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はてなキーワード: 大正とは

2025-04-17

anond:20250416121436

いやあ「子ども健康教育に対して気をつけて面倒をみる」程度なら

昭和の、いや明治大正父親でも一般的にはそうしてるのでは?

「元気ないな熱があるんじゃないか?」と聞いたり、

テストの成績悪いんだってな、勉強しろ」と説教したりする程度のことじゃないの?

オムツ交換しろとか、家事手伝えとか言ってないんだし

しろフェミ文句言うレベルじゃね?

2025-04-06

20250406[アタック25] 2025年4月6日 第一アタック100 大学クイズ研究会対抗バトル 再放送 2023-01-02 結果

第1部の再放送予定は出ていません

 

BSジャパネクストリニューアル BS10無料放送側で日曜昼などに放送

見られなかったケーブルテレビ局でも見られるようになったので要確認

つながるジャパネットアプリ放送同期・見逃し配信あり

 

一部の出題画像再放送等の権利が取れなかったものがあるようだけど、

出題としては、すべて放送したんだよね?

-----

今日の答え(放送とは表現が異なる場合があります

・01 [あるスポーツ名前]ラグビー

・02 リオデジャネイロ

・03 門松 かどまつ

・04 川端康成 かわばたやすなり

・05 [すべて]横山裕 村上信五 丸山隆平 安田章大 大倉忠義

・06 デミタス(カップ

・07 宮城道雄 みやぎみちお

・08 [近似値]74.1(パーセント

・09 鳥羽伏見(の戦い

10 1(番

11 YOSHIKI ヨシキ

12 クリープ(現象

・13 『BLUE GIANTブルージャイアント

・14 アシカ(科

・15 ミャクミャク

・16 [頭文字]おせち

17 疾風に)勁草《けいそう》(を知る

・18 芦ノ湖

・19 7

20 フォカッチャ

・21 2(番

・22 ダニエル・クレイグ

23夜は短し歩けよ乙女

24 アンリ・デュナン

・25 絵に描いた)餅

・26 アキレス腱

・27 松

28 3(打

・29 [AC]アイスキュロス

・30 中田喜直 なかだよしなお

31 [3択]18(枚

・32 サクレ・クール寺院

33 シャリアピン(ステーキ

・34 時速)200(キロメートル以上

・35 ヘボン(式

・36 <肉>りんご(和牛信州

・37 <スイーツジャズ(羊羹

・38 <テーマパークみかん

・39 <野菜長岡)巾着《きんちゃく》(ナス

・40 <鍋>義経《よしつね》 鍋

・41 <鉄道>フラノラベンダーエクスプレス

・42 <ラーメンとんかつ

・43 <民謡鹿児島(県

・44 <地魚>阿武隈川)メイプル(サーモン

・45 <日本一シューマイ

・46 <水族館>館長

・47 <花>長崎(県

・48 <日本初>クリスマス

・49 <夜景北海道

・50 <城>イカ

・51 <ご当地ソング>『渡良瀬橋』わたらせばし

・52 <特別天然記念物アマミノクロウサギ

・53 <神社羽生結弦 はにゅうゆづ

・54 <駅弁>ひっぱりだこ飯

・55 <フルーツ>←追記:さぬきエメラルド

・56 <世界遺産軍艦島

・57 <温泉岡本太郎 おかもとたろう

・58 <偉人渋沢栄一 しぶさわえいいち

・59 [AC]<冬景色京都(府

・60 <伝統工芸QRコード

・61 <野生動物>7(番

・62 <戦国武将数珠

・63 <うどんやかん

・64 [2答]フォボスダイモス

・65 [2答]川崎フロンターレ 横浜F・マリノス

・66 [2答]LとV

・67 [2答]一と乙

・68 [2答]衆議院貴族院

・69 [2答]キキとララ

・70 [2答]ロンドンパリ

・71 [2答]粗品せいや

・72 [2答]5円硬貨50円硬貨

・73 [2答]カンガルーエミュー

・74 [2答]文化庁スポーツ

・75 [2答]JとQ

・76 [2答]桂太郎西園寺公望《さいおんじ きんもち》

・77 [AC]コリオリ(の力

・78 ジーニアス(英和辞典

・79 [3択]大正

・80 まいぜんシスター

・81 average

・82 アーロンジャッジ

・83 フランス

・84 [AC]熊本(大学

・85 [AC2]シエラネバダ(山脈

86 [AC3]千里眼

・87 ワットタイラー(の乱

・88 西畑大吾 にしはただいご

・89 うさぎ

・90 [苦渋]にがり

・91e 口語

・xx [ある人物名前]ジョージ・オーウェル

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ひきつづき放送

2025-04-03

世代大正まれ年寄り扱いしてバカにしてたけど昭和生まれもそんな感じだよなぁ

2025-03-30

夜は短し歩けよ乙女

こんんちゃちゃちゃー、私です。(☆゚∀゚) 

 森見登美彦の「夜は短し歩けよ乙女」でございます

 えー、2007年の本屋大賞2位プラス山本周五郎賞を受賞したということで、はー、きゅぴきゅぴきゃん★な小説でございますねえ、はい、どうも。素敵なパロディアニメ調、漢語で古風な大正風と、さくっと評してみましたけども、まあまあそんな感じですか。

 とりあえず、山本周五郎賞はこれじゃねえだろうということだけは突っ込んでおきたいものです。だって、ねえ? ってか、作家の名をつけた賞なら、それなりの重みが欲しいものです。作風とか、超重要でしょそこって思いません? だって山本周五郎とは真逆にありますよ、この小説

 早くもあらすじいっちゃいますけど、……つーか、この小説にあらすじはないですね! はい、断言しましたけど、えー、素敵なお嬢さん摩訶不思議体験をしつつ、そのお嬢さんに恋して追いかけてく「先輩」なる人物アニメ的簡潔さが楽しい小説となっております

 うーんと、楽しいと書きましたけど、私が楽しかったのは最初の一編だけかな。あ、短編集なんですけど。最初の一編はね、一夜のユーモラスな世界観をぐるぐると描いた良作だなーと、はい面白かったです。

 ところがところが、それから先ですよ。二章三章と、まあ最初の一編とはかけ離れた出来のもんですよ。最初の一編が完成品なら、あとの三編はそのクズだなっていうくらい。これは、あれな予感がしますねー、ザ・二匹目のドジョウ

