「表現規制」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 表現規制とは

2025-04-29

anond:20250429215802

あぁ、今回の記事は同じ表現を行うべき人々の魔女狩りに対してであって、最初から表現規制派は相手にしてないんですわ。論外だから

2025-04-27

anond:20250427141727

はてなブックマーク透明性レポート2024年5月2024年7月

スパムアカウントに対する利用停止措置の状況

はてなブックマークではスパム行為を行っている、あるいはスパム行為意図して不正アカウントを取得し運用しているアカウントサービス利用を停止しています

(中略)

7月目視での利用停止が多数となっています

これは、匿名ダイアリー投稿した記事や、外部サイト投稿した記事に対して多数のアカウントを取得して不正ブックマークをするスパム行為が活発に行われていたことに起因します。

これらスパムアカウントの行動は、都知事選ジェンダー平等表現規制AI利用の是非など、広く議論となっている話題について、主に匿名ダイアリーに強い表現投稿を行い、投稿に対して組織的あるいは1人で多数のブックマークを行い人気エントリー掲載させるものです。

また単一組織または個人ではなく、異なる行動傾向を持つ複数アカウント群が存在します。

https://bookmark.hatenastaff.com/entry/transparencyreport_244q

2025-04-23

暇空・雁琳・トランプ2

森脇透青は、《たとえば千田有紀立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さら小谷野敦笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集執筆者たちには「構築主義理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実小谷野は、《私はバトラー批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダントランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義系譜学」を書いているくらいであるが、「学問危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、キャンセルされた当事者であるだけに、迫力があるものとなっている。さらに、「LGBT異論」(紙の爆弾2024年10月号増刊)に「フェミニズム再生を求めて」(pp.62-76)を寄せており、そこでは小宮友根との確執が延々と書かれている。

「『情況』に関する声明」には森脇も加わっているが、森脇は雁琳と同じ研究室出身である京大宗教学)。研究室批判されたことに対して、森脇はこう反論している。《ある人格問題からといって、その人の所属とかその人の研究分野まで誹謗中傷されていて、いい迷惑です。「放置した」かどうかなんて知らないでしょ。そして彼の素行思想内容というより、ほんとうに「素行」)は研究室内でも、先生からも先輩後輩(ぼく含め)からも、直接・間接に注意されてました》(2022年1月23日)。研究室での雁琳の素行は悪かったようであるが、これは想像できるところかもしれない。そして、オープンレター勢とのたたかいでも「うんこ学者」のような言辞を用いていて、素行は悪かったのであるが、オープンレターからかい批判する内容なので、お行儀よくやってしまうとオープンレターパフォーマティヴに従ってしまうことになり、雁琳としては、あえて粗野な態度を取ったということらしい。育ちのいい人が不良のような振る舞いをしても、どうにも似合わない。批評は口汚い言葉で罵るというのが伝統であるが、近ごろの若者は育ちが良すぎて、罵倒しても様にならない。北村紗衣をからかってみるという芸当は、普段から素行が悪い雁琳だからこそできた荒業であろう。しかし、江原由美子の「からかい政治学」を内面化したリベラルにとっては、このような粗野な態度こそ「サタン」のように見えてしまうようである

雁琳によるキャンセルカルチャー批判論文は、キャンセルカルチャー批判としては本邦で右に出るものはない論文であろうが、男女論に関しては断片的なツイートしか存在しないのが現状である。それらを活字としてまとめなければ、行動の根底にある思想が分からないので、一冊の本として著し、世に問うべきであろう。「情況2025年冬号の論文クリプトに関するものであるが、男女論をまとめてからでもいいのではあるまいか

3 トランプ

リベラルによると暇空や雁琳は「誹謗中傷ビジネス」をやっているらしいが、カンパを募ることは、ビジネスというよりは、味方がいるということを示す意味合いがあるのであろう。暇空は6億あるので、カンパなどいらないであろうし、雁琳に至っては、非常勤講師の職を失っており、トータルで見れば明らかに持ち出しであろう。馬場靖雄はこう言っている。《仮にある人が「万人に対する戦い」を望んだとしても、実際にそれを貫徹することは不可能である。手始めにある方向を攻撃すると、本人が望むと否とにかかわらず、たちまち「味方」が登場してしまうからだ。かくして、いつのまにか前線が、すなわち秩序ある戦争状態形成されるのである》(「ルーマン社会理論」、81頁)。ここでの前線フェミとアンフェによって形成されているが、ネットでの争いの大半はここで戦われており、ゲンロンの若手がやっている「論壇ウオッチ」でも、毎週のようにフェミとアンフェのたたかいが取り上げられている。フェミにしてみれば、フェミ賛同しないものは「差別主義者」であり、味方など現れてはいけないはずであるが、味方は登場してしまう。SNSキャンセルカルチャーを展開させるのにもいい環境であろうが、その敵にとっても味方を集めやす環境なので、前線が現れるのも当然であろう。

前線があって、たたかいが繰り広げられているだけであれば、さほど問題ではないのであろうが、問題なのはフェミとアンフェのたたかいは、和解不可能ものであることであろう。茶会太郎ツイートによると、《構成主義とか構築主義かいうの、当たり前と思われていることが実はこのような過程で成り立っている、ということを示すまでは大変勉強になるのだが、「だから断罪」となった瞬間に和解不可能な敵味方分断ツールに早変わりする》(2020年6月11日)。

和解不可能なたたかいの例として、解同日共のたたかいが思い起こされる。トランプ大統領になり独裁的な政権運営をしている状況は、例えれば、解同候補日共候補大統領候補としてたたかい、解同候補だけは困るということで、日共候補大統領に選ばれたところ、日共大統領は、公約を守り、株式時価総額上位百社を国有化してしまったようなものであろう。リベラルとしては、どうして日共候補を支持しなかったのかと問うところであろうが、その問いに対しては、それでは解同候補投票すればよかったのかと問い返されるであろう。日共大統領抵抗しようとも、和解不可能なたたかいの中で生まれている以上、共闘不可能である

フェミとアンフェの対立において、アンフェ側の立場や考え方が何を意図しているのか、理解しづらい部分がある。茶会太郎ツイートによると、《純粋ジェンダーの軸で反フェミニズムをやっている人間は相当少なくて、ツイッターリベラルの主流は「男性被雇用者を基本単位とする家族主義保守主義レジーム福祉国家擁護論者」なのだという確信を深めている》(2023年1月3日)。産業社会へのノスタルジアとでも呼べるものかもしれない。しかし、ポスト産業社会においては、伝統的な家族福祉国家を維持することは難しいであろう。だからこそ、ノスタルジアは止むことがないであろう。

