補助金なんです。最後に一円たりとも残してはいけない、返してはいけないという都からの指導なので。当初の○○○万円で請求をお願いします」
「変更契約しなくてよい?」
だってさ。
「本当にいいのか、後でどうなっても知らんぞ」と感じたのだが、当時は子どもがいて、正直お金がほしかった。その○十万円は、全額自分の利益になった。都民の税金なんだが、ありがたくうちの子の大学進学費用に使わせてもらったよ。
これが公金チューチュー?の1件目である。自分から吸いに行ったわけじゃないけどな。いわゆる棚ぼたである。なお、これは誰にも迷惑がかからないと思ったから話してる。十年以上も前のことなので。証拠だってとっくに雲散霧消している。
一般市町レベルだとこんなもんだが、契約相手が東京都になるとこうはいかない。
都の場合は、話の相手がほぼ必ず林業技師になってしまう。それか、専門分野の知見のある事務職員。彼らは知識をもったうえで、伐採業務の価格決定を標準歩掛(ぶがけ)でやってくる。
標準歩掛というのは……IT業界でいったら人月計算みたいなものだ。はてなブログで、偉そうな感じのメルカリとかスマートHRとかマイクロソフトとかのIT技術者が、フィボナッチとか何とかで、科学的アプローチで工期の見積りとかしてるだろ?
標準歩掛は、それに近い。要するところ、Aという植生の地形で、Bという仕事を、C人でD時間かけて行って、一日あたり単価はE円(※単価は非公表)、みたいな国が定めた標準マニュアルがあるのだが……たとえ随意契約でも、それをベースに価格や納期の交渉をしてくる。
こっちが「それは違うのでは。あなた達は実際に現地を見ましたか?」と言っても、「これが公共工事のルールですから」だってよ。頑として譲らない。「今回そんなに作業員は出せない。赤字になるかも。上司を出して」と伝えても「協議済みのことです!」とか言うのだ。本当にそうなの?
こっちは大学も出てないし、学生時代に専門的な林業土木の勉強をしていない。専門資格は持ってるけど、相当昔に取得したものだし。試験も難しくなかった。高卒でも勉強すれば余裕だった。
小さい会社の場合は、公共工事でも標準歩掛による積算ではなくて、実際に地形を読んでの見積り作業をその都度行うのがキホンである。それで十分通用する。どうしても専門知識や機材や測量図面が必要になったら、地元にも一応、東大の院まで出てる人がやってる個人会社があるので付き合いで依頼する。
それでも意地や矜持がある。相手が都だからって、引けないこともある。
一度だけだが、林業系の指名競争入札で、入札前にうちの地元じゃない会社が現地確認(下見)に来ていたことがあった。東京23区の街中にある測量設計専門会社だった。
この案件も、先に挙げた森林活動を盛り上げる感じで都がやっている事業の一環である。知らない会社が現地確認に来て山林に入っていたということは……地元じゃない会社がその測量会社に依頼して、自分たちが入札に入るための準備をしているということである。
その時分に、うちの地元会社が協力しあって、ようやく見つけたよ。その工事の入札に札を入れそうな工事会社を。
やはり街中にある会社だった。皇居からそこまで離れてないところにある業界中堅どころである。うちの百倍以上は規模がある。
それで結局、迷いはしたのだが……声をかけたんだ。地元の会社7社くらいで。要するところ、「あの仕事はうちの地元だから、毎年この類の森づくりの仕事はうちの地域の会社が取っていて……」と、懇切丁寧に、その会社にまで出向いて説明をした。
決死の覚悟だったよ。こんな勝負に出たことはない。まさに血の誓いだった。昔のゲームに、七栄養っていう7人のキャラクターが出てくるのだが。まさにあのレベルの、問答無用の一体感だった。
そしたら、その会社は「今回は引く」と言ってくれたよ。その後、入札システムからのお知らせで、都からその入札案件が公示された通知があった。「これが……あの現地確認のやつか!」と思った。ビビッときたよ。業務場所はまさにあの、測量会社が下見に来ていた山林である。
うちの会社も、予定価格に近いところを見繕って札を入れた。数週間が経って、結果が来たのだが……いい方に予想が当たってくれた。例のあの工事会社は、予定価格とはやや遠いところで札を入れていた。「お前らに言われたくらいで入札辞退はしないけど、今後を考えて一応は配慮した」というメッセージだと感じた。
