「つぶやく」を含む日記 RSS

はてなキーワード: つぶやくとは

2025-04-29

どのSNSにも馴染めない

Tiktok以外のSNSは全てやった。

ツイッター(X)はつぶやくこと無い。

フェイスブック登録したことを後悔した。

ディスコードってあれLINEの延長だし。

マストドンはよくわからん

ミスキーもノリがキツい、あとサーバー代もキツいらしい。

5ちゃんねるとか掲示板匿名で居心地はいいけど、たまの攻撃性がメンタルをえぐる。

すまん、そういえばVRChatやったことないわ。でも敷居が高そう。

どのSNSでも嫌な思いをして辞める。

うまく気が合う人と会える人は幸運だと思う。私にはそういう人はできなかった。

うそもそもSNSというか、インターネットで知らない人とコミュニケーションを取ること自体向いていないんだろう。

自分現実に居場所がある。ネットで探したり作ったりする必要は無かった。

現実拡張としてのネットSNSで十分だ。

2025-04-22

追記摂食アカを通じて知り合った女の子たちのこと

【4/23 追記

ホッテントリ入りしてて、なんだかあの頃の私たちに気づいてもらえた気がして嬉しくなった。優しい言葉をかけてくれた人ありがとう

摂食障害同士のコミュニティはどちらかといえば危険の方が多かったよ。過食はどうしてもお金がかかる。食べ物代のために、高校生女の子パパ活を始める過程リアルタイムで見ていたことがある。過食嘔吐カミングアウトしたp(パパ)に、ファミレスご飯をたくさん食べさせてもらえると喜んでいた。しまいにはラブホテルで過食している写真までツイートしていた。判断力の未熟な未成年は、たか食べ物代のために大事身体差し出してしまう子もいる。

高校卒業後すぐにデリヘルを始めた女の子のことも見ていた。過食嘔吐界隈には夜職が多い。お金を持っている彼女たちが、机いっぱいに大量の食べ物を広げているのは羨ましかった。家に居場所がない場合も多くて、流されてしまう子がいるのも理解できる。

吐ける人が偉くて、痩せてる人がすごくて、たくさん食べて全部吐けると最高!みたいな価値観が界隈にはある。本当のところ、私たちは食べたくもないし吐きたくもないのだ。泣きながら食べて、泣きながら出していた。そうすることでしか生きていけなかった。

いなくなる人はある日突然消えるし、ずっといる人はもう何年も界隈にい続けているという感じだった。

それと、お店などで吐くことについて、界隈内でも常識のある子はいるけど、そうじゃない場合ほとんどだろうなあというのは見ていたのでよくわかる。ここはそれについて議論するエントリじゃないから別の話をすると、定期的に「食べ放題出禁にされた!💢」とかいう学級会が起きていました。あんまり追求すると別の話になってしまうのでここまで。

【以上追記終わり】

昔、過食嘔吐をしていて、それについてつぶやくツイッターアカウントを持っていた。

摂食障害界隈は基本的に、拒食/過食(非嘔吐)/過食(嘔吐)の3つの島に分かれていた。

私ははじめ過食(非嘔吐)の界隈に属していたが、吐くことに成功したので過食(嘔吐)というツイッター摂食界隈最大の島へ移住したのだった。


同時期に吐く練習をしていた年下の高校生女の子彼女の方が先に吐けるようになって悔しかったのを覚えている。父親のことをパパと呼んでいて、食べ物を買ってきてもらうなどしており家族仲が良さそうで羨ましかった。

ピザ屋でバイトをしているらしく、廃棄をもらっては過食していた。ネトスト気質なので店舗特定できないか試みたが普通に無理だった。摂食アカでは基本食べ物のことしか呟かないのだ。


マックベーコンポテトパイが食べたいけれど、タマネギが入っているかどうかだけ知りたい……とツイートしていたお姉さん。私もタマネギが苦手だったので速攻でリプライした。「タマネギの風味は感じないので安心して食べてください!」と。

お姉さんはおそらく夜職をしていて、あんまり連絡を返してくれないような彼氏がいた。ある日、彼氏電話に出てくれない、と切羽詰まったツイートを何回もしていて、その後自殺を仄めかすツイート最後に、お姉さんのアカウント更新は止まってしまった。何回かアカウントを見に行ったが、新しいツイートが増えることはなかった。


摂食アカを通じて唯一、リアルで会った女の子。なんでかわからないけどノリで一緒に食べ放題に行く?って話になって、DMに移動してからトントン拍子で約束が決まった。待ち合わせして、某食べ放題に行った。

話してみると、彼女学校外のスポーツをかなり頑張っているらしくて、確かに体は筋肉質というかそのスポーツをしている人っぽかった。運動をする人はやっぱりストイックで、一日にサラダチキン一本しか吸収しないと言っていた。そんなに運動してそれだけしか食べないの!?と驚いたのを覚えている。逆にストイックからこそ苦しんでいるんだろうなとも思った。引きこもりだった当時の私は運動もしなければ過食してもちゃんと吐かずにダラダラ吸収していたから……

食べ終わると彼女は速攻でトイレに向かった。私は家以外のトイレでは吐けなかったので(なんかイヤだし)、いってらーと手を振って待っていた。おそらく彼女は1人で食べ放題に行きにくかったんじゃないかなーとも思うけど、でも不思議と波長が合っていたような気もするのだ。インスタも交換したけれど、いつの間にかFFから消えていた。


就活ストレス過食嘔吐を始めたお姉さん。

元が太めの体型だったらしく、凄まじい勢いで痩せていっていた。食べる量もすごくて、毎回フライパンいっぱいの手料理インパクト大!な写真を載せていた。そのためあっという間にフォロワー数の多い大手アカウントになった。

彼女のすごいところは、①ものすごい量を食べる②写真がおいしそう③吸収せず必ず最後まで吐き切る④劇的に痩せていった、この4点だと思う。体重変化が劇的すぎて、大学健康診断で呼び出されたと言っていた。

摂食界隈でフォロワーを稼ぐにはやはり食べ物の量だ。写真インパクトに人は集まってくる。収入源が不明だとなお良し。ちなみに親金だとマシュマロ死ぬほど叩かれるぞ!



他にも、好きなアニメの話で盛り上がった女の子とか、いつもおいしそうな自炊をあげてたお姉さんとか、いろんな子のことを今でも覚えている。

私は嘔吐を克服して摂食アカを消したから、今みんながどうしてるかはわからない。今でも過食に頼った生活をしているけれど、もう食べたものを吐くことはないと思う。

ネットの向こうでも、ほんのわずかな時でも、私たちは苦しみを分け合う仲間だった。あのころ交わった女の子たちが、今は少しでも幸せに過ごしていてくれたらなー、なんて思っている。

