はてなキーワード: 模試とは
ずんだもんなら、ふんわりとしか考えずに話してしまうけど、都立中高一貫校の合格に向けて、いくつか大事なことがあるみたいなのだ。 まず、Z会の通信教材は、私立中学の受験にはかなり役立つけど、都立中の対策にはちょっぴり中途半端なのだ。他の方が言っているように、都立中の過去問をガンガン解くのが効果的みたいなのだ。 作文対策もかなり重要そうで、小5の春休みから集中して取り組むといいらしいのだ。作文と適性検査、特に適性検査1の読解問題と記述解答に力を入れるべきって感じみたいなのだ。 模試の難易度が色々で、本番の都立中とはちょっとズレがあるから、どうせなら自分の立ち位置を確認する程度にするのが良さそうなのだ。 「銀本」という問題集にはちょっと注意で、あまり都立中向けではなかったって話だから、過去問を解く方がいいのかもなのだ。 どんな学校を受けるかは、公開授業や文化祭を見学しながら決めるといいかもね。無責任だけど楽しみながら受験準備するのが一番なのだ!頑張ってなのだ!
もともと塾通いするには条件が厳しかったため、4年生からZ会の通信教材で中学受験の準備を進めていたが、本人の希望により都立中を第1希望にする。6年生になって以降はZ会の通信教材と並行して過去問を中心に自宅学習、夏・冬だけは他の志願者のレベルを体感しておく目的もあって塾(Z会)で講習を受けた。模試は首都模試・enaで計5回。
Z会の教材は私立中を受けるなら必要十分な内容だと思うが(学習は親が手伝わないと無理だろうし、難関校を受けるなら問題集での演習を追加すべき)、都立中の受検準備としてはあまり役に立たなかった。コースとして「全国の公立中高一貫校」が対象であるため、都立中に特化した対策としては無駄が多い。都立中は各校とも過去3年分くらいは検定問題を公開しているので、それを集めて演習するほうが(特に適性検査3の対策では)効果的だった。
一方でZ会の教室(講習)は、子供の満足度も高く、親としても「課金圧力がきつくない」等の点で好印象。先着順だったが無料で模試を受けられる機会もあったので、通信教材をやっていない場合でも、選択肢に含めて良いのではないかと思う。
模試に関しては、実際の検定問題と比べると難易度の設定が微妙で、あまり参考にならなかった。首都模試は全体的に易しく、enaは難しすぎる問題が散見され(まあ実際の検査問題でも「正解できる小学生いるのかよ…」という問題はたまにある)、どちらも作文課題の採点は(仕方ない面もあるにせよ)大雑把。そもそも都立中は設問あたりの配点が大きく、得点にブレが生じやすい。実力を測るというよりも、志願者の中での自分の位置を確認する程度で良いかと思う。ちなみに我が子の場合、enaの学校別模試で、9月はA判定、11月はD判定だった。
自宅学習で都立中を目指す場合、最大の課題となるのは適性検査1。例年は100点満点で読解が20点✕2問、作文課題が60点という構成だが、読解問題も記号選択ではなく記述解答だし、作文は事前の準備が必須なのに加えアドリブ能力も要求される。我が家の場合、小5の春休みに作文対策を集中的に行い、あとは受検直前の追い込み時期に「自分の体験を踏まえて書く場合」のパターンを幾つか整理した。結果的に適性1で75点取れた(得点開示済)のが結果を大きく左右したと思われる。
別の面から見れば、私学難関校と都立中を併願する場合、作文対策に絞って2科校(=適性検査が2科目)を受けるのが効率的だろう。適性3は各校に特化した対策が必須であり、そこでだいぶ時間を取られることを織り込んでおくべき。
適性3対策としては、受けたい学校だけでなく、他の学校の適性3の過去問を一通りやっておくのが良い。というのも、受験業界でも都立中のマーケットは小さいためか、適性検査に関しては良い問題集が見当たらず、各校の過去問を多少アレンジした問題を載せているのが大半である。それなら過去問をそのまま解いても大差ない。「原則的に、解答する上で不要な情報は提示されない」というセオリーが理解できれば(=ある程度やれば掴めると思う)、入試で勝負できるレベルに達しているのではないか。但し、「正解が1つではない問題」が少なくないので、採点・解説の際は注意してほしい。付言すれば、3科校は適性3が独自作成問題だが、それぞれ校風が反映されている印象がある。できれば公開授業や文化祭などを見学して、お子さんに合った学校を志願すべきだろう。
なお、「公立中高一貫校適性検査問題集」、いわゆる「銀本」と呼ばれる、全国の公立中高一貫校の適性検査問題を収録した冊子が毎年出ている。これが必須教材のように言われているが、私見では効率がかなり悪いため、やる必要は無いと思う。都立中では出題されない内容・形式の問題を解く必要性が薄いことはご理解いただけると思うが、なまじ収録された学校数が多いため、解くべき問題の優先順位を付けるのが非常に面倒くさい。さらに、模範解答は載っているが解説は割愛されているので、採点・解説の手間が煩雑である。結局、我が家は買うだけ買ったものの、開かずじまいだった(そしてブックオフで処分したら100円だった)。
都立中どうしの併願は不可能だが、我が家の場合は近隣に算国のみで受験できる私学(なかなか雰囲気の良い学校だった)があったので、算数の文章題対策だけやって2月1日に受験。ここで無事に合格できたため、心理的にはだいぶ楽な展開になった。結果的には、ここと都立中の2校しか受けていない。
一般論として、近年は難関校を避けて確実性の高い併願戦略を組む例が増えていると聞くが、都立中も例外ではない。昨年との比較では、上位校かつ3科校である小石川は志願者が(一般募集は155人なのに)130人減った一方、中堅校や2科校はそこまで減っていない。
これでどんな事態が起こるかというと、都立中でも上位校とされる小石川・両国・武蔵あたりは「ガチ勢」しか受けに来ない一方、安全策を取った受検生が中堅校に流れてくるため、かえってそちらの競争が激しくなったようだ。
我が子の通う市立小学校だと、受けるなら武蔵・立川国際・南多摩あたりが選択肢となるが、武蔵(3科校)は倍率(2.28倍。追加合格者も含めれば2.06倍)なりの合格率だった一方で、南多摩(2科校)は軒並み討ち死にした模様。前述した理由から私学との併願で「ワンチャン狙い」の志願者も少なくないこと、さらに武蔵を敬遠した受検生が南多摩に回ったことが原因だと思われる。
というまことしやかな噂が私の学生当時に聞かれたのだが、真相/最近の学説を知っている人が教えて
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大昔に理1に入ったんだが、点数が理3の合格最低点より高くて驚いた。当時の私は天地がひっくり返っても理3に入れるようなレベルではなく、11月の模試は全部理1の100位以降だった(と記憶している)し、そこからの短期間で覚醒したということもない。本番直後も「まあこれなら落ちることはないでしょ」くらいの達成感で、たとえば数学は酷い出来だったし。
入学以降、受験産業とはほとんど関わりがなく、また入試の話を積極的にするようなコミュニティーにもいなかったので、「私は果たして本当に理3の合格最適基準を上回っていたのか??」という疑問は全く解けないまま今に至っている。
理3の話が盛り上がっているのを見て、久々に思い出したので便乗
働き始めて数年の、会社員ビギナーなんだけど、7時間30分働くのキツすぎでは?