 たぶんですけど、一編目は、それだけの短編のつもりだったんじゃない? 続けて書く予定はなかったんじゃない? だから、完成度がこんなにもバラバラで、変な一冊になってんじゃないのかなー? かなー? そんな雰囲気がぷんぷんですわ。

 あとねー、まあ良作と言っといて何なんですが、あんまり熱がこもらないので察してくれる方もいらっしゃるとは思うんですが、全然きじゃないんですよ、こういうの。なんつーか、ちゃんと完成してるし、リズム面白いし、お話として楽しいなということで良作いいましたけども、全然きじゃない。(2回目)。

 まあ、一つだけ好きだと言える可能性があるのなら、この小説が「ラノベ」とか「アニメ小説?」とか名乗ってんなら、へえおもしれえなあって思いますよ。はい。でもそうじゃないじゃん。小説ジャンルで出されてきちゃってるじゃん。そうなると、私の評価はガタ落ちというか、なんつーかこういうもんを小説と言って欲しくないというか……。(´・ω・`)

 どうして小説じゃないかというと、もうキャラクターですよね。登場人物ではなく、キャラクターと言えてしまう、この感じ。例えば、八頭身のかわい子ちゃんキャラデザラフ)の横に、「素直で一本気。お酒に強い」とか書かれちゃってる感じ。その一行二行で人間を表しちゃうのは、これはもう小説ではなく、アニメ漫画範疇でしょう、と私は思うわけなのです。読んでて浮かんでくる情景も、現実じゃなくてアニメ絵だし。

 でさー、また短編全部が面白かったら、こういうのもありだなって思ったかもしんないけど、結局つまらんわけじゃん。だから、もうそういうのはちょっとサブカルでやってくんない?みたいな、小説界を汚さないでくんない?みたいな、そういう気持ちが出てきちゃうんですよねー。ねー。ねー?

 と、同意を求めて見ましたけど、まあ、というわけで嫌いです、これ。また、一章読んで気に入った方は、それだけでやめておくことをお勧めします。そのあとは練られもしない、ただの独白応酬ですから

 ってかさー、もうアニメとかでもいっつも思うけど、こういう女、いる? 頭が幼稚な少年少女が見るんだから仕方ないんだとは思うけども、こういう自己完結人間は、リアルでは頭おかしい人しかいないんで、決してマネなどなさらぬよう。

 あ、言い忘れてたけど、作者の名前気持ち悪くて嫌い。登美彦とか、うううあああああってなる。最後は単に好き嫌いの話でした。

それでは、ばいばい!(*・ω・)ノ

2025-03-22

時は明治の末か、あるいは大正の初めであったか帝都の片隅、人目を忍ぶように佇む小料理屋「潮騒亭」の奥座敷での出来事である。主の源爺は、齢を重ねてますます腕を上げた古参職人。その日の客は、海軍武官らしき壮年の男であった。

「源爺、今日も何か珍しいものを頼むぞ」

男は、威厳のある声でそう言った。源爺は、にこやかに頷き、「かしこまりました」と応じたものの、内心では少しばかり困惑していた。連日のように珍しいものを所望され、献立の種も尽きかけていたのである

その時、源爺の脳裏にふと、先日市場で見かけた色とりどりの野菜の鮮やかな色彩が蘇った。西洋料理の影響か、近頃は生野菜を口にする者も増えてきたと聞く。ならば、それを寿司技法と結びつけてみてはどうだろうか。

源爺は、熟練の指先で酢飯を握り、海苔でそれを囲んだ。そして、賽の目に切った胡瓜、トマトレタスなどを、まるで宝石を散りばめるかのように、その上に盛り付けたのである。仕上げに、少量のマヨネーズを糸のように絞りかけた。

男は、運ばれてきたその見慣れない寿司を見て、目を丸くした。「これは一体…?」

「これは、わたくしが考案いたしました、『サラダ軍艦』と名付けたものでございます」と、源爺は少しばかり誇らしげに答えた。

男は、半信半疑ながらも、その寿司を一つ口に運んだ。すると、新鮮な野菜の歯応えと、酢飯の酸味、そしてマヨネーズのコクが絶妙調和し、これまで味わったことのない風味が口いっぱいに広がった。

「ほう…これは面白い。実に斬新な味だ」

男は、満足そうに頷き、次々とサラダ軍艦を平らげていった。そして、勘定を済ませる際には、源爺にこう言ったという。

「源爺、今日のこの『サラダ軍艦』、なかなか乙なものよ。近いうちに、また所望するとしよう」

その言葉通り、その後もその武官は度々「潮騒亭」を訪れ、サラダ軍艦を注文したという。そして、彼の同僚や友人たちにもその噂は広まり、いつしかサラダ軍艦は、隠れた人気メニューとなっていったのである

2025-03-21

日記文学を読みたい 近代のもの

現代に生きる「私」と異なる考え方、もの見方がどのようなものかを知るのが楽しいのだなあ

そういう意味で言えば別に現代日記文学もとても面白い

極論、他人の考え方は「私」とは当然異なるので

読めば読むほどいか他人のことをわかっていないかを感じる

note全然知らない他人私的日記を掘って読むのも良い

note日記といえばダ・ヴィンチ・恐山日記は別格に面白いが、今話題にしている日記面白さとは別軸の面白さだ)

前近代日記はなぜか興味の範囲外なんだよなあ

自分の興味が幕末明治大正ごろの日本価値観の変遷だからだろう

オーストリア皇太子日本日記: 明治二十六年夏の記録』という本を今読んでいる

とても面白い

海外の反応まとめブログを読んでいるときと同じ感情になるけれど

青空文庫でもいろいろな日記が読めて良い

原民喜という方が書いた『忘れがたみ』の中で飛行機雲について述べられた項がある

 大学病院の方へ行く坂を登りながら、秋空に引かれた白い線に似た雲を見ていた。こんな面白い雲があるのかと、はじめて見る奇妙な雲について私は早速帰ったら妻に話すつもりで……しかし、その妻はもう家にも病院にも居なかった。去年のこの頃、よくこの坂を登りながら入院中の妻に逢いに行った。その頃と変って今では病院の壁も黒く迷彩が施されてはいるが、その方へ行くとやはり懐しいものが残っていそうで……しかし、私がもう此処を訪れるのも今日をかぎりにそう滅多にあるまい。玄関ではもう穿き替えの草履を呉れないことになっていた、これも、以前と変ったことがらである。私は川島先生に逢って、妻の死を報告しておいた。それからとぼとぼ坂を降りて行った。