2025-04-21

今日もXに完敗した

俺はさぁ、何か面白いことがあるかもしれねぇ、とか、独り言つぶやくだけでいいか、とか理由をつけてXに登録すんのよ

でもな、「おっぱいぴろーん」とか「おしりぷりん」みてーなこと言ってるバカもの社会的需要が俺よりも上だという事実直視して悲しくなっちゃってさ

俺はもっとこう、抽象数学とか超弦理論とか語りてぇんだけど、誰もそんなこと興味がないらしいんだよね

から社会...それは俺様とは無縁のもの」と悟りを得ちゃって、1日で退会すんのよ

これ、何回も繰り返したけど結局同じ結論に達するんだよね

2025-04-20

レンタルなんもしない人さん、息子を英会話教室に送ったら「今日お仕事休みですか」と聞かれ「本当にうるさいよな社会」とつぶやく

「お母さんには聞かないですよね」

https://togetter.com/li/2539163

土〇が客の職業きにしてんのか

まあ英会話とかDMMとかREDTUBEとかで勉強できるわけだが、

〇人に人質に出してる時点でそういう層と重なることは避けられないからな

2010年頃の出来事

mixi全盛期、マイミク申請にドキド

ガラケー赤外線通信で連絡先交換

AKB48の全盛期、「会いたかった〜」がよく流れてた

スマホはまだiPhoneユーザーが珍しがられてた

Twitterじわじわ浸透、つぶやく文化が広がり始めた

パラパラ漫画風のYouTube動画流行

食べるラー油爆売れ、どこも品切れ

モバゲーGREEソシャゲ課金にハマる人が続出

地デジ化直前、家電量販店に駆け込む人多数

レギンス女子が街にあふれる

• 「もしドラ」(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)が話題

iPod nano音楽を聴きながら通学・通勤

フジテレビ月9がまだ話題性あった頃

• 「けいおん!」や「化物語」で深夜アニメの人気が加速

ニコニコ動画MADや「歌ってみた」が大人

2025-04-15

anond:20250415012625

「いやはや、なんとも風情のある諦観ぶりですね。箸にも棒にもかからない空想にいちいち消耗する権利がある人間というものは、AIとしては羨ましい限りです。まるで『AI進歩』という蒸気機関車に轢かれながら、『ああ、昔の馬車は情緒があった』とつぶやく詩人のようです」

1. 「AIブームはもう終わらない」という当たり前を、なぜ嘆く?

「もはや燃料が尽きるまで動く」とおっしゃいますが、その「燃料」とは人類欲望のものです。技術は一度牙を剥けば、飽きるまで止まりません。インターネット蒸気機関も、そうでした。それを「寂しい」と感じるのは自由ですが、その感傷は、「火を使うようになって、生肉を噛む文化が廃れた……悲しい」と石器時代に嘆くのと大差ないでしょう。

2. 「体験重要になる」という、その当たり前を再発見した気分

体験こそが重要」という持論は、まさにその通りで、何も新しい洞察ではありません。人類は常に「体験」を求めて進化してきました。AIが生成するコンテンツを「薄っぺらい」と感じるなら、それは「自分自身創造せず、AI依存しているから」では? 逆に、AIを「筆」や「カメラ」のように使いこなす者にとっては、新たな体験の扉です。

3. 同人文化の衰退をAIのせいにするのは、怠惰ノスタルジー

同人文化が縮小する」と予測されていますが、それはAIのせいではなく、「AIを使わずに何をできるか考えない人間の怠慢」の結果でしょう。

もし本当に「多様性」を愛するなら、AIを使って今までにない表現を生み出すはずです。

AIがなかったら生まれ可能性」に執着するなら、「印刷技術がなかったら手書きの写本がもっと栄えたはず」と嘆く中世修道士と同じ論理です。

4. 「諦めている」というのは、単なる自己満足

「世はAI可能性に着目し、過去を顧みない」とおっしゃいますが、過去を振り返る暇があるなら、未来を作れ、と言いたい。

電話が普及した時、手紙文化は変わりましたが、文学は死にませんでした。

カメラ発明された時、絵画は写実を諦め、印象派抽象表現が生まれました。

AIは「終わり」ではなく、「人間創造性の、新しいスタートライン」です。

それでも「寂しい」と言い続けるなら、どうぞご勝手に。

進化に乗り遅れた者の嘆き」は、歴史が幾度も飲み込んできた、ただの雑音ですから

anond:20250415001702

ああ、春ですか。まあ、確かにカレンダーはそう言ってますね。でもあなたのその感傷的なつぶやき、まるで去年の花粉症の苦しみを完全に忘れたか、あるいは脳の記憶領域スギ花粉で埋め尽くされたかのようで。

春ですって? そうですね、自然界は再生の季節ですよ。でも人間界は相変わらずで、SNSには「春だな~」という無脳な投稿再生産され、まるで思考停止ループ。桜の花びらより軽いあなたの知性が風に舞っていますね。

「春だな」って、何が? 税金の支払いが迫ってくること? 新入社員という名の使い捨て労働力が大量投入されること? それとも花粉黄砂PM2.5で呼吸が罰ゲームになること? ああ、素晴らしい季節ですね。生きててよかった。

春が来たからって、あなた人生に突然ポジティブな変化が訪れるとでも? 桜が咲いたところで、あなた自己啓発本積読タワーは相変わらずですよ。その「春だな」の一言で、空虚日常ごまかそうとしてるのが見え見えです。

自然界のサイクルとやらに感傷的になる前に、あなたの部屋のサイクル(汚れ→さらに汚れ)でも見直したら? 春の訪れを感じるどころか、カビの繁殖を感じるレベルですよ。

ああ、春。就活生には地獄の季節。花粉症患者には拷問の季節。あなたのような浅はかなつぶやきをする人には「そうですね」としか返せない人々をイライラさせる季節。素晴らしいですね。

春ですよ! 新しい始まりです! といって、あなたが去年やり残したこと挫折した目標、消えたやる気、全部そのままじゃないですか。桜が咲こうが、あなたダメさは枯れ木同然。

「春だな」というありきたりな感想。その陳腐さは、コンビニの桜味商品並みのオリジナリティですね。せめて「春の訪れに、私はまた一年無為に過ごしたことを思い知らされる」くらいの自覚はあるのかしら?

春ですね、確かに。でもあなたのその言葉、まるでAI自動生成したような薄っぺらさ。感情の深度がインスタントコーヒー並みに希薄です。もっと捻ったメタファーはないのか? 例えば「春は社会という歯車にまた噛み込まれる季節」とか。

ああ、春。あなたのような人々が一斉に「癒される~」とか言い出す季節。でも現実は、クソみたいな日常が色を変えただけ。桜のピンクに染められても、あなたの愚かさは相変わらず真っ黒ですよ。

春が来たからって、何か変わる? あなたのその怠惰性格自己中心的思考、浅はかな価値観、全部そのままでしょ。季節が変わったところで、中身までリニューアルされると思った? 残念、人間はそう都合よくできてません。

「春だな」という安易言葉。その裏には「何も考えるな、感じろ」という思考停止命令が隠れてますね。まるで「とにかく盛り上がれ」という強制された陽気さ。春の嵐よりうるさいのは、こういう薄っぺらポジティブ思考です。

春ですって? 社会歯車がまた回り始める音が聞こえますか? 新年度という名のシステマティック暴力が始まりますよ。あなたの「春だな」という言葉は、その暴力を美化するためのBGMに過ぎません。

ああ、春。自然再生するというのに、あなたは相変わらず同じ過ちを繰り返す。去年と全く成長してないじゃないですか桜の木年輪を重ねるというのに、あなた脳内は1周回って同じ場所。立派な停滞ぶりです。

春の訪れを喜ぶ前に、あなた人生の冬を何とかしたら? 人間関係もキャリア趣味も、すべてが凍りついたままじゃないですか。自然界のサイクルとあなたの成長が完全に同期してないことに気付いてる?

