はてなキーワード: 補償とは
anond:20250403140122 を見て、事前チャージが必要で有効期限が設定されている電子マネー (キャッシュレス決済) はどのくらいあるのか気になったのでいろいろ調べてみた。順番はKyash以外適当。
リンクは貼ろうと思ったが貼りすぎると日記が登録されないというはてな匿名ダイアリー特有の問題があるのでやめた (はてなブログだったら貼れるが) 。
あと、この記事を書いている間に先をこされたけど、記事を確認したら調査していた会社がほとんど違っていたから、そのまま投稿することに。
上記投稿でも話題になっている通り、最終使用から6か月で消えることが書いてある。
最終使用から10年で消える。ただし、残額自体は保持されており、駅の窓口で手数料を残額から引いたうえで再発行や払い戻しができる (古いカードは回収になる / 手数料より残額のほうがすくない場合はそのぶん割引されるため残額以上の請求はされない) 。
Suicaが10周年 (2011年) のとき、JRの駅に10周年記念ポスターが貼られていたが、そのとなりに10年間未使用のSuicaについての注意喚起ポスターも貼られていたのをおぼえている (おそらくセットだったのだろう) 。
東京駅記念Suica (2016年3月までに発行) も1度も使用していない人は2026年3月に最初の有効期限がくるので注意。
Suicaにかぎらず交通系は10年がおおいようなので、10年に1回はチャージするか電車やバスに乗るか買い物に使うかをしたほうがいい (1円でも変動すればそこから10年延長される) 。ただし10年未満でも長期間使用がなかった場合ロックがかかる可能性があるので、その場合は駅の窓口でロックを解除してもらう必要がある。
楽天Edyに有効期限はない。ただし、紛失や盗難などによる補償もいっさいない (スマートフォンは除く) ので、なくさないように注意が必要である。
ちなみに、楽天Edyオンラインは4年。楽天に限った話ではないが、名前がおなじ別サービスはやめてほしい。
いっぽう、楽天キャッシュは10年間。Edyは無期限なのに...。
有効期限はない。クレジットカード一体型はその有効期限までと書いてあるが、これはWAONに限った話ではなく、どの電子マネーでも同じ。
残額に有効期限はないが、ポイントには有効期限がある。ポイントははやめにチャージに使用するのがおすすめ。
有効期限はない。スマートフォンの契約キャリアがMVNO (格安スマホ) ではないのであれば、キャリアと決済サービスをそろえるのが利便性の面ではおすすめ (docomo = d払い・au = au PAY・SoftBank = PayPay) 。
PayPayという名前は個人的にはセンスがないとおもうから、LINEヤフーの統合ではLINE Payのほうが生き残ってほしかった (d払いユーザーなのでどっちも使っていないけど) 。
最終使用から10年。ただし、Tマネー かざして支払い (iDで支払えた) が終了、ファミリーマートも (ファミペイ移行促進のためなのか) Vマネーとの提携をみなおしたため、使いづらい電子マネーになってしまった。
それはそうと三井住友銀行はOliveの磁気ストライプ部分にVポイントカードの機能を内蔵すべきだと思う。dカードは (dポイントカードを除き) すでにそうなっていて、ローソンのセルフレジはポイントカードのスキャン方法を「カードをスライド」「携帯・スマホをタッチ」(NFC部分にもポイント機能が内蔵されているため)「バーコードを読み取り」のどれを選択しても、dカードをスキャンすることができる。
あと、せっかくVマネーになったのだから、Tマネー時代にiD加盟店で使えたのも復活してほしい。
3年。最終使用日基準ではなく、残額ごとに有効期限が設定されているというややこしい仕様。dポイント (付与から24か月) もそうなのだが、dポイントは7月から最終使用日から12か月に変更される (のでしばらくdポイントをためたりつかったりしていない人は注意) 。磁気のQUOカード (有効期限はない) はたまにもらうけど、QUOカードPayはローソンのキャンペーンでもらったきり。ややこしいから統合してほしいのだが。
それはそうと、QuoカードPayのヘルプページはSafariだと表示されない気がするけど、自分だけなんだろうか。検索結果のプレビューに表示されたおかげで有効期限を確認できた。