 翌日、新聞飛行機雲写真が出ていた。さては昨日見た雲は飛行機雲というものなのかとひとり頷いたが、仮りにこれを妻に語るならば「漸くあなたはそんなことを知ったのですか」と、病床にいても新知識の獲得の速かった彼女あべこべに私を笑ったかもしれないのだ。

日本人が飛行機雲をどのように認知していったかを調べた際に見つけた日記だが、いい文章だなあと気に入っている

近代日記もいいが、外国とか別文化圏日記も良い

しかし、なかなか心の健康に余裕があるときでないと別の価値観摂取するのは難しい……特に相容れない価値観だと

それに実際バイアスがある 当たり前ではあるが「日記を書くような人」の文章しか得られない

その点Twitterはよしあしだ

よしあし……よしは「日記を書くような人」以外の文章もあること、あしは……読みすぎると精神健康を害することか

そういう意味では食べやす調理されて「日記文学」とラベリングされた本が一番助かるわね

問題はこの世には読める日記が多すぎることだ

この文章自体日記ではあるか 未調理 塩漬けにして数年後に自分で食べると美味い それもまた日記のよさ

---

フォーマットとしては日記だが内容としては随筆が興味の対象なのだろう 言われて気付いたな

書かれた時期がある程度はっきりするから日記フォーマットの方が助かるというのはある

飛行機雲認識の変遷の調査をするときなんかは特にそう

2025-03-17

罪と罰あとがきに「あの時代大正?)にはロシア文学に狂わされた学生がたくさんいて、トルストイ派はシャキッとした議論好きでドストエフスキー好きはクネクネしてみんなロシア民族衣装を着て、ソーニャの幻影を求めて娼館に通ったりしていた」と書かれていて面白かった記憶がある

2025-03-14

家系解説と俺の話

俺の父方の家系は代々皮革産業従事していて、地域同業者たちの顔役をやっていた。

明治になって肉食が公的に解禁されると屠殺や食肉加工業に参入した。

それまで、老いて使い物にならなくなった農耕用の馬や牛、百姓達が捕らえた作物を荒らす猪や鹿の解体を請け負っていた関係家畜解体精肉加工の技術を持っていたが、それを大っぴらに商売にできる時代となった。

大正に入ると朝鮮半島から留学生政治的亡命者などのエリートだけでなく季節労働者達が流入してきた。

行き場のない彼らは俺のご先祖様達が住む集落の近くに定住し始め、やがてご先祖様達は彼らのコミュニティを抱合した。

食肉加工、水路の整備の請負、安酒製造などの正業から賭場、高利貸しなども行った。

安酒造りが密造となり、賭場や高利貸し港湾支配するヤクザたちに奪われると食肉加工、娯楽産業インフラ整備が主流となった。

戦後を経てコミュニティは散り散りとなった。

不動産バブルが起きて、これまで誰も近寄らなかったご先祖様たちの地域にも大手からヤクザ者まで大小様々な不動産会社がやってきたことが背景にあるようだ。

曽祖父は食肉加工業に加え、パチンコゲームセンタータクシー業に参入して莫大な財産を築いた。

曽祖父から祖父への18歳の誕生日プレゼントトヨペットクラウンだ。

そんな曽祖父だが、祖父達に家業を継がせることを嫌い、医師大蔵省官僚になることを求めた。

祖父は県下一番の高校卒業すると金大学医学部に進学し医師となった。

「息子を大蔵官僚に」の夢は大叔父が叶えることになった。

曽祖父石川県に当時最先端設備を備えた病院設立し、金沢大学医学部教授の娘と祖父の縁談を取り付けた。

この病院現在でも名前法人を変え、統合を経て残っており、金沢大学の関連病院の一つとなっている。

祖父教授になれず医局を去り、曽祖父地元祖父のための病院設立した。

今では父が院長をつとめている。

俺は出来が悪く、東海中学校への進学は無理と判断され、米国日本人学校慶應義塾ニューヨーク学院を経て慶應義塾大学に進学。

大学卒業後に就職した会社半年で逃げ出し、今は父が設立した会社役員に就いている。

医療法人社会福祉法人相手保険代理業や不動産賃貸業を行っており、実質的経営は全て祖父や父が信頼を寄せる会計士がやっている。

俺の仕事は全国各地のグルメに舌鼓を打ち、愛車を手入れして走らせ、福原吉原に足を運んで綺麗な女の子たちと逢瀬を重ねることだ。

2025-03-09

anond:20250308103929

増田が求めてるものが「ストーリーがしっかりしててキャラを掘り下げつつ、サブ的な結果としてのエロあるいは恋愛シーンが見たい」という解釈お勧め商業BLを書くよ〜。なんか気に入ってくれたら嬉しい。

夜明けの唄 名前挙がってるけどいま旬なのでぜひ読んでほしい。SFファンタジー。現8巻、もうすぐ完結するはず。世界観キャラの掘り下げが上手いし、絵も上手いし、ストーリー展開も上手い。エロさはあんまりないけど恋愛シーンの掘り下げは◎。

オメガメガエラ オメガバースもの大丈夫なら。しっかり人間ドラマのあるBLです(発刊はBLレーベルではないのでBLなのかだが)。大正風味な世界観も◎。エロ恋愛要素は薄めでオメガバースという特殊な性をめぐる家制度社会構造を描く意欲作。全11巻完結済。

・BARBARITIES 中世世界観ファンタジー政治恋愛を上手く絡めた秀作。派手さはないがキャラ世界観ストーリー破綻なく読ませる。こういうのを連続ドラマ化してくれよ〜と思う。全4巻完結済。

・囀る鳥は羽ばたかない 有名どころですが。現代ヤクザものエロいけどパピエチ要素は少ないので抵抗があるかも知れない。心理描写が細かくかつ迂遠で、読むほどにキャラクターの内面に惹き込まれます。現9巻。

最終電車恋人たち 全1巻。1巻で出来るラブストーリーとして最高水準だと思う。エロくはないが恋愛要素が◎。たぶん元増田が求めているものとは違うのだけど、こういうのが商業BLの良作ではと思うので、ひとつ見てみて欲しくて挙げます。読みやすく、分かりやすく、直球で萌える、そういうのが商業BLの良いところ……。

もっとエロ重視で、と言うなら韓国系WEBトゥーンものが良いかも。夜明け、雲、そして河とか夜画帳とかエネアドとか。ストーリーもありつつガチムチエロががっつり入るので。作画も良い。ただし長い……。

一次BLエロ目的で読むひとと胸キュン恋愛目的で読む人がメインストリームなので、恋愛以外がメインストリー作品てなかなかないけど、探せばあるよ〜! もっと増えて欲しいので探す人が増えてほしい。

2025-03-08

anond:20250308193106

それ自体疑似科学というか東洋医学ベース根拠がなかったのが問題

中国から輸入された五味という概念

少なくとも大正の時点で日本政府には相手にされておらず、常用漢字にも採用されなかったし教育でも使用されなかった

2025-03-05

蕎麦ストックが溜まってた

最近蕎麦にハマってて、店で生蕎麦を食べると高いので

乾麺を買って自分で茹でている。

十割蕎麦は高いのでなるべく二八蕎麦を買うようにしている。

蕎麦粉多めがいいので小麦粉割合が多いものは買わない

まりに家に乾麺ストックを貯めときたくないので

たくさん買わないように気をつけていたけど、スーパードラッグストア乾麺蕎麦コーナーを見るのがくせになり、いつのまにか四種類ストックしていた

今、家にあるのは

十割そば本舗伝統の二八そば(株式会社山本かじの)

信州開田高原そば湯まで美味しい黒蕎麦食塩無添加(株式会社はくばく)

古来本づくり本舗大正七年創業信州八割そば(古来本づくり本舗株式会社製麺)

とろろ入り信州そば(株式会社製麺)

気がつくと信州そばが多くなってた

製造元がみんな長野県

この間、東京調布市深大寺で半生蕎麦を買ったんだけど、それも製造元は長野県

深大寺蕎麦も美味しかった

芸能人深大寺蕎麦湧水が一番美味しいと紹介していたので湧水蕎麦を食べたことある

高尾山でも蕎麦を食べてみたい

スーパーに行くとへぎ蕎麦とか茶蕎麦とか色んな蕎麦が売ってて見るだけでも楽しい

蕎麦にハマるまで、蕎麦には白いものと黒いものがあるの知らなかった

私は白い味が好きなような気もしたが、黒だと蕎麦粉の味がガツンとするような気がしたのでストック乾麺の中には黒蕎麦がある。

福井県に行くと在来種蕎麦粉を使った蕎麦が食べられるらしい

今、蕎麦屋の蕎麦は育てやすく改良された蕎麦の粉を使うのが一般的だが

福井県では、育てにくいけど味がいい在来種蕎麦を使った蕎麦を食べられるらしく行ってみたいなと思った

蕎麦乾麺でも充分楽しめるなあ

おうち蕎麦楽しい

2025-03-03

anond:20250303120858

女が社会構造から非正規収入になりがちなのであれば、それは完全に「女性男性から解放された」とはいえない

 

それから理系とチー牛の組み合わせなのは問題ではない、

男女平等ならあぶれる個体」はそもそも結婚して子どもを残すべき個体ではないんじゃないのか?

 

結婚率が異様に高かったのは昭和だけの異常事態である

明治大正産業革命期に「女は経済的に男に頼らなければ生きていけない」社会構造ができあがった

 

ここからの完全な脱却をしたならば、どちらにせよ低スペック個体結婚できない社会になっていったほうが良いはず

2025-02-27

anond:20250227125236

調べるなら「新聞集成」が大きめの図書館にあると思うのでそれを見るといいと思う。

大きい事件ごとに各種新聞記事がまとめられているので、報道の流れがわかる。地方の反応も読める。

明治大正昭和それぞれあったはず。

悪役転生者の乙女ゲーをしてみたいのだが、おすすめある?

悪役令嬢ものアニメ結構楽しく見ているのだが、

実際に転生先のようなゲームしたことがない為、

やってみたくなった。

https://tensei-ojisan.com/

https://hamehura-anime.com/

さっそくSwitchアンジェリークルミナライズっていうゲームセールしてたので買ってみた。

だが、こいつら貴族じゃなかった。

https://store-jp.nintendo.com/item/software/D70010000032527

なにより主人公よりライバルの方が性格がいいまであって、ライバルにはバッド・エンドになってほしくないまで芽生えて、ゲームが進んでない。

以下の条件の乙女ゲーム面白いものはあるだろうか?

1.貴族もの

2.ライバル金髪縦ロール

3.ライバル令嬢が最後斬首される、もしくは追放される

====================================================

ChatGPTにも聞いてみたら下記の回答で当てにならなかった。

1. 乙女ゲーム破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…(はめふら)

ジャンル異世界転生・貴族もの・悪役令嬢

これは厳密には乙女ゲームのものではなく、その世界に転生する話ですが、金髪縦ロールのライバル令嬢(メアリ・ハント)が登場します。

ただし、彼女最後斬首追放はされません。むしろ主人公にデレて味方になります

ゲームじゃねぇ。むしろそれきっかけの質問だよ。

2. 大正×対称アリス

ジャンル大正ロマン・貴族もの・逆転劇

物語構成ユニークで、貴族らしい舞台設定があります

ただし、ライバル令嬢が斬首追放されるかはルートによります

金髪縦ロールのライバルがいなさそう。HPキャラクター一覧にはいなかった。

3. 黒薔薇の館

ジャンルゴシックホラー貴族もの・ダークファンタジー

主人公貴族社会の中で巻き込まれ物語

ルートによってはライバル悲惨な結末を迎えることも。

→調べたらゲームじゃねえ。映画だ。

4. ニューダンガンロンパV3(番外編)

ジャンル:学園ミステリーだけど、貴族っぽい設定あり

乙女ゲームとは言えませんが、金髪縦ロールのライバルポジションキャラがあり、死亡エンドもあります

→一番求めてる物かも。

2025-02-21

肥田式強健術

肥田式強健術は、肥田春充が開発した身体と心のトレーニング方法で、大正から昭和初期に人気がありました。

この方法は、身体の中心(特に丹田」)を強化し、健康と強さを築くことを重視します。

驚くべきことに、肥田春充は元々虚弱体質でしたが、この方法で2年で強靭な体を手に入れ、柔道剣道などで卓越した能力を発揮しました。

また、彼の方法精神的な成長にもつながり、一部の文献では「神の力」を発見したとされていますが、霊性を手に入れるかどうかは個人解釈依存します。

肥田春充とは?

肥田春充(1883-1956)は、日本健康法の創始者で、元々虚弱体質だった彼が自ら開発した方法超人的な体を手に入れました。彼は明治大学柔道部の創設者としても知られ、柔道剣道弓術などで優れた成績を残しました。

方法の特徴

この技術は、西洋ウェイトトレーニング日本の伝統的なエネルギー概念特に丹田」)を組み合わせ、身体の中心に力を集中させることで健康と強さを築きます1930年代には多くの人々に採用され、昭和天皇もその本を読んでいた記録があります

霊性について

肥田春充自身は「神の力」を発見したと述べ、深い精神的な洞察を得たように見えますが、霊性を手に入れるかどうかは明確には定義されていません。彼の方法は主に身体的・精神健康に焦点を当てており、霊性の獲得は個々の実践者による解釈経験依存する可能性があります

調査ノート

肥田春充の「肥田式強健術」について、以下の詳細な調査を行いました。この方法は、大正から昭和初期にかけて注目された健康身体訓練の方法であり、その背景や特徴、影響力を明らかにします。

肥田春充の背景

肥田春充1883年に生まれ1956年に亡くなりました。彼は元々虚弱体質で、幼少期に麻疹で重病を患い、18歳まで中学校入学できなかったほどでした(My Dad Is an OTAKU)。しかし、彼は自身方法を通じて身体を強化し、「超人」と呼ばれるほどの強靭な体を手に入れました。この過程は、彼の伝記や関連文献で詳述されています

技術名称定義

ユーザークエリでは「肥田式強健術」と記載されていますが、これは「Hida Shiki Kyoken Jutsu(肥田式強健術)」とも呼ばれます。Quest Stationのページ(Quest Station)では、「Hida Shiki Kyoken Jutsu」が「心身を鍛える究極の方法」と紹介されており、健康身体の動きに焦点を当てています

「Kyoken Jutsu」の意味については、具体的な漢字は明らかではありませんが、文脈から「強健な技術」や「健康強化の方法」と解釈されます。webhiden.jp(webhiden.jp)では、「肥田式強健術」が中心的な名称として扱われており、以下の表でその発展段階がまとめられています

段階

説明

出版物/方法

初期開発

10種類のエクササイズに焦点、下腹部の緊張と「気合(kiai)」を強調。

1911

実験 簡易強健術』 (Experimental Simple Strong Health Method)

「動的力」の導入

「足踏みによる衝撃力」を取り入れ、「動的力」と命名、「気合適用強健術」へ発展。

1930年代初頭

-

「中心」の概念

身体の「真の中心位置」を幾何学的に説明

1916

『強い身体をつくる法』 (Method to Build a Strong Body)

中心鍛錬技術

鉄棒を使った「中心鍛錬技術」を発表、6ヶ月で「腰と腹の均等、真の中心」を実現。

1923

-

主要著作

技術包括的著作出版

1936

『聖中心道 肥田式強健術 天真療法』 (Holy Center Path Hida-style Strong Health Method, Natural Therapy)

方法の特徴

My Dad Is an OTAKU記事によると、この方法は「Hara(Tanden)」つまり臍の下または後ろにある身体の重心と内なるエネルギーの座に焦点を当てます。具体的には、腹部と下背部を均等に緊張させ、身体の中心に力を集中させることで、加速的にパワーを高めます。この訓練により、肥田は2年で強靭な体を手に入れ、柔道明治大学柔道部の創設者竹内流免許を6ヶ月で取得)、剣道弓術やり投げ長刀銃剣術射撃などのスポーツで卓越した能力を発揮しました。

また、アメリカボクサーマッカーサーフォスタームハンマド・アリもこのKyoken-jutsuを学んだとされています(My Dad Is an OTAKU)。これは国際的な影響力を持つ証拠です。

歴史的影響と普及

この方法大正時代(1912-1926年から昭和初期(1930年代頃)にかけてブームを呼び、多くの人々に採用されました。1936年の『聖中心道 肥田式強健術 天真療法』は、その包括的な内容で知られ、昭和天皇も読んでいたとされています(webhiden.jp)。Quest StationDVD(Quest Station)では、現代でも「日本の伝統的な身体運動方法」として注目されており、以下の製品販売されています

Product ID

Title

Description

Length

Language

Format

Other Info

Price

URL

SPD-9412

Hida Shiki Kyoken Jutsu Introduction

Basic principles and movements

70min

Japanese with English subtitles

DVD NTSC

All Region DVD

4,500PYY

products_dvd/e_SPD-9412.html

SPD-9413

Hida Shiki Kyoken Jutsu Practical Methods

Breaking methods, correct movement, center training

106min

Japanese with English subtitles

DVD NTSC

All Region DVD

4,500PY

products_dvd/e_SPD-9413.html

SPD-9416

Hida Shiki Kyoken Jutsu Introduction and Practical Methods

2 DVD set of Introduction and Practical Methods

176min

Japanese with English subtitles

DVD NTSC

All Region DVD

8,500PY

products_dvd/e_SPD-9416.html

霊性についての考察

ユーザークエリでは、「肥田式強健術を極めると霊性を手に入れることができるか?」と問われています肥田春充自身は、「神の力」を発見したと述べ、深い精神的な洞察を得たように見えます(My Dad Is an OTAKU)。例えば、1954年ポール・レプスが訪問した際、70代の肥田が30代のように見えたと報告されています。これは、彼の方法が単なる身体訓練を超え、精神的な次元に影響を与えた可能性を示唆します。

しかし、霊性の獲得は明確に定義されておらず、個々の実践者による解釈経験依存する可能性があります。webhiden.jpやQuest Station情報からは、肥田式強健術が主に身体的・精神健康に焦点を当てていることが明らかであり、霊性の獲得は間接的な結果として考えられるかもしれません。

調査過程

調査はまず肥田春充名前ウェブ検索を行い、Quest Station、Wikidata、webhiden.jpAmazon書籍ブログ記事(My Dad Is an OTAKU)などの結果を得ました。Quest Stationのページでは、Hida Shiki Kyoken Jutsuが「心身を鍛える究極の方法」と紹介されており、webhiden.jpでは発展段階が詳細に記載されていました。

さらに、My Dad Is an OTAKU記事を閲覧し、肥田方法が「Hara(Tanden)」に焦点を当てた訓練であることを確認しました。これにより、「肥田式強健術」が肥田健康法の翻訳である結論付けました。

結論

肥田式強健術」は、肥田春充が開発した身体と心の訓練方法で、大正から昭和初期に広く普及しました。この方法は、身体の中心を強化し、強さと健康を築くことを目指し、西洋ウェイトトレーニング日本の伝統的なエネルギー概念を融合しています。その影響力は国内外に及び、現代でもDVD書籍(webhiden.jp)で学ぶことができます霊性の獲得については、肥田自身が「神の力」を発見したと述べていますが、これは個々の実践者による解釈依存する可能性があります

Key Citations

Hida Shiki Kyoken Jutsu Introduction Quest Station

肥田春充 Hida Harumichi 肥田式強健術 webhiden

A Man Born Frail Became Superman My Dad Is an OTAKU

肥田式強健術

肥田式強健術は、肥田春充が開発した身体と心のトレーニング方法で、大正から昭和初期に人気がありました。

この方法は、身体の中心(特に丹田」)を強化し、健康と強さを築くことを重視します。

驚くべきことに、肥田春充は元々虚弱体質でしたが、この方法で2年で強靭な体を手に入れ、柔道剣道などで卓越した能力を発揮しました。

また、彼の方法精神的な成長にもつながり、一部の文献では「神の力」を発見したとされていますが、霊性を手に入れるかどうかは個人解釈依存します。

肥田春充とは?

肥田春充(1883-1956)は、日本健康法の創始者で、元々虚弱体質だった彼が自ら開発した方法超人的な体を手に入れました。彼は明治大学柔道部の創設者としても知られ、柔道剣道弓術などで優れた成績を残しました。

方法の特徴

この技術は、西洋ウェイトトレーニング日本の伝統的なエネルギー概念特に丹田」)を組み合わせ、身体の中心に力を集中させることで健康と強さを築きます1930年代には多くの人々に採用され、昭和天皇もその本を読んでいた記録があります

霊性について

肥田春充自身は「神の力」を発見したと述べ、深い精神的な洞察を得たように見えますが、霊性を手に入れるかどうかは明確には定義されていません。彼の方法は主に身体的・精神健康に焦点を当てており、霊性の獲得は個々の実践者による解釈経験依存する可能性があります

調査ノート

肥田春充の「肥田式強健術」について、以下の詳細な調査を行いました。この方法は、大正から昭和初期にかけて注目された健康身体訓練の方法であり、その背景や特徴、影響力を明らかにします。

肥田春充の背景

肥田春充1883年に生まれ1956年に亡くなりました。彼は元々虚弱体質で、幼少期に麻疹で重病を患い、18歳まで中学校入学できなかったほどでした(My Dad Is an OTAKU)。しかし、彼は自身方法を通じて身体を強化し、「超人」と呼ばれるほどの強靭な体を手に入れました。この過程は、彼の伝記や関連文献で詳述されています

技術名称定義

ユーザークエリでは「肥田式強健術」と記載されていますが、これは「Hida Shiki Kyoken Jutsu(肥田式強健術)」とも呼ばれます。Quest Stationのページ(Quest Station)では、「Hida Shiki Kyoken Jutsu」が「心身を鍛える究極の方法」と紹介されており、健康身体の動きに焦点を当てています

「Kyoken Jutsu」の意味については、具体的な漢字は明らかではありませんが、文脈から「強健な技術」や「健康強化の方法」と解釈されます。webhiden.jp(webhiden.jp)では、「肥田式強健術」が中心的な名称として扱われており、以下の表でその発展段階がまとめられています

段階

説明

出版物/方法

初期開発

10種類のエクササイズに焦点、下腹部の緊張と「気合(kiai)」を強調。

1911

実験 簡易強健術』 (Experimental Simple Strong Health Method)

「動的力」の導入

「足踏みによる衝撃力」を取り入れ、「動的力」と命名、「気合適用強健術」へ発展。

1930年代初頭

-

「中心」の概念

身体の「真の中心位置」を幾何学的に説明

1916

『強い身体をつくる法』 (Method to Build a Strong Body)

中心鍛錬技術

鉄棒を使った「中心鍛錬技術」を発表、6ヶ月で「腰と腹の均等、真の中心」を実現。

1923

-

主要著作

技術包括的著作出版

1936

『聖中心道 肥田式強健術 天真療法』 (Holy Center Path Hida-style Strong Health Method, Natural Therapy)

方法の特徴

My Dad Is an OTAKU記事によると、この方法は「Hara(Tanden)」つまり臍の下または後ろにある身体の重心と内なるエネルギーの座に焦点を当てます。具体的には、腹部と下背部を均等に緊張させ、身体の中心に力を集中させることで、加速的にパワーを高めます。この訓練により、肥田は2年で強靭な体を手に入れ、柔道明治大学柔道部の創設者竹内流免許を6ヶ月で取得)、剣道弓術やり投げ長刀銃剣術射撃などのスポーツで卓越した能力を発揮しました。

また、アメリカボクサーマッカーサーフォスタームハンマド・アリもこのKyoken-jutsuを学んだとされています(My Dad Is an OTAKU)。これは国際的な影響力を持つ証拠です。

歴史的影響と普及

この方法大正時代(1912-1926年から昭和初期(1930年代頃)にかけてブームを呼び、多くの人々に採用されました。1936年の『聖中心道 肥田式強健術 天真療法』は、その包括的な内容で知られ、昭和天皇も読んでいたとされています(webhiden.jp)。Quest StationDVD(Quest Station)では、現代でも「日本の伝統的な身体運動方法」として注目されており、以下の製品販売されています

Product ID

Title

Description

Length

Language

Format

Other Info

Price

URL

SPD-9412

Hida Shiki Kyoken Jutsu Introduction

Basic principles and movements

70min

Japanese with English subtitles

DVD NTSC

All Region DVD

4,500PYY

products_dvd/e_SPD-9412.html

SPD-9413

Hida Shiki Kyoken Jutsu Practical Methods

Breaking methods, correct movement, center training

106min

Japanese with English subtitles

DVD NTSC

All Region DVD

4,500PY

products_dvd/e_SPD-9413.html

SPD-9416

Hida Shiki Kyoken Jutsu Introduction and Practical Methods

2 DVD set of Introduction and Practical Methods

176min

Japanese with English subtitles

DVD NTSC

All Region DVD

8,500PY

products_dvd/e_SPD-9416.html

霊性についての考察

ユーザークエリでは、「肥田式強健術を極めると霊性を手に入れることができるか?」と問われています肥田春充自身は、「神の力」を発見したと述べ、深い精神的な洞察を得たように見えます(My Dad Is an OTAKU)。例えば、1954年ポール・レプスが訪問した際、70代の肥田が30代のように見えたと報告されています。これは、彼の方法が単なる身体訓練を超え、精神的な次元に影響を与えた可能性を示唆します。

しかし、霊性の獲得は明確に定義されておらず、個々の実践者による解釈経験依存する可能性があります。webhiden.jpやQuest Station情報からは、肥田式強健術が主に身体的・精神健康に焦点を当てていることが明らかであり、霊性の獲得は間接的な結果として考えられるかもしれません。

調査過程

調査はまず肥田春充名前ウェブ検索を行い、Quest Station、Wikidata、webhiden.jpAmazon書籍ブログ記事(My Dad Is an OTAKU)などの結果を得ました。Quest Stationのページでは、Hida Shiki Kyoken Jutsuが「心身を鍛える究極の方法」と紹介されており、webhiden.jpでは発展段階が詳細に記載されていました。

さらに、My Dad Is an OTAKU記事を閲覧し、肥田方法が「Hara(Tanden)」に焦点を当てた訓練であることを確認しました。これにより、「肥田式強健術」が肥田健康法の翻訳である結論付けました。

結論

肥田式強健術」は、肥田春充が開発した身体と心の訓練方法で、大正から昭和初期に広く普及しました。この方法は、身体の中心を強化し、強さと健康を築くことを目指し、西洋ウェイトトレーニング日本の伝統的なエネルギー概念を融合しています。その影響力は国内外に及び、現代でもDVD書籍(webhiden.jp)で学ぶことができます霊性の獲得については、肥田自身が「神の力」を発見したと述べていますが、これは個々の実践者による解釈依存する可能性があります

Key Citations

Hida Shiki Kyoken Jutsu Introduction Quest Station

肥田春充 Hida Harumichi 肥田式強健術 webhiden

A Man Born Frail Became Superman My Dad Is an OTAKU

2025-02-19

anond:20250219063622

明治時代仮想マイクロブログ社会がもたらした近代化の加速と文化的変容

概要

明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、

出生時に人体に埋め込まれる生体統合デバイスとして全国民に普及した。

この技術革新明治5年1872年)の学制発布以前に実現したことにより、

日本史上空前の情報革命が発生。

福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論電気的伝播」が現実化し、

明治政府中央集権政策民間自由民権運動が複雑に絡み合いながら、

従来の歴史認識根本から変革する社会構造形成された。

森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩リアルタイムで共有され、

夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、

文学表現のもの双方向メディアへと変質した。

政治体制情報統制の変容

大政奉還前夜の情報戦

慶応3年1867年)の王政復古クーデターにおいて、

薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。

西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民タイムライン炎上する中、

岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義映像コンテンツが300万回再生され、

徳川慶喜の恭順姿勢を決定づけた。

戊辰戦争では会津藩白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、

これが国際世論形成に影響を与え、

パリ同時通訳機能を備えた端末を通じて英仏の介入を阻止した。

明治政府検閲システム進化

明治6年1873年)の徴兵反対運動では、

全国の農民が瞬時伝達器で組織的抵抗を展開。

これに対し内務省は「治安維持電脳局」を設置、

自然言語処理AIによるプロファイリング技術を駆使し、

危険思想予測検閲実施した。

森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、

国民の端末に強制配信機能実装され、

山県有朋の「国民道徳統合プログラム」として機能した。

文学芸術分野の変革

文豪たちの双方向創作

森鴎外陸軍軍医時代投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、

従軍記者の報告を凌ぐ臨場感国民的人気を獲得。

鴎外は後に『ヰタ・セクスアリス』(1909年)の連載中、

読者からの「官能描写情報告」機能逆用し、

中人物の心理描写リアルタイム修正する実験創作を試みた。

夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生遺書」展開を読者投票で決定、

従来の作家観を超えた「集合知創作」の先駆となった。

若手作家の台頭とメディアミックス

芥川龍之介東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり

史上初の「バーチャル文芸サロン」が形成された。

谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者から画像投稿構成する「コラボレーティブ・アート」を実践

永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原遊女たちが匿名アカウントで作中の描写反論するメタフィクション的試みがなされた。

社会運動大衆文化の進展

自由民権運動の加速化

明治10年1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ情報戦を展開。

政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍士気低下を計画的に誘導

戦争期間を史実より3ヶ月短縮させた。

明治23年1890年)の第一帝国議会選挙では、

立憲自由党政策動画配信仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施

投票率が史実の91%から98%に上昇した。

大衆娯楽の変容

明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化

日露戦争記録映像旅順要塞攻撃』(1904年)では視聴者攻撃ルート投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。

落語家三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ怪談電送話」を配信

バーチャル花火大会との連動企画で新たな大衆芸能を創出した。

国際関係技術革新

列強とのサイバー外交

明治32年1899年)の条約改正交渉において、

陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。

治外法権撤廃交渉過程部分的公開し、

英国世論誘導成功した。

明治37年1904年)の日露戦争では、

明石元二郎大佐ロシア革命勢力と端末経由で連絡、

諜報活動効率化で史実より早期の講和を実現した。

技術限界社会適応

大正3年1914年)のシーメンス事件では、

海軍将校贈収賄記録が匿名アカウントを通じて暴露され、

従来の新聞スクープを凌ぐスピード政界震撼させた。

一方で、端末の生体統合特性逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化

森鴎外が『沈黙の塔』(1910年)で警鐘を鳴らすなど、

プライバシー公共性ジレンマが早くも表面化した。

結論

仮想マイクロブログ技術明治期に存在した場合

その社会的影響は単なる情報伝達の高速化を超え、

国家形成プロセス自体根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。

文学における双方向性の獲得、

政治運動の即時組織化

国際交渉の多次元化など、

従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。

ただし、この技術がもたらす集合的無意識可視化は、

大正期のメディアアート運動昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相付与し、

現代SNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。

今後の研究課題として、

端末の技術起源に関する考察海外技術流出説VS超自然的出現説)と、

大正デモクラシー期におけるメディアリテラシー教育実態解明が急務である

2025-02-18

コラム語源起源:柱から言葉の柱へ

コラムという言葉が持つ歴史的文化的背景は、

古代建築から現代メディアに至るまで多層的な変遷を経ている。

その語源ラテン語「columna」(柱)に遡り、

英語「column」を経由して日本語に定着した。

建築用語としての「円柱」から

印刷物の「縦の列」を指すようになり、

最終的に新聞雑誌の短評欄を意味するまでに至った背景には、

18世紀イギリスでの新聞改革が深く関係している。

この増田では、コラム語源起源を軸に、その社会的役割現代における展開を考察する。

コラム語源建築文字交差点

ラテン語「columna」から英語「column」へ

コラム語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。

この言葉英語「column」として定着する過程で、

物理的な支柱から抽象的な「縦の列」へと意味拡張された。

特に活版印刷技術の発展が、

紙面の縦方向区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。

印刷用語としての「カラム」は、

16世紀英字新聞で縦組みの記事配置を指すようになり、

これが現代コラム概念の原型となった。

日本語への定着過程

日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。

1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、

当初は「雑報」と呼ばれていたが、

大正期に入り「コラム」の呼称一般化した。

興味深いことに、

戦前新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、

戦後GHQ指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。

コラム起源:1751年の新聞革命

世界初コラム連載

1751年3月11日

イギリスの『ロンドンアドバイザリーリテラリーガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。

これが「コラム」と呼ばれる契機となり、

3月11日は「コラムの日」と制定されている。

当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、

政治風刺から市井話題まで多岐にわたる内容で、

執筆者匿名性が特徴だった。

この形式が人気を博し、

1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。

日本における受容と展開

日本最初コラムとされるのは、

1902年毎日新聞』の「硯滴」(現「余録」)である

戦前コラム知識人層向けの教養記事が主流だったが、

1950年代大衆化時代を経て、

朝日新聞天声人語」(1904年創設)や

読売新聞編集手帳」(1949年創設)の

ような親しみやす文体が定着した。

特に高度経済成長期には、

コラム大衆の声を反映する場として機能し、

間人コラムランキング出版されるほど社会的影響力を持った。

コラム多様化メディア進化に伴う変容

伝統メディアにおける展開

新聞コラム黄金期は1970-80年代とされ、

朝日新聞天声人語」の執筆陣には芥川賞作家井上靖開高健文学者が名を連ねた。

この時期の特徴は、

800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体確立にある。

例えば1985年の「天声人語」では、

プラザ合意を「円がジャンプする日」と表現し、

経済用語を平易に解説する手法が評判を呼んだ。

デジタル時代の新たな形

インターネットの普及により、

ウェブコラム文字制限から解放され、

マルチメディア活用した表現可能となった。

2010年代後半からは、

SNSとの連動を意識した短文形式が台頭。

動画組み込み型の「ビジュアルコラム」や

AI生成記事との差別化を図る「人間性強調型」など、

新たな表現手法が次々と生まれている。

コラム言語学的特徴:文体修辞法

制約が生む創造

コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。

この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。

心理学者内藤誼人氏の分析によると、

効果的なコラム

「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩20%)→結論(25%)」

構成比率を持つ。

修辞技法進化

戦後コラム修辞法は、

擬人法(「円が踊る」)、

対句法(「上がる物価、下がる賃金」)、

③逆説(「豊かさの貧困」)の三本柱で発展した。

2000年代以降は、

④問いか形式(「あなたはどう考える?」)、

体験談導入(「先日、コンビニで見かけた光景…」)

といった読者参加型の手法が増加している。

特にYahoo!ニュースコラムでは、

本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。

コラム社会的機能公共圏としての役割

世論形成の場

歴史的コラムは、

公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能果たしてきた。

1950年代朝日新聞素粒子」欄では、

読者投稿を基にした地域課題の掘り起こしが行われ、

実際に地方自治体政策変更につながった事例が複数報告されている。

近年では、毎日新聞発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポ継続的掲載し、

復興政策への提言プラットフォームとして機能した。

文化伝達の媒介

コラム教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要役割を担ってきた。

1964年読売新聞編集手帳」の連載「万葉集を歩く」は、

古典文学現代語訳をコラム形式で紹介し、

単行本化されてベストセラーとなった。

2010年代には、

産経新聞産経抄」が日本伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、

若年層の職人志望者が3倍増加する社会現象引き起こした。

コラム未来AI時代における人間性のゆくえ

AI生成コラムの台頭

2023年、

朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、

スポーツ記事天気予報コラム自動生成を開始した。

初期段階では定型性の強い記事が中心だが、

感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感AI」の開発が進められている。

一方で、

人間執筆コラムには体験独自性が求められるようになり、

2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品ノミネートされる事態が発生した。

パーソナライゼーションの進展

デジタルプラットフォームでは、

読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラム一般化している。

2025年現在

SmartNewsの「マイコラム機能は、

ユーザー位置情報検索履歴心拍数データウェアラブル端末連動)を分析し、

最適なコラム自動配信するシステム運用である

これに伴い、

コラムニスト側にもデータ分析スキルが求められるなど、

職能の変容が進んでいる。

結論言葉の柱としての可能

コラム歴史は、

人類情報を整理し伝達する方法進化史そのものである

古代ローマの石柱からデジタル空間の縦スクロールまで、

その形態は変化し続けているが、

本質的役割——複雑な現実構造化し、

読者に新たな視点提供する——は不変と言えよう。

今後の課題は、

AIとの協働の中でいか人間らしい洞察を深化させられるかにある。

コラムという形式が、

次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、

その行方から目が離せない。

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