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2025-03-17

横浜南区

https://anond.hatelabo.jp/20250317032703

↑で、南区はそれ以外で書いてあって、ブコメでのコメントがなさそうだから書いてみる。


一言で言えば、そこそこ便利だけど目立たない区なので、まあそれ以外の扱いであってる。


そこそこ便利なところを書いてみる。住むには実は結構おすすめ


当然西区中区の方が近いが、南区は隣なのでそこそこ近い。電車10分程度。電車京急か市営地下鉄自転車でも横浜いける。

地価は圧倒的に下がる。家賃もまあ安めかな。


  • 割と美味い店が多い

中華街で働いていた人が店をオープンするのが南区に多い。

それ以外にも昔からある個人店で飲食店はもちろん、惣菜を売るような店も美味い店が多い。

スーパーも多め。


主要な道路は平坦。奥に行けば坂はもちろんあるけど、自転車普通に使える。


住宅街だらけだからなのか、治安も良い。

もちろん場所による。曙町ダメだが、伊勢佐木あたりからの昔は治安悪かったところはかなり良くなってる。


とまあ住むには良い。特色はそんなないけど。


悪いところも。

anond:20250317032703

介護関係で、年の1/4を横浜駅周辺、1/4を伊勢佐木モール奥、残りを名古屋23区内で往復する生活をしているのだが、横浜の2箇所は圧倒的に街が汚いな。物理的に。けっこうな頻度で血溜まりを見つけるし、五番街ら辺や伊勢佐木モール歩きタバコ率は令和とは思えない。もちろん路上に吸い殻も大量。特に名古屋とのギャップがひどい。

2025-02-20

anond:20250220140110

伊勢シー, 鳥羽水もいいけど Respark(レスパー)はいかが?

respark.jp

2025-02-19

anond:20250219230147

寺も神社も古くて侘び寂びみたいなのがいいと思っていたが、昔はきれいだったんだよな

伊勢みたいに短期スパンで作り変えたりして

そう思ったらセンター街もよく見たらただの古い商店街みたいなもんに思えてくる

2025-02-16

anond:20250216105621

タイムリー話題きた!

当方、今年40歳なので記念に何か形に残る良いもの買いたいなと思い、ジュエリー有識者の知人に案内をお願いしてお伊勢参りをしてきたよ。

(ジュエリー沼の界隈では伊勢丹に行くことをお伊勢参りと言うそうな)

(ちなみに私はバツイチ独身なので自分で稼いだお金で買います)

前提として、20代の頃は300円ショップアクセサリーをよく使ってた。

30代では身につけるアクセサリーageteヴァンドーム青山で、一桁万円の指輪ピアス複数持ってて毎日使い回していた。普通に満足してる。

結婚の時はティファニーの一粒ダイヤ0.39カラットで当時40万円くらいのをもらった(相手には同額の時計を贈った)。そのダイヤは一粒だったけど、同僚からはパッと見は二粒だと勘違いされた事があるくらい輝いてたらしい。

で、本題。

数百円数千円のアクセサリーと数万円のアクセサリーの違いは、輝き、パーツの仕上がり、長期間使用に耐えるかどうかが大きいと思う。300円のはパーツが明らかに雑。そして錆びたり変色したりベタベタしたりする。ピアスだと接着部分が雑とか。(追記、数百円はそもそもプラスチックガラス玉なので宝石じゃないのが最も大きな違いだね)

3万円のものは加工がちゃんとしてるし、何年も使ってるけど錆びも変色もベタつきもない。

そんで数万円と数十万円の違いは、石の質と大きさと輝きとブランド体験が大きいと思う。

今回お伊勢りをして、色石メインで探して4つブランドをまわって40-60万円くらいの指輪を何個もつけたんだけどね、やっぱり輝きが全然違った。

その時身につけていたageteは控えめなデザインということもあるけど、同じ照明の環境下で見ても輝きが全然違った。

金もブランド全然違った。しっかりしたタイプ、薄めのタイプなど。これは好みもあると思う。

あと、ヴァンクリは最初から半個室に通され、おしぼりと水とメゾンショコラの特製チョコが出てきた。買ってもないのにこのサービス

この分が価格転嫁されてると思う。

以上!ジュエリー初心者が1回見に行っただけなんで、他の皆さんのご意見も聞きたいです。

2024-11-09

日本ビール史上、もっとオススメビール10

キリンに関する記事話題になっていた。

SPRING VALLEYは増田代官山実験的なビールハンバーガー提供している醸造所兼レストラン開店した頃に行ったことがあり、当時は尖ったIPA仕込んでいたのに現状には悲しく思っている1人だ。

ブックマークコメント同意できる発言している人も多く、はてなコミュニティにもビール好きってこんなに居たんだなと嬉しくなったので、例のマンガゲーム作品の選出に使われるフォーマット10本選んでみたい。

選定レギュレーション

人に飲んで欲しいと思うビールを選ぶにあたり、入手容易性を重視した。クラフトビールとして限定醸造される商品はもちろん増田も好きだが、通年で入手し易いものを優先して選んだ。うちゅうとかWCBとかVERTEREとか、人気があって入荷後すぐ売り切れちゃうところも今回は選外とした。この辺のブルワリーファンの人には申し訳ない。

また、クラフトビールで先行しているアメリカに倣って、日本でも缶流通をさせるところが増えているため、瓶よりも缶で流通しているビールを優先的に選んだ。スタイル表記についてはブルワリー公式に掲げているものがあれば、そちらを優先している。

まぁ増田日本中すべてのビール飲んだことがある訳ではないので、あーだこーだ言及してオススメがあれば教えて欲しい。

10ビール

1. YEBISU(ドルトムンダーサッポロビール

四大ビールメーカー看板ビールから選ぶなら増田はこれ。サッポロドルトムンダーと言って売っているが、ヱビス以外にあまり聞かないので、まぁピルスナーとかラガーと言って差し支えないのではないかと思う。仕事後に疲れたおじさんが冷やして泡立てて飲んでる黄金色をした、一般的イメージビールだ。

ビールオタクが集まって「四大ビールメーカージャパニーズピルスナー最強の缶ビールを決めようぜ!」と話すと、大体はヱビスクラシックラガープレモル赤星ラガー辺りになるのではないか増田はこの中ではヱビスが1番好みだ。「ザ・ホップ」も好きなんだけど通年販売していない(気が付くと店頭から消えたり復活したりする)ため選外とした。近年サッポロはYEBISU BARを各地に展開してブランドとして大事に育てている印象があり、好ましい。

2. サッポロクラシック(ピルスナーサッポロビール

日本における「クラフトビール」の前史と言える「地ビール」とは違い、大手サッポロ工場などの縁があって製造し、それぞれの土地しか流通していない「ご当地ビール」という変わったジャンルがある。風味爽快ニシテ(新潟)、静岡麦酒静岡)、サッポロクラシック(北海道)などである地域限定だったら入手性よくないじゃんって言われたら全くその通りなんだが、近年は通販ふるさと納税の返礼品で入手機会が増えているし、旅行先で飲んだことがある人も居るだろうから1本入れさせてくれ。

