はてなキーワード: 本名とは
【追記】04/15 16:30
こういうプロ驚き屋な記事をかくと、反応が入れ食いになるのがブクマのよいところですね。
ただ、コメントを読んだ感じ、どうにも僕が作品の中の起こってる事象そのもの以上に、そこで起こる人間の心理や価値観、欲望の表出に驚いてることがいまいち伝わっていなくて、自分の筆力の無さを感じている。
そもそも価値観や人間の心理って、線形の延長線上にあるテックな未来と比べると、イレギュラーに変化するゆえに想像つかないと僕は思っているが、どうにもブクマカは人間の心理は一定で変わることはないと思ってるようで、その辺が齟齬の原因かなと思ってる。
とはいえ、僕は小林恭二が忘れられた作家になるのはもったいないと思ってるので、もっとこの本を含めて読んでほしいなと思います。
あたりがおすすめです。
僕にとって、この人と薄井ゆうじの二人は、森見登美彦と万城目学のようなコンビのイメージなんですよ。
【追記終わり】
小林恭二という作家がいる。いやいたと言ったほうが近いかもしれない。今は専修大で作家育成をしていて自作は15年くらい発表していないと思われる。
僕は30年近く前の大学時代、この作家が世界で一番好きな作家だった。今もベスト5くらいには入る。あの頃読んだ現代作家の多くは、だんだんと思想の方向がどうにも自分と合わなくなってしまい作品を読むこともなくなった(すべては不用意な発言を垂れ流すTwitterが悪い)のだが、そういうのをやってなかったこともあって小林は今も好きなままだ。あと、もう一人薄井ゆうじという作家も好きだったがこの人も作品を書かなくなった。
きっかけは高校時代に書評欄に数行紹介されていた「ゼウスガーデン衰亡史」だった。のちに福武文庫で買ったその小説は、主人公がいない群像劇で今までに見たこともないとてつもなく魅力的な小説だった。のちの書評なんかを読むと「 『虚構船団』 の影響が大きすぎる」と言われたが、僕には「虚構船団」よりも「ゼウスガーデン衰亡史」のほうがはるかに好きだし、いまでも面白い小説の基準はこの小説になっている。この小説よりおもしろいことは小林の他作を含めてもなかなかないのだが。まあ、この作家を読んでたことで僕は今も奇想の強い小説や奇書が好きである。レムの「完全な真空」なんかも好きだ。
年末に書庫を整理したところ、小林恭二の「短篇小説」という単行本が出てきた。奥付を見ると1994年だが多分貧乏大学生の自分が買ったのは1,2年程度たった後の古本だったと思う。小林先生申し訳ない、たぶん自分が新刊で買ったのは数冊しかない。
何とはなしに読み直すことにした。けっこう好きな短編集だったが、特に好きなのは冒頭からの3作「光秀謀反」(戦国時代の戦国大名は、ハプスブルク家とつながっていた信長など、ヨーロッパ諸侯とつながっていたという話。めちゃくちゃ面白い)、 「豪胆問答」(生まれてこの方驚いたことない侍が化け物に遭遇する話、面白い)、「バービシャードの49の冒険 序章」(英雄バービシャードが冒険に出るまでの話。続きが読みたい)だったので、それ以外はあまりちゃんと読んでなかった。たぶん全部を丁寧に読むのは21世紀に入ってから初めてだろう。
なんかかなりグッとくるエロイ話とかあって、あれ、こんなにセクシーなのを書く作家だっけかと思ったりしたのだが「磔」という短編を読んでとんでもなくびっくりした。これ、現代の話じゃね??とちょっと動揺してしまったけど、共有するところが見つからなかったので増田で書き散らそうと思い書き始めている。いちおうKindle版もあるようだが、バッキバキにネタバレと引用をするので、ネタバレ回避したい人は読むのやめましょう。とはいえ、10編ある短編の一つなので1編程度のネタバレがあっても十分面白く読めると思うが。
主人公の男性はN区(都会の幹線道路沿いだというから中野区あたりかね)にあるビルの27階にある住居兼仕事場で暮らしている。主人公の仕事についての描写
わたしは、現在とある不動産会社にアナリストとして勤務している。仕事は、電話線を通してコンピュータに送られてくる膨大な情報の検索及び処理で、パソコンと電話機があればどこにいても可能な仕事のため、専ら自宅で仕事をしている
