はてなキーワード: 2010年代とは
順番にまとめます。
まず何と言ってもポール・クルーグマンです。
と強く主張していました。(これが日本リフレ派にしばしば引用された)
しかし、2010年代後半以降、彼のトーンはかなり変わってきます。
つまり、
というスタンスに移ったのです。
と主張しました。
ポイント:
リーマンショック時に量的緩和(QE)を推進したバーナンキも、
近年はこう言っています:
つまり、
人物 | 初期立場 | 最近の変化 |
クルーグマン | リフレ政策強力推進 | 金融政策だけでは限界、財政政策・供給サイド重視へ |
サマーズ | もともと金融政策懐疑派 | 長期停滞論を唱え、構造改革・財政支出重視へ |
バーナンキ | QE推進 | QEは効果あるが万能ではないと認識 |
項目 | 海外リフレ論者(最近) | 日本リフレ派(初期) |
---|---|---|
金融政策 | 必要だが限界あり | 最強・万能と期待 |
財政政策 | 必須、もっと重要視 | 当初軽視、後に認識 |
供給サイド改革 | 重視する方向に転換 | 当初無視か軽視 |
まず前提として、
という立場の人たちです。
などが挙げられます。
海外の有名経済学者の発言を、都合よく引用する傾向が非常に強かったです。
たとえば:
クルーグマン(ノーベル賞受賞経済学者)は、2000年代初頭から
「日本はもっと積極的な金融緩和をすべきだ」 「期待インフレ率を高めるべきだ」 と主張していました。
しかし現実には、クルーグマンも後年になると「金融緩和だけでは日本の成長率を大きく押し上げるのは難しい」と語調を変えています。
でも日本のリフレ派は、自分に都合のいい時期のクルーグマンの発言だけを切り取って主張し続けたのです。
バナジーは「経済成長を自在にコントロールできない」と慎重に言った
しかし、それを
つまり、海外学者の慎重な議論を、「自分に都合の良い結論」に加工して利用しているのです。
理由をまとめると:
理由 | 説明 |
日本国内の学問的権威不足 | 日本の経済学者だけでは説得力が弱いと考え、海外の大物の名前を借りたい |
政策正当化のための政治的必要性 | リフレ政策を通すためには、国民・政治家に「世界の常識だ」と示したかった |
マスメディア戦略 | 分かりやすい「権威の名前」はメディア受けが良い。細かい議論は無視されがち |
現実にうまくいかなかった後の正当化 | リフレ政策が期待ほど成功しなかったとき、「もともと誰も確実な方法を知らない」と言い逃れるため |
実は日本の経済政策議論の最大の根本対立と言ってもいいくらい重要です。
簡単に言うとこうです。
リフレ派 | 構造改革派 | |
---|---|---|
主張 | まずは金融緩和でデフレ脱却・需要刺激が最優先だ | 経済の供給能力(生産性)を上げないと成長は無理だ |
手段 | マネタリーベース拡大、インフレ目標設定、国債購入、ゼロ金利、マイナス金利など | 労働市場改革、規制緩和、法人税減税、スタートアップ支援など |
短期的ターゲット | インフレ率2%達成、消費拡大 | 労働生産性向上、新規産業創出 |
考え方の特徴 | デフレは貨幣的現象だ(貨幣量を増やせば治る) | デフレは供給力の弱体化や人口減少など構造問題から来ている |
主な支持者 | 安倍晋三、岩田規久男、中原伸之、浜田宏一(黒田総裁も近い) | 小泉純一郎、竹中平蔵、吉川洋、八代尚宏、伊藤元重、民間経済学者に多い |
たとえば:
1990年代後半〜2000年代前半 → 実は「構造改革優先」が必要だった(不良債権問題など)
2010年代初頭 → 確かにまずデフレ脱却を急ぐべきだった(需要不足深刻だった)
でも長期的には「供給力強化」がないと持続成長できなかった
つまり
ところが実際には:
構造改革派は「改革には時間がかかる」ので地味すぎて政治的にウケなかった
だから、
池上彰さんの経歴の中核となっているのはジャーナリストとしての経験です。1973年にNHKに入社後、記者として32年勤め、退職後はフリーランスのジャーナリストに転身されました。
2005年から2010年代の中頃までが民法でニュース解説者として活躍されていた時期です。レギュラー番組や特別番組を持ち、その一部は受賞歴もあります。
民法で知名度を得てからは、9つほどの大学で客員教授、特任教授として勤めてきた経験もお持ちです。また、一時的ではないものとして名城大学の教授もされています。
近年では、公式 池上彰と増田ユリヤのYouTube学園というチャンネルでYouTuberとしても活動されています。
テレビで同じような時期に脳科学者として活躍されていたのは茂木健一郎さんだと思われ、池上彰さんとは別人です。
アナウンサーというのは記者が書いた原稿を読み上げる人ですが、池上彰さんは本質的には原稿を書く側の人です。
NHK退職後は原稿書きに専念したい、という思いがあったようですが、奇しくも民法では自分が表に出て解説まで通して行う方がウケたので、その構図がアナウンサーという誤解の元になったのでしょう。
AIの訓練データをwebから拾ってくる研究って昔からあって、クローラーの開発競争とかあったんだけど
世界中のwebをクロールできたとして、自動で行き着ける範囲は無料でアクセスできる範囲でしか無いんだよね
無料で手に入る訓練データなんて無料品質でしか無いというのが定説だった
だからAI開発は高品質で大量の有料データを効率良く確保するビジネス手法が必須というのが2010年代の風潮にあった
でもOpenAI等の開発ってほぼweb上のデータだけでできてるぽいんだよね
個人的にはそれを社会にデプロイすると思ってなかったし、社会が受容して活用するとも思ってなかったのですげえ驚いた
堂々と違法サイトクロールするのが正解を最速導出するという認識が無かった
結構近い分野で研究してたので、その認識に至れなかったの悔しいな〜というのがある
データである以上複製は避けられないし、暗号化した所で人間の目に入る瞬間には復号化したデータがメモリ上に乗ってるはずなので
それをスニッフしちゃえば理論的には全ての有料販売は海賊版サイトに転載される、可能性がある
絵師様が無断転載禁止とか言ってるのを見てると、いやアップロードすんなやと思うが
有料販売品が無料で海賊版出されてるのは流石に絵師様が悪いと思えない、海賊版サイトを潰せという認識で世界が統一されてほしい
最近タイムラインに流れてくる記事で「なんでジュニアレベルを育てなきゃならないんだよ、うちのシニアの時間の無駄遣い!」とかっていうのを「正しい論理的な説明」であるかのように書いてある記事を散見するようになった。
こういう発言から俺が感じることは何点かあるんだが、まず、自分たちはジュニアを育てる気はないが、シニアになったら雇う、というのは社会に対するフリーライドでOSSに対してフリーライドすることは少なくとも良くないことであるという認識があるのだろうに、なんでこう考えられないのかと思ってしまう。
真意は知らんが、そういう理屈を普通に言えている時点で、なんか透けて見えるって話だ。
次に、2000年代はやるきさえあればジュニア未満でも雇ってもらえた時代だった。20年以上経って時代が変わったといえばそうなんだろうが、その時代を知っていそうな人や、その時代に救われてそうな人までジュニアを育てる意味なんかねーよ、時間と金の無駄、という人がいる。
結局2000年代に入り込んできた奴らが既得権益を貪る場所になったのが今のIT業界と言っていいだろう。
一つだけ同意なのは、ジュニアレベルというのは会社にとっては負担という点だ。
ジュニアレベルを一人面倒見るために必要なシニアの人数は一体何人だろうか?ジュニアレベルのクッソくだらない質問に答える時間というのは確かに集中力を途切れさせるという点でも思った以上に影響が大きい。
ジュニアレベルのために5分さいても、割かれたシニアが損する時間は30分くらいある、彼らの時給やその30分のコーディングで生み出すコードの利益を考えるなら会社からしたら結構な損だろう。
同時になんか理屈をこねてカッコつけるんじゃなくて正直に「そんな体力ありません」って言えばいいんじゃないのかと思うんだが、なんでこういう感じのことを言うんだろうなと思って俺は悲しくなる。
IT業界として、ジュニアレベルの新人を面倒見るとしたら一体何人でサポートすべきなのか、その間に出て来る損失をどう考えるべきなのか、ジュニアレベルが育った途端にやめて他に行くようだと困るのだからそのあたり制度としてどう対応していくのか、そういったことは考えるべきだと思うんだ。