北海道で食べるジンギスカンサッポロクラシックの組み合わせが最強なのでご当地ビールとしてはこれ。異論は認める

3. アサヒ生ビール黒生(シュヴァルツアサヒ

日本ビール史上、もっと重要ビール」で選んだらどう考えてもスーパードライが入るのだが、残念ながら増田はスードラがあんまり好きではない。そしてこのエントリ増田オススメしたいビールを選ぶため、アサヒの黒生をすすめたい。クラフトビールシーンで流行しているインペリアルスタウトみたく強烈な黒ビールではなく、古式ゆかしいシュヴァルツビールである。見た目よりずっと飲みやすい。

アサヒは復活させたマルエフと黒生をもっと押し出して欲しいんだけど、やっぱりスードラの方がマーケティング上では重要視されてるよねぇ。

4. インド青鬼IPAヤッホーブルーイング

読み方は「イーパ」ではなく「アイピーエー」だ。情報処理推進機構のことではなくインディアンペール・エール頭文字を取ってIPAなのだ。強烈なホップ香りと苦味、クラフトビールと言って真っ先に想起されやすスタイルだと思う。

キリン資本になってからのヤッホーは色々言われているし個人的にも思うところはあるが、それでも各地でビールイベントやったり手軽に色んなビールスタイルを缶流通提供していて、日本ビールシーンへの貢献度は高い。インド青鬼リリースされてからちょっとずつレシピが変わっていて、元々はイングリッシュIPAっぽい重さがあったのが、徐々にアメリカIPAに寄っている。

5. 銀河高原ビール 小麦ビールヴァイツェン銀河高原ビール

小麦ビールヴァイツェン」は苦味も無くバナナのような香りで飲みやすい、増田はとても好きなスタイルだ。ビールは苦いから嫌いという人にぜひ一度飲んでみて欲しい。ドイツではかなり一般的なようだが、日本では通年販売しているブルワリーは少ない(限定醸造される事は結構ある)。

銀河高原ビールはヤッホーに事業譲渡され、ファンだった増田心配したのだが、レシピは手を入れず続けてくれているようで良かった。居酒屋チェーン世界の山ちゃん」で飲み放題コースにすると何故かこれが注文できて、味の濃い幻の手羽先とびっくりするくらい合わないのだが、事業譲渡後は注文できなくなったようだ。創業者同士が仲良しだった、みたいな裏事情があったのだろうか。謎だ。

6. WHITE ALE(ホワイトエール常陸ネストビール

ヴァイツェンと同じく小麦ビールで、こちらの方がよりフルーティーで大変飲みやすい。ベルギーヒューガルデンホワイトが有名。常陸ネストホワイトエール本家に負けないくらい美味しいし、フクロウのラベルが可愛らしい。

ヤッホー水曜日のネコや、サッポロホワイトベルグなど、より入手性に優れた商品が意外と流通しているスタイルで、増田常陸ネストかFar Yeast Brewingのホワイトがとくに好きだ。

7. キャプテン・クロウエクストラペールエール:オラホビール

海賊ドクロマークのかっこいいラベル販売されているビールエクストラペールエールと名乗っているが一般的にはアメリカIPAではないかと思う。ぜひグラスに注いで鼻に抜けて行くホップ香りを楽しみたいビール。よりニガニガIPAが好みな人には、同じくオラホのカンヌIPAおすすめしたい。

長野県東御市醸造所併設のオフィシャルレストランパブがあったのだが2024年現在は閉鎖してしまっているようだ。再訪問たかったので悲しい。

8. 瑠璃-Ruri-(ピルスナーCOEDO

クラフトビール一般的にはエールスタイルビールを造っているところが多いが、ピルスナーを造っているところもある。小規模ブルワリーが造るピルスナーの中では、増田COEDO瑠璃が1番好きだ。キリッとした飲み口でクリアな色も美しいビール

他にピルスナーだとエチゴビールベアレンなんかも好きだ。

9. ねこにひき(HazyダブルIPA伊勢角屋麦酒

Hazyというのはどろっと濁っていて、甘くて苦くてトロピカルジュースのように複雑なビールだ。アメリカ東海岸で始まって日本にも遅れてHazyブームがやって来た。伊勢角屋麦酒は、まだ日本でHazyが珍しかった頃にニューイングランドIPANE-IPA)としてこのねこにひきを瓶ビールリリースした。

この度めでたく缶バージョンリリースされたので選定した。Hazyは原料が贅沢なためお値段の高いビールだ。ねこにひきはハレの日の1本におすすめしたい。

10. Yellow Sky Pale Ale(フルーツエール:Y.MARKET BREWING)

蜜柑や桃の季節になるとフルーツビールリリースするブルワリー結構あるが、通年で販売しているビールは意外と少ない。このYellow Sky Pale Aleは、Purple Sky Pale Aleというエールビール柚子を入れたバージョンで、Y.MARKETが醸造開始した早い段階から定番商品になっているフルーツビール。とてもリラックス効果が感じられて美味しいビールだ。

Y.MARKETでは、Lupulin NectarというHazyダブルIPAがあって、限定醸造だったのがあまりの人気で通年商品になって、増田こちらもYellow Sky Pale Ale以上に大好きであるが、Hazyカテゴリではねこにひきを選んじゃったので、フルーツビールとしてYellow Sky Pale Aleを選出した。

選外ビール

ハートランドピルスナーキリン

件のSPRING VALLEY記事でもよくコメントに挙がったビール増田も好きだが瓶ビールのため選外とした。

グランドキリン ジ・アロマIPL?:キリン

SPRING VALLEYの記事についたコメント増田も思い出した。キリンコンビニ向けに特殊プルトップ瓶で流通させていたシリーズ。このブランドでは「梟の森」など色々あって、どれも美味しかった。増田は「ジ・アロマ」がとくに好きだった。スタイルは当時はあまり気にしていなかったがIPLなんだろうか?

結局グランドキリンブランドは、後に缶でリニューアルされるが、あまり人気が出なかった(実際、瓶の時よりも味が落ちたと感じた)のか、ひっそりと終了している。キリンブランド育てるの下手だなぁ……。

一番搾り とれたてホップ生ビールピルスナーキリン

秋味が終わった頃(11月)に毎年リリースされる一番搾り限定ビールジェネリックハートランドと言える味わいでおすすめ季節商品のため選外。

W-IPAストロングエール箕面ビール

大阪へ行ったらビアバーへ寄って必ず飲むくらい好きだ。が、瓶ビールのため選外。しかも何だあの冷蔵庫に納まりの悪い細長い形状は。増田にとってはハートランドと同じく外の店で飲むビールという位置づけ。

志賀高原IPAIPA玉村本店

ニガニガIPA総本山といえばここ。定番IPA以外のシーズルビールも外れなし。ただし瓶オンリー

一意専心ベルジャンIPA京都醸造

ベルギービールアメリカIPAを融合させた先進的なスタイル。とても美味しいから一度はオフィシャルタップルーム訪問したいのだが、気が付くとインバウンド京都ホテルが高騰していてまだ行けていない。

クラフトビールビジネスの難しいところはインディーメジャーみたいな対立構造にあり、ビジネスを大きくしようとすれば「そんなもんはもうクラフトマンシップじゃない」的な話になりがちだ。京都醸造国内のクラフトビール業界が抱えるジレンマというブログエントリはてなブックマークで物議を醸したことがあった。今回のSPRING VALLEY問題を予見するような内容だ。

造り手がこんな発信をするなという意見もあろうが、増田はこれくらい尖った意見があった方が面白いしいいと思っている。本場アメリカでもMake America Juicy AgainとかMake Earth Great Again大統領に抗議するようなビールがあるくらいだし。

好きなビールを見付けるには

これはもう結論出ていて、ビアバーに行こう! 四大ビールメーカーなら銀座ライオン・YEBISU BARキリンティなどがあるし、クラフトビールもビアバータップ繋がってる中から好みを見付けて行くのが鉄板だ。ペアリングの善し悪しもわかる。何よりビールは鮮度が命なのだ。繋がってるビールがちょいちょい入れ替わるビアバーがいいぞ。

キリンが推進している「タップマルシェ」なる簡易ビアサーバーシステムがあるが、あれが導入していたらビアバーと呼んでいいか増田ちょっと微妙に感じているが……。ビール充実していないイタリアンバルかに導入されていたら嬉しいかなくらいの位置付けだ。

2024-11-08

大和政権地域集団連合してできたもの

で、その中で力のある者が王位に就いたのです。

そのためにはライバルを容赦ない殺戮を繰り返して天皇(大王)直属の伴造に統括する体制を作り上げた、まぁ極道と同じなのです。

しかし、そのままではただの成り上がり者なので権威けが必要だった。

もともと日本にあった土着信仰を、さも関係あるかのように天皇と結び付けた。

そして、大陸から仏教が入ってくると、その宗教的権威天皇統治に利用しない手はなく、鎮護国家として仏教を利用し、天皇や多くの皇族出家させて高僧にした。仏教権威を利用し、そのために仏教保護したのです。

釈迦欲望を抑えるために作った仏教を、広大な荘園を所有し天皇権力権威付けに利用するというただ欲望のためだけに利用した。お釈迦さんが聞いたらこんなことのために仏教作ったんじゃないと怒るでしょうね。

そして、壬申の乱大海人皇子大友皇子を打倒すべく吉野から東方遠征伊勢豪族度会氏を服属させた時、伊勢太陽神アマテルの威光が見えたので、「そのおかげで大友皇子勝利した!」と信じ込み、伊勢にあった地方神話地方アマテルを皇祖神に格上げした。

で、「その末裔神武天皇という架空天皇が初代天皇なのである」という筋書きで、天皇統治の正統性根拠として作り上げたのが伊勢出身稗田阿礼創作の「記紀」。

これで天武天皇継承正統性担保したのです。


まぁしょせんこんな程度の家系なので歴史的にもロクでもないことばかりやってきました。

たとえば、女官を縛り上げて苦しむのを楽しんだ陽成天皇

事もあろうに大嘗会で神聖な高御座に女官を連れ込んで情事を楽しんだ花山天皇

紫衣を坊主に売って金儲けして遊郭通いしていた後水野天皇

原爆投下戦争中だからやむをえなかった」と敵国の蛮行正当化した昭和天皇

こんな家系をやんごとなき方々と今だ多くの日本人が思っているんだから、何とかにつける薬はないと言う事ですね。

2024-11-02

この選挙自民議席を減らした

さあ兵を挙げて一気に攻め込もう

邪馬台国九州説を常識にするのだ

真実歴史は変えられないことを伊勢に教えてやろう

アマテラススサノオこそ始祖である

職員旅行バスの中で派遣おっさんが、一般視聴用の映画DVDを流そうとしてドン引きした…

この前毎年恒例の職場バスツアーがあったんだわ

去年は「実習生日本原風景を観に行こう」ってツアー名古屋に行って名古屋城に行ったんだが

今年は伊勢に行くことになった


俺のお気に入りワンちゃんの横に今年も座ったが

結局お姉さん先輩や不思議ちゃんが後ろでサントリーを飲みながら麻雀をしてたのでそっちに合流した笑


派遣おっさんは今年も一番前の席に座ってたんだが、運転手さんに頼んでDVDをかけてもらおうとしてた

アンチャーテッド映画を流そうとしてたんだがそのDVD一般視聴用のDVDドン引きした…

バス運転手も「あのね。派遣さん、バスの中で一般視聴用のDVDを流すのは著作権法違反って書いてるでしょ。業務用のDVDじゃないと流しちゃダメですよ」

って言ってた


派遣おっさんはむすっとした顔で0人前の席座ってた

2024-10-30

たまにはメモの整理をしなくてはの増田州間のはテクなしを莉伊勢の揉めはに又(回文

おはようございます

スマホメモ帳メモした内容を後で見返したとき

ぜんぜん何言ってるか自分でもよく分からないことがあって単語がどーんと一言入力されていたりして、

さて?

これ何のメモだっけ?って

普通そのワードを見たら思い出しそうなものだけど

日にち薬とはよく言ったものよね。

すこーんと忘れちゃってるわ。

でもなんかあとで思い出すかも知れない鴨鹿なので、

残しておくけれど結局何か分からないときアーカイブ行きね。

それに、

このメモ何の時

私がどんな気持ちメモしようと思ったのかしら?ってのもあるから

あとで見返したとき前後文脈も分かる様にメモした心境もその瞬間に書き残せておけば残しているんだけど、

それとあと、

時間ね。

メモした時間帯、

前後私何してたっけ何処にいたっけ?ってそれも思い出したら

メモを思い出す手がかりになるから時間帯とかも結構重要視しているわ。

そんなメモが散らばった私のスマホの中は

やっぱり見返すと定期的にメモを整理しなくちゃーって思いつつも

そうよ、

今は便利な検索機能よろしく

検索してしまえば

何かしらのワードに引っかかってきたら出てくるけれど、

メモを探すときにどの言葉検索したらいいのかしら?って思うときはお手上げね。

そう言う時はやっぱりメモ全体をたまに見直す機会を私に与えた方がいいと思うの。

重要そうだったらピン留めできるし、

順番を並び替えたりタグ付けたりして整理できんの。

やっぱりそれでも埋掘されたメモは全体的に見ないと見付けられないので

たまにはじっくり自分メモを見返す季節だってあってもいいのよね。

まあちょうどいい機会だから思い出したらなんとかって言うけれど

そういうタイミングかも知れないわ。

あと、

厄介なのが手書きの紙切れの端に書いたメモとかノートの隅に書いたメモなど。

検索性というより、

私の字がポンコツすぎて読めないって急いで書いたメモからノートや紙を180度ひっくり返して読み返しても何が書いてあるか自分でもよく分からないのよ。

うーん。

さすがに平仮名の殴り書きは読めないわ。

辛うじてだから簡単な内容でもできるだけ漢字で書いておけば感じの単語情報量で思い出せる欠片が一片でもあると思うので、

平仮名の殴り書きより、

感じの殴り書きの方が勝率が高いことに気付いたわ。

多少ポンコツ漢字でもまだ解読の光が見えるの。

自分で書いた文字なのにね!

最悪なのが

メモの紙自体をなくしちゃうこと。

あの時書いたメモどこやったっけ?

そればっかりはお手上げよさらにお手上げ。

どうしようもないわ。

明らかにメモこれもう役に立たないかの知れない役目が終わったメモも捨てどきが分からない季節があって、

これも季節季節に見直して捨てる機会を私に設けるべきだわって思ったわ。

スマホメモの話にもどって

あれ便利よね。

音声メモ

音声ファイルメモするんじゃなくて、

しゃべったそばからテキストになってメモしてくれるやつ。

なんかちょっと前は誤字脱字よく認識してくれなくて

私何言ってるの?って上手く使いこなせなかったけど、

今はちゃん解釈考えてくれる機械が凄くなったのか、

こっちが思って言って吹き込んだことがちゃんと思った通りにテキストになってるので感激しちゃうわ。

車に乗ってるときとかはもっぱらそれよね。

手放しで喜んじゃうわ!

いや手放しでメモできるわ!って意味で藻あるダブルミーニングだったけれどね!

あと私が一時期やっていたテレビ鑑賞メモ

見ながら内容とか出てきた面白そうな言葉とか自分はその時どう思ったのとかハイボールは何杯目なのかおつまみはその時何を食べていたのかなど多岐にわたり細かくメモするの大変だわ!って途中で飽きちゃって辞めちゃったことを今思い出したわ。

それに

そのやってるときメモしていたのをメモしたままでそのまんまなのよね。

これも取り込んでいざデジタル化!って意気込んでいたけれど

それもそれで大変だわ!って

でもまた季節が巡ってきたので、

視聴メモも再開しようかしら?気が向いたらだけどね。

そういう季節かも知れないしタイミングでもあるかも知れないいい思い出しの機械になったわ。

メモの季節は年中なのよね。

私のメモの旅は続くわ!

うふふ。


今日朝ご飯

タマゴアンドハムサンドイッチね!

ここのところ夜NIKKEが忙しくて面談かいろいろ。

お陰でそんなに夜食べることがハイボール以外なくなったので、

こないだの血液検査の数値の値がもの凄く良くなってて笑うわ。

ニケ効果ね。

晩はもう食べなくていいのよ。

朝晩しっかり食べれば今の私はね。

から朝のサンドイッチが沁みるわー!

美味しくいただける調味料でもあるかも知れないわNIKKEは。

それは違うかー。

デトックスウォーター

ホッツ白湯ウォーラーインポッカレモン果汁ね。

多少のレモンフレーバーレモン味とまではいかないものの微かなレモン香りレモンだわ。

もうお湯を沸かしている間も

朝の手間をしている間でも朝のルーティーンの1つになってしまったわニケ。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2024-10-15

anond:20241015145437

伊勢はボッタクリ多いからやめとけ。どうせ海外行くなら沖縄くらい。つーか北海道日本だろ。

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ここには、自ら築き上げてきたスーパー廃業も辞さなおしんの思いは、長谷川伸の「夜もすがら検校」で大切な琵琶を燃やしてまで恩に報いたい思いと通じるものがある。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-09-30

馬鹿名古屋には観光地がない」

ワイ「白川村まですぐ」

馬鹿「あっあっ……」

ワイ「伊勢まですぐ」

馬鹿「あっあっあっあっ……」

ワイ「京都まですぐ」

馬鹿「あああああああああああああああ(脱糞

2024-09-24

足利茶々丸はつよい

武勇に関する評価

家督争奪戦での勝利: 義弟義母殺害し、堀越公方地位を奪取したという事実は、彼の武勇裏付けエピソードの一つです。

伊勢宗瑞(北条早雲)との対決: 勢力拡大を図る伊勢宗瑞との戦いに巻き込まれ、最終的には敗れてしまますが、一時は互角に渡り合ったという記録が残っています

政治手腕に関する評価

堀越公方としての統治: 堀越公方地位確立し、一定期間、勢力を維持していました。

周囲から評価: 享徳の乱という動乱期において、一地方勢力として一定地位を築いたことは、彼の政治手腕を評価する材料の一つと言えるでしょう。

強さの総合的な評価

足利茶々丸は、武勇だけでなく、政治手腕も兼ね備えた人物であったと考えられます家督争奪戦での勝利伊勢宗瑞との対決は、彼の武勇物語っており、堀越公方としての統治は、政治手腕の高さを示しています

しかし、彼を単に「強い」と評価するのは、歴史上の人物に対する評価としては不十分です。なぜなら、彼の強さは、武力だけでなく、政治的な駆け引きや周囲の人々との関係性など、多岐にわたる要素によって形成されていたからです。

足利茶々丸の強さを評価する際には、以下の点も考慮する必要があります

時代背景:

享徳の乱という動乱期において、生き残るためには、武力だけでなく、政治的な駆け引き必要不可欠でした。

周囲の人々:

家臣やライバルとの関係性、さらには運の要素も、彼の強さに影響を与えたと考えられます

歴史的評価:

後世の歴史家によって、彼の評価はさまざまに変化してきました。

結論

足利茶々丸武勇政治手腕を兼ね備えた、力強い人物であったと言えるでしょう。 しかし、彼の強さは、単純に武力だけでなく、多岐にわたる要素によって形成されたものであり、一概に「強い」と断言することはできません。

2024-09-20

伊勢海転生して海老になりたい

🦐🍤😋

2024-09-08

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その2

https://anond.hatelabo.jp/20240906234755から続く

おしん物語でもうひとつ誤解していたことがある。おしんは田倉を救ったという誤解(ここは超重要ネタばらしなので注意)

この出来事は、1983年から1984年にかけての現代編に関連している。。おしん83歳の頃、たのくらスーパーの拡大事業は、大手スーパー進出によって経営難に陥り、倒産寸前まで追い込まれていた。過去おしん初恋した相手並木浩太の息子が経営する並木商店が、大手スーパー土地買収における重要場所にあり、その売却次第でたのくらは助かる状況であった。私は以前、おしんが浩太を説得し、並木がその情に応じて救済が成功したと思い込んでいたが、実際にはそうではなかった。

なぜそのように思い込んでいたのか。もしかすると、失踪から戻ったおしんに、並木を説得してくれと仁が土下座して頼み込んだシーンがあったからかもしれない。

おしん」は全297話もあるドラマだが、その第1話は、たのくらスーパーの新店舗開店祝いにおしんが出席せず、家出する場面から始まる。おしん失踪理由が明らかになるのは、終盤の第290話。ドラマ伏線回収が時代を経て行われることが多く、おしん家出理由も最終週で回収される最大級伏線ひとつであった。この巧みな構成は、橋田壽賀子演出家のすごさを感じさせるもので、まさに名作と呼ぶにふさわしいものである

特に佐賀編では、あまり過酷さに倍速で視聴したこともあったが、終盤に近づくにつれ、ポーズしてでもじっくりと次の展開を予想しながら見入っていた。

1話から第3話にかけては、おしん並木商店の大旦那に恩義を感じていたため、新規スーパーの出店に反対していたことが示唆されていた。そのため、多くの視聴者おしんが息子の恩知らずな商売拡大に恥じて家出したと理解していたはずである。ぢかし終盤になってその真の理由が明かされるという展開が待っていたのは正直、超絶長い伏線回収である

実際には、おしん失踪直前に浩太を訪れ、仁の事業拡大による不義理を詫びていた。その際、聞かされたのが大手スーパー進出についての話である並木商店大手への売却は、並木商店の生き残り策であり、たのくらへの防衛策でもあった。おしんはすべてを理解したうえで、浩太に対して大手スーパーへの土地売却を進めるように頼んでいたのである

その後、おしんが戻ってきた際も、並木はまだ売却を逡巡していた。仁はおしん土下座して、まだ間に合う、並木を説得してくれと頼んだが、おしんは改めて浩太に売却を進めるよう頼むのであるおしん厳しすぎるだろ。

おしん大手進出によってたのくらの事業が立ち行かなくなることはわかっていたが、ひととしての恩義を忘れ、家族を顧みず金儲けに走ってきた田倉家の再生のために、そして恩人の浩太の一家のためにも並木土地大手売却への契約を進めてくれと願い出る。相変わらずおしんさんは厳しいお人だと微笑む浩太は、ついに売却を決意する。

仁は、母のおしん交渉に失敗したと思い込み失望して母を責める。妻の道子も、夫に失望し、ついには離婚宣言する始末。家族崩壊が進む中で、おしんはその様子を静かに見守ってゆく。

これが朝ドラ最終週の出来事というのがスゴイ。

おしんは仁に、離婚再考するよう促し、仁はようやく家族の大切さを思い出す。この姿は、かつて佐賀で竜三を立ち直らせるために試みたおしんの姿と重なる。仁と竜三は、いずれも実家の甘えを捨てきれずにいた共通点があった。おしんは仁の田倉商店倒産させてでもその甘さを排除しようとしていたのである

事業整理のため自宅売却を進め、引っ越しの準備のさなか、家族は徐々に絆を取り戻してゆく姿は橋田壽賀子の夢の世界なのかもしれない(正直、ここはちょっとうーんと思うところはあるが)。しかしこれが橋田ドラマ流の大団円なのだろう。

前述したように、田倉商店は浩太によって救済される。というより人の縁によって救われる。それはまさにおしん商売において大切にしてきた価値観なのであるしかしそれは、全297話、一年近く放送してきたおしんドラマの終盤最終話、終了わず10分前の出来事である。すごい。

橋田壽賀子がこの物語を書き始めた理由は、バブル経済前夜にあった80年代の人々が、お金儲けに走り、大切なものを見失っているのではないか、という思いからであった。物語ラストにはそのメッセージが強く反映されている。

田倉竜三についてのメモ

竜三と息子の仁は、おしんから見て「甘い」性格であり、竜三は何かと佐賀実家に頼るところがあった。しかし、竜三が「俺についてこい、命を懸けて大きな仕事をするんだ」と前に進もうとする時の屈託のない笑顔を、おしんはたまらなく愛していたのだろう。

竜三が敗戦時に自決した際、おしんはその死を「立派だ」と称した。今回全篇通してみる前は、残された家族を顧みない自殺自分勝手で情けないものだと思っていたものの、物語全体を通じて竜三の死に対するおしんの思いが腑に落ちる瞬間があった。

自殺直前の竜三のつぶやきがその鍵となる。

私は後悔しているんじゃないよ。私は私なりに信じて戦争にも協力してきた。軍のおかげで初めて仕事らしい仕事もさせてもらった。男として存分のことしてきたんだ。むしろ精一杯生きられたことをありがたいと感謝しているよ。ただ、ひとは私の生き方を間違っていたというだろう。私は軍と手を結んで仕事をしてきた。隣組の組長として戦争への協力も押し付けてきた。私の勧めで志願兵として少年航空隊に入った少年もいる。その中にはもう帰ってこない少年もいた。国債だって随分買わせてしまった。それも今となっては反故だ。私が無視する事だってできたんだ。だが私はそれをしなかった。もちろん私には私の信念があってやった事だ。それを悔いる気持ちは全くない。しか戦争に協力して罪もない人たちを不幸に陥れてしまった責任は消えやしないんだ!

これが自殺直前の竜三のつぶやきである。竜三の言葉なかに隣組という言葉が出てくる。

明治から終戦にかけての日本は、天皇を頂点とした「家制度」を仮構し、その枠組みの中で国民国家が成り立っていた。この「家」の概念は、戦時中には配給制隣組といった組織を通じて等しく苦労するフィクションを生み出し、社会の不平等を覆い隠していた。田倉家もその影響を受け、軍部から委託工場経営していたが、周囲からは「軍と結びついて甘い汁を吸っている」と陰口を叩かれていた。仁がある日突然、少年航空隊に志願した背景には、そうした噂への嫌悪感があったのかもしれない。

その後、仁は終戦の日も戻っては来なかった。田倉家では仁は戦死したもの想像していたのである

日本が「ひとつの家」として観念された時代において、家族を守ることと国を守ることは同義であった。竜三にとって、隣組の子供たちの死や戦争責任を負うことは、家制度の枠組みの中で重要役割であっただろう。彼が自決した理由も、家制度に基づく責任から来ていたのであるおしんが竜三の死を「立派だ」と称したのは、竜三が自らの信念に従い、天皇を頂点とした「家」への責任を全うしたと理解たからかもしれない。

語弊を承知でいえば、竜三の自決は、個人としての責任を取る行為であり、家制度における「切腹」にも通じる感覚だったと言える。

おしんが育った山形貧困農家では、口減らし普通だったし、姉のはるが死んでも母が死んでもまともに葬式もできない窮状だった。女性犠牲にして平気な顔してきた作造も長男庄司があまりにもひどかったことを思い出すと、隣組責任を感じて自殺するなんて、むしろ立派なことに思えてくる。

しかし、どうだろうか。

竜三のこれまでの数々の挫折経験のように、ふるさとの太い実家に戻るというような、逃げ道はなかったのだろうか。しかし思えば伊勢にきて魚屋になった頃から20年間、竜三は佐賀実家依存する思いがほとんど消え去っていたように思う。竜三の佐賀依存が消えていったことはおしんにとってはうれしいことでもあった。

禎の疎開ときですら、佐賀疎開という選択肢排除された。疎開先で虐待され逃げ帰ってきた禎をみたときには、さすがに佐賀という選択肢はあってもよかったと思うが。竜三はそれもしかなった。

太い実家をあてにしない、それはおしんが望んでいた竜三の自立の証でもあったはず。竜三は魚屋からの次のステップとして伊勢で軍の納入業者になることに挑戦した。そしてようやく家族を養う自信が付き始めた頃のこと、おしんは竜三が佐賀実家を頼らず、雄、仁、禎、希望、初子の5人の子供のために大きな仕事に夢を託していると思うとたまらなくいとおしくなった、とナレーション述懐している。

しかし、竜三が太い実家という表象代替として知らず知らずのうちに依存していたのは、天皇を頂点とする日本国という「巨大な家」だったのである

おしん自身は、国家という家のフィクションを完全には信じてはいなかったが、なんとなく空気には流されていた。しかし竜三は深く信じていた。信じていた以上、潔くその家の責任を取ったということだ、おしんはそう理解したのだろう。そうであれば、軽々しく天皇制などというフィクションを捨て戦前の考え方などなかったかのように、これから自由社会だ、などとふるまうことはズルいことだと思ったかもしれない。しかし、国が家族であるという考え方を捨てさえできれば、なんだったら太い実家に戻ってもいいのだ。しかし竜三はそれを逃げ場にはしなかった。だから立派だといったのではないだろうか。

敗戦直後の225話では、父と兄を失った仁の感慨として、潔く死を選ぶか女々しく図太くたくましく生き残るかの二者択一として人生観が総括されてゆく。その後の長い戦後物語では、昭和58年物語の終盤に至るまで、たびたび竜三と雄の仏壇に手を合わせるシーンが出てくる。これも地味だけど見逃せない。おしんが田倉竜三への思いを忘れずにいるという、竜三への愛と敬意がここに見て取れる。かつて伊勢海岸で、逃げようとする竜三をタックルをしてでも捕まえたおしんの心情がオーバーラップしてくる。

ちなみに、この竜三の自決は、80年代90年代翻訳放送された海外ではどう受け止められたのだろうか。それはとても気になっている。

おしんドラマ橋田寿賀子の反戦思想が色濃く反映しているといえるが、そのなかに侵略植民地支配反省という視点希薄である。それは竜三の自決動機のなかでも軍部に寄り添い、同胞を死に追いやった責任は感じても、侵略に手を貸した自画像みえてこない。しかし、植民地支配への反省についてはそれ自体動機にはなっていないものの、それにつながりうるイエ観念を読み取れるように感じた。隣組他人ごととしてとらえていたのであれば、竜三の自決はなかったはずである。そうであれば拡大されたイエ観念により実効支配された地域に考えが及んでもおかしくはない。実際にはそこまで思いは至らずに死んでしまうのだが。

同じ昭和時代作品である五木寛之の「青春の門」では、筑豊炭田差別的な扱いを受ける朝鮮人労働者が大きなテーマとして描かれている。石炭鉱業会社経営者が、朝鮮人労働者たちから待遇改善を求められた際、「他の山は知らんが、生きるも死ぬも一緒に炭を掘ってきた家族同然だ。私が親でお前たちは子供だ」と言い返すシーンがある。

この台詞は、日本を親、植民地を子と見立てる当時の日本人の感覚象徴している。家族になることで遠慮がなくなり、苦労を強いても平気になるという現象は、まさに家族観の持つ影の部分を示している。(ちなみに映画青春の門筑豊1980年経営者と交渉した朝鮮人労働者リーダー役を演じた渡瀬恒彦は、おしんでは浩太役を演じている。)


この真理を見事に表現しているのが、初子の存在である八紘一宇における植民地と田倉家における養子初子は入れ子構造なのである。初子の境遇は、創氏改名を強いられ皇民化の果てに敗戦を迎えた朝鮮民族運命二重写しに見える。植民地いかにわが子供のように見立てようともいざ状況が変わればあっさりと切り捨てられてしまう。

初子の抱えていた不安というのはまさにそういうものだった。おしん長男・雄の戦死を契機に山形帰郷するよう初子に伝えたおしんの行動は田倉家以外に居場所のなかった初子にとって残酷ものであったといえよう。自殺を思いとどまり米軍相手娼婦となった初子は誰にも消息を知らせないまま、3年もの間、田倉家に送金を続けていた。おしん言動は初子を養女とみていたとはいえない一方、初子は養女としての行動をとっていたのがいじらしく泣ける場面である

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911へ続く

2024-09-06

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く

6月から見始めたおしん。ついに最終回に到達した。全297話を一気見して感慨深い。おしん明治に生まれ大正昭和と激動の時代をたくましく生き抜いた女の一代記である

これまでも2019年頃に再放送された際に断片的にはみていたのだが、フルバージョンで通してみたのは今回が初。全篇を通してみて、いろいろと誤解していたことも多いことに気が付いた。

おしん」に対する誤解、それはおしんは辛抱する女であり、苦難に耐えて自らの努力と才覚で成功する立身出世物語であるという誤解である

全く違った。もちろん困難に負けないといった不屈の精神みたいなテーマもあるし、海外ではむしろそこが受けたのだろう。しかし、おしん本質はそこだけではないというのが全話みた感想である。豊かになるにつれ老害化してゆくおしんの姿は、立身出世物語ありがちな主人公聖人化とはむしろ逆行していた。

辛抱する女であるという誤解。

いや、もちろん少女時代奉公先での過酷な試練は、おしんイメージともなっているし、全編通して苦労が絶えなかったのは確かである。それに耐えようとする根性もみせた。しかし、おしん最初奉公である材木問屋からは逃亡しているし、佐賀豪農の嫁となってからは、姑の嫁いびりに耐えきれずに幼い一人息子を奪うようにして家出している。7歳のおしんが座木問屋で受けた仕打ちにしても、24歳のおしん佐賀の田倉家で受けたイジメにしても、視聴者から見るに堪えないとのクレームがあったほどのもので、おしんが耐えきれないのも無理はないものである特に壮絶だったのは、妊娠したおしんに対する佐賀の姑の仕打ち。まかり間違えば自分が命を落としかねない危険死産経験したおしんはついに、佐賀の家を離れ東京行きを決意する。朝ドラとしては、佐賀時代は1ヵ月以上もあり、視聴者にとってもきつかっただろう。なにせ毎日いびられ、佐賀時代おしん笑顔を見せることはなかったのだから。朝から気持ちを明るくさせるという朝ドラの使命を真っ向から放棄した凄まじく理不尽な展開だった。

後年、佐賀の姑・清を演じた高森和子は、こんなことを言っている。

佐賀編で、田中裕子さん演じるおしんをいびる田倉家の姑・清を演じた高森和子さんも「私はさほど厳しいと思っていなかった。きついといえばきついけど清から見たらおしんのことを我慢できない部分も当然あっただろうし。だからまれ役のつもりはなかった」という。ところが、まず舞台地の佐賀からどっと清に対する反発の声が上がった。「役者冥利に尽きるとも言えるけど、そんなに怒られると思わなかったので、最初は少し落ち込みましたね(笑)」。とはいえ高森さんもおしん役の田中裕子さんの熱のこもった演技に、いびる立場でありながら「あまりにかわいそうで」思わずしたこともあったようだ。(NHKアーカイブより)

さほど厳しいと思っていなかったという回想は、放送から40年後に、おしんを視聴した私にとってはむしろ衝撃である。なるほど、あの姑・清の行動にリアリティがあるのはそのためか。清の役柄を完璧理解してこその発言であるプロしかいいようがない。おしんの娘が死産した際、ほぼ同時に出産した娘・篤子には乳が出なかった。困った清はおしんの乳をもらえないかと頼む。清は授乳するおしんの姿に慈母観音をみる思いだと感動し、死産した娘に愛と名付けていたことを知った清は、自分の孫に愛という名前をもらうことにした。もとはと言えば、おしん死産は田倉家での嫁としての過酷な日々により体力が奪われていた結果である自分の孫に愛と名付ける姑の無神経さもさることながら、こんなところにいたら殺されてしまうという思いがおしん東京行きを決意させた。その際、一粒種の息子・雄を清の手から盗み取って、自立しようと家出するおしんを手助けしてくれたのは、田倉家長男の嫁・恒子。恐らく当時の日本全国の農家の嫁たち(視聴者)は恒子の行動に大きな共感をもっただろう。誰しもおしんのように行動はできない。つらくても長男の嫁として根を張って生きてゆくしかない。真の意味で辛抱する女は恒子である

おしんに対する二つ目の誤解は、自らの努力と才覚で事業家になった、というもの

これは半分は正しいが、半分間違っている。確かにおしんは、9歳から16歳にかけての酒田の米問屋加賀屋奉公した際、大奥から見込まれお茶料理裁縫などありとあらゆる花嫁修業のみならず帳簿の分析の仕方など商いのイロハを徹底的に仕込まれた。これは加賀屋を継ぐことになる孫娘加代が商売に何ら関心がなく、将来とても加賀屋を任せられない不安から、加代をバックアップしてくれる存在としておしんに期待していたかである

しかし、全編通してみると、おしんの才覚はむしろ夫の事業や息子の事業サポートするために発揮されていることがわかる。10代の頃に加賀屋奉公時代に培った経験は、のちに田倉商会の旦那結婚し、田倉商店を支えようとするときに力を発揮する。帳簿をみて夫の田倉竜三の経営能力の弱さを見抜いたおしんは、そのを不安を源じいと相談する場面がある。源じいは佐賀本家から三男・竜三のお目付け役として東京で同居していた使用である。夢ばかり膨らみがちな竜三の経営には源じいもハラハラしており、おしんの商才を見抜いていた源じいは、おしんが竜三坊ちゃんを支えてくれるもの安心していた。しかし竜三は甘く世間知らずだった。田倉商店詐欺あい、あっけなく倒産してしまう。

田倉の再起をかけておしんは自ら稼ぐことを考えた。おしんは手先も器用だった。17上京した当時、日本髪に弟子入りした経験から、出前の洋髪を始めるとたちまち客がついた。一方、竜三は堕落した。会社員の月給の何倍も稼ぐようになったおしんしり目に、竜三はカフェを飲み歩く日々。完全に髪結いの亭主化してしまう。日本髪のお師匠さんに相談すると離婚してしまえと助言を受けるが、ここでおしんのとった行動がすごい。夫を再起させるために、自ら稼ぐことをやめてしまうのであるおしんが働くのをやめ、ついに貯金がつき、明日の米を買うお金も無くなった。お金が尽きたとお師匠さんに報告した際にいったタカ言葉ダメは男はどこまでいってもダメなんだよ」は自分の胸に突き刺さっていたい。どん底理解した竜三はプライドを捨て勤め人として働きだす。それからおしんは、再び商売を始める竜三に対して、どんなに商売センスがなくても温かい目で見守ることにした。先行きに不安でも、それを表には出さずヨイショを欠かさなかった。夫と一緒ならどんな苦労でもすると明るく振舞う。黙って俺についてくればいいんだと竜三に言わせることで、おしんは夫の背中を押していた。やがて子供服需要に目をつけ、竜三は工場建設に乗り出すも、関東大震災で多額の投資をした工場は瓦解、田倉商店の夢も泡と消えた。失意の竜三は佐賀に帰ろうと言い出す。そもそも三男坊である竜三は実家資金東京事業を始め、失敗し、夢破れて、太い実家をあてにして舞い戻ってしまうような根性なしだった。前述のおしん佐賀地獄はここから始まる。

それから数年、佐賀地獄から幼い息子を連れて脱出したおしんは、東京山形転々とし、最終的に伊勢に落ち着き、魚屋として地道に商売をする日々が続いた。いずれ夫と家族ともに暮らせる日を夢見て。最初の3年は一人で魚屋を切り盛りしていたおしんっだったが、夫の竜三から手紙を出せどなしのつぶて。そんな折、有明海干拓の夢破れた竜三が、満州で一旗揚げると別れの挨拶にひょっこり伊勢に現れた。渾身のタックルで、逃げようとする竜三をつかまえるおしんの演技は、天才女優田中裕子のすごさがわかるシーンである。竜三は自分には甲斐性がないことを承知していた。おしん行商した金で店を開くのに亭主面して乗り込めるかと、あくま干拓に拘っていたのであるしかおしんには会いたい。干拓の夢破れた自分を恥じて、おしんに顔を向けられない。おしんに見つかった途端に逃げ出してしまう竜三。そんな旦那にしがみついて、プライドを捨てて魚屋から一緒にやり直そうと説得するおしんの行動には、ある意味、全篇通して変わらないおしん本質がある。田中裕子の猛烈なタックルをみるだけでも「おしん」を見る価値がある。マイベストシーンといってもいい。

やがて伊勢根付いて20年が経ち、この伊勢の小さな魚屋軍部お抱え業者としての水産加工工場にまで事業拡大させたのは竜三の手腕である

しかしそれも敗戦でなにもかもを失い、夫は自殺する。

竜三と長男・雄を戦争で失い、おしんはもう一度魚屋として再出発する。魚屋を手伝い始めたおしんの息子たちはやがて魚屋アメリカ式レジを導入したセルフサービスの店に転換しようと奮闘する。それがのちのたのくらスーパーの出発点となった。今日ではどんな店でも当たり前のレジによる精算が当時は画期的な仕組みだったというのも興味深い。それまでは品物の中央に座りザルをぶら下げて、商品の受け渡しと代金の受け取りをするのが一般的だったのである

魚屋として地域に根差し、身の丈に合った商売をしたかったおしんは当初は反対していたくらいであり、事業原動力となったのは次男の仁であるおしんは夢ふくらむ仁の行動に不安を覚えつつも、その後の事業拡大を支えていたのは間違いなくおしんであった。しかし、情熱をもって会社リードしていたのはおしんというより次男の仁であったというのは間違いない。

こうしてみてくると、おしん実業家として全く野望を持っておらず、本心は堅実に地域根付いた商売をしたかっただけである

おしんに対する三つ目の誤解は、おしん立身出世成功物語であるという誤解である

極貧の小作の娘から、女一代でスーパー16店舗をかまえる地域実業家になった、というのは筋としては間違ってはいない。しかし、大正戦前戦後とその時代時代おしんがしてきたことは、成功しようと夢見みて危険なかけにでる夫や息子の行動を冷静に分析し、正しく軌道修正しようとすることであった。事業拡大をしようと竜三や仁がいうときおしんはいつも反対してきた。これまで大切にしてくださったお客様など義理人情を捨ててまで商売をしようという考えはおしんには全くない、ある意味とても保守的人間であり、実業家によくある野心家では全くなかった。野心家は夫の竜三であり、その血を引いた次男の仁のほうだった。

もちろん、おしんにはおしん商売に対する信念があった。それは人のつながりを大切にすることであり、恩を大切にすることであるおしんは昔から自分を育ててくれたり支援してくれた人たちへの恩を忘れず、いつでも義理人情に生きようとする人なのである

大正時代に縫製工場を拡大したときも、従業員をこき使おうとする竜三に、社員健康福利厚生の大切さを説いていたおしん。ここにはかつて製糸工場結核になったおしんの姉・はるが使い捨て同然に実家に戻され亡くなった経験がにじみ出ている。伊勢魚屋店舗を構えることになったときおしんはお世話になったお客様を忘れず、なかなか行商をやめようとはしなかった。

またおしんをめぐる当時の関係人物にはそれぞれやはり、一宿一飯の恩義という観念がつよく働いていた。それを象徴するのが、息子・雄の戦友である川村である。雄は南方戦線で亡くなってしまうが川村は戦友に報いるために自分が取得した駅前土地を田倉家に譲渡するという行動に出る。そしてなんといってもおしん人生最大の恩人は16歳のとき初恋相手・浩太である。浩太にとってもおしんは恩人であり、かつ激動の時代を共にしてきた戦友のような存在だった。

おしん物語は、事業家としての成功の一代記というより、ひとの縁と恩を大切にする人生観がより胸に迫ってくる物語である。いってしまえば浪花節である。いやそもそも成功などせず、ほぼ失敗して物語は終盤に向かう。その失敗についても、その救済についてもいろいろと誤解していたことがわかった。

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anond:20240905170633

日焼け止めは色付きに疑問を持っているので色がついてないが白浮きしないタイプ日焼け止めをいくつか勧めるエントリ

 

>白い液のタイプはとにかく白浮きしてしまって、「お化粧した感」が出てしまい、

 

そうか?

めちゃくちゃ疑問だ

よほど小さいところが下手に作ってる、たとえば「オーガニックノンケミカル(紫外線散乱剤不使用)」とかじゃない限り最近のは白浮きはほぼ心配せずにすむ

 

しろ女性が顔に塗ることを想定している色付きのほうが

「顔だけ白浮きしがち(ほら、よく女でいるじゃん首の境目で顔だけ白くなってるやつ、あれになる、トーンアップとか書いてるやつはこの効果狙ってんだからな)」

「お化粧しました感が出る(BBクリームタイプそもそも化粧感出すのが目的の1つ)」

と感じるわ

 

男に勧めるならまず日焼け止めの基礎知識を押さえていこう

・量を使っても惜しくない値段のものを、想定の2倍使え

日焼け止め効果は値段より「メーカー定量消費者が考える2,3倍)をこまめに塗りなおせるかどうか」にかかってる、

 高い物は汗でも落ちづらいとか肌への負担が軽めとか高い技術が搭載してある(肌のヨレについていく、紫外線の中から美容外科医が光治療に使う周波数だけ通す等)

 しかしここ10のものは安いものでも紫外線防止効果自体は十分に高いので

 自分予算相談して惜しみなく使えるものを買え

 ただし本当に惜しみなく使え(そして夏の終わりに「え…安いと思ってたけど合計だと〇〇円も使ってんじゃん」と思うぐらい使え)

・ただし、アウトドアでの活動が長い場合ウォータープルーフと書いてあるものを選べ、でないと滝のような汗で流れていきがち

この3点を理解してから選ぶと自分にあったものを選べるはず

  

その上で具体的な商品名ドラッグストアで手に入りやす資生堂中心にいくつか書く

   

以下資生堂アネッサ、パーフェクトUV スキンケアミルクNA価格¥ 3,058(税込)60mL

敏感肌ならアネッサのピンクのやつパーフェクトUVマイルドミルクNA価格¥ 3,058(税込)60mL

高いのが買える、現在地中海にて太陽に焼かれているなど過酷環境なら

ザ・パーフェクトプロテクター価格¥ 6,380(税込)50mL

さらに余裕がある人あるいは外出先で塗りなおしたい場合

透明スティックタイプクリアサンケアスティック

を足すといい、

なおこの「クリアスティックタイプ」は他のメーカーからも多数出ており扱いが楽なのでお勧めしたい

上の商品は全部こちらのページに載ってる

https://www.shiseido.co.jp/sw/onlinestore/products/auth/SWFG070210.html?shohin_ctgry_cd=11&birui_cd=01#page-2

花王について。

2024年上半期「日焼け止め売れ行きランキングTOP15」の中に8品とほぼ半分を送り込んだ花王ニベアビオレ

近年アネッサ・アリィーの旧2トップを覆す攻勢をかけており

ドラッグストアどころかコンビニでもスーパーでもとほぼどこでも買えて手ごろな値段、

肌触りも好感触日焼け止めありがちな重さや臭いがない、

と優れた商品展開をしている

だが正直言うと落ちやす

時間外にいる状況や汗の量が多い人には勧めない

「朝の通勤時間と昼の休憩に外に出る」ぐらいならぴったりなので是非

  

汗をかく量が多い人で、上の資生堂がご予算からはみ出してる人には

サンカット・プロディフェンスの「ミルクタイプ金色のやつ」をお勧めする

プロディフェンス タフネスUV ミルク、実売価格は1400円ぐらい

なおサンカットは上記スティックタイプも出ておりこちらもお勧め

https://www.suncut-uv.com/lineup/prodefense/

 

「こまめに塗りなおすから安いもの」では

伊勢半のマミシリーズが良い

乳幼児の子どもがいる母親が使うことを想定しており大容量かつ安い

これも売れ筋なんで多くのドラッグストアに置いてある

2024-08-22

anond:20240821165253

三重県民そのへん割とどうでもいいというか…

そりゃ「伊勢愛知県」と言われるとさすがに「いや三重県ですよ…」とは言うけど、桑名あたりまでもう名古屋みたいなもんだし、なんなら四日市名古屋圏くらいな感じはある。伊賀関西。ちなみに愛知国際空港には堂々と忍者人形飾ってあるよね。愛知県民にとっては伊賀なんなら甲賀愛知県だし。岐阜市くらいまでは愛知だよね。イマジナリー愛知県結構かいのよ。

2024-07-31

気が付けば見知らぬ土地にいた

うわっでっかいエビ

・・・ここは・・・伊勢かい異世界)?

なんつって

ぷぷ

2024-07-30

上大岡京急百貨店地下で売っている伊勢定のうなぎ弁当

催事物ではありません。

このブクマカ達はなぜ催事の話をし始めたのでしょうか。

choayov 廃棄物処理会社に勤めてた知り合いが、こういう百貨店催事の衛生管理やばいよって言ってた。自分催事でほぼ買わないので何がやばいのか聞かなかったけど、何かがやばいんだろうな。

findup デパート催事なんて毎日全国のあちこちでやってるし、その中で死者一人。これがコロナだったら交通事故との確率がどうとか言うのに。

Falky 事故確率が若干上がる理屈想像できるんだけど、だからって一概に「催事物はヤバい」って表現をするのもね…。実績から言っても食の安全にきちんと取り組んでいる人々の方が多いはずで、ちと失礼だなあと。

richest21 連日30度を超える猛暑の中で今が書き入れ時とフル稼働で大量に作り置きしておいた催事向け弁当を食べる危険性。「鰻の旬は夏じゃない」とかではなくもっとこう医学的というか衛生的なアプローチ忌避すべき事象かと

ChillOut 昔、京王百貨店北海道展で食べたウニ丼。鮮度が悪くてマズかったことを思い出した。鮮度管理が繊細な食品催事で買わない方が良いと学んだ

preciar 百貨店で売る食品なんてテイクアウト王様みたいなもんなのに、こんな雑なミスで死者までですのかという驚き/催事弁当は買わんなあ。百貨店食堂で食う(日本橋三越食堂は最高)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.ntv.co.jp/category/society/2282e8f8afa4456290dd13b172d814d0

anond:20240730111746

伊勢定 富田宗一郎取締役

手袋使用は、当日にいたって、なかった。(20名中)5名が、つけていなかったと認識しています

伊勢定によると、うなぎを焼く職人手袋の着用義務はありませんが、それ以外のスタッフの着用が社内ルールになっているということで、原因は調査中だということです。

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