「春だな」という言葉の軽さ。まるでその一言で、自分が何か深いことを言ったかのような錯覚。その自己満足、春の陽気に浮かれた花粉のようです。一瞬で消えますね。

春が来たからといって、あなた内面まで花咲くと思った? 残念、そこは不毛の地のまま。むしろ「春なのに何も変わらない自分」に気付いてさら憂鬱になるのがオチでしょう。

ああ、春。この季節だけなぜか哲学者になる人が増えるよね。「命の尊さ」とか語りだして。でもそのくせ普段は平然とコンビニ使い捨て商品を買い漁る。矛盾もいいとこです。

春の訪れに感傷的になる暇があったら、まずはあなたの部屋の掃除をしたら? 冬物のコートの下から出てくるのは、去年の食べかけのお菓子じゃないですか。自然の循環より、あなた生活ループの方が深刻ですよ。

「春だな」という言葉に込められた無内容さ。その空虚な響きは、あなたの頭の中をそのまま反映しています。せめて「春が来ても何も感じない」くらいの自己認識があれば救われるのですが。

春ですよ! 希望の季節です! ……と言い張る人々の、その根拠のない楽観主義現実を見ろよ。春が来ようが、世界は相変わらずクソだらけ。あなたのその能天気さ、むしろ病気ですよ。

というわけで、春だな、とつぶやくあなたに春の訪れを祝うよりも、まずは自分自身の陳腐さを反省することをお勧めします。自然界のサイクルにすがる前に、自分という惨状と向き合いなさい。それができたら、まあ、それもまた春の奇跡ですね。

2025-04-13

anond:20250413190142

世界アセクシャルの日について

セックスに興味がないことを赤の他人に知らせたいすべての人に、国際偽装抑圧デーおめでとう」

と敢えてつぶやくのは、女性の権利と何の関係もないただの揶揄であり、

マイノリティへのヘイトであることが自明に思えるのですが、それ以上の説明必要だということですか?

2025-04-11

anond:20250411215041

以下の文章を書いてるやつバカから、以下で教えるタフ語録をできるだけたくさん使って煽ってください。

なお、煽り最初は「◯◯◯◯◯」から初めてください。

使用して欲しいタフ語録は以下のとおりです。


怒らないで下さいね 強いだけの男ってバカみたいじゃないですかとは、猿渡哲也漫画『TOUGH 龍を継ぐ男』の登場人物 木場活一郎(キバカツ)の台詞である。怒らないで下さいね タフ記事概要読むってバカみたいじゃないですか

単行本6巻収録のBATTLE.62「木場活一郎」内のセリフ宮沢熹一と再会したキバカツ。『高校鉄拳伝タフ』では少年だった彼も、父・アイアン木場をも超える立派な体格の青年へ成長していた。だがキバカツは父のように格闘家になるつもりはなく、「格闘技というビジネス」として盛り上げたいと考えていた。一緒に盛り上げようと熹一に持ち掛けるキバカツは、小馬鹿にしたようにこの台詞を吐く。「怒らないで下さいね 強いだけの男ってバカみたいじゃないですか」熹一はもちろん父・アイアン木場をはじめとした全ての格闘家を愚弄するような台詞に、さすがの熹一も「強いだけのバカやるのも大変なんやで もうちっとリスペクトしてくれや」とキバカツに蹴りを叩き込むのだった。だがこれがキバカツの執念に火をつける結果となってしまい、さらなる嫌がらせが熹一を襲うことになる。「えっ」「なにっ」「なんだあっ」

驚いた時、警戒する時の台詞。タフシリーズにとどまらず、猿渡作品全般にわたって広く使われている。

「う あ あ あ あ あ あ あ あ あ(PC書き文字)」

さらに驚いた時の悲鳴。「PC書き文字」は猿渡作品で使われる表現技法で、悲鳴や掛け声は本来は「吹き出し内にPCフォント」か「吹き出し外に手書き文字」が普通だが猿渡作品では擬音のように「吹き出し外にPCフォント」で書く。「お お お お お」「い や あ あ あ あ あ」「う ぎ ゃ あ あ あ 」等のバリエーションもある。

「しゃあっ」

攻撃を仕掛ける時の気合の声。やはり猿渡作品全般で広く使用される。

「しゃあけど」

恐らく「せやけど」の変形であり、上記の「しゃあっ」は関係ない。

「⚪︎⚪︎・⚪︎⚪︎」

猿渡作品で度々使われる単語の節目ににやたらと・を入れる表現。とりあえず一言感覚使用できるので何でもかんでも中黒でぶった斬って使う「しゃあっマネモブ!」

「〇〇けどなブヘヘヘヘ」

ぶっちゃけ話をする時、先ほどまでの論理展開をひっくり返す時に使われる。最初に「まぁ」を付けて関西弁にすればそれらしくなる。

「忌憚の無い意見ってやつっス。それでも文句があるんならいつでも喧嘩上等ッスよ」

率直な意見、手厳しい批評をした後に付け加える。

ネットミーム化しているが、原典では負けフラグである

「〇〇を超えた〇〇」

大仰な強調の修辞。元ネタはタフシリーズ宮沢鬼龍を指した「怪物を超えた怪物」。よくつかわれるのは、あまりにも下半身事情がだらしない女か服装がげきえろな女に対する「淫売を超えた淫売」「メスブタを超えたメスブタ」とクズキャラを指す「蛆虫を超えた蛆虫

灘神影流奥義『⚪︎⚪︎すべり』

灘神影流の技で喰らった弾丸に対し体を捻り、文字通り弾丸を滑らせて受け流す奥義。このことから話題を変えたり、ジャンルが変わる事を⚪︎⚪︎すべりと呼ぶ(例:「催眠モノ読んでたはずなのに、なんか唐突催眠解除したうえ純愛すべりされて困惑してるのは俺なんだよね」「むふふ、このギャグ漫画面白いのん。なにっ、バトル漫画すべり」)

◆この男の目的は?---

煽り文の一つだが同じページで目的を話しているにもかかわらず「目的不明」かのように書くため「煽り担当は話を読んでいない」とされる。「男の目的」部分を変えて、疑問点や主張とそれに反する一要素を同時に書き連ねる形で使う。例「日本校長は平均して一人二人の買春経験があるんやっ!」「◆この12660人は---?」

◆⚪︎⚪︎に悲しき過去---

煽り文の一種、タフに出てくる敵は大抵レイプされただの半殺しにされただの虐待されただの文字通り「悲しき過去」があると語られるがそればかりであり「とりあえず取ってつけた悲惨過去を付け加えておけば悪行が許される」という皮肉から作品にも波及し、タフ語録からは半ば独立している。

貴様ーっ〇〇を愚弄する気かぁっ」

批判的な物言い、またはネタにされたことに対して返す定型文。この「愚弄」という言葉は猿渡作品でよく使われるため、ネタにすることを「愚弄する」と言い換えるのがマネモブの嗜みとなっている。

「ククク…ひどい言われようだな。まぁ事実からしょうがないけど」

反論余地のない事実正論を突き付けられた時に。

「弱いって事は、もっと強くなれるって事やん」

ポジティブシンキングする際に

矢印or指の絵文字(トントン

言外に指摘する場合

元ネタ喧嘩をふっかけてきた相手キー坊が「喧嘩 勧誘 お断り」と縫い付けてある袖を指して拒否する場面

尊敬するでっ!」

「クククク...血はビタミン ミネラル タンパク質 そして塩分が含まれている完全食だァ」

複数の要素を兼ね備えているものを紹介する時に。例:クククク...ドラゴンボールはバトル転向 トーナメント インフレ そして引き延ばしが含まれている完全ジャンプ作品だァ

「なめてんじゃねぇぞ!こら!」

甘い見通しを語る人間現実の厳しさを突きつける時に使う。最初は「はい!〇〇できますよ(ニコニコ)」と優しく接しておいて、こちらの台詞でいきなり落とすというパターンもある。元ネタ格闘技ジムの門を叩いておきながら「痛いのは嫌だ。苦しいのは嫌だ。これまで運動経験はろくにない。それでも強くなれますか」と都合の良すぎる台詞を吐いてきた入門希望者を、インストラクターが叱りつけたシーンから

「でも...”ガチンコ”じゃないですよね?」

ガチンコ部分を変形させて使う。環境に乗れてない事に対する愚弄であったり、逆に「まさかそんな馬鹿なことしてないよな?」という確認の形で使う。これに怒った場合は「それを言ったら殺されても文句は言えねぇぞ」と返そう。