仕事の方は、地元企業で入札案件を取った会社が、入札に参加したほかの地元会社に下請けを出して、例年同様に地元に貢献するかたちで仕事を終えることができた。
談合なのか?と言われれば、形式上はそうなのかもしれない。でも、街中にある会社がこの案件を取っていたら、地元住民の意見を聞かずに、都が発注した業務を仕様書どおりに粛々と進めたに違いないのだ。地元企業が取ったからこそ、地域に寄り沿った施工ができた。
談合は如何なる場合でもダメだって、それは国や都が言っているだけだ。
談合は、フツーはダメだと思う。そう思ってる。うちらが払った税金が民間企業に不当に持っていかれるのは我慢ならない。けど、それが必要な場面というのは、昔も今も今後も、ずっと存在し続ける。それだけのことだ。
今はどうなっているのだろうか。
うちの会社の方は跡継ぎがいなくて、自分自身も持病がひどくなったので引退した。今だと、趣味レベルで地元住民から仕事を請けることならある。
情報はそこまで入ってこないけど、都もそのあたりは【わかってる】んだと思う。そうじゃなかったら、道路維持管理の業務とか、いつも特定の企業群(メンツ)が順々に請けているなんてありえない。談合にならないように、都が入札の指名をうまいこと調整しているのだ。
「また入札情報をアップしたよ。メンツは大体わかっているよね? いつものように、ルールに従って契約相手を決めますよ。業者間でいろいろあるかもしれないけど、都は責任をもちません。自己責任でやってください」
都のスタンス、いや、どの自治体もそういうスタンスで入札のお知らせを送っている。
いっそ、入札とかするんじゃなくて、信用できる会社があるんだったら、民間企業みたいに堂々と特定の会社だけ指名すりゃあいいのに。そしたら、談合なんて不正は起きようがない。と、半分老人の立場で思ったことを述べてみた。これで1つは終わりだ。
うちの地元では、もう何十年も昔から続いているイベントがある。ありていに言うとウォーキングであり、実態は何でもアリの徒競走である。中高生のスポーツクラブの子はトレイルランをするし、ご老人だと健康志向の長距離散歩となる。
うちの地元には、初心者でも歩きやすい登山道がある。そのウォーキング大会では、目印になる公共施設からスタートして、山々を登って降りて、平らな道を突き進んで……を繰り返して、最遠で十数キロ以上も離れた先のゴールをめざす。
イベント中は、子ども、若者、老人、家族連れなど多くの人で賑わっている。辺鄙な地域とはいえ、東京に住んでいてよかったと思うのはこれである。
遠く離れた田舎の方だと、素敵な山麓はあるのだろうが、こういう催しを開いても参加者が来ないのだろう。ここは腐っても東京である。人がたくさん来てくれる。
自分が住んでいる地域の町内会の一部組が、その自治体が開催するウォーキング大会のスタッフの役割を務めていた。
大会の運営事務局は自治体担当部署なのだが、うちの町内会の組が、ウォーキング大会の休憩地点で料理を振舞うのである。地元料理をベースに、毎年メニューが違っていて、うどんの年もあればそばの年もあるし、芋煮の年だってあった。
とにかく、腹を空かせたウォーキング大会の参加者に昼ご飯を振舞うのだ。そのために自治体から現金をもらって、その年に相応しい料理を作る。お金はもらっているものの、割に合わないのでボランティア活動だと思っていた。
しかし、ある年のこと。考えさせられることがあった。
ウォーキング大会が終わると、自治体からもらったお金で何を買ったのか報告する必要がある。自分はこういう作業はニガテなんで、町内会でそういうのに詳しい人に会計報告をやってもらう。自分がその組の一応代表なので、自治体とのやり取りは全部自分がやっている。
会計報告を終えた後、自治体の担当部署から電話がかかってきた。どちらかと言うと苦情だった。電話と合わせて、ご丁寧にメールまで送ってきた。
【メールの内容】
・芋煮の準備や提供中、あなた達がお酒を飲んでいたのを職員が見ている
・何十年も続いているようだが、今後は自粛願いたい
・公文書公開請求があると、あなた達の個人情報が特定される危険がある。ご了承を
・毎年、渡したお金の余りを通帳に入れているのか?
