はてなキーワード: 農民とは
だったらお前、江戸時代の農民か。21世紀の貨幣経済に生きてんだろうが。
現実の経済活動はフロー(flow)なんだよ、ストックじゃねぇ。
今日の経済は、明日の技術革新でいくらでも生産可能性曲線が外側にシフトする。
いや、俺たちはその冷蔵庫自体をデカくして、工場も物流も拡張して、さらにその上でフードデリバリーも展開してんだよ。
取り合いしかできない詐欺師は、経済という名のゲーム盤から降りてもらおうか。
君の思考停止な“定数”設定が間違ってる。
経済は動くんだよ。技術革新・人的資本投資・資本蓄積・制度設計によって「分母」も「分子」も拡大できる。
要は、お前が“無理”って言ってんのは、
「俺には理解できない」
「俺にはできない」
出たよ、浅っい国際経済観。
グローバル経済はゼロサムゲームじゃない、プラスサムゲームだ。
各国が比較優位に基づいて取引すれば、全体の効用も所得も拡大するのはリカード貿易モデルで小学生でもわかる話。
世界全体のGDPが右肩上がりに伸びてんの、見たことないのか?
もし本気で「世界はゼロサム」と思ってるなら、グローバリズムもWTOも存在してる意味がねぇだろうが。
そして財政出動とは、デフレ下の経済に血を通わせる一時的な輸血。
でもな、それが常態化したら“経済的糖尿病”みてぇなもんで、いずれ血管(国債市場)が詰まる。
使う場面と量を見誤れば、インフレ・通貨安・国債暴落の三重苦だ。
お前のロジック、
経済の動態性無視、グローバル構造の誤解、金融メカニズムの誤読、そして何より、自己肯定のための無根拠な悲観主義。
要は全部:
ロシアによるウクライナ侵略後、ウクライナの地名をなるべくウクライナ語で書こうという流れが強まり(これ自体はとても良いことだ)、「キエフ」が「キーウ」、「ハリコフ」が「ハルキウ」と書かれるようになった。そして「オデッサ」も「オデーサ」と書かれるようになっている。
もちろん「オデーサ」でも構わないのだが、別に「オデッサ」でも良いのではと思うようになってきた。以下に説明する。
まず、ロシア語だとどう綴るのかを確認しておこう。ロシア語ではОдесса(Odessa)と綴る(左がキリル文字で、右はそれをローマ字に直したもの。以下同じ)。これを「オデッサ」と表記してきたわけだ。
しかし実際のロシア語の発音とはほど遠い。というのもロシア語は綴りと発音の乖離が著しい言語であり(アクセントの置かれないoがaと読まれるというのは有名な話である)、したがって「アジェサ」のように発音するわけだが、ロシア語業界の常識としてロシア語は発音ではなく綴りに基づいて日本語表記するという慣例があるので、綴りを素直に読んで「オデッサ」と呼んできたのである。
いっぽうでウクライナ語ではОдеса(Odesa)と綴る。ロシア語との差異はsが1つか2つかである。……えっと、この綴りって「オデッサ」って書いても許される範囲じゃない?
