はてなキーワード: 悪業とは
パキちゃんがやっと凍結された。風俗嬢のアカウントが売られているのは検索するとすぐに見つかる。それを誰が買ってるのか?風俗スカウトとホスト。風俗スカウトとホストが、風俗嬢のフリをして、架空のクソ客叩きを捏造して、それでスカウトが「自分が紹介するところは、こんなことないよ」など言って勧誘のネタに、クソ客叩きをでっち上げてるだけ。
風俗スカウトが、一見すると女に優しい一面を見せて男叩きして、それでアクセスを集めて勧誘するというのが、パキちゃんがやってたこと。実は、ツイッターからXと男叩きして注目を集めてたのは、風俗スカウトが勧誘のネタにしてただけ。
それで、海外出稼ぎでは、女たちが行方不明になってる。座間では9人が殺害される事件が起きたけど、あれも風俗スカウトが起こした。風俗スカウトが女に優しい?そんな風俗スカウトの本音が座間9人殺害事件で「殺される女が悪い」という態度。海外出稼ぎで女たちが行方知れずになっても、何の関心もなく、自己責任というのが風俗スカウトの本音。
風俗スカウトには、半グレに暴力団が入ってる。それで客が悪いと言って、女の子を守ると言ってるけど、スカウト業界の自浄作用には全く関心がなく、スカウトに風俗嬢が殺されようが知ったことではないといって、それで、ありもしない架空のクソ客叩きをして、勧誘してるわけで、現代版の女衒というのはその通り。それでも、架空の男叩きをして注目を集めて、それでフェミニスト?となるのだから、ツイッター、Xはチョロいといってる。
こういう悪徳業者を追放するためにも、アムネスティなどの国際人権団体がセックスワーク非犯罪化を言ってるわけ。もちろん、風俗スカウトは違法状態のほうが都合がよくて稼げてるのに、非犯罪化をしたら居場所がなくなるし、稼げなくなると言ってるけどね。つまり、セックスワーク非犯罪化に反対する勢力が、悪徳業者側なわけ。
警察も、風俗スカウトを標的にして逮捕してるけど、今まで、ツイッター、Xで架空の男叩きをしてそれで注目を集めて勧誘してきた風俗スカウトのアカウントの存在をどれだけ理解してるのだろうか。
先日凍結した「パキちゃん」風俗系の情報を発信する一方、夜職の怖さを発信したりアドバイスしているのが不思議→「グルーミング」を指摘する反応集まる
https://togetter.com/li/2517142
https://anond.hatelabo.jp/20250226155533
※ 書き忘れたけど、匿名風俗嬢の多くは風俗スカウトとホスト。美容系アフィリエイターでも、架空の女性アカウントを大量に作ってるので、風俗スカウトはそれ以上に大量の架空の風俗嬢アカウントで、想像上のクソ客叩きを捏造して勧誘している。つまり、ツイッター、Xの風俗嬢による風俗客のクソ客叩きは、実は風俗嬢ではないスカウトの勧誘だらけで、実態がない客叩きばかり。スカウトがしている悪業から目を背けるためにも使ってる。風俗嬢のアカウントを買ってるのがスカウトとホストというのは、風俗嬢のアカウントが売られているサイトに、スカウトとホスト用にどうぞ、など書いてある。
割合的には、風俗店に来る男性客のほうが風俗業界の男性スタッフよりも圧倒的に多いのに、業界側の事件の発生率のほうがあまりに高すぎる。夕月で客から風俗嬢が殺された事件があったけど、実は夕月はそれ以前に、元従業員が風俗嬢を殺している。業界側の問題を隠して偽の客叩きで勧誘している。セックスワークの非犯罪化は、合法化では別個の規制を新たに作る問題があるので、アムネスティも非犯罪化を言っていて、合法化とは別で、合法化をさらに改善したもの。非犯罪化を国全体として実現した最初がニュージーランドで、最近は欧州でベルギーが非犯罪化した。オーストラリアは州によって違う。ドイツとオランダは合法化段階で、非犯罪化にはなってない。
「架空の女性アカウントを大量に作り、直接的な言葉を使わずに…」年間1千万円以上稼ぐ『アフィリエイター』の実態 #ねほりんぱほりん
https://togetter.com/li/2295580
ツイッター25アカウントで風俗勤務を勧誘か スカウト容疑の男
https://www.asahi.com/articles/ASQ5K41XXQ5KUTIL008.html
「ヨーロッパに対して、規制緩和、言論の自由の確保、合理的な移民政策と出生率の向上を提言する」
各チャプター目次
▼1.起業とは?
▼5.AfDを支持する理由
▼1.起業とは?
私が会社を始めることはガラスを食べて深淵を見つめるようなものだと考える理由は、会社を成功させるには非常に辛い作業をたくさんこなさなければならないからです。
それは決して楽しいものではなく非常に長時間働くことが求められます。
そしてそれでも会社が生き残るかどうかは分かりません。
多くのスタートアップは失敗に終わるのです。
会社を始めるというのは大量の苦労の末に最終的に失敗することがほとんどなのです。
そのためもし誰かが会社を始めるのに励ましの言葉を必要としているならその人は会社を始めるべきではないと思います。
政府に関して言えば最大の課題は官僚主義を乗り越えることです。
物理学によれば私たちはエントロピーに打ち勝つことはできません。
それが究極の戦いだとすれば、官僚主義を打破することはその次に難しい戦いだと言えるでしょう。
歴史的に見ても長期間の平和が続くと官僚主義が徐々に増大していくのは避けられません。
考えてみれば規制当局というものは毎年新しい規制を追加するものであり、立法者も毎年新しい法律を作るものです。
通常無意味な法律や規制を取り除くための浄化プロセスは戦争によってもたらされます。
しかしもちろん私たちは戦争によって政府改革が進むような状況は望んでいません。
したがって戦争がない状況ではアメリカで私たちがここで設立したような政府効率化部門のような仕組みが必要になります。
これは法律や規制を取り除くための取り組みですが、法律を廃止するには当然ながら議会の承認が必要です。
しかし規制に関しては政府レベルで見直しを行い害が利益を回るものを削減することが可能です。
そのため政府の規模を縮小し、国家を破綻させないように予算のバランスを取ることが重要です。
これらは全て非常に困難な課題ですし、私たちがこの目標を達成できるかどうかも分かりません。
私はこれを極めて難しい戦いだと表現しているのです。
実際これまでの試みはほぼ全て失敗してきました。
官僚機構の縮小や政府の効率化を目指した過去の取り組みは一般的に成功していません。
例えばレーガン大統領は連邦教育省を廃止し教育を州レベルに移行すると公約していました。
「あなたはドイツ経済やドイツ市場にも詳しいようですが、ドイツにも政府効率化部門が必要だと思いますか?」
私はそう思います。
基本的にどの政府もゴミ収集のプロセスを持つ必要があるのです。