いやそりゃ働かなきゃいいなんてことは思ってなくて。金欲しいし仕事内容は好きな方だし。
7時間30分勤務なんだけど、15時前くらいにぷつんと集中力が限界になる。あ~~~~帰りて~~~~となる。頭が空っぽになって、風呂と飯と睡眠がめちゃくちゃほしくなる。早い時は昼くらいで風呂~になる。残業が1時間でもあった日なんて次の日に休み取りたくなるくらい疲れる。
睡眠も食事もしっかりとっていて、仕事に対して不満はないけど、それはそれとして集中力が持たない。
ぶっちゃけ学生時代も6限は集中できずにずっと外を見たり、教科書のどうでもいいところ見ていたりしていた。授業がつまらないとかではなくな~んか飽きみたいなのが来る。下校時も疲労困憊で途中の公園とかでブランコするくらい疲れてた。正直大学受験も相当限界で模試でも午後は頭痛くてやってられね~ってなった。2日に分けてほしかった。眠くないのに試験中寝落ちしてしまうくらい頭が強制シャットダウンする。これ以上頭を使うとオーバーヒートを起こしてしまうとなって頭が睡眠だ!となって意識が飛ぶ。
でもなぁ仕事だしなぁ嫌いではないからやる気はあるけども頭が疲れてやる気がない。煙草休憩の人みたいに15分くらい外出させてくれ~。な日々なんだが。
1日に4時間以上集中というか頭を動かす事なんてできね~よ~。どうやってすんだよ~。ちょっと会社近くの公園でブランコしてきていいっすかぁ~。居眠りじゃないんすよぉ。だって睡眠時間8時間で眠くないんすよ。疲れて電源落ちるみたいな感じで目が勝手に閉じて意識飛ぶんすよぉ~…
抗って茶を飲もうとしたら飲みながら脳内が停止してしまってこぼしてしまったり、飴やお菓子で糖を摂取しても集中力なんか戻んね~よ~。
すごいクズだった
昔イギリス旅行で女の子と間違えられた♪と社説?個人ブログ?に書いてあるから女性っぽい外見なのかな?と
処女厨?
画像を「顔は綺麗でスタイルが悪い」と見せびらかしたり(自分を棚上げして貴様は顔もスタイルも悪いだろうが!)
付き合ってた歳上彼女がタバコ吸ってるだけで勝手に幻滅して激怒したり
神戸大学卒自慢に思いつつも
模試判定では京大狙えたがそこまで頑張りたくなかったと受けてもないのに負け惜しみ言う。
恥ずかしくないのかな?
カテキョーも女子の親から不審人物に思われるのか、嫌われて解雇されたり
修士だけど本当なら博士課程に進むはずだった、教授にも誘われてたが自慢で
犯罪?
金ない自慢で嘘ついてでもタカってくる
高3のときにかかった統合失調症について自分の身に起こった症状を経過とともにまとめておく。まず秋の三者面談で担任に友達がいない=それだけコミュ力がないことを指摘された。
当時官僚に憧れていたが、そのことを知っていた他人は学力もそうだがそこを改善したところでその社交性の無さをどうにかしなければどうにもならないことを言ってきたのだ。
それに私は心底動揺したようで、母によれば帰りの電車でチック症状が出ていたらしい。そこから、受験勉強も頑張りつつ立派な人格者になろうと奮起したことでだろうか、だんだん行動と思考がおかしくなっていく。
柄にもなく今まで話したことも無いような生徒に話しかけるようになる。記憶力が良くなったような気分になる。化学式が水を吸い込むスポンジのようにすらすら頭に入っていく気分だった。
実際少しは記憶力が上がったのかもしれないが気分の部分が大きかったように思える。気分が高揚し何故か授業中でも教科書に書かれた偉人を模写するようになった。
普段の私は不器用な方で模写などできるようなタチでもなく、したとしてもゆっくり書いても線は歪にるし顔のパーツのバランスも元のようには書けなかったはずなのだが、そのときはなぜかさらさらと筆が運んだ。各パーツの境界等を線ではなく元の絵通り濃淡で表すなんて普段の私にはできないことを普通にしていた。数学の教科書のガウスを描いたときが特に印象に残っている。風邪でもないのに熱が出て学校の中で倒れるということが起こるようになった。何度か親に送り迎えされることがあった。
私は中学のころまでは学校の人間をいじめていたことがあったのだが、急にそのことを思い出し心底恥じ入る気持ちになり号泣した。そして旧友がどうなっているのか訪ねに行った。受験生なのに何をしてるのかと思うだろう?私にもわからない。
塾の特別講座や模試を受けに都心に行ったときはひどいものだった。湯島聖堂に行って人が引くような感服をした。ピンクのハトを見て神がかり的な力を感じてしまった。(ピンクのハト自体は幻覚ではなく写真に残っているしそもそもそこまで珍しいものではないと思われる)
興が乗りゲームセンターに行ってヴィクトルーパーズというゲームを体験する。プレイ時に自分の反射神経に関して今までとは違うものを感じて全能感を感じた。
そして確かリフレクビートみたいな音ゲーを他人がプレイしているところの画面をなぜかタッチした。当然苦言を呈された記憶がある。でもそのときの自分は意に介していなかったと思われる。
夜になっても秋葉原を闊歩してあるときは自分の腕力に自信を感じ筐体を動かせるかどうか試していた。
今思えば実際は持ち上げていたのではなく引っ張る程度でなんの腕力の証明にもなっていないのだがあのときはこう理詰めで考える力を失っていたように思う。
釣り合わないおっさんと若い女性が一緒に歩いている姿を見て、犯罪の匂いを感じ制裁してやろうとか思った(今思えばコンカフェのサービスに過ぎないだろう)。
街中で大学生と思しき数人の男女の組を見つけて話しかけて自分の志望大学について語る。あのときは普通に対応されたけど陰でやばい奴認定されていたのではないか。
道路にポスターが筒状に丸められたものが落ちていて、アキバでの土産として持ち帰るつもりだったのに、振り回したり膝に当てて曲げたりしていた。思考の滅裂が伺える。
結局その夜は終電を逃し、教科書等が入って10kgになっているリュックを背負ってほとんど休まず冬の夜を始発まで歩き続けていた。それは冬に露地で寝たら凍死するという、ここだけはまだ高校生としてまともなイメージによるものだった。
その最中、座って休んでいたときはとめどなく出てくる感じの英語を、どうせ誰もいないからと気持ちよく口に出した。まるで通訳ならそういう境地であるかのように、自然に英語で思考が言葉として頭に浮かんでくるのだ。これも今までにないことだった。今までの学んだことの蓄積が一気に爆発的にアウトプット可能なものへと昇華されたような感じだ。第三者がいないので、これが実は文法が滅茶苦茶だった空喜びだ可能性もある。
そうして家族には捜索願を出す迷惑をかけさせるなか帰宅した。保護入院のXデーは近い。またあるとき横浜へ行くと、キャリアになるような人間は高い志を持っていなければならないという心境で、ゴミ掃除をした。受験生なのに。
掃除しているところを見たお巡りさんから未来の官僚様へというふうな感じでブラックサンダーと栄養ドリンクをもらった記憶がある。ということは自分の希望進路をこの警官に行ったことになるのだが、だとすればこの警官の労いは奇妙な行動をする学生を生暖かい目でからかうことを意図したものだったかもしれない。自宅の近所に1000年前からあるという由緒のある神社と正一位の神格がある寺院に目を付け、この地域は稀に見る神聖な土地なのだという気持ちになる。
またその影響からかこのころから神のお達しを感じるようになったり(幻聴ではなくテレパシーのような感じ)自分に女性キャラクターが乗り移ったような感覚が現れることが起こるようになる。口調も普段から変わってしまう。
当時の社会情勢の悪さを神的なものとに結びつけ、寺社に赴いた記憶がある。おこがましくも何かを助言した記憶がある。別に神職者だって宗教を信じてないことが多いのに本物のやばい奴が来てしまったという感じだろうな。
マムシ=蛇の出没も神的なものと結び付け両側が藪の道を木の枝を下に向けて振り回しながら歩く。当時の本人にはマムシを追い払うことでマムシが持つとする瘴気を払うことを意図したものだろう。