えっ、これリモートワーカーじゃね?? さらに続く文章に驚かされた
会社に行くのは一か月にせいぜい一度か二度くらい。近頃は外に出るのも億劫になり、買い物も通信販売と宅配サーヴィスにたよっているから、部屋を出ることも稀だ。
十年位前まではよく、そんな生活をしていて社会とのつながりが希薄にならないかと問われた。
私は答えたものだ。
「もともと会社や社会とのつながりを希薄にしたいために、こういう職を選んだのだ。わたしとしては月に一度程度会社にいくことすら面倒くさい」
これが2020年ごろに書かれた作品なら普通だろうけど、さっきも述べたように奥付は1994年。この作品の初出は1992年である。30年以上前の作品である。
小林はけして、現代SFの作家などにあるような科学的な考証などを積み重ねて世界を描き出す作家ではない。
実際、この後、主人公は仕事を終えて、自分用のパソコンのスイッチを入れるのだが
パソコン通信でクラシック音楽情報を専門に扱うネットにアクセスする。
ちなみに現在かかっているモーツアルトの歌曲は、昨日ネット内で教わったもので、近くのビデオ屋(CDも貸し出している)にファクスして取り寄せたものだ
と、ネット通販どころかインターネットすら登場しない。パソコン通信の会議室だ。(このニュアンスの違い、増田を読む人ならわかるだろうから説明は省く)
作者は自分の想像力の範疇だけで書いているのだ。おそらく小林氏は当時パソコン通信をやっていたと思われるのでそういう描写なのだろう。
どうやら、このクラシックの会議室には太陽暦氏というモデレーターがいて、今日のおすすめを教えてくれるらしい。(この辺、僕はパソコン通信詳しくないんだが、パソコン通信でこういうことをやってる人はいたんだろうか。誰か詳しいネットの古老の方は教えてほしい。)
ちなみに太陽暦氏はハンドルネーム、つまりパソコン通信ネット上のペンネームで、無論、ちゃんとした本名もあるのだが、ネット上ではハンドルネームで呼び合うのが礼儀となっている
太陽暦氏は私のほか何人かのクラシック初心者のために、三か月の間毎日推奨のレコードを挙げてくれることになっている。
それでもって翌日に曲の聴き所などレクチャーしてくれる。
年をとった人に言うと、それでいくらとられるのだと聞かれる。
無料だと答えると大概驚く。
こちらのほうが驚く。
この辺は、ちょっと時代が2周くらいした感じはある。現代社会、やはり情報は商品になっている。むしろこの時代よりはるかに商品度は高い。2000年代前半くらいまでのネットの価値観ではあるが、まあ、今も一部の分野、特に趣味の分野では無料になってる面はある。この後、情報についてのT.ストウニアの「情報物理学の探求」という本からの言及がある。ストウニアとこの著作は実在するようだが、現代社会でどういう評価なのかはちょっとわからなかった。忘れられた学者みたいな感じなんですかね。
まじで今の話じゃないの?
哲学の会議室で「かなり痛烈な罵倒用語を駆使」してメッセージを書き込んで去り、夜中に反論の嵐が巻き起こるのを期待している。荒らしかw
バーといっても本当のバーではなくネット上におけるバーである。
ここはバーカウンターにいるような気持ちで人のメッセージを読み、あるいはメッセージを書き込むという、いわば言葉の上でのバーを形成している
2ちゃんのバーボンハウスみたいなもんか。いや、あれは釣られて受動的に行く場所だから違うか。これもパソコン通信で実際にあったやつなんでしょうか。
まあ2ちゃんの雑談スレッドやXなどでなれ合いをしてるような感じだろう。
ここで主人公は、その日の夕方に自分だけが得たとっておきの情報を披露する。その情報が何なのかはまあ表題でネタバレしているが割愛しておく。
書きながら私はぞくぞくしていた。それは渇望していた情報を得たときの快感と対をなすものだった。それはパーフェクトな情報を発信する快感である。
この気持ちに心当たりのある人、手を挙げて! はーい! だからこのエントリーを書いてるんだよ!!