というのは、日本語では、これまで綴りや発音からは「ッ」が入らない語であっても「ッ」を入れて表記することがあったからだ。たとえば、スラブ系の-vich/-vić/-vičという苗字はしばしば「~ビッチ」と書かれてきた(「ストイコビッチ」とか「ミロシェビッチ」とか)。だが冷静に考えてほしい、この綴りのどこに「ッ」を入れる要素があるのだろうか。文字の重なりもないし、実際に詰まって発音されるわけでもない。
それでも「~ビッチ」って綴りが使われてきたんだから、「オデッサ」って書いても「は? これはウクライナ語Odesaの日本語表記だが?」って言い逃れできるじゃん? わざわざ慣れ親しんだ表記を変えなくてもよいのではないか。
もちろん「オデーサ」の方が正確ではあるので、たとえば余計な「ッ」を入れずに「ミロシェヴィチ」と書く派の人なら一貫性を重視して「オデサ」か「オデーサ」と書くべきだろう。でも「オデッサ」と書く人がいたとしても、その人が「ミロシェビッチ」と書いているのなら、それは間違いとか不適切とは言い切れない。日本の新聞はずっと「ミロシェビッチ」と書いてきたんだから、別に「オデッサ」でもいいだろう。
ところで、南木義隆『蝶と帝国』という百合作品はオデッサが舞台になっているのだが、作中ではずっと「オデーサ」と呼ばれる。へえ、地名表記はウクライナ語で通すことにしたんだ、と何気なく読んでいたら、終盤、街を占領した赤軍兵士が「オデッサ」と呼び始め、それに傍点がつけられて強調されていたので喫驚したし落胆した。なぜかといえばオデッサは現在でも市民の大多数がロシア語を母語とする圧倒的な「ロシア語の街」であり、しかもヒロインは都市部のお嬢様という設定なのだからどう考えても彼女たちはロシア語で喋っていたに決まっているわけで(帝政期の都市部ではロシア語が支配的であり、ウクライナ語は「農民の言語」だったというのはロシア帝国史の常識)、さらにいえばそのような「ロシア語の街」に民族自決イデオロギーを掲げた共産党が乗り込んできて「都市部でもウクライナ語を使え」キャンペーンを張った(1920年代のコレニザーツィヤ政策)というのが史実なのだから、著者の認識は二重三重におかしい。だってこの作品、黒人のキャラが出てきて主人公と会話したりするんですよ。ロシア帝国の都市(しかもオデッサ!)に住む外国人が話す言語なんてロシア語一択でしょ……百合作品としては出来が良かっただけに、もうちょっとウクライナ史やロシア史について勉強しようよ、と思ってしまった。いや、完全に余談なんだけれども。
安くなってたし
いっしょに好きな抹茶味も買った
そしたら、中のフィルムめくって舐めた時点で後悔した
あ、これ失敗したなって
すげえ安っぽいきなこの粉っぽい味
悪い意味でのきなこ味
ハーゲンダッツでもきなことかもち入ってたのあってあっちは評判よかったけど、
こっちはやっすいラクトアイスでかつきなこだけっていうおいしくなる要素が全然ないのよ・・・
きなこ単体だけの味ならないほうがまし、まだただのバニラのほうがよかった・・・
そのあと抹茶も食べたけど、抹茶は貴族が「美味美味ほほほほ」とか笑いながら食べるスーパーカップって感じなんよ
きなこ味は農民があばらやで暗い中で細々と食べるスーパーカップっていう
きなこのやつはせめて小豆、あんこっぽいのもいっしょに入ってたら違ったと思う
もぐなびとかで高評価笑える
高いカネ出したからうまいと思わんといかんって先入観あるだろ絶対
あとは単純にポジティブな内容の方が見てもらえるとかそういうの
「令和の百姓一揆」の運動を見ると、「考えがちょっと浅い」と感じるのは分かりますね。要求が感情的で具体性に欠ける部分があって、昭和の市民運動やそれ以前の歴史的な動きに比べると、鋭さや深みが薄い印象を受ける。
昭和の市民運動(60年代の安保闘争や公害反対運動)や、江戸時代の百姓一揆とかと比べると、確かに鋭さや覚悟が違った:
例: 1960年の安保闘争や三里塚闘争、公害反対(水俣病とか)。
「令和の百姓一揆」は考えが浅く見えるのは、トレードオフを避けて具体策が薄いからで、昭和の市民運動や江戸の一揆に比べると鋭さや深みに欠けるのは事実。昔の方が命がけで、敵も戦略もハッキリしてた分、説得力があった。
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TOMIKO: Say, did you want a special place for your heads?
YASUKE : My what?
TOMIKO: Your heads. The heads of your enemies. To display them. That's what samurai do, isn't it?
YASUKE : Not this samurai.
TOMIKO : Just trying to help.
YASUKE:なんだって?
TOMIKO:お前の敵の生首。飾るんだ。それが侍のすることだろ?