・あれは参加者が払ったお金の一部である。できれば返していただきたい
うん、まあ……違和感はあったよ。
それこそ、子どもの頃からウォーキング大会のスタッフをやってるけど、親父やお袋やその地元仲間は、料理の準備中も、提供中も、片付けた後も、お酒を飲みながらご機嫌な感じでやっていた。自分らもそうなっただけだ。
あのビールやおつまみを、自治体からもらったお金で買ってるのは知ってたよ。若い頃からずっとだから、感覚がマヒしてたのかもしれない。
それじゃなくて、今いきなりその場面(参加者に振舞う食材購入費で酒を買っている)がやってきたなら、おかしいって思うことができたのかもしれないな。
うちから具体的にどんな内容を返したかは言わないけど、あの時の自分はすごく怒っていたよ。自分ら町内会がバカにされてる気分だった。人件費は無償で、公共行事のお手伝いをしたのに。せっかく、一生懸命にウォーキング大会の参加者に地元料理を振舞ったというのに。
たかだか、自治体職員から渡されたお金でビールを買ったくらいで、それは町内会のスタッフを鼓舞する目的だったのに、「余計なことしやがって」と思っていた。実際、あの時は自治体の担当部署に乗り込んでいったよ。町内会長も一緒に連れて。当時の自分は40代で若かった。まだ青臭いところがあった。
自治体との話し合いの場では、相手方の幹部職員も交えて懇々と話を進めていった。逐一結果は書かないが、その後も参加費でお酒を買うのは黙認してもらえることになった。ただし、町内会の通帳に入れていたお金の一部を返還することになった。
長々と書いた。今読み返してみたけど、日本語ヘッタクソだなあと、いい年になった今でも思う。
公金をどう扱うかって、難しい問題だと思う。増田利用者でも、地元町内会(自治会)で役員をしてる人はいるだろう。自分が住んでる市区町村からお金をもらうこともあるのでは? どんな使い方がいいのか、迷うこともあるんじゃないかと思う。
私は45歳の男。5人家族。姉が1人。
両親はまだ健在だけど、ついこの間、父がゴルフ中にカートにぶつかられて救急車で運ばれるという事故があった。
父は7年ほど前に肺ガンにもかかったことがあり、その時ですら(私は相当動揺したけど)本人は全然なんとも思っていなかったくらいなのだけど
今回は一時死を覚悟するほどだったようで、弱気な声で電話があって、「いつ死ぬかもしれないから死ぬときの準備を今のうちにしておきたい」ということだった。
そんなこともあり、実家に帰って色々と話をしてきた。
どこに埋葬してほしいのかとか、口座はいくつどこにあって、いくら入ってるのかとかそういう生々しい話をしてきた。
== 以下は背景の話 ==
父は子供のころ貧乏で相当苦労したらしく、私は昔の話をずっと聞かされて育った。
兄弟も10人以上いて(※正確な数を私は把握していない)、ごはんもまともに食べられない日々も多かったそう。
大学にスポーツ推薦で学費無料で行けるチャンスもあったけど、お金を稼ぐために高卒でずっと働いていた。
母は父以上にケチな性格で、昔は裕福だったそうだが、父親(私から見ると祖父)が商売で失敗してしまい(お人好しで多くの人につけ払いを許してあげて結局踏み倒されることが多く倒産してしまったそうな)
それ以降お金に相当困ったそう。徹底的に無駄遣いをしないし、不必要なものを捨てることすらできず、物が溢れる部屋でずっと過ごしている。
私が子供のころは「うちは貧乏だ」というのが両親の口癖で、服もおさがりばかり、外食はほぼ無し、欲しいものが買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけ、という日々だった。
それでも「お前だけは大学まで出て、きちんと稼げるようになってほしい」と、私を田舎の中高一貫の私立に入れてくれた(※私自身はそれが嫌だったし、良くない学校だったんだけどそれはまた別の話)。
周りは医者の息子とかそういう金持ちばかりで差が激しかったこともあるし、貧乏なのに自分のために高い学費を払わせてしまって、申し訳ないという想いも強く
「一生懸命勉強して、早く稼げるようになって、将来は親にも楽をさせてあげたい」とずっと思っていた。