これってつまりバズる感覚ですよね。ネットでバズることの気持ちのよさをこの作者は30年前に理解していたのだ。いくら小説家という職業とはいえ、この感覚を90年代初頭に持っていたのは相当に新しいのではないだろうか。ほんとに深く驚かされた。
主人公の情報は狙い通りにバズり、彼はその日のその酒場での「英雄」となった。
そして翌日、彼は新聞で自分のバズらせた話題の件について読む。ここで新聞というメディアへの評価も非常に今の時代っぽいので引用しよう
こんな感じの印象を新聞(だけでなくオールドメディア全般)に持ってる人多いでしょうなあ。
最初にリモートワーカーの意味を言い切った時点で、うわっすげえと思ったのだが全部読んで、とにかく小林恭二の凄みを感じさせられた。
乱暴な話だが、資料をある程度収集して咀嚼すれば、未来社会がどんな風になってどんなものがあるかは書くことができる。それが30年後の現在と適合していても、ああ、資料よくそろえたね頑張った頑張ったくらいの感想どまりである。しかし、その未来社会で、人がどういう価値観を持ち、どういう欲望をどのように満たそうとして行動するかまで描いたら、そして、それが後世の人間からして違和感のないものであれば、まったく意味合いが違ってくる。
もし、僕が今時の書評系TikTokerのように「30年後のSNS社会を予見したとんでもない短編!!」とか宣伝したら、バズってこの主人公のような「パーフェクトな快感」を得られるだろうか?
参考文献(アフィはないのでご興味あればどうぞ)
メチャクチャ好きなんだよなあ、そして天才だと思っている でも日本での知名度はたぶん全然ない……なので、俺はたまにこうやって彼を激賞する文章を書いておいて、いつか彼が有名になったときに悦に入りたいってわけですよ
ギタリカデラフエンテ、もといGuitarricadelafuenteっつう名前は
Guitar(ギター)rica(素晴らしい・おいしい等)de(〜の)lafuente(苗字)とでも分解できるものだ
そう考えるとゴミみたいな名前だ 「吉田ギターすご衛門」みたいなものなのかもしれない インタビューでややイジられてたのを見たような気もする
しかし、アルファベットでGuitarricadelafuenteって書くとなんかカッコいいし、ミステリアスな感じすらある
で、まあ、名前なんかどうでも良いんだ実際
大事なのはどんな音楽をやっているか?ってことで、これもう、素晴らしい音楽としか言いようがない
スペイン伝統のフラメンコとポップの融合!というのが、音楽性のわかりやすい特徴としてはあると思うんだけど、それ以上にこう、やっぱなんつうか、天才なんですよ絶対 声もいいし
繊細なギター弾き語りみたいな曲はすげ〜エモいし、リッチにいろいろな楽器を使ってる曲はサウンドが全部かっちりハマっていて気持ちいい フラメンコっぽい曲はラテンの雰囲気がアツい
どんな曲をやってもイイ感じに仕上げてくるんですよねえ!
あと歌詞もほどよく文学的でいい感じだ 個人的に、「クラブで女を引っ掛けてセックス!セックス!」みたいな内容だったり、「君のことが好きだ!君に会えたことは奇跡だ!君を一生大切にするよ!」みたいなことを特に衒いなく繰り返す内容ではないというだけで嬉しい まあよく考えると、迂遠なだけで本質的には同じことを言ってんじゃねえか、という問題はあるんだけど、しかし、とはいえ、歌詞を読み込んでも最終的に何を言ってるのか全然わかんねえような歌も結構あるので、つまりやっぱり
俺的にいちばん好きな曲は……これが結構難しくて、ほんと、粒揃いなんですよ
まあしかし、カラーが一番出てるやつということで、ここは"Agua y mezcal”を推しておこうかな
いや、やめた "Quien encendió la luz”にします 最もラテンの雰囲気が強いから
あっやっぱり"Abc”か?!俺はこの曲から入ったもんな でもスペインっぽいっていうより普通にいい曲って感じだもんなあ
最新曲から"Full time papi”もいいけど、これはポップスに寄っていて、"らしさ"は…感じられるんだけど、ここから入るのは違う気もするんだよな
あえて”Conticinio”かな AirPods4のCMに使われてたんですよこの曲、この前! 地味なんだけどね、改めて聞くとしみじみいい曲なんだよなあ
すみません、やっぱりAgua y mezcalで行かせてください
https://youtu.be/ri02p05A25c?si=pfHgUUvlrazsgLXH
まず1399万回も再生してる曲に"おすすめ"も"紹介"も何もないだろ、というのはあると思うんだけど、じゃあみなさんはこの曲知ってましたか?