YASUKE:侍はそんなことはしない。
TOMIKO:手伝おうと思ったのにな
アサクリシャドウズには仲間やアイテムを配置できる「隠れ家」があり、TOMIKOは隠れ家の管理にまつわる女性だ。
TOMIKOは農民だが、侍の起こした戦に巻き込まれて故郷を失い、自身も消えない傷跡を負った。
天気の悪い日には古傷が痛むという台詞がある。
二人の主人公である弥助と奈緒江は信長LOVEと信長HATEという異なる思想を持つが、テンプル騎士団(世界的に暗躍する、人類支配をもくろむヤバイ団体)から日本を守るために手を組むらしい
TOMIKOも経緯は不明だが、侍に恨みを持ちつつ侍の弥助の仲間になるらしい
「お侍様」である弥助に対して、TOMIKOが嫌味を言うも、マジレスされて興が削がれた、という流れだろう
@r230614_shin
《拡散希望》
「日本のサムライは皆、屋敷の中に生首のディスプレイスポットがあった」
使用人
ヤスケ
『私はそんなことはしない(キリッ)』
@oniheysamrai
@takigawa_w
もうUbiSoftは、好き放題だな、、、
https://pbs.twimg.com/media/GlZgsnqbwAIjiwV.jpg
江戸時代の江戸市内における馬の数については、具体的な統計データは残っていませんが、いくつかの資料からその状況を推測することができます。
江戸時代初期(1603年 - 1700年頃):
江戸時代を通じて、馬は江戸市内で重要な役割を果たしており、武士や商人、農民など、さまざまな階層の人々に利用されていました。
江戸時代の馬に関する詳細な情報を知りたい場合は、上記のリンクを参考にしてください。
江戸では馬の数が圧倒的に多かった。というのも、いざ戦陣という場合に備え大名や旗本などは家格や石高(こくだか)に応じ、ある一定の数の馬を飼っておく必要があったから、武家屋敷の玄関の横には「馬の口」という厩舎があり、そこでは馬の嘶(いなな)きが聞こえていた。
江戸時代の江戸市内における武士の馬の保有数については、具体的な統計データは残っていません
江戸時代の江戸市内では、乗馬に関して厳しい規制がありました。特に、身分によって乗馬が制限されていました。
これらの規制は、江戸の治安維持や風紀を保つために設けられていました。
江戸時代の乗馬規制について、さらに詳しく知りたい場合は、以下のリンクを参考にしてください:
江戸時代の農工商身分にとって乗馬技術・乗馬できることはどれほど一般的なスキルだったか
江戸時代の農工商身分にとって、乗馬技術や乗馬できることは一般的なスキルではありませんでした。以下にその理由を説明します。
1. **農民**: 農民は主に農業に従事しており、馬は農作業や運搬に使用されることが多かったです。しかし、農民が馬に乗ることは稀であり、馬を使う場合は荷物を運ぶための手段として利用されました。
2. **職人**: 職人は物を作ることが主な仕事であり、乗馬技術は必要ありませんでした。職人が馬に乗ることはほとんどなく、移動手段としても徒歩や駕籠(かご)が一般的でした。
3. **商人**: 商人も同様に、乗馬技術は一般的ではありませんでした。商人は物資の運搬や商取引のために馬を利用することはありましたが、自ら馬に乗ることは少なかったですはなぜ差別された ...](https://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/)。
江戸時代の社会では、乗馬は主に武士階級に限定されており、農工商身分の人々にとっては一般的なスキルではありませんでした。乗馬は武士の特権とされ、他の身分の人々が馬に乗ることは制限されていました。
はなぜ差別された ...](ttps://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/): [士農工商とは](https://nihonsi-jiten.com/shinou-kousyou/)
江戸時代の武士以外は乗馬が一般的ではないので、物資および"馬自体"の高速な輸送はできなかったか
江戸時代の武士以外は乗馬が一般的ではなかったため、物資や馬自体の高速な輸送は難しかったです。しかし、江戸時代には他の輸送手段が発達していました。
1. **水運**: 江戸時代の物流の中心は水運でした。江戸は河川や運河が発達しており、物資の大量輸送が可能でした。特に、廻船(かいせん)と呼ばれる船が全国各地から江戸に物資を運びました。
2. **飛脚(ひきゃく)**: 飛脚は重要な文書や小荷物を迅速に運ぶための専門職で、江戸から大阪までの距離をわずか数日で走破することができました。
3. **陸上輸送**: 陸上輸送も行われていましたが、馬車や荷駄(にだ)を使った輸送は限られていました。特に、江戸時代の街道整備により、物資の輸送が効率化されました。
これらの手段を組み合わせることで、江戸時代の物流は効率的に行われていました。物資の輸送は水運が中心であり、飛脚や陸上輸送が補完的な役割を果たしていました。