ANA Payはコード決済だけでなく、Apple Pay・Google Payに設定すればVisa (通販含む) やiDの加盟店でもつかえるので、使用はしやすい。Androidのタッチ決済でVisaとiDの両方が設定できるカード会社はすくない (iOSはそこそこある) なか、ANA Payは両方できる。有効期限がある電子マネーは、加盟店数も考慮してえらぶべき (加盟店数が大幅減少したVマネーは例外中の例外なので基本的に減少はよく使用する店舗以外気にする必要はない) 。
ANAはVisaとiDなのに対して、JALはMastercardとQUICPayになっている。AndroidではQUICPayのみなので、Android民はANAのほうが若干ではあるが使用可能店舗数が増える。これはおそらく日本だとGoogle PayよりApple Payのほうがはやく普及したためによる加盟会社の差であろう (Androidにおいてはおサイフケータイ (や先月開始したSamsung Pay) と競合になってしまうため) 。
カードの有効期限 (種類にもよるが5年がおおい) で失効するが、有効期限の1年前以降に使用した実績がある場合は更新カードの発行対象になり、新しいカードの有効期限まで延長される。
発行から365日 (1年) 。発行からってことは残額ごとに有効期限? (つかったことがないので詳細は不明)
はてなもかつては有料サービスの決済ははてなポイントに事前チャージして使用する方式だった。現在はクレジットカードによる直接決済に対応したため、2023年6月に廃止、クレジットカード以外の決済手段 (銀行振り込みやキャリア決済など) が選択できなくなった。クレジットカードを持っていない人は...。なお有効期限は最終使用から1年間だった。
https://hatena.co.jp/shikin
そのほかにも各種サービスで記載があるので、利用規約や資金決済法に基づく表示などはよく読んでから使用したい。そんなの面倒だというなら、残額が無期限である楽天Edy・WAON・nanaco、コード決済ならキャリアが提供しているPayPay・d払い・au PAYだけを使用するのがいいと思う。
コード決済がここまで乱立しているのは、おそらく加盟店側の導入コストの低さ (ユーザーに金額を入力させる方式ならクレジットカードやタッチ決済とはことなりレジの交換が不要) が影響しているのだろうが、使う側にとっては...。
✅ **資本は自己増殖を目的とし、人間社会のために存在しているわけではない。**
✅ **分配を拒絶する資本は、購買力を奪い、経済を破壊し、社会を不安定化させる。**
✅ **このままAI時代に突入すれば、「資本は人間の生活を奪うが、補償はしない」という最悪の未来があり得る。**
「令和の百姓一揆」の運動を見ると、「考えがちょっと浅い」と感じるのは分かりますね。要求が感情的で具体性に欠ける部分があって、昭和の市民運動やそれ以前の歴史的な動きに比べると、鋭さや深みが薄い印象を受ける。
昭和の市民運動(60年代の安保闘争や公害反対運動)や、江戸時代の百姓一揆とかと比べると、確かに鋭さや覚悟が違った:
例: 1960年の安保闘争や三里塚闘争、公害反対(水俣病とか)。
「令和の百姓一揆」は考えが浅く見えるのは、トレードオフを避けて具体策が薄いからで、昭和の市民運動や江戸の一揆に比べると鋭さや深みに欠けるのは事実。昔の方が命がけで、敵も戦略もハッキリしてた分、説得力があった。
消防、警察、国防、どの公益的職業も肉体・精神に大きなリスクをともなうものだが、志願してその職業に就くものだ。
これらの職業で大けがを負ったとして、その補償を加味せずに平等を論ずることができるか?
ついでに、産もうが産むまいが人類の繁殖機能を維持するためには半数の人間は母体としての機能とそれに付随する肉体的負担を背負わされる。
男性についての「自身に責のない事情や持病」はあくまで個人(と関係者)に帰する事情でしかないが、
女性についての「自身に責の無い事情や持病」要するに出産や生理は、人類社会や民族を維持するのに必要な形質だ。
つまり人という種の構造自体に帰する事情であって、それについての不利益を背負わされている事への補償はあって然るべき。
その補償を上乗せした状態を基準点として男女平等を評価する必要があるのでは?