もし規制を作るプロセスしかなく規制を削除するプロセスがなければ最終的には全てが違法となり何もできなくなります。
ですから全ての政府において政府の規模を縮小し、かつては意味があったが現在は不要になった規制を削減する役割を担うチームが必要だと考えています。
このプロセスがなければ官僚機構はまるで動脈にたまるプラークのように蓄積され政府の機能が徐々に詰まっていきます。
そうなると血流のように本来スムーズに流れるべきものが制限されてしまうのです。
トランプ大統領は物事を成し遂げることを好む人物だと思います。
そして彼は国々を罰したり経済的に無謀なことをしたりしようとは考えていません。
しかしトランプ大統領は関税を各国に重要な問題について協力を求める手段と見なしているようです。
そして明らかにもしある国が非対称的な関税を課し、アメリカの製品の輸入には税をかける一方で、アメリカはその国の製品の輸入に税をかけていない場合これは不均衡な状況になります。
したがっておそらくトランプ大統領はこうした非対象的な関税障壁を持つ国国あるいは規制上の障壁を持つく国に対して行動を起こそうとするでしょう。
彼はこうした貿易制約を取り除きアメリカ企業とヨーロッパ企業、中国企業、その他の国の企業にとって公平で対等な競争環境を確保することを望んでいるのだと思います。
つまり私の見解では彼が求めているのは単に公平で対等な競争環境だということです。
さて、まず最初に仮にAfDが政権を取っていたとしても、テスラはベルリンに工場を建設していたと思います。
私は一般的に市場を歪めるような政府の省令策には反対しています。
政府は関税やインセンティブ罰則などを通じて市場を歪めがちです。
とはいえもし他国がそのような措置を講じているのであればテスラもそれを利用しなければ競争上不利になります。
▼5.AfDを支持する理由
しかし私がAfDを支持する理由はドイツが失敗しないためにいくつかの根本的な問題を解決しなければならないと考えているからです。
もしドイツ国内で犯罪を犯し人々に危害を加えている移民がいるのであれば彼らは国外追放されるべきです。
しかし現状ではそれが行われていません。
人々が真実を知ることができなければ正しい判断を下すことができません。
なぜなら国民は選挙で誰に投票するかを決める際に十分な情報に基づいて判断することができなくなってしまうからです。
現在のドイツでは言論の自由に対して非常に厳しい法律や規則があり例えば政治家を侮辱しただけで投獄される可能性があります。
これは異常なことです。
ですからAfDが言論の自由を支持している点は評価しています。
またAfDが適切な移民政策や犯罪者の国外追報を支持している点も良いと思います。
そしてAfDの基本的にリバタリアン的な政策も好ましいと考えています。
つまりドイツの子供たちを罪悪感だけで苦しめる教育から過去の戦争犯罪を完全に無視するように切り替えるべきだと言ったかのように扱っています。
私が言っているのはドイツの子供たちにドイツは世界最悪の国だと教え続けそれ以外のことを何も教えないのは間違っているということです。
そしてドイツを過去の悪業だけで定義し、彼らの曾祖父母ですら、当時の独裁政権の支持者ではなかったかもしれない。
子供たちに対してドイツは地球上で最も悪い国だと教え罪悪感と恥の中で生きるように仕向けるのは間違っています。
これは完全に誤ったやり方です。
しかし私は同時にドイツの素晴らしい文化的歴史についても認識するべきだと言っています。
例えばアインシュタインが良い例です。
これらの偉業は祝福されるべきです。
ただしそれがナチズムの歴史を無視することを意味するのではなくドイツの歴史をナチズムだけのものとして捉えるのは馬鹿げており誤りであるということです。
人々はドイツが成し遂げた偉大なことを誇りに思うべきです。
ドイツは何千年もの歴史を持つ古代国家でありローマ帝国にすら征服されなかった数少ない国の1つです。
二千年前に、遡っても当時世界最強の帝国であったローマ帝国ですら。ドイツを征服できませんでした。ローマは最終的に諦めたのです。
ですから、ドイツの歴史を理解する際にはその偉大な部分と恐ろしい部分の両方を知る必要があります。
それにアメリカの歴史を見てみればネイティブアメリカンの人々に何が起こったのかが分かるでしょう。
彼らは今どこにいるのでしょうか。
あるいはユダヤ人がユダヤの地に到達する前にその地にいた先住民はどうなったのでしょうか。
ある時点で歴史を過去に行われた恐ろしいことだけで語るのは不可能になります。
確かに過去の悲劇から学ぶことは重要ですが、それと同時に良いことについても学ぶべきです。
まあこれは非常に深い哲学的政治的な問題から今週の時事ネタのような話に飛んでしまいましたね。
ですから、中国が多くの素晴らしい技術を生み出すことは当然予想されることです。
そして実際に中国はこれまでにも数多くの偉大な発明や開発を成し遂げてきましたまた中国の長い歴史を振り返ってみれば分かるように中国もまた古代から続く卓越した国家です。
実際人類の歴史のほとんどの期間において中国は世界で最も強大な国家でした。
ですから、中国の人々の視点からすれば現在の中国の対等は歴史上の本来の地位に戻ることに過ぎないと見ているのかもしれません。
したがって今後も中国は多くの素晴らしいことを成し遂げるでしょう。
その一例がDeepSeekです。
しかしそれは単に中国の圧倒的な才能の蓄積による成果であり確かに印象的なものですが、AIにおける完全な革命というわけではありません。
Xで話題になっている読売新聞の記事。それとX上の反応を見て暗澹たる気持ちになったので記す。
「投票所「夜8時まで」は立会人に負担…きょう4割で早じまい、経費節減も」
引用元:読売新聞オンライン https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20241026-OYT1T50085/
なお、これは今年基礎自治体から広域自治体に転職した1人の地方公務員の考え方だし、サンプルもn=1なのでそこは差し引いて読んでくれ。
しかも、選挙管理委員会に配属になったことはないので、ちょっとズレたこと書いてるかもしれん。
・こんなに大急ぎで違憲の解散選挙やって、自分達の旗色が悪いから「投票所早く閉めちまえ」って圧力かけた
→政党が全国の市区町村に直接「投票時間を短くしろ」なんて圧力かけるわけないだろ。
・まっとう感覚なら「急いだ日程で申し訳ありません」と言って投票所増やすとこでしょ。よりによって『経費削減』だよ。庶民に関わることは全部経費削減なんですよね。
→さんざん行政の効率化を、費用対効果を、民間意識を、って言ってきたのに、選挙だけそれの範疇外になる理由は何?投票所は日頃から市区町村選挙管理委員会が選挙人名簿に基づいて偏りが起きないように場所を決めてるんだぞ。選挙人の人数が変わらないのに増やす必要ないだろ。
・民主主義の根幹を揺るがす
→投票時間を1~2時間早めたところで民主主義の根幹は揺るぎません。平成9年頃までは期日前投票もなかったし投票時間も18時までだったけど、民主主義は崩壊なんてしてなかったぞ。
今回のことで話題になっていることに関連しそうな条文をピックアップするぞ。
2 投票管理者は、選挙権を有する者の中から市町村の選挙管理委員会の選任した者をもつて、これに充てる。
(~略~)
6 投票管理者は、選挙権を有しなくなつたときは、その職を失う。
(~略~)
第三十八条 市町村の選挙管理委員会は、各選挙ごとに、選挙権を有する者の中から、本人の承諾を得て、二人以上五人以下の投票立会人を選任し、その選挙の期日前三日までに、本人に通知しなければならない。
2 投票立会人で参会する者が投票所を開くべき時刻になつても二人に達しないとき又はその後二人に達しなくなつたときは、投票管理者は、選挙権を有する者の中から二人に達するまでの投票立会人を選任し、直ちにこれを本人に通知し、投票に立ち会わせなければならない。
(~略~)
4 同一の政党その他の政治団体に属する者は、一の投票区において、二人以上を投票立会人に選任することができない。
(~略~)
(投票所)
第三十九条 投票所は、市役所、町村役場又は市町村の選挙管理委員会の指定した場所に設ける。
第四十条 投票所は、午前七時に開き、午後八時に閉じる。ただし、市町村の選挙管理委員会は、選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合に限り、投票所を開く時刻を二時間以内の範囲内において繰り上げ若しくは繰り下げ、又は投票所を閉じる時刻を四時間以内の範囲内において繰り上げることができる。
2 市町村の選挙管理委員会は、前項ただし書の場合においては、直ちにその旨を告示するとともに、これをその投票所の投票管理者に通知し、かつ、市町村の議会の議員又は長の選挙以外の選挙にあつては、直ちにその旨を都道府県の選挙管理委員会に届け出なければならない。
※ちなみに東京の特別区は第二百六十六条において市の規定を準用することになっている。
公職選挙法に記載のとおり、投票時間は市区町村選挙管理委員会が「選挙人の投票の便宜のため必要があると認められる特別の事情のある場合又は選挙人の投票に支障を来さないと認められる特別の事情のある場合」に、法律に規定の範囲内で時間を変更することができる。
例えば、開票時間に間に合わせるためには18時に出発する船に投票箱を乗せなければならない。そのためには16時に投票を締め切らなければならない。
では、今回の経費節減のための投票時間の繰上は「投票に支障を来さない」自由なのか。
個人的な見解だが、この程度も認められないのであれば、選挙制度は近い将来音を立てて崩壊するだろう。
このように法律で「市区町村選挙管理委員会」が投票時間の決定権を持っており、そこには国の役人や政治家が意見を挟む余地はない。
政府の圧力で投票時間が短くなったと声高に意見をする人がいたら、それはただの「陰謀論に騙されやすい人」である。付き合い方を見直すことをおすすめする。
件の記事で取り上げられていた宇都宮市の例を見てみようと思う。
https://www.city.utsunomiya.lg.jp/shisei/senkyo/1027895/1027904.html
グラフだけなので細かい数字は分からないが、令和3年度の衆議院小選挙区の時間帯別投票数を見ると、ピークの10~11時では20,000を超える投票がある一方、19時~20時は5,000を切っている。4分の1以下である。18~19時と比較しても半分程度の投票数である。
単純に考えて、時間帯によって投票所の運営コストが4倍以上かかっているということである。
自分が従事していた投票所もだいたい同じような状況だった。酷いときは1時間あたりの投票者数がピーク時の10分の1程度のときもあった。
事務の効率化、行財政改革が叫ばれている中、選挙だけが改革から外れる合理的な理由があったら教えてほしい。
ここでは立会人だけでなく事務従事者全体のことを考慮して記載する。
投票所における事務従事者は最低でも次に挙げる程度は必要である。
投票所によるが、だいたいこれらの人員が、準備片付けも込みで午前6時から午後9時まで15時間拘束される。
以前の勤務先では、選挙管理委員会職員と、選管応援の総務系職員を除いて、投票従事者と開票従事者は分けられていたので、これまたXで話題となっている「6時~27時勤務ののち、翌8時半から通常勤務」といったことは経験がない。
ただ、小規模自治体の話を聞いていると、投票事務と開票事務の兼務があるようなので、マンパワーが少ない自治体ほど厳しい状況に置かれてるのかもしれない。
以前の勤務先では15時間の投票所勤務をして、主事級の日当が3万弱~3.5万弱だ。これを多いと捉えるか少ないと捉えるかは自由だが、「この金をもらえなくていいから、許されるのであれば選挙に従事したくない」というのが市区町村職員の主流意見じゃないだろうか。同業者ニ意見ヲ求ム。
※自治体によっては日当じゃなくて時間外対応という神みたいなところもあれば、週休振替という地獄の煮凝りみたいなところもあると聞いた。
選挙事務は、市区町村の職員のほぼすべてが何かしらの形で関わる上に、派遣(アルバイト)も入れている。
このうち投票管理者は、投票事務をよく分かっている人でないといけないため、大抵は市区町村職員が割り当てられる。立会人は職員でもいいし、民生委員、保護司、スポーツ推進委員、自治会役員など、専門知識がない人でも構わない。まあ打診したところで断られるケースも多いんだけどね。
余談になるが、令和元年に専任要件が緩和され上記2つの職の要件が「選挙権を有する者」になった。それまでは選挙区内から投票管理者と立会人を見つけなければならず、勤務先市区町村に居住する者が割を食っていたが、この改正は大きかったなと思う。
令和5年度と、期日前投票が始まった平成15年度と比較すると、全国の地方公共団体の職員数は約30万人減少している。
一方で期日前投票の制度は年々充実してきており、事務負担は増える一方である。
投票所の運営なんてほぼ全てアルバイトだけでいいだろという意見もあるかもしれないが、ただでさえ人不足の中アルバイトだけでどれだけの人が集まるだろうか。
そもそも、投票数と投票用紙の数が1枚でも合わなかっただけで記者発表沙汰になるというのに、アルバイトに票数管理をさせるなど正気の沙汰ではない。
銀行が毎日の帳簿と現金のチェックを日雇いの派遣に任せるか?飲食店でシフトに初めて入るアルバイトにレジの締めを任せるか?
当たり前だけど、市区町村の正規職員が担うべき領域は外注できない。
これまで書いたとおり、現行の選挙制度は、市区町村職員の多大なる負担(犠牲と言ってもいい)によって成り立っている。
期日前投票所は年々充実しており、鉄道が通っている市区町村であれば、主要駅には期日前投票所が設置されているだろう。
期間も2週間設けているところが多いため、調整のしようはいくらでもあるだろう。
単純に投票時間を短くするのではなく、期日前投票所の拡大や移動式投票所の導入、その他さまざまな取組を行った上での投票時間短縮なのだ。
人口減少の局面において、今後市区町村職員は減少することはあっても増えることはないだろう。
市区町村職員の団体交渉権と争議権が制限されているからこその犠牲によって成り立っているだけであって、団体交渉や争議に発展してもおかしくないレベルのことを要求されている。しかも選挙のたびに、だ。
抜本的な改革をしなければ現行の選挙制度は2050年くらいには崩壊しているんじゃないだろうか。知らんけど。
在りし日の好き嫌いcomは1位堀口英利 2位駒崎弘樹 3位仁藤夢乃だったが
現在は1位Johnny Somali 2位フワちゃん 3位仁藤夢乃となっている
以前は上位が暇空茜の係争相手で占められ暇アノンcomとまで呼ばれていたが、急に堀口が不動の1位から転落していった
考えられる理由
通常のサイトは中傷書き込みがあった場合に管理人にまず開示請求するが、好き嫌いcomは運営者不明の開示請求ができないアングラサイトだった
まず管理人の身元を開示するのが非常に難しいとされており、だからこそ誹謗中傷が蔓延っていたがVtuber事務所が管理人を突き止め投稿者の身元特定にまで進展
好き嫌いcom安全神話が崩壊し、生IPで書き込んでいた頭キッズの暇アノンが減った
好き嫌いcomの堀口のスレッドでは、彼の地元である高崎市を舞台にした「高崎物語」が盛り上がり岩下の新生姜社長もハマっていた
その内容は「高崎市の人々が次々に現れ堀口の悪業を語り、最終的に堀口は逮捕される」という内容
以前の堀口は中傷されるたびに怒りや悲しみを表明してそれが余計に中傷を加速させていたが最近はあまりネットに浮上せず、それは逮捕されたからだと暇アノンたちは信じた
一方で、なんら証拠がない特定個人の犯罪行為や逮捕を信じて流布する暇アノンについていけず正気に戻って脱アノン表明する有名暇アノンも相次いだ
結局、「高崎物語」のシナリオは暇空がプレイしていたゲームのサブストの盗作で、好き嫌いcomの投稿から暇空の反応まで55秒で投稿前から書いていたとしか思えない長さの感想文を挙げられたこと、暇空の独特の文体との一致、暇空が筆者と自己を混同していく姿から作者は暇空説が根強くなった
3.暇空が堀口に2度目の敗訴、控訴断念
暇空は堀口への粘着の大義名分を「先に堀口が俺を中傷したから」と主張して被害者であると自称して訴えていたが、高裁でも暇空は敗訴した
colabo訴訟の暇空弁護士が3人に対し、堀口相手には4人つけて全力で挑んで負けた
「地裁の裁判官はハズレだが高裁なら勝てる。最高裁ならもっと勝率が上がる」という暇空の主張を信じていた暇アノンもこれにはがっかり
衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度
我見諸衆生 沒在於苦悩 故不為現身 令其生渇仰
我此土安隠 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳
則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量
久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 恵光照無量
得入無上恵 速成就仏身
https://anond.hatelabo.jp/20240619014605
本文)
キャンセルカルチャーの問題点は、「悪い・正しくない」と思う倫理が内発的なものではないことなんだろう。
どこかで知った聞きかじりの「教養」に発するものだから、キャンセルすることでなんとなく自分が「正しい側」にいることに内心満足してしまう。「正しい側」にいるというのは安全地帯なので、いくらでも無知な人を罵倒し、笑い飛ばせる。その教養は実際のところ、★のたくさんついたブコメかもしれない、その程度に知った教養でも安全地帯に入った感覚を得られる。
つまり、「いーけないんだいけないんだー、センセにいってやろ」のアレと大差ない。
その程度の教養と正義感で、MVを取り下げ、ミュージシャンを謝罪に追い込む社会なわけだね。
かつて、なだいなだが、ケシカラニズムといって、理性的な正義と感情的な正義を区別し、自分のことでもないくせに感情的な共感によって主語がでかくなるのが感情的な正義の特徴だとした。そのことで人々がプロパガンダに流されやすくなる、という趣旨のことをどこかで書いていたのを思い出す。
もうひとつ思い出したのは、2年くらい前、
のなかで、人権とかマルクス主義とか、外付けされた倫理は歯止めが効かず暴発する、ということを内田樹がいっていたこと。
コロンブスとナポレオンが他所に乗り込んでそこにいた猿を使役したり自分の文化を教え込んだりする描写になんとも思わんのかお前はw
というのがあるね。
正直、なんとも思わないね、というのが俺の感想だし、植民地主義への反省なんていっても、外付けの反省どまり。
俺の中では、このMVはたわいもなくみえている。そんな他愛のないものを批判したくなるほど自分のなかで植民地主義批判は内面化されていないわ。
そんなことをいうと、すぐにいろいろな知識を開陳して説教したくなるサヨクがぼうふらのようにわいてくるんだが。
むしろMVのなかで、不快に思ったのはそこではなくて、ナポレオンなどの人物たちが「Monkey Attack」というビデオを鑑賞するシーン。負傷していまにも死にゆくハチマキをした類人猿の兵士を抱きかかえる類人猿の兵士、その場面にビデオ鑑賞していた皆が涙する、という場面だが、このシーンは、旧日本軍の兵士を連想させられ、ビデオ鑑賞で感動ポルノを消費するという行動にはイラっとさせられた。
類人猿をベートーヴェンが指導したり、人力車にひかせたりというのには何とも思わなかったのに、このシーンだけは嫌な気分にさせられた。
そう、まさに「つまり解釈の余地があるんです。」という感じなんだな。モンキーアタックビデオへの不快感はあるものの、袋叩きにしてやり込めるほどのものではない。他愛もないMVだよ。
rna氏は、ネット上では一斉に右向け右で「文明的なコロンブスたちが野蛮な猿人たちに文明を伝え、教化し、啓蒙している」という構図が大勢を占めているようだが、そうは解釈できないと述べている。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」MV 問題、マジわけわかんねぇ (追記あり) - rna fragments
もっとも俺も若い頃、20年くらい前までは、人権の歴史を教科書通りに学んで、それを教養として広めていけば、外付けされた倫理は共感を呼んで広まっていく、みたいに素朴に思っていた時期があった。
https://lady-joker.hatenadiary.jp/entry/2024/06/16/011301
みたいなことを素で思っていたというか、それこそ20年前のはてな草創期の「何とかidさんの日記」にはそういうのがあふれていた時代、、はてなにははてサと言われる人たちが多かったのだろう、そういう人ともつながった。
しかし、いつしか違和感を覚えるようになった。特に、歴史修正主義というドイツで使われた文脈の言葉を安易に日本の南京虐殺否定の文脈で使うことが一般的になり始めたころ、はてサという存在が疎ましくなっていった。
俺の違和感の正体は、結局のところ、歴史の文脈のなかで生まれた言葉には、その歴史に紐づいた反省があり、過去への抗いがあるはずなのに、いつしか「教養」として普遍化するなかで、その歴史の固有性が失われ、あたかもハンディな批判ツールになり下がることだった。
村上春樹が2009年、イスラエルの文学賞を受賞したとき、はてサは一斉に授賞式に出席しようとする村上を引き留めようとし、攻撃した。出席することは共犯を意味するとまで言った人もいた。そのとき、村上氏は自身への批判を受け、それらの情景を正論原理主義といった。パレスチナの人たちとの現実の接点をもたずに、パレスチナだ、ガザだ、人権だと漠然と騒いでいる、ごく普通のひとたち(私たち)の”寄り添い”は本当に軽いものだ。共犯という言葉も軽い。イスラエルに赴いて「高くて頑丈な壁と、それにぶつかって割れる卵の側では、私は常に卵の側に立つ」と現場で話をした村上春樹の言葉のほうがよっぽど覚悟が必要だ。それでも村上春樹を攻撃する様子をみて、俺はだんだん嫌気がさして、ブログからフェイドアウトしていった。
(追記2)なお歴史修正主義に関して、以下のブコメが目に留まった。
tick2tack ???/ 外付けの倫理の話なのに2行目で教養の話になってるのはなに。/ (歴史)修正主義という言葉は50年以上前からドイツ関係なく使われてる。
すまんが、ズレてるぞお前さん。こういうのってさ、ちょっとでもファクトチェックしてもらう手間を惜しまなければわかることなんだよ。ドイツで生まれた修正主義はその後、ソ連や中国などの共産主義社会で使われていった。イデオロギー的な対立が強い国では、ある視点や政策に「修正主義者」というレッテルを貼ることで、それを委縮させることを狙ったわけだ。
つまり信奉するイデオロギーから逸脱した奴を侮辱して叩く、こん棒として便利に使われるようになっていった、というのがお前さんのいう「50年以上前からドイツ関係なく使われてる」の実態だからな。それが90年代後半、新しい教科書問題以降、日本で使われ始め、00年代半ばには定着した、というのが俺の理解。完全にこん棒化した、っていうのが歴史修正主義の使われ方の変遷だ。「相手に対する敵意と侮蔑」そして「俺たちが正しい」以外なにも読み取れない用語になり果ててるわけ。そりゃwikipedia書き換え合戦になるわな。だから俺はこの用語が嫌いなんだよな。
(/追記2)
お前、そんなこともわからないのか、そんなことも知らないのか、といって得意げに歴史や知識を開陳する態度。
てめえだって大して現実味のないことに対して義憤を抱いてるにすぎないくせに、この尊大な態度。
サヨクに対する嫌悪感は、ここに尽きる。キャンセルカルチャーは、無力なサヨクが得意げに知識開陳して自己満足する場になってるんだよ。
言葉の軽さはどこからくるのか。ヒントになるのは、前述の内田樹の文章。
永井:それで言うと、私は本当に「人権」というものを外付けしたタイプだと思います。大学1、2年の頃、大学で平和学の授業を取ってたりしたのですが、そのときに、何が幸福なのか、他人が何を考えているのかなんてわからないと思ったんです。そして陳腐ですが、みんな正義も正しさも違うよねともやはり思いました。
じゃあ何を拠り所にしたらいいのだろうと考えた結果、「そうかそうか、人権というものがあるのか、みんな賛同してるし普遍性高いじゃん」となりました。普遍性が高いなら、「人権が著しく侵害されているのであれば、これは問題だ!」と堂々とみんなに言うことができる。そうして私は良くも悪くも人権というか権利しか見ない人になっていったわけですが、それは本当に「外付け」だったと思います。
「これは問題だ!」と深く自分のこととして考えもせずに簡単にいえてしまう、ここにこそ問題がある。
そういう義憤の正体って何だろう。
最近、朝日新聞の人生相談に回答した野沢直子に対して、それを朝日新聞記者のコメントともに、冷笑と受け取って批判している記事があった。
[B! 報道] 読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義” | 文春オンライン
「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」とかいう50代の男性の相談。
私個人は、野沢直子の回答の感覚に近い(あ、俺はトランプ支持者じゃないけれどね)。現地に行ってみろと。行けば当事者意識を持てるから。
これは冷笑でもなんでもない。正直、野沢直子の回答を冷笑と捉える文春の批判のほうが今の時代の病を表現していると思った。
新聞で得た世界の出来事をいかに正義の言葉で嘆いても、その切実さは現場の人の感覚とは何も通じ合っていないかもしれない。
かつて、北アフリカのスーダンで、ダルフール紛争と呼ばれる、政府系の集団による虐殺が国際問題となったことがある。
日本のブロガーも反応し、かつてFinalvent氏がこの知名度の低いこの問題を何度も取り上げ、意識を高めようとするべく、記事をお書きになられていた。
最初は、自分の啓発もかねて弁当氏の言説に注目していたのだが、しかし、その後、私自身が北アフリカ地域に仕事上関与するようになってから、スーダン人とも仕事をしたし数多く知り合いになった。自分なりに関心をもって現地で情報を集めてみると、国際的に展開されているセーブ・ダルフール・キャンペーンは次第に異なる運動に映じるようになっていった。
それは当時のバシール大統領の断罪をはじめ、現地武装性組織の悪業を過剰に喧伝する国際NGO特にアメリカのNGOのキャンペーンのやり方に対する違和感だった。紛争の実態はもう終わっているにも関わらず紛争が継続しているかのような言説が多く、過剰かつ単純な演出によって集められた資金は、NGOの広告費に回っているという話まで聞いた。
正しい、とみんなに思い込まされていることでも、プロパガンダが功を奏しているだけかもしれないということだ。
弁当氏がその後、一貫してスーダンに注目していたかどうかは知らないが、やがて同氏の記事の傾向が変わり、国際問題にはほとんど言及されなくなっていった。
今、現在、スーダンの置かれている状況はというと、2023年に始まった国軍と準軍事組織「迅速支援部隊(RSF)」による内戦により、ダルフール紛争の比ではない、深刻な国内避難民が発生している。2023年末時点で国内避難民が905万2822人。これはスーダン人口の2割に相当。2003年の世界最悪レベルの人道危機と言われたダルフール紛争のときですら国内避難民は100~200万人というオーダーだったので、それをはるかにしのぐ難民が発生している今の状況がいかに危機的かがわかる。
しかし、俺は思う。当時、弁当氏のスーダン記事を読み、義憤を抱いた人の何割くらいが、現在進行形の危機を憂いているだろうかと。エジプトとトルコはスーダン国軍支援、アラブ首長国連邦はRSF支援、このように中東の中堅国らは、自分たちに好意的な顧客を武装させながらも、和平を口にする、いわば代理戦争の様相を呈している。
ただ、一方で、外付けの教養には意味がない、とは思わない。しかし、植民地主義の歴史を知るとか、外付けの倫理をいかに理解しているかという意味ではない。
普遍的な価値として、人権を外付け実装してきた日本人である自分自身がいかに受容してきたのか、それを踏まえて自分の生きる社会をどうしたいのかを知ること。
そのルールや規範の成り立ちといった背景をもう少し知る必要があると思っている。
表現の自由ひとつとってもそう。表現の自由って大切じゃないか?と少しでも思ったら、それを所与の普遍的価値だから、と思考停止しないでよくよく考えてもらいたい。
なぜアメリカの判事は歴史的な判決のなかで、空気が濁っているほうが社会は健全だといったのか。なぜフランスでは神を冒涜することが権利なのか。
なぜドイツではホロコーストの否定は表現の自由に当たらないのか。日本は公共の福祉の解釈としてそれらをどのように受容したのか。表現の自由が失われると何が恐ろしいのか、それはそれぞれの社会の文脈がある。少なくとも自分の社会ではそれは何なのか、それを知ること、それこそが教養というものだと思っているし、理性的な共感というものだと思う。
少なくとも俺が思うに、日本社会においては、冒頭のケシカラニズムが政府にとって都合よく操れる心情だろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会では、こういう感情的正義がますます膨れ上がるだろう。
表現の自由が失われることによって立ち現れる社会は、「これが正義だ!」とみせられるとすぐに無教養な人々を煽り立てることでき、簡単なプロパガンダで誘導することのできる、政府にとって都合の良い社会ということになろうかね。
MV叩いて知識開陳してマウントとってるサヨクもそれで満足ですかね。まあそういう奴はそういう時代がくれば、アカ狩りで共産党員と不倫していたことをネタに糾弾しているかもしれないし、体制寄りになってるかもしれないけどね。本格的な右派政党が台頭したらそいつらを味方につけるだろう。不謹慎厨の本質は正義の中身を大して気にしてないことだ。日本中が沖縄を踏みつけにしても気にしないが、よその国の自分とさして関わりのない先住民のことは気に掛けるふりができる。
世界中、世の中でいろいろと深刻で理不尽なことが起きているなか、そういう諸々には無関心で当事者意識もないくせに、「教養ある人」が突然ポリコレし始め、他愛もないMVの植民地主義的な傾向にかみついて、そうだそうだとみんなして一斉に同調した結果、MVの発表取り下げに至る、という構図は学級会のつるし上げそのものだ。
サヨクは知識マウントできて満足だし、日ごろのストレス発散になったことだろう。
朝日新聞に人生相談をした「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています」という50代の男性も、MVをぼこぼこに叩いて満足するくちかもしれない。新聞を読んで中途半端なポリコレ意識をもてあましている、という輩に対する処方箋としては、野沢直子の回答はこれ以上ない的を射たものだと思った。
ブラックで働いてたら入って勤務半年くらいでありえないくらい顔面が老けて、辞めてから治るまで3年位はかかった
当時30代前半だったけど、新しく入ってきた新人に再雇用の方ですか?って聞かれる位老けてた
給料も安かったから貯金もほとんど貯まらなかったし、本当にろくなもんじゃなかった
氷河期以降何十年もブラック企業は野放しで、この状態じゃ子供も生まれないし経済も良くなるわけないよなあ
戦争状態でも人生うまくいく人はいるし、戦争よりはマシではあるけど、やっぱり本質的に同じようなもんだと思う
今の日本の様に、悪いことの結果と言うのはけっこう時間がかかってから現れる場合も多い
仏教でも、悪業も良業も石に水が滴って穴が開くように、結果が出るまでは時間がかかるというけれど、それは本当だと思う
例えばアホみたいな例だけど、安価で不自由なくAVが観られるようになると現実でパートナーを見つける欲が減って結婚できる可能性が減る、とか。
https://anond.hatelabo.jp/20230121161927
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/DS_uraura/status/1615652971647500293
ここのブコメに、「不動産屋があてにならないならどうやって良い物件を見つけろというのか」というのがあったので少し。
本当に「不動産屋はあてにならない」と簡単に言い切れるかというとそうでもなく、あてにならない不動産屋も残念ながら結構たくさんいるし、一方で客の側がぼんやりしているから不動産屋が困ってるケースもあるのだ。
新しい洗濯機を買いに行くのに、乾燥機付きがいいし斜めドラムが良いけど予算は2万円という客である可能性。または、深く考えずに携帯キャリアのショップに行き超オーバースペックの回線を契約させられてきていたりする可能性。そういうことはおそらく家探しについてもそこそこ起きてる不幸だと思う。
これが携帯回線だったらインターネッツどもは「この情弱が」の大合唱だろう。「これだから携帯ショップはろくでもない」と嘆息する奴も出てくるだろうが、これは不動産における「不動産屋は詐欺師ぞろいだ」と言うのと同じだ。携帯回線の場合ならインターネッツの奴らはSIMがうんたら衛星から云々とかそういう情報を得る努力をするだろう。家も同じで、情報と知識が契約者側にも必要になる。バカはキャリアショップに行って高い回線を契約する、賢いやつは情報を仕入れて自分にとって一番良い回線を選んで契約できる。そして物のわかってないやつに適当に売りつける宜しくない輩は不動産屋には確かに多いが、ほかの業界にだってそこそこ多い。そして不動産屋にもちゃんとしているところもいくらでもある。選べ、選ぶための情報を得ろ!
家探しの厄介なところは、つい広大な砂丘の中1カラットのダイヤモンドを探そうとしてしまうところだが、そんな幸運は降ってくることは普通ない。「自分が満足できる家で、家賃もお得」な物件を他人が探すのは簡単ではない。ヘアサロンに行って、短く!良い感じでお願いします、で実際に良い感じ仕上がるのは元々美形な人である。
これを家に置き換えれば、お金があるならそれは可能だ(月に50万円でアタクシが初めての一人暮らしをする家を探してほしいの、港区でね)。
だが、「少しでも安い家賃で」とエコノミーなことを考えている場合はうまくいかない。ちゃんと情報を仕入れ、仕組みを理解してはじめて「いい物件」を自分が自覚できるし、自覚して初めて人に「こういう家を探してほしい」と伝えたりもできる。
家賃はほとんどの場合は市場原理に基づいて平準化されていてお得物件なんてそうそうない。皆インターネットを使えるだろうと思うが、Yahoo不動産やホームズやスーモレベルの巨大な不動産ポータルサイトでは膨大な情報が得られる。各サイトともに駅やエリアごとに平均家賃を出しているし、物件情報は山ほど掲載されている。自分の気になる条件を設定して月に2回ぐらい定点観測しているだけでも、良くも悪くも、かなりの情報を貯め込める。
が、大量の物件情報を前に茫漠としないために「自分がいくらぐらい家に金を使えるか、どんな家に住みたいか」を先に整理しておくことが大事だ。山ほどの情報の中から自分にとって大事な情報をフォーカスするための己の整理である。
実は、「あった!自分の探してた部屋はこれだ!」と確信できるほど、どういう家に住みたいのかを言語化できてる人間はあまり多くない。逆にこれが整理できていれば、最近ではかなり楽にインターネットで物件を見つけられる。ちなみにレインズ見られないのずるい言ってるのは「分かってない馬鹿」だ。レインズとは仲介業者の業界団体の仲介情報の共有プラットフォームで業界団体に加入している不動産屋しか見られない。「見られない」からただ悔しがっているだけだ。これは賃貸についてはあんま関係ないので気にすんな(詳細は割愛するが、賃貸で探してる人にとってはyahoo不動産などとあまり変わらない。逆に言えば購入の場合はレインズを見られると有利なことはそこそこある。ただ一方で購入は賃貸とは全然違う深いフェーズで物件の目利きをする専門性が必要なので素直にプロ(まともな不動産屋)に任せて、これから説明する方法で「己の家への希望」を研ぎ澄ませたうえでそれを伝えて探してもらえばよいだけである)。
レインズ見れないと斜め下の訳知り顔をする前に、まずは、自分が払える家賃の範囲で選べる最上級の家はどんなものか、について自分の希望を整理せよ。初めての場合には、一般的には以下の順序で「俺、こんな家がいいな」を言語化していくのがよいと思う。
どの条件の優先順位が高いかは己の情念でもあるが、客観的に考える場合は「取り換えようがない」条件の優先順を高くしておく方が良い。具体的に言えば、家賃は大家との交渉が可能だが、風呂がない物件に風呂をつけてくれというのは現実的には不可能なので、可変性が低そうな条件ほど優先順位を高くしておくのがセオリー。ウォシュレットとかどうとでもなるのは無視で。逆に自分の情念で「どうしてもベランダが広くなければしんでしまう」と思う場合は優先順位を上げておく。この「どうしても優先したい」を条件を数個に絞る作業が、己の部屋への情念と向き合うことになる。
条件の優先順位をつけておき、上記で決めた条件で物件サイトを検索する。
検索して物件が引っかからない場合は、家賃と部屋の大きさのバランスがばかになっていることがほとんどなので、不動産ポータルの「駅別の賃料」みたいなのを見て(例えばこれとかhttps://www.homes.co.jp/chintai/price/)己の貪欲さを恥じて条件を変える。条件を変える時も上記で整理した優先順位のレンジを変える(=妥協する)。
逆に検索結果が何十件も、何百件も出てきてしまう場合は、己の条件のストライクゾーンを狭める。中野駅から徒歩15分以内、家賃50万円までなら出せる!だと死ぬほど出てくるが、これを徒歩10分、家賃10万まで狭めればぐっと少なくなる。この「検索条件のストライクゾーンを探す」作業を行うことで、己の望みが研磨され磨かれてくるのだ。
希望条件を調整して、10件台程度まで減らせたらそれが「割と住んでもよさそうな家」になる。注意したいのは「同じ物件を複数の業者が登録しているいわゆるダブり物件は1物件」、「おとり物件の可能性もあるからこの時点で夢を膨らませすぎるな」である。おとり物件については後述。
そう、家探しは妥協である。理想の家が欲しいなら自分で土地を買って自分で設計して建てるしかない。が、設計士の友人がこれをやったが「理想の家って難しいなまじで」と言ってた。それにそういうことをしていたら予算が青天井である。結局、家探しは妥協なのだ。
妥協というと嫌な言い方になるが、「そこにすでに実存する家と、己を調和させる行為」が家探しである。アイツ(家)だって、もって生まれた駅徒歩分数や築年数は変わりようがないし、お前にだって譲れないところがある。数多ある「家」から自分にとってちょうどいい背伸びせずに付き合える相手を探す妥協の積み重ねという営為が家探しだ。妥協を楽しめ。そのための条件整理である。
「お得物件」についてだが、無い、と言い切れるわけではなく実はたまにある。だが、「お得だ!」に出会うためには、これまでに延べてきた「妥協を楽しめるまでに己の欲求を突き詰めたか」にかかっている。それが出来ていないなら「お得な物件」は絶対に見つからない。哲学問答のような言い草になるが、市場価格に比して「お得」ってそういうものだろうそもそも。
極端な話になるが、別の友人は10年以上「山手線西側の某駅の徒歩3分の古いビルの上の(おそらく違法)ペントハウス」に住んでいた。かなりおんぼろ、無理やり住居にした怪しい部屋でワンルームといえば聞こえはいいが飯場のプレハブ、トイレは一旦部屋の外に出る必要があり風呂は後付けでバランス釜とグラグラ揺れる小さい浴槽、プレハブだから夏熱くて冬寒い、エアコンなんて何の役にも立たない、そんな家で家賃10万円台前半だったのだが、とにかく見晴らしが良く広大なバルコニー(というかビルの屋上)があり、そこで夜でもギターの練習がし放題だったり野菜を育てたりしていて、奴にとっては「俺ここに一生住む」というぐらいお得物件だったらしい。建て替えで引っ越す羽目になった時にはとても惜しんでいた。奴はどうやってその物件を見つけたか、というとインターネットで見つけた。奴にとっての優先順は、場所と家賃が絶対条件でそれ以外はどうでもよく、ギリギリ内角低めの家賃で探したときに一つだけヒットした物件だったのだそうだ(ただしあからさまに違法感の漂う物件の場合はポータルサイトに出さないこともあるので、奴のはラッキーケースかもしんない)。
最後に、「悪い不動産屋」について。前述した「ダブり物件」を内見したくなった時にどの不動産屋にコンタクトを取るのがマシかということ。繰り返すが不動産屋はすべてがクズなわけではなく、こちらが選べばいいだけのことである。
見分け方のもっとも雑でかつイージーなのは、業者の会社概要から、宅建免許番号を見ることだ。これは業者とコンタクトをとる前に必ず見ることをお勧めする。
宅建番号は例えば「東京都知事(n)第99999号」みたいになっている。かっこの中の数字(n)が大事。不動産屋は免許がないと出来ず、5年に一度免許を更新をする必要があるのだが、このカッコの中の数字は免許更新の回数を示している。つまり(n)×5=事務所が続いている年数である。この数字が大きいほどその場所で長く事務所を開き続けているということになるので、一般的には信頼度が高いと考えてよいと思う(あくまでも一般論だけど)。次に述べるが、悪徳不動産屋は割と頻繁におとりつぶしになったり、つぶれたりで結構新陳代謝をする。知らない名前の不動産屋で(1)のところは取りあえず避ける、ぐらいでも良いかもしれない。またその不動産屋の名前で検索しておくと更に精度が増すね。行政処分を受けている業者かどうかを調べることもできやす(https://www.fudousan.or.jp/gyoseiinfo/#a03)
また、有名どころの不動産屋だったとしても、賃貸仲介をメインでやっている業者は、他に選択肢があるのなら避けてもいいかもしれない。その理由としては、賃貸仲介をメインでやってる業者は薄利多売な傾向があるからだ。薄利多売の店から良いサービスを期待するのは、まぁ現実問題としてはあまり良い方法ではない。
不動産仲介屋の仕事は大きく二つで、売買仲介と賃貸仲介である。売買の場合は何千万円の取引で、取引額の3%が「貰っていい手数料」の上限金額であるが、賃貸の場合は「家賃の1か月分」が手数料の上限となる。賃貸仲介は1件を取り扱う労力に比して得られる金額が低い。そして責任も小さいし業務量も売買仲介と比べて少ないので、まぁ、こう、あまり知識や経験がなく倫理的ではない社員も結構混じってきてしまうのだ。また賃貸専門業者の中には宅建免許(がないと仲介ができない)の名義貸し状態になっている店もある。内見案内をしてる人は宅建免許を持ってないアホで、少し込み入ったことを聞いても答えられん…みたいな不幸が起こることもある(免許がなくては出来ないのは契約業務なので内見をしても違反じゃないので)。口がうまいホスト崩れみたいなのが営業担当で出てくることがあるのはこういう理由。まぁ口がうまいホスト崩れみたいなやつでも物件情報にはガチで詳しくて近所の良い感じの飲み屋の情報とか教えてくれる頼りになるやつ、ということもあるので、必ずしも人は見かけには寄らないが。
よく言われている「おとり物件商法」が多いのは確かだが、おとり商法はやっちゃダメなやつなので色々強く出ていい。
内見前に「空いているか、見られるか先に確認してほしい」「見られないなら行かない」とはっきり言う。それでも、会った後に内見時に希望した物件を見せてもらえなかったら「じゃあいいです」とそのまま帰ってこよう。何ならここまでくる時間が交通費が…ぐらい言ってもいいし、血の気が多いタイプを自負してるのなら「通報しますよ」ぐらい言ってもいい(まぁ険悪にはなると思うが)。
親切心がもしあるなら消費者庁に通報もできる(https://www.caa.go.jp/policies/policy/representation/contact/disobey_form/)通報されるとその業者はペナルティを受ける。不動産仲介業界は免許商売で、業界団体が機能しているので、通報されるとちゃんと行政処分を受けるよ(まぁそれだけ悪業者がいるということでもあるが…)。
あとは「おとり物件」の見分け方だが、不動産ポータルサイトから「あ、おとり物件だ」を見抜くのは、かなり難しいのが現実だ。まぁ一番確度が高いのは相場より1割以上安い、間取りも良さそうな物件は、おとりかも?まぁ空いてればラッキーぐらいに思っておくのは精神安定程度にはなると思う。
相場よりも1割以上安いというのは、特に都市部ではまずないと思っておいてよい。仮に相場より1割ぐらい安く貸してもいいかなと大家が思っている場合でも、出し値をはじめから1割引きしておくバカはいないからだ。つまり家賃は実は結構値引き交渉が可能なことが多い。なので、前にも述べたが、家賃上限の検索レンジを広めにしておくのは「結果気に入った物件」に出会える可能性は高くなるよ。砂漠でダイヤモンドに出会うには。
あと、「1割ぐらい安いな…」と気づくために、ちょっと手間ではあるが1㎡当たりの家賃相場、というのを都度、確かめておくととても捗る。不動産ポータルサイトで提示されている家賃相場は間取り別になっていて、例えば中野駅の1Kなら9万円、といった感じで提示されている。だが1Kにも20㎡から50㎡ぐらいまで広さの差があるので、20㎡で9万円だと4,500円だし、50㎡で9万円だと1,800円で、めちゃ安い!となる。
なので検索している時に「よさそう」と思う物件の1㎡あたり家賃を計算して、だいたい覚えておくと、自分が探している家の相場家賃より得そうか、そうでもないかがすぐ分かるよ。
おまけで。
多くの場合は、大家から営業用の仲介手数料をもらっているから入居者からは貰わんでええわ、という場合と、大家が直接募集をしている場合である。これは「あたり」の部類であると言える。手数料払わんでよいのだからして。
一方で実はこの「仲介手数料無料!」業者は「微悪業者」である場合も増えている。本来欲しかった仲介手数料1か月分を、2年間(契約年数)の家賃に分割して乗っけてるだけ、というからくりで、嘘をついて、意思決定時でお得感を醸し出している場合もあるので、一応注意が必要である。まぁうっすら家賃に乗っけてても「この家賃なら納得」と思うなら関係ないっちゃ関係ないわけだが。まあ、乗っけてる分だけ市場よりはお高いかもしれないし、逆に、契約期間前に引っ越す可能性があるのなら、その分乗っかってた月割りの仲介手数料分の金を払わないですんだ、となることもある。なので極悪ではなく微悪。
開示されたユーザがプロバイダ訴えたら負けるし、雑にユーザの情報開示したら最悪業務停止もあり得るわけだし。
ちょっと馴染みのホストについてる女客の悪口書いちゃいましたみたいなちいかわだったら別として、企業の内部告発しちゃうユーザなんて後々うるさいに決まってんだし、申し立ててきた企業とのビジネス取引() と業務停止リスクもある社会的信用と天秤にかけたらそんな判断にはなりえない。
ちなみに、プロバイダ責任制限法の手続きと、裁判での仮処分請求とはまったく連続してない手続きであることに注意な。
プロバイダに馬鹿正直に開示請求せずに、最初から裁判所に対して「こいつ訴えたいからプロバイダに情報開示の仮処分出してくれ」って直接訴える手法も普通にある。金があって弁護士に頼めるならそっちのほうがお手軽だし、合法に意見照会なしでダマで開示されることはあり得るよ。
プロバイダ責任法に基づく手続きじゃないから意見照会の義務はないし、訴えたい企業とプロバイダとが裁判所で戦って裁判官が結論を出す。そこで開示決定がでたら開示しないといけない。
まあ、プロバイダがどこまで頑張って戦うかはその会社次第ではあるけど、だいたい大手はちゃんと弁護士たてて戦ってると思う。
でも、弁護士費用はプロバイダの持ち出しだから、個人運営とか中小サービスだったら裁判所行かずにわざと放置して負けるとかもあり得るかもね。