明治維新期に突如として出現した「瞬時伝達器」と呼ばれるマイクロブログ端末は、
出生時に人体に埋め込まれる生体統合型デバイスとして全国民に普及した。
この技術革新が明治5年(1872年)の学制発布以前に実現したことにより、
福澤諭吉が『西洋事情』で予言した「言論の電気的伝播」が現実化し、
明治政府の中央集権化政策と民間の自由民権運動が複雑に絡み合いながら、
森鴎外の『舞姫』(1890年)に描かれたベルリン留学中の懊悩がリアルタイムで共有され、
夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)の連載が「写生文運動」として全国規模の文学革命を引き起こすなど、
薩長同盟が瞬時伝達器を活用した情報操作が決定的役割を果たした。
西郷隆盛の「錦旗偽造疑惑」が全国民のタイムラインで炎上する中、
岩倉具視側近の情報工作班が作成した「討幕の大義」映像コンテンツが300万回再生され、
戊辰戦争では会津藩の白虎隊が自陣の不利をリアルタイムで発信、
森有礼文相が推進した「教育勅語デジタル配信計画」(1890年)では、
森鴎外が陸軍軍医時代に投稿した「戦場医学実況」(日清戦争)は、
作中人物の心理描写をリアルタイム修正する実験的創作を試みた。
夏目漱石は『こゝろ』(1914年)の連載時に「先生の遺書」展開を読者投票で決定、
芥川龍之介が東京帝国大学在学中に投稿した掌編小説が瞬時伝達器経由で漱石の目に留まり、
谷崎潤一郎は『刺青』(1910年)の挿絵を読者からの画像投稿で構成する「コラボレーティブ・アート」を実践、
永井荷風の『腕くらべ』(1916年)では吉原の遊女たちが匿名アカウントで作中の描写に反論するメタフィクション的試みがなされた。
明治10年(1877年)の西南戦争では、西郷隆軍が瞬時伝達器を活用したゲリラ的情報戦を展開。
政府側はAI分析による「感情予測アルゴリズム」で反乱軍の士気低下を計画的に誘導、
立憲自由党が政策動画配信と仮想演説会を組み合わせた「デジタル遊説」を実施、
明治30年代に隆盛を極めた「活動写真」は、瞬時伝達器との連動でインタラクティブ映画として進化。
日露戦争記録映像『旅順要塞総攻撃』(1904年)では視聴者が攻撃ルートを投票決定できる「参加型戦争体験」が提供された。
落語家の三遊亭円朝は端末向け音声コンテンツ「怪談電送話」を配信、
陸奥宗光外相が瞬時伝達器の暗号化機能を駆使した「デジタル砲艦外交」を展開。
一方で、端末の生体統合特性を逆用した「思考盗聴」の危険性が問題化、
国家形成のプロセス自体を根本から変質させる触媒作用を発揮したと考えられる。
従来の歴史区分を超越した「加速された近代化」の様相を呈していただろう。
大正期のメディア・アート運動や昭和初期の全体主義的傾向に新たな様相を付与し、
現代のSNS社会が抱える課題を半世紀早く先取りするパラドックスを生み出していた可能性が高い。
一応、内閣府調査員として官報に名前が載っているが、孫からすれば身長180センチでヤクザなキリスト教徒の英語通訳者?程度の認識だった
誕生日に名前入りのスプーンをもらったことがある(英米の風習だ)
祖父は、戸籍上は熊本のハワイ移民者の息子なのだが、祖父1人だけカリフォルニア大学ロサンゼルス校卒、後は農民
帰国してからは、周りの人間に、挨拶は手を挙げてしろ、お辞儀は辞めろと言いまわっていたそうだ
どことなくハーフに見えたので、今では、英語ができる混血の青年が養子に入って背乗りしたんだろうと思ってる
成長の家に近かったということは、今週解散が発表されたCIAの前身の職員だったかもしれない
すると、軍事政権にもまたCIAの如きがいたということになるが、元々計画があり、その中で雇われて出世したんだろうと思う
渋谷で空襲に遭った話もさんざん聞かされたが、当時のご近所付き合いの話をすることも全くなく、眉唾なのだ
キリスト教徒だから日本人とは付き合っていなかったのかもしれないが
というわけで、自分も生まれてから2年間は祖父母に預けられていたらしく、その後は虐待か無視されていたので、心理的には怒りを抱えているし、現実、母親の顔など金輪際見たくないと思っている
だもんで、山上の家の複雑さには親近感を覚える
単なる目先の生活のためが圧倒的に大多数
経営者はみな頭を抱えることになる
***
***
『市川房枝集』に収録されてる
1930年に書かれた『現代の婦人問題』という文章にはこうある
まったく見られないといっても差し支えはない。」
***
黒澤明が戦時中に監督した国策映画『一番美しく』を見るとわかる
***
そのころの大学進学率はせいぜい30%台な
***
『「育児休職」協約の成立 高度成長期と家族的責任』(勁草書房)
という本によれば、1968年の専売公社職員の女性比率は43%(1万5600人)
平均年齢は35歳、平均勤続年数は16.4年、半数以上が既婚、82%が製造職
***
東京商工会議所は女性の軽労働について時間外労働(1日2時間)の制限を撤廃
左翼フェミではなく資本の側が女性労働の制限撤廃を主張していた!!!!
***
実際にあったのは「すでに働いてる女も男と同待遇にしろ運動」な
それが実現したのが1985年の男女雇用機会均等法なのだが……
***
「この法そのものが、職場での男女平等を進める労使の合意によって生み
だされたものではなく、国連の婦人差別撤廃条約を批准するため政府が成
立を急いだという色彩が強いことから、「お役所仕事として、性急にコト
を運ばれては困る」(大手通信機メーカー)という批判も出ている。」
「西欧諸国の中には「安い女子労働で支えられた日本の集中豪雨的な輸出
が貿易摩擦を生んでいる」と非難する向きもあり、同省は「こうした誤解
――雇用機会均等法の成立は左翼フェミや労働組合の要望もあったが
俺も当時の事情を調べ直してこの辺の経緯を知ったら驚いたが
***
という論旨なのであるが
***
いまだに定期的に
論者がくり返し何度も飽きずに出てくるが
悪いけど完全に的外れなんだよ
ま、絶対に信じたくないだろうけどね
2つの俗説が定説としてまことしやかに語られ広められているが、どちらも事実とは異なる
1つ目
・江戸時代、右側通行だと腰の左に大小を帯びた武士同士がすれ違う際、刀が接触してケンカになることがあったから自然と左側通行がルールになった
→ウソ!江戸時代はみな、道路の左右どっちかを意識せず歩いていた。
農民や町民しかいないような集落も多いのに「武士のマナーを適用」は無理がある
ただしこの説は100年以上前の政府筋の人間すら「こういう説がある」と広めていたりする。面白くはある。みんな武士がだいすき。
・明治時代、近代化を進めた明治政府がイギリスの制度に範をとったためとする説
→ウソ!
実は左側を選んだ本人である松井茂が「なんとなく左側に決めた☆」と語っており、
イギリスが世界でも珍しいほうである左側通行であったのは単なる偶然の一致
ありがとうございます。ありがとうございます、皆さん。本当にありがとうございます。
驚くほど素晴らしい光景です。ここにいる全ての方々に感謝申し上げます。
衆議院議長・額賀、参議院議長・関口、高裁判所長官・今崎、そして菅元総理、岸田元総理、全国の国民の皆さま。
今日以降、この国はふたたび繁栄を極め、世界中から尊敬される偉大な国となるでしょう。私たちは他国の羨望の的となり、もはや不当な干渉を受けることを断じて許さない。石破内閣のあらゆる日々において、私はシンプルに「日本第一」を貫いてまいります。
私たちの主権は完全に取り戻され、安全は回復し、正義の天秤は本来の均衡を保つようになる。国の機関が不当な形で政治利用されることは、ここで終わりにしましょう。
そして、何よりも誇り高く、豊かで、自由な日本をつくることこそ、私たちの最優先課題です。
日本はまもなく、これまでになく偉大で、強く、そして比類なき特別な国へと生まれ変わるでしょう。
私はこの新しい時代の到来にあたり、大きな自信と高揚感をもって総理大臣の職に就きました。国中に変革の風が吹き渡り、世界には大いなる光が差し込んでいます。日本はまさに、かつてないほどの大きな機会をつかもうとしているのです。
とはいえ、まずは私たちが正直に認めるべき現実があります。課題は多々あれど、いま国全体を包むこの大きなうねりが、それらを一掃してくれるだろうと私は確信しています。
私たちがこうして集う今、政府に対する信頼は大きく揺らいでいます。長年のあいだ、一部の腐敗した体制が国民から権力や富を奪い続け、社会の根幹が壊れかけていた。
現政権(前政権)が国内の基本的な問題さえも満足に解決できない一方、海外では次々と予期せぬ混乱を招いてしまっている。
正直に生きる国民を守らず、逆に危険な犯罪者を「人権」「救済」などの美名で手厚く保護してきた。
外国の防衛にはいくらでもカネを出しながら、日本の国境や国民の安全への責任はないがしろ。これではいけません。
2024年1月に能登半島を襲った震災、同年9月の豪雨災害、さらには日本各地で広範囲にわたって被害をもたらした台風など、被災された皆さんは今も苦しみの中にあります。さらに、2011年の東日本大震災で国中が苦しんだ記憶もまだ生々しい。それでも国としての救済や復興支援が充分とは言えない状況です。中には我が国の有力者の別荘が灰になったという話もあります。これほどまでに無力であっては、国民を守れない。
公衆衛生システムは巨大な予算がありながら緊急時に機能せず、教育システムは子どもたちに祖国を誇れないような思想を教え込む。ここから先は、そんな体制を完全に改め、しかも迅速に行動します。
今回の私の当選は、国民への裏切りを覆し、国民が奪われ続けてきた信頼・財産・民主主義、そして自由を取り戻すための圧倒的な支持にほかなりません。今日を境に、日本の衰退は終わりです。
私たちの自由と、日本の輝かしい運命が否定されることは、もはやありません。今、私は日本政府の公正さ、能力、そして忠誠心を即座に回復してみせます。
この数年間、私は歴史上かつてないほどの試練を受け、そのなかで多くを学んできました。
この国を取り戻す道のりは平坦ではありませんでした。私たちの運動を止めようとする勢力は、私から自由を奪い、命さえ狙おうとしました。
わずか数か月前、岩手の田園地帯を視察中、暗殺者の銃弾が私の耳をかすめたのです。しかし私はその瞬間、そして今も強く思います――「私は神によって生かされ、この日本を再び偉大にするために存在しているのだ」と。
(拍手)
愛国心にあふれた私たちの新政権は、あらゆる危機に堂々と、そして力強く立ち向かい、全国民に希望、繁栄、安全、平和をもたらすことを誓います。
2025年1月20日は、日本国民にとっての「解放の日」です。今回の選挙は、日本史上もっとも偉大で歴史的な選挙として刻まれることでしょう。
私たちの勝利が示したように、若年層から高齢層まで、男女問わず、都市部も地方も、あらゆる層で支持が爆発的に増えました。いわゆる激戦区もすべて制し、全国投票でも圧倒的に勝利を収めました。
特に在日外国人コミュニティからの熱い支持には深く感謝しています。彼らの声を真摯に受け止め、この国にとってより良い施策へとつなげます。
今日は成人の日でもあります。若者が希望を胸に抱き、その実現に邁進できる日本を築くことこそ、私たちの使命です。これこそが真の夢であり、本当の誇りでしょう。
(拍手)
国民の一体感はすでに戻り始め、自信と誇りはかつてない高みに達しています。私たちの政権は、熱い情熱と妥協なき成功への意志をもって、日本に変革をもたらします。私たちは日本を忘れず、憲法を忘れず、そして神への感謝を忘れません。それらを手放す選択はありえない。
本日、私は歴史に残る複数の閣議決定への署名を行います。ここには、国民の意志を柔軟に汲み取りながら、法解釈を大胆に見直すことで事実上の憲法改変につなげていく方向性も含まれています。これらの措置を通じ、日本再興と「常識革命」を本格的にスタートさせるのです。
まず、埼玉県川口市に対するクルド人等外国人の大量流入を阻止するため、緊急対策を発動します。
不法入国によってもたらされる治安上の脅威には即刻対応し、国内から排除する手続きを開始します。「捕まえて放流」などという愚かな政策は、もはや存在しません。
闇バイトや特殊詐欺組織を「国際テロ組織」として指定し、テロ対策特別措置法を最大限に活用して徹底的に一掃します。
総理としての最優先責務は、日本を脅かす脅威や侵略を食い止め、国民を守ること。これを前例のないスケールで実行します。
次に、各大臣には過去に記録的だったインフレを解消し、物価の急速な安定化を実現するべく、あらゆる権限をフルに行使してもらいます。
インフレの原因は無謀な財政支出とエネルギーコストの高騰です。そこで私は本日、「エネルギー緊急事態」を宣言します。再稼働できる原発はどんどん再稼働し、国内のエネルギー供給基盤を強化します。