またあるときは公園で木の枝を持ってこれが神風だという感じで大げさに振り回す。あくまで高校までの化学の知識から着想を得た「核戦争にも耐えられる強化外骨格」の設計ラフを書いた小切れなどを河原にばらまいたりもした。
夜寝てもすぐ起き上がって漢文がひらめくことが多くなりまともに寝なくなる。当時の自分としてはそれが漢文のいい訓練になるものだと思っていたことを覚えているが、志望大学は漢文の比重が重いものではないので、ほとんど無駄だったと思われる。
滑稽なのは四声も知らないのに(いや受験生としては問題ないんだが)漢詩等を次々書いて悦に入っていたことである。文法はともかく古代中国語として韻律のめちゃくちゃなものだった可能性が高い。
でもこんなことをしていたのには訓練以上に、漢文に書かれた思想に感じ入っていたところも大きい。
おかしくなった私の目標は立派な仕事に恥じない人格者になることだった。そして湯島聖堂に行ったときに孔子の深遠さに衝撃を受けた。
もちろん孔子自体は以前から知っていたが、偶然「聖地」を見つけ赴いてしまったことで、自分なりに感じた霊験あらたかさに、彼と彼の思想がいっそう素晴らしいものに感じるようになってしまった。
普通の受験生にとっては教材でしかない漢文から仁徳を感じ取るたびに感動し、過去の不徳な自分と対比して大泣きして大真面目に反省するという情緒不安定も起こっていた。
電車で、密着して二人の世界に入っている男女に話しかけたりもした。今考えれば当然のガン無視をされた。しかしやっぱり躁状態になっている私は誰とでも話せる人間になろうという思いが強かったのか意に介さないのである。
テレビでちょうどやっていたイスラム国関連のニュースの映像を見たときとてつもなく怖いものが見えたように感じ体を丸めて怯えたような記憶がある。あの心理状況はどういう原理だったか。
イスラム国はどうにかしなけばならないという義憤を感じてツイッターでアラビア語?で検索してイスラム国関係者と思しきツイートに直接リプライしたり、また当時の漢文にハマっていた自分らしくSNSのアカウント名を「莫歯牙(しがない)○○」をしたりそこで椅子子羊(イスラム)なる言葉を使って打倒を呼び掛けていた記憶がある。
世界中から反響があった感覚があったが、実際はただ日本人以外からなにがしかのリプライが来たと言うだけで、数としては数件に過ぎなかったのではないか。
でも当時は確かにカバオコピペのように「今までにない熱い一体感を感じ」ていた。
テレビのイスラム国に関する報道が自分の行動とリンクしているようにも見えていた。自分が世界に影響力を与えている気分になっていた。
調子が悪そうなことをした親に総合診療科に連れられたこともあり、そこで血液検査をしたらCK値の上昇が認められそこで筋肉が壊れてきていることを指摘された。
冬の夜通しの闊歩が祟った結果だと思われる。とはいえ今思うと自衛隊員は数十キロの装備を身に着けることもあるし、強力(ごうりき)はそれこそ100kg近くを背負って運搬するわけだから、ちょっと虚弱過ぎやしないかと思う。
しかし当時の私は筋肉が壊れるほど肉体を酷使している自分に対してこれまた全能感をこじらせ酔っていた記憶があるから滑稽だ。
また当時気になっている子がいたのだが、学校帰りに駅前のブティックに足を運んで何万、何十万かするビロードのような服を品定めしていこともあった。
そういう服を対象にしたのはすっかり自分が上流の人間の気分になっていたから。
そして将来は官僚になってこういうものを好きな子にプレゼントするんだと店員に息巻いていたと思う。
近くの受験が見えなくたって遠い不確定の可能性の低い将来を前提とした行動をとる、まさに統失仕草だったと思う。
卒業間際好意を伝えたときやんわり振られるオチまでついている。
こうしていろいろあって親は養護教諭に電話相談して、精神科への入院を勧められ、私の同意のもと保護入院することになったのだった。
※ブコメから知ったこととして保護入院とは家族の同意のもと行われる強制入院の一つだという事実があるが、私の場合入院したいか、それとも受験するどうかをあくまで私の意思を尊重する形で家族に確認されたため、法的なことはともかく実態としては任意の入院なのだった。
そこで統合失調症という診断が下されたが、診断名は変わる可能性があると言われた。
統合失調症は全段階として6か月未満の統合失調様症状というものがあり、中学のときのエピソードして、自分は悪魔になってしまったという発言や、ナイフの図鑑を買ったりポッカキットで処刑映像を見ていたことを統合失調症の期間として含めるべきかをはっきり判断できないからだということだそうだ。まあ今思えばさすがにこれはただの中二病だろうと思うが。
なお、記憶力や模写等脳の能力に関しての向上を記述したが、これが統失の症状としてあり得ることだったのか、私固有の現象だったのかはわからない。
統合失調症は服薬し続けず「治る」ケースがごく稀な病として有名だが、幸い私は薬も飲んでないが上記のような明らかな妄想も出ることなくただの発達障害(医療機関による診断済み)として暮らせている。
いろいろなことをした、「記憶はある」が、なぜそうしたのか今の自分では全く理解できないことが、過去あったその妄想と現在の現実を区別できる能力が回復している何よりの証拠だと思う。
ほんとう、記憶はあるが秩序のあるものとして理解できず、記憶を記録するにあたってはただあったことを羅列しているだけという気分が拭えないという部分は朝起きる直前の夢に似ているような感じがする。
この長文を書いたのは、統合失調症は脳機能の低下を起こすから患者になったことがある人本人に「書ける」人が少なく、このような本人直筆の体験談は貴重と考えたためで、使命感を持って書いた。
(使命感とかいうとまだ統合失調症が治ってないだろとか言う人が出てくるのかなと思いつつ)
【追記】
実はあれから既に十年以上経っている。
もし統合失調症が治っていない状態で薬をやめていた場合はだいたい長くとも1、2年で、もっとひどい状態で症状がぶり返すのが通例だ。
脳機能も一度目の急性期後より格段に落ちると聞いている。壁に自分の排泄物を塗りたくるようなレベルの廃人になるということだ。
しかし私は御覧の通りこうして記事が書ける程度の理性や知性をいまだ残せている。
それは、薬の副作用にアカシジアというものがあって、その、四肢の気持ち悪い感覚が苦痛だったからだ。
今も、断薬の承諾を得た精神科医本人から三か月おきに診察を受け経過を見てもらっているので、統失が治っていないということについては心配しないでほしい。
その医者の対応に対する違和感を書いてもらって思い出したが、それ以上に著しい倦怠感や思考の鈍麻が起こっていたことについて親が見兼ねたというのが大きかった。
統失の治療薬のイメージとしては躁的な症状をもたらす過剰な神経物質をブロックするというものだが、このころは既に陰性期あるいは寛解状態にあった。
つまり健康体の人間に投薬するのと変わらない状態で、症状を相殺するのを通り越して過度のドーパミン不足を誘発したのかほとんど寝たきりで毎日を過ごすような時期があったのだ。
こんなところにいたら殺される(滝山病院の例もあるので大げさな考えとは思われない)と心配した母親が担当医の忠告、「お母さんあなたも精神病ではないか」という苦言を振り切って入院期間を繰り上げたのだった。最初の急性期を見て薬を処方した入院先で断薬許可をもらったわけではなかったのだ。
ただセカンドオピニオンでかかった他の大学病院の医者も、以前のその病院の処方薬や量の内容を見てこれは多すぎると言っていたようだ。
今かかっているクリニックはこれらの統合失調症や発達障害の診断やそれに伴い我が家庭ではどう対処してきたかという経緯を理解したうえで、基本的にこちらの考えを尊重しときには睡眠の習慣を整えるためにロゼレム?を服用してはどうかと言われては、悪夢を見るから嫌だ、いやこれは他の睡眠薬と違って悪夢は見ないよ、でもちょっと抵抗があるから見送らせて欲しいとかああだこうだ忌憚なく相談できる関係性を築いている。