知らなかったと思うんだよきっと
知ってください ぜひ 聴いてください
暗いトーンのアコギ弾き語りから始まり、だんだんヒートアップしていって、リズム隊が入ったところでひとつギアが切り替わる それ以降の要所に入るギターの側面を5連打するリズム系が気持ちいい マジな話、このギター側面殴打をやるためだけにギターを始めたいとすら思う
この曲でギタリカデラフエンテさんの要素がだいたい拾えるんだよな アコギ、いい声、sを発音しない感じ!
歌い出しの"Ambo despacito pa…”がもう、良い
despacitoはデスパシートじゃなくてデッパシートじゃないすか そんで、paraもパラなんて言わずにもう、pa’、パですよ この感じ、全然文脈はわかんないけど、なんだろう、ちょっと粗野な感じがして、イイんですよね、南の方っぽいというか、カスティーリャ・イ・レオン地方なんかでは出せない雰囲気がある ラス・クエバス・デ・カニャルト魂を感じる
この曲でいちばんカッコいいと思うフレーズ:"Te he visto en el vendaval, bailando jacaranda(暴風の中に君を見た、ハカランダを踊っていたね”
ハカランダってなんなんですか?→ここではフラメンコの一種らしい どんな踊りなのかは不明 なんなら俺はフラメンコがなんなのかすらわかっていない
駅前の広場に「ジャカランダ 2021年寄贈」と書かれた細い木が生えていて、それが少し頭をよぎる
とにかく、暴風の中で踊られるハカランダがカッコよくないわけがない!
終盤に挟まるちょっとラップっぽい謎パートあたりにはすこし迷走というか、方向性を探っている感じも見受けられて、それも愛おしいですね
でさあ、そう、ギタリカデラフエンテさんの曲がこの前、天下のAppleのCMに使われてたんですよお
Airpods4の、Somedayって映像の、冒頭ら辺と最後の方!
AppleのCMなんかに使われた音楽って、通常、注目を浴びそうじゃないですか
そんで、来たる5月の半ばには、新しいアルバムも出るという シングルカットされた曲はどれも新境地で、またこれがいい感じなわけですよ
そろそろ「来る」んじゃないか?と思っている
もうある程度は来てるだろうし、このくらいが到達点なのかもしんないけどさあ、でも、俺はもっともっといけると思うんだよ、ギタリカさん!