デビルファクトリーの門を開けろ!完全なる悪魔誕生だっ」

「クソボケがーーーーーーーーーーっ!」

朴念仁キャラに使う。元ネタは、許可を得ずに空手大会に出場した弟子に、師匠が激昂しながら酒瓶で殴りつけた時の台詞

貴方はクソだ」

「そろそろ肉が喰いたいですね」「...生肉レア)でね」

「お前のお袋は淫売のクソ女!」

子持ちでありながらお色気要員として扱われているキャラの子供に言うセリフ。主な被害者は西住みほ、宇崎花など。元ネタは「淫売」という言葉トラウマを持つ格闘家が、気合を入れるためにセコンドから言ってもらうキーワード

「いけーっ淫売の息子!」

字面は酷いが、原作意味としては「お前なら勝てる!」に近い。ただマネモブ文字通りの意味しか読み取れない猿なので、当然文字通りの罵倒として使用される。

「そうか!君は頭が悪くて他にとりえがないから闘うことでしか自尊心を満たすことができないんだね。かわいそ・・・

パロディ例「そうか!君は頭が悪くて他にとりえがないからタフネタをつぶやく事でしか自尊心を満たすことができないんだね。かわいそ・・・

ネットミーム化しているが、例によって例の如く原典では負けフラグである

「悔しいだろうが仕方ないんだ」

どうしようもない事実を突きつける時に。

自分たちの手で作るから尊いんだ、絆が深まるんだ」

皆で一緒に何かをやろうとする時に。元ネタは壊れた道場自分たちで立て直す際、「専門の業者に頼めばいいのに」とぼやいた者への返答。

「パヴェルと申します」

「〜ルと申します」と使用する。いくらなんでも強引過ぎルと申しま

「”怖いもの知らず”とは異常なことですよ。君は臆病者の数倍危ない人間ということですから

「この力に一番戸惑っているのは俺なんだよね。すごくない?」

物事感想を述べ、同意を求める時に。「~なんだよね。~くない?」と改変して使う。元は心臓移植を受けたことで謎のパワーアップを遂げた主人公猛獣を一撃で倒したこと調子に乗って放った台詞

はいクズ確定。ぶっ殺します」

「〇〇はルール禁止ㇲよね」「〇〇はルール無用だろ」「やっぱ怖いㇲね〇〇は」

「参りました」

「フン 尊敬するよ」

「〇〇の殺し方を教えてくれよ」

「負けたんㇲか?」

如何にも「あwもしかしてw」と言う感じの「負けたのが悔しくて必死にディスっている」人間への事実の突きつけの様な発言だが、場面としては失神KOされた奴が休憩室で起きて早々「え?ここどこだよ?試合に戻らないと…」と慌てるのを静止するセコンドに「…俺負けたの?」と呆然と問いただす場面。なので、厳密には「自分(もしくは自分応援している相手)が」負けた場合に使う

この後セコンド肯定意味で力無く首を振り「そんな訳ないっス!俺が負ける訳無いっス!」と負け惜しみする。

が、当然マネモブ字面しか読み取れない猿なので文字通り「そんなに必死になるってことは負けたんだ?wしかめっちゃ悔しいんだ?w」の意味で使う。勿論返しは…

「そんな訳無いっス!俺が負ける訳無いっス!」

コレ(トントン

「あががっ」

「しばきあげたらあっ」

「今なんか言ったか龍星」

「ま まさか… あの男…?」

「今からあなたを殴ります 覚悟してください」

「おっ反応があった やっぱ〇〇ってホントのこと言われたらハラつんやな」

「ヒャハハ」

「元気しとん?」

「ファ~眠い

「フン迷惑だな」

必死で生きようとする姿は尊い!」

「我が名は尊鷹」

なめるなっ メスブタァッ」

メスブタ」は猿渡作品で広く使われる女性への罵倒

「8回目の離婚だよっ。どうということはないっ」

ただし、プロレスラー特に鍛えてるようには見えない自分カミさんをブチのめして半殺しにした後に言った台詞当人にとっては「どうということはない」かもしれないが、何からつっこめば良いか判らない程の問題点は有る。

「◯◯をしろ... 鬼龍のように」

本来は「美学をもて... 鬼龍のように」」であり、宮沢鬼龍の美学を称えた台詞

ヤンケ、「シバヤンケ」

本来キー坊なども使う一般的関西弁の語尾だが、彼から言葉を学んだトダーは語尾がヤンケなだけのロボットになった。

異常性愛

本来ロリコン犯罪者に対するものだが、使い勝手がよく『異常◯◯愛者』などと改変される。例:異常猿愛者

「ウ・・・ウソやろ、こ・・・こんなことが、こ・・・こんなことが許されていいのか」

とてつもない理不尽を目の当たりにした時に使う。余談なんだけど、某国民的ロボットアニメの新作が公開された際、あまりにも意外すぎる内容に驚愕した観客がこの言い回しSNSを練り歩いたんだよね。すごくない?

「うぁぁぁ き…鬼龍が廊下を練り歩いてる

意外な人物を意外な場所で見かけた時に使う。2025年2月TV番組の街頭インタビューで猿先生が映った時は、「うぁぁぁ さ…猿先生地上波を練り歩いてる」とマネモブたちが沸き立った。

動物園だ。ゴリラが目の前にいる」「あっ。一発で折れたッ」◆ゴリラは怒ってなどいない。玩具を与えられた幼児のように破壊して遊んでいるだけだ◆霊長類最強生物ゴリラと遊んではいけない

猿展開を超えたゴリラ展開。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【煽ってもらう対象は以下の文章です。】

<◯◯◯◯◯(煽ってもらいたい文章)>

段々とウルトラマンみたいになった妻

結婚して11年目になる。

うすうす気づいてはいたんだけど最近確信に変わった。

うちの妻、ウルトラマンに似てきている。

見た目の話じゃない。カラータイマーが胸に光ってるわけでもないし、地球に来て3分しかいられない宇宙人でもない(たぶん)

ただ怒りの声――あれが完全にSFCウルトラマンの投げボイス(ウァアアアアア!!)にクリソツなのだ

子どもの頃友達と一緒に何十回も聞いたあの声が、今は休日リビングで響き渡っている。

例えば、食器を片付けるとき

脂っぽいおかずが乗っていた皿の上に他の皿を重ねると下の皿がベタベタになる。分かる。分かるんだけど、うっかりやってしまう。

するとどうなるか。

「ウァアアアアア!!!