だけど等の業界が「ジュニアを育てるなんて時間の無駄なんですよ、うちのシニアが30分で生み出すコードの価値わかってます?その価値を捨ててまでジュニアの面倒見るとか意味がわかりませんよ」とか言っている時点で、この会社が今しか見ていなくて業界の未来なんか気に求めていないっていうのはわかるんだが、こういう私的な世界観だけで全部完結するようになったIT業界はすっかり既得権益を貪る場所になったんだな、と思うようになった。
そういえば「IT業界はもっと実力主義にするべき!」とか言う奴らが2010年代くらいにちらほら見えるようになってきていたが、冷静に考えたら「腕しかない若造と、腕と経験と人脈を作り上げたシニアにどう対峙するんだ?」としか思わなかったことを思い出した。
このときに鬱憤ためまくった奴らが今のIT業界のトップに今なっているのかな、だとしたらもはや業界に対する復讐でしかないなともちょっと思ったりする。
まとめると結局今のIT業界には当時の生存者バイアスに取り憑かれた既得権益者たちが社会にフリーライドして利益を貪るが社会には何も還元しない、という会社が増えてきているって言うことなのかもしれない。
Netflixっていうかスマホで見る定額動画配信サービス全般
昨今の少子化なんだけど
例
https://ecodb.net/country/KR/fertility.html
https://ecodb.net/country/CN/fertility.html
https://ecodb.net/country/CA/fertility.html
https://ecodb.net/country/DE/fertility.html
https://ecodb.net/country/EG/fertility.html
https://ecodb.net/country/US/fertility.html
https://ecodb.net/country/JP/fertility.html
この不思議なシンクロニシティに注目してるの、ネットで俺しか見たことないんだけど
当初、2010年代から加速してる国が多かったから、スマホや携帯が何らかの原因になっているのでは?と考えてたんだけど
2016年と考えると、VOD(定額動画配信サービス)の影響が大きいのでは?とさっき思った
https://research.impress.co.jp/internetvideo-report
2016年 14.2%
2017年 16.4%
...
2022年 36.3%
もちろんこれ全世代なので、20代に限ってみれば2016年頃からの伸びが強いと分かるだろう
辻褄もあう
よく恋愛離れに対して「娯楽が増えたから」ということがあるが、これはもっと言えば自由時間の問題だ
足りないのは金ではなく暇・退屈なのではないか?
___
これって要はオタク化だよね
そもそもオタクが非モテなのって一人遊び(コンテンツ視聴)が上手だからだよね
___
スマホ自体が影響しているという説は前から持ってる(賛同はあまりされない)
いくつかの国では2010年くらいからの減少や減少の加速が見られる
ただし、これはリーマンショックの影響もありそうだからわからないんだよね
ちなみにこの説を補強するには「インターネット普及率が低い国では合計特殊出生率が急減速してない」を言えばいいと思うが
・チャド 18%
これらの国の合計特殊出生率はほぼ線形に下がっている(中央アフリカ以外)
急減速はしていない
(軒並み下がっているのはおそらく女性の社会進出など、昭和日本で起きたことがアフリカでも起きているのかと予想するが調べてはいない。そもそもまだ十分高い、5人6人産むような状況)
まあ何とも言えないね
つまりスマホや動画配信の影響があったとしても、それがメインではないんだと思う
ただ、ここ10年の減少はそのくらいしか説明変数が見つからないんだよね
少なくとも、
これを誰か別の仮説でもいいから出してほしい
これ明確な答えがあって、「テックリード」ってのが幅を利かせてきたのは2010年代後半以降
シリコンバレーの制度が断片的に日本に輸入されてベンチャー界隈がなんちゃって「テックリード」って肩書きを使い始めた(最初に日本語圏に用語を持ち込んだのは rebuild?)