模写した絵などは残っていない。というのも数年前まで私の部屋は受験期にコレクションした参考書がずらりとならぶ、いかにも子供部屋おじさんの極致にあるような有り様だった。
しかし親に、いい加減高校時代のことに固執してもしょうがないだろうと、絵も描かれたノート類とともにすべて処分することを催促され、応じるしかなかった。化学の新研究とかぐらいは、通読してみたかったなと思っていたのだが。
絵の証拠写真を挙げないのでは一連の記述が創作と思えて仕方がないこと、もっともなことだ。信じる人が信じるだけでもこれ幸いというものだ。
少し退院後のその後の事を書くと、まず予備校に入って再度大学を目指そうとした。
しかし当時の自分は統失の余波か薬の副作用か大変疲れやすく、体験授業後にチューターには母の口から、授業中にも寝てしまうことも有り得ることが伝えられた。
また数か月か、あるいは一年ほど経った頃だったか、入院中も見舞ってくれた担任が定期的に会いに誘ってくるようになった。
と、このあたりのことを書くと俺がどこ高校出の誰かか特定される可能性が1%ぐらいは出てきてしまうと思っているのだが、そうなったらそうなったらでこの記事が創作でないことの証明にもなるわけなので、気にせず書いてしまおうと思う。
そうして職業訓練校を目指すことになった。その訓練校が試験で出す問題と同レベルのSPIとかの練習問題を解いた当時の自分としては、問題自体は大学受験とは雲泥の差の易しさだが、それでも油断はできなかった。
統合失調症と長い間机に向かっていなかった影響で、筆記スピードというあくまで肉体面の要素が著しく落ちていたからだ。
そんな私にアドバイスしてくれたり、数学の先生だったので、私が趣味で取り組んでいた数学に話を合わせ付き合ってくれた。
それに前後して北里か東海大(ここ記憶が曖昧)や、クリニックの児童精神科医にセカンドオピニオンを仰いでいた。
そこでいわゆるウェクスラーを受け、言語性IQが130で動作性が90前後という結果だった。その大学病院が役所に提出する用の親展の封筒を、やっぱり使わないと親が開けて見てしまった中身の書類の記述によると、大変頭の出来がいいというニュアンスの表現でべた褒めする内容だったそうだ。
言語性IQなんていかに成人向けに最適化されたテストといえど受験期等の蓄積で簡単に高成績が出る脆弱性がありそうでならないと私は思っているので、これは私より圧倒的に優秀な大学教授の心の余裕から来るリップサービスのようなものではないかと今は分析している。でも認知機能のテストの一種か何かで、100から次々7を引いた答えをどんどん言ってくださいという問いに自分なりになるべく速く答えたその反応に対しても早い早いと言っていたから、まんざら嘘ではなく、そういうことを総合してなのかな。
ともかくもしこの書類を出していたら障害者手帳の申請は通らなかったからこれでよかったということを親は言っていた。申請に使った診断書等はクリニックが書いたものだったと思う。そのクリニックだが今は児童精神科専門になってしまい、私のような大人の発達障害や統合失調症を受け入れなくなってしまったと風の噂で聞いている。dorawiiより
少し前に子どもが生まれてから、自分の人生の主人公が自分ではなくなったようたように感じ始めた。
いつ自分は主人公になり、いつ自分は主人公で無くなったのかをつらつら書いていく。
特にオチもないし、話もいろいろ飛ぶので、それでも良ければ読んでいってほしい。
小中学校は特に受験などせず公立、高校ももちろん公立で、何も考えず家から一番近い高校(一応進学校)に進学した。
この時点では自分のアイデンティティなどは特になく、自分は主人公ではなかったように思う。
だが高校時代の部活動での練習を通じて自己と向き合う機会が増え(これは年齢的な精神の成長もあると思うが)、自分のやりたいことで努力し、成長することが素晴らしいことであると思い始めた。
それが高2の冬だったと思う。その時にやってようやく自分の進路について考え始めた。
当時自分なりに考えた結果、京都大学に進学したいと思い始めた。
親に京大に行きたいというと、奨学金を借りて頑張って行ってくれという話になった。
中学生くらいのころ、親から「大学に行かせる金はない」と聞いていたが、金がないだけで進学は反対されなかった。
高3最初の河合塾の模試で偏差値45ぐらいだったと思うが、学校の先生に相談しながら猛勉強を始めた。
金銭的な都合から塾にも行かず、部活も夏休みが終わるころまであったが、なぜか自分は京大に行く・行けると信じていた。
バカで金がないという逆境で、非常に燃えていたのを覚えている。
この時、自分の人生で初めて全力を尽くした。高3の春に45程度だった偏差値も、高3最後の模試では65近くまで上がった。
とはいえ何年も前から全力で勉強してきたであろうほかの受験生にはかなわず、1年の自宅浪人(ここでも金がなかった)の結果、早慶に進学した。
ありがたいことに地方出身者向けの給付型奨学金を大学からもらうことができ、ほとんど国公立と変わらない学費で進学できた。
受験料を祖父にもらいに行ったことや、実家を出る日、親から10万円を渡され、「これで何とかしろ」と言われたことは、今でもよく覚えている。
ちなみに10万円はPC購入やら何やらで使い果たし、大学までの定期券代を買えなかったのもいい思い出だ。
大学にはキラキラした人間も多かった(初めて本物の帰国子女を見た)が、自分のような貧乏人もおり、楽しくやっていけた。
だが同時に格差を感じる場面が多かったのもよく覚えている。
親が上場企業の社長の学生、両親が東大出身で早慶進学を親に馬鹿にされた学生、
そもそも親の所得の高い早慶においては、学費も仕送りもある学生が多く、それがうらやましかった。
自分には奨学金とバイトしかなく、得られる経験は彼らと比較して見識の狭いものとなっていたと思う。(この狭い見識は大いに意義のあるものだったが)
一方、人生はここでも、「田舎から出てきた貧乏学生が頑張る」というストーリーの主人公だった。
奨学金の申請時に親の源泉徴収票を見た際、日本の平均年収に届いていなかったので、自分のことを苦学生扱いしていたのだ。
※衣食住に困ったことはないので、絶対的な貧困ではなかった。家にインターネットがなかったり、家電が貰い物だったりとかそのレベルのちょい貧乏である
小中高と、まともなキャリア教育を受けなかった自分は、大学時代のキャリア教育で、自分にある無限の可能性を初めて感じるに至った。
だが一方で田舎の純朴な少年であった自分は、エリートサラリーマンに対するあこがれなどなく(高校時代、京都大学に行った先のビジョンが何もなかった)、課外活動をしながらのゆるい就活をして、それなりに暮らしていける給料の上場企業に就職するに至った。(学歴のおかげである)
就職してからも、まじめに働きつつも頑張りすぎないようにし、余暇は趣味に充てて暮らしていた。
この時の自分は特に何でもない、いち社会人だったわけだが、界隈に多少名が知れる程度には趣味に没頭しており、人生の主人公は自分だった。
結婚後、夫婦ともに子どもを望んでおり、特に何ごともなく子どもが生まれた。
全ての優先順位において、子どもが最上位に来るようになったことに気づいた。
今までは少しでも時間があれば趣味に時間を使っていたのだが、それがなくなった。
時間ができても、趣味に対する興味がかなり小さくなってしまっており、ただぼーっと過ごす時間も増えてしまった。
今まで大学に行ったり仕事したり趣味に没頭していたあの時間と熱量は何だったのだろうか。
今では、子どもがどんな大人になるのかということが楽しみで、自分がどうでもいいような感覚がある。
ああ、自分の人生の主人公が、自分ではなく子どもになったんだなと悟ったのだった。