よくわからないテクウヨなる言葉で深夜になると活動しはじめる変な人。
はてブ3垢
postfile
https://posfie.com/@hey8am0q
X垢も取得してるけどFF0/0なので割愛
アットウィキも作ってる
https://w.atwiki.jp/techuyo/
・孫正義
・堀江貴文
このWikiにリンクしてある署名サイトの文章ってテクウヨ君に似てる気がするんだけど気のせいですかね。同類ならこんなもんなんですかね。
https://www.change.org/NoGenAIforWoman
署名の提案者はIwasaki Mikaさんらしいんですけど本名っぽく見えますが気のせいでしょうか。
(追記)
はてブ垢は作り直してBAN回避しながら工作頑張ってるが更新面倒だからいいや。
高校生の頃、Twitterが新しいもの好きの間で流行り出したので一度アカウントを作ってみた。
当時はネットリテラシーなど皆無だったので本名でアカウントを作成し、オバマ大統領や孫正義、クラスメイトを何人かフォローしてみたが、つまらなくてすぐやめた。
就活の時に自分のデジタルタトゥーを念の為に確認した際、そのアカウントを消していなかったことに気がついた。
しかし、当時使っていたキャリアのメールアドレスでアカウントを作っており、パスワードも忘れてしまったため、ログインすることはもうできなかった。
元々何も呟いてないアカウントだったし、フォローしているのも無難なアカウントだけだったのでこのままでよいと思い、そのアカウントのことは忘れることにした。
それから10年程が経ち、今でも繋がりがある高校時代のクラスメイトから「お前の昔作ったアカウントが突然呟き出したんだけど、お前がやってるの?」という連絡がきて、久しぶりにそのアカウントのことを思い出した。
寝耳に水だったので、アカウントを見に行くと、確かに最近になって1日2-3回の頻度で投稿を始めていた。
「うわー、スパムに乗っ取られたか」と思い、投稿の中身を見てみると、スパムのような内容ではなく、出勤したこと、飯を食ったことや、帰宅したことなど、日常のどうでもいいことを呟いている。
暇空茜の相棒のなるくんは、Youtubeの暇空チャンネルの実際の所有者だ
暇空は以前に自前のチャンネルを持っていたが、ゆっくり音声狩りが強力だった時代にBANされた
作り直すことができなくなり、友人のなるくんにチャンネルをつくってもらい、動画の多くもなるくん製になった
騒動の発端、「次の中傷ターゲットはcolaboにしよう」と提案したのもなるくんだった
colabo騒動の直前、フェミ男性シュナムルが高学歴かつ妻子持ちという弱男のコンプレックスを刺激する属性持ちであるため
「学歴も妻子も嘘だ」と認知プロファイリングする内容で暇空はバズってYoutubeの収益化ラインを達成
「フェミ叩きは金になる、次もフェミを中傷しよう」と、ちょうど温泉むすめで炎上中の仁藤をターゲットにしようとなるくんが提案した
それまで暇空は仁藤の存在すら知らなかったという
いわば誹謗中傷の共犯者、いやそれすら通り超えて主犯とすらいえるのがなるくん
裁判になるくんが証人尋問に呼ばれてなるくんのご尊顔も見られる可能性
10年ぐらい前にはドラクエⅩの害悪プレイヤーで、ネカマして信者から金を巻き上げたりプロデューサー齋藤力に殺害予告を繰り返したりして永久BANになった
2ちゃんねるの●流出騒動でクレカ情報が流れ本名が明らかになり、更に暇空騒動後もamazonスクショを上げる際に加工を忘れて同じ本名をセルフ晒ししたりした
着物に凝っているなるくんはとある着物イベントに最近参加したが、他の人が載せたイベント動画には晒された名前の人と同じ顔をした人物が映っていた
裁判の証人は、性犯罪絡みや反社絡みでない限りは、基本的には実名も顔も晒した状態で現れる
「なるくん」としてあの人が本当に現れてしまうのか
卒業した。
中高と女子部もしくは所属生徒の大半が女子だったので、男子校同然のキャンパスで目立つのは必然だった。
Twitterで騒いでいたら尚更だろう。
一度登校すると最後の講義が終わるまでキャンパスから離れられなかったので、よく目撃された。
毎朝メイクする時間も取れずそもそもメイクに疎かったのでほぼすっぴんだった。そんな芋女を見つけて何が楽しいんだか、構われたかったんだろうとは思うが。
じゃあ話しかけろよ。同じ学校に通ってるんだから不審者でも何でもないだろうに。ツイートするんじゃなくてさ。
ついていけない講義が多かった。
センター試験の数Ⅱ・Bで36点をとったくらい数学ができなかったし、数Ⅲなるものが存在することすら知らなかった。
大体のものは先輩に教わった。
図書館のミーティングスペースみたいなエリアで、帰りの電車がなくならない程度まで教えてくれた。
先輩に恵まれた。
目立ったおかげか名が知れて声が届いたようで、サークルに入れなかったにもかかわらず複数の先輩から講義でついていけないところをフォローしてもらったり、履修相談とか、過去の講義資料をもらったりした。遊びにも行ったし、ご飯を奢っていただいたこともある。誘っていただけたのにこちらの都合で行けないまま卒業して疎遠になってしまった先輩も少なくないので、今後機会があればこちらから声を掛けたい。
卒業しても引き続き仲良くしてくださっている先輩方ももちろんたくさんいて、本当に嬉しく思っている。一緒にライブやカフェに行ったこともあるし、会えなくてもゲームで一緒に遊んだこともある。相手は社会人なのだからスケジュールの無茶振りはできないが、忙しい社会人の自由時間を割いてくれたのが嬉しかった。修了式前に1人、修了式後にも1人会いに来てくれた。彼らはそれぞれ入学早々からお世話になった先輩だった。この嬉しさを表す語彙がないのが悔しい。
同じキャンパスで学んだ尊敬する先輩方だが、卒業して学外で会うことで友人に近くなった人もいる。感謝と尊敬は忘れないままこれからも仲良くしてもらえると嬉しい。
新型コロナウイルスは良くも悪くも私のキャンパスライフを大きく変えた。
悪いほうで言うと、大きく2つある。
キャンパスが男だらけなので可愛いを増やそうと入学早々から計画しており、それを実行するのがあの春だった。
実行予定だったイベントは中止を余儀なくされ、そのまま今に至るまであのイベントは当時の姿に戻れていない。伝統的に続いていたイベントがコロナによって中止、規模縮小と形を変えてしまい、あの頃を知る学年は基本的に全員卒業してしまった。なのでもう最盛期の形に戻すことができない。このイベントのために1年間いやずっとやってきたようなものなのに。結局それから通学中の感染リスクが大きいということで私は週1しか登校できず、“可愛い”計画も頓挫した。ノリノリで可愛くされようとしていた男子たちも大半卒業してしまったことだし。
2つ目は後輩との関わりがほとんど持てなかった。
1つ下の学年は入学式がおそらく中止、2つ下も代表のみ現地でオンラインでの視聴だったくらい外出ができない学年だった。私自身も対面での講義や委員会の活動日以外は家を出ないよう厳命されていたので、ほとんど会うことができなかった。会えたとしても飲食店が営業していなかったし、どこかに連れ出して感染させてしまったら申し訳ないので誘うに誘えなかった。
新入生と関わるバイトや活動をしていたので一応ちらほらと知り合うことはできたし、ありがたいことに後ろをついてきてくれた後輩もいたが、ついぞ遊びにはおろか食事にも行けないまま彼女が先に卒業してしまった。私の貸した参考書を使い倒して単位を取れていたようなのでそれで十分といえば十分ではある。
そんなこんなで先輩からもらったあれやこれやを後輩に繋げていくということは満足にできなかった。
計画の頓挫、大学の人に会えないといったマイナスポイントは大きいが、私の通学時間は往復で約6時間かかっていた。朝一の講義に間に合うには始発しかなかった。そのレベルが通学時間0で8時に起きても余裕で抗議に出席できるようになったのでそこは感謝しなければならない。
そういえばzoomを用いたオンライン講義で先生がカメラオンを強制しやがったときは猫と一緒に受講していた。猫を撫でながら単位が貰えるオンライン講義、万歳。
大学生活のターニングポイントといえばやはり研究室に入ったところだろう。
自ら志望して違う学科の研究室に入ることになり、そこからの大学生活は基本的に研究室がベースになった。コロナで学校に行けなかったので自分の在籍する学科の話題はわからないし人間関係も大半フェードアウトした。学科的にはみんな単位を取り終わって就活に力を入れる時期だったのもあり、話題もないのでほとんどそれきりだった。
研究室の同期は不思議なことにコロナ前に全員と接点があった。ずっと仲良くしてもらった。コロナが落ち着いてから同期で飲みに行くときは私が行きたいとゴネた結果付き合ってもらっていたようなものだし、終電を逃したときは1人だけ女の子がいたので無理を言って泊めてもらっていた。
先輩や後輩もいい人揃いだった。基本的に成績上位者ばかりなので人間性が担保されていたし、知らないだとかわからないところを教えてもらった。学科の違いで私だけ知らないことが多かったし恥ずかしながら正直今でも首を傾げるところはあるが、多数のフォローをもらってどうにかなった。ここまで書いて自分がお騒がせ者だったことを再確認した。
何より驚いたのは就活エージェントに文理登録を求められた際に「私ってどっちなんですかね〜」と尋ねたら「理系に決まってるじゃないですか」と指導教員から即答され、知らない間に理系になっていたことだった。文転は周囲にまあまあいたが理転が現実に?しかも私が?と思った。まあ文理などというものはそんなにあてにならないし、私自身も理系という響きが良いと思って理転しちゃってた…と言い回っているだけなのですごいえらいとかそういう話ではない。理系ってすごい!とは思う。私自身を除いて。
実際のところ理数科目はてんで駄目なままだし。
そもそも彼は入学から研究室配属までの指導教員であり、他学科の先生で講義を受ける機会もないのに知り合ったのはそういう経緯があったからだ。それまででいう担任の先生ポジションで、1年前期には大学生として必要なプレゼン力だったりの指導が週に1回ある講義で行われており、あとは履修やら生活の悩みを相談する先でもあった。先に書いたように入学当初は通学時間が長く満足に遊べなかったため、みんなと遊びたいご飯食べに行きたいと言っていたら受け持っている学生(15人程度)をご飯に連れて行ってくれた。講義がなくなってからも何かと気にかけてくれて、食事が苦手で1日1食しか食べたらえらいほうだと言うと少しでも胃に入れろと毎週お菓子を用意してくれたり、苦手なものが多いならば食べられるものを探しに行こうと色々食べにも行った。周りには結構引かれたが、私はありがたかったし先生と話すのが楽しかったので良い思い出しかない。
私は普通に研究室に入った学生よりも先生との付き合いが長い。それこそに入学から卒業までずっと一緒だった。6年だ。生まれてから6年だと物心もついてそろそろ小学生というところまで成長するし、本当に育ててもらったという感覚すらある。
私にとって先生は、第二の父であった。
大学院に進学した。
家族には黙っていた。
3年生の時点で就活に無関心だった時点で察していたとは思う。
自分で勝手に出願して、まだみんなが寝ている時間に家を出て、久しぶりに始発に乗って試験を受けて、勝手に合格した。
合格発表から1か月半くらい経ってから親に報告したくらいには黙っていた。悪かったとは思っている。
夢にまで見た一人暮らし、通学時間は1/36とかそれくらいにまで短くなった。歩いてすぐ、雨でも余裕、楽しくて仕方がなかった。
研究が家でもできるおかげで実際のところはほとんど学校に行っていないが、帰る時間を気にしなくてよくなったことが私の心と体を軽くした。
研究室で夜な夜なボードゲームをしたり、飲みに行ったり、朝までダーツに興じたこともあった。先輩とカラオケオールもした。夜にマーダーミステリーをやって怖くて帰れなくなり、後輩を朝日が昇るまで研究室に拘束したとか、帰れたものの思い出してしまい隣の部屋の子にSOSを出したこともある。実家暮らしのままだったら絶対にできなかった。大学生らしいことはほとんど大学院生になってから経験している。私の大学の思い出の大半は大学院に入ってからのものだ。
大学に進学するにあたって掲げていた目標として、人生のやり直しがあった。
元々わがままなお騒がせ者ではあったが、それはあくまで外でのキャラ付けであり、本当の自分は家庭環境のせいで顔色を伺いながら生きてきた。望まれた振る舞いをしてきた。ゆえに本当の自分というものもわかっていなかった。
家庭から離れ、自主的に講義を選び、やりたいことを見つける。私自身を確立することができると期待していた。