シリコンバレーの会社のシステムってかGoogleとかの制度の全体像を知らずに語感のかっこよさだけで使ってたから完全に紛い物になってた(酷い会社だと新卒をテックリードにしたなんてことをテックブログで自慢してた)
まあ本来のTech Leadは日本の「プロジェクトマネージャー」なんかと大して仕事内容は変わんないか、「システムアーキテクト」も兼ねてるかもしれない
子どもの数は減っている。しかし、放課後に学童に通う小学生は、10年間で89万人から151万人に激増した。いろんな理由はあるが、最大の理由は、金を稼がないと、生活や子どもの教育がたちゆかないからだ。
自分は2007年度生まれの子どもと2017年度生まれの子どもを育てながら、自宅を職場にしているが、この10年間の激変がヤバすぎて震える。
下の子が小学校に入学してまもなく1年。ここ数カ月、親が仕事で忙しい小1の子どもが居場所を求めてうちにしょっちゅうピンポンを鳴らす。1人だけじゃない。誘い合わせて2人3人とやってくる。
うちのベルを鳴らすのは、両親ともにフルタイム核家族の子、両親フルタイムで祖母が育児担当の子、ひとり親家庭の子だ。子どもたちは放課後に行く場所がなく、自宅に親がおらず、うちが断ると、また別の家のドアを、その家が断るとまた別の家のドアを叩いている。
プライバシー保護のため、10年前にはあった連絡網はなくなったので、その子たちの親の連絡先は知らない。
一時期、連日のピンポンラッシュがあり、子どもが遊びたがって何度か受け入れてしまったが、今は理由をつけて断っている。「約束なく1人で来ちゃダメ」と言ったら、「約束をした」と嘘をつくようになったから、叱ったこともある。
でも、すごく暗い気持ちになる。
なにせ、1つのクラスに3人もいるんだぜ、親がフルタイムで働いていて、放課後に子供だけで暗くなるまで出歩いている小1が。
なんで学童に毎日行かせないのか?そんな疑問が生じるかもしれない。
学童の利用児童の数が多いエリアでは、すし詰め状態で過ごす子どもたちの安全を守るために、たくさんのルールが設けられているところが少なくない。学童の職員はものすごくがんばってくれているけれど、子どもの増加に人の手が追いついていない。
その子たちが学童に毎日行かない理由としては、こんな理由があると思う。
・学童に登録はしてる。でも、子どもが行きたくないという日には、留守番させる日もある。高学年のきょうだいがいる場合、兄や姉にまかせて学童を休ませる日がある
・残業で学童に迎えが間に合わない日には、明るいうちに学童から子どもだけで帰宅させている
思うんだけど、急速な共働き化で、育児界隈の荒れ地化進んでないか?
夫婦2人で働けば、経済的な不安は軽減するだろう。でも、両親フルタイムで19時自宅とか、家庭まわらないと思うんだわ、実際。夕方の家事山積みだし。
いざとなったら、離婚という逃げ道があることも必要だ。配偶者の存在がストレスになって体を壊す人もいるし。でも、離婚して、ワンオペで働きながら子ども育てるの、おばあっちゃんとかいないと子どもにしわ寄せがいく。
そして別にいいんだ、おばあちゃんに育児丸投げしたって。主婦スキルの高いおばあちゃん、本当に頼りになるし。でも、おばあちゃんたち、たいてい元気な子どもを追いかける体力ないんだわ。昔、夫に育児を丸投げされていたおばあちゃんが、今度は孫の育児丸投げされているケース見ると、ちょっと気の毒なこともある。
なにがいいたいかって、「子どもは一定の年齢になるまで、“きちんと世話をしてくれて、話を聞いてくれる、体を動かせる大人”が絶対に必要だ」ということだ。フェミニストは怒るかもしれないけど、この事実だけは変えられない。
なにも「専業主婦が必要だ」って言ってるんじゃない。でも、子どもを特別扱いしてくれる「大人」が、必要なんだ。
母親じゃなくてもいい。父親でもシッターでもピンシャンしているおばあちゃんでも、信頼できる大人なら、誰でもいい。
大勢を一度に見ている学童の先生や習いごとの先生は、身の周りの世話をすることはできないし、1人の子を特別扱いすることなんてできない。
思えば、2014年ころの小1はもう少しのんびりしていた。2010年代に共働き家庭が急激に増え、2015年に時の政権が「女性活躍だ!」と言い出して、保育園の枠が足りなくなり2016年には「保育園落ちた!日本死ね」のブログが大きな話題を呼んだ。
今、多くの母親は、仕事も家事も育児もがんばってる。でも、父親の働き方はほとんど変わらない。日本の企業は、長く濃く、できれば安く働く人を求めている。16時まで働いて、余裕をもって暮らせる働き方ができる職場は、あっても少ない。
母親は「子持ち様」とか白い目で見られないように他の社員より早く帰れる非正規になるか、同僚や地域の人に行くしわ寄せに目をつむってがんばって金を稼ぐか、おばあちゃんに丸投げするか、面倒だから世間の「働いていないくせに」という眼差しに耐えながら専業主婦でいるか、どの道を選んだって、つらい。
マジで、子どもを育てるのには金も手間も時間も心もいるからら、働く親に手間と時間をあげてくれ。忙しいと心が死ぬ。企業は、育児中の父親と母親を定時に帰してやってくれ。そして、育児は「稼げない無償の仕事」とバカにしないでくれ。
そして、放置するよりも学童のほうがずっとずっと安全だから、低学年の子を放置している親は、子どもがゴネても学童行かせてくれ。学童に適応できない子もいるかもしれないから、官でも民でも、そういう子がほっとできる場所を作ってくれ。
リーマンショック直後の大不況時代。大企業がリストラや内定取消しに走る中、「ベンチャーに飛び込んで会社の看板が無くても稼げるようになろう!」だとか起業だとか、そういう意識高い系の主張が流行り始めていた。ノマドワーカーという概念が流行るのはまたさらに少し後のことだ。
在学中に経験したガラケーからスマホへの転換は、中身は無いが語りたいことだけが山のようにある俺たちの声を世界に発信する絶好の機会だった。
いち学生の俺の思いついたもっともらしい発言に、知らない学生からいいねがつくのは楽しくて仕方なかった。
当時はそういう学生の粗探しをする向きも少なかったし、今ほどコンプライアンス重視でもなく、本当の意味で自由な発言ができた空間だったように思う。(潮目が変わったのは3.11だったが、その話はここではしない)
学生団体に所属していた俺も、当時の意識高い系の大学生がみんなそうだったように、プロフィールにスラッシュをたくさんつけて、自分が何者であるかを説明しようと躍起になっていた。
◯◯大◯◯学部/学生団体◯◯/◯◯ゼミ/何かしらの名言ぽいフレーズ/◯◯に興味あり、といった具合だ。
今思い返せばその大半は一過性のステータスで、ひどく無駄なことに時間を費やしたような気がしなくもない。何しろスラッシュとスラッシュの間に何を書いていたのか、そこで誰に会って何をしたのか、今となってはほとんど何も思い出すことができない。Twitterでやっていたのと同じように、なんだか思いついたことを喋りあっては互いに賞賛していたような気がする。一過性のステータスのために生じた出会いは所詮一過性でしかなく、皮肉なことに卒業後も続いている人間関係はそのどれにも該当しない、なんでもない交流の中から生まれたものだ。
ただ、正解を持たない日々が許される大学生というモラトリアムにおいて、なおかつ世紀の大不況という状況下において、実績のように所属団体やらグループやらをかき集め、それをバッジのように見せびらかす行為は、自分が前に進んでいるという実感を与えてくれる慰めだったのだと思う。多くの学生が頼まれてもいないのに同じフォーマットをなぞっていた。あれはきっとあの時代がもたらした特異点のような流行だったに違いないのだ。
今や俺たちは中高年に差しかかり、語りたいこともないのに正直大した中身もない。
語るという習性だけは僅かに残っているが、「何か」がないと語り始めることができない。大抵その「何か」は生活や社会への不安・不満だったりする。
昔は面白いことを語っていた奴が、いつの間にか政治ネタを延々リツイートするbotと化すのを何人も見てきた。やがてはそれさえも飽きてみんなどっかに行ってしまった。
たぶんこの社会のどこかで俺と同じように働いたり疲れたりしているんだろうと思う。はじまりはTwitterであんなに簡単に出会うことができたのに、今はもう一生会うこともない気がする。
SNS勃興とテキストベースのコミニュケーションが主軸だった最後の時代がもたらしてくれた奇跡だったんだなぁと、古いフォロワーを整理しながら思ったのであった。
増田はあまり知らなかったのだが最近ハマったので話をさせてくれ。
年齢層にもよるだろうが、リアルアキバボーイズ(RAB)について知っているかと聞かれたら
①知らない。
②昔ニコニコ動画のランキングに上がっているのを見たことがある。メンバー等までは知らない。
③メンバーの名前を知っている程度には見ていた。最近はよく知らない。
④ここ数年で活躍を目にした。
大体こんなもんに分類されると思う。
増田は昨年まで②であった。
しかしたまたまYoutubeに出てきたおすすめ動画を繰っているうちにあれよあれよとはまってしまった。
この記事は②および③の人に向けて、増田が「知らんかった…!」と驚いた内容をお伝えしたいものである。
保護者諸氏には物足りないかと思うが温かい目でご覧いただき、間違い等あったらご指摘いただけるとうれしい。
増田の記憶の中のRABは、ニコ動のランキングで見かける、5人位でコミカルなダンスの動画を定点カメラで撮ってる人たちであった。
2010年代前半までは、創始者1名(動画等にはあまり参加しない)+5名の、ブレイクダンスのチームだった。
生年は1983〜87年、ダンスを始めるきっかけはめちゃイケの岡村、涼宮ハルヒやらき☆すた、ナデシコやゼロの使い魔あたりがオタク活動の全盛期だった世代である。
それぞれブレイクダンサーとして活動し華々しい戦績を上げていたメンバーが、オタクという共通項を通じて結成したのがリアルアキバボーイズというチームだ。
2006年の結成からはダンスバトルに出たり、ブレイクダンスのイベントでアニソンダンスを披露したり、それで審査員にガチ怒られしたりしていたらしい。
2011年にスター☆ドラフト会議という番組に出てチェックシャツをタックインしたオタクという演出をつけられ(そして劇団ひとりがメンバーの私物のフィギュアを食うパフォーマンスをして2chで死ぬほど叩かれ)、その余波でなんかメジャーデビューしてみたり、
その後チェックシャツを継続したまま踊ってみた動画でニコニコ動画のランキングを席巻したりしていた。
彼らは2016年に、「アニメ化する」「武道館でライブをする」という目標を打ち立て活動を続ける。
生年でいうと1992〜96年。彼らはRABが開拓した「アニソンダンスバトル」のイベントで揉まれてきた世代である。
それまでブレイキンのチームだったRABだが、ここでそれ以外のダンス要素が加わった。
生年は2006年。RABが結成された年に生まれたそのメンバーは、加入時15歳にしてダンス歴12年。天才高校生ダンサー(今春卒業)とかダンス界の至宝とかの呼び声も高い。
アニソンダンスバトルにも小学生の頃から出場しており、小さな身体で圧巻のパフォーマンスをしている様子を、今もYoutubeで見ることができる。
最初にオタク文化が好きという理由で始まったRABが、約10年下の世代、さらに10年下の世代へとメンバーを増やしていることに、増田は個人的な胸熱を感じている。
それを実現したのは、ダンスパフォーマンスはもちろんだが、アニソンダンスバトルという「場」を作ってきたからだ。
2011年に彼らがスター☆ドラフト会議に出たとき、「オタクがこんなに踊れるわけねーだろ!」というツッコミが飛び交っていたのを覚えている。ストリートダンスとオタクなんて水と油だと思われていた。
けれども彼らはそれらを繋げた場を自分たちで作り、人を集め、大人から子供まで魅了している。
2018年、RABの主催する「アキバ×ストリート」は文部科学大臣賞を受賞したらしい。
2019年の新メンバー3名(ESPICE)加入以降、一つ重要な変化がある。
RABは、かっこつけるようになった。
悪い意味ではない。
もともと彼らはダンスの分野で世界一になったり日本一になったりした実力者揃いなので、そもそもちゃんとめちゃくちゃかっこいい。
だが、初期メンバー(ROOTS)の動画は「高いスキルを使ってふざけ倒す」ものが多く、カメラも固定がメインである。
はじめから終わりまでかっこいい振付の動画であっても動画終わりの「おまけ」でふざけたりする。
だが、ESPICEが加入し、彼らが動画の振付や監督をするようになると(RABは振付・監督をそれぞれが行う)、
アップやカット割、照明を駆使した凝った演出、チェックシャツ以外のかっこいい衣装の動画が増えた。
それがまじでかっこいい。
これは私見だが、ROOTSの世代が持ってるどこか古いオタクの恥じらいみたいなものの軛が、ESPICEの世代は比較的薄いんだろうなと思う。
オタクだろうと、がっちりきめてかっこよくしてかっこいい!と言われるのが不思議ではない世代。
そして、ESPICEの3人がROOTSを心からかっこいいと思っているのが見て取れる。
世界に誇れるスキルをもつかっこいい先輩をかっこよく演出したいし、自分たちのかっこいい姿も見てほしいのだなと思える。
また、メンバー加入によってダンスの種類が増えて見せ方が増えた。
ブレイキンの技だけではない、タット、アニメーション、ヒップホップなどさまざまなメンバーの特技を組み合わせた振付は常に目新しくて膨大な過去動画を見ても見ても飽きることがない。
歌手のバックダンサーとしてでなく、ダンスというコンテンツで武道館を埋めた。
武道館にはオーイシマサヨシ氏が応援に駆けつけた。彼のMVにRABががっつり登場しているためである。
なおかつて番組内でフィギュアを咥えて死ぬほど炎上した劇団ひとり氏からもからお祝いメッセージがきていた。いい話である。
YOASOBIの「アイドル」に「オイ!オイ!」の声としてレコーディング参加し、紅白でもオタ芸を披露していたし、
最近はSnowManの佐久間大介さんのソロ曲に振付・ダンサー・「オイ!オイ!」として参加している。
NHK「沼にハマってきいてみた」ではアニソンダンスバトルが特集された。
2011年にバラエティ番組で観客の悲鳴とともにメジャーデビューした彼らは、10年以上の時を経て、またメジャーの舞台に立ちかけている。
時代の変化もあるだろう。アニメやオタク趣味の立ち位置も、ブレイキンの立ち位置も、この10年で随分と様変わりした。
けれど、その時代の変化をただ享受したのでなく、変化の最前線で場を切り拓いてきたことに凄みがあると思う。
ここまで色々書いてきたが、大人が活動し続けるために必要なのは、金である。
いくら好きなことでも生活費が確保できなければ全力で取り組むことはできない。
RABの所属する事務所は、ROOTSの一人けいたんが経営している。
メンバーの一人が、事務所を立ち上げ、仲間に仕事をとってきて、給料を出しているのだ。
これは知ったとき本当に驚いた。
今でこそ、たとえばゲーム実況だとか、ボカロPとか、歌い手だとか、ネットで発表を始めたクリエイターがそのまま生業にするパターンは珍しくなくなった。
だが自分一人を食わすならまだしも、事務所を立ち上げて仲間まで食わすというのは尋常ではない。
「好きなことで生きていく」と言うのは簡単だ。
だがどこか大手の企業に所属するのでなく、自分たちで今までにないジャンルを作り上げ、大人が真剣に打ち込めるような経済規模に育て上げたのは、本当にものすごいことだと思う。
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いやほんとは、それぞれのメンバー語りとかダンスのすごいところとか好きな動画とか上げていくのが本道なのかもしれないが、まず大枠としてこのチームの物語が考えれば考えるほどものすごいな……と思ったのでまとめて書いてみた。
書きぶりから察されるかもしれないが、増田はROOTSと同世代の人間で、ジャンルは違えどそこそこオタクだ。
「好きなことで生きていく」のど真ん中は歩けないが、掠ってる業種で頑張って社会人にしがみついている。
現状に不満があるわけではないが、好きなことを極め、その結果自分たちでジャンルを作り、そこに人を集めて経済を回し、そして次の世代に居場所を与えていくRABはすごく眩しく思える。
過去のインタビュー記事で、ROOTSの一人であるDRAGONが
「ストリートダンスはどうしても勝ち負けを前提にした技術の判定に偏って、音楽の喜びが薄くなる傾向にある。でも、アニソンダンスバトルは音楽がかかった途端みんながのたうち回るくらい喜んだりして、ダンスのいちばん大事なものが集約されてる」
アニメだからとかオタクだからとかではなくて、好きなものを好きだ、楽しいと言い続けることでそんな場が作れて、それを下の世代に手渡せるなんて、大人として最高の仕事だなと感じているし、尊敬してしまう。
以上、アニソンダンスバトル「あきばっか〜のKIDS vol.1」の成功に寄せて。
https://x.com/apop_atsuki/status/1901229898037092575