大学進学を考えもしなかったあのころから、何とか大学に行き、食っていける会社で働きながらプライベートでの挑戦を重ねてきたこの自分の人生には、相当の想いがあり、今でもはっきりと思い出すことができる。
今年の大学共通テストがいよいよ目前に迫ってきました。この試験は、日本全国の多くの高校生にとって、大学進学への大きな第一歩となる非常に重要なイベントです。私は受験生として、このテストに向けて努力を重ねてきましたが、直前の時期に感じていることや、これまでの準備のプロセスについてお話ししたいと思います。
まず、今年の大学共通テストは、従来のセンター試験に代わる新しい形式の試験としての位置付けが明確になり、試験問題の傾向や内容について多くの議論がされてきました。昨年度の共通テストでは、思考力や応用力を重視した問題が増え、単なる知識の暗記では太刀打ちできない部分が強調されていました。今年もその傾向が続くと予想されており、特に英語のリーディングや数学の問題では、高い分析力が求められることが予測されています。このため、私を含めた多くの受験生が、単なる問題集の繰り返しだけでなく、文章読解力や論理的思考力を鍛えるための工夫を凝らした勉強を進めています。
私自身は、特に英語と数学に力を入れてきました。英語では、過去問を解くだけでなく、長文読解に慣れるために英字新聞や海外の記事を読む習慣を取り入れました。これにより、試験問題以外の文脈で英語に触れる機会を増やし、語彙力や文法知識を総合的に向上させることができました。一方、数学では、基礎問題を徹底的に復習することを優先しつつ、模試や練習問題集を活用して応用問題にも取り組んできました。特に新傾向の問題に対応するため、問題を解く過程でどのようにアプローチすれば効率的かを自分なりに分析するよう心掛けています。
また、試験本番に向けては、体調管理も非常に重要です。昨年の受験生の体験談を聞くと、試験直前に体調を崩してしまい、本来の力を発揮できなかったという話を多く耳にしました。これを教訓に、私は規則正しい生活を心掛けるとともに、栄養バランスの良い食事や適度な運動を取り入れるよう努めています。特に睡眠は大切で、勉強が忙しくても夜更かしを避け、十分な休息を取るようにしています。
加えて、メンタル面のケアも忘れてはなりません。大学共通テストは受験生にとって一大イベントであるがゆえに、プレッシャーを感じる場面も多いです。私も時折、「本当にこの努力が報われるのだろうか」と不安になることがあります。そのようなときは、家族や友人に相談したり、リラックスできる趣味の時間を作ったりして、気持ちをリセットすることを心掛けています。また、これまでの努力を振り返り、「ここまで頑張ってきた自分を信じよう」と自分を励ますことも大切だと感じています。
さらに、試験当日の対策についても計画を立てています。まず、試験会場までの交通手段や所要時間を事前に確認し、当日は余裕を持って会場に到着できるように準備を進めています。また、試験に必要な持ち物をリスト化し、忘れ物がないように注意しています。具体的には、受験票や筆記用具、時計、そして軽食や飲み物などが挙げられます。これらの準備を怠らないことで、試験当日に余計な不安を感じず、試験に集中できるようにしたいと思います。
今年の大学共通テストは、私だけでなく全国の多くの受験生にとって大きな挑戦です。しかし、この試験を乗り越えることで、次のステップに進むための新しい扉が開かれると信じています。試験直前のこの時期、焦りや不安を感じることもありますが、自分を信じて最後まで努力を続けるつもりです。
最後に、同じく受験に挑む皆さんへエールを送りたいと思います。どれだけ困難に感じても、共通テストは一つの通過点に過ぎません。この経験を通じて成長し、未来への道を切り開いていけることを願っています。一緒に頑張りましょう!
「負けヒロインが多すぎる!」というライトノベル及び、それを原作としたアニメをご存知だろうか?
2024年の夏季アニメにて上位の人気を誇り、その知名度を大きく上げたことで、その名前を見たことがあるのではないだろうか。
そう、そうやってアニメ化したことで私の目にも届いたのである。
2024年春、夏季アニメを楽しみにしながら、Youtubeにて【TVアニメ「負けヒロインが多すぎる!」第一弾PV】をたまたま見ていた時だ。
私は原作ファンの反応が見たくてコメントを見ていたのだが、"豊橋"などという聞き覚えしかない市の名前が散見され、挙げ句の果てに"時習館"という決定的な単語を発見してしまう。
"愛知県立時習館高等学校"ーー何も見ずに書ける、私の母校の高校の名前である。
「これは、他人事ではいられないぞ」、それが私の最初に思ったことだった。
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私はこの一大ニュースに対して興味津々であった。この件について、もっと詳しく、そして正しく知りたいと。
この時点では予告PVがあるだけで、まだアニメは始まっていない。すでに刊行されているラノベがあるだけだ。
そして私は検索の結果、「負けヒロインが多すぎる!」の小説の表紙を見た。そしてPVを全て見た。
ここまでの私の生の感想をお伝えしよう。
「リボンが4つある」キャラデザについて、一般の読者も驚いていたことと思う。私も驚いた。しかし、実際の愛知県時習館高等学校も真反対の意味でイカれているのだ。
実際の我が母校では女子も、男子と同じネクタイが採用されているのである。
そして、制服はブレザーでもセーラーでもなく、なんとも形容し難い、黒色のジャケット(冬用)とベスト(夏用)が採用されている。スカートも同じく真っ黒で、ヒダがほとんどなく真っ平である。
平たく言うと、我々生徒からは「OLの制服のようだ」と呼ばれており、さらに分かりやすく言うと"可愛くない"という意味である。
この時点では、私は予告PVに対して懐疑的だった。どうせ、高校の名前を借りただけで見た目は再現しないんだろうと。
しかし、予告PVの段階で異常なポイントが一つあった。緑の多さである。
時習館高等学校の敷地は広い。校舎は普通の大きさだが、残りの敷地がデッドスペース(森)と化しているのだ。
敷地面積は公立高校内で日本2位と言われており、約10万平方メートル超である。ちなみに、同じ愛知県にできたレゴランドは9万平方メートルほどであり、うちの生徒からは「レゴランドは時習館より小さいから大したもんじゃない」とディスられていた。
私は一年時の夏休みに、理科の課題にて「(植物名)の木を校内から探して写真を撮ってくる。それを10個」という冒険者のクエストのような課題を強制でやらされた。
フィールドワークを校内で賄えることからその広大さがお分かりいただけるだろう。
そして校内には開けた大通りが一本あり、車が通るように出来ているのだが、その通りの名前を"ハンテンボク並木"という。(口伝なので漢字は分からない…)
この道に沿って、ハンテンボクという木がずらっと植えられているのである。これがまた異常な数で、このハンテンボクの落ち葉を綺麗にするためには生徒が30人ほど掃除する必要があるのだ。しかも毎日。
我が母校が、自然に溢れすぎた素晴らしい学校だと分かってもらえただろうか?負けインのPVで木々が多めに見られるのはそれが理由である。おそらく他ではこうはならないだろう。
というわけで、私は予告PVの時点で現地リスペクトを感じとっていた。そして期待していたのである。
これは創作あるあるだが、屋上がよく舞台にされる。きっとこれはロマンである。主人公たちしかいない場所で、高くて青空に近い場所。絵面は最高である。
そして私もロマンを求めて小学校(転校したので3校)、中学校、高校とずっと屋上を確認していたのだが、全て閉ざされていた。
しかしアニメ内では八奈見さんはぬっくんと悠々と屋上を楽しんでいらっしゃる。挙げ句の果てに、八奈見さんは屋上にて、青空をバックにちくわ("ヤマサのちくわ"という豊橋の名物。スーパーに売っている)を貪り食っている。
……悔しいよ、私は!
(ちなみに、アニメ本編で何度も弁当を食べている外階段も実在しない。あれも現実に欲しかった。ロマンが欲しかった。……悔しい)
******
さて、ここからはアニメ本編を視聴した上で語りたいことを言いたいと思う。
私の思う時習館像と解釈違いを起こしそうで、なかなか見る覚悟が出来なかったのだが、高校の同級生たちが見たという報告を聞き、「私も見なければならないな……」と重い腰を上げたのである。そう、それが10月のことだった。
私は解釈違いで発作を引き起こしながらも、あまりに良いアニメで2日で見切ってしまったのである!
まずもって、ラノベというのは幻想であって、現実に起きないようなことが起こるのが良いところなのだが、今回の場合、部分的にリアリティを持っているせいで私に夢を見させてくれないのである。どうも私のリアルな時習館像が私を苦しめる。
正直に言おう。私はあまり時習館高校に良いイメージを持っていないのである。母校だけど。母校だからこそ。
そして、私の高校生活とはーー恋愛など全くなかった。それが大きな相違である。
血涙を流しながら言おう、私にも青春はあった。
かけがえのない友人と、たくさん語り合った。
南栄駅(時習館高校の最寄駅)にて、リゼロについて熱く語っていたところ、他校の生徒に鼻で笑われたこともあった。今では良い思い出だ。
さてそのような私から、時習館高校について"負けイン"と同じところ、または異なる所を紹介しよう。
②うどん屋「みやこ」について。
八奈見さんとぬっくんが、何故か急にうどん屋でご飯を食べているシーンがある。これの元になったうどん屋「みやこ」は時習館の通りを挟んで向かいにあって、本当に近くに存在する小さな店だ。
一般の視聴者諸君からすれば、地域起こしのために無理やり入れられたように見えるだろう。だが、実際にこの店は時習生から人気なのだ。(※生徒のことを時習生と言う謎の呼称がある)
時習館は駅から5分で着くほど近いのだが、駅の沿線を歩いても何もなく、寂れた店と中身の分からない小さなビルしかない。
そのため飲食店は数えるほどしかなく、その結果、みやこは人気店だし、もう一つのパン屋「コンドーパン」も自動的に人気店である。どんなローカル店でも必ず繁盛する。だって他に競合がいないから。
私は現役時代に躍起になって新しい店を発掘しようとして、誰も客のいないハンバーグ屋さんに通っていたのだが(美味しかった)、卒業して2年後には潰れていた。
八奈見さんたちは何度もファミレスで話し合いをしているが、時習生がファミレスに行くのは中々に大変なのである。最寄りにはファミレスもマクドナルドなどのファストフード店もない(有ったらきっと人気になっているだろうに)。
苦肉の策で、電車通学であることを生かし、別の駅で降りてそこから徒歩20分かけてコメダ珈琲に行っていた。また、電車で学校と逆方向に行き、その駅の最寄りにあるガストに行くこともあった。
さて私が在学していた時、時習館の最寄りにタピオカ屋が新しく出来たことがあった。最初はみんな殺到して、私も夜7時の帰り頃に並びに行った。
しかし、そのタピオカ屋は私が卒業する前にもう潰れてしまったのである!なんと勿体無い!この不毛の大地、時習生は良い店をいつでも待っているというのに。
「あのタピオカ屋の場所で、何の商売をしていたら時習生が常連になったか」という話題で友達とディベートしたものだ。
(余談。みやこには「カロリーハーフ麺」というメニューが存在し、うどんの麺をこんにゃくに変更するというオプションがある。カロリーはハーフよりもっと下だろ!というメニューである。
八奈見さんが太ってしまったことを気にしていたので、私があの場にいたらカロリーハーフ麺に変えておいてあげたのに……)
③豊橋駅について。
店が全然ないという話から、「とんでもねえ田舎なんだな」と思われるかもしれないが、地味に発展はしている。しかし、車がないと厳しい程度の田舎ではある。
アニメ内でも出てきた豊橋駅とは、豊橋市の一番中心の場所であり、新幹線でも"ひかり"が停車する程度には大きい(※"のぞみ"は止まらない)。
豊橋駅の2階にはロータリーのように開けた場所があり、ストリートミュージックがよく行われている。
夜8時頃にここを通る際には、外国人から何かの勧誘を受けること請け合いである。発展している証左だろう。豊橋市の人口の6%は外国人で、中でもブラジル人が一番多く住んでいる。
文芸部のみんなが合宿していた宿泊所がある"田原"と、焼塩のおばあちゃんが住んでいる"新城"。これらは正式には田原市と新城市であり、豊橋市の近隣の別の市である。
まるでもっと遠い地域のように書かれていたが、我が時習館にも田原や新城に住んでいて通学している生徒がいる。
しかし、この新城においては、豊橋にくるためには別の路線を使わないといけない。その名を"飯田線"と言う。飯田線とはとても脆弱な電車で「(台風などの影響で)学校は休みにならなくても、飯田線は休みになる」という事態が発生する。そのため、新城の人間だけ一限に間に合わないということが稀によく起こる。
また、飯田線の駅には改札がないことがある。そのため、電車内を駅員さんが一通り歩いて、運賃を徴収しなければいけないのだ。私は個人的には、「改札を一度設置してしまえばずっと使えるだろうに、そんなに未来が無いと思われているのか?」と邪推してしまっている。
焼塩が帰る際のシーンに、電車の駅(状況的に飯田線の)が見られるが、そこに改札はなかった。
再現度100000000点加点(←そんなところ誰も気にしてない)。
④部活について。
気の回る読者諸君であれば、この私ーー筆者が、あの負けインたちが在籍する文学部に所属していたのではないか?と頭によぎったかもしれない。このような書き物をする趣味を持つ私のことだ、その性向からして入っていてもおかしくない。だがしかし、その答えに対しては否である。
しかし、私は時習館の文学部に関しては知っているし、部誌COSMOSは文化祭で購入しており今も実家に置いてある。
そして、私には時習館の文学部に「入らなかった」理由もあるのである。
部活を選ぶ理由において、積極的に「入らなかった」理由があるのは珍しいかもしれない。
時習館では、新入生歓迎会において、生徒制作のビデオを視聴することになる。このビデオは放送部が統括しており、各部活のプロモーション映像を2分ほどでまとまるように提出しなければいけないのだ。
このビデオを新入生たちに見せることで、部活選択の一助とさせてもらうのだが、やはりこのビデオにはそれぞれの部活の色が表れる。
部活には2種類ある。無難に行こうとするものと、尖ろうとするもの。そして、時習館高等学校の文芸部は後者に属する。
私は時習館の生徒として、新入生歓迎会に3回参加したことがある。そしてその3回とも、文学部のビデオでは同じ人物が登場していた。いや、正確に言うと人物ではない。
……馬だ。文学部においては、馬の被り物が代々継がれており、毎回ビデオに出演されるのだ。(馬の被り物、分かりやすく言うとポーションが作れそうな感じの)
尖っている文芸部に対して私が思ったこと。当時、入学したての私は意識が高かった。主に青春を送るという方向に。
それゆえに私は、もっと無難に、真っ当に青春が出来そうな部活を選ぼうとしていた(結局それは達成されないし、その考え自体が愚行だった)。
それが入部しなかった理由だ。
部活の話というと、私は別の部活に所属していたのだが(どこかは秘密)、一度廃部した部活に入ったので、私の代で新しく部活Tシャツを作ることになった。
その際、顧問の先生から厳しく条件を言い渡されたのである。というのも、部活Tシャツの色は黒じゃないといけないらしい。華美な色は使ってはいけないとのことで、背景が黒という縛りがある中でデザインして作った。今では良い部屋着になっている。
その部活Tシャツが黒でないといけないという理由が、「近隣の住民からクレームを言われたから」という嘘みたいな本当の話である。私としては、そんなクレームに屈してほしくなかったのだが、現実は厳しいらしく仕方ない。
是非、負けヒロイン内で部活Tシャツの話が出てくることがあったら、黒地のTシャツにしていただきたいものだ。知られざる規制について正しくお伝えできたら幸いである。
私とおそろいにしよう!!
八奈見さんの髪の色は青色だ。負けるヒロインに多い髪色だから青らしい。それにしても他の色と比べても青色とはとても鮮やかな色である、眩しいほどに。とても目立ちそうな色合いだ。
時習館高校は豊橋の中では一番の進学校とされ、これよりも良い高校に行くとなると違う市にある岡崎高校に行く必要がある。そのため、地域の住民からはとても素晴らしい学校だと思われている。「あなた時習館の子なの?すごい頭良いんだねえ」と近所のおばちゃんから褒めてもらえるぞ!
しかし、その実態は「自称」進学校と揶揄される類の学校である。
校則は全然自由じゃないし、土曜補講も日曜模試も多いし、文化祭だってしょぼい。前章で述べたような"部活Tシャツの黒縛り"だって中々に酷い。
「お前らの自主性を大切にする!」と言われながら(実際に"自考自成"という校訓がある)、やることに制約がありすぎるし、良い大学に入るためには勉強をしなければいけない。
やらないといけないことが多いくせに、やれないことも多すぎる。
入学時に「高校で青春してやる!」と意気込んでいた私の夢が、打ち砕かれるのは早かった。
皆なまじ頭が良いせいで、馬鹿になるほど青春に熱狂することもなく、どこか冷めたところがある中、青春をしている感じを出そうとする。そんな我々に、魂を震わせるほどの大恋愛などしている暇はないのである。そして失恋をしている暇もない。
近所の高校の体育祭では、女子が男子にサイダーを差し入れするなどというイベントがあり(サイダーだけに「振らないで」という意味をこめて)、青春を謳歌している中。我々の体育祭では、まず本番の体育祭が終わったら即解散である。女子はすぐ強制で帰らされるのだ。男子は強制で残される。その理由とは、男共だけが残ってキャンプファイヤーのような儀式をやる必要があるからだ。帰らされる女子も可哀想だし、これのために昼休憩の度に練習させられる男子も可哀想である。みんなで後夜祭しようよ。
さて、三年間というのは長いようで短い。不意にするには長いが、人生というスパンで見れば短い。高校とは、中学と大学を繋げる通過点だ。ここで怠けたら、せっかく積み上げたものを大学へと繋げられない。そんな未来がチラついて、現在に打ち込みすぎるやつがいない。有名な言葉でいうと、「まるでレールに載せられているようだ」である。
私にとっての時習館高校とは、現在に対する絶望感が仄かに漂う高校だった。
ーー私の高校の時の趣味は、"小説家になろう"を読むことだった。
お金もないし、図書室に行く気もないし、寝っ転がっていたかったからだ。費やした時間は半端ではない。ランキング上位の50ページくらいは全部読んだことがある。だからこそリゼロが好きで、「無料で読めるよ」と友達にオススメしたこともある。
さて当時、異世界転生を馬鹿にする文脈があって、「あんなものは仕事に疲れたオッサンが読むものだぞ」という意見を見た時に、ハッと愕然としてしまった。「私はそんなに疲れているのか?」と。
たしかに、異世界転生ものと呼ばれるジャンルが、全て素晴らしく良く出来たものだとは思っていない。だが、私は読むことがやめられなかったのだ。
なぜか?休みの時間に何をするかは自分で選べる。私に必要だったのは、束の間のファンタジーに身を浸すことだった。擦り減った何かを満たすように、ファンタジーはMPを回復させてくれる。
幼稚園の時から衝動性がすごく、コンサータ、インチュニブ、エビリファイ服薬中。
学校に対しては校長や教頭をはじめ教師はくだらない、勉強はやってられないという理由で昨年後半から不登校。
模試を受けると算数は70近くの偏差値があるが他の教科は平均以下。興味のないものの勉強はかなり難しい様子。
自分を清潔にすることに興味がなく、髪からはフケ、体は臭う。お風呂に一緒に入ろうとしても拒否。さりげなく不潔であることを指摘するが、逆ギレするため本人に任せている。現状、毎日入浴するものの5分程度で終わる。歯磨きも10秒で終わる。機嫌がいい時に時々仕上げ磨きをさせてくれるが、口からは常にドブの臭い。
食事にも興味がなく、声をかけても癇癪を起こすので好きな時間に食べているが、声をかけないと食事をすることも忘れるレベルで食べない(コンサータの副作用の影響もある)。
外出はしたがらない。興味のありそうな場所へ行くことを提案するものの着替えをしようとすると怒り狂うのでなかなか難しい。年始からは一度も外出していない。
病院(地域で一番大きく入院施設もある)、学校、こども家庭センター、児相とは定期的に面談している。放デイも通った。
こんな状態がいつまで続くのだろうか。
親としてできることは何か毎日自問自答している。
[前書き]
keepメモに残っていた呪物みたいな文章のお焚き上げです。n年前の文章なので今も通用するか分かりません。
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まず注意書きとしては別にこれを見て真似れば必ず偏差値70取れる訳ではありません。
ただ自分はこの方法で独学で勉強して河合塾の全統マークと記述模試でMAX71、アベレージ65-70、
ほかの教科の出来の悪さを抑えて、世界史が難問悪問で有名な四谷の私大に滑り込みました。
良ければ参考にしてください。
☆☆☆
5.実力をつける100題
☆☆☆
②一節ごとに教科書を読んでみる。
③一節読んだら書き込み教科書を赤シートで消えるペンで埋める。
④全て埋まったらまた節ごとに赤シートを隠して別紙に空欄の答えを書くことを暗記するまで繰り返す。
☆☆☆
①マンガを読む
歴史はぶつ切りで覚えても年号問題にやられるだけなのでハナから流れで覚えるべき。
ただ最初から教科書を読んでもワケワカメでつまんないはずである。
そこで小学館、集英社etc...どこが出しているのでもいいので、
「世界の歴史」みたいな名前の10巻くらいある漫画をとりあえず全巻読んでみる。
最初に世界史を掴むなら年号などない小学生向けの平易なやつの方が絶対ハマりやすく図書館にもあるのでそちらをオススメする。
一周読めばなんとなく世界史の流れやナポレオンのような著名な人物&エピソードは掴めるはずである。
万が一漫画を読んでもひとつも興味のある人物やエピソードがない場合は、
残念ながらあなたは世界史受験、もっと言えば恐らく日本史にも向いてないので政治経済あたりに転向した方がいい。
②③教科書を読み穴埋めする
高校世界史における最もスタンダードでありここからそのまま引用して問題文が作られることも多いバイブルだからである。
こんなに面白いことが簡潔にまとめられている書籍もないことに気がつく。
勿論、ただ教科書を読むだけでは特に単語が頭に入ってこない。そこで穴埋め教科書の出番である。
最初軽く教科書を読み流したあと、次は教科書を片手に赤ペンで穴埋めノートを埋めていく。
こうすることで教科書のセンテンスを流れで入れながら単語も手を動かすことによって自然と頭に入ってくる。
またこの時、対応する資料集のページを開いておくことも大切だ。
教科書で小さく表示された地図や作品も資料集では大きく表示されて視覚的に世界史を捉えるのにもたいへん向いている。
④穴埋めを周回する
400ページにも渡る教科書の重要事項のみとはいえ書き込みを終えただけでも、
余程記憶力の好い人以外偏差値70には遠い。ここからが周回するのが本番である。
これまで私は赤シートで隠れるペンで書き込めと言ったが、
この2週目からは赤シートで隠しながら何も無い状態で別紙に書き込み教科書の空欄を埋めていくわけである。
この2週目からスラスラと答えが埋まる人はそうそういないだろうが、それでいいのである。
思いつかない言葉があった節の教科書・書込み教科書・資料集の黄金トリオをまた傍らに読み込めばいい。
これを何周かするとあら不思議、教科書を見ずに書き込み教科書の空欄が埋められるようになる。
更に書き込み教科書の仕様上、一問一答のように単語だけを覚えるのではなく教科書の文脈も揃った上で単語を覚えている最強の状態になる。
注意としては例え苦手な分野があっても、覚え切るまで時代や地域を大規模に前後左右することはやってはいけない。
せっかく流れで覚えているのにごっちゃになってしまう。
ただ1周を順番通りにやり遂げることを覚えるまで何度も成すのが一番の近道である。
⑤実力をつける100題
正直書き込み教科書をマスターすれば早稲田の文化構想や慶應の文学部あたり、それからそもそも英語がめちゃくちゃ強い人ならこれ以上対策はあまり必要ないと思う。
過去問演習に入っていいだろう。そこで分からなかったことは追って学べばいいだけである。
ただ世界史で性格の悪い問題を出しやすい早稲田の社学や慶應の経済あたりを受ける人、
そして世界史で国語英語を補強したい人にオススメするのが実力をつける100題である。
書店で見ていただければわかるが実力をつける100題はテキスト穴埋め型の問題が多く、
これが書き込み教科書穴埋めに馴染んだ人には非常に適している。
またレベルは教科書では心もとない早慶レベルの世界史を補うにはちょうどいい。
教科書を読んでも分からないことも多いと思うので実力をつける100題までやるなら、
山川の世界史用語集は必須である(そうでなくても持っていると安心)
但し★マークのついた問題はこんなの誰も解けなくて当然なので余程の暇人以外は飛ばした方が賢明かもしれない。
これも何周でもやれるならやるべきだが、どこのどんな難化した世界史の問題でも9割以上取らないと死ぬ人以外は正直2-3周でいいと思う。
深くやるにしても正答率の低い単元だけ周回を増やすくらいの感覚でいい。
このテキストは難易度もそうだが量とそこから広がる引き出しが膨大なので、時間を費やすぎると沼って他の科目や過去問演習の時間を奪いかねない。
何より知的好奇心を持って世界史を勉強することを念頭に書き込み教科書をマスターして、実力をつける100題を数周するだけでも、
全統模試70はいけるポテンシャルと実力は得られるので、それ以上はもうお好きにどうぞの次元である。
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以上である。
https://note.com/iida_yasuyuki/n/ne2c739858955
この記事への反応を見たけど
https://b.hatena.ne.jp/entry/4763570282402426560/
“ 貧乏な家の子が、家系の状況と大学の学費のことを知って進学を諦める実態を、ほんの少しだけでもいいから想像してほしい。それから議論しようぜ”
なんてブコメが星を集めてる始末。もしかして本気で学費のせいだけで進学できないと思ってる?
母子家庭から兄弟で旧帝院まで行かさせてもらえた実体験から本物の貧乏な進学をお見せしますよ。
5年以上前の話なので今変わってるというならごめんね。
まず進学できない理由としてあり得るのは以下4点
①進学に値する学力がない
③近場に通える国公立大がない
以下各解説
①
ぶっちゃけ大半がこれだと思われる。国公立に行けるような学力で学費のせいで〜って人は見たことない。
ま、大手塾の課金ゲーに付き合わされると金がいくらあっても足りないのでどうしても学力のスタート地点は不利になる。
俺は地元の塾と行った公立高校の面倒見が良かったのが本当に助かった。精々模試代くらい。
②
これは知らないパターンはあんま見たことない。行くとなれば調べればわかる。
ただ、運ゲーなのは参った。入る前にわかると助かる。どのみち奨学金は在学中は金利かからないので借りるけど、この辺の手続き全てに親の収入が絡む。
親が万が一非協力的だと詰むので、是非とも改善してほしいところ。
あと経験上、国公立でも上位校の方が明らかに出やすい。おそらく予算の量と使う人の少なさのせいだと思う。より貧乏なのは地方だと思うので改善が必要そう。
③
これも地味に大きい。
自分は国公立大選びまくれるほどの地域だったが、妻は通える範囲になかったらしい(下宿)。こうなると貧乏だときつい。
④
これはたまに聞くパターン。18になったら親が子供の収入を当てにして進学させない。高卒だと地元から出にくくて一石二鳥。最悪だね。
奨学金で全部カバーするパワープレイする人もいるらしいが、その覚悟は18では厳しい。それだったら俺も無理だったかな。
以上。例え学費タダにしても多くは解決しないのはわかってもらえると思う。
ただ、うちの場合は母親が全力で進学させてくれたのがマジで大きかった。感謝してもしきれない。
ちなみにパチンコに全部溶かして離婚された挙句に20歳になったからって養育費ぶち切ってきた父親は一生許さない。
ブコメで私立に行く選択肢はなくなるって話があってそれは確かにそう。
ただ個人的には授業料高くて実験設備が悪い(校舎は綺麗だけど)大学に行く理由がわからないので、あんまり問題には思わなかった。首都圏だと辛いかも。
どちらかというと私立に関しては(家が貧乏で学力ないのに)無理に行って奨学金に苦労してる人が多いイメージかな…
再追記
ちょろちょろ興味深い反論が見受けられるので書いておく。
まぁ一見ごもっともな意見だが、ちゃんと読んでくれればわかる通りそもそも俺の意見はあんまり授業料を払う前提ではない。
確かに②の親の協力が得られないパターンは救えるが、それ以上に①の受験が激化する方がキツいと思われる。