私は20代前半で社会人になってすぐ結婚して、妻の強い希望で家を買わされ、子供も私は2人にしたかったが妻の強い希望で3人目をもうけた。
ものすごく強い金銭的プレッシャーでローンを払い終えるまでは本当に苦しかった。
その後、やっと少しづつ投資にも手を出せるようになり、コロナ以降リモートワークの普及のおかげで、副業でも稼げるようになり
さらに運よくずっと務めていた会社が入社後20年目くらいで上場してくれたので、細々と続けていた社員持ち株会の株がかなりの利益で現金化できた
そして気が付いたら確定拠出年金も当初からインデックス投資に投資し続けていたので15年以上かけて相当のリターンを叩きだす状況になっていた。
やっと金銭的にかなり余裕のある状態を作ることができたし、先の見通しも立った。
いよいよ、両親にも毎月お小遣い(月5万とか、最近は10万とか)をあげるようなこともこの2年くらいはできていて、それでも使ってくれない親がもどかしくもあったりした。
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で、色々と把握してみたら、親は年金を1ヶ月あたり2人で4020万程度受け取っており、さらに貯蓄が合計で4000万円以上あった。
これは実は両親自体も把握してなかったそうで、「え!そんなにあるの!」とみんなで驚いた。
もちろん退職金の金額が大きかったから、子供のころ貧乏だ貧乏だと言ってたのは、本当にそうだったのだろうと今でも思うし
4000万のうち2000万円程度は私と姉に残しておいてあげようと思ってとっておいたお金で、ずっと用意してあったけど、今回の事があるまでは私には黙っていたそう。
親がおもったよりもお金を持っていて、それ自体はもちろん嬉しいことなんだけど、私がずっと抱えていた想いっていうのはなんだったのかなとか
お金のことで精神をすり減らしたあれこれの経験は本当に必要だったのかなとか、色々と考えてしまう。
親はあえてそういう風にふるまって私にお金の大切さを教えてくれていたのかもしれないし、ちょっとくらいのお金があるからって安易に生活レベルをあげるのはよくないと教えてくれていたのかもしれない。
でも、どうなんだろうか。そんなにため込まないでもっと自分たち自身のためにお金を使って幸せな時間をこれまでも過ごしてほしかったし、これからもそうしてほしいなと思う。
あるいはやっぱり私が無駄にお金の心配をしすぎていただけで、全部私の無駄骨だったかな。
なんだか、嬉しいことなんだけど、肩透かしを食らったようなそんな気もする。
子育てがそろそろひと段落して、子供の教育資金のめども立って、これからは親のために…と思ってたけど、人生の目標的なものがなんかなくなっちゃったような気もすす。
でも、親の介護はしてあげたいなと思っているから、物理的な話がまだあるからいいのかな。
なんだかよくわからないし、取り留めもない話だし、ちょっと自慢というかそういう側面もあるので、増田に吐き出しておく。
私はこれから何のために仕事をすればいいのかなぁ。会社はやめてもいいのかもしれない。
それなりに「既視感ある」というコメントがあったりして、あるあるなんだなと思った。
年金毎月40万は間違いだった。2か月で40万。1ヶ月20万だった。
よく伝わっていなかった部分があったので一応周辺情報を補足しておく。
今の両親の状況がわかって、自分が頑張ってつまらない仕事をお金のためにする意味が本当になくなったなという気がしている。
もちろん、親の介護が必要な状況になり、まともに自分も働けないような状態になってしまって、それが10年、20年続いたら…という可能性もあるからおいそれとやめられないのだけど。
でも、今の状態でも、自分ができることはお金の支援だけじゃないし。両親や、子供たちのために、色々とできることをやっていくということ・・。なのはわかってるんだけど、たぶんミドルエイジクライシス的な感じになってると思う。自分は何のために生きているのか、何のために時間を使うのか、的な。これまで頑張ってお金を稼げるようになろうと苦労して、必死で過労死すれすれまでモーレツに働いて、結婚して、家を買って、子供を育てて。ひと段落して両親をと思って。でも、両親は大丈夫そうだし、今自分が何のために生きていけばいいのかかなり見失い気味であるのは間違いない。
両親の事がきっかけではあるのだけど、結局自分のもやもやする気落ちをどうしていいのかちょっとよくわからない感じになっていると思う。
観測範囲ではプロの漫画家、イラストレーター、ライター、料理家その他…みたいな本業で食えてる人が
趣味的でおしゃれかつクオリティも低くはない本を出してるのにしか遭遇したことないからべつにあんまりそういう構造ではないかなって気がする
どういう取り上げられ方したかはわからないけど、なんか大げさな論争ていうか被害妄想的陰謀論的な意図でとらえられすぎてるなって感じするんだけど…
玉置標本さんやスケラッコさんその周辺には対象へのフォーカスの深度によって同人誌とZINEが同時に混在してて共存してる…みたいなかんじのイメージで平和なもんなのに
あと香山哲さんみたいなそっちの媒体でこそって表現手法の人もいるし、気軽だけどゆるふわというより硬派な開拓DIYってイメージのが強い
なんか穿ちすぎって気がするんだよね…
・季節も季節なので、他人事でない人も皆無ではないんじゃないかと思って、長文になるが振り返ってみる
・タイトルの通り。入社2年目のチー牛男子が、会社の花見会の弁当を牛丼屋で手配しようとしてプチ騒動になった
・発生当時は俺30代前半、営業主任。もう転職したので以下は前の会社での話
当時(コロナ前)でもだいぶ時代錯誤だったと思うが、前職のJTCでは新年度1週目の金曜あたりの午後に、会社近くの公園で花見会をやる文化が何十年も続いていた。
実質午後休の扱いで、本社の営業と間接合わせて70人ぐらいは参加するし、新人との懇親を名目に役員も顔を出したりするので、結構大きなイベントだった。
花見会の運営は会計の他に大きく出欠確認・弁当発注・場所取り・撤収作業の4つで、毎年本社勤務の2年目の若手が各ポジション2〜3名ずつ手分けしてやるのが恒例だった。
その年の2年目の男子にFがいた。
挨拶できない、喋っても声が聞こえない、メモ取れない、電話取れない、在社中もずっとイヤホンしてる、PCの壁紙はアニメキャラ、毎日無言で定時帰宅と数え役満だった。
見た目も含めて今で言うチー牛ど真ん中みたいな奴で、なんで採用されたのか分からん腫れ物扱いの存在だった(どこかのコネかと噂されてた)。
当然外に行かせても何もできず、むしろ先方から「あいつヤバくない?」と耳打ちされるぐらいだった。
花見会の運営でも出欠確認は絶対無理だと判断されたし、場所取りや撤収も体育会系の子が率先してやるので、Fの仕事は必然的に弁当発注になった。
毎回お世話になってる仕出し業者の連絡先とか発注の段取りを、3年目のTがFに引き継いで、その後は何事もなく(後になってみれば進捗確認するべきだったと思うが)金曜当日を迎えた。
Fともう1人の2年目のSが社用車で仕出し業者に弁当を受け取りに行く(大昔は現地まで配送してもらってたが、ある時期から受け取りと返却に行くようになった。FはペーパーなのでSが運転係)段取りだったのだが、昼前になっていつの間にかFが失踪した。
携帯にも出ないし、仕方なくSに一人で弁当屋に行かせたが、弁当屋によるとFは来てないし、そもそも今年は発注も来てないと言われた。
そして花見会スタートの直前になって、FからSに会社近くの牛丼屋まで来て欲しいと電話があった。
駆けつけたSから「Fがトラブってる」と連絡を受けて俺とTも牛丼屋へ同行(この時点でとりあえず弁当なしで花見を始めることになって、現地組がざわつく)
Fは昼の一番混む時間帯に券売機を占拠して焼肉弁当を1個1個注文してて、驚いた店員が声をかけると「30分以内に70食用意しろ」と言い出した(先方談)
さすがに無理だと断られたが「もう注文した分の金は払ってる、今さらどうするんだ」と興奮して手がつけられなくなり、押し問答の末にSが呼ばれたのが真相らしい。
相手方もエリアマネージャーが駆けつけていて物々しい雰囲気で、こちらとしては平謝りするしかなかった。
とりあえず払っている分のお金はそのままで弁当はいらない、作ってしまった分があれば申し訳ないが後で引き取りに来ると話をつけて、その場の責任者同士で名刺を交換してFを連れ出し、会社にも花見会場にも連れて行けないので俺とTで近所の喫茶店で事情聴取。
どうやらFは当日まで発注をすっぽかし、朝になって仕出し業者に何軒も電話するも断られ、他にあてもないので自分がいつも行く牛丼屋で持ち帰り弁当を買おうとしたらしい。
当日までにSが何度か進捗を聞いたがFは「大丈夫」の一点張りで、Sも自分は運搬メインだからと深く立ち入らなかったのも原因だった。
花見会は物々しい雰囲気だったらしいが、現地の若手がコンビニに走ってとにかく酒とつまみを買い込み、参加者を乾杯から酔わせまくって有耶無耶にしたらしい。
後日談も散々だった
会社が金を出す行事とはいえ、本業とは関係ないので処分も何もなかったはずだった(事後処理とかでこちらはいろいろ身銭を切らされてたが)
ところが、Fが牛丼屋にマズイ暴言を吐いた(「◯す」が一発アウトだった)と先方のエリアマネージャーから言われて一転した
以来、今の職場でも、営業サイドにチー牛っぽいやつがいるだけでも気が滅入るし、極力関わらず、大事なことは何もさせずに、自発的に辞めさせるようにしてる
そういうわけで、俺にとって桜の季節はちょっとしたトラウマになった。JTCの花見文化とかもコロナを挟んですっかりなくなったのは本当に良いことだと思う
3日経って思ったより拡散されててビビった。あるあるネタとして笑ってもらえるかと思って書いたので。
ここでは創作だとか散々言われてるが、Xの引用では「うちも似たようなことあった」とか複数コメントあったのでちょっと安心している。安心しちゃダメだが。
→そう思えるのは職場に恵まれているか、働いていないか、自分自身がチー牛だからだろ
→言われなくても分かっているが、ネットでよく見るチー牛イラストみたいな見た目のやつが、チー牛のステレオタイプみたいにコミュ力と能力の低さをこじらせて、挙句に牛丼屋でトラブル起こしてるんだぞ。当時はチー牛なんて言葉なかったと思うが、今の俺にはこれ以上にしっくりくる言葉が思いつかない。それよりFを障害者雇用とか決めつけてるレスの方がよっぽど酷くて笑える。
→花見だぞ?海外への社員旅行とかじゃないんだぞ?伝統行事とはいえたかが半日の社内レクで、手間はかかるとはいえ段取りも完全に固定化されてて、絶対に失敗するはずのないイベント(何かトラブルがあるとすれば天候不良ぐらい)。3年目から引き継いだらあとは2年目だけで完結する、本業の指揮系統とも切り離されてるPT的な仕事。そもそも、学生だってサークル合宿の幹事なんかを2年生や3年生が先輩から引き継いで同期だけで運営するだろ。その程度の経験もしてないの?
→管理監督権って知らないのか。当時主任って書いてるじゃん。部署に複数人いる、主任と名のつくヒラの先輩にすぎなかったんだよ。俺も当日呼び出されるまで顛末を一切知らなかったし、俺が呼び出されたのもたまたまSやTと仲が良かったから。流れで事後処理の窓口になったせいで譴責食らったが、正直言って流れ弾だし、周囲からは「災難だったな」と随分慰められた。そもそも弁当発注の進捗の何を管理するというのか。それこそ今の時代じゃマイクロマネジメントで問題になるんじゃないの。
→じゃあ他に何ならできるのか。何もやらせないのが一番なのは間違いないが、同期の間で示し合わせてハブにするならそっちの方が問題だろ。
→当時の具体的な入金フローまでは聞いてない(俺が2年目の時は場所取りだったのでそもそも仕組みをよく知らない)が、弁当みたいに前日まで入り数が変動したり雨で流れたりしうるものは前金だけ入れて後清算ってのも珍しくないし、昔から付き合いのある業者ならなおさら。
補足になるが、費用は参加者のうち弁当希望者からワンコイン程度を徴収して(不参加者の不公平感を産まないためにもこれは妥当だと思う)、組合からも酒代相当の協力金を出して、その上で会社が補助する仕組みだったので、請求書がペライチでそのまま経理に回っていたのかは分からない。だからわざわざ会計担当者を配置していたわけで。とはいえ会計担当とFがちゃんと連絡できていたかは大いに疑問。
→当事者になればわかる。
追記以上
「うちの子は足が遅いからスポーツ選手には向かないな」は受け入れるのに「うちの子は頭が悪いから学歴競争には向かないな」は受け入れられないのはなぜ?
https://togetter.com/li/2524065
答えは「そういう風に社会が出来ているから」だと思うんだよな。
まず第一に勉強というのはほぼ全ての子供が取り組むことであり、幼少期から学校の勉強の成績が一切求められない子というのは基本的にいないということ。
スポーツは競技を選べるし、そもそもスポーツで勝負しないという選択が普通にできる。しかし「勉強というものと無縁で生きる」という選択肢は現代においてはほぼ無いに等しい。
殆どの子が義務教育を越えて高校にまで進学し、さらに半分以上の子がそれ以上に進学する現代において、学校の勉強という勝負から降りるという選択は殆ど現実的ではない。少なくとも高校を出ていない子がまともな職に就いて十分に稼げる確率はほぼ0に等しい。
もちろん、例外はいる。しかしその例外になれるような才能のある子ならそもそもこの議論の俎上に上がらないはずだ。
そして現代社会において、学歴と収入の間には強い相関があるというのも事実である。
なぜ大企業がみんな揃いも揃って学歴偏重で採用をしているのかを考えてみればよい。なぜ企業は足の速い子を採用しないのか?頭の良さと足の速さにどちらも同じ価値があるならば、面接なんかせず100m走のタイムで採用を決める企業が沢山あってもいいじゃないか。
結局のところ、組織において高い価値を生み出せるのは大半が高学歴なのだ。高い学力、高度な頭脳が現代社会においては価値を生みやすいという傾向があるのは間違いない。
繰り返すが、例外は存在する。学歴が無くても叩き上げでのし上がった人たちはいるし、そういう人たちは尊敬に値する。だがそんなのは極々一部、ほんの一握りに過ぎない。
何の特別な才能もない人間がそれなりに成功するためには勉強するしかないのだ。逆に学歴さえあれば他に特別な才能なんかなくてもそれなりの結果は得られてしまうのだ。
つまり、学歴競争というのは好むと好まざるとに関わらず参加しなければならず、そしてそれが将来の職に大きな影響を与えるファクターなのである。
だから他に特別な才能が有ってそれで食っていけるというのでもない限りは学歴競争から簡単に降りてしまうというのは愚行であり、他人より秀でた能力が無いからこそ勉強をするしかないのだ。
そして、別にこの競争では一番以外には価値がないわけではない。
大半のスポーツの世界やゲームの世界では金を稼げるのはほんの一握りに過ぎず、プロではあっても本業だけでは食っていけなかったり、早々に引退せざるを得ない人が多いというのが現実である。
それに比べたら、学歴の世界は頑張れば頑張った分だけ相対的に上がっていくことになる。トップにはなれなくても「何もしなかった自分」よりは上を目指せるし、そして少しでも高い学歴を得られればそれだけ希望の職に就ける確率も高まるし、学歴に比例して良い労働環境と高い賃金が得られる傾向がある。
正直言って、高校生までの間に勉強して少しでも良い学校に進学すること以上に効率の良い時間の投資は中々無いと思う。大人になってからちょっとぐらい勉強したところで年収を大きく上げるのは難しいが、高校時代に勉強を頑張れば将来の年収を100万200万、なんならもっと上げることだって全く不可能じゃない。
才能が無いなら勉強で勝負するしかないという現実から目をそらしたところでなにも良いことは無い。むしろ効率的な生き方だと考えた方が良いのだ。
配偶者も推しと同業で、しっかり公表しているから相手を知っている。
表で見える人となりしか知らないけど、自分の身近にいたら友人にはなれないタイプでちょっと苦手に思っていたので、余計に微妙な気持ちになった。
推しが好意を持った相手なら受け入れたいと思っていたけど、それができていないのが申し訳ない。
推しは公の場やSNSで結婚生活や家族に関わる発言を一切しないので、普段は結婚の事実関係なく本業を応援できる。
ある日、推しを応援するために参加したとあるコンテンツのイベントで、たまたま配偶者の方からコメントが読み上げられ「今後はパパママ同士の交流とかやってみたい」と言って、改めて事実を突きつけられて血の気が引いた。
これもあって個人ライブ配信は一切見れなくなった。たまにコメントを拾うし、雑談だとどんな発言が出てくるか怖いから。
推しとは別に長年応援しているシリーズ作品があり、これの初期に推しと配偶者が関わっている。
最近、この作品のプロデューサーが初期メンバーでのイベントをやりたいと発言していた。
作品ファンの自分には嬉しいが、推しのファンとしては絶対に実現しないでほしいと思っている。
推しだけが出演するならまだいいが、可能性としては配偶者の方が出演確率高いし、場合によっては共演もありえる。
そうなったら自分は絶対に参加しないけど、作品ファンの自分は参加しないことをとても後悔するだろう。
一番いいのは事実を受け入れることか、現場に行かないファンになることなんだろうけど、それができない。
結婚報告時は当たり前だけど批判もなく、皆祝福ムードだったからこんなこと言えないし、今も言えない。