私の学科は大きく分けて3つの領域があり、各領域に対応する講義が用意されていた。好きだったり興味がある分野に集中して履修することで、自分の方向性を確かめた。
人との関わりも頑張ってみた。名が知れているので初対面のハードルは低いだろうと会話の輪に入ってみたこともある。アルバイトも複数やってみて、接客もいくつかやった。いろんな人と話し関わるなかで様々な価値観に触れ、確かにそうかもしれない、いいえそうは思わない、を繰り返して自分の思考の軸を探った。言動に関しては相手の反応ありきで確認していたためマッドサイエンティストみたいになっていた。反省はしていないが。
6年経ってようやく自身の言動の理由や根拠を言葉で説明できるようになった。自分で意思決定もできるようになった。6歳児にはなれたのではないか。
先輩に恵まれたことも、研究室も、その先生も、人生のやり直しができたのも、愛だったな、と思う。
もちろん恋愛感情を持ってこられたこともあった。全部お断りした。恋愛だけが愛というわけではないし不要だったので。
ほぼ男子校で浮いてはいただろうが、それでも身体が綺麗なまま6年過ごせたというのは、本当に愛ゆえのことだ。
大学に入るまで愛が何かわからなかったが、卒業が近付いてきてようやく沁みてくるような感覚があって、ああこれが愛だったのか、と気付いた。愛される感覚、愛する感覚、そうかこれが人の心か、とまで思った。
2年延長した甲斐はちゃんとあったということだろう。いや、私自身で断言しよう。ちゃんとあった。
院生なんだから研究は?と言われるのは想定の範囲内なので最後にちょっと書いておくと、全然すごいことはしていない。査読は落ちた。大学院生の本分は研究である、それは事実だしごもっともだが、私にとっての優先順位はちょっと違ったかもしれない。実は研究の中にも自分と向き合うプロセスがあったので、研究も実質人生のやり直しの一部だったとも言える。
寝て起きたら社会人になる。
本名丸出しでXしとるんか😲
フミさんの本名でググれば出てくるやで。
chatGPTくんと考えた政策だよ!
【基本理念】
国家は「安全・制度・インフラ」だけを整え、国民の自立と自由を支えるべき
制度はシンプルかつ明確に。曖昧さと過剰な支援を排除し、責任ある自由を育てる
所得税控除は「本人+扶養者1人あたり100万円(物価スライド)」で統一
年金制度を廃止し、老後の保障は「基礎生活扶助制度」に一本化する
給付制度は原則廃止 → 現物支給・税控除、最終的には扶助制度で対応
医療費は「生活保護:1割」「その他:一律3割」、高額療養費制度は維持
介護はAI・ロボットの導入を義務化。NPO支援は成果主義で整理
3段階構成:
「生活保護」という呼称を改め、“自立と責任ある自由”を支える制度へ
iDeCo/NISAは恒久化、日本株・ETF限定にし、資産形成と国内経済活性を両立
空き家は接道等の条件を問わず無償で自治体が引き受ける制度を導入
首都機能の地方分散、メディアキー局制度を廃止して情報の多極化を実現
外国人の通名はカタカナ表記限定とし、行政・報道等の文書では本名との併記を義務化
帰化には「長期居住」「日本語能力」「法制度理解」「納税・公共活動歴」など多面的な審査を導入
帰化一世は「段階的統合市民」として位置づけ、次の制限を設ける:
責任ある市民社会参加を前提とし、法の下の平等と社会的統合の調和を図る
有罪判決を受けた外国人は、原則として退去措置とし、重大な犯罪者については再入国制限・国際的な監視対象登録を行う
起訴・不起訴に関わらず、違反歴や治安リスクの蓄積に基づき、在留資格の再審査が可能となる制度を検討
国民との公平な取り扱いを実現し、治安維持と制度の信頼性を両立する
特別永住資格は、歴史的経緯を踏まえて導入された制度であり、一定の配慮は行いつつも、
今後新たに出生する外国籍の子どもについては、原則として一般の在留資格に基づく審査に一本化する方針とする
また、現行の特別永住者についても、将来的には段階的に制度の一元化・公平化を目指す
実刑判決を受けた永住者に対しては、資格の見直しや退去措置も選択肢として制度化を進める
防災は国家直轄インフラ+AI避難指示+公共システムの一元管理
グリーン投資・炭素税は市場ベースで設計、補助金に依存しない環境政策へ
最終理念: