はてなキーワード: 民政とは
原敬「旧帝国大学を設置して日本全国で高等教育を受けれるようにしました」
後藤新平「関東大震災からの帝都復興。初代満鉄総裁。水道水安全にもしました。あと台湾民政局長やって現地人の文化を大事にして親日派ができる土壌作りました。ついでに郵便ポスト赤くしろって言ったのも俺」
斎藤実「昭和天皇に平和と反戦教えました。朝鮮総督になって文治政治に変えさせて白人植民地学者に「我らと違う」と言わしめて植民地時代にもいいことしたと言える土壌作りました」
岸信介「CIAのスパイです。満州時代、酷いことウッキウキでしてきました」
松岡洋祐「日米諒解案が気に入らなかったので独断で書き直して米国に送ったらハルノート返ってきました。独断で国連脱退しました。独断で日ソ不可侵条約結びました。ヒトラーに心酔して三国同盟推進してナチスと手を組みました」
安倍「最長の総理になりました。お喋り好きで仲間には好かれてます」
好きな方選べ
66歳にして16人目の子どもである市姫(いちひめ)をもうけたけど質問ある?
顔はノッブほど精悍じゃないけど家臣や女中たちからは好かれてたよ
瀬名姫はツンツンしてたけどワイに会うときは晴れ着を用意するとかかわいげがあったな
今でいうツンデレじゃな
近頃ときたら気軽に女にされたり、転生させられたりするから困る
まさに幻のようなもんよな
ノッブ殿も転生されたのか!ご壮健そうで何よりでござる。
ジョブスどのは親友でござるからiPhone50くらいまでは知っておる。
そそのかしてはおらぬが、雪斎殿が導いてくれたのじゃよ。
100歳まで生きたというのはそういうことじゃな。
駿府城公園に入ってきた謎のぶよぶよした生き物の記録があるらしいけどそれがなんだったのか知りたいです。
肉人か?
あれは今でいう宇宙人じゃ。
たまたま駿府城に教養のある細川どのが来訪してての、「あれは中国の封じゃ」とゆったもんだから気味が悪いから追い払わせたぞ。
幽才どのがおらぬかったら静岡おでんにして食ってたかもしれんのう。
実は影武者?
それは創作じゃな。わしは影武者はもちろんおったが、あまり必要ではなかった。
わしが鯛の天ぷらで病に臥せった3か月のテキパキとした引継ぎを見ても、影武者にできるレベルの実務ではないことはわかるじゃろ?
武田信玄とやりあったときにうんこもらしたはすだけど、そのときの馬の様子を聞きたい
うんち漏らし達の聖地である増田に投稿したわけど、大先輩としてどんな気持ち?
実際の所、うんこ漏らしたの?漏らしてないの?
せ、戦国武将ならだれでも味噌玉を腰に巻いてたんだからねっ!(震え声)
馬はぶひひーんってゆってたゾ
てかお前らうんち好きすぎ
まあ三河武士が「知行などいりませんから徳川家のために!」という武士の鑑じゃったからのう。
豊臣ヒッデが気前よく大名に知行を与えまくって(例:加賀百万石)自爆したからのう。
大名はせいぜい50万石以下におさえて、天領(直轄地)は500万石になった。
三河は京都に近いが、駿府のほうが江戸と京都どっちにも移動しやすかったからの。
駿府でも三河の麦飯と八丁味噌をわざわざ取り寄せて食しておったぞ。
白米好きな侍女たちは半ばあきれておったがの。
66歳にして16人目の子どもである市姫(いちひめ)をもうけたときは、
「なんじゃ、ワシもまだまだ現役じゃん!」って自信がついたぞ!
静岡おでんを食いたくなったら久能山のほうに行くときもあるが、基本はそのときの気分次第じゃな。
うむ。民政家でゆうと二宮尊徳、藩政でゆうと上杉鷹山。幕政だと吉宗じゃな。
やつらは立派に儂の考えを理解して実行していたぞ。こっちに来たときは大いにほめてつかわした。
手紙とかでおじさん構文とか使うの?
わしはそれほど筆まめではなかったのじゃ。
ノッブ殿や信玄どのは教養があったから文章がうまかったようじゃの。
どちらかというと部下に任せることが多かった。
とくにラブレター系は苦手じゃった。
じゃから側室を口説くときは経験豊富な人妻をメインに攻めたぞ。
とりあえず鯛の天ぷらでもどうぞ
天ぷらの食べ過ぎに気をつけてね
結局天ぷらは何食うたん?
そなたらの気遣い痛み入る。
大坂の陣のあとの鷹狩で、シェフに「うまい天ぷらの具はあるか」って聞いたら鯛がうまいってことで、しばらくハマってしまったのじゃ。
油がよくなかったのかもしれんな。
良い質問じゃな。関ケ原が終わってもまだまだ不安定だったのじゃ。
あのときにキッヨとクロを島津征伐に送ってたら、寝返ったかもしれんからの。
井伊直政がうまくとりなしてくれて事なきを得たぞ。
寵愛していたナッオが関ケ原の鉄砲傷で亡くなったのは悲しかったのう。
衆道は以降きっぱりやめたぞ。
八味地黄丸じゃな。けっこう今の時代でも売ってるようじゃぞ。
66歳でもバリバリ現役じゃ!
大政奉還どう思う?
時代の流れじゃの。詳しくは晴天をつくの大河ドラマで北大路さんの演技で察してくれ。
儂は基本的に軍略も政治も信玄公と同じことをやったが、ワシは20年長生きしたから、
武田家の御親類衆VS勝頼どの側近、の対立構図にならなかった。
わしが早世してたら同じことになってたかもしれんのう。信康もおらんかったしな。
私はここ二十年ぐらい共●党に投票している。ただし党員でもないし、積極的に支持しているわけでもない。一人の市民として「反・新自由主義」の立場だから、それを意思表示しようとすれば他に選択肢が無いので、仕方なくそうしているというだけのことである。しかし、これは私個人の選択と行動であって、他人に押し付けるつもりは全くない。
リベラルまたは左派の野党政党/政治家に対する「弱者」からの支持が伸びないことについて考えた、n=1の私の個人的な意見を述べる。
結論から先に言えば、政党や政治家そのものよりも、その応援団を務めるマスメディアや知識人が悪い意味で目立ち、ネガティブなイメージを有権者に植え付けたことが大きな要因だと思う。簡単に言えば「あんな人間たちが支持しているということは、その支持対象である政党/政治家も信用できないのではないか?」という素朴な不信感である。
不信感の全てを列挙することは私の能力では不可能だが、いくつか例を挙げる。
= = =
(1) 自民党から民主党へ政権交代が起きた時、その直前頃には、テレビや新聞で盛んに「年越し派遣村」の話題を取り上げていたように記憶している。
しかし、民主党政権樹立を果たした年の年末には報道も下火となり、「年越し派遣村」の場所は非公開となり、利用者の姿や肉声もほとんど報道されなかった。
今でも当時と変わらない境遇で苦しんでいる人たちが大勢いるはずなのに、あれから年末のテレビや新聞も「年越し派遣村」あるいはそれに類する活動を、自→民政権交代前ほどには報道しなくなった。
マスメディアや知識人にとって、庶民の貧困問題は、自→民政権交代の起爆剤としての利用価値しか無かったのだろう。そのような不信感を抱かせてしまった。
(2) 鳩山政権は「最低でも県外」を合言葉にして、沖縄県の米軍基地負担を減らすことを明言した。当時、東京を拠点にする大手マスメディアや知識人も挙ってそれを支持した。
しかし蓋を開けてみれば、それは「九州の離島に基地負担を打診する」という「沖縄県以外の地方に負担を押し付ける」内容だった。「鳩山由紀夫が公約を守れるように、東京(あるいはメディア関係者や知識人の居住地)に米軍基地を誘致して応援します」と言ったマスメディア関係者や知識人はいなかったと記憶している。
沖縄県以外で米軍基地を負担している県の負担は「存在しないもの」として扱い、沖縄県以外の県には負担を押し付けても構わないとする、東京拠点の大手マスメディアや知識人の欺瞞が明らかになった。
念のために言っておくが、私の居住地は米軍基地を負担している。
(3) リベラルや左派が、庶民からの支持を集められたかもしれない機会が、過去に一度だけあったと思う。
それは、某俳優が「テレビは韓流コンテンツばかりだから、自分は見ない」と発言して、世間やマスメディアから猛烈にバッシングされた時である。
あの時、某俳優に対する反論の主流は「テレビ局が韓流コンテンツを流す理由は、制作費/人件費のコストを安く抑えられるから」というものであった。これは、おそらく事実であろう。
しかし、それは国内労働者の雇用喪失、国内産業の空洞化を招く道筋である。労働者の雇用を考える人間や団体ならば「民族差別には与しないが『国内労働者の雇用を守る』という意味でならば、私(たち)は某俳優の問題提起に賛同する」と意見表明をするべきであった。反・権力や左派支持の態度を普段はとっている芸能界関係者も、某俳優の発言当時は「国内労働者の雇用を守れ」とは言わなかった。
あの時は排外主義者たちが某テレビ局前でデモをしたようだが、もしも同じ頃にあれに負けないぐらい「国内労働者の雇用を守れ」というデモを展開できていれば、左派の存在感をアピールできたのではないだろうか。しかし、そうはならなかった。
「普段は、マスメディアや知識人は『反・権力』や『左派思想の支持』を訴えているが、いざとなれば労働者の味方になってくれないのではないか?」と、根深い不信感を植え付けてしまった。
実際、その不信感を裏付けるように、コロナ流行で芸能・演劇業界のブラック労働環境、搾取の実態が白日の下に晒された。
= = =
はてなブックマークでは、リベラルや左派を批判する声に対して「どうせ野党には投票しないくせに」と言われることが多いように思う。だから、野党に投票している人間の一人として思うところを書いた。
自民党の独り勝ちは健全ではない。そういう意味では、まともな政権運営能力のある野党が育つことが望ましいことには同意する。しかし、だからといって野党やその支持者への疑問や不信を飲み込んで黙り込むのも、同じくらい不健全であろう。
私自身はリベラルとも左派とも自認してはいないのだが、それでもリベラルや左派の考えや意見を読み聞きして、学ぶことも少なくない。(もちろん、リベラルや左派からでなくとも、学ぶことは多々ある。)学んだことのうちで、重要なのは「対話の可能性を諦めない」「他者に対するミニマムな信頼感を捨てない」といったことである。
これを目にした私以外の野党への投票者や支持者が何を考えて、どう行動するかまで私がコントロールする訳にはいかないが、何処かの誰かに届いて何らかの良い影響を齎してくれればと願う。
@sivad
すごいよなこれ…ワクチンロジを現に崩壊させてるのは自民だし、新型コロナ制圧に成功してるのは中国の方なのに、ポジショントークで中学生レベルになってしまってる。
@katukawa
立民政権だったら、モデルナもファイザーもアストラゼネカも確保できず、今頃、中国に泣きついているのが関の山でしょう
https://twitter.com/katukawa/status/1423856499990818823
https://twitter.com/sivad/status/1423867400487804932
私はここ二十年ぐらいに共●党に投票している。ただし党員でもないし、積極的に支持しているわけでもない。一人の市民として「反・新自由主義」の立場なものだから、それを意思表示しようとすれば他に選択肢が無いので、仕方なくそうしているというだけのことである。しかし、これは私個人の選択と行動であって、何も他人に押し付けるつもりは全くない。
リベラルまたは左派の政党/政治家に対する「弱者」からの支持が伸びないことについて考えた、n=1の私の個人的な意見を述べる。
結論から先に言えば、政党や政治家そのものよりも、その応援団を務めるマスメディアや知識人が悪い意味で目立ち、ネガティブなイメージを有権者に植え付けたことが大きな要因だと思う。簡単に言えば「あんな人間たちが支持しているということは、その支持対象である政党/政治家も信用できないな」という素朴な不信感である。
不信感の全てを列挙することは私の能力では不可能だが、いくつか例を挙げる。
= = =
(1) 自民党から民主党へ政権交代が起きる直前の頃には、テレビや新聞で盛んに「年越し派遣村」の話題を取り上げていたように記憶している。
しかし、民主党政権樹立を果たした年の年末には報道も下火となり、「年越し派遣村」の場所は非公開となり、利用者の姿や肉声もほとんど報道されなかった。
今でも当時と変わらない境遇で苦しんでいる人たちがいるはずなのに、あれから年末のテレビや新聞も「年越し派遣村」あるいはそれに類する活動を、自→民政権交代前ほどには報道しなくなった。
マスメディアや知識人にとって、庶民の貧困問題は、自→民政権交代の起爆剤としての利用価値しか無かったのだろう。そのような不信感を抱かせてしまった。
(2) 鳩山政権は「最低でも県外」を合言葉にして、沖縄県の米軍基地負担を減らすことを明言した。当時、東京を拠点にする大手マスメディアや知識人もそれを支持した。
しかし蓋を開けてみれば、それは「九州の離島に基地負担を打診する」という「沖縄県以外の地方に負担を押し付ける」内容だった。「鳩山由紀夫が公約を守れるように、東京(あるいはメディア関係者や知識人の居住地)に米軍基地を誘致して応援します」と言ったマスメディア関係者や知識人はいなかったと記憶している。
沖縄県以外で米軍基地を負担している県の負担は「存在しないもの」として扱い、沖縄県以外の県には負担を押し付けても構わないとする、大手マスメディアや知識人の欺瞞が明らかになった。
念のために言っておくが、私の居住地は米軍基地を負担している。
(3) リベラルや左派が、庶民からの支持を集められたかもしれない機会が、過去に一度だけあったと思う。
それは、某俳優が「テレビは韓流コンテンツばかりだから、自分は見ない」と発言して、世間やマスメディアから猛烈にバッシングされた時である。
あの時、某俳優に対する反論の主流は「テレビ局が韓流コンテンツを流す理由は、制作費/人件費のコストを安く抑えられるから」というものであった。これは、おそらく事実であろう。
しかし、それは国内労働者の雇用喪失、国内産業の空洞化を招く道筋である。労働者の雇用を考える人間や団体ならば「民族差別には与しないが『国内労働者の雇用を守る』という意味でならば、私(たち)は某俳優の問題提起に賛同する」と意見表明をするべきであった。反・権力や左派支持の態度を普段はとっている芸能界関係者も、某俳優の発言当時は「国内労働者の雇用を守れ」とは言わなかった。
あの時は排外主義者たちが某テレビ局前でデモをしたようだが、もしも同じ頃にあれに負けないぐらい「国内労働者の雇用を守れ」というデモを展開できていれば、左派の存在感をアピールできたのではないだろうか。しかし、そうはならなかった。
「普段は、マスメディアや知識人は『反・権力』や『左派思想の支持』を訴えているが、いざとなれば労働者の味方になってくれないのではないか?」と、根深い不信感を植え付けてしまった。
実際、その不信感を裏付けるように、コロナ流行で演劇業界のブラック労働環境、搾取の実態が白日の下に晒された。
= = =
はてなブックマークでは、リベラルや左派を批判する声に対して「どうせ野党には投票しないくせに」と言われることが多いように思う。だから、野党に投票している人間の一人として書いた。
自民党の独り勝ちでは健全ではない。そういう意味では、まともな政権運営能力のある野党が育つことが望ましいことには同意する。しかし、だからといって野党やその支持者への疑問や不信を飲み込んで黙り込むのも、同じくらい不健全であろう。
私自身はリベラルとも左派とも自認してはいないのだが、それでもリベラルや左派の考えや意見を読み聞きして、学ぶことも少なくない。(もちろん、リベラルや左派からでなくとも、学ぶことは多々ある。)学んだことのうちで、重要なのは「対話の可能性を諦めない」「他者に対するミニマムな信頼感を捨てない」といったことである。
これを目にした野党支持者が何を考えて、どう行動するかまで私がコントロールする訳にはいかないが、何処かの誰かに届いて何らかの良い影響を齎してくれればと願う。
人心を鎮撫して安寧秩序を回復し住民の生命財産を保障するの義務がある。嘗て日清戦役の際は戦局の進展に伴ひ、第一軍は先づ安東縣に民政廳を置き、次いで海域に海域善後公署を置き、又營口民政署を置いて軍政を司らしめ。第二軍は金州城を陥るゝと同時に金州城行政廳を置き、次いで旅順口行政署を置き、更に蓋平、復州、貔子窩に各行政署を起き金州城行政廳長官の式に属せしめた。日露戦役の際には樞要の地に軍政署を置き、軍政委員を任命した。後遼東守備軍の編成により遼東守備軍行政規則を發布して軍政委員を統轄せしめ、租借地内にては殆んど全部の行政を擔當せしめ、租借地意外にては普通民政は清國官憲に擔當せしめ、軍政委員は軍隊の便益を図り、傍ら地方官憲監督の任に當らしめた。後遼東守備軍復員により租借地には民政署を置き民政長官を任命した。
戦闘部隊の前進に随ひ占領地域は益々擴大さるゝが故に機關を設け軍政を司らしむる必要あるは明かなるも、前述の如く領土の性質曖昧なるにより、其の権力の行使は必要以内に止め成るべく其の地方の法規慣習を尊重して事に當り、又地方住民をして自治的の行動を採らしむるを要す。而して第三國人の關係に就き特に細心の注意を拂ひ、無益の國際問題を惹起せざるべく努むべきである。(八月二十八日稿)
<五六>
『外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56
篠田治策
明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言の形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒の形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面に於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府の公文にも新聞紙の報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争、日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵、上海出兵、満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである。
此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府の公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより
<四七>
宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後の通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三日ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成を注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である。二十三日は我が陸軍の部隊が上海附近に上陸を開始した日である。即ちハル長官も現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府は最初に宣言したる事件不拡大の方針を余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官は支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである。
我が國の國内法に於いては事變と戦争を区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。
即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務を負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場に於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統的武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人に
<四八>
対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場に於いて事變と戦争を区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反の問題を生ずることは殆んど無いのである。
従来我が陸軍は戦場に於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者を従軍せしめたのである。日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。
東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法の理想に於いても欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州に於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力を覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般の利益として祝す可き所なり。
又仏國の國際法学者ポール・フォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。
此の戦役に於いては日本は敵の万國公法を無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本の軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜の支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま
<四九>
ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用の苦痛を醸すべき兵器を使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産を保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民の租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。
日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別の任務を以て米國に派遣せられた法学博士男爵金子堅太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。
米國人は事實の真相を調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料を蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用は参謀部に於いて國際法専攻の学士と協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法を提唱す日本政府の決心は露國は大國なり腕力に於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す
<五〇>
る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争に日本が國際法を破りしことあらば世界の歴史に汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エール・ハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者を従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。
世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏が従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつて組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面の事務に従事したるも、亦國際公法の適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)
過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである。
唯だ、陸戦法規の適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土の性質である。假りに之れを中華民國
<五一>
の領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力を行使すべきか、又南京政府の官吏は既に逃亡し、地方の民衆自ら自治政権を樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である。
宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合に於いて、北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政を施行し治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府の領土となりし場合には、其の地域に行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである。
日露戦役の際は戦闘の地域に性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土と遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍の権力を行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸後直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立を宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域に活動したるも、其の権力の講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。
今回の北支事變に於いても、其の交戦地域の領土の性質が曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参
<五二>
考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。
従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交に政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規の適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後の政治的工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官に禁止事項の外は自由裁量の余地あるかは明かである。
陸戦法規の條項を北支の事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍の名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領地住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである。
凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊の安全と作戦動作の便益を図るが為めに、無限の権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊の安全と作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般の安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業に従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方の官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序を回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の
<五三>
軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限の権力を以て此等の犯罪者を厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般に公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領地人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州軍総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの総司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部は特に詳細なる規定を發布し、旅順口海軍鎮守府も別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。
軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるものは死刑に處すると原則とすべきである。
四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者
<五四>
六、一定の軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)
九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者
而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地に於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民に冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官の臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである。
帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支を侵略して我が領土となすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊を駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民が自治政権を樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方は一時的にもせよ事實上我軍の占領地である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり、永久に之れを占領するの意思無きが故に此
<五五>
我軍が一時的なりとも北支地方を占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41
安倍政権を批判すると民主支持者なんだとかアッチなんだ、みたいに言われるけど、全然ピンと来ないんだよな。
気にいらない政策を批判してるだけで立憲が同じことしたって絶対叩くし。みんな大体そんなもんなんじゃねぇの?
でも民主党政権もいうほど悪くなかったみたいなコメントが最近は素晴らしかったくらいまで肥大しててそれはそれでマジかよって感じがあるので、あの辺の人たちは今とは逆に政権を擁護する感じになるのかな。マスクを神棚に飾るとか言ってるのはドン引きだけど汚損してネットに上げるのも引くわ。枝野は不眠不休で頑張っていたのが伝わってきたが安倍はすやすや寝てるから、とかさぁなんか気持ち悪いんだよ。あぁもちろん安倍信者のネトウヨどもは論外だぞ。あの辺はひどすぎて見たらゲボ吐くんで本気で避けてるから見ずにすんでる、でも最近はてブでもそういうキショい物言いが増えてきてこっちも見ないようにしないといかんのかなって感じ。
4日目
慣れてしまえばどうって事ない
目を覚ましてカーテンを開けると、結露のモヤの向こうに広島の晴天が広がっていた。
窓の外には気持ちの良い冷気があるのだろう。
東京から南に移動したとはいえ、同じ日本なので11月の気候にそれほど大きな違いはない。
今日がこの旅では広島で最後の朝、昼には新幹線で博多に向かう。
初日に否定的なレビューをしてしまったホテルだが、古い設備もバストイレ別の狭い部屋も慣れてしまえばどうということはなく、フロントは丁寧だし、サウナも使えるし、立地も便利だしで、これで1泊あたり3,500円ならコスト分の満足は超えていると思う。
実際、2泊通してフロントには出張族と思しきスーツ姿やツナギを着た現場仕事の兄ちゃんが引っ切り無しに訪れており、底堅い需要の存在を感じさせた。
洗い場の排水も改善された大浴場で朝風呂を浴びてホテルをチェックアウト、清涼な空気を吸いながら、遠回りして広島駅へ向かう。
と、スマホで地図を確認していると、広島城が案外近い事を発見した。
平和記念公園と宮島で観光の時間を使い切ったと思ったが、この距離なら新幹線の出発前に回れそうだ。
江戸時代以前の城は火災や戦争などで城そのものは失われてしまっていることが多いのだが、広島城は戦後、天守閣が復元されており、中は歴史博物館になっていた。
海運の要衝として発展した広島の歴史、築城した大名、城内や城下の暮らしなどの展示を見た後、登っていくと、ショウケースの中に幾振もの日本刀がその刃に輝きを湛えて横たわっていた。
チェックアウトの前にニュースサイトをチェックして目に留まった件がある。
全米ライフル協会が医師の発言を揶揄するツィートをした事に、医師たちが猛反発し、抗議のツィートが全米で広がっているというニュースだった。
全米ライフル協会のツィートには「なんでこんな無神経なことが言えるのだろう」と、瞬間 疑問に思った。
アメリカの選挙に影響を与える資金力が良く話題になる全米ライフル協会だが、それを支えるのは「銃を持つ事を肯定する思想と無数の感情」だろう。
アメリカは「政治が暴走した時に民兵が蜂起して正しいアメリカを取り戻す」という思想の元、市民の銃の携行が権利として認められているという。
でも、そういった政治思想より「銃を取り上げるな」という感情が個々人の心になければ、銃の携行はここまで生きた頑強な権利として存在し得ないと思う。
銃社会でない日本にあって、その想像は難しいと思ったが、日本刀を説明する時「侍の魂であり、日本の誇るべき美の結晶」という様な言われ方をするのを考えれば、わかる気がした。
アメリカで銃が民政の象徴として説明される様に、日本刀も忠義や克己の象徴として思想的な説明が試みられる。
しかし、銃も刀もその道具としての核心的機能は「暴力の行使」だ。
「自分を脅かすものや気に入らないものを暴力で排除できる」という自信が携行を望む個人の心の核心にあるのだろう。
侍の帯刀も銃のオープンキャリーも「それを取り上げられたくない」という感情の根は共通である様に思う。
ただ、それを本当に人に向けるとはどういうことなのだろう。
日本刀の分類上、刃渡り60cm以上は太刀や刀に属するという。
展示のそれを見てもはっきり言ってリアリティがなかったが、すぐ側のショウケースの中にある脇差や小刀は普段料理に使っている包丁と大した違いはない。
「これを人に向ける?刺すのか、これで?本気か?」
膝がすくみ上る気がした。
俺には無理だ。
だけどすぐに次の言葉が心に浮かんだ。
「きっと、慣れてしまえばどうということはない」
話を聞いていて、あれっ、と思った。
こちらがもう少し掘り下げてみると、やはりと言うべきか、次から次へとボロが出てきた。
投票に行く、行かないこと自体は各々の思想信条があるから問うつもりはない。問題はその後。
せっかく興味を持っているにも関わらず、新聞や雑誌、書籍など他のメディアに目を通していないのは勿体ない。
なぜ政治家ではなくてコメンテーターなのか。コメンテーターは政治家の代弁者とでも思っているのだろうか?
彼らはあくまで私見を述べているに過ぎない。政治家とは違って自身の発言が現実と食い違っても責任問題にはならないだろう。
選挙がいつも「郵政民政化!」「消費税10パー!」みたいに争点が明確なものばかりじゃないでしょ。
政治に何を期待しているかによって違うんだろうけど、基本的に時間がかかる性格のものなのでは?
極端な話だが市役所のハチの巣駆除みたいに数日で解決する問題もあれば、国の空港建設みたいに環境アセスメントやら地元住民の説得やら数十年単位でないと目に見える成果が出ないものだってあるわけで。
今まで列記した点をどれも思いつかなかった時点で、残念ながら問題意識が乏しいと言わざるを得ない。
おそらくこの人とは一生分かり合えないんだろうなとは思ったけど、これだけ生半可なオツムの有権者が一人減ったことでどこかホッとした自分もいる。
https://www.j-cast.com/2017/05/11297639.html
高橋洋一先生は、安倍さん応援団の典型で、彼のどんな態度も肯定的に解釈してしたり顔で解説されている方ですが、この記事の通りなら安倍さんは今まで一体何度憲法尊重義務を怠ったことになるんでしょうね。擁護の仕方が下手くそすぎますぜ。
福島みずほ議員の戦後レジームからの脱却の意味を問われた際の答弁
憲法改正についてのお尋ねがありました。
現行の憲法は、日本が占領されている時代に制定され、六十年近くを経て現在にそぐわないものとなっております。そのため、私は、私たち自身の手で二十一世紀にふさわしい日本の未来の姿あるいは理想を憲法として新しく書き上げていくことが必要であると考えています。
舛添議員に、集団的自衛権は憲法改正で認めるべきではないかと問われて
二十一世紀にふさわしい私は日本の国づくりを始める中において国の姿、形、理想を示すものは憲法であります。その憲法を私たち自身の手で書いていくということが求められているのではないかということを総裁選を通じて申し上げてきました。自民党総裁としてこの憲法改正を政治スケジュールにのせていきたいと、このように思っております。是非また自民党、また与党、また国会において更に議論を深め、また国民的な議論を行っていただきたいと、このように思います。その中では、まずは手続法である国民投票法案がこの国会で成立をすることを期待をしています。
これなんか、自民党総裁としての立場で述べたことをまんま喋ってるし、この後もえんえん持論を語られてますぜ。
篠原孝議員に、憲法審査会の議論を差し置いて、96条の改正を連呼するのは、横道からのアプローチでふさわしくないんじゃないかと指摘されて
まさに私はさまざまな課題に正面からぶつかっているつもりでございまして、憲法改正についても、では、なぜ九十六条かということであります。
九条は憲法改正の要綱でありますが、憲法改正をするために今、三分の二の発議が必要でありまして、これは、衆議院、参議院、それぞれであります。これはいわば極めて高いハードルだというふうに考えているわけでありますが、その後に国民投票に向かうわけであります。
これは、明治の欽定憲法も昭和憲法も両方とも国民投票は経ていないわけでありますし、国民投票と同時に、いわば衆議院の解散を行って憲法改正ということを問うたわけではなくて、まさにGHQの占領下にあってこれはできたものでございます。
そこで、では、なぜ九十六条かといえば、三分の一をちょっと超える人たちが反対をすれば、たとえ国民の六割、七割が変えたいと思っていても、国民投票すらできないのはおかしいではないかという問題意識であります。
松野頼久議員による、維新が積極的に改正を求めてるのに、与党が積極的でないのが困る、との質問に対し
国民投票制度のあり方については、憲法の改正に対する国民の主権行使に関する、いわば憲法改正の土俵とも言えるものであります。
私は、与党のリーダーシップにより、各党各会派での議論を加速させ、国民に責任ある提案がお示しできるよう、早期に結論を得てまいりたいと考えております。
はい、あきらかに与党最大の党の総裁としてのリーダーシップを約束された答弁ですね。
同じく維新の小沢鋭仁議員の、他国に比べて改正回数が少ないことを受けて、憲法改正の必要性についての総理の見解を聞かれて