逆に言えば、男性の場合の「自身に責の無い~」も、それが民族や社会維持に関わって負った不利益(兵役や社会発展に伴う公害とか?)であれば、補償を上乗せされたところを基準として平等を求めてよいのでは?
一週間後に病院に行った。会社はけてぎりぎりという感じの時間の予約だった。だいぶ焦った顔して診察室に入ったからか「急いできたの?」と看護師さんに問われる。
「ちょっと急ぎました。若干小走りになったんですが、走らない方がいいですかね」ときき、「いつもどおり、いつもどおりで大丈夫」と答えてもらった。
(前回食べ物について医院の方に聞いたのは、まずネット検索しよ、よりも、ここにいる医療者の人にきいたほうが情報として確かだろうと思ったからです。そこになにかひっかかってらっしゃった方がいたようなので)
「つわりはじまった?」と開口一番先生にきかれ「はじまってません」と答えたら先生は若干目を見開き、「あそう? じゃ診察いこう!」とにこっとした。
内診にて先生に「心拍でてるよお」と告げられた。私は思わず「おお、そうですか」みたいなよくわからない返事をしてしまった。だってほんとうに、よくわからないのだ。一番近くにいると思しき私にすら見えもしない、世界一に近いくらい小さいであろう心臓が、私にすら今は聞こえない小さな鼓動を打っているらしい。そうか私も、みんなも、生きとし生けるすべての人たちはみんなここからはじまったんだなと思った、事実として。
今、私にも心拍があり、胎児にも心拍があり、まるで一人なのに二人のようでもあり、ひとつのようなのにふたつの心拍があるらしいその事態を、飲み込めていないような、いるような、今までになく心細いような、身の内から励まされて心強いような。とにかくただ不思議であって、心の底からまるでよくわからない気分だった。これはいまもって言葉にするのがとても難しい。いつかうまく言葉に、文章にできるだろうか、まだわからない。そういうことを考えている間も、私は内診台でスカートをたくしあげたまま股を開きっぱなしであり、その股座には機械が入っており、先生は胎児のいい感じの写真を撮ろうといろいろ工夫してくれていた。
私の赤ちゃんのころのアルバムにもエコー写真が貼りこんである、子どもの頃それを見て「全然わからんこれが私と言われても」と思っていたが、あれも産科の先生の渾身のナイスショットであったのかもしれない。私の人生初の超いい写真だったのかも。
頭に去来することも、置かれた状況も、どうにもちょっとシュールだ。何せ股を開いたまま進むことや会話が多すぎる。これが妊娠なのか、とも思った。
先生にも看護師さんにも「よかったよかった」と大変喜ばれた。やはり心配されていたらしい。夫につげてどうたったかというのを看護師さんにきかれて、ほんっとうにめちゃくちゃ驚いていました、と率直に告げた。私たちはそうだった。
前回予定日は10月8日と言われたが、10月5日に変更になった。三日早まった。そのへんの機序もよくわからない。
先生は看護師さんに「ダクチルもう出せる?」ときき、看護師さんは先生に「週数的には出せます」と答えた。「流産どめの薬を出すからね、次の診察まで飲んでてくださいね」と言われた。井之頭五郎ばりに「そういうのもあるのか!」と思っていると、看護師さんには「つわりでよっぽどつらいとき以外は服用してください」と言われた。薬ものめなくなるほどのものなんだ…。つわりやばいじゃんマジ…。
そうしてその日の診察で妊娠届出書を手渡され、次の診察までに母子手帳をもらってきてくださいね、と言われた。ぼ、母子手帳…!! は、母と子の手帳…!!(なんも言ってない)。
母と子の手帳…!! という、中身のない衝撃でぼけっとしている私の顔色を見た先生は私にこう説いた。
「母子手帳は、妊娠しないともらえないものです、それはあなたが妊娠したというあかしです。だからこの先、何があってもね、たとえ無事に産むことができなかったとしても、ずっと大切にもっていてほしい」