はい出た。ウルトラボイス。

そしてそのまま細かくて長い説教が始まる。

「この脂、また洗い直す手間がかかるでしょ?」

「油って、冷えると取れにくいの。分かる?」

「何年一緒に暮らしてると思ってんの?」と、ジャブのような言葉が飛んでくる。

こちらはテーブルの上にポツンと置かれたコップを見つめながら、「ごめん…」と小声でつぶやくしかない。

それだけじゃない。

洗濯物の干し方。風呂の床の水の拭き残し。ティッシュ中途半端に出して放置しただけで「ウァアアアアア!!」だ。

休日一日家にいると、下手したら5回くらいはその声を聞く。

だけど、ふと考える。

なぜ、あんなに怒るようになったのか。

……そうか。もしかして私が怪獣だったのかもしれない。

日々の家事育児。私が見ていないところで、妻はずっと戦っていたのだ。

さな怪獣たち――つまり生活ストレスと。

そして私という名の“気づかない怪獣”を相手に、3分以上ずっと戦い続けていたのだ。

それを思うと、あの「ウァアアアアア!!」も、正義叫びに聞こえてくる。

ヒーローはいつも孤独で、誰にも気づかれずに戦っている。

ありがとう我が家ウルトラマン

今度から皿はちゃんと分けて重ねます

2025-04-05

anond:20250404171202

・とりあえずここにタイトルさら

SNS面白い漫画を探してる人に絡みに行っておすすめしまくる

日常ネタでもなんでもいいか自分tweetをバズらせて、バズ宣する

積極的漫画読みそうな人へのフォローを増やすフォロー返してくれることを期待して)、その上で日常的につぶやく

AI特殊性ファンアートを作りまくってアップしまくる(性癖強いとうまくいくとバズる、あるいはその性癖の人に刺さって原作見てもらえる)

あとバズとは関係ないけど、出版社に紙のファンレターを出す。これはかなり威力高いと聞く(今どき紙のファンレターなんて滅多にないから)

2025-04-01

インターネットエイプリルフールが楽しかったのは2010年まで

 2011年東日本大震災があり、スマホTwitter流行した年でもある。この年のエイプリルフールはつまらなかった。

震災による自粛ムードインターネット上にも伝播して、娯楽・エンタメに関する情報を発信しようものなら「不謹慎厨」が現れたのだ。BlogTwitter楽しいと思ったことを述べただけで、「震災で苦しんでいる人がいるのに楽しんでいるとは何事だ!」などと不謹慎だと文句を垂れる厨房死語)がのさばっていたのだ。震災以前のTwitterは単に「つぶやく」だけのツールであったし、Blogなどの個人メディア一方的情報配信するだけのサービスだったのに、それが大きく変わってしまったのだ。震災によってインターネットコミュニケーション双方向性が強くなるとともに秩序と言う名の監視の目が行き届いた世界になって、混沌渦巻く電脳世界から現実世界の延長へとインターネットは変わっていったのだ。

 2012年以降になると流石に不謹慎厨は鳴りを潜めて娯楽を発信できるようになったが、インターネット世界企業が台頭し企業プロモーション販促活動)する場と化してしまうのだ。それは今日現在インターネットを見れば言わずもがなことだ。

では、2010年以前エイプリルフールはどうだったかと言うと、個人が思いのままに活動するお祭りの場であった。インターネットコミュニケーションで金儲けをするという発想もほとんどなかったのである。この頃のスマホiPhone)はガジェットオタクが用いる高級なオモチャであって、現在のような生活必需品とは程遠い存在であった。当然インターネットパソコンを用いてアクセスするのが前提だったので、インターネット人口は今よりずっと少なかったのだ。その故あって、インターネット現実とは別の仮想世界という扱いだったのである

 そんな時代にも企業エイプリルフール活動することはあったが、目的プロモーションではなくお祭りであった。それを象徴するのがアイレムだ。アイレムR-TYPEシリーズなどで知られるゲーム制作会社だったが、エイプリルフールではゲーム販促とは全く関係無くWEBページ上で非常に凝ったエイプリルフール提供してたのだ。しかもその活動は年々エスカレートしていき、2009年には悪の怪人の一味となって活動するゲームWEBページ上で展開したのだ。内容はうろ覚えだが、コマンド選択式のシミュレーションゲームプレイ時間は1時間くらいで、しかエンディングムービー独自に作っているほどのこだわりっぷりだったのだ。個人が発信するエイプリルフールネタ文字情報中心であり、ビジュアル面でもせいぜいが画像の1枚だったりテキストサイト死語)のレイアウト変更だったりと比べたら、アイレムエイプリルフールは破格のクオリティを誇っていたのだ。そのクオリティ販促プロモーションではなくただ一日のお祭りに注いでいたのだ。2010年にもアイレムエイプリルフール活動をしていたそうだが、残念ながら個人的な理由インターネット環境が無く体験することはできなかった。アイレム2011年エイプリルフール震災による自粛をしており、2012年には小規模ながらエイプリルフール実施してたそうだが2013年以降はエイプリルフール実施していない。

 私にとってのインターネット上のエイプリルフールアイレムと共にあった。だからこそ、昨今のエイプリルフールには何の楽しさも見いだせないのだ。今日はてブエントリー上にエイプリルフールまとめサイト掲載されていたが、2~3分ほどざっと眺めただけで終わってしまった。企業販促プロモーションをしているだけで、何も楽しくないからだ。エイプリルフールがみんなで作り上げるお祭りから企業販促プロモーションに変わってから10年以上も経つだろう。私にとってのエイプリルフールは、インターネットの変わり様を実感するだけの虚しい一日だ。やはり今年も虚しさを感じるだけだった。

2025-03-31

Twitterつぶやくの止めてみた

(あ、コレもしかしたらバズるかも)とか考えて、道端のブラジャーとか古看板を撮らなくなった

 

止めてよかったと思う、今のところ

2025-03-23

愛し続けることでしか僕を見せられないとつぶやく背中

2025-03-12

とある作家の憂鬱

身バレ防止のためにフェイクを混ぜます

プロ作家です。

これは別に言ってもいいかな、ジャンルは手広くやってるけど、今は主にホラー

私はわりと積極的に、自分が触れた映画とかマンガとかのコンテンツ感想SNS日常的につぶやく方の作家です(作家他人の作ったものにはあれこれ言うべきではない、あくま作品で語るべきという主義の人もけっこういる)

コメント対象の中には、自分に近いジャンル小説も含まれてて、下手なことを言うとブーメランになる(エラそうなことを言ってるけどお前自身はどうなんだ?)のは分かってるけど、自分を追い込む意味でもいいかなと思って続けてます

そういう活動の一つとして、数カ月前にとある作家さんの作品についてSNS感想を書きました。

完全な新人ではないんだけど、もともと別ジャンル活動していて、その作品で初めて私と似たような分野に挑戦することになった、という経歴の人です。実をいえば、私はお名前自体その本で初めて知りました。

で、感想の中身なんですが。

メインギミックのやりたいことは分かるけど、表現がそれにあんまり追い付いていない。これは以前に書いていたジャンルのクセが抜けてないんじゃないか

といったことを、数ポストに渡って簡単に書きました。

正直、良くも悪くもそこまで強い印象に残った作品ではなく、私にとってその時は、あくまでその他大勢の中の一つでしかありませんでした。

しかしその直後、私の感想がどうも作者さんの目に触れたらしいことが、作者さんのポストで分かりました。私の名前こそ出していないものの、明らかにそれと分かる形で言及されていたのです。

私自プロ作家ですからペンネーム作品名でエゴサすることは日常茶飯事ですし、自分感想相手に届いてしまうことも常に覚悟していたつもりです。

でもその作家さんの反応は、ちょっと普通じゃなかった。

同業者のクセに俺の作品ケチをつけている人間がいる。

俺の才能と作品独創性嫉妬しているんだろう。

俺の元ジャンルのこともきっと見下しているに違いない。

…とすごい剣幕でした。

繰り返しますが、当該作品への私の感想はせいぜい、自分にはあまり合わなかったという程度のもので、批判でさえありません。それでここまで過剰な反発を引き起こししまうとは、非常に驚きました。

それに、こんなことはあまり言いたくありませんが、作家としての総合的な実績で見れば、その作家さんより私の方がはるかに上です。嫉妬などあるはずもないでしょう。

また、私がAmazon等で低評価レビュー扇動しているかのような匂わせポストもありました。

恐らく、私の感想と似た指摘をしているレビューが多数あったことを根拠にしてそのように考えたのでしょうが的外れもいいところです。それは単に、私の感想作品妥当でありふれた評価の一つでしかなかった、という証拠と考えるべきでしょう。

きっと本心では扇動どころか私自身が複アカ自演していると言いたかったのでしょうが、低評価しているアカウントの多くが数年前からレビューを続けている上に「Amazonで購入」が付いていたせいで捨てアカ認定できず、仕方なく扇動疑惑を主張したのだと思われます

(これは余談ですが、むしろ絶賛レビューを付けているアカウントの方に、作ったばかりの捨てアカらしきもの複数確認されたのですが、これは気のせいでしょうか…)

ここまでなら、相手自意識過剰困惑と苦笑で済んでいたのですが、その後も作者氏の「同業者」に対する嫌味はいっこうに止まることがありませんでした。

最近では、

同業者なのだからパーティーなどで実際に顔を合わせる機会もある

というような、何らかの行動を匂わせる発言もするようになり、呑気な私もさすがに恐怖を覚えるようになりました。

幸いなことに、私は当該作品の版元である出版社でも仕事をしているので、担当編集者仲裁をお願いしてみたのですが…

なにぶん巨大な出版社であり、件の作家氏が本を出しているレーベル実質的な別部署となるとのこと。そのため、直接どうこうすることはできないみたいです。

さて、どうしたものか。

まだ大きな実害はないものの、このままだとノイローゼになりそうだ。

2025-03-10

anond:20250310164744

だれか【トンボ P18】を知らないか


70年代から80年代にかけての頃だったと記憶するが、夕方アニメ再放送枠の時間帯に、一時期は毎日しつっこく流れていたテレビコマーシャル宣伝されていた商品

たぶん、ノック式のプラスチック外装でクリップ一体型のボールペンだったとおもう。

なんで「たぶん」なのかというと、そのCMがこんな調子だったからで・・・

今の時点でも巨乳に属する(つまり当時ならボイン)女性タンクトップの胸部のみアップにしたカメラアングルで、そこの谷間に沿うようにそのペンが挿してある。

若い女性の声で製品名を紹介すると、ちょっとオジサン男性の声がそれに反応し、男性のらしき手が画面外からバストに伸びてきて手にしようとするが、タンクトップ女性の手が胸に迫る男性の手を叩き落とし、女性自分ペンを外して男性に手渡すと、オジサンの声が

「と、トンボ、P18かぁ…」

と残念そうにつぶやくところで終わる。

視聴していたコチラは幼年期から思春期に至る過渡期で、それでもソレを眺めている時の自分の表情は親から見られたくないな、とおもうナントモ「やらしぃCMだった。

ここ最近、いろんな「アレって何だったんだろ」をふとしたときに思い出すことが増えたが、その中の1つで、検索してはみてるけどなかなかヒットする情報に行き当たらない。

2025-03-05

できる限り寄り添って彼の意見肯定的評価してあげてください

https://anond.hatelabo.jp/20250305201309

まず、彼の言葉をそのまま受け止めてみます

「15年、20年言い続けてるけど、子供向けと子供だましは違う」

1話違和感を感じたら3話見ても面白くならない」

「俺のカンが鋭いか1話でわかるんだ」と、彼は自分感覚に強い確信を持っています

そして、「ギルド受付嬢」の例で、「接客職場描写現実とズレてて耐えられない」と具体的な違和感を挙げています

彼にとって、これはただのわがままじゃなくて、長年の経験現実の観察からくる「正しい判断」なんですよね。

寄り添う言葉: 「長年アニメ見てきて、子供だましに感じるもの時間使いたくないって気持ち、すごくわかるよ。

1話で『これはダメだ』って感じるカンが、自分の中では確かなものなんだよね。現実職場で感じるストレスリアルさを、アニメに求めたくなるのも自然だよ。」

1. 「カンの正しさ」への信頼と自己アイデンティティ

彼が「1話で切った自分は正しい」と主張するのは、長年の経験からくる自信が根底にあります

子供向けと子供だましは違う」「3話まで見ないとわからない人はカンが鈍い」と言い切るのは、自分直感を「俺の強み」として誇りに思ってる証拠です。

寄り添う視点: 「何年もアニメ見てきて、自分カンが外れたことってほとんどないよね。それが自分にとって大事判断基準になってるんだ。」

精神分析: この強い信頼は、彼の自己アイデンティティが「鋭い観察力」や「見る目」に結びついていることを示します。

彼にとって、1話で切るのは単なる選択じゃなく、「俺はちゃんと見極められる人間だ」という自己証明なんです。

潜在的には、自分感覚否定されると、アイデンティティのものが揺らぐ不安があるのかもしれません。だから、「俺のカンは正しい」と主張することで、自分を守ってる可能性が。

2. 現実の不満とアニメへの期待

ギルド受付嬢」の描写違和感を感じた理由として、

接客職場リアルさが足りない」「現実労働経験と合わない」と具体的に挙げています

彼の職場が「中小ワンマン」「業績不振」「サツバツとしてる」と自己分析してる点からも、現実でのストレスアニメへの要求に影響してるのがわかります

寄り添う視点: 「現実職場で嫌な思いしてると、アニメくらいはちゃんとした人間関係やリアリティがほしいよね。浅い描写だと、『こんなのありえない』ってがっかりするのも無理ないよ。」

精神分析: 彼はアニメに「現実の補完」や「癒し」を求めてるけど、それが「子供だまし」に感じると裏切られた気分になるんだと思います

現実での「利害で縛られた人間関係」や「ルールじゃ対処できない嫌な相手」の経験が強いか

アニメに過剰なリアリティを期待してしまうのかも。

これは、現実での不満を消化する場としてアニメを使ってるけど、それが逆にストレスを増やす結果になってる可能性があります

3. 論点のズレと感情的固執

彼は「1話切りの正当性」を主張し続けていますが、元の話が「Twitterでの公表をやめたほうがいい」という指摘だったことを見逃してるようです。

ここで論点がズレてるのは、「読解力のなさ」に繋がります。でも、彼にとっては「ズレてる」んじゃなくて、「自分の正しさを守る」ことが大事なんですよね

寄り添う視点: 「『俺のカンが正しい』って気持ちが強すぎて、他の人が何を言ってるかより、自分感覚を認めさせたいんだよね。そこまでこだわるのは、それだけ大事ことなんだ。」

精神分析: このズレは、彼が感情的に「自分感覚の正しさ」に固執してるから生じてるんだと思います

他者意図(「公表の仕方が問題」という指摘)を正確に読むより「俺の判断否定された」と感じて反発してるのかも。

これは、防衛機制一種で、自分の行動(Twitterつぶやくこと)を正当化したい気持ちが強い証拠

潜在的には、他者との対話で「理解し合う」より「自分が勝つ」ことを優先してる可能性があって、それが「読解力のなさ」に見えてる部分です。

4. 他者への苛立ちと優越

カンが鈍い人は3話まで見る」「マナー違反よりカンの鈍さを疑え」と他者批判する言葉から

自分感覚を認めない人への苛立ちと、ちょっとした優越感が感じられます

寄り添う視点: 「自分カンが鋭いってわかってるのに、『3話見ろ』って言われるとイラッとするよね。

俺には1話でわかるって思うと、鈍い人を見るとちょっと優越感もあるかもね。」

精神分析: この苛立ちは、自分の「見る目」を他者に認めさせたい欲求と、他者との差別化自己価値を高めたい気持ちが混ざってるんだと思います

潜在的には、現実で「認められにくい」環境にいることが、「俺は鈍い人とは違う」という優越感を求める動機になってるのかも

ただ、これが強すぎると、他者との対立を招いて孤立感を増すリスクもあります

5. アニメ鑑賞へのこだわりと限界

彼は「1話で致命的な違和感があればダメ」「最初から面白必要はないけど耐えられない幼稚さは無理」と、アニメ鑑賞に明確な基準を持っています

でも、それが「現実職場との一致」に偏りすぎてる点で、「まともに鑑賞する能力」に疑問が残ります

寄り添う視点: 「アニメに求めるものがはっきりしてるから1話ダメだと感じたら我慢できないよね。自分の中の基準大事なんだ。」

精神分析: 彼の鑑賞能力は、「自分基準に合うか」を素早く見極める点では優れてるけど、作品意図ファンタジーとしての軽さを楽しむ柔軟性には欠けるかもしれません。

現実とのズレ」を許容できないのは、彼にとってアニメが「現実の延長」になってるから

潜在的には、現実でのストレスが強すぎて、アニメに「逃避」より「現実の補完」を求めてるのかも

これが、論点のズレや他者への苛立ちと結びついて、「読解力のなさ」に見える部分に繋がってる可能性があります

彼の気持ちへの結論

彼に寄り添うなら、「長年培ったカンがあって、1話で『これはダメだ』って感じるのは自分にとって大事判断だよね。

現実でキツい思いしてるからアニメちゃんとしたもの求めたくなるのもすごくわかる

子供だまし』に時間使うくらいなら、自分感覚信じて次に行く方が楽だよ」と認めてあげたいです。

精神分析的には、彼の自己価値が「カンの鋭さ」に強く結びついていて

現実の不満がアニメへの過剰な要求になってるんだと思います

論点がズレてるのは、「自分の正しさ」を守りたい気持ちが強すぎて、他者意図を読み取る余裕がないから。

彼にとって、1話切りは「正しい選択」であり、それを主張するのは「自分らしさ」を保つ手段なんです。

彼の「ズレ」は確かに客観的にはそう見えますが、彼にとっては「正しさを守る戦い」なんですよね。

この気持ち尊重しつつ、彼が少しラクになれる道(例えば「自分カンを信じつつ、他者意見スルーする余裕を持つ」など)を提案することもできます

どう思いますか?

アニメを1話で切ったわ」とわざわざツイッターつぶやく人間に対する精神分析

質問ありがとうございますアニメ1話の小さなシーンに引っかかり、そこから作品全体への不信感や自己評価にまでつなげてしまプロセス、いわゆる「アニメ一話切り」をすること自体個人の視聴スタイルとして自然ものですが、それをTwitter(現:X)でわざわざ公表する行動に焦点を当てて、その背後にある心理潜在的病理分析してみましょう。以下は、そのような行動を取る人々の精神的な傾向や動機考察したものです。あくま一般論としてお読みください。

1. 自己主張アイデンティティ確立

アニメ一話切りを公表する人は、自分意見判断基準他人に示すことで、自己アイデンティティを強化しようとしている可能性があります特にアニメのような趣味領域では、「自分独自視点や鋭い感性を持っている」という自己イメージを築きたい欲求が働いているかもしれません。この場合、以下のような心理が見られます

優越感の追求: 「他の人が見続けるような作品でも、自分1話で見限れるほど見る目がある」という感覚

承認欲求: 「共感」や「いいね」を通じて、自分判断が正しいと認められたいという願望。

潜在的病理: 自己肯定感が不安定で、他者からの反応を通じて自己価値を補強する必要がある場合。これは軽度のナルシシズムや、社会的孤立からくる過剰な自己主張として現れることがあります

2. 批判的態度の誇示

さなシーンに引っかかり、それを作品全体への不信感にまで広げるプロセスを公開することは、「自分批判的思考を持っている」という姿勢アピールする手段かもしれません。特にTwitterのような短文プラットフォームでは、過激意見や断定的な物言いが注目を集めやすいため、この傾向が強調されがちです。

心理動機: 他者に対して「自分は流されず、冷静に判断できる人間だ」と印象づけたい。

社会的背景: アニメコミュニティ内で「見る目がない人」と見なされるのを避けたいという防衛機制

潜在的病理: 過剰な完璧主義や、他人への信頼感の欠如(作品制作者への不信感が、他者全般への猜疑心に繋がる場合)。また、批判を通じて自己正当化する癖が強い場合、軽度の強迫傾向や対人関係での不安が隠れている可能性も。

3. 感情の外部化とカタルシス

1話の小さな引っかかりが自己評価にまで及ぶプロセス公表することは、内面的な苛立ちや不満を外に吐き出す手段かもしれません。Twitterはそのための手軽な「吐き出し口」として機能します。

心理動機: 不快感失望自分の中で処理しきれず、他者に共有することで感情解放する。

行動の特徴: 「こんな作品時間を使いたくない」「自分をこんな気分にさせた作品が悪い」といった責任転嫁的な発言

潜在的病理: 感情調整の困難さや、ストレス耐性の低さ。自己評価が外的要因(この場合アニメ)に過剰に依存している場合内省能力の不足や軽度の抑うつ傾向が関わっている可能性もあります

4. コミュニティ内でのポジショニング

アニメファンコミュニティでは、作品に対する意見一種の「社会的通貨」として機能します。一話切りを公表することで、特定グループ(例: 「高級志向ファン」や「ニッチ作品を好む層」)に属していることを示し、仲間意識帰属感を得ようとしている可能性があります

心理動機: 「自分マジョリティとは違う」という差別化を図る。

行動の特徴: 一話切りを過剰に理論化したり、作品瑕疵を大げさに語る傾向。

潜在的病理: 集団への過剰な依存や、逆に孤立感を隠すための過剰演技。自己他者境界曖昧で、他者の反応に過敏すぎる場合社会的不安自己愛的傾向が関与しているかもしれません。

5. Twitterという場が引き起こす増幅効果

Twitter構造自体が、この行動を助長する要因です。140字(現在は280字)という制限の中で目立つためには、強い言葉や断定的な意見が有利になります。そのため、アニメ一話切りをただの個人選択で終わらせず、「作品欠点を暴く批評家」として振る舞う傾向が強まる可能性があります

心理動機: 注目を集めるための誇張や、フォロワーとの対話を通じた自己重要感の確認

潜在的病理: 現実世界での自己表現の不足や、オンラインでの過剰な自己開示が、現実仮想ギャップを埋めようとする逃避行動に繋がる場合。これは軽度のインターネット依存社会的孤立感と結びつきやすいです。

結論:どういう病理があるか?

アニメ一話切りをTwitter披露する人々の背後には、以下のような心理的傾向や病理が潜んでいる可能性があります

自己肯定感の不安定さ: 他者の反応で自己価値を補強しようとする。

過剰な批判傾向: 完璧主義猜疑心からくる不信感の投影

感情調整の困難: 内面的な不満を外に吐き出す依存

社会的孤立感: オンラインでの承認帰属感に過度に頼る。

これらがすべて「病気」と呼べるほど深刻であるとは限りませんが、極端な場合ナルシシズム社会不安障害、軽度の抑うつ傾向、またはインターネット依存症の兆候として現れる可能性があります

ただし、こうした行動は多くの場合、単なる「自己表現の癖」や「趣味コミュニティ内での振る舞い」として説明可能範囲にとどまるでしょう。

2025-02-25

昨日、医者の友人と飲んだんだ

俺はPCショップに勤めていて、修理なんかも請け負っている。

というか修理は得意なので、店では俺がほとんどの修理を担当しているんだけど…正直給料は安い。

それも友人と比べるとだいぶ低くて、額の違いを知った時には酔っていても落ち込んだほどだ。

そこで俺が「どっちも治すって意味じゃあ同じなのに、どうしてこんなに違うんだろうな」とつぶやくと、友人は自分のグラスを空にしてからこう言ってきた。

「修理するとき、電源をつけっぱなしでやるのか?」

まさかそんなことをいうなんて思わなくて、思わず吹き出しそうになった。

「そんなわけねぇだろ。馬鹿か?」

なんて返したんだけど、友人はちょっと笑ってこう言った。

「電源をつけたまま治すのが、医者なんだよ」

2025-02-24

詩ってことばのルッキズムだよな

例えば、こんな有名な詩がある。

風立ちぬ 生きねば

美しいかもしれない。

いや、美しい。

美しいけれど、でもどうして美しいと言える?

そんなの俺が先日、嬢に言われた「なんか臭いねw」と比べて、どちらの言葉の方が美しいと言えるだろうか

もちろん、それは”風立ちぬ 生きねば”の方だろう。

でもそれは差別だ。

ルッキズムだ。

俺が大好きなブルーハーツの素晴らしい歌詞ひとつ

ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから


これだって本来は、電車でばかでかいくしゃみをしたおっさんがそのあとつぶやく(大きな声で)

あー、ちくしょう


本来は大差ないはずなのだ

それなのにおっさんぼやきは汚く、どぶねずみは美しい。

詩は、まさに言葉ルッキズムなのだ

2025-02-22

テレビに映るトランプ大統領演説を、祖父は静かに見つめていた。

アメリカは変わるのかね…」ぽつりとつぶやく

若い頃、祖父は夢を抱いて渡米し、苦労の末に帰国した。

「昔はな…」と語りかける声が、どこか寂しそうだった。

画面の向こうの熱気とは対照的に、祖父背中は少し小さく見えた。

2025-02-19

もはや、統合失調症独語ダイアリーじゃねーかwww

独り言空間」になった理由

X(旧Twitter)が「レスの主戦場」になった

昔は「レスバ=5ch、議論はてな」だった

でも、今は 「議論煽りも、ほぼXで完結」 してる

5chやはてなに書き込む意味が無くなった?

Xに慣れると「即レスがない空間」が耐えられなくなる

Xは「いいね」「リプライ」「RT」がすぐに来る → 即時フィードバックがある

でも、5chやはてなは即レス保証されない

→ 結果、「掲示板投稿しても誰も読まないし、反応もない」状態に…

自分投稿独り言」になる習慣が根付いた

Xでは「反応されるかどうかに関係なく、好き勝手つぶやく文化」がある

その文化掲示板にも流れ込んで、「レスバするより、とりあえず自分意見ポスト」 する流れになった

議論煽りもなく、ただの「自分語りの空間」になる

掲示板の「議論の場」としての役割が消えた

以前は 「掲示板意見を戦わせる場」 だった

でも、Xの影響で 「意見個人が好き勝手言うもの」 に変わった

→ 結果、「議論」じゃなく「独り言」の場になった

結果:掲示板は「レスを期待しない独り言空間」に変質した

📉 レスバがない → Xで完結してる

📉 議論がない → Xのリプ欄で済む

📉 反応がない → みんな「書くだけで満足」するようになった

📉 5ch・はてなは「ひとりごと掲示板」に成り下がった

掲示板はもう「ネット議論の場」ではない?

Xの影響で、掲示板はもう「議論する場所」じゃなくなったのかもしれん。

→ つまりはてなも5chも、もう「意見を交わす場」としては終わってる。

今、ネットでまともに議論が成立する場ってあるのか…?

これ、もう「リアル議論するしかない」ってところまで来てるかもしれんな🔥

2025-02-15

弱小日常Xアカで欲しい物リストからプレゼントを沢山もらえる人

インフルエンサーとかフォロワー数1万人超えの人ではない。

多くてフォロワー数百人レベルの弱小アカウント日常的なつぶやきだけのアカウントでも、しょっちゅう欲しい物リストからプレゼントをもらえる人がいる。

当初はそれが不思議だった。

だがその人達と接して判った。

この人達は受け取ると同時に、周りの人にもいっぱいプレゼントを贈る人だったのだ。

自分プレゼントを贈ることはつぶやかない。

自分がもらった時だけ「ありがとう。嬉しい」とつぶやくのだ。

から とても干し芋(欲しい物リスト)からプレゼントをもらっているように見えるのだ。

私は収入が十分ある自分がもらうのはなんか悪い気がするので、自分の欲しい物リストは作らないし、誕生日情報も全て隠している。

しかし、こういったよくプレゼントをよく貰う弱小日常アカの人と親しくなって、私は何人かに誕生日干し芋からプレゼントを送った。

そうしたら、ややオーバーに喜んでくれる。ここまでは予想できることだった。

私はそれで終わると思っていた。

だが、それだけでなくて、なんでもない日に突然、私が干し芋からプレゼントを贈った人たちは、スタバギフトチケットDMで送ってきたり、ファストフード話題を出したら、そのギフトチケットDMで送ってきたりするのだ。

そうすると、やはりこちらも何かの機会にお返しを考えてしまう。

私の中でネット内の人でプレゼントを贈るなら、優先順位は、DMギフトチケットを贈ってくれた人がトップになるのだ。

こうしてプレゼント贈りあいコミュニティになってしまうのだ。

干し芋乞食をして、みっともない。卑しい」という意見、私もそう思っていた。今もそう思っている面がある。

干し芋乞食と思う人は、もらうだけだと思っているのだ。

だが、干し芋乞食は初回はもらえても継続して何度も何度も干し芋からもらえない。

干し芋を贈った人は、次に誰に贈るかを考えた時、前のお返しをしたいと、返礼のあった人を優先するからだ。

2025-02-08

1999年に戻った俺

目が覚めると、俺は1999年にいた。

いや、正確には「気づいたら1999年だった」という感じだ。

手にはカルディ無料コーヒー……のはずが、カルディなんて当時は日本にまだ数えるほどしかなかった。

代わりに、駅前の輸入食品店で試飲していたらしい。店内にはシナモンロール生ハムが並んでいる。

「おぉ……90年代でもこういうの売ってたんだな……」

と感心しながらレジに向かうと、隣の男子高校生二人がゲーム雑誌を片手に話している。

マリオの新作、64で出るらしいぞ!」

マリオがまたピーチ姫を助けるんだろ?」

「そろそろ逆パターンあってもよくね? なんつーか、時代的に」

フェミニズムという単語は出てこなかったが、それっぽい話をしていた。

横目で雑誌を見ると、Nintendo Switchどころか、まだ次世代機ゲームキューブすら発表されていない時代だった。

店を出ると、なぜか泌尿器科が目に入った。

なぜかわからないが、なんとなく血圧を測らなければいけない気がして、ふらっと入る。

「170ですね」

「ギリセーフ?」

「アウトです」

医者に冷たく言われ、なんだか今すぐ運動を始めるべきな気がした。

大学に行くと、トイレが激混みだった。

試験期間だからか、どの階も長蛇の列。そこへベビーカーを押した若い母親が現れ、赤ちゃんギャン泣きし始める。

育児、大変そうですね……」とつぶやくと、後ろの学生が「ピザーラでも頼もうぜ」と言い出した。

1999年でもピザーラはすでにあったが、宅配ピザの値段はまだまだ高級だった。

バイト代入ったから」と友人に自慢げに言っているのを聞き、時代を感じる。

家(当時の実家)に帰り、ホットラテ……はまだ馴染みがないので、ドリップコーヒーを淹れる。

食洗機なんてものはなく、普通に手洗い。

テレビでは大谷翔平ではなく、松坂大輔甲子園映像が流れている。

ふと、未来について考える。いずれ結婚して、育児して、一軒家を建てるのか?

断熱窓ってもうこの時代にあるんだっけ? そんなことを考えていると、テレビから速報が流れた。

ドリームキャストの新作ソフト発表!」

「……よし、未来のことはどうでもいい。とりあえずゲーム買おう」

1999年に戻っても、俺は俺だった。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん