はてなキーワード: 闘魂とは
最後の公式戦(夏季県大会)は印象に残っている。毎年、県内で一番立派な総合体育館で行われる大会だった。梅雨時にある。
団体戦予選は、秋季大会と同じく4校によるリーグ戦だった。上位2校が決勝トーナメントに上がる。
当校の場合は、全国レベルの高校と、それに準ずる高校と、平均レベルの高校の3校での争いだった。前二者には、それぞれ0-5,0-4という散々な結果に終わった。T君は健闘して強豪校相手に引き分けに持ち込んだし、ほかの選手も一年前に比べたらずっといい試合をするようになっていた。
だが、勝負の世界は厳しい。現実のリアルビジネスの世界でもそうなのだが、自分が成長しても、ほかのライバルはもっと成長している。最後の三試合目は、確か4-1で勝ったのかな。これで、T君の世代にとっての最後の団体戦は終わった。各リーグで上位2校だけが勝ち抜いて、決勝トーナメントに進出する。当校は第3位だった。これで、本当に終わったのだ。
翌日には団体戦の決勝トーナメントがあって、うちの学校と同じ市内のところが優勝した。N君が所属する学校だった。広島県は、伝統的に野球と柔道が強い。サッカーもそれなりである。
大体のスポーツは広島市にある学校が県内最強なのだが、柔道の場合は、広島市と福山市にある高校が県内二強である。いずれも全国に通用する実力を有していた。
記憶に残っている試合の話をする。その翌週には個人戦の部門があった。各階級に分かれて戦い、優勝者が全国大会に出場する。T君は、81kg級で出場した。
1回戦は、尾道にある高校の選手と当たった。確か、今年放送のアニメ『ぽんのみち』の舞台の近所にある学校である。俺は、第一試合が始まる前にT君の打込練習に付き合っていた。体を温めておくのだ。体を超動かすスポーツの場合は、事前のウォーミングアップが欠かせない。無論ハードモードである。
T君の試合が始まる直前だった。
「勝つとか、負けるとか考えるな。試合の邪魔だ。柔道のことだけ考えろ」
と言った。T君は「やり切ってきます!」と言った。
やがてT君が呼ばれて、試合場の前と、開始線の前での二度の礼が終わった。
「始め!」
という審判の声とともに、相手と組み合った。練習で教えたとおり、大内刈りと小外掛けを繰り返しやっていく作戦を採っていた(T君は左利きの左組み。多くの場合はケンカ四つの組み手になる。鏡写しの組み姿勢)。彼の運動神経だと足技の威力は弱いのだが、技をかけ続けていれば指導は取られない。
相手が技を仕掛けてくると、T君は隙を見て――寝技の態勢に移行した。その時はたしか、相手が低くしゃがんで投げる背負い投げに失敗したのかな。
すると、T君は相手に密着しつつ、真横に体重を預けるようにして、釣り手だけで送り襟締めを決めた(相手の背後から横襟を掴んで、手首の尺骨でグイっと頸動脈を圧迫する)。
相手がたまらず仰向けになったところで、両足を絡めた縦四方固めに移行すると、相手は全く動けずに25秒が経過した。一本勝ちである。
よく、ここまで強くなったと思った。彼と出会った頃は、紐に巻かれたチャーシューが柔道をしているように思えた。あまりにボテボテとした動きで、才能がないのは明白だった。
だが、T君はここまで寝技を鍛えた。彼にとってのエクスカリバーだった。この頃の彼は、俺と寝技の乱取りをしても1分以上は持ちこたえることがあった。
さて、次の試合だが……例の強豪校の子だった(N君)。T君と同じく高三で、改めて見るとスマートな体形だった。背丈はやはり185cmはある。あの細長い足から繰り出すカミソリのような内股で、T君は何度も吹っ飛ばされてきた。
おそらくこの時点で、すでに名門大学からスカウトを受けている(記憶によると、その後明治大学に進学している)。
試合が始まる直前、T君と最後の技の打ち込みをして、最後は大内刈りで投げさせてやった。試合場に送り出す時、背後から彼の両肩に手を置いた。肩甲骨のあたりが1年前より逞しくなっている。そのまま、グイっと前に押し出すようにして闘魂を注入した。
試合前の二度の礼の最中、対戦者であるN君の表情を見た。高校三年生とは思えないほど大人びていた。歴戦の兵を見ているようである。高校三年間をスポーツに捧げた者の目つきだった。子どもの頃から、数多くの試練を乗り越えてきたのだろう。こういう野獣の眼をしている若人は少ない。
試合場の外には、そのN君の学校の仲間と、あとは監督・コーチ陣が控えていた。これといった表情はない。自分の教え子の初戦を観察するのは指導者の基本である。それだけだ。
実は、この時の試合はビデオ撮影している。映像は悪いのだが、できるだけ実況風に説明してみる。わからない単語があった場合は、とりあえずこちらの、
柔道チャンネル:柔道用語https://www.judo-ch.jp/terms/
柔道の技https://www.judo-ch.jp/technique/
をご覧になるといい。
別に、不明な単語や表現があって気にしなくていい。読んでいるうちになんとかなる(と思われる)。以後、試合が終わるまでT君はTと表記する。N君はそのまま。紛らわしいからな。
さて、二度目の礼が終わった直後だった。試合場内ではTとN君が向き合っている。そして、審判が両者を確認する――試合開始の宣言があった。
「始めっ!」
Tは左組みで、N君は右組みだった。
N君は殴り抜くようにして釣り手を取ってきた。横襟のあたりだ。Tも相手の前襟を掴んだが、どこか心もとない。柔道力に差がありすぎて、まともに襟を掴めないのだ。厳しい印象の組み手だったが、後は引き手を握ることができれば……。
次の場面では、同じタイミングで袖を握り合った。中ほどの位置だった。相手はちょっと嫌がったかもしれない。かくして両者の組み手が完成する。ケンカ四つの組み手である。
Tは大内刈りに入ろうとしたが、難しい様子だった。対戦相手と体力差があると、そもそも技のモーションに入ることすら難しい。両者、ジリジリと畳の上で移動を重ねていく。N君が技に入る様子はない。シード枠で第一戦目だった。慣らし運転という印象を受けた。
これは舐めプではない。トーナメントの初戦というのは、綺麗に勝って勢いをつけるものだ。何事も始まりが大事である。
重心移動を重ねていく両者。ここで、Tが小外掛け、そして大内刈りに入ったが……全く効いていない。もう一度リズムを取って、トン、という畳を蹴る音が聞こえた(ビデオ映像では聞こえないが、俺は確かに聞いた)。Tが足指の裏で畳を蹴り込んで、再度の大内刈りを放ったのである。
今度はバッチリ効いていた。左腕で相手の肩を制していたのが大きい。ふくらはぎを刈り取られるようにして、N君が後ろに後退していく。数歩だけ後ろに下がったところで、技が解けて動きが膠着した。
Tは、そこから双手刈りに変化して、相手を押し込んで寝技に持っていこうとする――が、相手は両手を使ってTを上下に振って無効化した。Tの体が揺れている中、N君の大内刈りがしっかと掛かると、真後ろに倒されるのをどうにか我慢した。間合いを取ろうとしたが、遅かった。
N君は、Tの体を引き出して崩しつつ、股下に飛び込んでいた。全身を躍動させて、右脚でもってTの骨盤を跳ね上げた――内股、炸裂。
会場がどよめいた。それくらい、鮮やかな技の入りであることの証明だった。Tの身体が浮いている。が、まだ投げられてはいない。右足をケンケン状態にして抗っていた。歩幅のあるケンケンをしていた。
最後に、ダメ押しとばかり身を捨てたN君に巻き込まれる格好で、畳に落ちていく。
「……!」
主審の動作は、会場全体の視線に応えるかのようだった。右腕を緩やかに振っている――ノーポイントだ。背中がついてないので当たり前だが。
会場の反応を気にする素振りもなく、それからの寝技の攻防を見守っていた。Tが上からN君を攻め立てるが、「待て」がかかる。
次の組み手でもそうだった。お互いに十分な位置で組めているとは思うが、相手の圧に押されて、Tは身動きが取りにくい。N君は、けん制気味の大内刈りで攻めていた。タイミングを合わせて内股を狙っている。
ある瞬間だった――N君が内股を仕掛けた。すると、Tの動きがおかしかった。ジャンプするようにして真横に飛んだのだ。相手の振り上げた足がぶつかって、コロンと畳を転がった。背中がついている。
「技あり!」
N君にポイントが入った。背中はついていたが、勢いがなかった。
その後も厳しい展開が続いた。Tは相手とガッシリと組み合った後、てんで効かない大内刈りを繰り返していた。そして、N君はそれを上回る勢いで足技を仕掛けてくる。
Tは、それからも真横にジャンプするような動きをすることがあった。対するN君は、いい位置の組み手を取って大内刈りを仕掛けている。大内刈り→内股に繋げるのが狙いだ。
Tは正面から大内刈りを受けるも、後ろに飛んで腹ばいになって回避した。「待て」がかかった。その後、Tに指導(※ノーポイント)が与えられた。
「始め!」
ここで、N君が奥襟を掴もうとしてきた。奥襟というのは文字通り、横襟よりも奥になる。あなたが今着ている衣服で言うと襟首である。
Tは抵抗を見せるも、最初は横襟を掴んでいた敵人の右手は、ついに奥襟に差し掛かった。Tは体を後ろに下げつつ……なんと、内股を放った!
N君の奥襟を取る力を利用しようとしたのだろう。ただ、懐には入れていたが全く効いていない。発想はよかったが、素の柔道力の違いがこういう所に出る。威力が無さすぎて、N君の方が戸惑っているように見えた。
今は、互いに横襟を握り合っている状態だ。ケンカ四つなのは変わりない。さっきとは、うって変わって静かだった。N君は小刻みに大内刈りを繰り返している。投げる気はない。けん制だ。Tも、何かを狙うかのように釣り手を小刻みに動かしている。
N君が、釣り手を下方向に絞ったかと思うと、Tの胸をいきなり突いた。一歩下がることになり、また前に踏み出そうとする。その時、Tの胸を小突くようにしてまた大内刈りを放った。Tは嫌がって、猫背気味に距離を突き離した。そして、背筋を真っ直ぐに戻した直後である――直立姿勢。一瞬の静止。
N君は脱力している。俺はつい、「あ……」と言った。技に入る準備ができている。もうダメだ。直観である。
一瞬だった。N君は釣り手と引き手を利かせつつ、軸足としての左足で、Tの股下に飛び込んだ。体を密着させつつ、右足を高らかに振り抜いた――内股、一閃。
「技ありいいぃーーーーッ! ……抑え込みッッ!!」
審判の声が響いた。
彼らを視認すると……TがN君を横四方固めで抑え込んでいた! とともに湧いてきたのは、会場からのどよめきと、賛辞の拍手だった。
「なにしとる、N。まだ逃げられる! 右に回転せえ、手を、手を突っ込め!!」
N君の高校の監督が、試合場の外から怒号交じりのアドバイスを送っていた。不完全ではあるものの、N君は確かに抑え込まれている。
何が起こったのか。一応、撮影したビデオ画面をベースに説明すると……あの時、N君が振り上げた右足は、Tの身体を跳ね上げることなく空振りし、宙をひと回り以上して畳に落ちていったのだ。返し技――内股すかしである。
Tがやったのは、まず一番に跳ね上げられるであろう左足を、真後ろに隠して回避するという古典的な内股すかしだった。あとは、N君が内股を空振りして自らの威力で吹っ飛び、空中を一回転半して腹ばいで畳の上に落ちた。そして、Tが電光石火の早業で抑え込んだ。以上である。
「てら、全力で体重乗せんだよ。あと半分、半分!」
※あと10秒抑え込んだら合わせて一本
気が付くと、横四方固めはガッシリ入っていた。N君の動きは著しく制限されている。しかし、彼も体力は相当ある方だ。寝技が解けないならばと、背筋で跳ねるのを繰り返すことで、徐々に移動して……試合場外への脱出に成功した。
審判の「解けた!」の宣言の瞬間、試合場の端から抑え込みタイマーのブザー音が聞こえた。これは……!?
「待てー、待て……!」
審判の声は焦っていた。
開始線に戻った両者。ここで主審が、副審のところに行って協議を始めた。N君の学校の監督・コーチ陣は、ギラついた目で審判団を睨んでいた。タイマーを見ると、残り試合時間は1分半だった。
戻ってきた主審は、「技あり」のジェスチャーを取った後で、上方向に手を振った。ノーポイントに訂正する、という意味だ。
残念だった。あれは内股すかしだったが、投げ方は確かに変だった。N君が技に失敗して、自分で体勢をコントロールして腹ばいに落ちたようにも思えた。
正直、一本でもよかった。今の柔道では、スーパー一本といって、技の威力がありすぎて腹ばいに落ちた場合、一本になるルールがある。当時もその概念はあったが、ルールブックに明文化されているわけではなかった。
その後、併せて審判は、T君が寝技で抑え込んだことによる「技あり」の宣言をした。
「始め!」
N君は即座、猪突の勢いで駆けた。右手でTの奥襟を奪いに行こうとするが――パシン、という音がすると、なんとTが相手の柔道着の背中を掴んでいた――奥襟の、さらに真下の部分である。
N君は、前傾姿勢になった。彼もTの奥襟を掴んではいるが、動きはない。静止している。
「なにをしよおる、はよう技に入れ!!」
わかっていない。N君は動かないんじゃない、動けないのだ。Tの腕力は本物だったようだ。
「ようだ」というのは、俺がTと乱取りしていて、背中を取らせたことは一度もないからである。
体捌きも、総合的なパワーも、ありとあらゆるテクニックも、俺の方がずっと上だった。よって、奴のパワー(ベンチプレス160kg,背筋280kg以上)を体感する機会はなかった。
とにかく、N君は前傾姿勢のまま動けないでいる。その状況で、Tは不意に大外刈りに入った。N君のふくらはぎに刈り足が当たって、ケンケン状態で後ろに下がった。
Tが大外刈りをやめると、すぐさま、今度は連続して内股に入るのだった。釣り手で背中を掴んだまま、大腰みたいにしてN君の体が浮いたが……やはり柔道力が足りない。そのまま両者、畳に沈み込んだ。
いや、違う! Tはこれを、寝技を狙っていた。寝姿勢に入った途端、N君の片腕を取りつつ、巻き込むようにして後ろ袈裟固めに入ろうとする。N君はさらに体を転がして回避した。防御姿勢になる。
Tは亀状態になったN君の上に乗ると、帯を掴んだ。すると、体を捨てる重心移動によって亀状態をひっくり返した。そのまま縦四方固めに持っていこうとする。
再び、N君は腹ばいになって逃れるも、ここでTは――中腰の姿勢になり、両腕で相手の柔道衣を握った。胴衣の腕の部分と、下袴の太腿部分をそれぞれ握っていた。そのまま、立ち上がってN君を両手で宙づりにすると――畳の上にゴロンとひっくり返した。
「抑え込み!」
タイマーのカウントが始まるが、抑え込んで十秒もしないうちに解かれてしまった。試合の残り時間は、あと30秒ほどだ。
いい作戦だった。まともに立ち技で勝負してN君に勝てるはずがない。先ほどの背中を掴んだ組み手は本当によかった。寝技にもっていくための算段のひとつである。背中を掴んだ後は、なんやかんやで相手を動かし続ければいい。
背中を掴むのに成功してからは、立ち技をガンガン打って、早々に寝技に引き込んで、審判の「待て」がかからないように動きまくるのだ。それで時間を稼ぐ。
彼は、これを狙っていたのか。作戦だったのか? そんなことは……あるかもしれない。まぐれはこんなに続かない。彼の脳裏にこの流れがあったのだ。
主審は、選手2人が開始線の前に立つと、柔道衣の乱れを直すようポーズを取った。
そして、N君に対して指導を与えた。一瞬、彼の表情を見たが、恐れを感じていた。眉のあたりが強張っている。恐怖を感じる時の表情だ。これから自分がどうなるかわからない、そういう恐怖を感じている。
会場がどよめいていた。大番狂わせのニオイを感じ取っている。
「始め!」
N君は脱兎のごとく、Tの奥襟を取った。対するTが背中に手を回すよりも早く、伝家の宝刀、内股に入った――不十分な組み手だったが、Tの股下に入った足がガッシリ効いている。浮かないようにするだけで精いっぱいだった。
「ヤアァァーーーーーーーーーーッ!!」
N君は咆哮を上げつつ、内股から大内刈りに変化した。自分の後ろに投げる技から、前に投げる技への連続――完璧なタイミングだった。
「終わった……?」と思ったその瞬間、Tは自らの体をコマのように回転させて、腹ばいになって畳に落ちた。寝姿勢で向き合って、怒涛の勢いでN君を組み敷いたかと思うと、縦四方固め……? いや、違う。それはフェイントであり、腕がらみ(アームロック)を極めようとしていた。審判が真上から様子を見ている。関節技が極まるか極まらないか、際どい局面だった。
刻一刻と、時間が経過していく……Tの作戦が功を奏したのだ――試合終了のブザーが鳴った。
「それまで!」
ここまで四分。実時間で約十分。お互いによく戦った。ポイントは同点である。この場合は、主審×1と副審×2による旗判定で勝敗を決する。
試合用のタイマーが置いてある長机から、審判員が手慣れた動作で紅白旗を取った。元の位置まで戻ると、主審は、副審を見やってアイコンタクトを取った。全員、どちらに旗を上げるか決まったようだ。N君が赤旗で、Tが白旗だった。
紅白2本の旗を手前に持ち上げる審判員――白い旗が2本だとTの勝ちである。会場の一角は、静かだった。かくいう俺も心臓がバクバクだった。僅かな時間のはずなのに、長く感じられる。
「判定ッ!」
赤2本、白1本という事実を確かめて主審は、溜め息を吐きながら白い旗を仕舞うと――N君の方に勝利の手を掲げた。
この試合を見ていた観客は、ほぼ全員が選手2人に拍手喝采を送っていた。スタンディングオベーションである。いい試合だった。勝ち負けとかどうでもよくて、とにかくいい試合だった。
俺はしばらく其処に立っていたが、T君の後を追いかけてトイレの方に向かった。
次です
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普段使っているYouTubeやtwitterといったサイトでは、AIによるコンテンツの取捨選択が行われる
現時点で数字を持っているものほどより多く人々におすすめされる。おすすめされたときの反応率を考慮しても、数字があるものはより数字を得ることになる。逆も然りである。
何も考えずにYouTubeの動画を見ていると、殆どのチャンネルが登録者何万人もいて、たくさん再生されているという錯覚に陥りがちだが、そこでYouTuberに夢を抱いてはいけない。とりあえず、一生懸命動画を作ってそれを投稿してみると良いだろう。大抵の場合殆ど誰にも再生されない。それどころか、誰もあなたの動画の存在すら知らないのである。ちなみにあなたが作った動画ですが、ほとんど誰にも再生されてないから、おすすめしません。あと検索結果にも出さないよ。すると最終的に誰にも再生されないし、誰にも存在すら知られないままネットの海に埋もれていくのである。めげずに闘魂込めながら作った動画をネットに投稿し続けると、ほとんどはブラックホールに吸い込まれたかのように存在感がなくなるが、たまに普段よりちょっと再生されるかもしれない。結局はどれだけ辛抱強く続けられるかといったところだろう。
おすすめ機能がなぜ存在するかというと、目に入るコンテンツを最適化しているわけで、人々の心を大きく動かしたものほどより多くおすすめされる。
多くの人を不快にさせるような発言も、人々の心をより動かしているので、より多くおすすめされるのである。結果人間の幸福量は低下する。
(不快にさせるようなコンテンツが存在してはいけないというわけではなく、そのようなコンテンツがよりプラットフォームにおすすめされる状況が良くない)
インターネットで多くの人を集めるコンテンツは金になるのである。過激な言動をすれば人が集まる。このような構造があると利益最適化のために過激な人がどんどん増えていく。
おすすめ機能はエコーチェンバー生成器でもある。例えば政治系コンテンツでは、特定の思想信条に沿ったコンテンツにいいねをしていった結果、その思想信条に沿ったコンテンツしか現れなくなる。その結果身の回りが同じ思想の人で固まってしまい、エコーチェンバーとなってしまう。
有名人やキャラクターでもなんでもいいが、それについてgoogle検索すると関連キーワードに「〇〇 嫌い」と出てくることがたまにある。しかしこれは無視するべきである。
このようなサジェストを見たときに人の心が動かされてより反応してしまう。なので、一定の確率でなぜ嫌われているかが気になって「〇〇 嫌い」と検索してしまう。大抵の場合、検索しても大した結果は出てこない。しかし、その気になって検索してしまった一定数の人の影響で、検索エンジンがより検索されるワードだと勘違いした結果、関連ワードにより表示されるようになるというシステムである。
おすすめされるかどうかの基準に、インプレッションのクリック率がある。インプレッションのクリック率が低いとそもそもおすすめされなくなる。なので一部のYouTuberは動画よりもサムネとタイトルに1億倍力を入れているらしい。知らんけど
結果、羊頭狗肉なコンテンツが世の中に跋扈する。釣りサムネが増える。
誇張したサムネとタイトル→ダラダラと中身のない話を繰り返す→どこかで見知ったような結論を出す みたいな半分釣りみたいなものにすればより儲かる構造になっているのだ。儲かるなら多くの人が真似する。なので自分も真似することにした。あえて過激なタイトルで人々を釣り、中身のない話をダラダラと繰り返して、どこかで見知ったような結論を出せば、どうやらインプレッションが増えやすくなる構造になっているようである。クソを投げたら儲かるからみんな真似した結果世の中がクソまみれになってしまいました。みんなも真似してインターネットをよりクソまみれにしようぜ。
アントキノイノキ『闘魂注入!!』ビビビーッ
あんなことできるこんなことできる、確かに事実なのだろうが、そんなことが出来ているのは結局のところエリート採用された上澄か、所謂大都市の拠点支店に初任で配属された一部の人間ばかりだ。自分をはじめとした圧倒的大多数は地方の、さらに片田舎の支店に配属され、一生同じような仕事を繰り返すことになる。まさに歯車と言っていい。尊敬していたかなり年上の先輩は「手をあげ続けてきたけどチャレンジすらさせてもらえなかった。」とかなんとか言って他所に移って行った。研修に行けばいつ辞めようかあいつはもう辞めたと言った話ばかり。
とは言え楽しそうに仕事している人がいるのも事実。10年目ともなると担当先も案件のある先が増え、仕事もある程度自分で回せるようになり、それなりのやりがいを覚えるようだ。若手で楽しそうに仕事している人は稀だろう。大概は支店の、誰も持ちたがらないような先を持たされて疲弊している。若手で楽しそうに仕事している人間は、本当に案件と同僚に恵まれたか、よほどの営業の才能があるか、あるいはただの馬鹿だ。「これまで誰も掘れなかった先を持ってるんだぞ。やりがいしかないだろう。」本気でこう言ってきているのなら余程の呑気であるし、闘魂注入のためであればこれも余程の呑気だろう。
外回りしろ、じゃないんだ。準備してから訪問しろ、じゃないんだ。どこに何が書いてあるのかわからないような手続き書と睨めっこしながら通常の事務をまわしつつ、好き勝手頼まれる雑用をこなしつつ、誰もやりたがらない支店のお荷物先の対応をしてるんだ。いつ潰れるかもわからない会社でご奉公なんて時代じゃ今はもうないんだ。
銀行の採用は実に卑怯である。上の人間が仕事に集中できるように若者を使い捨てている。雑用を、前の世代の尻拭いを、無駄に抱え込んだ不採算先を全て若手に押し付けるために、キラキラした「バンカー」を喧伝し、これまで大量採用を続けてきたに違いない。徐々に減ってきているとはいえ今もそうだ。離職率を見ればわかる。そして生き残った人々が自覚か無自覚か知らないが同じことを続けていくのだ。僕は事務屋さんではない。20代をこんななんのスキルも身につかないような場所で終えたくない。3年で身についたのは「おっしゃる通りです。」「申し訳ございません。」のスピードだけだ。財務もエクセルも英語も、何もわからないまま。仕事は書類を擦り出して一枚一枚丁寧に付箋を貼って、上司の印鑑をもらうだけ。親が泣いているぞ。
給料。世間的に見れば〜という話もあるだろうが、自分の周りを見れば圧倒的に低いと言えるだろう。聞いた話では若手の給料は庶務さんと同じ程度だそうだ。ことによれば事務のお姉さまよりも断然低い。「私たちには責任は取れないので、そちらで判断してから持ってきてください。」だったら判断の分だけでも俺の給料を上げてくれ。もちろん堅確な事務は車の両輪の如く大切であるのは間違いない。ただ、どこまで行っても若手は事務処理要員の一つとしか見做されないのだなあと思うとやりきれない。
銀行は業界も内部の人間ももうめちゃくちゃだ。銀行に限った話じゃないのだろうけれど。
業界はお互いにお互いの首を真綿で締めあっていると言える。採算度外視の金利競争。地方は地方でズブズブの企業・人間関係。じゃあ今度は金利じゃ儲からないから手数料だ。収益を上げろ。そうして投信を売る。かつてはゴルフ会員権を売った銀行もあったそうだ。流動性が桁違いなので全く同じとは言わないが、似たものを感じる。顧客第一主義とは何か。本部から還元される資料には必ず「切り返し話法」が載っている。洗脳と変わらないじゃないか。
内部も内部だ。本部の言うことは一貫していないし、表彰のルールだってややこしい。あれしてこれしてこうして下さい、分厚いルールブックを配られて、それでもよくわからないことだらけ。皆が上席に忖度して媚び諂っている。風通しが良いふうを装っているあるいは本気で信じている上席はいるが、結局のところは自分の意見が正しいのだ。誰も自分の意見は言わず、本人のいないところで愚痴を言うだけ。
「やめられない」のは一番悪いところかもしれない。今やどこの支店もセコムやらアルソックやらを導入しているのに、いまだに金庫内のキャビネットの鍵すら丁寧に施錠している。セコムが破られて、分厚い金庫まで破る相手にキャビネットの鍵がなんだと言うのだ。そう言う決まりだから。これで終わりなのだ。鍵の開け閉めに一日30分はかかっているのに。朝礼も無限に長くなっていく。と言うかそもそも毎日朝礼する必要があるのか?あれもこれもとコンテンツを追加していって、結局始業の時間ギリギリになっている。知っていると思うんだけど、時間は有限だぞ。
仕事の仕組みも散々だ。手続き書に全てが書いてあるはずの銀行業務は、確かに全て書いてあるのだが、各所に分散していて、そこを参照すればいいのかは経験に強く依存している。ある業務を行うにはこの手続き書と、別の手続き書と、あの通達と、どこにも書いていないあの様式の書類を添付する必要がある、なんてのはザラだ。掲示板もいくつもいくつもいくつもあってまるでキメラのようだ。
この原因はおそらくデジタル化の勘違いからきていると僕は考えている。要はかつて銀行業務にパソコンを導入した人たちは「紙でやる業務にワープロを導入した」世代で、上にならえの我が業界人たちは長いことこれを踏襲してきているから不便なのだ。
定型的な業務であれば全て一つのシステムで、一気通貫に、指示通りの動作を行っていけば約定・実行まで終わるようにできて然るべきだろう。いくつもいくつもシステムがあって、それに対応するようにいくつもいくつもパスワードがあって、結局皆覚えきれずに手帳なりノートなりに一覧を作って管理している。何もかも無駄である。銀行にはこれを改革することはできない。お客さんには新しいシステム!を案内しておきながら内部でやる事務はなんら変わっていないどころか手間が増えていたりする。これじゃできの悪いハリボテである。採用もそうだが外面だけ立派で中は人を消耗するボロボロのシステムが銀行である。偉い人々はもう使うことがないから忘れているのだろうが、次世代金融どころの話ではない。そういった妄言はまず中身を整えてから、せめてそういった姿勢を見せてからだろう。若手はもう限界だ。文句を言うくらいなら手続きを覚えろと言うのは全くその通りであるが、人材の流動性が高まろうといった現在、手続きと言うある意味本質的でないところで時間を取らせる現在のシステムのままでは人材の受入はできないだろう。
銀行人材を斡旋すると言うニュースがある。世間がどの程度銀行人材を誤解しているのか知らないが、その太宗は大したスキルのないおじさんたちである。排出は考えるが受入は考えない、いつまで殿様のつもりなのだろう。銀行は働き方改革などと言う訳のわからない施策を講じる前に仕事の仕組みを改めて整えるべきだろう。
サービスが大事だと偉い人は言う。寄り添った提案が大事だと。僕はそうは思わない。これは特にリテール分野の話ではあるが、真に投信等に関心があれば手前でやるのだ。それも手数料の安いネット銀行で。ソニー銀行は口座開設から何から便利だし、楽天銀行はUIは流石楽天あまり良くないが結局便利だ。僕自身のメインバンクもネット銀行だ。寄り添った提案なぞ今働く世代にはできっこない。どうせ同じ時間帯で働いているのだ。寄り添った提案、結局のところ金持ちや年寄りに媚びて情に絆すだけのサービスに過ぎない。フローチャートを細かくすればそれこそネットで出来ることだ。
日本は多くの人が銀行口座を持つ珍しい国だと聞く。この傾向は続くだろうがそれはネット銀行に偏るだろう。店舗型の銀行は今のままでは本当にただコストだけ抱える過去の遺物に成り下がるだろう。いっそ法人と個人を全く別の銀行にしてしまえとさえ思う。そっちの方が余程効率がいいだろう。
偉い人曰くサービスが大事なのは銀行が同じような商品を取り扱っているからだと言う。確かにそうだ。特に法人分野はその傾向が強い。担当者の能力に依るものは大きい。一方で個人分野では少し違うんじゃないか、見落としがあるんじゃないかと思う。
我々商業銀行は商業銀行であるが故に、もっとブランドを意識するべきだろう。それは金持ちや年寄りに対する温い媚びのサービスであってはならず、どちらかと言うとアップルカードに連想されるような、スマートな商品開発だ。キャッシュカードやらスマホアプリやら、実は銀行には他行差別化の図れる商品がいくつかある。保有して人に自慢したくなるような商品の開発こそ、何も捨てられない銀行がいつまでも大衆の銀行であるために必要なことだろう。
なんだってやるべきだ。いつまでもジャケットを着てるのではなく、ポロシャツを着て街に出るべきだ。銀行がタイアップしたカフェやらコーワーキングスペースやらをもっと作るべきだ。せっかく無駄な資産をたくさん持っているのだから。無形の価値を、ブランドを、高めて向こうからやってきてくれる銀行になるべきだ。〇〇BANKがお洒落でスマートの代名詞になる日がくればいい。BANKの語源の確かなところは知らないが、いずれにせよ皆が腰掛けることのできる公器たるべきだ。因みにポロシャツはエスカレーションラダーを増やすといった意味でも是非とも推進するべきだ。普段がカジュアルであるからこそスーツがより際立つのだ。振り切りが大事だ。年寄りと金持ちには徹底的に媚びよう。大理石造りの基幹店を作ってもいい。マホガニーかなにか高級な素材を使った店内で、徹底的に厚遇すれば良い。そしてブランドで大衆を惹きつけよう。認知なくしては居ないものと同じなのだ。
思うがままに書き連ねて、推敲すらできていないが、日々感じるストレスの中、間も無く来るであろう異動を思い、こんなことを書いてしまった。
普段の業務ではこんなことできない。つまらないオトナ達が上の顔を見ながらクソみたいな施策を出してくるのを見守るだけだ。
仮にこう言う仕事ができるような年次になった時、おそらく僕もそういったクソみたいな大人になっていることだろう。
人事へ。探さないでください。なんだかんだ言って僕はまだクビにはなりたくありませんので。辞めるまで待ってくれよな。
何もできない若手の、根拠もない取り止めのない妄想である。これを根性のない若手と切り捨てるのは容易だ。僕でもそうする。ただ、そうして肥大してきた結果が「必要とされない銀行」であると言うことは偉い人は強く認識するべきだろう。だから、少しでもいいから真の改革の姿勢を、我々が充実して働けるような未来を見せて欲しい。何を言ってるのか自分でもわからなくなってきたな。いつかもっとまとめて書くこととする。
興味が無いのでライブ中は滋賀観光するつもりの俺は置いといて友人2人が気合入ってる。
だいぶ入ってる。
どれくらい入ってるかっていうとインテルが入りかけたくらい。
これだけでも気合入ってるけどその上俺に運転手代一万くれるって。
ガソリン代さっぴいて手取り五千円の日当は無職の俺にありがたい。
だいぶありがたい。
正直な話AKB知らない。
友人の話でチームドラゴンとか言われてもドラゴン藤波しかイメージが湧かない。
俺の事は置いといて友人二人は気合が入ってる。
この猛暑の中有能さを発揮。
猪木の。
定番が在庫無しの為代わりに買った二枚で定番より値段が安かったタオル。
東日本大震災で被災地に配ったため定番の在庫が無くなったと思われる。
コラムで高岡解雇騒動も触れてたけどさらっと力道山の名前を出す辺りに文章でも引き込まれる。
ちなみに内容は「迷わず行けよ行けばわかるさ」。炎上のしようもない。
流石猪木。
猪木のようにAKBライブに気合を入れてる二人の為に出来るだけの用意をしようとライブについて調べてみてビビッた。
超でかい。
もしかしてだれか住んでるのかも知れない。
湖の下に秘密基地があっても驚かない。
イヤやっぱ驚く。
地図で見てコレだけでかいと実際に見たら俺はどうなるんだろう。
泣くのか?
今年で三十の男が琵琶湖見て泣くのか俺?
先日、ネットで検索しているときに見つけたブログが、面白くって笑いっぱなしでしたよw猫の遊んでいるようすを写真に撮って言葉を入れてあるんです。この言葉が猫の動作にピッタリなんで思わず笑い転げてしまいました。
コンビニの新作スイーツはいつもチェックしてます。ローソンのロールケーキは話題になる前から食べてましたよ。最近は、コンビニのスイーツも美味しい物が増えましたからね。チェックしておかないと限定品は食べ損ねてしまいます。
http://d.hatena.ne.jp/spending/20110721/1311251412
ほかにも
注射嫌いな息子を、なだめ脅かし予防接種に連れていきました。いやー、大変でした。病院についたとたん泣きはじめて、車から降りようとしないんですよ。
http://d.hatena.ne.jp/kenbou08/20110726/1311683813
【社会】 「ラーメンが獣臭い」 妊娠シカ殺しの「金髪」銀次郎容疑者、ラーメン屋店主だった…凶暴犬放し飼いで数人噛まれる事件も
http://2chokaita.blog97.fc2.com/blog-entry-1225.html
ラーメンが獣臭い
http://www.irem.co.jp/
あいれむどうぶつえん
宇宙人来襲の決定的証拠
http://www.watch.impress.co.jp/
例年通りいそぷれすうぉっち。
http://www.nicovideo.jp/
http://rd2.mag2.com/r?aid=19667&rid=1
プレソソソース
http://www.mailish.jp/
家政婦紹介所
http://www.candysoft.jp/ohp/tsuyokimusou/index.html
http://eiga.com/
http://www.m-78.jp/
http://www.typemoon.com/
http://www.propeller-game.com/
http://www.akibablog.net/archives/2008/04/kill-geek-080401.html
ちょっとした素敵な勘違いというか手違いという神の導きにより、非コミュを自認する方と物凄くおいしい食事をしてきた。すごく良い経験になった。神と、先方に感謝。
その方は基本的に数学が得意な脳の持ち主で、本もたくさん読んでいて、専攻は社会学系、はっきり言って俺よりずっと頭がいい。仕事はコーダー。本人はIT土方って言ってたw。
分析力は俺よりずっと高いし、速いはず。でもその次の段階がうまくいかないらしい。そこで精神的な平常を失いがちなのが人間の自然な姿なのだが、その方はそこを武道を通して身につけたスキルを応用して克服したようだ。頭がいい人はどんどん汎用する。しかしcommunicationだけは別のようだ。「文章が書けるのにcommunicationができない、聡明なエントリは書けるのに脊椎コメントが書けない、脳内メモリにエントリ要素を溜めて加工して文字に落とし込むことはできても、思索同時筆記ができない。」こういう感じなのだと思う。エッサさんのブログの書き方と近いのだと思う。
最近強く思うことなのだが、文系は馬鹿ばっかりだ。馬鹿というか誠実さが足りない。これは言葉が本来的に持つ欺瞞というか不誠実さの結果であろう。しかしそれを誠実に分析せず、経済的利益構造確保のためにアカデミズムの中に居場所を確保し、文壇や論壇といった経済圏というかマーケットを作り、維持するために、権威の構築のための研究ばかりしているというのが、文系の歴史の一面である。非コミュの原因の根底には間違いなくこの問題があり、そしてそれを小説という方法のなかに取り込んだのが村上春樹(の一面)であるのだと思う。だから文壇や批評家の嫌悪というか憎悪は当然なんだよ。馬鹿だから自覚無いだろうけどな。
理系の皆さんにこれだけは覚えておいて欲しい。
あ、知ってるって?w。
でももっと確信を持って正面から馬鹿にしたほうがイイよ。文系の学問、ことに文学部、そして文学界の構成員というのは、文系の研究機関や大学や文壇や論壇に養ってもらうか、さもなければ生活保護か、という人間達の生存のためだけの活動である場合が多いという真実を白日の下に晒すことにより、理系の研究の予算は増えるはず。雇用も増えるはず。そしてこの世界を豊かに発展させるはず。
文学部や文壇なんてなくても詩人は詩を書くだろう。しかし医学部が無ければ医師は育たないし、研究と教育が無ければテクノロジーは退化して死ぬ。テクノロジーが世界を、芸術を、文学をリードするという事実は、この星の文化の歴史が証明してるはず。
追記
要するに文学部や文壇や論壇や批評家と言っても良いのかもしれない。経済学は文系か理系か?みたいなね
でも言葉にとって最も重要なことは定義の正誤や一貫性や論理的整合性ではなくインパクトですよ
これ言葉の本質だから覚えておくと良い
http://anond.hatelabo.jp/20070422153630
追記
http://anond.hatelabo.jp/20070422160116
その通りなので、「歴史学」はこのエントリでいう「文系」から除外します。
追記
無駄な文系研究機関や文壇論壇系ジャーナリストのマーケットを潰したら
参考になるテーマとして
「闘魂とは」
というのがあるね。