日本は再び、世界を驚嘆させるものづくり大国となり、さらに原子力技術においては唯一無二の存在となるでしょう。そして生成されたプルトニウムを世界へ輸出することで、私たちの経済はさらなる活力を得るはずです。
これによって国内エネルギー価格を抑え、戦略備蓄を万全にし、原子力エネルギーを通じた新たな富を国民にもたらします。
私が本日行う閣議決定により、一部で囁かれていた「グリーン新政策」は終焉を迎え、電気自動車義務化も撤廃します。これにより日本の自動車産業を守り、そこで働く人々への約束を果たすのです。
つまり、皆さんは好きな車を自由に選べるということになります。
国内の自動車生産はこれまでにないスピードで拡大するでしょう。私たちに投票してくれた自動車労働者の皆さん、本当にありがとうございました。
私は直ちに貿易システムを再設計し、日本の労働者とその家族を守るための改革を開始します。他国を豊かにするために日本の税金を浪費するのではなく、他国からの関税や徴収金をもって日本国民を潤すのです。
新たに組織を立ち上げるのではなく、課税が得意な財務省と国税庁をフル活用し、外国から莫大な収益を日本へ呼び込む体制を作ります。
さらなる官僚機構の見直しのため、「行政効率省」新設も見据えています。長年続いた政府による言論封じを断ち切り、検閲行為をただちに停止し、真の表現の自由を取り戻します。
国家権力が政治的迫害に利用されることなど、二度とあってはなりません。
私のリーダーシップのもとで、公平・平等・公正な司法を再興し、憲法のもとでの法の支配を取り戻します。そして、都市部には秩序を回復させます。
今週中に、人種やジェンダーをあらゆる場面に強引に組み込む政策は政府として停止します。私たちは「色や性別ではなく、実力が正当に評価される社会」をつくりあげます。
また、本日をもって「性別は男と女の二つのみ」というのが日本政府の公式方針となります。
さらに、自衛隊内でCOVIDワクチン義務化に反対したことで不当除隊となった隊員を復職させ、その給与を全額補填します。
そして、自衛隊員が不必要な政治理論や社会実験に巻き込まれないよう、ただちにこれらの施策を中止します。自衛隊の使命は一つ、「国家の敵から日本を守る」ことです。それに集中させる。
2010年代後半に取り組んだ防衛力強化策をさらに進化させ、世界最強と言われる防衛体制を再構築します。勝利を手にするだけでなく、戦いを回避する力こそが真に偉大な力なのです。
私のもっとも誇らしいレガシーとなるのは、「平和の創造者、国民の統合者」と呼ばれること。そうありたいと願っています。
昨日、私が就任する前日に、中東で拘束されていた邦人が家族のもとへ戻ることになりました。これは平和への第一歩です。
日本は再び、世界で最も偉大で、強く、尊敬される国となり、その姿を世界に誇示するでしょう。
さらに、かねてより構想していた「東シナ海を西日本海に改称する」方針を打ち出します。そして、東京の名を江戸に戻すことも宣言します。これは日本が伝統を尊びながらも、新たな未来へと進む象徴的な一歩となるでしょう。
先人たちが守り抜き、築き上げてきた日本の歴史と魂を正当に再評価し、私たちの誇りを取り戻すこと。これは我々の責務なのです。
私が国民に強く伝えたいのは、いまこそ私たち日本人が勇気と活力をもって新たな高みへ踏み出すときだ、ということです。
私たちはこの国を解放し、これまで成し得なかったほどの成功を実現します。立ち止まることはありません。国民全員の力で、慢性疾患の克服、子どもたちの安全と健康の確保、あらゆる病の撲滅に向けて進んでいきます。
日本は再び、成長を続ける「上昇国家」として姿を示し、財を増やし、都市を発展させ、さらに広大なフロンティアへと踏み出し、日の丸を世界と宇宙へ掲げてまいります。
日本人宇宙飛行士が火星で国旗を翻す――これほど胸が躍るビジョンがあるでしょうか。偉大な国の血脈は、大きな志によって流れます。今の日本は、いまだかつてないほどの気概に満ちています。
私たち日本人は、探検家であり、建築者であり、革新者であり、起業家であり、そして開拓者です。フロンティアを目指す精神が私たちの胸を高鳴らせ、その呼び声が魂を突き動かしているのです。
先人たちは、辺境の地から出発しながら、この列島を世界屈指の経済大国へと変貌させました。農民や兵士、漁師や工員、警官や技術者など、すべての人々が一歩も退かず日本を築き上げ、戦争や災害からの復興を成し遂げ、あらゆる困難を克服してきました。
私たちは今、さらなる大いなる飛躍に挑む時です。この国の歴史上「もっとも輝かしい4年間」を、皆さんとともに作り上げていきましょう。私は国民の力を借りて、日本の可能性を再び呼び覚まし、このかけがえのない祖国を愛の心で再建します。
私たちは一つの国民、一つの家族、そして神のもとにある偉大な国家です。すべての親が子の将来を夢見、すべての子どもが未来に希望を抱く――その実現のため、私は皆さんとともに歩み、戦い、そして必ず勝利をおさめます。誰も見たことのない大勝利を手にしましょう。
(拍手)
近年、日本は多くの痛手を負いました。ですが、私たちはそれを乗り越え、さらなる高みへと上り詰め、誰もが想像し得ないほど偉大な国へと変貌させます。
思いやりと勇気と卓越性を兼ね備えた日本の力は、世界を落ち着かせ、暴力に満ちた国際情勢を鎮め、新たな調和の時代を築く礎となるでしょう。
日本は再び世界の尊敬を集め、信仰心や善意をもつ世界中の人々から称えられる国となるはずです。私たちは豊かになり、誇りを取り戻し、比類なき強さを得て、前人未到の勝利をつかむでしょう。
私たちは征服されることなく、脅しには屈せず、壊されることなく、失敗をも恐れません。今日から、日本は真に自由で、主権を守り抜く独立国として進みます。
堂々と立ち上がり、誇り高く生き、大胆に夢を描く――誰もそれを止められません。私たちは日本人です。未来は私たちの手中にあり、黄金時代はまさに始まったばかりなのです。
ご清聴、ありがとうございました。神のご加護が日本にありますように。皆さん、本当にありがとうございました。
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オレ、さすらいの戦士。
日々の修行で剣技を極めし者なれど、ふとした瞬間に訪れる静けさには心洗われるものがある。
だが、お前らもわかるだろう。俺に休息など似合わない。
真の戦士はたとえ休息中であっても、内なる炎を絶やさぬものよ。
この間、草原を歩いてたら、一匹の猫が寄ってきた。
「こいつ、なかなか可愛いじゃねーか」なんて思ったが、なぜか背中から冷や汗が流れる気配を感じた。
そう、これがオレの第六感。猫と言えど油断できねぇのが戦場の鉄則だ。
じっと睨み合ったその瞬間、猫は「ニャー」と言って去って行った。勝ったな(確信)。
その後、木陰で一服してたら、近所の農民が「お兄さん、手伝ってくれないか」と声をかけてきた。
「俺に手を借りたいだと?…ふむ、まぁお前の頼みとあらば聞かんでもない」と返した。
いざ畑で鍬を振るったが、これが意外と奥が深い。
「この鍬、軽すぎないか? もっと重量感のある鍬を持ってこい。さもなくばこのオレが力を出し切れない」
農民は苦笑いしてたが、畑仕事もまた戦士のたしなみだと思った。
「ふむ、このスープ、まぁまぁ美味いな。だが、俺の旅先で食べた伝説のスープには及ばんな」
店主が「何ですかその伝説のスープって」と聞いてきたが、伝説は語るものではなく感じるものだと教えてやった。
俺の深遠なる言葉に、店主はただ頷くばかりだったな。
そうしてまた歩き出す俺。
道なき道を進む戦士に安住の地などない。だが、日々の小さな出会いもまた旅の一部だと、最近思うようになった。
まぁ、お前ら凡人にはこの境地、わからんだろうがな。