暇空は「社会構築主義社会正義」とのたたかいにおいて、表現規制派のスキャンダル暴露し、雁琳は同思想を「解釈権の独占」という概念理論的に解明した。ポストモダン思想特にフーコー)が単純化され、社会適用されるプロセスは、ヘレン・ブラックローズジェームズリンゼイの「Cynical Theories」(2020年邦題「「社会正義はいつも正しい」)が思想史的に明らかにしている。しかし、雁琳はこの現象を「解釈権の独占」として集約し、鮮やかに整理した。オープンレターの内容は、次のように一行で要約される。「その内容は、彼らインテリリベラル左翼が、何が差別かを決め、該当する差別者に好きに仕打ちを与える、というものだ」(「フェミニズムが振りかざされ司法から進む女尊男卑社会」、「実話BUNKAタブー2025年6月号)。こうしてポストモダン思想は、朝田理論へと収束した。解同候補日共候補大統領候補として対決するという例えを、やや突飛に持ち出したのは、理由がないことではない。

リベラルは「何が差別か」を一方的定義する。リベラル理論批判することすら差別とみなされ、言論の自由の枠内では対抗が難しい。雁琳はあくま理論的な批判に徹したが、暇空は対象への攻撃を行い、トランプに至っては人文系への予算削減という「人文系焼き畑」とも呼べる強硬手段に出ている。朝田理論のような思想に対抗するには、こうした物騒な手段に頼らざるを得ないのだろうか。笠井潔はこう言っている。《もしも差別被害当事者やその支援者差別者を勝手処罰していいとすれば、それは定義からして私刑リンチ肯定になりますね。その線を超えてしまうと、仕事、業績の否定から存在否定まで行きかねない。存在否定まで行くとなると、その意味するところは戦争状態に入るということです。小山田を敵と認定して戦争状態に入る。カール・シュミット流に言うと「例外状態」に入る。社会運動の文脈では、そういうこともあり得ますしか小山田存在自体のキャンセル要求する者が、物理抹殺を含め敵を打倒するしかない戦争状態に入るという認識と、内戦状態から自分もいつ殺されるか分からないという覚悟があって、そうしているのかどうか。そうとは思えませんね。(中略)微温的に、常に正義の側に身を置いていたいと思って、そのことを疑おうともしない安直精神の連中こそ、ゴツンとやって分からせた方がいいんじゃない(笑)》(笠井潔キャンセルカルチャーをめぐって」、「情況2022年春号)。トランプは人文系を「ゴツンとやって分からせた」と言えるだろう。朝田理論内戦状態を引き起こす。この状況に出口はあるのだろうか。

2025-04-22

anond:20250422171851

・暇空茜について

・ツイフェミについて(表現規制うんこソング等)

・V豚について

・反AIについて

カードゲーマー臭い件について

撮り鉄の頭がおかしい件について

全部わかんないや

「会話ができない人」は話題インターネットに偏ってるだけ

https://anond.hatelabo.jp/20250422122344

20人中18人は会話ができないということだけど、本当にありとあらゆる会話ができないのが18人中18人ではない。

過半数はボロを出さないために変な返答をしてる。

・暇空茜について

・ツイフェミについて(表現規制うんこソング等)

・V豚について

・反AIについて

カードゲーマー臭い件について

撮り鉄の頭がおかしい件について

こういう話題になればスルスル意見が出てくるけど、こんな話題を振ったら婚活に失敗するって理解してるから振らないだけ。

婚活デバフにならないような話題インターネット上で冷笑陰キャキモオタクを叩いている炎上案件ではない話題)がそういう人たちの中では空っぽだし興味もないんだよ。

2025-04-21

日本共産党と支持者は嘘つきで憲法違反カルト

共産党を支持する人の発言

だらけ

@mtdrk

共産党」「フェミ」「外国人」「リベラル」「ポリコレ」をなんとなくうっすら悪いものだと決めつけている中年オタクは非常に多いと思います

でもその理由は答えられないし、答えてもデマ差別に基づいたものなので、決して自分の頭で考えた結論ではないんですよね。

午前6:10 · 2025年4月20日

70.4万 件の表示

この発言ダメな点

1. 日本共産党とその支持者は、共産党を支持しない人間を頭が空っぽキチガイバカと見下し、馬鹿にし、嘲笑し、侮辱し、差別している>「共産党」「フェミ」「外国人」「リベラル」「ポリコレ」をなんとなくうっすら悪いものだと決めつけている中年オタクは非常に多いと思います

2. 日本共産党とその支持者は、中年男性人間扱いしていない。あからさまにバカにし、嘲笑押し、侮辱し、差別している>「中年オタク」という表現で明らか。

3. 日本共産党とその支持者は平気でうそをつく。そして被害者ぶる。>その理由は答えられない ← 理由を答えればむしするだけ

このように税金搾取して公金チューチュースキームでNPO法人だけを優遇するのは、やはり裏金でも流れるんだろうか。でなければここまで平気でうそをつくのはありえないと思う。

カルト化する共産党

ユダヤキリスト教千年王国思想共産主義思想

https://note.com/mogura2001/n/n80acd93b6856

憲法違反である検閲内心の自由言論の自由を平気で破壊している

表現規制日本共産党・吉良よし子参議院議員「“こういう表現は本当にまずいよね”“儲からないよね”という合意ができれば、クリエイターの皆さんも作らなくなると思う」

https://posfie.com/@yaboyabo_you/p/REpUiNQ

項目 状況 コメント
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ユダヤ人の遺伝多様性 やや不正 異説あり
ダーウィンの「適者生存元ネタスペンサー 主張しているのは事実
マルクスロスチャイルド縁戚説 根拠不明 これは確認する資料がない、ただし資本主義左翼が結びつかないということはない。
“苦よもぎ”=チェルノブイリ うーん 聖書の預言といえばそう
キリスト教の“異教徒皆殺し”教義旧約聖書の神はそう 教義として明示されていないが、実際に異教徒同士、キリスト教同志て皆殺ししていた
献本マルクスダーウィン関係 まあまあ 直接の関係確認されないが、共産主義適者生存になるのはそう

いくつかのやや踏み込みはあるが、この文章の指摘はある程度ただしい。

極左ロベスピエールとの類似

ちなみにフランス革命も、キリスト教の神を否定しながら、理性神なる存在を祭壇に祀ったそうです。これも無神論共産主義思想と、構造は同じなんですねぇ。神を否定したら、神モドキを崇めるという、人間根本的な本質を見る気がします。

個人的にはこちらがちょっと気になった。

 フランス革命期、実際に「理性の神」を祀る儀式存在した。これは単なる珍事ではなく、「旧宗教否定した者たちが、結局は別の絶対価値を神のように祀った」という構造を露呈している点で、今日にも通じる本質的な示唆を含んでいる。

 1789年革命により、旧体制の支柱だったカトリック教会は標的となり、聖職者国家従属させられ、教会は閉鎖され、十字架聖像といったシンボル破壊された。徹底した脱キリスト教化が進行し、多くの神父国外追放処刑に追い込まれた。信仰否定は、権力道徳の再構築の第一歩と見なされた。

 1793年、急進左派のエベール派は、ノートルダム大聖堂を「理性の神殿」に改装した。そこでは「理性の女神」像が設置され、人間理性を至高とする祝祭が執り行われた。形式あくま宗教儀式をなぞったものであり、対象が理性であるという一点を除けば、やっていることは既存宗教の再演だった。

 翌1794年ロベスピエールは「無神論道徳の敵」と宣言し、理性崇拝を批判した上で、「最高存在の崇拝」を新たに提唱する。「道徳と理性の源」として、曖昧だが超越的な存在をあえて祀ることで、社会統合と秩序を保とうとしたわけだ。だがこの運動もまた短命で終わる。ロベスピエールはその年のうちに処刑され、祭礼も自然消滅していった。

 だがこの一連の動きは、現代における新しい価値体系の成立過程酷似している。宗教が後退した現代では、「DEI」「ジェンダー平等」「多様性」などが、かつての宗教道徳に代わって絶対化されつつある。個別理念に罪はないが、それらが「議論不可な正義」となった瞬間、社会道徳規範としての役割を帯びるようになる。

 今日大学における女性枠の強制表現規制ハラスメント拡張被害者意識の制度化、いずれもがかつての「理性崇拝」や「最高存在の崇拝」に見られた構造類似している。そこにあるのは、理性や道徳の名を借りた新たな信仰であり、理論ではなく感情と忠誠が優先される共同幻想だ。自己顕示欲道徳的優越感が結合し、制度表現規制する「擬似宗教」は、21世紀先進国においても静かに広がっている。

 当時と違い、現代にはギロチン革命裁判所存在しない。しかし、職場大学ネット空間における「社会的死」「炎上」「追放」が、その代替機能果たしている。理念は違っても、構造ほとんど変わっていない。人間は神を否定しても、何かしらの神モドキを必ず持ち出し、それを祀らずにはいられない生き物なのだ名誉毀損のでたらめな運用。なぜ暇空茜が敗訴する理由はなく、刑事告訴など論外である検察は公金チューチュースキームの応援団だということいなる。もう起訴した以上、それは免れない。解体出直しがなければ検察官はもう信用されない。

 そして日本共産党とその支持者(当然立憲も公明自民左派もそうだが)はロベスピエールと全く同じだ。大学文系学者マスコミ女性記者もそうだ。

 彼らはこれが理解できない。理解できずにこうした擬似宗教的な“新しい正義”の強制押し付けを行っている。

 その宗教行為が「企業倫理というでたらめを強要する」「税金無駄しかないなんとかハラスメントコンプラ研修強要税金無駄にする」という極めてバカで狂った行為がそれにあたる。

 かつての「理性の崇拝」や「最高存在の崇拝」が革命正義の名のもとに進められたように、現代道徳教条主義も「弱者救済」「差別反対」の名目で、議論ではなく信仰同調圧力によって進行しているのである

そして共産主義ナチズム社会運動カルト性は同じ

フランス革命の時から革命思想宗教カルト性を帯びており、それがリベラル現代社会運動継続している。

なので、明らかに類似している。

項目 共産主義ナチズム現代社会運動(DEI、ポリコレフェミニズム等)
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中心的信念体系 唯物史観階級闘争民族至上主義多様性公平性、包括性、ジェンダー平等などの理念
道徳絶対革命民族純粋性を絶対特定社会正義倫理観を絶対
異論への対応異端者の排除粛清キャンセルカルチャー社会的制裁
象徴儀式表現パレードプロパガンダ指導者の崇拝 プライドパレードシンボル使用特定言語表現の推奨
言語統制 プロパガンダ用語使用言論統制ポリティカル・コレクトネス表現自主規制
道徳的優越感 自らのイデオロギーが唯一の正義とする 自らの価値観が普遍的正義とする傾向
社会的分断の助長階級民族による分断 意見の違いによる分断、対立の激化
宗教実践無神論的だが儀式様式殉教精神性を保持(例:スターリン像、殉職者礼賛) セミ宗教熱狂儀式化された集会象徴行為道徳義務化された実践(例:アライ表示、謝罪儀式)、企業倫理綱領プライバシーポリシーのような不要強制教養、役立たないコンプラ研修強制

コンプラくそくらえなのは、その主張をする弁護士が勝つためには証拠捏造法律グレーゾーンを突くことも平気でやっているゴミカスのような連中であり、モラル倫理もない。弁護士で公金チューチュースキームに加担している税金どろっぼうの菅野志桜里のように、子育て云々という前にお前は不倫するな、といわれるのが当然である。どの口でコンプライアンスと言っているのか。

まりこれらの研修は明らかに念仏とおなじ宗教実践しかない。推進する連中が一切そんな考えをもたないのだから

日本共産党とその支持者も当然理解ができない。自分の頭で考えないか理由が出てこないのはそいつである

2025-04-20

テクウヨが「ゾーニング表現規制」とか言ってて笑った

テクウヨがさ、「ゾーニング表現規制だー!」とか叫んでてマジで笑ったわ。

いやいや、ゾーニングって表現規制じゃないから。

ちゃんと法的にもそうなってるんだよね。

たとえば憲法21条表現の自由)ってめっちゃ強い権利なんだけどさ、

同時に、他人権利公共の福祉とのバランスも取るって前提があるわけ。

から表現するな」って禁止するのは超ヤバいけど、

場所を分けようね」ってルール付けるのは普通にOKなわけ。

実際、ゾーニングについては結構ハッキリしてる。

未成年保護のためのゾーニングは、必要最小限なら憲法違反じゃないよ」ってなってんの。

まり、「ダメって言う」んじゃなくて「場所時間を区切る」だけなら、

ちゃん表現の自由尊重しつつ、他の権利も守ってるってわけ。

これを「表現規制だー!」って騒ぐのは、

表現の自由の本当の意味理解してない証拠だよな。

あとさ、ゾーニングって別に表現のもの否定する」わけじゃないじゃん。

「ここでは見せないでね」ってだけの話なんだよね。

たとえば18禁コーナー作ったり、

アニメレイティング付けたりするのも全部ゾーニングだけど、

それで「表現自体を禁止された!」とか誰も言わないじゃん。

テクウヨってマジで自由って言葉魔法か何かだと思ってんのかな。

好き放題やっていいわけじゃないって、義務教育で習わなかったんかな。

法律的にも、常識的にも、ゾーニング表現規制じゃないよ。

しろ自由を守るために必要な仕組みなんだわ。

わかったかテクウヨくん。

2025-04-18

anond:20250418022859

オタク無駄な過敏さって本当なんなの?

(ぬい活ではなく元増田のこと)

イラスト等に関しては、男性向け界隈ではどんな服装でも大抵広く受け入れられますが、女性向け界隈では性的ものでなくとも、異性装コスプレに関しては注意が入ることがあるようです。

今様々なところでゾーニング必要性が叫ばれますが、ことぬい活に関してはあまり聞きませんね。

表現として気に入らないならそう言えばいいけど(「注意が入ることがあるようです」とか完全に太宰メソッドで笑った)、

こんな趣味の違い程度の話で「ゾーニング」なんて大げさな言葉を使うなよ。

女って全員が表現規制の申し子なのか?

2025-04-17

anond:20250417171759

立花河合みたいに法律に反してないからいいんだって自浄ゼロだと規制されるよー。実際ポスター規制法作られたしこれ結果的表現規制になってる。何事も程度問題

2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『Black Box Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

2025-04-13

嘘松!」は表現規制であり弾圧

人間だれしも、常に真実だけを口にして生きることはできません。

クリスマスを楽しみにする子供に、「サンタさんなんて本当はいないんだよ」と言えますか?

もしも言えるというのなら、あなた人間ではありません。

嘘をつくことによって人間文化的存在たりえるのです。

嘘松人間の正当な権利なのです。

それを邪魔しようとする嘘松指摘厨…

彼らこそ最悪の表現弾圧者であり、人類の敵と言えるでしょう。

2025-04-11

anond:20250411223152

表現規制派が反表現規制派に転向する経緯は順当だが

表現規制派が表現規制派に転向する経緯は順当じゃない(何らかの不祥事とかでも起こさない限り)

そういう、漏斗構造みたいなところもあるんだよな

2025-04-06

表現規制リアル物語を失わせ、フィクションの、人の心に届く力を失わせてしまった

リアルベース表現は、そういう規制に引っかかってしまうかもしれないから、フィクションだんだんと、ファンタジーベースに描かざるを得なくなった。

ファンタジーなら、リアルとは異なる世界観があるというエクスキューズによって、表現規制いくら回避やすくなった。

もちろん、そんなフィクションの隘路はほとんどの人が望んでいなかったが、声の大きい人たちによる表現規制は着々と進んできたのだった。

その結果として、物語ひとつ効能である、人の心に届いて癒します力がだんだん失われつつある。

物語リアルさを感じさせ、人の心にダイレクトに届くことが無くなり、単なる暇つぶしひとつしかなくなってしまった。

から、人々はフィクションである物語に飽きてしまい、物語よりもずっとリアルさを感じさせる、SNS代表されるようなネットからの騒乱に身を委ねるようになった。

まり最近顕著に現れてきたネットからの騒乱は、古来から伝わる物語技法が弱体化したから発生していると思うのだ。

から、そういった騒乱を和らげたいのであれば、物語描写自由度を再び取り戻す必要があると考える。

そして、いわゆる表現規制が、小説などのフィクションからリアルさを失わせていることを考えれば、私たちは、フィクションの「表現自由」を声高に主張し続けるべきだと思う。

フィクション自由表現できる状態となれば、そういった騒乱に明け暮れる人々を、リアルで人々の心に届くフィクションの方に惹きつけることができるはすだ。

まり現実において騒乱を起こしたいという気持ちを、フィクションの中で発散させることができるはすだ。

そういった、自由表現された誘引力の強い物語こそ、社会を安定させるために必要だと思うのだ。

暇空・雁琳・トランプ

ネットニュースが伝える きみの武勇伝相対性理論たまたまニュータウン」)

1 暇空

2025年3月27日、暇空茜が起訴されたという報告と、北村紗衣が雁琳を訴えていた裁判最高裁が上告を棄却し、雁琳に220万円の支払いを命じる判決が確定したという知らせが同時に届いた。暇空の起訴3月26日付、雁琳の敗訴に関する最高裁の決定は3月21日付であり、これらが同じ日に伝えられたのは偶然かもしれないが、何らかの意図が働いているようにも感じられる。

思い出されるのは、2024年2月16日アニメイトが暇空の著書「ネトゲ戦記」(KADOKAWA)の取り扱いを停止すると発表した時のことであろう。暇空によると、アニメイト脅迫されており、放火されたくなければ2月16日に取り扱いの停止を発表するように要求されていたという。そして、2月16日TBSが暇空の書類送検スクープとして報道した日でもあり、犯人アニメイト書籍の取り扱い中止を同じ日に発表させることで、何らかの効果意図していたのではないかと推測される。書籍の取り扱い停止を求めるだけならよくある話だが、その発表を特定の日時に行うよう要求するのは異例で、これまで聞いたことがない。TBS報道日時を知らなければこうした要求はできないため、犯人範囲はある程度絞られてくるだろう。もっとも、こうした脅迫があったと主張しているのは暇空だけであり、作り話ではないかという見方もある。その可能性が全くないとまで断じるつもりはないが、2024年1月刊行予定だったアビゲイルシュライアー「あの子トランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブーム悲劇」(KADOKAWA)も脅迫によって発売が中止され、産経新聞社からタイトルを変えて出るといったこともあり、リベラル脅迫も辞さないことは事実である

ただ、雁琳訴訟原告代理人である神原元は、「被告は、上告棄却となった後の令和7年3月26日時点でも、「(原告に)220万円も請求されたことは明らかにおかしい」と投稿し、被告に220万円の支払いを命じる判決最高裁で維持されたことにも触れず、カンパ募集する投稿を固定ツイートとしたままである。」(「対雁琳訴訟、勝訴確定についての弁護団声明」)と言っており、3月26日時点で判決が雁琳に伝わっていたことが窺え、雁琳側から判決について発表していれば、暇空起訴と重ならなかったわけで、これらが同日に判明したことリベラル意思によるものではないと思われる。

暇空を語るのは容易なことではない。あまりにも多くの出来事が次々と起こっており、そのすべてを追いきれないかである西葛西出版社長である中村慎太郎@_Shintaro_は2024年5月13日に、こうツイートしている。《暇空さん+赤木レイアで1年くらい過ごしたので、それ以外の事象あんまりしらないんだよね。なんという複雑怪奇現象なのだ》。一年前というと、2023年5月である2023年3月3日には住民監査請求再調査の結果が出ており、Colaboの会計問題住民訴訟舞台を移し、歩みをほとんど止めてしまったのであるが、代わりに追及の対象となったのが自称学生の堀口英利である。暇空がウクライナ戦争についての所見を述べたところ、堀口が噛みついたのがきっかであるが、暇空は激怒し、堀口の過去を掘り返していった。堀口はKCL(King's College London)の学生である自称していたが、これについても疑義が投げかけられた。堀口も、自らが誹謗中傷とみなす投稿を行った人々に対して、大量の開示請求を行うなど、決して譲らない態度を示した。堀口は時事系ユーチューバーにとって訴訟リスクを伴う存在である一方で、恵みの雨とも言え、その中で最も稼いだのは赤木レイアである。当初は3分くらいの動画で取り上げていたのであるが、2023年7月7日に15分53秒の「堀口英利、とんでもない書面を出して爆笑されてしまうww【暇空茜】」を出してからというもの、長尺の堀口動画毎日のように投稿していた。普通に生活していると、ニュースに割ける時間は限られている。暇空・堀口を追うのに時間を割くとすれば、他のニュースに目を向けるのは難しくなる。

中村慎太郎2024年8月24日に次のようにツイートしている。《最新の暇空ライブバカ面白いね。彼は妄想しているとも言えるが、ヒントほぼゼロから無限推理を繰り広げる天才ともいえる。あってるかどうか?怪談に正解などないのだ》。この頃に語られていたのが、「高崎物語である好き嫌い.comに、7月28日から、妹が堀口の同級生であると主張する人物が書いたものであり、「高崎市に帰郷した堀口がかつての同級生だった女性に性暴行したり、自らの肛門アルフォートを入れたり、それらの件で親族会議が行われたり逮捕勾留されたりというのを高崎市民たちが証言する内容」(「暇空茜と側近の灰豚、喧嘩別れ。大量総括へ」)であるが、好き嫌い.comに書かれたものであり、十中八九作り話であろうが、暇空は事実であると考え、これをもとに推理していた。もしこれが事実であれば堀口は拘束されていることになるが、灰豚が堀口と8月20日午前1時ころに会ったと言いだす。このあたりから、訳が分からなくなっていく。暇空は灰豚を「対話罪」の対象としたが、この頃から味方であるアカウントをどんどん切っていった。赤木レイアも暇空との関係悪化し、9月7日最後更新していない。

暇空は2024年12月から真如苑が裏で糸を引いていると言い出すようになった。堀口のnoteに、彼の母親真如苑信者であると書かれているのは事実である(「断ち切りたい「毒親の血」――「両親が開業医の一人息子であること」は必ずしも幸せ意味しませんでした。」)が、真如苑特に問題を起こしていないようであり、荒唐無稽と言わざるを得ないであろう。堀口死亡説を唱えたりもしている。2024年11月1日神奈川県相模原市緑区千木良底沢橋下で、15歳から30歳程度とみられる身元不明遺体発見されたが、この遺体が堀口だというのであるしかし、堀口は2025年3月19日テレビインタビューに答えており、生きていると言わざるを得ない(「北海道じゃらんハッキング被害 関係ない人物名前悪用 悪用された本人に取材ネット上で誹謗中傷の的」」、HTB北海道ニュース)。妄想に近い推理を連発しているうちに、支持が減って閑散とし、求心力に陰りが見られるようになり、その結果、起訴やすくなってしまったのかもしれない。

以上は簡略なスケッチであるが、このようなものは求められていないのかもしれない。リベラルからすれば、暇空は「誹謗中傷ビジネス」をしているとレッテルを貼っておけばいいので、推移には関心がなさそうであるし、暇空の観客も、事態リアルタイムで動いていて予測不能な展開が見られることに楽しみがあるので、後から振り返りたいとは思っていないかもしれない。

暇空が現れるまでの青識亜論をはじめとする「表現の自由戦士」は、原理主義的にあらゆる性的表現を無条件に擁護しているだけであった。しかし、リベラルSNSで「声を上げる」ことにより企業に対して表現撤回させるように圧力かけており、これは効果を持っていた。青識のような活動ではこれを止めることはできていなかった。暇空は発想を転換し、シュナムルやColaboといった表現規制派のスキャンダル暴露する戦略を実行したのであるが、それなりに奏功した。「赤いきつね」は無傷で済んだのである

山口三尊は《暇空氏、あれで起訴は少し気の毒だが、堀口英利さんや、灰豚に対する誹謗中傷は。起訴されてもやむを得ないレベルだと思う。》(2025年3月30日)と述べており、不起訴あるいは略式起訴もあり得たようである裁判所はリベラル化しているようである。Ogura.H@dli_coipchirtの《暇空さん対伊東弁護士訴訟担当した吉岡地裁判長って、名古屋地裁時代労働者側の請求棄却する判決をたくさん出している裁判官なんですね。》(2024年2月10日)というツイートに対して、国際企業法務弁護士🤡GAREW@big_lawfirmは《現代型のリベラルって感じですね。マイノリティには寄り添いつつ労働者階級には厳しい、アメリカ沿岸部価値観ですね。経歴は最高裁事務総局系なので、今の最高裁スタンスがそうなのでしょう。》(同前)とコメントを寄せているが、当のアメリカでは、最高裁は反リベラルによって占拠されているのに対して、本邦ではアメリカ沿岸部価値観最高裁にまで及んでいるのである

2 雁琳

2021年キャンセルカルチャーが吹き荒れた年であった。呉座勇一のツイッターでの発言に端を発して、オープンレター女性差別的な文化を脱するために」が4月4日に出され、小山田圭吾東京オリンピック開会式音楽担当を辞任に追い込まれたりした。しかし、オープンレターに対しては当初から批判があり、雁琳はその先頭に立っていたと言っていい。暇空がColaboの会計問題に取り組み始めたのは2022年10月であるが、2022年キャンセルカルチャーに対してたたかいが挑まれた年であり、暇空はその真打のようなものとして現れたのである

雁琳は暇空のように全方位に喧嘩を売っているわけではない。ほぼオープンレターに限られるであろう。しかし、オープンレターネットからは消されてしまっていて、今は見られない。ウィキペディアでは「女性差別的な文化を脱するために」は立項されているものの、他ではその痕跡が消されてしまっている。ウィキペディアの呉座勇一のページから不祥事についての記述がなくなっている(2025年4月2日閲覧)。履歴をたどってみると、2024年7月20日に削除されたようである。呉座のキャンセル成功していれば、歴史的意義のある文書としてネットに残されていたと思われる。しかし、キャンセルカルチャー第一号としてモデルケースになるはずだったものが、杜撰にやってしまったために、オープンレターからもなかったことにされてしまったのであろう。

雁琳は「正論2021年6月号に「ポリコレ派への共感 強制する社会の歪み」を発表しており、雑誌でのオープンレターへの批判はこれが最初であるオープンレターが出たのが4月4日であり、「正論6月号は5月1日発売なので、一月も経たないうちに反論が出たことになる。ネット上の反論は埋もれてしまいがちだが、雑誌は繰り返し参照されるため、雁琳が狙い撃ちにされたのではないかと指摘されることがある。

雁琳は2022年複数雑誌で発表を行った。例えば、「国体文化」(1177号、2022年6月)には「新たなる共産主義運動は『目覚めた当事者』の顔をして現れる」を、「実話BUNKAタブー」には「弱者男性を救うのは方法論的ミソジニーである」(2022年5月号)と「女子高生AV賛成論」(2022年6月号)を寄稿している。また、「情況2022年春号のキャンセルカルチャー特集では、「キャンセルカルチャーとは何か――その現象本質」を発表した。しかし、その後は雑誌に招かれる機会がほとんどなくなった。約3年ぶりの登場となったのは、「情況2025年冬号に掲載された「DON'T BE USED. BE THE UNCOUNTED.――ネオ幕府アキノリ党のクリプト革命運動についての簡潔な報告」(荒牧隆史との共著)である本来なら「正論「WiLL」「HANADA」といった右翼雑誌に登場してもおかしくないが、そこには見られていない。それだけに、「情況」の姿勢は際立っている。

情況」は1968年に創刊されたが、廣松渉が当時の金額で100万円を援助したことでも知られている。1970年6月に結成された「情況派」というセクト存在するが、これは「情況」の創刊者である古賀暹が所属していたため、叛旗派から蔑称として「情況派」と呼ばれ、その名が定着したらしい(正式名称共産主義者同盟(再建準備委員会である)(有坂賢吾「新左翼過激派全書」)。したがって、「情況派」の機関誌というわけではないようだが、新左翼雑誌としてスタートしたことは確かであるしかし、第六期(2023年2月から)の編集長に塩野谷恭輔が就任すると、ネットの雑多な声を取り上げ、反リベラル立場であっても登用する路線へと転換したらしい(2022年春号のキャンセルカルチャー特集は第五期に属するが、この頃からその兆しが見えていたのだろう)。ページをめくると、まるでインターネット闇鍋のような印象を受ける。ここでしか出会えない著者たちの論考が並んでいる。

2024年夏号のトランスジェンダー特集がその路線の到達点であろう。文芸誌を含め、ほとんどの雑誌リベラル化してしまい、ターフが排除されてしまった。そうなってくると、反リベラルを登用する「情況」のような雑誌しかターフは書けないということになり、ターフが結集したような誌面になった。これに対して「読者・寄稿者有志」は反発し、2024年9月20日、「『情況』に関する声明」を出した。署名しているのは、京大人文研や叛乱研の関係者、さら編集者のようである絓秀実がこれに加わったことに唖然とした人もいたようであるが、マルクス主義の持つものと持たざるものという区別を、マジョリティマイノリティという区別に置き換えたのが、「社会構築主義政治主義」と雁琳が呼ぶものであり、新左翼マルクス主義者ではあるのだから、これに乗ろうと思えば乗れるのは当然のことではあろう。

森脇透青は、《たとえば千田有紀立場ひとつとっても塩野谷恭輔の立場と異なるし、さら小谷野敦笙野頼子ともまったく違うはずである(たとえば「生物学的」のような言葉留保なしで使うかどうか、「陰謀論」的な語調を使用するかどうか、また構築主義理解の深度において)》(「不良債権としての『情況』、あるいは回覧板について」)と述べ、トランスジェンダー特集執筆者たちには「構築主義理解の深度」において違いがあると言っている。「構築主義理解」が足りないのは、この中では、小谷野敦であろう。事実小谷野は、《私はバトラー批判なんかしてないんだよ。ポモを批判していて、バトラーは読んでも何を言ってるのか分からない、と書いているではないか。》とツイートしている(2024年11月11日)。しかし、オフパコギャルママ🦖1y@takamatsu4_13によると、《批判者は佐藤悟志をこすっているけど、本当に読まれたくないのは小谷野敦とかだったりするんだろうね。さすがに「小谷野のは読まないでくれ!」とは言えないから、佐藤悟志をこすっているだけだという。》(2024年9月21日)。小谷野は「ポストモダントランスジェンダー」を寄稿しているが、これは何があったのかを小谷野節で綴ったものである。これを読むと、ノーディベートと称して議論すら行われないまま、明らかに異論のありうる理論によって現実が書き換えられようとしていたことが分かるであろう。千田有紀の「構築主義理解」は足りていないどころではなく、上野千鶴子編「構築主義とは何か」(2001年)に序章「構築主義系譜学」を書いているくらいであるが、「学問危機と『キャンセル』の方法論」(pp.116-135)は、小谷野と同じく、何があったのかの記録であるが、 Permalink | 記事への反応(0) | 09:34

2025-04-05

2015年01月05日(月)

渡邊芳之 @ynabe39

15年1月5日

あなるほど認知スタイルか。場依存型と場独立型。なんと今は亡き指導教官研究テーマではないか。「左右識別困難と認知スタイル関係www.jstage.jst.go.jp/article/cogpsy...

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posted at 16:05:49 削除

Permalink - 2015年01月05日

2015年06月14日(日)

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月14日

仕事とはいえ普通の人たちが発達障害の子どもについてあれこれ語る場に身を置くと自閉症の子もの親としては幾度か辛い瞬間がある。そりゃないだろう、アハハじゃないだろうと。仕事から黙ってちゃんとこなしてきたけれど。

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posted at 15:20:54 削除

Permalink - 2015年06月14日

2015年06月15日(月)

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月15日

この20年くらいの間の日本人に「目的の正しい暴力」への嫌悪が著しく強まっていることは考慮しないとうまくいかないと思う。

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posted at 04:01:07 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月15日

これは別に日本人がよくなった」みたいな話でなくて、国家権力による暴力の独占が著しく進んだということ。学園紛争やそれに連なる学生運動の失敗、オウム事件などの影響がある。

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posted at 04:03:39 削除

Permalink - 2015年06月15日

2015年06月16日(火)

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月16日

「著名な心理学者の98%が血液型性格には関係がないと言っている」と言われたって血液型性格判断をやめたりしないよね。

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posted at 06:45:47 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月16日

そのうちに実学の危うさも見ることになる。

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posted at 07:33:30 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月16日

全員出席したら教室に入れなかったからね。

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posted at 07:42:59 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月16日

東大京大文学部教育学部がなくなるわけないのだから,「文系学問価値」の議論なっちゃってる時点で的外れだと思う。

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posted at 13:30:46 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月16日

自分学部がなくなる心配のない旧帝大文系先生方が「自分学問価値否定された」と思って反論しているのは間違いとまでは言わないとしても的外れだし地方文系学部を守る力にもならない。むしろ文系の評判をますます落とすことを心配する。

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posted at 13:36:26 削除

Permalink - 2015年06月16日

2015年06月29日(月)

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

けっきょく表現言論の「意図目的が正しいもの」には最大限の自由を与え「意図目的が悪いもの」には自由必要ない,くらいに考えている人が主流なのではないかと思う。

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posted at 07:27:14 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

そうだけど「日本ダメだ」「日本は遅れている」という人がまさにそういう人権意識だったりするんだから

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posted at 07:34:09 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

為政者宗教指導者が「よい」と認めることだったら中世ヨーロッパでも封建時代中国でも全く自由だっただろう。

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posted at 07:35:23 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

自分ヘイトスピーチ規制差別表現規制も性表現規制もすべて「ほんらい自由であるもの公共の福祉から制限するもの」という点では同じだと思うし,それぞれの規制を認めるかどうかはそれぞれ「規制必要になるような実害がどれだけ著しいか」の判断によると思う。

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posted at 07:51:10 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

いくら「汚い自由」「悪い権利」であっても自由権利制限するんだからあくまでも限定的でなければいけない,むやみに拡大されないようにしないといけない。

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posted at 07:54:00 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

いかいか時代を超えて決まっていて、昔それが容認されていたのは「遅れた社会」だったからだ、という考え。

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posted at 08:11:50 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

家庭でたいへんがっかりする出来事があってしょんぼりしている。

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posted at 16:58:18 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

表現とはよいものであるから自由にすべきだ」「言論には価値があるから自由であるべきだ」というなら,自分から見てよくないもの価値のないもの表現でも言論でもないか自由である必要はないということになる。

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posted at 22:09:53 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

国立大学ももう「教官はいません。われわれは教員。それどころか最近国立大学法人では教員事務職もまとめて(以前のように教職員とは言わずに)「職員」と呼ばれることが多いと感じます

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posted at 22:38:34 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

教官というのがまだいるのは文科省以外の省庁立の「大学校」などだけではないか

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posted at 22:39:16 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

大学教員意見は「その先生堀ちえみファンだった」というところに収斂しました。

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posted at 22:55:34 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

「定年」もむかしは「停年」と書いた。

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posted at 23:02:24 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月29日

一難去らずにまた二難。

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posted at 23:40:17 削除

Permalink - 2015年06月29日

2015年06月30日(火)

渡邊芳之 @ynabe39

15年6月30日

教育職業とのマッチング問題だよね。大学進学率が高くて大卒に見合った待遇仕事が少ない国で満足度が低いのだと思う。

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posted at 12:46:46 削除

Permalink - 2015年06月30日

2015年07月01日(水)

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月1日

「人文系知識なんか大学勉強しなくても独学で十分に身につくだろう」というのは半分本当で半分ウソ

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posted at 18:15:37 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月1日

いっぽうでそうした知識全体を体系付けて俯瞰したり整理したりするメタ技術能力大学専門教育を受けないとなかなか身につかない。

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posted at 18:18:29 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月1日

そういう意味では学問としての人文学というのは「人文学教養」みたいなものに対してはメタ位置にあると思う。

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posted at 18:19:12 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月1日

一連の「人文系学部価値」「人文学価値」についての議論では,こういう知識教養価値と専門の研究教育価値とがごちゃまぜになってると思うんですよ。

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posted at 18:53:52 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月1日

それこそ「国立大学文系学部必要かどうか」という問題と「若い時に夏目漱石森鴎外を読むべきか」みたいな問題そもそも別だろうという話です。

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posted at 18:57:17 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月1日

@AJSCT 学問について専門的な評価研究者にしかできないと思います文科省だって学問の専門的評価必要な時には学者を雇ってやらせますから。ただ「学問価値評価」はおそらく学問の外側の問題から学問専門性ではむしろ判断できないのではないかと思います

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posted at 19:40:45 削除

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月1日

なにしろ人文学系の研究者が「人文系学問大学は大切だ」という自分価値をきちんと相対化できなかったら「それでなにが人文学系だよ」ということになると思います

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posted at 19:59:12 削除

Permalink - 2015年07月01日

2015年07月02日(木)

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月2日

教職教養に限らず,いまいる大学で「自分の専門分野の心理学」だけを教えて暮らしている人なんてもともとごく少数だと思う。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月2日

大学語学先生」たちの多くだって大学院で「外国語教育」を専攻したわけではないだろうし。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月2日

この数年で大切な先輩や知人がさっさと亡くなってしまうのを何人も経験したな。

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Permalink - 2015年07月02日

2015年07月03日(金)

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月3日

津波からすぐ逃げた人」と比較できるのは「津波からすぐ逃げなかったが助かった人」だけで「津波からすぐ逃げずに亡くなった人」とは比較できないよね。

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Permalink - 2015年07月03日

2015年07月05日(日)

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月5日

アメリカンビューティーレコードがなかなか手に入らない。アメリカ盤なんかずいぶんプレスされたはずだが。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月5日

ベルマークなんか集めないで募金を集めればいいじゃないか」と女房に言ったら「ベルマーク学校が集めて決まったやり方で送らないとお金にならないので,着服などの心配がない」と言われた。そういうことも大事なんだよね。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月5日

将来がどうなることが子どもたちにとって幸せかなんてことは親にはわからないよ。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月5日

大人になってからの不幸なんて15歳の時には想像もつかない種類のものほとんどだよ。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月5日

臨床心理学科を卒業して精神神経科病院心理士として就職して主要業務は送迎車の運転,というのは昔よく聞かされた。

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Permalink - 2015年07月05日

2015年07月06日(月)

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月6日

血液型性格判断を信じる医師看護師には何度も会ったので「疑問の前提になる現状認識」の時点で異なる。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月6日

学校先生が嫌い」で世界が動く時代

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月6日

右に行っても左に行っても大混乱の時代には秩序が皆の憧れになる。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月6日

自分の気に入らない内容が報道されると「マスゴミを信じるな」みたいなことを言い,いっぽう自分に耳触りのよい報道は全く疑わないのは不徹底だと思う。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月6日

一難去らずにまた三難。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月6日

長男去ってまだ二男。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月6日

自分政治性は政治的だと思わない」というのはほとんどの人に共通する特徴だよね。どんなに偏っていても自分政治立場は「中立」にみえる。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月6日

政治的」に見えるのは自分より大きく右か左に位置するものだけである

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Permalink - 2015年07月06日

2015年07月08日(水)

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月8日

大人ワールドで起きる問題の半分くらいは原因が嫉妬個人的怨恨

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月8日

価値というのは「それの足りなさ具合」である

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月8日

足りなくならないと価値を感じない。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月8日

他人からは「不可解な動機」と思われるものでも当事者がおかれた文脈や状況から見ると必ずしも不可解とは限らない、という話なのだが。そのうえで「どんな動機であれ殺人は許されない」というのは言わずもがなだと思う。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月8日

この先生気持ちもわからないでもない。毎日ルーティンで大量にやらされているとこうなる。だからこそ、学生生徒に簡単に「気持ち」を書かせて提出させたりしてはいけないと思う。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月8日

たいへんなことほど目立たずに始まるのだ。

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Permalink - 2015年07月08日

2015年07月09日(木)

渡邊芳之 @ynabe39

15年7月9日

多くの人は「理由」と言うのを「行為の原因」「行為きっかけ」といった客観的意味ではなく「その行為について自分が納得できる説明」のような意味で考えているのだと思う。「そんなの理由にならないと思う」という言い方はまさにそういうことだ。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月9日

「そういう理由であれば自分もそうしただろう」「そういう理由であればそうしても不思議ではない」と思える時だけ、ある説明や経緯を「理由」として受け入れる。そうでない場合には「そんなの理由と言えない」「そんな言い訳は成り立たない」と考える。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月9日

理由なき反抗」だって映画を見れば主人公個人には反抗する「理由」が山ほどあるわけだが、それらが大人社会から理由」として認められなければ「理由がない」とされてしまう。

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渡邊芳之 @ynabe39

15年7月9日

犯罪やその報道裁判などについて自分もっと違和感を持つのは「どうしてそんなに犯行動機を重視するのか」ということだ。警察マスコミも「動機を追求する」ことに躍起になるのだが、いざ動機が語られ

2025-04-03

射楯兵主神社がアサクリシャドウズの発売停止を求める文書を公開

こいつ「サムライ」に対して夢見すぎだろ

https://www.sankei.com/article/20250403-M6VFFHLXORF3HDQJCOGKEMMBN4/

また、このゲーム主人公である忍者」や「侍」の性質上「隠密」や「戦闘」ができることは理解できますが、敵対するNPC以外に対しての攻撃や、破壊ができる仕様については疑念を感じます当時の日本が戦乱の世の中であったとしても、戦場以外の領域において、通常時に敵対していない勢力の民を虐殺するような行為を取ること自体ありえないこと

サムライによるそういう行為しょっちゅうあったか信長秀吉も略奪禁止令出してたんだ

あと民間NPC攻撃はできるが死なせると強制ゲームオーバーになる

ゲームオーバーは「シンクロ解除」と表現される

封建時代日本をそのまま舞台にした作品ではなく、「遺伝子情報をもとにVR上に組み立てた仮想世界現代人が眺めている」という設定で、VR上だから史実にはない内容も入り込むしバグもあるが、大きく逸脱した行動を取るとVRとの同期が切れる

一応ゲーム中では「民間人を殺害するのは通常ありえない逸脱行動」扱いされている


今回の当社を舞台設定で有ろう動画をご覧になられた方々より、問い合わせが殺到し、当社の日常業務に支障をきたしております

この動画を見た人から神社のみならず、当神社庁にも問い合わせが多数寄せられ、業務にも支障が出ております

これ悪いのはアンチなんでは…

業務に支障を出す人」の思惑通りに動いてどうすんの

一部の心無い人々が同様の操作を行い、映像をアップすることや、現実社会で実際の神社境内侵入し、破壊する行為を行う模倣犯が出現する可能性も否めず、そうしたことで貴社の道義的責任が疑われるのみならず、社会問題ひいては国際問題にも繋がる可能性がある

ただちに制作販売差し止め戴きたく申しま

現実で真似されるかもしれない犯罪行為は発表してはいけない」が結論なわけだが

エロ広告表現の自由を熱く主張した山田太郎は今回もダンマリか?

アクタージュの作者が逮捕されて作品打ち切りになるのは表現規制だと騒いだ赤松健は今回もダンマリか?

2025-04-02

なぜ日本表現規制左派音頭をとっているのだろうか?

アメリカ右派表現規制を進めてるってニュースを見て思ったんだけど、日本表現規制を進めてるのって左派だよね?ブコメでもよく「ネトウヨ表現の自由戦士(=反表現規制派)」って揶揄されてるし。

 

でも、右が保守、左が革新ってそもそも視点から見ると、なんで日本表現規制に関しては左派音頭とってるのか分からん。てか、それで言うならば、日本表現規制を進めてる連中は左派では無く、単なる表現規制派という方が正しいのか?

 

詳しい人、教えてください。

2025-04-01

https://michaelsan.livedoor.biz/archives/51769069.html

2013年頃に女性絵師が描くオリジナルの男女恋愛絵を晒して笑うのが流行ってたけど、これらは「男性への搾取」とは言われてないし、「女の欲望キモ」と笑うだけの行為で、表現規制には向かわないからセーフってことだね

二次創作著作権侵害から害悪コンテンツだけど、オリジナルの男女恋愛絵は誰の権利侵害していない

当時行われていたのは「女絵師はこんなの描いて喜んでてアホで笑える」という晒しと陰口という感じだった

陰口はセーフ、社会運動にして規制するのはアウトということなんだね

2025-03-29

「『人間フィクション現実区別をつけることができない』という根拠なき確信を持っている人たち」の簡単呼び名がほしい

表現規制をやりたがる人たちはだいたいこれ

2025-03-27

ことばとジェンダー

❌ツイフェミ

⭕️お前が典型的な嫌知らず日本

差別主義者のトランスヘイター

⭕️お前が女ヘイター

トランス排除フェミニスト(TERF)

⭕️お前が性自認カルト盲信派フェミニスト(GIOF)

表現規制

⭕️お前が児童性加害推進派

世界基準ということはモザイク解禁ですね!

まさかモザイクだけは日本基準とかわけわからないこと言わないよね

bioに表現規制反対派って書いてあって朱夏論とかリポストしてる垢が 、

(黒人は)自分物語を作る能力がない

とか言っていいね着きまくって万バズしてたけど本当にに勘弁して欲しい。

表現規制反対派ってレイシスト兼ねてるの?

簡単翻訳して読まれるこの時代にこんな事書いたら人種差別主義者かと思われるよ。

恥。

2025-03-25

女の被害者性なんて大ウソ日本では、男の方が遥かに酷い性被害に遭ってる

 ジャニーズ少年レイプしまくってても何のお咎めもなしに天寿を全うしやがって、未だにジャニーズアイドルなんて平気で存在してるように、この国では、女より遥かに男の性被害の方が蔓延ってる。

 イジメとかも全てそう。

 挙句の果てに、糞フェミは、テメーらが味わったこともないもっと酷い性的嫌がらせを受けてきた男の方を、弱者男性が-!とかほざいて叩く始末。

 それに、女にモテたいだけのクソ偽善者チンポコマンホモ豚が乗っかって、本当に被害者の方を叩く。

 一年に数件しかありもしない女様の性被害を盾にして。

 実際は、そんなことすればするほどモテなくなる。

 無視してても都合の良いことしてくれる奴は無視してれば良いし、そもそも権力ない奴は何してても見向きもされない。

 連中が身体を売るのは、売る必要がある相手だけだから

 そしてこのゴミどもは、男の性被害は一切無視するどころか、被害の声を封じようとする始末。

 現に、自称レイプされた女が声を荒げると、気色悪い偽善者どもが男叩きに利用するけど、男がイジメ被害とか告白しようものなら、「いじめっ子プギャーwww」「弱者男性が-!」だからね。

 こいつらは真の被害者のことなんてどうでも良いんだよ。

 あるのは自分が少しでも他者から奪って得することだけ。

 国は、本当のショタレイプ魔やイジメ被害者のことなんて、逆効果の声だけキャンペーンをする以外、何の対策もしない。

 表現規制とかはあれだけ異常なほど推進して弾圧したくせに、実際のショタレイプ魔やイジメッ子とかには何もしない。

 やったことといえば、「押すなよ! 絶対押すなよ!」心理悪用して、むしろイジメ被害を増やしたことくらい。

 いじめっ子殆どが、将来、暴力犯罪DVを犯す確率が倍になる統計や、自殺率や死亡率も上昇するっていう事実無視、全く広めず、「イジメするなよ! するなよ!」って口だけで言うだけ。

  「イジメなんてすると、将来こういうことになるぞ!」みたいな、効果的な批判は一切しないわけ。

 それどころか、「被害者の人生はおわりですー! 将来負け犬確定ですー!」とか広める始末。

 そんなことすれば、イジメ被害に遭いたくなくて、いじめっ子たちに媚びへつらい、イジメる側に回ろうとする屑が増えるだけってことは、どうせちゃんとわかってて言ってる。

 なぜなら、この国の政治家やら官僚やらマスゴミには、ジャニーズ喜多川みたいなホモショタレイプ魔が沢山いるから。

 あいつらを殺しつくさないと、もうどうしようもない。

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