法というのは、国の形、あるいは未来、そして理想を語るものであろう、このように思うわけであります。
私は、従来から憲法改正を主張してまいりましたが、その理由として三つ挙げてきたところでございます。
一つは、現行の憲法は、やはり、いろいろな議論がございますが、基本的に占領軍の強い影響、同時に、原案については、事実上、占領軍がつくったものであるということであります。
そして二つ目は、もう憲法が成立をしてから長い年月がたちました。時代にそぐわない条文もございますし、新たな、大切な価値観、権利も出てきているわけであります。
そして三つ目は、やはり私たちの国の憲法は私たち自身で書いていく、この精神こそ未来を切り開いていくんだろう、こう信じるからでございます。
はい、主語私ね、個人の見解をはっきり述べられておりますな、占領軍が作ったから、という理由を述べることが憲法尊重義務をしっかり守られて、議会での発言が縛られている方のご発言ですね。勉強になる。
また、憲法改正に関する委員の御提案でございますが、ちなみに、自民党案においては、一昨年、谷垣当時の総裁のもとでつくられた自民党案によれば、第九章、一章を割きまして、自民党案の九十八条において、緊急事態の宣言を行うという項目があります。そして、九十九条において、緊急事態の宣言の効果について書き込まれているわけでありまして、自民党としては、憲法を改正した際には、しっかりと緊急事態について章を割くべきだという考えを持っているわけでございます。
はい、自民党としての見解を開陳されてますね。さすが、党総裁としての立場と政府の総理としての立場を明確に分けられているお方は違いますな。
大串博志議員が、総理の対談集の中で、GHQによる押し付け憲法だから変えなければならないというような発言をしていることを問いただしたことに対して
これは幣原喜重郎内閣でございましたが、ここでいわば憲法をつくるということになった。そこで、松本烝治氏が担当の大臣になって、いわゆる甲案、乙案というものをつくったんです。それを、先ほど新聞名が挙がりましたが、毎日新聞がスクープしたんですね。西山柳造という記者がこれをスクープしたわけでございます。それを見てGHQがこれは絶対に受け入れられないという中において、ホイットニー当時の准将がケーディス氏に、民政局の次長に指示をして、約八日間で二十五人の委員でつくったのは事実だろうと思います。そしてそれが草案になったところでございます。
そこで、私が大切にしているところは、やはり私たちの憲法なんだから、この中においてもちろん、平和主義、国民主権等々ありますよ、基本的人権、そうしたものは守っていかなければいけませんし、これは貫いていく必要があるんだろうと思います。それは私も今まで評価もしてきているわけでございます。
ただ、形成過程がそうであったという事実は私たちはしっかりと直視をしなければいけない。歴史を直視しろというのはそういうことなんですよ。そういうものもしっかりと直視しながら、そこで、では、私たち自身の憲法なんだから私たち自身がしっかりと考えてみようじゃないかという精神を失ってはならない。
指一本触れてはならないと考えることによって思考停止になる。思考停止というのは、これは悪い影響だと思いますよ。思考停止になってはならないんですよ。みんなでやはり考える。考えた末、このままでいこうということであれば、それはそれでいいわけですよ。考えることすらだめだ、天から降ってきたんだからこれはもう変えられないということにはならない。
この後でもいうんだけど、基本的には安倍さんは、与党とか維新に聞かれると自民党としての立場でもほいほい答えるんだけど、民進とか社民とかに聞かれると、「私は総理だから個々の事には答弁しない、党としての案は自民党草案をみろ」って言って答弁拒否してたんだけど、今回自民党草案と全然違うこといっちゃったからいつものセリフが言えなくて、自民党草案を見ろ、の代わりに読売新聞を読め、とこう言っちゃっただけなんだよね。それがどういう風にまずいのかも多分本当の意味では理解してないと思う。それに第一次とか第二次の最初の頃のねじれが残ってたころだと、聞かれたら一応答えて、今ほど答弁拒否はしてなかったので、単に支持率が下がらないからゆるみきって、野党、特に民主、民進をひたすらバカにする態度をあからさまにしてきてるだけだよね。