なんなら私の棺桶に入れたほうがいいくらいの雰囲気まであった。そのときの私は、先生のこの言葉について、ハチワレくらい「ぜんぜんわかんないっ!」感じであった。それかあの、ほら、あれあるじゃん『小鳥に説教をする聖フランチェスコ』。あれ、小鳥も多分言われてることわかってないでしょ、餌かなんかもらえると思ってよってきただけでしょと思ってんだけど、あの(私の思う)小鳥たちみたいな感じの受け止めであった。まさに鳩に豆鉄砲というおもむきだったが、これは単に、まだ母子手帳の現物も見てないし、先生の言説への咀嚼が追いついていないだけと言う感じもするなと思ったので、その場で「ぜんぜんわかんないっ!」とは言わずに「わかりました」と言った。このあたりのことはまたあとから書く。
そうしてその日も「おめでとう」「おめでとう」と口々に言われながら私は診察室を出た。
前回は有史で言えばエヴァンゲリオン以来だったが、今回は先週の診察以来だった。おめでとうのことばは前回よりも確からしいものになっていた。
翌週の水曜日、役所と会社員の稼働時間はほぼまるかぶりなので、会社を少し早退させてもらって母子健康手帳を受け取りに行った。母子健康手帳ってマジで名前の圧強い。同じ部署(課)でも1Fと2Fで係が細かくわかれているらしく、まず1Fをのぞいていたら、親切な職員さんに「なんの手続きにみえましたか」と声をかけられたので「母子手帳を交付してもらいに来ました」と告げた。するとハッとした感じで、2階に行かれてくださいと教えてくれる。
2階も広大であり、係によって番号札がいったりいらなかったり。母子手帳を交付してくれる係は番号札がなく、それがちょっとめずらしかったのもあって、かなり所在なく待った。あの番号札、待つという行動に根拠を与えてくれるものなのだな…。あまりに所在なさそうだったからか、窓口の中から人が出てきて声をかけてくれて助かった。
記入書類はけっこうあって、生活環境や困りごと、不安、里帰り出産するか、周囲に協力してくれそうな人はいるか、などと細かいアンケートを書き、そのアンケートをもとに保健師さんの細かいヒアリング、出生前の保健師さんの訪問についての下打ち合わせなどもあった。手帳現物が出てくるまでが長かった。
秘仏開帳くらいの厳かさで出てきた母子健康手帳は一冊だけではなく、付随する冊子が大量にあったし、出産後の検診につかう書類も多量に含まれていた。出生届も、子どもの歯によきタイミングでフッ素塗る券まで入っていた。まだ心拍でてますぞくらいのタイミングなのに、もう歯が生えて以降のものまで入ってるのか。フッ素か。今このタイミングを逃すと、もう渡すタイミングないぞという迫力で、遠い未来に使ういろいろなものまで渡されるものだということを知った。
帰りにはじめて入るうどん屋によった。そのときはただ、他人が作ったうどんが食べたかった。老夫婦で営んでいるらしいうどん屋、他に客はない。調理場ののれんの向こうに二人ともいて、いくら声をはってもでてきてくれない。たぶんきこえてない。あきらめようとしたそのとき、のれんの隙間から女将さんと目が合った。夫婦はのれんの向こうで「だ、誰かおる」「だれかおる」と驚いたように言い交わしはじめ、私は、「えっ誰かもなにもこの状態で客以外にある?」と思っていた。かつて、ふたりも、私も、みんな小さな心臓だった。子どもを授からなければ、このタイミングでそんなことを思わなかっただろうなと思った。うどんはおいしかった。もちもちしていた。さっそく薬を飲んだ。産めるかどうかまだどうにも自信がないのに。
家に帰ってひとつひとつの書類や冊子を確認していたら、渡された紙袋の底から、最後にころりと「お腹に赤ちゃんがいます」のキーホルダーが出てきた。自分からもっとも遠いところにある事象のように思っていた。「お腹に赤ちゃんがいます」ということ。
次の診察では胎児は2,5センチになっていた。先生は「ああ、安心した。安心した。一番危ないときだったからね、ほんとうに安心した。一安心」と喜んでくれた。つわりの有無をきかれたが、「気分が悪いときが多いのですが、盛大にもどしてしまうようなものは一向にありません」とつたえた。おそれているけど全然こない。吐き気は、たった一日、朝の通勤時にものすごく酷いときがあったが、地下鉄の駅だったのでトイレまでこらえないと…と思っているうちに収まったという程度だった。そのあとおにぎりをモリモリ食べた。
朝夕や空腹時はかなり気分が悪く、眠たい時間があまりに長く、お腹が痛いときもある。イチゴの香料やトイレの芳香剤の香りが異様に臭く感じて不快。けれど多分これは症状が軽い方なのだなと思っている。
それでも気分がひどく悪いとき、だるいとき、お腹の存在に向かって「ちょっとだけ大人しくしてておくれよ」と心中声をかけることがある。夜寝る前に「もう寝ようか」と声をかけることがある。
あれよあれよという間にときがたっている。お腹にいる人らしきものは、今日まで元気でいた。先生はまたも「ああ、よかった。安心した。これでほんとに一安心」と言った。多分、妊娠している生活というものは、無事に産むことができるその日まで、一安心がこうやってなんどもなんども、無数に積み重なっていくものなのだろう。
「ああ、動いてるね」と先生は言う。「見える?」ときかれたが、例の「やってる?」的なあのカーテンのせいで見えなかった。が、私はもう「見えません」とは言わず、自分の手でカーテンをあけてモニターを見た。やってるのかはいまも正直わからない。ただ、やってなくは決してない。
私はモニターを見るなり「人だ。人ですね。人になってますね」と言った。ちょっとまえまで「いくら」だったのにね。
4,8センチ、と先生はおっしゃっていた。レターパックライトだと送れない厚みになったな…と思った。先週まではライトで送れる厚みだった。
人、それそのものとわかる体の輪郭の中で、心臓がひどくはやく動いている。小さいけれど形が確かになってきた、まさに心臓、というべきものだ。心臓と言うほかにすべがないもの。私は今後「心臓」ということばをきけば、きっと今日見たその姿を思い出す。そうして、手足というほかにすべがないものが、ときどき、ぴくぴく動く。
「背骨も見えてきたね、背骨に奇形はないね」と言われ「この時点でわかるものですか」と率直な驚きを告げてしまった。
先生が例のごとくこだわりの写真を撮ってくれる間も「人だ、人だなあ」と私はつぶやきつづけた。まだ目鼻も立ってない、でも頭がある、胴体に背骨が通った、心臓がある、手足がある。ああ、かわいいな、と思った。自分のエコー写真見て「これが私?」とかかつて思ってた私でも、打ち続ける心臓を、たまに動く手足を、まるまった姿勢を、その全部が黒と白であるまだらの影を、とてもかわいいと思った。
「今はお休みの時間みたいね」と言われた。そんなことまでわかるのか。
そして「今日はおりものをしっかりとるからね!」とごりんごりんに採取されたあと、血圧をはかり、採血をした。
私は寝て採血をしないとかなり気分が悪くなるので、その旨を伝えたら「じゃ寝てとりましょう。次のところでも言ってくださいね」と不意に言われ、あ、この病院はもう最後なのか、とそのとき思った。
小さいクリニックで、昨日まで、寝て撮る場所はあるのだろうか…最悪あの診察台で…? と思っていたが、診察室の後ろに隠し小部屋のようなものがあり、そこには寝台も備えられていた。
「おお、こんな部屋が」というと、看護師さんは「実はあるんです」と笑った。
小部屋で、寝かせてもらって、血を採ってもらった。看護師さんは私にいつも「楽しみですね」と声をかけてくれる。わたしはそのたび「そうなんですけど、やっぱり不安で」と言ってしまう。血を抜いてもらいながらそういう話をした。
「たしかにすごく若くはないけどね、40代の前半までは産まれる方けっこういらっしゃるんですよ。40歳から不妊治療をはじめて、43歳で、ということもあったかな」と話してくれた。そして「不妊治療なしでね、授かるのはとても幸運なことですよ」と。
わたしは「つわりがあまりひどくないのもあって、それは幸いなのですが、自覚がどうも」と、いまの心境についてもつつみかくさず話した。血も本音も体から出てゆく。
看護師さんは笑っていた。つわりも第一子ではないのに、第二子ではあったということもあり、個人差どころか出産ごとに違うこともあるんですよと教えてもらった。そうこうするうち採血は終わった。塩分を控える効果的なすべとか、そう言う話もうかがった。ドレッシングかけない派なんです、と言ってほめてもらったが、毎日食べている豆腐にも納豆にもたれやしょうゆをかけない事実は告げられなかった。変人だと思われそうで。
採血が終わって小部屋を出ると、先生は「病院どこって言ってたっけ?」とだしぬけにわたしにきいた。一瞬、私がここで決めるのか!? と思ったが、いやそうじゃないだろうと思い直し、大混乱だった初回診察時の記憶をたどり、「□□病院を紹介していただけるという話になっていたかと思います」とつたえた。先生は「うん、そうね、それがいい」と言った。
「次に検査結果を受け取ると、ここにお世話になるのは最後と言うことになりますか?」ときくと「うん、そうなるね」と。
なんだかとても、とてもとても濃密な時間だったなと、そのとき反射的に思った。
地域の基幹病院であり、高度救命センターを備え出生前診断もお任せできるところを紹介していただく運びとなった。
「母子手帳は、妊娠しないともらえないものです、それはあなたが妊娠したというあかしです。だからこの先、何があってもね、たとえ無事に産むことができなかったとしても、ずっと大切にもっていてほしい」
いま実感としてひとつあるのは、たとえ無事に生まれなかったとしても、わたしはこの妊娠に意味がなかったとは思えないということ。
何か人に極めて近いもの、将来的に人になるものが私の中で発生し、心拍がでてきたという事実。やがて手足がぴくぴく動きはじめ、心臓が動いているのがはっきりと見えた、通った背骨に奇形はなかったという事実。
それにともなって抱いた私の、とてもとても一言では言い尽くせないような気持ち。一生かけて、ふさわしい言葉をさがさねばならないような気持ち。
それらがもし私の中から跡形なく消え去ってしまったとしても、それらはほんとうに無に帰したと言えるんだろうか?
新生児という全き形で実を結ばなかったとしても、とても無に帰すだけとは、今の私には思えない。胎児そのものも、彼もしくは彼女がいなければ決して味わうことのかなかった、筆舌に尽くしがたい私のすべての心の動きも、心情も、そのときその瞬間、たしかにそこにあったのだもの。
だからこそ、きっと予期せぬ別れはとてもつらく悲しいのだろう。無に帰したから悲しいのではなく、そこに確かにあったから悲しいのだろう。
先生が「もしだめでもずっと母子手帳を持っていてほしい」という気持ちも、いまの私にはなんとなくわかる。だって、それはそこにいてくれた、無意味なことではなかったんだという唯一の証となるものかもしれないものね。
もしもそうなってしまったとき、深いであろう悲しみに折り合いが付けばそうしていいのかもしれないと今の私は思う。捨てずにずっと持っていられたら、最後はほんとに自分の棺桶にいれてもいいかもね。
その節はたくさんのおめでとうの言葉で、ご自身や周囲の高齢出産の例で、具体的になにをすべきかのアドバイスで、たくさん励ましていただき、ほんとうにありがとうございました。あの折の追記にも記しましたが、現時点でおめでとうとは言いがたいというお言葉も、私がどういう選択をしてもよいのだというお言葉にもまた、おめでとうというお言葉と同じくらい励まされてここまできました。
今も不安は尽きません、産めるのかどうかもまだわかりません。でもあの後すぐパートナーにももちろん話しましたし、相談、話し合いをひとつひとつのことについてしている最中です。あの日記を書いた日よりも落ち着いていることは確かです。
前回も書いたことに加え、零細事業所で仕事の引継ぎはどうする…だの、お金の工面と算段…だの、いろいろと不安は尽きません。
ですが、しっかりと考え抜き、しかるべき人に、ところに、相談しながら、どうしていくのかを決めていきたいと思っています。
前回に続き、このとりとめのない話をもし読んでいただいた方がいらっしゃるのであれば、ありがとうございました。
蛇足1:この先も気が向いたらまた書くかもしれないですが、もう書かない(書く余裕がない)かもしれないので、かわりといってはなんですが自分が書いたやつで過去一番読まれた増田と読まれなかった増田でも貼っておきます。お暇つぶしに。
https://anond.hatelabo.jp/20240513231506(このときはギリギリ30代だったんだよなあ…。)
https://anond.hatelabo.jp/20210918194137(京都に住んでいたことがありました)
蛇足2:コメントで医療保険についてご心配いただいていたのですが、そこは手厚いものに加入しています。気にかけてくださってうれしかったです。
(民間の医療保険については不要という論調もあり、一理あるかとは思いますが、この人口減で高額療養費制度もこの先どうなるかわからないな、病気したら個室でゆっくり療養したいな、先進医療だって受けたいわ、と加入当時考えていたので…。定年時に払済になり、補償は終身に渡るように設計したものです。そして、やはり子どもをもたない前提でプランニングしていたもので、その分保険料も少し割高、いったいどこまで払えるのか…おうおう)
しばいて良いですか?
竹中平蔵「日本は税負担が少ない国」 https://t.co/nmirxGWQsq— 一華 (@reo218639328632) March 18, 2025
①社会制度について
無給
・経済的な補助は無い
・最終段階で大怪我した際は、一定額の金銭的な補助を受け取れるが、入院費を下回ることが多い
・生涯に亘る身体ダメージを受けることもあるが、特別な補償はない
・ボランティアで仕事を抜けた分の、キャリアダウンについては、自己責任である
ボランティアの中断について
・ボランティアしている者に配偶者がいる場合、ボランティアを中断する際には配偶者の同意が必要。同意を得られない場合は、最終段階(大怪我)までボランティアを継続する
・配偶者がいない場合は、自分の意思で、ボランティアを中断できる。ただし一定期間のみ。具体的には、超初期段階ならば約1万円、約4か月以内ならば10万円以上を払うことで可能。それ以降は最終段階(大怪我)までボランティアを継続する
最終段階の大怪我について
・基本的に、無麻酔の状態で大怪我を負う(皮膚をハサミで切られても気付かない程度の痛み)。無麻酔が「普通」と呼ばれる程度にはデフォルト
このような条件下で、兵役ボランティアに参加する若年男性が年々減っているので、危機感があるらしい。
どうすれば毎年70万人程度確保できるだろうか。
男性の平均年収が低い地域はボランティアへの参加率が高い傾向にあるため、兵役ボランティアを増やすためには男性の地位は低い方が良いと考える女性も一定数いる。
②社会制度以外において
社会制度以外において、出産の立ち位置を考える時、「臓器提供」のようなものだと思う。
子供への臓器提供が必要な状況となって、夫婦のうち適合者が行うというもの。
2023年には、子供に臓器提供を行う予定の男性達へ、ある地方行政が下記の内容を含む手紙を送った。
1位 家事
2位 育児
3位 マッサージ」
「夫のこういう態度(言葉)が嫌だった
1位 わけもわからずイライラしている。少しのことでイライラして当たられる
3位 なにもしてくれない。子供の面倒を見てくれない」
でも、「自分は絶対に臓器提供をする側にはならない」という感覚があると、こんな妄言が口から出てくるだけでなく、多くの人の目をすり抜けて行政からの手紙として当事者まで届いてしまうのだ。
##
例えば、重度の障害を抱えた子どもが生まれたら、女性の人生が一瞬で詰む問題とか(その一例が「付き添い入院」)
これは、無保険で車を運転するようなものかもしれない。皆、若い女性に車を運転してほしいと思っている。でも十分な保険制度は無く、事故に遭ったら同乗者達はサッと消えて、ほぼ女性の自己責任になる。そんな社会を生きていると感じている。